2009年10月10日
10月10日 Stage7 Baharija-Cairo (Total stage 395.54km SS 300.74km Tranfers 94.80km)
最終日の朝を迎えました。気持ちは毎日のスタート前と同様で、 “今日も初日のつもりで、慎重に走ろう” というものでした。また、毎年のコース状況より、最終日はそれ程難しい砂丘越えはない事、後半は土漠メインとなる事、更に、昨年も制限時間内にゴールをしている事より、油断せずにマイペースで走っていけば、きちんとゴール地点に辿り着く事が出来ると分かっていました。
しかし、 『何かが起こる最終日』 。ゴール目前で完走が逃げていく事は、よく聞く話です。自分の中でも、容易に想像が出来てしまいました。よって、とにかく慎重に、後悔をしない様に走ろうと、気持ちを引き締めてスタート地点を切りました。
“最終日はそれ程難しいコースではない” と分かっていても、昨年、砂丘越えが怖くて、敢えて亀になり、そのまま砂堀りをして前方へ越えていく事や、越える際にやや躊躇する場面がありました。いずれも7日目で自分のスキルが上がった事もあり、5分程度の砂堀りで容易に脱出出来ました。よって、 “今日も最終日とはいえ、ちょっとした難易度の砂丘越えはあるのだろう… 。一体、今年は最終日にどんなコース設定をしたのだろう… 。 ” と、これから向かうべき未知の場所に対して、ちょっとした期待と不安がありました。そして、常に、 “この瞬間の判断ミスで、取り返しのつかない事になるかも知れない。だから、後悔しない様に走らなければ。 ” と、戒めながら走っていました。
5日目の前半にブレーキが効かない症状が出始めたものの、その後は和らぎ始め、昨日は、その不具合を感じる事なく、1日走る事が出来ました。しかし、本日、ギャップ越えの多い路面になってブレーキを多用する様になると、再びブレーキが抜ける症状が出始めました。ギャップ越えの際にブレーキを踏んで減速を試みるものの、スコンと突然ブレーキが抜けてしまいました。 “あれっ!? ” と思う間もなく、プラドの勢いは落ちる事なく、そのままのスピードで段差に突っ込んでいってしまいました。
“うわっ、またブレーキが効かなくなった。これ、これからギャップだらけの路面になっていくのに、全部走れるかなぁ…。怖いなぁ… 。 ”
そんな事を思いながら、速度を2段階落として走る様にしました。 “ここまできたら、制限時間内に走れなくても、とにかく無事にゴールに辿り着きたい” という思いがありました。その後も、ギャップ越えでコントロールをつける事の出来ないプラドは、幾度となく真正面から段差に突っ込んでいき、その度に、プラドのフロントにドカーン! という衝撃が走りました。
傍から見ると、完全に集中力の切れたドライバーか、自暴自棄になりながら走っている状態です。勿論、自分の中では、全ての瞬間を悔いのない様に、大切に過ごしていましたので、決して気持ちが切れた訳ではありませんでした。しかし、いつ車が壊れてもおかしくない、という程に、見るも無残な走りをしていました。
「車、壊れちゃうよ。 」
と、ナビさん。
「ブレーキが効かないんです。 」
と答える私。
かなりペースを落としながら走るものの、やはり、コントロールがつかずに段差に突っ込んで行く状況は、何度もありました。そうした体当たりの走行をしていると、ふと、ハンドルが重くなりました。
「タイヤ、パンクしていない? 」
と、ナビさん。
「んん。多分… 。 」
と答える私。
すぐさまプラドを停めて、タイヤの確認をしました。案の定、左フロントタイヤをバーストさせていました。4日目にリアタイヤをバーストさせた時には、その感覚の変化には気付きませんでしたが、今回は、明らかにハンドルが重くなった事でその変化に気付く事が出来ました。あれだけの勢いで何度もタイヤに衝撃を加えていましたので、当然の事かと思います。逆に、2本ではなく1本だけで済んだ状況に、安心をしました。
すぐさまタイヤ交換に取り掛かりました。15分程度の作業だったと思いますが、その間に、後続車両に抜かされていきました。タイヤ交換や車両トラブルで、競技中にコース上でストップする事は好ましい事ではありませんが、それでも、他車がトラブルで停まっている間に自分が抜かしていったり、また、自分がトラブルで停まっている間に他車に抜かされていったり… と、自分のスピード限界域でコンマ何秒を競うのではなく、マイペースに走りながらもこうして抜きつ抜かれつのバトルをする事を、非常に面白く思いました。
1日の中で何度も他の競技車両とすれ違う事で、自分も一競技者としてこのラリーに参加している事、ようやくラリーらしい形になってきた事で、ラリーそのものを楽しく感じる様になってきました。そんな面白さを実感しつつ、タイヤ交換を済ませて、再びプラドに乗り込みました。
“もうこれ以上、バーストさせてはイケない。もう次にトラブルがあったら、リタイアだよ。 ” そう戒めながら、コマ図を進めました。
自分ではギャップに気付き、きちんとスピードコントロールをしたいものの、やはり、ブレーキが抜ける事が度々ありました。そこで、万が一段差に突っ込んでいっても、その衝撃を最小限に抑えたいと思い、ブレーキが効かない状況下でのスピードコントロール域で走行する様にしました。ところが、速度を2段階落として走っている私を見て、ナビさんからは、
「制限時間に間に合わないよ! 」
との声。
「ブレーキが効かないんです。 」
と答えると、
「そんな事今さら言ったって、しゃーないやん! 」
という答えが返ってきました。
“いやいや、ブレーキが効かないのに、無理してスピード出していって、致命的な状態になって走れなくなるよりはいいでしょ? 時間に間に合わなくても、とにかく完走したいし… 。明日も自走でプラドをアレキサンドリアまで運ばなければならないし… 。 ”
内心そう思いつつも、その言葉は口には出さずに、黙々とアクセルを踏みました。
路面が完全に土漠になって、ゴール地点が近付いてきている事を実感しました。その1つの目安となったのが、 “アカシアの木” でした。 “アカシアの木” は、だだっ広い土漠の中で、ポツンと1本、木が生えています。昨年も同じ場所を通り、 “一体、この木は水分がない中で、どうやって生きているのだろう” と思った記憶がありました。1年振りに見た “アカシアの木” は、まるで “お帰り。きちんと成長して戻ってきた? ” と呼び掛けられている様でした。黙々と轍を追い掛けていると、ふと、ナビさんが言いました。
「もうちょっと左寄ってって。… 。もうちょっと… 。もっと、もっと… 。 」
私は、ナビさんの指示通りに、ハンドルを切っていきました。
「そのライン、そのライン。この轍、追っていって。 」
と、続きました。
暫くその轍を追っていくと、
「もうちょっと左行って、もうちょっと左。もっと、もっと… 。 」
再び、GPS を見ながら、ナビさんの指示が続きました。その轍を追っていくと、明らかに工事現場と思われる様な凹凸の激しい路面を越えていかなければならない場面に遭遇をしました。
“えっ!? こんなトコ、通るの!? ブレーキが効かないのに、こんなトコ入っていったら、明らかに突っ込んで行っちゃうよ。 ”
そう思いつつも、ナビさんの指示に従って、慎重にその大きな凹凸を越えていきました。その後も、幾度となく、狭くて高低差のある凹凸路面を越えていきました。完全に、自分がどの方向に向かっているのか、今、何処にいるのか、分からない状態です。また、ナビさんがどういう目的で細かな指示を出しているのか、道に迷ったの? … 等々、ナビさんの意図が分からずにいましたが、次第に、ナビさんが WPM (コース上の隠されたポイント。ここを通らないと、ポイント不通過として、ペナルティが課される) を探しているのだという事が分かりました。
最初は頭の中が ??? の状態でナビさんの指示に従っていましたが、ようやくナビさんの意図している事が分かりました。このWPM は、ゴール後に他の選手に聞いたところ、皆、迷っていたとの事でした。他の一般車両の轍等々と一緒になっていて、 WPM ポイントがなかなか探せずにいたとの事でした。最後の最後までラリーという競技を楽しみつつ、ようやく、最後のCP が見えてきました。
“CP だぁ… 。 ”
そうは思うものの、特別な感慨はなく、淡々とコントロールゾーンに向かいました。そして、301km の走行を終えて… ようやく、最後のCP に到着をしました。ファラオラリー、完走です。色々とありましたが、今年も、何とか完走をする事が出来ました。自分の中では、 “精一杯やった後には、感動の涙が溢れ出てくるのだろう” と思っていましたが、反省ばかりのラリーで、全く感動する事なく、淡々と目前の物事を処理していました。ナビさんも、こういう場面には慣れているのでしょう、特別な会話をする事なく、最後のCP を後にして、ゴールのポディウムがあるピラミッド前に向かいました。
この時点で、私の中には2つの懸念事項がありました。1つは、ブレーキの効かない中での走行に加え、最後のWPM 探しに時間を要し、果たして、制限時間内にゴール出来たのか? という事。もう1つは、この時間にピラミッド前のゴール地点に行って、果たして、オフィシャルやカメラマンはいるのか? という事でした。
最初の懸念事項に関しては、単に、ナビさんに対して時間内に間に合ったか否かを聞けば解決する問題でしたが、一生懸命にWPM を探してくれたナビさんにあたかも非がある様な質問だと誤解される可能性があり、心の中にしまっておきました。また、2つ目の懸念事項に関しては、実際に現場に行ってみなければ分からない… という事で、いずれの不安を抱えながら、黙々とゴール地点を目指しました。
“時間内に、走れたのかなぁ… 。そして、ピラミッドの前で、皆、待っていてくれるかなぁ… 。これで今年もポディウムに誰もいなかったら、寂しいなぁ… 。 ”
そんな事を考えながら、最後のリエゾンを走っていました。また、ブレーキの効かない症状が再度出始めた今日、交通量の多くなってきたカイロの市街地で、他の車両に突っ込んだらどうしよう… と、段差に何度も突っ込んでいった今日の走りが脳裏を横切り、少しドキドキしながら運転をしていました。
色々な不安が頭の中をグルグルと回りながら、カイロ市街地へと入っていきました。この道は、3年連続通っている “特別な道” です。3年前、初めてラリーに参戦をした時には、初日でリタイアをし、このカイロ市街までの道のりを、非常に多くの憧れを持って通りました。自分の真横を通っていく完走車両の後ろ姿は実に充実感に溢れ、また、開放感に浸っているように見えました。
“一体自分がこの道を笑顔で走るのは、何年後になるのだろう… 。いつか笑顔でこの道を通ってみたい。 ” そう思っていました。そして、昨年。何とか完走をして同じ道を通りましたが、その内容は満足という状態からは程遠く、不甲斐ないものでした。
“今年も笑顔でこの道を通れなかったなぁ… 。 ”
そんな事を思いつつ、ピラミッドへ向かいました。そして、3度目の今年。やはり、走りの内容的には決して満足出来るものではなく、 “やっぱり今年も笑顔で、そして、嬉しい気持ちで通る事は出来なかったなぁ… 。 ” という思いで、通りました。
この3年間を振り返りながらその “特別な道” を通っていると、ようやく右手にピラミッドが見えてきました。色々な思いがある中でも、私の関心事は、 “オフィシャル、まだいるかなぁ… 。 ” の1点に集中されました。
“いるかなぁ、いるかなぁ… 。でも、実際に着いてみないと分からない、早く着きたい… 。本当にいるのかなぁ… 。 ”
はやる気持ちを抑えながら、最後のゴール地点へとコマ図を進めました。ピラミッド近くのゴール地点にて、タイムカードをオフィシャルに手渡しました。そして、オフィシャルがGPS を操作して、WPM の通過状況のチェックがありました。これで、ファラオラリーの全競技を終えた事になります。
あとは、念願の、ポディウムです。1年間、ずっと目標にし続けたポディウムです。完走した者にしか上がる事の出来ない、ポディウム。オフィシャルがまだいてくれているか、或いは、既に無人の状態になっているか分からないポディウム。
果たして、今のポディウムの状態がどの様になっているのかは分かりませんが、昨年は、お情け完走状態でポディウムに上がりました。しかし、今年は、初日にタイムオーバーをしたのみならず、カミオンバレーのお世話になるという結果になりましたが、2日目からは何とか他の選手並みに競技参戦をして、正真正銘、完走をする事が出来ました。内容的には決して満足出来るものではありませんが、今年は、堂々とポディウムに上がる事が出来ます。
“皆、いるかなぁ…。それとも、もういないかなぁ…。誰もいなかったら、寂しいなぁ… 。 ”
そんな事を思いつつ、ポディウムへ向かう道で、何となく遠目に、その方向を見てみました。すると、ポディウムの周囲に何となく人気があるのが見えました。
“もしかして、皆、いるっ !? ”
徐々に近付いて行くと、はっきりと、その人だかりを確認する事が出来ました。
“うわっ! いた~! 良かった~! 間に合った… 。 ”
私は、ポディウムに上がる順番待ちをしている競技車両の後ろに、プラドを並べました。
ポディウムと対面をして、沢山のオフィシャルやカメラマン、カメラを構えた一般見物の人・人・人… 。
いよいよ、私がその舞台に上がる番です。オフィシャルの指示通りにプラドを停めて、車外へ顔を出しました。
“やったよ~! ”
口にこそ出しませんが、ほんの一瞬だけ、爆発的な喜びがありました。口笛を吹いて祝福をしてくれる人、拍手をして祝福をしてくれる人、沢山の人・人・人… 。皆が、私達の完走を祝福してくれました。反省ばかりで、満足のいく走りからは程遠い状態でしたが、それでも、一瞬、完走の喜びが沸き上がってきました。
ポディウムを下りると、後半3日間、コース上で頻回にすれ違った UAE から参加をしていた選手が、握手の手を差し伸べてくれました。
「Congratulation ! 」
と、彼。
私も、小さな窓から手を出して、UAE チームのドライバー・コドライバーと握手をして、お互いの健闘を称え合いました。昨年は、到着時刻が遅くて、ポディウムには誰もいませんでしたし、こうして他の選手からも一競技者として認められた事は、本当に嬉しかったです。
この後、まだまだ完走の余韻の残るピラミッド前を後にして、夕方の渋滞で混雑をするカイロ市街地を抜けて、ホテルへ戻りました。パルクフェルメの入り口でGPS やサンチネル、イリトラック等の通信機材を返却し、プラドをパルクフェルメの中に停めました。
7日間共に戦い、走り抜いてくれたプラドは、本当に砂だらけ、傷だらけでした。特に、昨年以上に車両に衝撃を与え、酷使をしてしまった状況を反省し、プラドにお礼を言いました。
“7日間、沢山勉強をさせてくれて、どうも有難う。自分の勉強の為に持ちこたえてくれて、本当にどうも有難う”
こうして、私のファラオラリー2009 が終了しました。




