2016年07月31日

2016年06月27日

最近読んだもの・買ったもの

・『アイドルマスター 全アイドル名鑑2005-2016』。その名の通り,いわゆる765プロAllStarsからDS,ミリオンライブ,デレマス,SideMに至るまで全アイドルの基礎的なデータを収録している。10年やっている間に随分と増えたなぁということを実感できること請け合いであるが,と同時に大半デレマスじゃないか,という現実にも気づいてしまう。もっとも,これはともかく数を増やしたデレマスと,固定された初期メンバーを深く掘り下げていくミリマスの違いでしかないと言えば,そうである。
→ 名鑑としての価値は高く,アイドル一人一人に与えられた紙面はそう大きくないが,必要・重要な情報はコンパクトにまとまっている。絵は全て既存絵で,サイズも小さいものが多いので,画集としての機能は薄い。資料用に手元に一冊欲しければ,またはファンアイテムとして確保しておきたければ買えばよかろう。個人的には,ありそうでなかった全アイドルを収録した資料なので,重宝している。そういえば,アイドルマスター箱○版無印のゲーム紹介で,ニコマスについて触れられていたのだけれど,公式から出た文章で公にこれに言及したのはかなり珍しい。ひょっとしたら明言の形では初めてかもしれない。

アイドルマスター 全アイドル名鑑 2005-2016
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
2016-03-30




・『プリニウス』4巻。ポンペイの地震(62年),ポンペイ脱出,ブッルス暗殺,オクタウィア処刑,ネロとポッパエアの結婚,キリスト教徒の出現。
→ プリニウス閣下,怪物は信じるが幽霊は信じない。まあ,考え方としてはわかるw
→ ブッルスは病死であるが,暗殺説が採られた。暗殺説はタキトゥスが出典の模様。ついでにポッパエアとティゲリヌスの不倫説も採られているが,これは何かしらの史書に基づくものか,創作か。なお,予言されている通り,ポッパエアの生んだ娘は夭折する。
→ 本作,ちょいちょいとキリスト教徒が出てきていて,明らかにローマ大火のフラグである。


・『燕石博物誌』。ブックレットは秘封倶楽部の二人が同人誌を作るというもの。『東方外来韋編』の時にも紙媒体の幻想入りについて語っていたし,今回の秘封倶楽部が作っているのも紙媒体の本である。確かに,紙媒体への郷愁はいかにも神主らしい感性だ。
→ 相変わらずメリーの状態が不安定で,やっぱりどんどん八雲紫に近づいているようにしか思えない。ただ,おそらく神主は最後まで設定を明かさないような気がしている。
→ すっごい野暮なツッコミを入れると,「シュレディンガーの化猫」のサブタイトル(英名)が「Schrodinger's Black Cat」になっていて,間違いではないのだけれど,本来はoにウムラウトがついているので,「Schroedinger」とした方がドイツ語っぽくなる。というよりも,ウムラウトを無視して発音するなら「シュロディンガー」になってしまう。それで気になって英語圏だとどうなのかと思い,それぞれでググってみるとほぼ同数の検索結果であった。


・『魔法少女まどか☆マギカ 魔獣編』2巻。
→ 現時点での評価は難しいが,風呂敷をちゃんとたためるのかはやや心配である。より正確に言えば,物語自体の風呂敷はちゃんとたためるだろうけど,後付の設定が非常に多いので,『叛逆の物語』と設定矛盾が生じないようにできるかは現段階で割りと危ぶんでいる。たとえばほむらの記憶操作能力何かは,今のところ矛盾が生じるような事にはなっていないが,完全に後付の能力でしかもかなり強力なので,危ういものしか感じない。
→ ほむらがお手製の爆弾を使っていて,ちょっと懐かしい雰囲気がある。最初はこれだったんだよなぁ。  
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2016年06月25日

教科書は意外といろいろ書いてあるのよ

・怒る関経連「なぜ一地裁の裁判官が」 高浜原発差し止め(朝日新聞)
→ 自分は別に反原発でもないし,この裁判の内容を知っているわけでもないが,「そりゃ三権分立で,これは司法の判断だからだよ」としか言えない。あるいは,おそらく権威主義であるので,最高裁判所の判断ならこの人達も納得するのかもしれないが,それならそれで「三審制って知ってますか」という話になる。さっさと控訴・上告すればいいのでは。(追記)「原発差止は訴訟上の判決ではなく保全手続上の仮処分なので、控訴上告ではなく保全異議保全抗告です」というご指摘があった。これは筆が滑ってました。
→ 下手したら,地裁とは地方のことを裁く裁判所と勘違いしている可能性があり,それで「国のエネルギー政策」に地方裁判所の裁判官が判断を下すな,と言っているのかもしれない。そうだとするとより救いがたい。ただ,こういう勘違いは世の中案外と多くて,偉い人,ご年配の人でも案外と社会制度が部分的に抜けているということはネット上だけでなく実体験を踏まえても時々ある。(追記)「仮処分」なので若干の情状酌量の余地はあるのかもしれないな,と一瞬思ったが,よく考えたらそれでも関経連の人たちなら知っていて然るべきのような。
→ ちょっと話がずれるが,逆説的に言って,「小学・中学の社会科でそんなの習った覚えがない」という案件,大概の場合実は中学辺りの教科書に書いてあったりする。今回の場合,三審制も三権分立も小6の社会で軽く触れ,中3の公民で再度触れるはずである。しばしば話題になる労働法関連やストライキ何かも中3の公民で確実に触れる。より私に卑近な例で言えば,「こういうこと高校の世界史で教えて欲しかったなぁ」とネットで見かけることは,少なからず山川の教科書に載っている話だったりする。皆忘れてるだけなのではないか,と思うことはしばしばある。その意味で,社会科的な知識においては「義務教育(高校)まで戻れ」は割りと本当にそうした方がいいことがありうる。


・自然描写が気になって「ゴールデンカムイ」が楽しめない(紺色のひと)
→ 非常に深く調べてある漫画『ゴールデンカムイ』の数少ない短所っぽい。時期を考えずにアイヌネタを全部詰め込んじゃったか。作中でも時間は経過していて,巻ごとにちょっとずつ進んでいる。だからこそ,春(5月以降)になってから紹介すればよかったのに,ちょっともったいない。


・ドイツの古城のホテルに泊まったら他に客がおらず、お留守番まで任されちゃったお話「羨ましいけど怖い」(Togetter)
→ 普通に楽しそう。思わず騎士甲冑を着込んでしまう事案。この日だけは一国一城の主である。あるいはそのままタイムスリップしそう。目覚めたら17世紀。ちなみに,ヒルシュホルン家が断絶したのは三十年戦争まっただ中のようなので,タイムスリップしたら眼下は血みどろの宗教戦争の可能性もなくはないw


・[GDC 2016]Paradoxのベテラン開発者が歴史ゲームのエッセンスを語ったセッションをレポート(4Gamer.net)
→ 言うまでもなく歴史系SLGのゲームシステム(エンジン)とは,現実の歴史のある一面を切り取ってそれに沿って世界を再設計したものであり,当然のことながら,そのエンジンにそぐわないが無視できない歴史的大事件というものは出てきてしまう。その対処法としてベテラン開発者が述べた「個別に対処していくしかない」というのはなかなかに重いが,やはりその通りであると思う。歴史自体が特殊事例の大集合なのである。
→ むしろ,であるにもかかわらず,ある一面で切り取って再設計すると,とてもリアルに再現できているように見えてしまう,という方がSLG設計のミソであると思う。会場でも『CK2』の際にイスラーム側の宗派対立を無視したことが語られ,「“何を入れないか”を十分に考える必要がある」と述べられている。私も『Victoria』ほど近代世界を再現できたゲームを知らないが,『Victoria』はびっくりするほど様々な要素を簡素化し,無視している。
→ 後段で『Victoria2』においてアフリカ分割がゲーム中ではペイしないがゆえに賢いプレイヤーは手出ししないことが語られているが,現実世界でもペイしなかったようなので,“賢い選択としては”概ね間違ってないのである。しかし,それだと“リアルではないので”,ペイしなくてもマルクス主義の理屈を持ってきてインセンティブを用意した,と。この辺のリアルさを持ってくると別の部分でリアルでなくなるのは,人間が必ずしも合理的に動いて歴史を作ってきたわけではないことの証左としても非常におもしろい。
→ 同じく4Gamerの記者による研究者からの歴史ゲームについての発表のレポートでも記事を書いている。こちら
  
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2016年06月24日

書評:『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也著,中公新書

本書はインターネットで話題となり,再販された。私もご多分に漏れず,このTogetterがきっかけだ。

・「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響(Togetter)

ここでの紹介はリアル世界で本当に起きてしまった内政チート,という雰囲気だ。確かに,第二次世界大戦後の主権国家というものを急に“押し付けられ”,知識も技術も経済力もないが対応していかなくてはいけないアフリカ内陸の小国という究極の状況である。主人公が異世界に飛ばされたのではなく,異世界の側が現代世界に接続してしまったという方が近い。そしてまた,服部正也氏が極めて内政チートの主人公にふさわしい人物であった。内政チート物の(とりわけ異世界物)で指摘される主人公の不自然さをことごとく否定できてしまう。

・ぽっと出の主人公(現代人)がいきなり内政を自由にできる高官に就任できるはずないだろ
→ 日銀を勤めて20年の実績,IMFの推薦で中央銀行総裁に就任。高度経済成長真っ最中の日本の権威はルワンダでも相当効いていた。
・現地の有力者や既得権益層に反対されて改革なんて進むはずがない
→ 服部氏自身が老獪かつ豪腕で,様々な手段で政敵に対抗していく。最終的にはルワンダ秘密警察も行使していたことが本書で語られている。
・現地の事情を知らずに現代の制度や技術を植え付けても上手く行くはずがない
→ 実際にそうした失敗例として他のアフリカ諸国を研究し,さらにルワンダでも慎重に実地調査をしてから改革を実行。

そもそも服部氏は中央銀行総裁として赴任したはずであった。それがなぜチートと呼ばれるほど内政にかかわることになってしまったのか。IMFの指示はあくまで「ルワンダ通貨の安定」であった。しかし,実際に赴任してみると,通貨の安定どころではなかったのである。通貨の安定のためにはどうしてもルワンダの国民経済・国家財政が安定している必要があり,その旨を大統領に告げると「全面的に信頼するから,経済再建計画の立案はお前が全部やれ」と言われた,という経緯である。「大仕事を引き受けてしまったが,不思議と気は軽かった」とは服部氏本人の言である。そして1965年から6年かけて,彼はこの大仕事をゆっくりとこなしていった。


さて,本書は確かに内政チート物として読むこともできる。無い無い尽くしの中,服部氏はルワンダ人の官僚を育成し,農民を啓蒙し,現代的な経済制度とルワンダの実情を着実に接続させ,ルワンダ経済の近代化を成し遂げていく。古代・中世から,近世・近代をすっ飛ばしていきなり現代に接続する直線的な歴史発展の無視っぷりは爽快感がある。しかし,本書を内政チート物として読めるのは4割程度で,読んでみると全く違う読後感の方が強かった。では残りの6割は何なのか。

現実のルワンダと,多くの内政チート物には,前提条件に決定的な違いがある。植民地経験である。ルワンダの経済成長の足を引っ張っていたのは,残存する旧宗主国のベルギーによる植民地主義であった。より具体的に言えば,殿様商売をしているヨーロッパ人経営の商社とそれを保護する制度,ひどく不公正な為替制度,無知なルワンダ人政治家につけこむ怠惰な外国人官僚等である。そしてその背景にあったのは,どうせアフリカ人は永久にヨーロッパから自立できないという根強い偏見であった。というように,服部氏の主要な敵は植民地主義とヨーロッパ人の偏見であって,ルワンダ人の無知よりもこちらの方がよほどやっかいな難敵であった。描写としては,ルワンダ人を啓蒙しているシーンよりも,ベルギー人と戦っているシーンの方が多いのだ。だから,読後感の6割は植民地主義との戦いになる。

服部氏の信念は「経済の安定のためには国民経済の自立が必要で,国民経済が自立するためには民族資本の成長が不可欠である」であった。だからこそルワンダ人農民や商人の資質を時間をかけて確かめ,少しずつ外国人の影響力をそいでいった。終盤,どうせ自立できないと言われ続けていたルワンダ人農民や商人が経済的に自立し始めるのは,なかなかのカタルシスがある。服部氏の改革は,前近代的な国家に現代的な制度を植え付けていくというよりも,ベルギー人に押し付けられた不公正を正していったものという雰囲気の方が強い。なお,具体的にはどういう政策であったのは次の記事で細かくまとめてあり,参考になる。
・服部正也氏の「ビッグ・プッシュ」(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より)(himaginaryの日記)


ところで,ルワンダというとどうしても大虐殺については触れざるをえない。1994年に起きた時点で服部氏は存命であり,彼による大虐殺への言及も増補版には付いている。しかし,服部氏は虐殺の約25年前までしかルワンダに赴任していなかったとはいえ,本書は民族問題をほとんど扱っていない。本書だけ読めば,1970年頃にはフツ人とツチ人の対立は無視できる程度にしか存在していなかったかのような印象を受けるが,もちろんそんなことはないのである。少なくともカイバンダ大統領が民族対立の種を育てたのは事実であるが,本書での服部氏の評価は異常なまでに高い。上掲のhimaginaryの日記の記事内にもある通り,これは視点の違いとして非常に興味深い。

さらに言えば,彼が赴任していた当時のカイバンダ政権はフツ系であり,ルワンダ虐殺で虐殺されたのは主にツチ人で,1994年当時の欧米諸国があからさまにツチ人に肩入れしていたという国際情勢もあいまって,この増補部分はあからさまに「ヨーロッパ人にはアフリカ人への偏見が残っていて,フツ人が不当に貶められて報道されている」という決め付けが見られる。服部氏が言うような不当さは確かに存在していたのだろうが(ユーゴ紛争から現在に至るまでの西欧のセルビアへの態度とちょうど重なる気が),この増補は全体としてあまり本質的な指摘ではなかったように思う。

一方で,Togetter内での言及では「もとの中央公論の寄稿の方では大統領のツチ反乱軍に対する差別的な言辞や、親族の不正への関与を匂わせる記述がある」とあり,これがどういう経緯で削られたのかは少々気になる。残っていれば,本書の印象がまた違ったものになっていただろう。




  
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2016年06月17日

書評:『まなざしのレッスン2』三浦篤著,東京大学出版会

本書は大学の学部生向けに書かれた西洋美術史学入門書『まなざしのレッスン』の続編である。1巻は私の知りうる限り最優秀の美術史学入門書である。「西洋美術は一種のパズルである」ことを示し,なぜ絵画を見るためには知識が必要なのかを説き,絵画に関する基礎知識について概説している。そこに趣味としての美術鑑賞の,学問としての美術史学の入り口が用意されているのである。入門書であるので平易な語り口であり,また読む上で必要な知識を極力減らしてあり,大学入りたての文系大学生や,西洋美術というものに疑問を持つ社会人がいかにもいだきそうな疑問にちょうどよく答える名著であった。その意味では必ずしも美術史学を専攻する予定の学生の入門書というより,入門する気のない人たちにとっての方が好都合な本だったとさえ言えるかもしれない。知識を覚えるための本ではなくて,「なぜ知識を覚える必要があるのか」という説明の方に徹底しているからである。また,ちょうどグローバル・ヒストリーにおける『砂糖の世界史』のような立ち位置と言えば,本ブログの読者には伝わりやすいかもしれない。

とはいえ,1巻には欠点があった。前近代(新古典主義期)までの西洋美術しか扱っていないので,美術史全体の概要を示しているとは言いがたかった点である。しかし,これには事情もある。西洋美術を鑑賞する上で必要な知識,言い換えれば「パズルの解法」は,前近代と近現代でルールが異なる。それもがらっと変わるというよりは徐々に変わっていくのであり,言ってしまえば近現代の美術史はルールがぶっ壊れていく過程そのものである。だから1冊の本で「ルール自体の説明」と「ルールの崩壊過程」を著すのは,入門書として無理があった。『まなざしのレッスン』が美術史学の入門書として完成するには,どうしても2巻が必要だったのである。しかし,待てど暮らせど2巻は出ない。あまりにも出ない間に,私の方が大学を脱出して就職し,趣味としての美術鑑賞は続けていても,学問からはすっかり離れてしまった。

そして2015年,1巻が出てから約15年経ってようやく待望の2巻が発売された。言うまでもなく近現代美術史編である。著者の三浦篤は専門が近代フランス美術であるが,だからこそ時間がかかったのかもしれない。あるいは1巻を書いた当時よりも先生御自身が随分と多忙になってしまい,研究や授業に忙しく,入門書を書いている時間が取れなかったのかもしれないし,1巻の評判が良かったプレッシャーもあったかもしれない。

2巻もまた近現代西洋美術史の優れた入門書になっている。1巻を読んでいることが前提ではあるが,西洋美術のルールが崩壊していく過程が,やはり平易な説明で綴られている。単純な時代順で,つまりロマン派→自然主義→印象派→……と追っていく美術史ではなく,絵画ジャンルやルール別に「どう崩壊したか」という点に焦点を当てて,前近代のルールと比べながらその変容を述べていくスタイルをとっている。ゆえに,1巻同様に美術史の知識はおろか,西洋史の知識自体も常識的なものしか要求されず安心して読める。非常に基本に忠実で,わかる人に言えばティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》の前のページに《オランピア》が掲載されているレベルである(しかも口絵にマティスの《バラ色の裸婦》があり本文でそちらに誘導されている)。そして「どうしてこうなっちゃったの」かが説明されている。

おそらく「わからない美術」の筆頭たるカンディンスキーらの抽象絵画もかなり紙面を割いて解説されているので,気になる方は是非。楽しめるようになるかどうかや納得するかは別にして(私自身いまだに楽しくない),こういうものが出てきた経緯や画家の意図はなんとなく説得された“気分”になれるだろう。


なお,繰り返しになるが,本書はあくまで美術史学的な美術作品の鑑賞方法・楽しみ方を提供する意味での入門書であって,知識を提供するたぐいの入門書ではない。有名な作品を1作1作懇切丁寧に説明しているわけではないし,美術史の流れ(様式史)を説明した本でもない。また,1巻を読んでいることは前提として書かれているので,その点も注意を要する。




  
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2016年06月13日

最近読んだもの・買ったもの(ガルパン関係)

・『ガールズ&パンツァー リボンの武者』4巻。竪琴高校編,黒森峰参戦。
→ ビルマだからって竪琴とはネタが古すぎるのではw……まさにガルパン“おじさん”案件である。
→ 次巻,黒森峰戦になるようだが,エリカの死亡フラグが乱立している……気負いすぎ,西住姉妹しか見ていない,というかみほが大洗に行ってから軍神化していて焦っている,と。エリカさん,さりげなく「あなたが黒森峰からいなくなって以来――私はより肩肘をはって生きてきた」と言っているので,あの性格はやはりみほがいなくなってから余計にとんがったっぽい。そして,これもさりげなく,本作の時系列が劇場版よりも後であることが判明した。
→ 引き続き,1・2巻の頃に比べると作画が危うい。うーん。後半は比較的直ってる気もするので,次巻に期待。


・『ガールズ&パンツァー リトルアーミー供截押Γ慨(完結)。
→ 何か今ひとつ盛り上がらないまま完結してしまった印象。ベルウォールと大洗の試合が最後だが,無理して戦わせる必要もなかったような。打ち切りが決まって無理に戦わせたなら不幸なことである。そのために大洗を敗者復活戦に回す必要があったからだと思われるが,大洗がマシントラブルで負けるというのはどうしても不自然で,あの自動車部がいるからというのもあり,相手が継続高校だというのもあり。しかも自分たちの優勝記念杯でそんな理由で1回戦負けなのに,ちっとも悔しそうでないのもあわせて不自然である。黒森峰にリベンジを果たされたとか,やっぱり聖グロリアーナには勝てなかったとかならわかるのだが,前巻ですでにトーナメント表発表してしまっていたのが仇になったか。でもあとがき見ると最初から3巻構成だったっぽい。よくわかりません。
→ あと,ナオミが乗っているというファイアフライ,どう見てもシャーマンなんですが……作画ミス?


・『ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です』6巻。
→ 表紙はあんこうチーム・聖グロ・プラウダ・サンダース・アンツィオと来て,なぜか継続である。黒森峰さんかわいそうです,と思ったらやっぱり裏側でネタにされていた。
→ 登場人物紹介が長いw。いまだもって福田・玉田・細見以外の知波単の面々が覚えられません。聖グロを見るとルクリリが増えていた。
→ 西住しほさんと島田千代さんに焦点を当てた話が多くて,おもしろかった。そのうち西住常夫さんは登場するのだろうか。お母様方,ずれてる人と過保護な人で,よく3人中2人はちゃんと育ったなと……。その例外である約1名にして本作の主人公,親視点では本作のあれこれは確かに反抗期なのかもしれないw。あと,しほさんが「あなたも今からもう1人用意しなさい」と言ったのに対し,千代さんが「私には愛里寿だけでいいの」と返事しているの,例の二次創作ネタを鑑みるとなかなか深い。無論,弐尉マルコにそういう意図は全く無かったと思うけど。
→ プラウダ編はドラマCDと同様にロシア語対訳付。ジェーニャ大活躍である。そこで言われて気づいたが,確かにカチューシャとエリカだと「故郷で待つ女の子が歌ってる設定の軍歌コンビ」になる。名前的にも良いコンビなのかも。


・「ガルパンドラマCD5:新しい友達ができました!」。劇場版の新キャラに焦点を当てた構成。
→ やっぱり秀逸だったのはジェーニャとすみぺがロシア語だけで語り倒した話で,すみぺが某ラジオで「相当ロシア語を直された」と言っていた。母語の人と渡り合うのは難しい。お前ら何話してるかさっぱりわかんねーよ……と思ったらその後完全日本語版が流れるという。してやられた。ちなみに,ジェーニャは本当にノヴォシビルスク出身で,父親が元軍人です。
→ 継続の皆さんはどうやら漂流中のようですが,北海道から石川県に帰れるのかなぁ……一応『リトルアーミー2』と同じ世界だとすると,冬までには帰れたようです。その場合,今度は大洗まで来ているわけだけど,また大洗から石川県に帰られるのか……北海道より遠いじゃないか……
→ 副隊長3人が隊長好きすぎて笑う。メグミさん料理できそうなのに出来ないという。戦車道女子に女子力なんて不要やったんや……ルミさんが飲んでいるウォトカ「ヴァルハラ」はフィンランドのウォトカのようだ。「ウォトカ ヴァルハラ」でググるとすみぺのtweetが真っ先に引っかかってさらに笑った。しかし,日本語ではそれ以上情報がないが,英語で調べると正確にはウォトカベースのハーブリキュールのようだ(公式HP)。めちゃくちゃ飲んでみたいけどこれ日本で売ってるんですかね……?
→ ところで,メグミさんがサンダース出身でバーボンを飲んでいて,ワインを飲んでいるアズミさんがBC自由学園だそうなので,その理屈で行くとルミさんは継続高校か? 『リボンの武者』情報しかないが,BC自由学園は戦車道あまり強くないので,大学に入ってから伸びた人なのかもしれない。


劇場版BDはまた別の機会に。
  
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2016年06月12日

最近読んだもの・買ったもの

・『ゴールデンカムイ』7巻。女占い師インカㇻマッ登場,苫小牧競馬場,日高の牧場,VS赤毛のヒグマ,ヤクザの親分の囚人の皮ゲット。
→ インカㇻマッはあからさまにのっぺらぼうのことを知っている。今後もストーリーに絡んできそうだが,絡み方がちょっと想像つかない。
→ 今回最大の笑いどころは63話の扉絵であたかもアザラシと仲良くなっておきながら次ページでぶっ殺してるアシㇼパさんだろうw。雑誌連載時の煽りは「俺はアザラシ 海のパンサー 俺は泣かない何があっても もしも俺が鳴くならば,それは別れの時だろう。」だったらしい。そんなん雑誌読みながら爆笑不可避やろ……
→ 申し訳ないけどあと「姫〜ッ!!」でくっそ笑った。あの容姿で姫はなかろうというツッコミと,それでも親分にとっては姫なんだよという。最後のページの雑誌掲載時の煽りは「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」だったそうだが,煽り考える編集も天才すぎないか。ついでに言うと,二人が倒れているシーンの雲がハートの形をしているのも粋な演出だ。
→ なお,アシㇼパが「お前の国には馬のいらない馬車があるのか?」と驚いているが,自動車自体は1886年にダイムラーが発明しており,早々に実用化されているので,台数は少なくとも1905年時点の欧米人なら存在は知っていたはずである。軍にいた杉元とキロランケも知っていてもおかしくはないが,アシㇼパは知らなかっただろう。アメリカ人が「友達のフォードに試作品をもらったんだ」と言っているが,別に試作品をもらった設定にしなくても普通に買えたのではないかと思う。フォード社は1903年設立なので不自然な点は無い。見た目からして,これは有名なT型であるが,T型は1908年販売開始である。「試作品」と言っているところを見ると,『ゴールデンカムイ』は1907〜08年頃の時代と推測できる。思わぬところから細かな年代が割り出せてしまった感じが。
→ 巻末のおまけでここまでの囚人一覧が出ているが,24人中11人登場済ということか。杉元組が6枚でトップか? 土方組が4枚,第7師団が意外にも鶴見が持ってる1枚だけ?


・『ぷくゆり』。マウンテンプクイチの同人誌の商業化2冊め。一応「不良と優等生(またはいじめられっ子)」のカップルが多いので,それがコンセプトか。氏の好みがそれというのもあるし,そもそもこのカップリングが百合の王道の一つというのもあろう。
→ 前回ほどにははっちゃけていない気がするが,私の感覚が狂っているだけかもしれない。相変わらず一緒に死のうとするカップルが出てきます。うん,やっぱどっか狂ってるな!

ぷくゆり (百合姫コミックス)
マウンテンプクイチ
一迅社
2016-04-18




・『東方鈴奈庵』5巻。
→ 東方は多種多様な妖怪奇譚を扱ってきたが,全くの無から都市伝説を作ってしまうという話(「牛の首」)はひねりがあっておもしろかった。都市伝説が根拠の無いでっち上げなら,解決法もでっち上げにするとよいという。神秘録の頃,神主の中でのブームが都市伝説で,関連作品もずっと都市伝説の話をしていたが,この牛の首の話で一段落なのかな。
→ 終末論のデマゴギーの話,素直にマミさんの言うことを読むと,黒幕は八雲紫としか読めないのだけれど,コマの手袋もそれっぽい。しかし,彼女にこんなデマゴギーを広めるメリットがあるかを考えるとどうだろう……そして,このデマゴギーの作り手らしい「約150年前にイタリアで活動した予言者」は現実のモチーフがいるのだろうか。調べてみたけど全然わからなかった。おそらくいないものと思われるが,何かわかった人は教えてほしい。
→ 最後は「首のない馬」の妖怪の話。わかったことは幻想郷の塩問屋は里の長者になれるほど儲かるということ。生活必需品だし,幻想郷は海もなければ塩鉱山もなさそうなので,確かに儲かるだろう。しかし,どこから仕入れているのか……私は外の世界説を前から推しているのだが(紫が手を引いている),とりあえず今回の話だけではわからなかった。もうちょっと掘り下げられるといいのだが。そしてそんな長者でも妖怪化すればあっさり退治されるという。ドライな霊夢さんによって,幻想郷の秩序は保たれている。  
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2016年06月09日

書評:『三国志』宮城谷昌光著,文春文庫

実はとうの昔に読み終わっていたのだけれど,書評を書くタイミングを逃したままここまで来てしまった。なにせ7・8巻の書評が3年前である。このまま9〜12巻は書評無しでもいいかとも思ったが,しかし12巻通した総評くらいは書かないと踏ん切りがつかなかったので,短くまとめておく。

しかし,3年経ったからこそ書けることもある。本書の世評が落ち着いているということである。本書の世評は毀誉褒貶なのだけれども,宮城谷昌光らしさという点では及第点であるが,三国志ファンの視点からすると物足りない作品とも言えるかもしれない。以下の3つの記事・Togetterは,当時の三国志ファン界隈の雰囲気が非常によくわかるものになっている。あえて言えばTogetterだけでも十分かもしれない。

・三国文化のバトンを持たずに疾走した有能なランナー宮城谷氏について(Togetter)
・『三国志読本』の感想ツイート(いつか書きたい『三国志』)
・宮城谷昌光『三国志読本』への批判 「新しい三国志」について(三国与太噺)

要するに,三国志ファン視点から見た時の不満は「今更『正史』を大正義のように持ってこられても,その,困る」ということに端を発している。3つめの三国与太噺の記事にある通り,日本の三国志は演義・正史・それ以外の文献のいいとこ取りで形成された特殊さや多様性があってそこがおもしろいところというのは私自身100%同意する意見である。別に桃園の誓いがあってもなくても,魏延が粗忽者の裏切り者であってもなくてもかまわないのである。確かに,この日本の状況で今更『正史』第一主義を主張されても,それも中国歴史小説の大家がこれこそ新規性とうたって乗り込んできても,かえって陳腐さしかない。

ただし,Togetterの末尾にあるような擁護は可能かもしれない。宮城谷三国志の連載開始は2001年である。宮城谷氏が執筆を始める準備段階(90年代末)では,まだまだ日本版三国志=『演義』という時代だった,という可能性はある。調べてみるとちくま文庫の『三国志(正史)』の出版が1992〜93年,『蒼天航路』の連載開始が1994年であるから,90年代末はまだ『演義』以外の文献の普及期だったと言えるかもしれない。またTogetterの末尾のyunishioさんの指摘は重要で,ネットの住民でも実際に正史が広がり始めたのは2001〜03年頃とすると,宮城谷三国志連載はむしろ時宜を得ていたとすら考えうる。すると宮城谷氏にとっての悲劇は約13年間走り続けている間に日本の三国志ファンの側が大きく変わってしまった,ということになろう。

なお,自分が初めて三国志(横山光輝と吉川英治,そして三好徹の『興亡三国志』)を読んだのも中学生だから2000年頃だが,当時の“大人の”空気はさすがに知らない。『蒼天航路』はうちの高校ではそれなりにメジャーな漫画であったし,『真・三國無双』のプレイ人口も多かった。ただ,じゃあその原典となる『演義』や『正史』となると踏み込んでいる人は極少数であり,話題にはならなかった。この辺の事情は2000年代前半ならどこの高校でも同じだったのではないか。大学生になって,ネットのあれこれを読むようになった2005〜06年頃には,もう「正史派VS演義派」という議論自体が“懐かしい物”になっていて,上述のような風潮だったかと思う。


はてさて,ここまで自分の感想を一切書かずに世評の分析だけをまとめてきたのだが,Togetter内にある「宮城谷氏を読む前からの三国志ファンで、宮城谷氏のファンだと言う方に、宮城谷三国志の感想を聞いてみたいもの」にお応えして,その一人して,ここからは自分の感想を述べていくが,実のところ三国志としては十分に面白かったという高評価だったりする。確かに,一人の三国志ファンとして「日本の三国志ファンは『演義』しか知らない」という氏の発言はイラッとしたし,思うところはある。しかし,『正史』と『資治通鑑』にベタッとくっついた小説だったかというと,意外とそうでもなかったように思う。採用した出来事やクローズアップするマイナーな人物の描写から言えばその通りであるが,主役級の人物の解釈や評価については宮城谷氏のオリジナリティが強く,読みどころはそこであった。白眉は劉備の描写であるが,これは7・8巻の書評の時に書いているのでリンクを張るに留めたい。

その上で,まず,Togetter内で全く同じことを言っている人がいてちょっと安心したのだが,本作は良くも悪くも圧倒的に史書の翻訳であり年表であった。宮城谷氏の作品はもとよりその傾向はあるが,三国志は特にこの傾向が強く,特に曹操と劉備が全く話に絡まない部分ではこの傾向が強くなった。というよりも結局のところ小説として描きたかったのは劉備と曹操だけ(あと諸葛亮と司馬懿かな)であり,あとは「こんな隠れた好漢を史書から発掘したので紹介します」ということに徹していたような気もする。我々が読みたかったのは小説であって史書の翻訳ではないのである。正史の紹介という意識が強すぎて,こういうことになったのかもしれない。次に,その影響もあってか,本作は曹操の躍進が始まる4巻から劉備が死ぬ8巻までは無茶苦茶おもしろいが,その前後は史書の翻訳傾向が強くなるアンバランスさがある。それもあって9巻以降の書評は書くことがあまり見当たらず,放置してしまったというのは言い訳として挙げておきたい。

さらに,世評も踏まえた上で書くならば,十分におもしろい三国志ではあったが,三国志小説の新たな金字塔にはなりえなかったのもまた確かであるかなとも思う。極めて長く,しかもスタートが黄巾の乱の百年近く前であることもあってとっつきづらく,それを乗り越えて「00〜10年代の代表的な『三国志』はこれを外せない」という評価にも至らなかった。「(劉備が)おもしろい三国志」の枠は出ていないのである。ましてや宮城谷昌光の代表作に本作を挙げる人も出てこないだろう。これは完結して3年経ったからこそ,実際にいないのを見て確信できてしまったことである。つまるところ,“あの”宮城谷昌光が10年以上の歳月をかけておきながら,塩野七生にとっての『ローマ人の物語』にあたるものを書けなかったということではないか。世間がかの大作家に課したハードルはかくも高かったのである。



三国志 第十二巻 (文春文庫)
宮城谷 昌光
文藝春秋
2015-04-10

  
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2016年06月08日

いつの間にか知っている知識ってある

・この小学生の算数の問題成り立ってる? 展開図の解答をめぐって大人も大紛糾(Togetter)
→ これは犬と書かれた猫理論ですわwwwwww。小学校の教材で見るとは思わなかった。
→ ぶっちゃけて言うと,どう見ても業者の教材なので,誰かが電凸したら「ミスでしたすいません」で終わるような気も。


・娘を、プリキュアにするために就くべき職業2016(プリキュアの数字ブログ)
→ そもそもこれだけ親がクローズアップされるアニメシリーズ自体が珍しい気も。その意味で,ネタに見えて非常におもしろい調査だと思う。
→ 王族とクリエイティブ職が多そうだとは思ってたけど,意外と飲食業が多くて驚いた。自営業と合わせて話を作りやすいからかな。逆に研究職と芸能人と医者が意外と少ない。この辺はインパクトありすぎて話がそちらに寄りすぎてしまうので,数シリーズに一人ずつくらいしか出せなさそう。主役はあくまで娘たちなので,小ネタで済む飲食業・自営業がやりやすそうではある。そして,案の定サラリーマンは少なく,公務員はゼロである。話作れないからね,仕方ないね。
→ 記事中で指摘されているけど,政治家もいない。公務員とあわせてめんどくさい話を作中に持ち込ませないためなのだろうけど,そろそろあえてぶっこんできたらそれはそれでおもしろそうな,とはプリキュアをほとんど見てない人の無責任な発言として。


・東大病院で勤務してるこの女医さんの可愛いさと苗字凄すぎワロタwwwww(無題のドキュメント)
→ 愛新覚羅一族は意外と日本に住んでいるので,稀ではあるけど見つかることがある。個人的に印象深いのは,例の企画をやっていて見つけた契丹文字・女真文字研究者の愛新覚羅烏拉熙春さんかな。拙著にて紹介しました。今生きている人だと一番有名なのは福永嫮生さんだろうか。
・愛新覚羅ってそんなに有名なの?(増田)
→ 全然考えたことなかったし,どうなんだろう。自分の場合は自然に知っていた(おそらく高校世界史・日本史履修前から知っていた)のだけど,『ラストエンペラー』を知っていたからではあろうし,あと漫画『世界の歴史』や『日本の歴史』でも紹介されていたような気がする。
→ その上で言うなら,高校世界史だとマイナー事項で,入試に出たのは全く無いわけではないが,ほとんど見たことない。どちらかというと満州国皇帝で確実に習う日本史の範疇だと思う。いずれにせよ日本人の大半が知っている常識という程のものではなく,ある一定以上の層の一般教養ではあるかな,というラインだと思う。


・使えない貨幣を使う――2008年、ジンバブエのハイパー・インフレ / 早川真悠 / 文化人類学(SYNODOS)
→ これは非常におもしろかった。こと経済については,人間意外と状況に適応してしまうという。
→ 「価値が急速に下落する不便で非合理的な通貨を受け取る人が必ずどこかにいる。もし、この通貨を受け取る人がまったくいなくなれば、その時点でハイパー・インフレは終わっていることになるだろう。」というのは言われてみると実にその通りで,実態として使われていたからこそ本当の紙くずにはならず,価値が下がっていったのだろう。  
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2016年06月03日

中国麻雀を打ってみた感想

友達と中国麻雀(麻将,国際麻将)を打ってみたので,その感想。

中国麻雀のルールはWikipediaなりニコニコ大百科なりを参照にしてほしいが,日本の麻雀との違いを端的に言えば

・リーチがない。
・ドラがない
,というか王牌がない。(ただしドラに相当する物はある。日本の麻雀に比べて効力は弱いけど)
・フリテンがない。
・食い下がりという概念がなく,門前役も少ない(平和でさえ門前役ではない)。当然喰い替えも禁止にならないし,むしろ非常に重要な戦術になる。
・ツモ上がりが非常に強い。簡単に言えばロン上がりの3倍近い点数がもらえる。
・符がない代わりに,符も役扱いになる。カンチャンやペンチャンも役(一番安い1点役だけど)。なんと絶一門も1点役である。
・符が役扱いになるように役の数が多い(日本が約30種に対して約80種)。逆に言って,役が80種もあるからいって怯むことはない。
・1翻縛りに代わって,8点縛りがある。日本麻雀の2〜3翻縛りくらいの感覚だろうか,やや上がりへのハードルが高い。
(ただし,日本麻雀と役の点数が大きく異なるので,得意な打ち筋によってハードルの上がり方は異なると思う。たとえば同じ3役で比較して,メンタンピンは,リーチが存在しないので0点・タンヤオは2点で平和も2点なのでたったの4点で8点未達だが,トイトイ+三元牌は6点+2点で8点に到達する。ちなみに,七対子は24点,一気通貫が16点なのでこの2つは日本に比べて異様に点が高い。)
・親子がない。というよりも親はただのサイコロ振る係です。
・途中流局がない。ついでに言うと流局時のノーテン罰符もない。

以上のルールを踏まえた感想。同じ道具を使っていて4面子1雀頭は同じ,役も大部分重なるはずなのに全くゲーム性が違って,これはこれで非常に面白い。フリテンがなくリーチもないので,相手がテンパイしたタイミングや上がり牌が非常に読みづらく,捨て牌の読み合いはほとんど意味をなさない。せいぜい染め手か否かがわかる程度である。一方で,自分の欲しい牌の残り枚数が比較的重要で,より上がりやすく・より高い手を作るためには臨機応変に鳴いていく必要があるので,仮に全部食ってそろえるとするとという前提で相手の捨て牌を見ていくとけっこう効果がある。

上記にちらっと書いたが一気通貫がかなり強い手で,しかも一気通貫と三色同順(8点)の亜種が豊富に存在する。そのため,よほど配牌で染め手や対子が多くないかぎり,とりあえず平和(2点)の形に整えつつ,残り6点増やすには何の役が近いか,を考えていくのが基本戦略になる。中国麻雀の基本は三色三歩高と一色三歩高とよく言われるがこれは本当で,中国麻雀に多少なりとも興味がある人は,今日これだけは覚えて帰ってもらいたい。誤解を恐れずに言えば中国麻雀とは三色(一色)三歩高を作る派生でより高い役になることもあるゲームと言えるかもしれない。一色三歩高(16点)とは一気通貫の亜種で,123・345・567や123・234・345等の順子で成立する。三色三歩高(6点)は形が同じで,3つの順子の種類がバラバラ(筒子・索子・萬子)であれば成立する。三色三歩高は三色同順にも近い。ちなみに三色一気通貫もある(花龍と呼ぶ。123p・456s・789m等,8点)。

勘の良い人なら,この辺で喰い替えが非常に重要という意味に気づくだろう。たとえば123p・123s・345mの状況で4sが上家から流れてきたら鉄鳴きの極みとしか言いようがない。こんなのはあまり良い例ではないのだけれど,中国麻雀はこうした食うか食わないか,三色同順と三色三歩高と花龍(あるいは一気通貫と一色三歩高)のいずれを狙うかといった判断を迫られる回数が非常に多く,選択肢が多い分だけ戦略性の高いゲームに仕上がっていると言える。配牌から目指せるかどうかの可否を判断し,適切な箇所で鳴きあるいは流し,きっちり一色(三色)三歩高を仕上げて和了した時にはすごい快感であった。

となると,必要牌の場に出うる残り枚数も非常に重要になることにもお気づきになられただろうか。上記の例なら4sが切れたら死しかないわけで,さりとてベタオリもあまり意味が無いから(フリテンが無いので),切れたら切れたなりに“8点”を目指していくしかないのである。ゆえにフリテンはなくとも捨て牌を見るのは大事で,「三色同順を目指すなら◯と△と☓がいるが,△と☓があと1枚しかない。三色三歩高なら◯と□と◆がいるが,今のところ全部2枚以上生きてるな……じゃあ三歩高か……?」というのを瞬時に考えて手を作っていく必要がある。

順子系の話ばかりしているが,実のところ刻子系は順子系ほど役が充実しておらず,ちょっと自由度が低い。もっとも,これはトイトイ(碰碰和)自体が6点とそれなりに高く,三元牌(2点)か自風・場風牌(2点)があれば簡単に8点に到達する,七対子(24点)がチート級に強いという事情はあるだろう。そして驚くべきことに日本でいう十三不塔の系統が実に充実しており,しかも日本麻雀のように1巡目しか上がれないということがないので,どうにもなゴミ手だったらこれを目指すという手段もある。

この辺りが中国麻雀の真髄なのだろう。役が豊富なだけあって,相当なゴミ配牌でも,目を皿のようにして役一覧を探せば,何かしら8点にたどり着く救済措置が用意されている。しかし役が豊富であるがゆえに,配牌から見える無数にある選択肢から8点への最短距離を割り出すのも困難なら,刻々と変わる情勢を見て臨機応変に目指す役を変えていくのは相当に頭を使う。そしてこれが楽しいのである。機会があればまた打ちたい。



どうでもいいことその1。中国麻雀の特徴として,槓子が非常に強いというのがあり,明槓は存在しているだけで1点,同じように暗槓は2点,槓子が2つで4点,それが暗槓なら8点になり,三槓子は32点で清一色(24点)超えの評価である。三槓子は出にくさからいえば適正評価だと思うけど。嶺上開花も単体で8点であり,これだけで上がれるし,ツモ扱いになるので前述の通り実質点数が3倍になる。つまり,咲さんがとんでもなく強いのでは……ちなみに,地獄待ちも4点役扱いである(条件として副露と捨て牌で3枚見えている必要あり)。のどっちのスーパーコンピューターも細かい計算が多い中国麻雀でこそ生きる気がするし,清澄のためにあるルールなのでは(先鋒さんと次鋒さんは苦しいけど)。逆に衣ちゃんや淡ちゃんは涙目なのでは。「配牌と捨て牌どう組み合わせても国士無双(と七対子)以外で上がれない」とか「配牌で必ず5・6シャンテン」とか相当に難しい気が。

どうでもいいことその2。中国麻雀は役の名前がやたらとかっこいいので,中二心がうずくこと請け合い。一気通貫が「清龍」,三色一気通貫が「花龍」の時点でなんかもうかっこいいが,自分の中でも最大のヒット作「一色双龍会」は完全にチャイニーズマフィアの名前だと思う。三合会かな? ちなみに役満(64点)です。
  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)TrackBack(0)mahjong,咲-Saki-