2019年12月31日

2019年11月29日

『宇崎ちゃん』バッシング騒動についての雑感

本件についての議論の要点は,『宇崎ちゃんは遊びたい!』という作品を初見時にどう読解するか,という点にあると思っている。ある人が「ある程度この種の作品を見慣れている人たち(主にオタクと呼ばれるような)なら,仮に『宇崎ちゃん』という作品を全く知らなくても,この3巻の表紙を見たら,まあ大体『高木さん』とか『長瀞さん』とかの,あの系統の作品なんだなという想像がつく」と書いていて,それに完全に同意する。そう,文脈がわかる人には,乳袋表現はあくまでヒロインをかわいく見せる一つのテクニックでしかなく,そこが作品全体の主要ではないことに容易に察しがつくのである。(※)

しかし,そうした文脈を読む力が一切ない人がこの絵を見たとして,これだけの解釈ができるかどうか考えてみると,まあ無理かろうなと思う。どう見ても絵の中央にやけに強調した胸が鎮座し,注射針が怖い男性を見下して煽っているかのようなセリフまで付いている。作品内容を想像する段階には全く至らない。してみると,文脈を読める人には「自分では読んでない作品だけど,なんかコラボしてるんだな。日赤さんはコミケにも毎回来てるし熱心だな」という話になるが,読めない人には「エロで献血者を釣っている! けしからん!」という話になる。より正確に言えば「女性には身体的特徴にしか価値が無いという風潮を強めることになるような広告は不適切であり,特に献血のような公共性が高いものにはふさわしくない」という辺りが,批判者の意見を総合したものになろう。

さて,少なくとも私はこの批判のロジック自体は反対ではない。男性中心の社会が女性をそうした地位に不当に押し込めてきたのは事実である。商品内容と無関係に過剰に性的な意味合いのある広告はそういう価値観が込められているというのは否定しがたいと思われ,またフェミニズムの運動によってそうした広告が社会から消えていったという時代の流れもあり,それは大変良いことである。私以外の広告の擁護派でも,程度の差はあれど,少なからぬ人が似たようなスタンスであると思う。だから,批判派の方々は理由を求められるとその都度繰り返し「なぜ女性の身体的特徴を前面に押し出した広告はダメなのか」ということを説明していたが,あれは半ば暖簾に腕押しである。極端な表現の自由原則論者と純粋なミソジニスト以外は,そんなことはわかっているし,そこを戦場にしたいわけではない。意見が極端で多弁な人ほど目立つというTwitterの法則でそう見えているだけで,極端な表現の自由原則論者は実際にはそこまで多くないとも思われる。


であるからして,私が批判派に反発しているのは,『宇崎ちゃん』が”そういう作品ではない”し,今回のポスターは”そういう広告ではない”からである。もちろん,宇崎花の胸が大きいのは彼女の魅力の一つである。しかし,献血に行く『宇崎ちゃん』ファンがクリアファイルを欲しいのは,宇崎花が巨乳であるからではなくて,宇崎花というキャラが好きだから,『宇崎ちゃん』という作品のファンだからに他ならない。こうして見ると,かえって批判派の方が宇崎ちゃんを巨乳としか見ていないようにさえ思われる。なんとも「非実在青少年」なる概念を思い出すところだが,あの時とは批判派の中身がそっくり変わってしまった。ともあれ,あの時とは逆に擁護派は,宇崎花とは巨乳に付随する人体ではなく,先輩にかまってほしくてしょうがない豊かな感情と表情を持つ女の子であるということを主張していかなけばならないのである。

そういえば議論の中で批判派の方が「乳袋表現を使っておいて『これはエロ表現ではない』等というのはカマトトぶっている」ということを言っていたが,以上の説明でカマトトぶっているわけではないのを理解してもらえるだろうか。乳袋表現そのものは性的な強調であるが,本ポスター上の意図は必ずしも性的な強調ではない。これは宇崎花のアイデンティティの一つなのであり,ある種彼女のウザさの象徴であり,表紙絵だから普段の作中よりも際立って表現されているに過ぎない。”巨乳そのもの”として観察するのが誤りである。文脈とはかくも複雑なのだ。


ここまでまとめたところで,改めて本件の議論について考えると,「擁護派はどこまで我々の,オタクの文脈の読解を世間に求めてよいか」というところに行き着くように思われる。これは本当に私の雑感にすぎないのだが,私は『宇崎ちゃん』は世間様にご理解いただくには”まだ”文脈が深すぎたと思っている。その意味で譲歩しうるポイントはあったのではないかとも。それがいつか理解されるものなのか,それとも半永久的に理解されないのかはわからないが,希望は常に持っていたい。

そして批判派の皆さんには「萌え絵とオタク文化がすでにある程度世間に浸透してしまっている」という現実と,「現代の萌え絵はそれ絵柄自体が即座に女性への抑圧を表象するものではない。また,批評には個々に読解が必要。」という事実を,さすがにそろそろ受け入れてもらいたいと思っている(これはキズナアイバッシング騒動の時にも指摘されていた)。それが議論のスタートラインであって,それが受け入れてもらえないなら,騒動のたびに不毛な議論を繰り返すことになろう。なお,「批判派は,実は単なる萌え絵フォビアなのではないか」という話については,おそらくフォビアになった理由が「萌え絵はそれ自体,女性への抑圧を表象するもの」という思い込みにあると推測されるので,擁護派がこれを一概にいわゆるお気持ち表明として切り捨てるのは正しくないように思われる。そこで断絶して擁護派が得るものあるのかを考えたい。  続きを読む
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2019年11月25日

2019年九州場所の感想と来年への展望

タイトルを考えるのが面倒になった。今後はこれで行こうと思う。何か思いついたらサブタイトル的につけるかも。

今場所は世代交代という観点から見て停滞した場所だったと評することもできようが,私はそれは白鵬にフォーカスを当てすぎた見方であって,今場所はむしろ一段と世代交代が進んだ場所だと思う。高安を若手と見なすべきかどうかは難しいところだが,鶴竜・豪栄道と栃ノ心が休場して,貴景勝はぱっとしなかったにしてもケガの影響を見せず,阿炎と朝乃山が活躍したのだから,成果はあったと思われる。改めてその波に飲まれない白鵬の別格ぶりが際立ったとも言えよう。

ここ4・5年の白鵬は4日目くらいまでで2敗するか,勝っていてもどこか故障しかけたらすぱっと休場する(2015年9月・2017年春・2018年初と名,2019年9月)傾向にあるところ,2日目で"そういう負け方”をしたのに休場しなかったのを見るに,今場所は大丈夫という勝算が彼の中にあったのだろう。なので割と安心して見ていたところ,終盤は余裕がかなり無さそうな態度であった。白鵬の中の全盛期と現在のズレはかなり修正されてきたように思われ,だからこそ「皆勤すれば優勝する」という形が作れたのが2019年の白鵬だったと思うのだが,まだズレが残っているらしきことが観察できたのがこの九州場所であった。とはいえ,「皆勤すれば優勝する」を達成したのはお見事。14日目の御嶽海戦で,張り差しとかち上げエルボーのコンボを解禁したことだけがいただけなかった。これも思っていたよりも自分に余裕が無かったことが発覚し,それが露出したということだろう。

もはや毎場所話題になる休場の多さと誤審・立ち合いの正常化であるが,今場所は誤審らしい誤審がなく,また立ち合いの手付き不十分で行司が止める基準が概ね一致していたから,行司・審判団は及第点といえる。止められた立ち合い自体は多数見られたものの,基準の不統一でいらっとすることはほとんど無かった。行司の待ったで不可解だったのは中日の炎鵬・豊山戦だけである。あれは両者立ったがその場で立ち上がって当たらなかったのを見て行司が仕切り直しを命じたが,立ち合いの成立要件に身体的接触は無いので,止める方がおかしい。実際,全く同じ展開であったのに三回目の立ち合いは成立と見なされている。相撲協会は何かしらの見解を示すべきだろう。残りの休場は本当に何とかしてくれんかね……これだけ内外から批判されているのに協会が全く何の動きも起こさないのは不可解というべき段階になってきた。現状維持であっても,これも見解を示してほしいところ。


個別評,今場所と年間を兼ねて。白鵬は前述の通り。「出場すれば優勝する」ないし少なくとも優勝争いはする,ができるうちは引退すると思われず,横綱として五輪に臨むという夢は達成されたと見ていいだろう。鶴竜は今場所休場で,年間評は前回に同じ。白鵬と同じく,出場すれば優勝争いに絡む限りは寿命があろう。短くても7月くらいまでは引退ということはないのではないか。

一方,大関はあわや貴景勝を残して消滅という情勢で,来場所以降もしばらく心配である。貴景勝は今場所は勝ち越しただけで及第点で,左胸の負傷を忘れさせる程度には実力を示した。高安はまさかの陥落で,来場所10勝はちょっと不安である。致命傷には見えないので,仮に来場所を逃してもしばらく三役や幕内上位では取りそうだし,何なら二度目の大関取りもありうる。あまりそういうイメージがないが,高安の大関在位中の勝率は.679で,これは横綱に昇進しうる水準である。豪栄道の方は何とか来場所8勝ならできそうだが,2020年いっぱいもつかという話になると高安より危うい。高安は落ちても取りそうだが,豪栄道は大関陥落したらすぱっと辞めそうな雰囲気もある。

三役。御嶽海は三日目の明生戦で右眉が深く切れたことで運命が大きく狂ってしまった。「そのくらい痛みに耐えるのが関取では」と言うのは易いが,こればっかりは実際に相撲をとっていない素人が言うのはさすがにはばかられる。とはいえ,親方衆からの評価は散々で,誰しもが「あのくらいの痛みで萎縮しているようでは……」と言っていたのは印象的であった。大関取りは完全に振り出しに戻ったが,来年に再チャンスはありそう。栃ノ心はどう見ても身体が限界だったので,仕方ないと思われる。今の琴奨菊のような感じでまだしばらく幕内で取るのではないか。

さて,やっと活躍した力士について書ける。阿炎は年間全場所勝ち越しで進境著しい。今年を通じて立ち合いの諸手突きから小気味よく突き続け,よければそのまま突き出し,引き技を食うことが少なかった。本人自身に引き癖があったが徐々に改善されていき,守勢に回った時を除けば引く場面は少なくなっていった。一方でその引き技の切れも悪くなく,これで逆転という場面もけっこうあった。来年大関取りになるかと言われると疑問だが,再来年まで見通せば可能性はあると思う。もう一人,朝乃山は完全に右四つに自信をつけた取り口で,特に右下手よりも左上手をとった時に強い。先場所の段階ですでに右四つになる技術の向上が見られていたが,今場所はさらにかなり対策されていても形を作れるようになっていた。技能賞は納得の受賞である。今場所11勝,年間最多勝をとっているボーナスと優勝経験というボーナス,御嶽海の大関取り失敗に大関が貴景勝一人になりそうな危惧まで加味すると,状況があまりにも朝乃山に味方していて大関取りラインが恐ろしく下がりそうな予感がしている。32勝まではほぼ確実に下がると思われる。遠藤と北勝富士は負け越したとはいえ7勝,こんなもんだろう。

前頭上位。大栄翔は7・9月は目立たなかったが,今年の上半期に急激に実力をつけていた。そうして今場所とうとう前頭筆頭で勝ち越し,白鵬を破っての殊勲賞であるから,阿炎・朝乃山の次に躍進した力士ということになろう。今場所の大栄翔は北勝富士・明生・阿武咲・妙義龍との押し合いを制して勝っている。確実に押す力を身に着けており,貴景勝や阿炎が突く相撲,朝乃山が四つ相撲なのでタイプが異なる。近いのは御嶽海で,四つでも取れるところも近い。阿炎や朝乃山に比べるとまだそこまで信用できないが,来年注目の力士には違いない。唯一,突きの間合いには弱く,阿炎と玉鷲には押し負けていた。そこが課題か。

明生は善戦するけど最終的に負け越す人という印象がどんどん強く。まだまだエレベーターである。友風の休場は残念だが,あまりにも下がる相撲が多かったので危ないとは思っていた。琴勇輝は「ミトン」と言われているテーピングの巻き方,相手は擦れた時に切れるらしく,であれば凶器になっているので大相撲の規定から言ってアウトなのでは……? 竜電は動きがもっさりしていて,不調時の魁聖を見ているかのようだった。


前頭中盤。炎鵬は勝ち越したら毎場所技能賞でもいい。今年一番面白かった大賞をあげたい。先場所までは気負いすぎた自滅や,潜って左下手をとったところで二の矢が無いという負け方が見られたが,今場所は攻め方にバリエーションがあって落ち着いていた。潜られない対策がとられるようになってきているので,そこが課題。炎鵬は次が上位挑戦の場所になるが,白鵬に当たらないだけ圧倒的に有利。そのアドバンテージを活かしてほしい。今年の松鳳山はAbemaTVのインタビューが面白すぎて新たなキャラが立った。何アレ,面白すぎるでしょ。NHKのインタビューでもあれくらいかましてほしい。取り口はベテランらしく,細々技を仕掛けているうちにいつの間にか勝っている感じで,あれはあれで面白い。正代は11勝したが,まあ上りエレベーター。番付運が良く,ものすごく上がりそう。


前頭下位。隆の勝は押し相撲が活きて10勝。右四つやもろ差しでもいい形で,来場所も活躍するかも。輝も10勝。実は敢闘賞をあげていいのではというくらい,今場所の輝の相撲は面白かった。巨体の割に窮屈な相撲をとる,腰高,もろ差しにこだわりすぎて自滅するというのが輝の欠点であったが,今場所は腰が低く,丸い前傾姿勢でぶつかって懐の深さを生かした深いもろ差し,そのまま一気に寄るという必勝パターンが完成していて,勝った相撲だけ見ればむしろ10勝止まりだったのが不思議なくらいである。動きが軽快なわけではないので小兵に弱いのと,もろ差しか右四つならいいが左四つや離れて取る相撲は苦手らしい。最後に若隆景。新入幕で素早い動きによる押し相撲による4連勝,嘉風の系譜で期待が持たれたが残念ながら5日目から休場となった。もったいない。また上ってくるのを期待して待ちたい。  続きを読む
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2019年11月24日

「ただの歴史的文書」とは

・英首相が香港デモ受け初コメント=「逃亡犯条例は中英連合声明を満たさねばならない」―台湾メディア(レコードチャイナ)
→ イギリス側はまあそういうよね,くらいなのだが,衝撃的だったのは以下の中国側の認識。
>中国外交部は17年、「『中英共同声明』はただの歴史的文書にすぎず、いかなる現実的意味合いも持ち合わせていない」との立場を示した。
→ しれっととんでもないことを言っていないか。もちろん現実的に今更になってイギリスがこの状況に介入できる道理も実力もないのだが,「罰則がなければ何をやってもいい」と開き直っているも同然のコメントであり,中国は以後同じような信義だけに頼った国際的な合意は一切守る気はないとみなされうると思う。さらに遡るに2014年12月の段階で,駐英中国大使館の発言ではあるが,雨傘運動に際してすでに「中英共同声明は1997年に返還された時点で無効になっている」とイギリスに通達していたようで,要するに習近平政権は一国二制度を守るつもりが最初からなかったということらしい。
→ 1989年の天安門事件が起きた時に「香港返還を約束したのは失敗だった」とすでに言われていたそうだが,返還そのものが失敗だったというよりも声明が失敗だったように思う。返還自体は時代の風潮から言って当然であるが,もう少しイギリス側が2047年までは介入できる条項なりアメリカがそれを保証する条項なりがあってもよかった。サッチャーさんらしからぬ,イギリスらしからぬ手抜かりがある。


・四つ葉クローバーでウニ養殖 研究者「幸せ運びます」(朝日新聞)
→ 前に似たようなニュースがあったなと思ってはてブをさかのぼってみたところ,ウニにキャベツを与える養殖だった。クローバーは九州大と宮城大,キャベツは神奈川県水産技術センターなので全く別の研究であるが,ウニは意外となんでも食べるようだ。どちらも朝日新聞なので,記事内でリンクをしてほしかったところ。
→ あとは廃棄野菜にしてもクローバーでも採算が合うかどうかが焦点で,ウニが高級食材だから黒字になるところまでがんばってほしい……と思って調べてみたら,
・駆除対象のウニ、キャベツで養殖し食卓へ 小田原市漁協(日経新聞)
→ 廃棄野菜の方は実用化していた。良かった良かった。


・中国では最近アウトドアブームらしいが人が集まりすぎて山がテントに覆われている光景が広がっている「オーバーツーリズム…」「トイレどうしてるんだろう」(Togetter)
→ 富士山等の有名な山の登山に行くとすでに中国人がかなり多いのだが,中国国内のこの光景を見ると,日本まで登山に来る人が多いのも頷ける。スキーでも同じことが起きているらしいし,すぐに日本の有名キャンプ場も中国人がたくさん来るのではないだろうか。
→ 面白いのは登山だと本格登山は中国人で,低山やトレランだと白人の方が多いこと。そこは地理的な距離の差や,アウトドアの浸透度が違う(欧米の方が遊び方が多様化している)ということだろうか。


・お前らがやってみたい新しいゲームアイディアってある?(増田)
→ まず思いついたのがBanishedのシステムで産業革命くらいまでの村落経営をやりたい。職業欄にCapitalistとか増える感じで。 産業革命を扱ったゲームはどうしても国家経営シムになるか,工場経営シムになってしまって,村落/都市社会レベルのゲームが意外と見当たらない。あのBanishedの交易以外は外界と隔絶されていて,かつ架空の世界であるために政治を描く必要がなく,人口が数十人から千人程度のマップは,「社会」に特化して描くならかなり応用が効くと思われる。産業革命を描く以外でもアイデアはありそう。
→ あとはドラクエの世界観で国家経営シムは絶対に面白いと思っていて,たとえばドラクエ11だったら実際にデルカダール王国を経営して軍事力で魔物の勢力を削いでいき,最終的に真のラスボスのアレを倒しちゃうとか。実現しないかな。ドラクエ無双もドラクエマイクラが実現したんだから次くらいでなんとか。  
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2019年11月07日

日本の首相官邸も猫を飼いましょう

・はてブおかしいだろ、これ(増田)
→ はてブのカテゴリ分けがAIによる自動判定になったために全く的はずれな分類がされるようになった挙げ句,手動での変更が効かなくなった話。しかも,不服申し立ては可能だが,申し立てても全く治らない。うちのブログでも散々で,「天気の子」の感想記事が「政治と経済」になっていたり,漫画の感想しか書いてない記事が「学び」になっていたり。一番許せないのが「受験世界史悪問・難問・奇問集」は例年手動で「学び」にそろえていたのに,今年はそのせいで「世の中」に分類され,何回訴えても直らないこと。はてなさん,これは本当に昔のバージョンに戻してくれませんかね。せめて手動切替可に。何が嫌なんだろう。頻繁にカテゴリを変えてアクセスを集めようとするやつが出てくるとか? こんな状態なので,ただでさえ少ないと思われるカテゴリから記事探す人がさらに減るのでは。いっそカテゴリ分類を廃止してはどうかとさえ思う。


・米大統領車、猫で立ち往生=英首相官邸の人気者(時事通信)
→ 誰かと思ったらお前かよwwwww>「トランプ米大統領の専用車の下に潜り込む英首相官邸の猫ラリー
→ ラリー氏の事績は弊ブログで意外と追っていて,これで登場は3回目となる。初回がこの記事で,次がこのTogetter。キャメロン・メイ・ジョンソンと歴代保守党の首相を見守り(?),要所要所でイギリス政治史に登場して話題になっている。これは歴史に名を残す猫になったこと間違いない(棒読み)。
→ ところで,ラリー氏はもう12歳になるが,猫は10歳で人間換算約60歳になるので還暦はとうに越しており,今なら70歳前後と思われ,かなりの老猫である。首相官邸で大切に飼われているだろうから寿命は長そうだが,Brexitは見届けられるとして,あと何人の首相の膝に乗ることができるだろうか。訃報を聞いたら,泣かないにしてもけっこう胸に来るものがありそう。なお,英語版Wikipediaを見ると,割と前任者たちが長生きしており,14年も勤めた猫もいるので,ラリー氏にもまだまだがんばってほしい。


・家系図作成のススメ。戸籍取り寄せで江戸時代までさかのぼる。(ハラ ヒロシ note)
→ これ楽しそう。約2万円でこれだけのことができるとは。一方,金銭負担に比べて時間・手間の負担が厳しいかも。我が家はどこまで遡れるか。母方も父方も一箇所にとどまってそうなイメージはあり,意外と一発で終わっちゃうかもしれない。


・山のトイレが汚いことに保護者からの申し入れ...?高校登山部の大会での出来事に様々な声「あるだけマシ」「携帯トイレとかもある」(Togetter)
→ ここ3年ほどで何度か登山をしてわかったのは,トイレの汚さは有名かそうでないかはあまり関係ないということで,結局山小屋側がどこまで管理できているかにかかっていると思われる。立地の悪いトイレはどうしたって臭くなるし,逆に水が豊富なら完全な水洗になっているところもあった。また,割と臭くならないバイオトイレの維持は高額で,だからこそ1回100円なりとられることは知っているので,必ず設置してくれとはとてもじゃないか言えない。
→ それはそれとして,臭いところは本当に体調を崩すレベルで臭く,鼻をつまみながらじゃないと用を足せなかった。臭さへの耐久力って登山の高校総体で測るべき能力なのかというのは,実は意見の分かれるところじゃないかと思う。それも含めて耐える精神力や体力だと言ってしまえばそうなので,別に施設が整った場所でやるべきだとか主張する気は全くないが,当然と見られるほど本質的な登山の能力でもなかろうなとも。  
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2019年11月06日

ニコ動の動画紹介 2018.10月中旬〜11月上旬



こういうAI同士が勝手につむいでいく別の地球のシミュレーション,かなり大好き。VicとかHoIでも自分を南米にして欧州を眺めるプレーをしてしまう。HoIは割と毎回同じ展開になるが,EUとかVicは,この動画のように異世界になるので楽しい。自分が欧州にいると,どうしても自国が強くなって自国中心の世界史になってしまうので……



下水で遊覧船をやっていた人が遊園地を作るとこうなる。抜群の装飾・コースターセンスから生み出される不思議遊園地をご覧あれ。



FF8学会ネタ。カウンター系行動にも優先順位があるのだなぁ。うp主の言う通りFF8のカウンターは目立たないので新鮮。




補助術の強いサガシリーズでの定番縛り,補助術禁止。サガフロ2の場合はエッグ以外はそこまで厳しくないという。そして,それでも斧縛りの方が厳しそうだった。サガフロ2の斧の存在意義とは。





下半期20選選出。またおまえか枠。綺麗な続編であった。2019年も来ていた。



下半期20選選出。腹筋崩壊枠。除夜m@sと悩んでこっちに。名曲が大変なことに。



下半期20選選出。ひげの似合う女,まかべー。



下半期20選ノミネート。毎年恒例。Yeahのゴリ押し。



ミリオンライブの衣装を楽しむ動画。増えたなー。
  
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2019年11月05日

最近読んだもの・買ったもの(『可愛いだけじゃない式守さん』他)

・『可愛いだけじゃない式守さん』1・2巻。
→ 不幸体質の主人公(和泉くん)と,それを守る彼女(式守さん)のカップルを描いたラブコメ。本作は式守さんが普通に可愛い→主人公にとんでもない不運が訪れる→式守さんが颯爽とガード→式守さんかっこいい(→たまにその後で和泉くんに褒められて照れてしまい可愛いに戻る),という流れの単話完結だけでほぼ構成されている。優しくて気配りができる和泉くんだからこそ起きる不運に対して守りがいがあり,式守さんは自然と守ってしまうし,和泉くんは頼ってばかりいられないとばかりに背伸びするも,かえっていじらしく式守さんは余計に守りたくなる,というという無限ループが心地よい。この二人にはいつまでもこうあってほしいと思わせられる良いラブコメである。基本的には式守さんのかっこよさが良いと思ったら買い,という作品だと思う。
→ これは男女逆でも成り立ちうる話だと思うが,男が守る側だと常にかっこいいになってしまってなかなか可愛いに振れないから,難しいかもしれない。
→ なお,1巻末で早くも式守さんが和泉家に呼ばれてご両親に会うというイベントがあるが,和泉くんの不幸体質は母親譲りであることがわかるので,和泉くんのご両親はまさに式守さんたちの逆パターンであったのかも。母も息子も不幸体質であるので一家揃ってお付き合いというものに対するハードルが低く,式守さんが(彼女自身の性格もあるが)すぐに和泉家に溶け込んでしまったエピソードも良かった。この温かいご家庭があったからこそ,和泉くんは不運に負けずに優しい子に育ち,式守さんに会うまで何とか生きてこられたのだなと。和泉くんの不運はけっこう即死級のものが多いので……





・『火ノ丸相撲』27巻。鬼丸・大包平戦,刃皇・三日月戦,鬼丸・三日月戦,火ノ丸の五條家訪問。
→ 千秋楽に向けての準備期間。大包平戦では無道(狂気)を御すことを,三日月戦ではあらゆる技を使う今の火ノ丸のスタイルの再確認。これらを乗り越えた先の集大成として,千秋楽の相手・太郎太刀,優勝決定戦1戦目の相手・兄弟子の冴ノ山,そして刃皇再戦と終局に向かっていく。
→ 大包平の特性,脇が閉まっていて絶対に中に入らせない,一撃必殺の場面だけ開いて特徴的な小手投げをうつというのは非常に玄人好みな設定で面白い。これが高校生編の時点で出ていたら大包平の印象が強くなっていたと思うのだが(高校生編の大包平は千尋にやられる役でしかなく国宝としてはもったいなかった),これは贅沢な注文か。
→ 三日月・大典太・大包平は大相撲編になってからの方がキャラとして面白い。大典太は兄,大包平は童子切と刃皇の影から脱して個性を確立した。逆に三日月は高校生編で一度屈折したために,その後はまっすぐ育ってそのまま大人になった。作中では描かれなかった楽しそうな高校生活の様子が想像できる。こういうのは作中の時間が長く流れる作品の醍醐味であろう。


・『ゴールデンカムイ』19巻。ソフィアの脱獄,流氷の上の追走劇,アシㇼパと杉元の再会,キロランケの死で樺太編完結。
→ アシㇼパはとうとう暗号の謎の解き方を思い出した。が,読者の間ではまだ考察している人は少ない。まあ,今出ている情報で正解にたどり着けるかもわからんしな……
→ アシㇼパが気づいたことを察して金塊の情報を聞き出そうとする尾形。尾形は金塊自体には全く興味が無く,しかし誰かが金塊を入手して有効活用しようとするのは面白くないので自分で手に入れようとしていると思われ,相変わらず捻じくれている。おまけにアシㇼパが人を殺めたことがないことにもこだわってチャンスを逃す辺りも実に尾形。徹底して人を信用していないのが裏目に出た。
→ キロランケがウイルクを殺したのは何やら仲違いがあったらしく,真相がわかるのはソフィアだけ。そのソフィアは一行に捕まらず,しばらくの間は独自行動をとるようなので,これの真相はかなりの期間明かされないことになりそう。
→ キロランケと尾形は網走監獄潜入作戦前に杉元を裏切る算段で秘密の協力関係に入っていたわけだが,彼らの利害の一致するところが無い。まあ,尾形はその方が面白そうと言って乗りそうだし,キロランケも尾形のそういうところを見抜いて協力を持ちかけていそうではある。この辺の裏話もどこかで明かされることを期待したい。  
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2019年10月30日

副題「ミュシャからマンガへ」

アルフォンス・ミュシャ《ジョブ》文化村のミュシャ展に行っていた。ミュシャは過去に何度か見ているからもういいかと思ったが,なんとなく時間に空きができたので文化村まで足を伸ばした。変な時間帯に行ったのに混んでいて,ミュシャ人気は健在である。本展はミュシャの主要な作品の展示の他に,ミュシャの初期の作品や,後世で影響を受けた作品も展示されていた。ミュシャの盛期の作品は「普通に良かった」以外の感想が特に無いので(《JOB》とかサラ・ベルナール作品とか最高確認でしかなかった),語るなら初期の作品と後世の作品ということになろう。なお,今回はスラヴ叙事詩などの後期の作品はほぼ展示が無かった。スラヴ叙事詩は(私は行っていないが)2年前に大規模な展覧会をやっていたので,今回はさすがに持ってこれなかったか。

初期の作品については,正直あまり面白いとは思えない。《ジスモンダ》で脚光を浴びてポスター作家として栄達する以前のミュシャは,挿絵や雑誌の表紙等を手掛けていたが,当然ながらモノクロである。描き込みが細かいとは思うものの,モノクロではミュシャの面白さはあまり発揮されない。一方,普通の油彩画は,以前のミュシャ展でも同じ感想だったのを,これを書くべく読み返して思い出したが,本当に普通すぎて特に感想がわかない。つまり,ミュシャにはカラフルで目立つポスター絵こそが天職であったのだ。これがサラ・ベルナールという当代一流の女優から発注されたというのはミュシャにとって美術史に名を残す千載一遇のチャンスであり,天佑であったとしか表現しようがない。しかもそれが後世の美術史・デザイン史に巨大な影響を残すのだから,人類の歴史というものはわからない。少なくともミュシャが不在の世界における萌え絵は,私には想像がつかない。

一方,後世の影響を受けた人々・作品について。意外だったのは1960年代後半から70年代の英米のレコードのジャケ写や,90年代以降のアメコミが影響を受けていたこと。当然ながら,日本のイラスト・漫画への影響とは全く受けたところが違う。私のそれらに対する知識がなくて大変困惑したし,説明する語彙も無いのだが,展覧会ホームページの表現を借りるなら「ミュシャの異世界的イメージと独特の線描写は、特にサイケデリック・ロックに代表される形而上的音楽表現と共鳴するものがあった。一方、よみがえったミュシャ様式は、新世代のアメリカン・コミックにも波及し、その影響は今日まで続く。」らしい。スピリチュアルな点が共感されたのと,アール・ヌーヴォーが半世紀以上経って”古くて新しい”表現に見えたということだろうか。確かにヒッピー・ムーヴメントの象徴にミュシャが担ぎ上げられたとするとちょっと理解できるかもしれない。

日本の場合はまず明治において『明星』の表紙を描いた藤島武二らが受容の先駆になったそうだが,やはり圧倒的に1970年代以降のイラスト・漫画への影響が圧倒的で,特に初期には少女漫画で見られた。展示されていたのは水野英子,山岸凉子,天野喜孝など。しかし,このテーマでCLAMPがいないのは片手落ちでは。大トリにいたら豪華な展覧会になっていて,21世紀現在の日本におけるミュシャ受容の象徴的存在として綺麗に締まったと思うのだが。

本展はすでにBunkamuraでの展示期間は終わっているが,現在は京都文化博物館に巡回中。この後,札幌芸術の森美術館にも行く模様。  
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2019年10月29日

三国志展でも,主役はやはり曹操だった

曹操高陵出土の白磁東博の三国志展に行っていた。いかにも曹操の墓(曹操高陵)の発掘を契機に立てられたような企画である。展示のメインは後漢から三国時代にかけての出土品や伝世品で,曹操高陵からの出土品も含まれる。加えて後代の中国で描かれた三国志の絵画や,NHK人形三国志で使われていた人形,横山光輝の『三国志』の原画等も展示されていた。

実のところ,展示の大半は後漢代の装飾品や道具・武器,陶器などであり,当時に活躍した諸将縁の品は(当然ながら)あまり無かったので,当時の生活の様子はよくわかるものの,三国志の武将やエピソードを体感しに来たつもりだと肩透かしを食らうかもしれない。ただ,展覧会側もその自覚はあり,「○○もこれを使っていたかもしれない」というようなキャプションを入れる,『三国志演義』にある諸葛亮の赤壁での千本の矢集めを会場の天井と壁面を使って再現して設置する,コーエー『真・三國無双』シリーズの設定通りに巨大な蛇矛を再現したもの等の飽きさせないような工夫が多く見られた。実際に理系で東博に何年かぶりに来た同行の友人(ただし三国志の知識は私と変わらないマニア)も大変満足していた。

それでも面白かった展示物は,やはり固有名詞が出てくる品々で,しょうがないでしょ三国志ファンなんだからという感じ。たとえば「曹休」の印や,朱然の墓の出土品,定軍山出土の撒菱,合肥新城出土の石球など。石球に陸遜の指紋とか残ってないかな……とか考え出すとテンションが上がる。毌丘倹紀功碑(高句麗遠征成功の記念碑)がさらっと置いてあったのもすごい。ややマイナーな武将であるが,この展覧会に来るような人なら知っているだろうという企画側の信頼が感じられる。前述同行の友人も「まさかの毌丘倹!」と喜んでいた。あるいは「中山靖王劉勝の墓からの出土品」もファンならニヤリとする品。「倉天乃死」(原文ママ)から始まる漢文が彫られた磚(石碑)は,漢文の素養が高校レベルでもはっきりと読める漢文で,多くの三国志ファンが思わず読んでしまったことだろう。弩・戟等の武器類も良かった。特に弩は保存状態が良く一級文物に指定されているものがあった。「三國無双シリーズの弩は殺意が湧くよね」なんて話題で盛り上がること請け合い。

展覧会の目玉はやはり曹操高陵の出土品。展示室自体が曹操高陵の墓室を再現したという気合の入れよう。曹操が遺言で薄葬を命じたためか,あるいは盗掘に遭った可能性があるためか,出土品がどれもこれも地味というのが特徴的。その中で一際目を引いたのが,白磁の壺である(今回の画像)。本当によくこれを持ってきてくれたと思うし,これを見るためだけでもこの三国志展は行く価値がある。白磁は陶器や青磁に比べて技術的難度が高く,発明が遅れた。青磁は後漢には発明されていて本展でも展示があったが,一方で白磁の発明は6世紀末〜7世紀頃と考えられている。しかし,曹操の墓が作られたのは当然ながら彼の亡くなった220年頃である……つまり,曹操の墓から出土されたこの白磁の壺は300年ほどの技術を飛び越えた正真正銘のオーパーツである。三国志も陶磁器も好きな私は今年の2月にこのニュースを聞いて大変に驚いた。それをまさかこんなに早く,中国に行かずとも見る機会が得られるとは。

とはいえ研究者の立場からするとオーパーツで研究を終わらせるわけには行かないわけで,本展のキャプションでは「偶然の産物として完成し,珍品であったので曹操に献上されたのではないか」とひとまずの結論が出されていた。なるほど,確かにそれが現実的なところであろう。また,曹操が望んだのか,それとも曹丕らが配慮したのかはわからないが,薄葬を望んだ曹操でもこの白磁だけは副葬品としたという事実は面白い。珍品だったので曹操が好んだということでも,珍品すぎて周囲が扱いに困り,良い機会だから副葬品として処分したというオチでも,どちらでも面白い。本品については技術的な研究は今後進展するかもしれないが,文献に残っていないためになぜ副葬品になったのかという研究については困難を極めると思われ,当分は良い三国志ファンの妄想の種になるだろう。陳舜臣が存命ならこのネタで一本小説を書くレベル。

この三国志展は東京での展示は終わっているが,九州国立博物館に移って年明け1/5まで開催中である。東京で見そびれた人は是非そちらで。  
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2019年10月28日

舌を噛みそう>フォリー=ベルジェール

マネ《フォリー・ベルジェールのバー》東京都美術館のコートールド美術館展に行っていた。最近はこういう「特にテーマは無いけど,海外の大きい美術館から雑多に借りてきました」系の企画展に行くのはよほど大きな目玉でも無い限りなんとなく避けていたのだが(現地で見てやるという気概もあり),これはよほど大きな目玉があったパターンで,来るなら日本で見ておくに越したことはないというものだ。かつ,たまには完全に気を抜いて鑑賞してもいいじゃないかとふと思えたので行ったパターンである。激混みが予想されたので,まだ空いている始まった直後に行っておいた。

その大きな目玉が随分前から広く宣伝されていたマネの《フォリー=ベルジェールのバー》で,マネの作品が5点くらい載っている美術史の一般書なら,まず間違いなくその5点の中に入っている晩年の代表作である。フォリー=ベルジェールは大きなミュージック・ホールで,安全基準など無い当時はサーカスのような曲芸や見世物小屋的な動物等のショー,薄着の女性たちのよるダンス等が行われていた……と聞くとムーランルージュやクレイジーホースのようなキャバレーの過激版ということかと想像するが,私にはわからない(と書いておくとそのうち詳しい人がコメント欄に現れる展開)。今だったらいろいろな意味でアウトっぽい演目が多い。

本作が描いたのはそのホール中央ではなく,大きな鏡になっている壁の壁際のバーである。よく言われるように,バーメイドの虚ろな目が非常に印象に残る。バーメイドはしばしば娼婦に成り代わったし,ここはそういう交流にも使われたというキャプションの説明を読むと尚更その冷めた表情が気になってしまう。鏡に映った背景ではショーが進行中でにぎやかで楽しそうであるから,余計に自分=鑑賞者とバーメイドしかいない現実の側が虚しく映る。屋内の描写ではあるが,これは都会の喧騒と孤独を描いた最初期の作品であり,その意味では後のエドワード・ホッパーに続いていく系譜の作品の走りと言えよう。

なお,私も全く知らなかったのだが,フォリー・ベルジェールは現役で営業中だそうで,パリに旅行した時に行く(というか目の前を通り掛かる)べきであった。観光名所になっていそうなものだが,4年前にパリに行こうと観光地を調べた時には全く出てこなかった。クレイジーホースには行ったことがあるが,遠い昔のことである。めちゃくちゃ高いステーキを食べたはずだが,味を全く覚えていない。20歳やそこらになったばかりの舌ではそんなもんだろうと思うし,「何事も若いうちに経験しておくべき」というのは必ずしも真ではないのだなと今振り返ると思う。という自分語りは置いといて。


本展は《フォリー=ベルジェールのバー》を含めてわずかに約60点の展示だが,あまり広くない都美術館の企画展にはちょうど良かったし,《フォリー=ベルジェールのバー》以外もかなり豪華な印象派・ポスト印象派作品群であったので満足した。モネがドービニーを真似て作ったアトリエ船から描いた作品や(奇しくもドービニー展が直前にやっていた),ルノワールの《桟敷席》,セザンヌの《カード遊びをする人々》や《サント・ヴィクトワール山》の一つ等々。キャプションが充実していて,読みながら鑑賞していけば,作品数の割にかなりの鑑賞時間がとられることだろう。

また,コートールド美術館はロンドン大学付属のコートールド美術研究所の所蔵の作品群であり,本展覧会ではコートールド美術研究所についての物品も展示されていた。その中でコートールド美術研究所の開学初年度(1932-33年)の講義リストと,学部生への期末試験問題が展示されていたのだが,その問題が21世紀現在の世界中の美術史の講義の期末試験でも十分通用しそうで,学問の基礎は時空を超えても変わらないというのが実感される。たとえば「14世紀のフランス美術がヨーロッパ美術に与えた影響は何か」というような。英語の問題文をじっくり読んで解答を考えながら鑑賞していたので,大きな満足感があった。その意味で,現役の美術史学の学部生なら絶対に見に行くべき展示だろう。

期間が長く,12/15まで開催。  
Posted by dg_law at 19:30Comments(0)Museum