2018年11月30日

2018年11月16日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:ハプスブルク家編

前回の続き。マクシミリアン以降のハプスブルク家を扱う。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《ハプスブルク朝(16-17世紀)》
君主名グレーディング
マクシミリアン1世  C☆☆☆
カール5世      A☆☆☆☆☆☆
フェルディナント1世 C☆☆☆
マクシミリアン2世  E
ルドルフ2世     E
マティアス      E
フェルディナント2世 D☆☆
フェルディナント3世 E
レオポルト1世    E

マクシミリアン1世は意外なほど出題がない。制度に何か手を加えたわけではないし,戦争に勝ったわけでもないので(イタリア戦争を開戦したくらい),高校世界史の流れの説明には不要と判断された模様。おかげで高校世界史でマクシミリアンといえばメキシコで銃殺された人しかいない。カール5世は言うまでもなし。フェルディナント1世はスペインとの分裂後のオーストリア側初代として稀に名前を見る。Dにはならないだろう。ルドルフ2世はアルチンボルドの主君なので美術史上は有名人だが,高校世界史では無名(そもそもアルチンボルドも範囲外)。フェルディナント2世は三十年戦争を引き起こした人。つまり,やらかした人である。1世よりは名前を見ない。3世は終戦時の皇帝だが,私の知る限り出題歴がない。あってもおかしくはないので珍しい(注:無いのが良いことです)。レオポルト1世は治世中にルイ14世にケンカを売られ続けた苦労人。カルロヴィッツ条約で飛躍したのもこの人の時。入試には出ないけど。


《ハプスブルク朝・ハプスブルク=ロートリンゲン朝(18世紀)》
君主名グレーディング
ヨーゼフ1世    E
カール6世     D☆☆
カール7世     E
マリア=テレジア  A☆☆☆☆☆☆
フランツ1世    C☆☆☆
ヨーゼフ2世    A☆☆☆☆☆☆
レオポルト2世   C☆☆☆

カール6世は課程をかなり遡れば国事勅書の言葉とともに範囲内であったが,近年ではほとんど名前を見ない。カール7世はヴィッテルスバッハ家の人でハプスブルク家ではない。オーストリア継承戦争の最中に即位したが,負けて退位。マリア=テレジアは皇帝になっていないが,便宜上ここに。当然のA。フランツ1世は一応用語集頻度△世,実際の出題頻度から言えばDにしてもいい。ヨーゼフ2世はカール5世に次いで聞かれる皇帝と言える。マリア=テレジアが微妙に聞きにくいが,こちらは農奴解放令・宗教寛容令もあって聞きやすい。レオポルト2世は早慶上智でピルニッツ宣言の一点で問われることあるが,まあ覚えなくていいです。在位2年でよく歴史に名前を残したものだ。


《ハプスブルク=ロートリンゲン朝(19-20世紀)》
君主名グレーディング
フランツ2世(1世)  C☆☆☆
フェルディナント1世  E
フランツ=ヨーゼフ1世 C☆☆☆
フランツ=フェルディナント  D☆☆
カール1世       E

フランツ2世は初代オーストリア皇帝・アウステルリッツの三帝会戦・神聖ローマ帝国消滅・ウィーン会議の時の皇帝。その割に出題頻度は低いが,アウステルリッツの三帝会戦の参加者ならナポレオンかアレクサンドル1世を聞いた方が有意義だし,ウィーン会議だったらメッテルニヒの方を聞くので結果的に聞くタイミングがない。そして今回最大の目玉。はい,フランツ=ヨーゼフ1世は入試であまり聞かれません。用語集頻度はわずか△如いろうじて教科書に載っているというレベル。ナポレオン3世もヴィットーリオ=エマヌエーレ2世もニコライ1世も頻出なのに,オーストリアだけこの扱い。オーストリアの国際的地位の低下をよく示す現象である。確かに統一もしてないし海外に植民地を作ったわけでも産業振興に成功したわけでもなく。高校世界史のレベルだと「ずっと戦争に負けてた人」という印象しか残らない。帝位継承者フランツ=フェルディナントは「オーストリア帝位継承者夫妻」という形でなら用語集頻度Г世,名前自体はほとんど出題されない。


  
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2018年11月15日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:神聖ローマ皇帝編

今回は神聖ローマ皇帝編。大空位時代等に面倒な人たちがいるが,皇帝としてカウントしていいかどうか怪しい上にどうせグレーディングがEになるという2つの条件を満たした人物はリスト自体からカットした。また,高校世界史では基本的に皇帝とドイツ王をそれほど区別しないので,戴冠していなくても高校世界史上皇帝と見なされている場合はドイツ王でもここにリストアップしている。これらの点はご理解願いたい。

基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《東フランク王・ザクセン朝》
君主名グレーディング
カール1世    A☆☆☆☆☆☆
ルートヴィヒ1世 C☆☆☆
ルートヴィヒ2世 C☆☆☆
カール3世    E
アルヌルフ    E
ルートヴィヒ4世 E
コンラート1世  E
ハインリヒ1世  D☆☆
オットー1世   A☆☆☆☆☆☆
オットー2世   E
オットー3世   E
ハインリヒ2世  E

欧米圏ではカール大帝を初代の神聖ローマ皇帝とみなすことが多いが,日本の高校世界史では便宜的にオットー1世を初代皇帝とみなしている。ルートヴィヒ2世は一応用語集に頻度△悩椶辰討い襪里琶惶江Cにしたが,入試での出題頻度で言えばDにした方がいい。ほとんど全く見たことがない。一方,ハインリヒ1世は典型的なDグレードの人物で,早慶上智で満点ほしいなら覚えるべしという立ち位置……なのだが,一橋大が”論述問題で”ハインリヒ1世を何度も出題しているので,あの大学限定で覚えた方がいい人物だったりする。作題者の頭がおかしい。残りの人々はEで誰からも異論があるまい。


《ザーリアー朝》
君主名グレーディング
コンラート2世  E
ハインリヒ3世  E
ハインリヒ4世  A☆☆☆☆☆☆
ハインリヒ5世  C☆☆☆
ロタール3世   E

昔はザリエル朝と呼ばれていたが,舞台ドイツ語脱却の流れで今の名称となった。また,近年は用語集に王朝名の記載がなく,入試で問われることもない。結果的に,ザリエル朝で習った人,ザーリアー朝で(早慶上智対策として)覚えた人,そもそも見覚えがない人の3パターンに分かれるのではないか。ロタール3世はザーリアー朝ではないが,便宜上ここに置いた。まあどうせEだけども。閑話休題。ハインリヒ4世は妥当な結果。ハインリヒ5世はヴォルムス協約を結んだときの皇帝という一点で出題がある人なので,覚えた記憶がない人がいてもおかしくはない。Cにしたが,これも国立大では一橋大で例外的に出題あり。おそらく,ハインリヒ4世と5世のために何とか高校世界史に残っている王朝で,この二人がいなかったら高校世界史上の存在自体が危うかったと思われる。王朝名自体が消えたのもやむなし。


《ホーエンシュタウフェン朝》
君主名グレーディング
コンラート3世   E
フリードリヒ1世  A☆☆☆☆☆☆
ハインリヒ6世   E
フィリップ     E
オットー4世    D☆☆
フリードリヒ2世  A☆☆☆☆☆☆
コンラート4世   E

これも昔はホーエンシュタウフェン朝で教えられていたが,近年は単にシュタウフェン朝としてしまうことが多い。これは元の家名はシュタウフェン家で,居城の名前はホーエンシュタウフェン城だったがために混同されたのが原因であるらしい。オットー4世は便宜的にここに入れたが,ヴェルフェン朝である。閑話休題。フリードリヒ1世は第3回十字軍よりも,ロンバルディア同盟との戦いで出題されることの方が多い印象がある。実は用語集頻度はしかないが,出題頻度はけっこう高い。オットー4世はインノケンティウス3世に破門された人物。フリードリヒ2世は説明不要だろう。


《ハプスブルク朝・ルクセンブルク朝他(15世紀まで)》
君主名グレーディング
ルドルフ1世    C☆☆☆
アルブレヒト1世  E
ハインリヒ7世   E
ルートヴィヒ4世  E
カール4世     A☆☆☆☆☆☆
ヴェンツェル    E
ジギスムント    B☆☆☆☆☆
アルブレヒト2世  D☆☆
フリードリヒ3世  E

大空位時代は全員Eなので省略。ルドルフ1世は私は普通に習った記憶があるが,最近は範囲外である。ルートヴィヒ4世はヴィッテルスバッハ家の人物。カール4世は金印勅書での出題が多いが,真に覚えるべきはプラハ大学の創設他プラハの整備ではないかと思う。ジギスムントは用語集未収録だが,事績が多すぎて範囲内と見なされているというたまにあるパターンの人。ニコポリスの戦い,コンスタンツ公会議,フス戦争とまで出番が多ければ当然。個人的にはイギリスのグレイ首相以上に用語集未収録,教科書本文未登場なのが信じられない。グレーディングがAではないことに驚いた人もいよう。アルブレヒト2世(5世という表記もある)は皇帝位が事実上のハプスブルク家世襲となった最初の人物。とはいえこの人は正式に戴冠しておらずしかも1年で亡くなっており,実際の世襲の基礎を固めたのは次のフリードリヒ3世になる。しかもその後帝位を継いでいったのもフリードリヒ3世の直系であり,アルブレヒト2世の家系はすぐに断絶している。


マクシミリアン1世から後ろは次回。700年ほど駆け抜けてみたが,B-以上が7人。ほぼ同じ期間のイギリス王は11人,フランス王は5人だから,意外にもフランス王が最も少ない。フランスの本気は16世紀からだから(震え声)として,やはりイギリス王は異様に多い。  
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2018年11月13日

ノートの提出はかったるかった

・在仏の日本人ワイン農家夫婦に退去命令 「恥ずべき決定」に抗議の署名殺到(AFP)
・在仏の日本人ワイン農家夫妻に滞在延長許可、退去反対の署名5万人超(AFP)
→ 結果的に滞在延長が認められていてよかったのだが,どちらかというと「夫妻の地元では他のワイン醸造家も「政府の助成を受けていてさえ平均月収は1000ユーロ(約13万円)未満だ」と指摘」の方が衝撃が大きい。今度その筋の友人に詳細を聞いてみようと思う。ちなみに,御本人のインスタグラムがこちら


・W杯フランス代表キリアン・ムバッペを「エムバペ」と表記してはいけない理由
→ エンクルマも最近の世界史の用語集は「ンクルマ」を併記している。同様の事情であろう。しりとりで有名なチャドの首都「ンジャメナ」は最初から割と「ンジャメナ」で,「ウンジャメナ」と主張する人は少なかったように思うが,この違いは何に由来するのだろうか。


・ジャンヌ・ダルクの愛剣「フィエルボワの剣」を求めて(Call of History ー歴史の呼び声ー)
→ 折れたのではなく紛失したとすると,その方が情けないので紛失した場所をジャンヌは曖昧にしておきたかったのかも。折れた説は1429年のパリ包囲時に,サン・ドニ駐留中に剣が折れてしまっていることを指していると思われるが,おそらくこれはその後サン・ドニの教会に甲冑とともに奉納されたものであるから別物であろう。ジャンヌ本人が「その剣ではなかった」と言っている。残っていれば大変な聖剣として様々な着想の源になったであろうに,もったいない。


・世界各都市の道路が向いている方角が可視化されたグラフを比べてみると何がわかるのか?(GIGAZINE)
→ これは地理学としてはめちゃくちゃおもしろいネタで,このネタがいつセンター試験の地理で取り上げられてもおかしくない。古い街ならぐちゃぐちゃで新しい都市なら十字型になるというわけでもなく,デリーなんてもっと複雑なイメージがあったが,意外と綺麗な十字型になっていて驚いた。香港はイギリスがきれいに作ったはずだが,島だから結果的にはこうなったということだろうか。マドリードとドバイの中途半端さはどういうことなのだろう。疑問は尽きない。


・嫌われていたいい先生の話(糸魚川ロングブログ)
→ 本当に いい先生のいい話だった。I君にギャザの大会の出場を許可したところが白眉。
→ 元優等生の視点からこの話を見ると,中学までは「勉学の習慣化」が教育の目的の1つだから,ノート提出や授業中の発言が評価項目であること自体は理解できる。問題は”優等生”に見透かされていて,この記事で言う加持祈祷と化している点で。テストで満点近く取れていた身からすると,努力点が評価値であることは理解しているのでしぶしぶノートを提出したり授業で発言しようとしたりするが,実際のところこれらはうざったく,「テストの結果だけで評価してくれよ」と思っていた。その意味では,純粋な結果だけが求められるようになった高校の授業は気が楽であった。
→ なお,人を見ずに行動だけ見て,優等生だろうが女子だろうがまずかったら平等に叱る先生はうちの中学にもいたが,普通に人気の先生だった。この辺は校風の差や,先生のキャラクターの差も出てくるところだろう。  
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2018年11月11日

デュシャンの大回顧展と,それ以外の何か

東博のデュシャン展に行ってきた。デュシャンと言えば20世紀前半に登場した芸術家で,やりたい放題やった人という印象であるが,その大規模な回顧展である。主要な作品は概ね出展されており,実際に彼の画業が一通り追える展示構成になっていて,作品制作よりはチェスに打ち込んでプロプレイヤーになっていた時期(ローズ・セラヴィという別人格を作っていた時期)も含まれている。

1887年生まれのデュシャンであるが,最初はとりあえず伝統絵画の勉強から初めてキュビスムに一旦はまっている。展示されていたキュビスムの作品は名前を伏せられたらまず間違いなくブラックの作品と勘違いするような見事なもので,若かりし頃の彼の勉強の様子がうかがえた。10年ほど年下のマグリットや,さらに10年ほど年下のポロックも全く同じコースをたどっていて,若い頃の作品を見るとそれぞれフォーヴィスムやキュビスムの作品がある。そこから独自の芸術を切り開いていくのは19世紀末〜20世紀初頭に生まれた芸術家に共通する経験であるらしい。

もっとも,デュシャンはその見切りが他の人々に比べて異様なまでに早く,25歳頃には早くもまともな絵画制作から離脱していった。なにせレディメイドのスタート,《自転車の車輪》は1913年のことで,《泉》は1917年の出来事である(どちらも今回の出展にある)。代表作の陳列と言えば,少し日本人として,あるいは東大OBとして誇らしかったのは,多くの作品が海外から持ってこられている中で,《大ガラス》は駒場キャンパスからの出品となっていた。東大・駒場キャンパスにデュシャンの代表作の複製(原版含めて世界に4体のみで残り3体は全て欧米)があるというのはもっと知られていい……と方々で書いていたような気がしたが,今ブログ内検索をしてもTwilogを見ても意外と書いてなかったので,改めて言及しておく。

デュシャンの代表作の展示と言えば,今回一番嬉しかったのは《L.H.O.O.Q》を見れたことである。《大ガラス》は当然のこととして,《泉》も《自転車の車輪》も別の展覧会で見たことがあったが,《L.H.O.O.Q》は見たことがなかった。写真撮影OKだったので,あまりの喜びにその旨をTweetしてしまった。


が,TLの反響が薄かったのが少々寂しい。《L.H.O.O.Q》は意味を知っていると&《髭をそったL.H.O.O.Q》というオチまで知っていると最高に笑える作品なので是非広まってほしい。『レゴシティアンダーカバー』でもネタになっている。


最後のセクションは晩年・遺作のもので,デュシャンは代表作が1910〜20年代に固まっているが,制作意欲が衰えたわけでも傑作を生み出さなかったわけでもなく,終生制作活動を続けており,亡くなったのが1968年だから意外と長生きである。晩年や遺作の作品を見ても三つ子の魂百までというか,楽しそうにいろいろと物を作っていた様子がうかがえる。最後まで素晴らしい展覧会であった。


……ということで意図的に無視していたのだが,本展は実は第一部と第二部に分かれていて,第一部が上述のデュシャンの大回顧展,第二部が「日本美術の中に見えるデュシャンの要素」という展示になっている。が,この第二部の評判が非常に悪い。私自身ひどいと感じたし,鑑賞客も第一部に比べるとガラガラで,皆思ったことは同じなのだろうなと。並んでいるものは一級品なのにキャプションが意味不明で首をひねるという体験はなかなかできるものではなく,その意味では稀有である。たとえば「千利休の茶器はレディメイド」と言われても理解不能であるし,「日本には昔から異時同図法があるからすごい」とか言われても,いや中世ヨーロッパにだって異時同図法あったやろってツッコミを入れたくなるし,模倣とコピーの混同も意味不明であった。これ本当に東博の中の人が作った展示なんだろうか。無理やり日本すごい要素を入れて世の流れに迎合しようとしたのだとするなら非常に薄ら寒いし,評判を見れば結果的に迎合にも失敗している。この点,完全に無視しても良かったのだが,一応記事の末尾に書き添えておく。  
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2018年11月10日

義教のくじ引きと秀吉の花見と

醍醐寺「如意輪観音坐像」サントリー美術館の醍醐寺展に行ってきた。醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山として,空海の直系孫弟子にあたる聖宝が開いた。9世紀後半,貞観年間のことである。実は命名に醍醐天皇と関係ない(後に帰依は受けている)。本展は昨年に上海・西安を巡回してきたもので,この後には九州国立博物館に行く大規模な巡回展である。醍醐寺が空になるような所蔵物の全公開状態で中国では延べ80万人が来館する大好評だったそうだ。

密教系であるので所蔵されている仏具は修法や加持祈祷に用いたものが中心になる。制作年代は鎌倉・室町時代が多いが,たまに平安時代の,それも創建からそれほど経っていない時期のものがあり,保存状態も良くて驚く。応仁の乱で伽藍の大部分が焼け落ちたそうだが,よく残っているものだ。展示には多くの仏像も含まれ,全部で15体ほどあっただろうか,それぞれがそこそこ大きく,これで海外まで巡回したというのは神経を使ったことだろう。見どころはやはり綺麗にそろっている五大明王像と,10世紀の作例としては保存状態が非常によい巨大な薬師如来坐像,同じく10世紀の作例で,観心寺のものに引けを取らない出来の如意輪観音像だろう。特にこのなまめかしい如意輪観音像を見ると,いかにも密教美術であるなと思う。

しかし,こうした仏具や仏像はこうした大寺院の展覧会であればどこでもある程度見られるものであり,その意味で珍しさには欠ける。本展のおもしろみはやはり醍醐寺特有の所蔵物の展示であろう。醍醐寺は室町時代の初期に隆盛を極めたが,その立役者は当時の座主の満済であるそうだ。満済は当時の他の大寺院もそうであるように摂関家から輩出された人物で,足利義満の猶子となって室町幕府との縁を深め,その支援を受けて伽藍を復興,最終的には准三后にまで上り詰めた。醍醐寺座主の満済は,病死寸前の足利義持から相談を受けて「くじ引き案」を発案し,自らそのくじを作成した張本人で,日本の歴史上で重要な役割を果たしている。本展では満済御本人の日記が出展されていて,くじを発案した日のページが開かれているので,読めずとも是非ご覧になってほしい。なお,満済は将軍義満・義持・義教と三代からの信任が篤く,五山僧ではないが,密教僧として室町幕府の政策の諮問を受けていたそうだ。

その後,前述のように応仁の乱で大きな被害を受けたが,織豊政権の庇護下で復活する。展示替えで私は見られなかったが,信長直筆の書状(ちゃんと「天下布武」の印がある)も本展には出品されている。また,本展では秀吉が用いたとされる黄金の茶室ならぬ,黄金の茶器として「金天目」を見ることができる。そしてご存じの方も多いであろう,豊臣秀吉末期の花見,醍醐の花見はその名の通り,醍醐寺で開かれたものだ。開催にあたって秀吉は七百本の桜を醍醐寺に移植したのをはじめとして,多くの建造物を建てさせているが,直後に秀吉が亡くなってしまったため,名義上の寄進者が秀頼になっている建物がいくつかあって,これはこれで面白い。徳川の時代になると政治の中枢からは再び離れてしまうが,それもあってか,襖絵を描いた(見事な花鳥画である)画家が長谷川派に帰属する人物と推定されていたり,俵屋宗達であったりという名前が見られるのもまた面白い。俵屋宗達の作品は保存状態が悪く少々残念だったが,長谷川派の作品は大きな襖絵で見応えがあった。

東京での企画展は終わってしまうが,九博に行く気のある方にはお勧めしておく。  
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2018年11月09日

非ニコマス系動画紹介 2018.1月中旬〜2018.2月上旬




破壊するものは闇の翼が来る前に倒せるんだなぁ。真・破壊するものはやっぱり凶悪に強い。4万まで回復するタイミングで味方の行動がカットされるという特性がこんなところに影響するとは。




こちらは真・四魔貴族を1ターン撃破。おともレベルの上昇を避ける必要が出てくるため,他の極限まで鍛える縛りとは異なった趣になったのが面白かった。あと殿下ロイドがめちゃくちゃ面白い(別の意味で)。




このシーンにも,こんな元ネタがあったやな。




なぜかVtuberの動画でどんどん作られていったダンスロボットダンスのシロさん版。ロボットとVirtual要素が合うということなのだろう。



四天王が全員揃った版。キズナアイが出てくるところで不覚にもちょっとうるっと来た。やっぱ親分が親分ですわ。4月くらいのコメントで見たほうがよいかも。



突如として始まったRTA。こういう人たちに愛されている辺りがシロさんであり,こういう人たちがいるのがシロ組さんなのだよなぁ。



その発想はあった。キャラと曲の組み合わせがマッチしすぎていてヤバイ。



シロさんが私がハマっていたI am Breadをプレイしていた。この後は全くやっていないのが残念。シュールな世界観が合うと思うのだが。  
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2018年11月08日

「スウェーデンの"国民的"画家」

ラーション《かくれんぼう》損保ジャパン美術館のカール・ラーション展に行ってきた。ラーションは近代スウェーデンの国民的画家で,同国の画家としては最も有名な人物だろう。同時代ではお隣ノルウェーにムンクがいるが,それに比べると世界的な知名度は低い。ムンクの場合は象徴主義という世界史的な美術史の流れの上で評価されているが,ラーションの評価はまた別の軸になるためである。対比としてもう一人,動揺にほぼ同時代のデンマークのハンマースホイの名前を出してもよいだろう。彼の場合は名前が埋もれていたが,発見されて急激に評価が高まった理由は,その静寂を感じさせる室内画の数々の独創性が高く面白かったからである。ムンクにせよハンマースホイにせよ,北欧には寒々しく陰鬱な絵画というイメージはどうしたってつきまとう。

そこへ行くと,ラーションの作品は完全に一線を画している。技術的にはただただ上手いというだけで,独創性は感じられない。確かに世界の美術史で特筆すべき特徴を備えているようには見えない。しかし,圧倒的に明るいご家庭の描写としては抜群に上手いのである。彼はその画力を生かして壁画などの大作を請け負う一方で,田舎に買った自宅を終生増改築し,妻とともに美しい家具やテキスタイルを作って揃え,多くの子供を生んで,自らの明るい家庭を繰り返し描いた。ラーションがそれらの画像を収めた画集は飛ぶように売れた。徹底したセルフプロデュースとプライバシーの切り売りと言えなくもないが,結果的にその家庭の眩しさは見るものを安堵させ,羨ましがらせた。魅力ある家庭を垣間見ることはこんなにも素直に喜ばしいものなのか,と人々に気づかせたのは間違いなくラーションの功績であろう。

そして,こうしたセルフプロデュースは当時のナショナリズムとは無関係でない。スウェーデンの伝統的な技法や柄を用いて手作りした家具に囲まれたラーションの家庭は,理想的なブルジョワジーの家庭として受容され,愛すべきスウェーデン社会という一回り大きなセルフプロデュースにも利用されていった点は無視できまい。ラーションが「国民的画家」と称される理由はまさにここにある。前世紀,ヴィクトリア女王の家族が中上流階級のイギリス家庭の模範とされたことと少し似ている。ただし,あちらと比べるとラーションの家庭は親近感があり,身近な手本としやすかった点は尚更国民的と称するにふさわしい地位をラーションに与えている。

ラーションがスウェーデン社会,というよりも北欧家具に与えた大きな影響はもう一点ある。これは私自身知らず,今回の展覧会で非常に勉強になった点であるが,実のところ手作りで揃えた家具の大半は妻のカーリンが製作したもので,「手作り感あふれる,デザインの優れた家具」という北欧家具のイメージは,ラーションの絵画を通じたカーリンに負うところが大きいそうだ。当のラーション本人は家具製作は絵画制作よりも一段下に見ていて,セルフプロデュースにおける補助的な役割を果たしているに過ぎないと考えていたそうだが,その家具イメージが最終的にIKEAを代表とする一大産業を発展させたことを思うと,むしろカーリンの方がスウェーデン史上重要な役割を果たしたとさえ言えるのかもしれない。この辺りの事情はジェンダー美術史学の発展が貢献したところだろうか。今回の展覧会はラーション夫妻愛用の家具の数々が展示されていて,この点でも見応えがあった。そして最後に「IKEAプロデュースの現代風ラーション家の居間」セットが設置されていたのは,単なる宣伝になっておらず,非常に示唆的である。

派手な宣伝はされていないが,今年見に行って損はない展覧会の一つ。  
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2018年10月29日

小技の効いた外交,良い

・難問数独専門 | The room of sudoku hard
→ 仮置きさせないという理念も更新頻度もすばらしい。しかし,画面上で解くのがどうにもなれないので,時間がとれないこともあり結局私は全然やっていない。数独好きな人にお勧めはしておきます。


・HD PENTAX-DA 20-40mm F2.8-4ED Limited DC WRで梅雨明けの霧ヶ峰を撮る:ゆるハイク&レンズインプレッション(I AM A DOG)
→ どちらも山に行く話なのに,意外と『ヤマノススメ』と『ゆるキャン△』の聖地が重ならない中,貴重な事例なのが霧ヶ峰だったりする。行きたかったけど,なんとなくタイミングを逃してしまった。来年の夏かなー。また参加者募集すると思います。


・「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう(堀井 憲一郎)(現代ビジネス)
→ 言われてみると。大日本帝国憲法の成立をもって認められたと解釈すべきなのだろう。
→ しかし,それはそれとしてお雇い外国人を通じての布教は明治の初期からそれなりに進んでいて,高校日本史でも登場するレベル(その最も有名な例が内村鑑三と新渡戸稲造)なのだから,明治政府としては知識人層にキリスト教が広まる分には近代化のため仕方がないが,一般庶民に広まるのは社会不安の種になるから避けたいくらいの感覚だったのだろう。そう考えると,キリスト教に対する態度は鎖国期の江戸時代と変わらないというよりかは,鎖国前の江戸時代や豊臣政権と変わらないジレンマを持っていたと言ったほうが適切になりそう。


・日本の「凡庸な漢籍」ゲットで習近平が大喜びの理由 文化財流出ではなく粋な対中外交だった細川コレクション寄贈(JBpress)
→ 二束三文というほど価値が無いわけでもないが,習近平のご機嫌が買えると思えば高くもないという絶妙なラインの典籍を,日本の元首相の管理下にあった,といういろいろな幸運が重なってできた外交の小技というところか。小技なだけに,冊数の水増し・習近平が喜ぶ理由等も含めて背景事情が非常に面白い話だった。それを活かした関係者はすばらしい。
→ 一覧を見ると,『五経正義』だったり『説文解字注』に『資治通鑑』,焦点の『群書治要』だったりと自分でも知っているレベルの典籍がごろごろとあり,確かに冊数がありそうと素人目にも納得できるものばかりで,記事中にある通り印刷されたタイミングが全体的に随分と新しい。なるほど,見事なカモフラージュである。文化財流出と叩かれたところはちょっと予想外だったかもしれないが。  
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2018年10月26日

どうやってそれでインド独立を教えるの……

・刺殺された岡本さん、「Hagex」の名でブログ(朝日新聞)
・Hagexに王様はいなかった(やまもといちろう 公式ブログ)
→ これはさすがに動揺した。さすがにはてな村で殺人事件が起きるとは思ってもみなかった。逆にはてな村以外のネットユーザーには,これがなぜ重大事件かすぐに理解できるものではないだろう。知っている人は知っている通り,まず,Hagex氏は別に殺人犯と深いかかわりがあったわけではなく,単に顔が割れてて犯人の近くに来ていたからというだけで殺された。悲しいのは当然のこととして,事件のその無差別性にやりきれない思いが強い。
→ これまた知っている人は知っていることだが,今回の犯人はネット上での暴言が非常に多く(こんなんばっかり),それを周囲に散々に咎められ,逆ギレとしての犯行である。その咎め方に犯人を馬鹿にした言い方が無かったとは言わないが,圧倒的に発端の暴言の方がひどかった。情状酌量の余地はなく,これがまたやるせなさを増幅させる。こうしたことは多少なりともネット上で目立つ活動をしていれば起きうる。ネットと現実の方と接続させて活動させることと,ネット上の悪事を咎めることの両立はかくも難しいのかということを各人に重くのしかからせた事件であった。
→ 追悼エントリがいくつかあがっていたが,ここではやまもといちろう氏のものを挙げておく。


・「鎌倉を読み解く―中世都市の内と外」秋山哲雄 著(Call of History)
>「三方を山に囲まれた天然の要害ゆえに頼朝は鎌倉を本拠地とした」という通説が近年否定されてきている
→ ついこの間まで天然の要害説が正しいと思ってましたわ。言われて高校日本史の山川の教科書を見たら,まだ天然の要害説だった。一方で浜島の資料集は両論併記。


・ガンジーもタージマハルも… インドで進む歴史書き換え(朝日新聞)
→ 最近のインドのヒンドゥー至上主義の高揚は本当にまずいと思う。ガンディー,ネルーの扱いが薄くなるなんて考えられなかったことだ。日本史の南京虐殺や従軍慰安婦を消すどころの話ではなく(無論のことながらそれらが軽いと言っているわけではない),もっとラディカルな,それこそ日中戦争や太平洋戦争全体を正当化するような荒業に感じる。タージ=マハルの否定はさしずめ廃仏毀釈の流れが現代まで残ってしまって法隆寺や東大寺の偉業を否定しているようなものと考えると恐ろしい話だ。


・ドイツ代表どころか国も揺るがす"エジルとギュンドアン"の禍根(footballista)
→ エジルは結局この後ドイツ代表を引退することになってしまった。右派からは所詮移民と言われ,左派からはエルドアンを支持するなんて,と言われて居場所がなくなってしまったのは不幸である。根本的には右派が悪いのはそうだが,エルドアン支持を明言しないと居心地が悪くなるのであれば,在ドイツのトルコ人コミュニティにも相当に問題があると思われ,いずれにしてもエジルとギュンドアンは,しいて言えば政治的に幼く不用意だったというくらいしか本人に落ち度はなかろう。少なくとも自発的に代表を辞めることになるような落ち度ではなかった。
→ この件,メキシコ系移民がアメリカに来ると最初は民主党を支持するが,カトリックの篤い信徒なので根の部分ではWASPの宗教右派に信条が近く,次第に保守化して民主党支持層ではなくなっていく現象と無関係ではないと思う。差別にさらされるので余計に故郷の伝統にアイデンティティを求めて保守化し,地位が確立すると現地のリベラルからは離れていく。発端としての現地の右派が最大にして根本的な原因というのは異論がなかろうが,現実的な解としての「多文化共生の理念を理解してもらった上で移民に来てもらう」というのも非常に難しかろうし,どうしたものか。  
Posted by dg_law at 13:00Comments(2)diary