2005年08月31日

永久に美しく

どうにも暇なので、再び昔の映画でも観賞した。今日は映画から「永久に美しく」。

観賞開始1分後での感想。メリル・ストリープが若い!(笑)そういえば今何歳よ?


この映画、何度観てもおもしろい。永遠の若さとは何かと訴える映画ではあるが、このハイレベルなギャグタッチは何とかならないものか。演出が細かい。けしてストーリー自体は複雑では無いし、テーマもよくある話なのだが、話の流れが滑らかなので飽きない。

この映画の最大のポイントは、永遠の生命、若さを手に入れる薬を飲んでも、肉体の死を止められるわけではないということだ。すなわちこの薬は老化を止め、二度と死なない体にはするが、別に体の自己修復能力を向上するわけではない。だから、肉体が本来の自己修復能力を超えた致命傷を受けると、魂は生きているのに、肉体は腐っていく。薬を飲んだ登場人物たちも、腹に穴が空いたり首が180度回転したりしているのに生きており、生きながらに体が腐っていく。

こう書くとなんだかえぐいが、だからこそ話が明るくギャグタッチなのだろう。ところでこの映画のテーマは何か。さっきは「よくある話」と書いたが、それはどうとでも取れるからだ。自分はあえて、「老いたら無理するな」という見方をしてみたい。登場人物で、若返ろうとしたり薬を飲んだ人物の行動によって迷惑を被っているのは、全て老いた人々だからである。テーマを考えながら見るのも、おもしろいだろう。  

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第18回「三国志」吉川英治著 講談社文庫

本当はこの本、あまりお勧めしたくはないのだが、一番メジャーなので書いておく。男のロマン、三国志。ガンダムと並び賞してもいいだろう(もっとも最近ではどっちも女性の進出著しいが)

そのおもしろさはもはや語るまでもない。特にガンダム好きに関しては。人物が生きている。活きていると表記してもよい。特に敵役が。いや、敵役と表現することもためらわれる。誰もが主人公になりえ、視点によって敵が変わってくる。三国志はそこがおもしろい。三つ巴だからなおのことである。人間関係は複雑さを増す。呂布や董卓といった典型的な悪役も潔い。

ではなぜ「吉川三国志」をお勧めしないかというと、上記の利点「三つ巴」「複数主人公」が消えてしまうからである。完全に劉備と諸葛亮孔明を主人公に据え、曹操は悪役である。善悪二元的な世界観であり、呉はおいてきぼりだ。それに三国志の終焉までやらず、諸葛亮が死んだ時点で物語が終わるため、尻切れ感は否めない。

だが、三国志入門書としては十分におもしろい。吉川英治自身の文章力は優れているし、善悪二元的な世界観にしたおかげで、本来の複雑な物語がずいぶんすっきりしているのは確かといえるからだ。他の三国志については、また今度。


三国志〈1〉
  
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2005年08月24日

第17回「小説十八史略1〜6」陳瞬臣著 講談社文庫

陳瞬臣は日本で、日本語で中国歴史小説を書く珍しい小説家だ。題名の通り、今回は十八史略を取り上げた。そもそも十八史略とは、長すぎる中国の歴史を大雑把に振り返るために、元の時代の曾先之が著述したもの。その目的どおり、手早く元までの歴史を概覧するならいい書物である。伝説の三皇五帝から始まって、南宋滅亡(1282)までがその範囲だ。

陳瞬臣はただ十八史略を和訳しただけではない。十八史略はもともと史書というより啓蒙書として書かれた面が強かったため、おもしろくなかった。彼はそれを単に史書に戻したというよりは、小説体になるよう物語的に著述しなおした、といえる。個々の事件を区切らず流れるように描き、かつ各章に主人公格の人物を立てて著述しているのはさすがだ。

ただし、この本を読んであらためて感じたのは、中国史とは同じことの繰り返しだということ。英雄が現れて民を扇動し建国、百年くらい国が続いた後、美女・宦官・外戚のせいで国が乱れて没落する…いつも同じパターン。中国の皇帝は過去を学ぶということをしなかったのか。せっかくこのような優れた歴史書が多く存在したというのに。しかも、この政治腐敗や盲目的英雄崇拝は現代中国だって変わっていない。3千年前から、何も変わっていない。これを中国人の著者が書いているのも、おもしろい。

だからはっきり言って小説としてはあまりおもしろくない。同じことの繰り返しである。中国史を概覧したいとか、中国人がいかに学ばない民族かを知りたいなら、お勧めに値する。


小説十八史略〈1〉
  
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2005年08月23日

Mission impossible(5)

午前4時。起床。長い一日が始まる。大量の荷物をまとめ、軽く部屋の掃除。出発。

午前4時半。アドミニストレーション棟前に到着。当然のことながら誰もいない。まだ多少暗い。荷物を置いてコンビニへ。微妙に危険かなとも思いつつ、誰も盗まないと思い荷物は置いていった。コンビニで朝食とコーヒーを購入。目を覚まそうと努力。

午前5時。臨戦態勢に入る。とっても、敵は寄ってくる虫とカラスくらいなもんだが。気づいてみると、アドミニストレーション棟、入り口が四箇所ある。どこで待とうか迷う。とりあえず、一番配布場所に近い入り口に陣取ってみた。暇つぶし用に持ってきた『論理哲学論考』を読み始める。空が急激に明るくなり始めた。

午前5時半。論理哲学論考、難しい。セミの音がうるさい。散歩のご老人が増えてきた。ここで軽やかに挨拶。「おはようございます」すごく無視された。軽く凹む。くじけそうな自分に「これは夏の祭典のリベンジなんだ」と、謎の励ましをして耐える。

午前6時。駒場巡回カーが目の前に登場。ものすごく不審者に思われたようで、運転手ににらまれた。しかし即座に視線を落とし、論理哲学論考に集中する振りをしてみる。どうやら不審者という以前に気違いと思われたらしく、無言で通り過ぎていった。これはこれで悲しい。あまりにも悲しいので、腹いせにhenriにメール送った。当然返事は来ない。急激に寂しさが募ってくる。

午前6時半。カシンの化身にメール。すると返事が。久々に人と交流した気になってメールに夢中になるも、30分程して寝やがった。

午前7時。アド棟に明かりが着いた。希望の光に思えた。そろそろ精神状態がヤバイかもしれない。論理哲学論考はとても電波だったが、わからないなりに半分まで読み終えた。

午前7時半。論理哲学論考に飽きた。というよりもいよいよわからない。やっぱ野矢は頭良いわ。ここで再び警備員の人と鉢合わせ。気まずい雰囲気が流れるも、互いに観なかったことにして解決した。これが大人の妥結という奴だろうか。

午前8時。職員の方々が出勤し始める。朝早いなあ。ここでhenriから返事が。あと40分後に来るとか。なんだか無性に嬉しかった。しかし相変わらずあまりにも暇なので、無理やり論理哲学論考を読むことにする。

午前8時半。アド棟が開いた。入っていいのだろうか、と悩んでいるとhenriと合流。入って待つことにする。すると、ぞろぞろと人が増え始めた。結論。午前8時に来れば十分。

午前8時40分頃。職員の方々が準備し始める。「君ら早いねえ」と話し掛けられたので「朝4時半からいましたから」と答えたら怪訝な顔をされた。当たり前か。ここで職員の方が「本当は10時からだけど、君らは受け取って帰っていいよ」と言われたので(おそらく心の中では早く帰れという感じだったのだろう)、成績表を回収して帰った。


そして気になる結果は……  続きを読む
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でもそんなに鏡あったっけ?

Dresden国立西洋美術館の「ドレスデン −世界の鏡展」に行ってきた。本当は月曜日行く予定だったのだが、よく考えたら当然の話、美術館関係は月曜定休だということに着いてから気づき、失意の内に山手線一周して帰ってきたのが昨日の話である。

んで今日とうとう見れたわけだが、なかなかすごかった。バラエティに富んでいて飽きない。まず、サブタイトル通り鏡やそれに類する装飾品の数々から始まる。金銀細工に目を奪われた後、次に出てくるのがトルコ趣味。東洋とも西洋ともいえぬ、珍しい装束を楽しんだらイタリア絵画が登場する。ここでの目玉はティツィアーノの「白いドレスの女性の肖像」。それに限らず、後期ルネサンスからバロックの名作を展示している。

その次はフランス絵画やすばらしい家具の数々。ある意味目を引くのがローズカット・ダイヤモンド装身具一式だろう。おば様方が大量に群がっていたが、無理もあるまい。10カラットくらいありそうなダイアの指輪がごろごろしているのだから。個人的にはそれよりも記念メダルの展示にひかれた。ラテン語で書いてあると読みたくなるね。

ドレスデンといえば、マイセンははずせまい。マイセンは徹底的に東アジアの陶器をまねることですばらしい陶器を生み出したのだが、元ネタとなった東アジア産の陶器と、マイセンで作られた陶器が並列しておいてあった。おもしろい展示だと思った。やっぱり微妙に違う。そしてオリジナルのほうが美しく感じる辺り、自分の美的感覚はやっぱり東アジアなのか、それとも単にオリジナルのほうが美しいという一般法則なのか。そこは定かではないが。

そしてオランダ絵画ゾーンへ。これまたすばらしい、そして有名なバロック絵画がそろっている。特にフェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」、よく借りてこれたなあ。これも構図がすばらしいね。特にカーテン。あれが無いとバランスも悪いし、遠近法も引き立たない。

最後にドイツロマン派絵画。まさかここで再びフリードリヒの風景画に出会えるとは思わなかった。すこぶる感激。しかし、フリードリヒはもとよりそれ以外のドイツロマン派の風景画も、すばらしいね。まさしく「苦痛を乗り越え、歓喜に至る」(ベートーヴェン)という感じ。なかでも今回気に入ったのは、ダールの「満月のドレスデン」(上の絵)。もうすばらしすぎて言葉に言い表しがたい。というか、これを最後に持ってくるのは心憎すぎる。


今回も堪能させてもらった。毎回ながら、西洋美術館の特別展示はすごい。展示内容もさながら、展示方法が神がかっている。鑑賞者心理を読んでるね。で、今回もTシャツ買って帰りましたとさ。  
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2005年08月20日

単純なゲームほどはまる法則

前にフリーセルについて語ったので、今日はマインスイーパについて語ろうか。

マインスイーパは、フリーセルに比べて苦手とするところだ。フリーセルはどれだけ時間かけてもいいが、マインスイーパは時間勝負であるということと、フリーセルは危機脱出のためにいくらでも手段があるが、マインスイーパはつまったらどんなに上手な人でもどうしようもない状態になるからだ。

マインスイーパは、特に上級は、慣れと運によるところが大きい。初期配置がどうしようもなかったら、最後までどうしようもなくなるからだ。どっかで好転する、なんてのは甘い考えで、初期でつまったら麻雀で役満を上がるような確率でしか生き残れない。序盤で「平原」が開けなかったら、あきらめるべきだろう。

だから自分は最初に中央辺りを適当に押して、序盤に平原にぶち当たるような方法で始める。こうすると好記録が出やすい。その代わり、なかなか開けないと腹が立ってくるが。初級や中級は、端から始めても十分クリア可能だ。爆弾の数が多くないので、端からスタートしてもすぐに開くことができる。

あとは、しっかり集中してるときよりもだらだらやってるときのほうが、なぜか好記録が出やすいか。これはよくわからんが。いつもフリーセルの後にやるので、そもそもあまり集中してないと言われれば否定はできない。

現在、下宿のパソコンで初級9秒、中級40秒、上級145秒だ。実家のパソでは初級1秒というのがあるが、これは押した瞬間終わった、ということだ。中級と上級は、当然のことながら下宿のパソコンよりもだいぶ遅い。慣れないと、頭ではわかっていても爆弾が埋まっているかどうか不安な場合があるからどうしても遅くなる。逆に慣れると、形を見て本能的に爆弾の位置がわかるようになる。

ここまでやりこんでるのに上級が145秒を割らないのは、本質的に手先が不器用だからだろう。自分の一番の失敗原因は、圧倒的に押し間違いである。わかっていたのに押してしまう「誤爆」。これが一番悔やまれると同時に、一番多い失敗である。henriが120秒くらいらしいので、当分の目標はここか。  
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2005年08月17日

1、3、5、8、15はテストに出ます。覚えておくように。

今日は昨日のブックレビューがカエサルだったこともあり、日本史の指導者について考えていた。すると、江戸時代の将軍とローマ帝国の皇帝の系譜が驚くほど似ていることに気がついた。以下、世界史と日本史の両方に通じてないと少々苦しいかもしれないが、考察してみる。

まず、信長とカエサル。言うまでもなく体制改革者として似ているだろう。次に秀吉にあたる人物がローマ側には少々見当たらないのだが、これはローマ側は信長が直接、後継者として「家康」にあたる人物を指名してしまったからである。家康はオクタヴィアヌス(アウグストゥス)。幕府を開いた人物と、事実上帝政を始めた人物だ。二人の共通点は二人とも長生きしたこと、そして何より、二人とも史上稀に見る狸親父だったこと。長期政権の創業者は、そういうものかもしれない。

秀忠とティベリウスは、善政を敷いたのに評判が悪かったことで共通しているか。もっとも評判の悪かった原因は、前者が後継者問題で、後者は本人の性格によるものだが。家光とカリグラは、奇行が目立ったということ、というよりも御坊ちゃまだったということで共通している。かたや幼少時は女装が趣味で、「生まれながらにして将軍」と宣言したかと思えば、もう一方は馬にローマ市民権あげてみたり、「自分は神」とか言ってみたりしている。

四代目までくればいい加減共通点もなくなるかと思えばそうでもない。家綱もクラウディウスも、いろんな意味でぱっとしないということ、つまり歴史の教科書での扱いが薄いということでまず共通している。そして二人とも女性に弱かったことまで似ている。五代目は綱吉とネロ。共通点はこれまた簡単、悪政を敷いてそれぞれの政府を傾かせたこと、そして特徴的な統治をして歴史の教科書に名を残したこと。奇妙にも、二人とも母親には頭があがらなかったことまで同じだ。

六代目、七代目は日本では家宣、家継。ローマではガルバ、オトー、ヴィティリウスとなる。この5人の共通点はただ一つ。統治が異様に短かったことだ。八代目、吉宗とヴェスパシアヌス。共通点は、二人とも外部の人物。吉宗は紀州藩藩主でヴェスパシアヌスはユダヤ総督だった。そして五代目で乱れた政治を再び軌道に乗せるべく改革したという点も同じだ。本来ローマ皇帝は次にティトゥスがいるが、これも統治が短いのでパスさせてもらうと九代目は家重とドミティアヌスである。この二人は八代目が評判良すぎて何をしても悪評しか湧かなかった点で共通する。


どうだろう。なかなかおもしろくないだろうか。しかし、次でいよいよ状況が変わってくる。十代将軍は家治、ローマ皇帝はネルヴァ、短いのでパスするとトライアヌスだ。二人とも、改革をしたという点では共通する。しかし、家治統治下の田沼意次の改革は失敗し、トライアヌスは成功して至高の皇帝と呼ばれるようになる。この違いは次の代になるとより顕著だ。十一代将軍家斉は松平定信に命じて寛政の改革を進めるがこれも失敗。一方ローマはハドリアヌス帝の下、黄金の時代を謳歌する。

しかしさらにおもしろいのは、この二代後、すなわち十四代となると江戸幕府は家茂。つまりペリーに開国させられ明治維新が始まることであり、ローマもマルクス・アウレリウス帝の時代、つまりゲルマン民族の大移動が始まるのである。


では、外圧がかかり始める時期が同じだったのにもかかわらず、ここまで各元首の統治が似ているにもかかわらず、ローマがこの後しぶとく生き残ったにもかかわらず江戸幕府はすぐに滅んだのだろうか。こうやって比較してみると、やはり分岐はトライアヌスの改革と田沼意次の改革の成否の違いではなかったか。田沼意次をべたぼめする気は無いが、少なくとも彼に先見の明はあったと思う。そして寛政の改革は時代遅れであったと言わざるを得ない。

この違いは私見を述べさせてもらうなら、寛政の改革は目先だけ創業者たる家康を標榜していて、その真意までは測りかねていたのに対し、トライアヌスの改革はしっかりとカエサルやアウグストゥスの真意を汲んでいたように思う。これは松平定信とトライアヌスの資質の違いに帰着させていいのだろうか。それとも文化の違いか?それはわからない。しかし、考えてみる価値はありそうなので、ひとまず今日はここで筆を置くことにして、また今度思いついたらここにでも書いてみることにする。  
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第16回「ローマ人の物語4、5 〜ユリウス・カエサル(上)(下)〜」塩野七生著 新潮社

尊敬する歴史的人物を三人挙げろ、といわれたら、自分はこう答える。曹操、織田信長、ユリウス・カエサル。三人とも開明的でかつ急進的すぎることはなく、新たな時代状況と古い時代の産物をうまく結び付けようとした。また私生活では「英雄色を好む」というとおり、奔放で典型的な英雄像という点で共通する。だからみていて飽きない。おもしろい。そんなカエサルを評する言葉は、どこの時代のどこの人の言葉を持ってきてもほめ言葉しか出てこない。以下、その一覧。

タキトゥス(帝政ローマ最高の歴史家)
『神にも比されるべき才能』

モンテスキュー(三権分立の人。フランス人)
『カエサルは幸運に恵まれていたのだと人は言う。だがこの非凡なる人物は、多くの優れた素質の持ち主であったことは確かでも、欠点がなかったわけではなく、また、悪徳にさえ無縁ではなかった。しかし、それでもなお、いかなる軍隊を率いようとも勝利者になったであろうし、いかなる国に生まれようとも指導者になっていただろう』

バーナード=ショウ(イギリスの劇作家で風刺、皮肉の達人。社会正義を重視し、フェビアン協会を設立した穏健な社会主義者。)
『人間の欠点ならばあれほど深い理解を示したシェークスピアだったが、ユリウス・カエサルのような人物の偉大さは知らなかった。「リア王」は傑作だが、「ジュリアス・シーザー」は失敗作である』

モムゼン(ドイツの歴史家。『ローマ史』でノーベル文学賞をとった。)
『ローマが生んだ唯一の創造的天才』

イタリアの普通高校で使われる教科書
『指導者に求められる資質は次の五つである。知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。カエサルだけがこのすべてを持っていた』

なかでもモンテスキューにほめられたのはすごい。彼は共和制主義者で、事実上の帝政創始者であるカエサルのことを非常に憎んでいたのだから。にしても、イタリアの教科書と日本の教科書を見ると、日本の教科書がとても見劣りしてみるのは自分だけではあるまい。

当然自分も、カエサルはこれだけほめられてしかるべき人物だったと考えている。そんなユリウス・カエサルがまだローマを帝国化しようとは考えておらず、あくまで共和制の中で改革をしようとしていた時代の物語が上巻、それに行き詰まりを感じて独裁へと突き進むのが下巻である。しかし七生女史は伝記にはせず、あくまで今まで通り「ローマ人」の物語として描いている。

シリーズのタイトルを「ローマ人」としたところがうまい、とあらためて思う。ローマという国家にしてしまうと、共和国なのか帝国なのかの区別で違うシリーズにしなければならなくなってしまう。その境目こそ、ユリウス・カエサルなのであり、このシリーズの2巻分を割く価値があると言えるだろう。


ローマ人の物語〈4〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以前

ローマ人の物語〈5〉― ユリウス・カエサル-ルビコン以後
  
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2005年08月05日

第15回「ローマ人の物語3 〜勝者の混迷〜」塩野七生著 新潮社

「ローマの歴史1000年間(BC753年〜AD395年)には、歴史上の全ての事件が含まれている。」といったのは、丸山真男だ。これが誇張であるにしても、やはり類似した状況はこの千年間に存在しうると思う。この時期のローマは、ちょうどベトナム戦争期のアメリカに重なる。

違う点は、アメリカは覇権を目指して自分から混迷していったのだが、ローマは前巻で見たとおり、強制的に帝国になってしまった、ということだ。こうなるとローマは改革を進ませざるをえない。保守派と開明派。ユリウス・カエサルが現れて解決するまでの、ローマ人にとってはあまりにも長い、100年間であった。

この巻では、政治闘争がメインに描かれている。だからけしておもしろいとも、読みやすいとも言いがたい。しかし、多くの血を流し悲劇を目の当たりにしつつも、常に前向きなローマ人に心打たれる。そして、いよいよ世界最大級の英雄、ユリウス・カエサルの登場である。


ローマ人の物語〈3〉― 勝者の混迷
  
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ローズ家の戦争

あまりに暇だったので、家にある古い映画を見た。その名も「ローズ家の戦争」。無論,イギリスのばら戦争が名前の元ネタである。

円満な家庭を築いてきたローズ夫妻だったが、妻の神経質な性格が災いしてやがて離婚へ。ところが、二人とも共同で購入した家を手放したくないという。話合いで決まるはずもなく、離婚戦争は言論から体力勝負へ移行していく、基本的にはコメディー映画。

この映画、構成がおもしろかった。夫の顧問弁護士が離婚相談でやってきた別の男性に、回想という形で語るところから始まるのだが、回想と現在が細かいところでリンクされていて、ラン・ローラ・ランのように細部に注目して楽しむことができるようになっている。またメインである離婚戦争も、次第にエスカレートしていく様子がおもしろい。最初はささいな事故だったのに、恨みから次第に故意の色が強くなり、最後はほとんど殺し合いに近い。古い映画だから特殊効果などは無く全部スタントなのでいまいちリアリティには欠けるが、CGを多用した現代の映画のほうがリアリティがあるというのも妙な話だ。

この映画の残念な点は、離婚の原因が客観的に見て妻のほうにしか無いこと。男性特有の意見かと思い母に聞いてみたが、母もそう思うらしいので偏った意見では無いだろう。そのせいで、どうも男性よりにしか見れない。離婚の原因が平等にあれば、さらにおもしろかったと思うのだが。ネタばれになるので書けないが、オチがたまらなくシュールなので「なんだそりゃ!?」と叫ぶかも。俺は叫んだ。見事な伏線処理だった。かなりお勧め。暇ならぜひ。  
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2005年08月04日

世の中は怖いものだらけ

今日偶然中学の剣道部時代の友人Tと出くわした。(S中出身者だけにわかるように言うと恵比寿の中の人です)

今は人間環境大学に通い、パチンコ屋でバイトしているが自らのパチンコの腕のせいでもうけはあんまり出ないらしい。なんか中学の友人達が皆パチンコやってる気がしてきたんだが、気のせいだろうか。これで3人目なんだが……

全然変わってなかった。むしろ、俺が変わったんだろう。高校と大学ではほとんどキャラが変わっていないはずだが、中学と高校では全然キャラが違う自信がある。彼は高校時代ほとんど会っていないが、中学の頃とそのままだった気がする。まあ彼は当時からおとなびていたので、それでいいのかもしれないが。

なんだか知らないけど、J高校のアルバムが見たいとか言い出したので見せた。なぜ?と聞くと「そりゃここら辺のエリートだから」と答えていた。逆にこちらがコンプレックスを感じた。結局学歴社会って、上から押し付けられるというより下から出来ていくものなのかな、と感じざるを得ず、少々悲しい。学歴なんて関係無いというのは、そちら側の主張では無いのか。

教えた覚えは無いのに、俺が東大に行っていることを知っていた。これも理由を聞いてみると、「風の噂で。駅前のS予備校にも名前が貼ってあったし。」風の噂は怖い。あと、予備校の宣伝魂も怖い。  
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そりゃまずかろうに

実家の部屋の掃除が終了した。なんかいろいろ出てきた。まず目を引いたのは、中学高校の成績表。全部とっておいたはずなのに、なぜか中1だけ無い。母は捨ててないと言っているので、どっかにはあるんだろうが……にしても、高1の成績が悪すぎる。なんだよ数学53点て。しかし、当時から追試をかわすことに関してだけは天才的だった。5年間通しておもしろいのは、成績推移が

模試>>校内実力テスト>>>>>(超えられない壁)>>>>>定期テスト

になっているという点。まあテスト週間ゲームしかしてなかったから当然なのだが。あと、中学高校共通で成績が尻上がり。学年が上がると調子が良くなるという法則も。大学もそうだといいがね。同時発掘で昔中学時代の日記帳(学校に毎日提出義務有)。字が今より汚い。これは読みづらかろうに。よく先生読めたもんだ。今さら感謝。にしてもやる気無いこと書いてある。

あと、めちゃ古い信長の野望出てきた。これは……サブタイトルが無いんですが。いつのだ?プレイした覚えすらない。絵には見覚えがある……兄貴のか?C1990だそうだ。ニュートン別冊と図解雑学を大量に発掘。ニュートン別冊は覚えがあるが、図解雑学は謎。多分兄貴のだろう。にしてもニュートン別冊、今読むとけっこうトンデモ本の領域だなあ…タイトルの最後に必ず「?」が付いてるあたりは良心的といえるかもしれないが。数学パズルも発掘。これも兄貴のものと推測される。今解いてもけっこうおもしろい。何にせよ、兄貴のものが多すぎる。それだけ影響を受けたということだろう。

なお、今回の発掘品における最大の難物は「12人の妹が出てくる某アニメに出てくるオカルト少女のキャラクターブック」だろう。いや、好きだったけどね、○影。男の部屋を発掘すれば、一品くらいは昔の悪しき記憶が掘り出されるということが証明されたということか。それとも単なる二度あることは三度あるということか。どっちにしても売れそうも無いので町内の廃品回収に出してしまおう。  
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2005年08月01日

第14回「ローマ人の物語2 〜ハンニバル戦記〜」塩野七生著 新潮社

このシリーズの総論は「ローマ人の物語1」のブックレビューをよんでいただくことにして、ここではこの本についてだけ語る。いよいよイタリア半島を制圧したローマは、海外遠征を始める。といってもそれは必然ではなく、意外なほどきわめて偶然であった。当初は両国とも短期の戦争で、互いの存亡をかけるつもりは無かった。しかしハンニバルの野望に巻き込まれ、結果勝者となったローマは、強制的に世界帝国への道を進まらざるを得なくなってしまうのである。

勝者の混迷については次の巻に任すとして、そのきっかけとなった第一次〜第三次ポエニ戦争を描いたのが本作。カンネーやザマといった、現代戦争史や陸軍学校の授業でも出てくる名勝負が繰り広げられる。戦争形態がいかに変わっていったか、ローマはなぜ戦争に強かったのか、そしてどこが現代でもお手本とされているのかが中心に描かれており、そのおもしろさは全作中でも1,2をほこる。やはり名将と名将のぶつかり合いは、血が騒ぐ。三国志と並んで、男なら避けては通れない歴史戦争ものではないだろうか。


ローマ人の物語〈2〉― ハンニバル戦記
  
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