2005年09月25日

第22回「ローマ人の物語6 〜パクス・ロマーナ〜」塩野七生著 新潮社

七生女史自身が「アウグストゥスはカエサルに負け劣らずの英雄だが、躍動感がなくおもしろみがない」と認めている通り、この巻は躍動感に欠ける。今までは戦争史だったのが、急に政治史になったような感覚を受けるからである。それをおもしろいと感じるかどうかが、この巻の評価をわけるだろう。

先人の意志を受け継ぎそれを発展させるのは、実は並大抵の才能と努力ではできない。そもそも託す相手を間違えては実現しない。そういった意味でカエサルはさすがだったと思う。一番の適任、アウグストゥスとアグリッパを見つけ出したのだから。

この巻の見所はここである。いかにアウグストゥスとアグリッパがカエサルの意図を読み取り、それを実現していくか。まるでカエサル本人がまだ生きているかのように、大胆かつ慎重に、ローマが帝政へと移っていく。

前述の通り人は選ぶものの、個人的には戦争史に負けないおもしろさがここにあると思う。総合的な英雄としてはカエサルには遠く及ばないアウグストゥスだが、政治家としてはカエサルを含めて西洋史上最も優れた名君ではなかっただろうかと自分は考えている。

余談だが、尊敬するかどうかを別とすれば、個人的にはカエサルよりもアウグストゥスよりもアグリッパのほうが好感が持てる。頭もよく体も強く戦争がうまい。そしてアウグストゥスの意図、ひいてはカエサルの意図を汲んで政治をしつつ、自分はけして表に出ない。黒幕に徹する。全ては育て親に対する感謝の念と、親友を助けたいという気持ちである。こんなに気持ちのいい人間は、世界史広しといえども、なかなかいないのではないだろうか。惜しむらくは、若くして死んだことか。


ローマ人の物語〈6〉― パクス・ロマーナ
  

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2005年09月24日

K-1GP 2005開幕戦

というわけで今日のブログは予想してた人は予想してたであろう、K-1開幕戦の感想。興味無い人はごめん。

レミーVSイグナチョフ
レミーは動きが固かったね。いかにも苦手そうな感じだった。判定勝ちだったけど、正直イグナチョフのほうが優勢だった気が。微妙。しかしイグナチョフが決勝トーナメントに上がってきても結局微妙なので、これで良しとするべきか。

バンナVSゲーリー
とうとうバンナは「無冠の帝王」か(笑)よく名づけたもんだ。両方ただ打ち合うだけのバカではなく、ベテランらしい巧者だから長引くかな、と思っていたら一瞬で方がついてしまった。バンナは完全復活やね。ファンとしては嬉しいもんだ。

武蔵VSボタ
ボタもかなりの強者だが、どうも彼は対戦相手に恵まれていない気がする。格闘選手には珍しい、気のいい親父なんだけどなあ(笑)相変わらず武蔵はガードが堅い。ボタにはかわいそうだったけど、順当な結果か。

グラウベVSシュルト
シュルトは初めて見たけど、でけぇ。チェ・ホンマンと戦うのはサップじゃなくてこっちで良かったのではないかと思った。グラウベの師匠として、久々にフィリオを見た。彼の強かった時代からK-1見てるけど、彼には悪いが、バンナに1RKOされたときの姿が一番印象深い。しかも自分だけじゃなくて大抵のK-1ファンがそんな気がする。
結果は正直予想外。グラウベはいつかフィリオと同じ悲劇をたどりそうな気がするな……しかし、シュルトは強いかもしれないが、戦い方が見ていてつまらない。もっと連続攻撃を仕掛けるべし。

モーVSアーツ
02年あたりで引退するかと思ってたら、アーツが最近復活してきた。ひょっとしたら、とは思っていたけど、本当にモーに勝ってしまったのには驚いた。しかもまだけっこう余裕ありげだし。まあ彼に関しては出場することに意義があるというような感じがするので、まだまだがんばってもらいたい。

ガオグライVSセフォー
どっちの選手もファンなので、個人的には今日一番期待してた試合……なのだが、なんで編集カットなのさ。
結果そのものは予想通り。ガオグライはミドルでやったほうがいいんじゃないか?KID相手なら楽勝な気がするんだが。

ノードストランドVSカラエフ
カラエフのとにかく早いこと。ノードストランドもけして弱いわけじゃないんだが、一流というわけでもないから、踏み台にはちょうど良かったのかもしれない。

サップVSチェ・ホンマン
どっちが勝つにしろ1RKOだと思っていたのに、意外と長かった(笑)しかししょっぱい試合だったなあ。解説が苦しい。「想像を絶する試合ですね」って、確かに想像は絶してたよ。2R以降二人ともスタミナが切れて両者動かずにらみ合ったまま時間だけが過ぎていく試合なんて、予想はしてたけど想像は絶してたね。チェ・ホンマンは確かに強いが、スタミナがなさ過ぎる。サップと張るスタミナしかない状態で決勝トーナメントに進むとどうなるかは、容易に想像がつくはずだ。今年は無理。スタミナを鍛えれば、来年以降の台風の目にはなる可能性はある。


ということは決勝トーナメントはレミー、バンナ、武蔵、シュルト、アーツ、セフォー、カラエフ、ホンマンか。バンナとセフォーを応援したいところ。少なくとも、三年連続同じ決勝というのは勘弁してもらいたい。  
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2005年09月23日

こう書いて見るとルールややこしいな

今日も今日とて怠惰な生活を送ってしまったためネタが無いので(カシンの人もそうなんだろうが新学期が待ち遠しい)、いつも通りゲームのレビューでやり過ごしてみんとす。

セブンブリッジのルールを知っている人は案外と少ない。断じてライアーの某ゲームではない。基本的に麻雀とばば抜きの合いの子のようなルールなのだが、そういってもさっぱりちんぷんかんぷんだろう。軽くルールを説明すると、手札を7枚ずつ配って残りを山札にしてスタート。最終的に手札が無くなれば勝ちである。とにかく手札を減らすゲームだ。

親から半時計回りに山札から「ツモ」っていき、アンコもしくは順子になったら場に出す。場に出して全員に見せるあたりが麻雀とは違うが、ポンやチーに関するルールは同じである。ただし、ポンやチーをした後でもさらに手札を一枚捨てなくてはならない(あがりのときは別にいい)。もう一つ違うのは、場に出されたアンコや順子に対して、誰からでもカンや階段をさらに増やすことができる。よってアンコができても早々に場にさらしてしまうのは利敵行為にもなりえるため難しい。なお、7は一枚で場に出せるため重宝する。ただし7を単独で出すときは、既に場に自分の他のカードを出していないと、認められない。

最初に手札がなくなった人が勝ち。残りの人は残った手札の数字を全て足す。それが点数になる。7を持っていた場合、合計点数が倍になる。また、上がった人がいわゆる天和(地和か人和)だった場合、敗者全員の点数が3倍になる。何度かやって、最終的に一番点数の少なかった人の勝ち。なかなか戦略性の高いゲームであり、流れを読む能力が必要という意味では麻雀と何ら大差無い。ただし役という概念が全くないのと、手札がなくなると勝ち、という辺りはどちらかというと大貧民かばば抜きであり、麻雀しかやったことない人は戸惑うかもしれない。

最近はルールの中途半端さからか、大貧民と麻雀にお株をとられちっともメジャーじゃないようだ。麻雀に入る前、すなわち年齢が一桁の頃は狂ったようにやっていた自分としては少々悲しい現実である。誰かルールを覚える気力があるなら、やってくれるとすごく嬉しい。しかし、いかんせんタイトルの通りだよなあ…  
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2005年09月21日

懐かしき日の話(現代文編)

○進予備校の現代文の講師に出□(伏字)というカリスマがいる。彼の文言はこうだ。「現代文は全て論理で解けます。だから論理力を鍛えましょう。」この言葉に代表されるように、彼の基本戦略は二つ。
・現代論説文のテーマ考察
・論理による読解
前者は同意できる。現代文に限らず、というより受験に限らずなんでもそうだが、元ネタのわからないままよんでも理解できるはずがないのだから。

だが後者は同意できない。美術にしろ音楽にしろ、芸術作品は理性と感性の両方を用いなければ完璧に味わうことはできない。まれにそういったことを拒否する作品もあるが、そういった作品があること自体がこのことの証明だと思う。いや、わざわざ芸術作品と区切ることは無いだろう。いかなる絵にしろ音にしろ、理性と感性の共同作業であることには変わらないのだから。

これは、文章してもしかりだと思う。理性のはたらきだけで読めるものか。小説や文芸論は言うまでもなく、一般的な論説文でもそうだ。たとえば、傍線部分について説明せよ、という「元」東大受験生にとっては見慣れていた設問を解くとき。まずは傍線部周辺の論理関係の整合から始めるのが定石だろう。接続詞や代名詞をチェックし、わかりやすく言い換えている場所や、正反対のことを言っている部分に目をつける。ここまでは理性の仕事だろう。しかし、ここで文章をまとめあげ答案にするという作業は、論理で行うことはできない。適切な言葉を選び、簡潔かつ密度の濃い文章に仕立て上げる作業は、感性の仕事である。一度彼が「人間の感情だって論理なんだから」と言ったときは苦笑しかできなかった。

K森教官が、「センター試験の現代文は現代文じゃない。選択肢だけを見て解いても8割は確実にとれるようになっている。あれはパズルだ。」と言っていたが、マーク式の現代文は確かに論理だけで何とかなってしまう部分が多い。だから、出□講師の言っていることは完全否定はできない。だが、あなたの方法で記述式は解く気がしない。なお、上のK森教官の言葉はこう続く。「実は東大の現代文は私が作っているんですが、だから全部論述式なんですよ。現代文はパズルじゃないんだから。」  
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2005年09月19日

第21回「文科系必修研究生活術」東郷雄二著 夏目書房

前回紹介した論文作成術のシリーズ。出版はあちらより早い。だが読む順序は明らかに逆だろう。向こうは卒論を含めた論文の書き方に的を絞っているのに対し、こちらは大学院生を主な対象とした、研究生活全般に言及している。その分、内容はさらにニッチだ。よく売れるHow to本というジャンルにしても、ニッチすぎてよく売れたと思う。

内容はもっと具体的だった。何せ研究生活全般にかかわっているからだ。しかし、いかんせん基本的には研究活動=論文作成であるため、「論文作成術」とかなり内容がかぶっていたのはショックだった。それでも研究者を志望しているものとしては、学会の様子や論文作成以外の活動等の説明があってとても喜ばしい。だが、やはり前述の通り、文系の研究職希望者以外には、必要の無い本だろう。その意味で、お勧め度は低い。わかりやすい、いい本ではあるが。

あともう一つケチをつけるなら、やや古い。刊行は初版2000年。「文系のコンピュータ活用術」を説明されても、だいぶ状況が変わってきてしまっている。個人的には再版を望む。


東郷式文科系必修研究生活術
  
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2005年09月14日

どこらへんが蜘蛛なのか

相変わらず目立ったこともなく、進振り結果発表もネットと友人頼りで東京に戻ってないので書くことが無い。でも基本的には毎日更新したいので、毎度のウィンドウズデフォルトゲームを語ってごまかしてみる……が減ってきたな。今回でラストくらいか。

酉を飾りますはスパイダソリティア。フリーセルに飽きた人が行き着く終末の地と言われている。難易度は最高峰。特に上級は、得意という人を見たことが無い。まさに終末の果て。

このゲームの難点は、やりづらさ。そう、敷居が果てしなく高い。ソリティアやマインスイーパはやったことがあっても、スパイダをやったことが無い人は多いのではないだろうか。そう、99%の人は普通のソリティアやフリーセルを経験してしまっている。この二つは、トランプの並べ方が共通。そしてスパイダは、トランプの並べ方が全く違うのだ。しかし、かといって他のゲーム未経験のままスパイダに突入しても返り討ちに遭うと思う。やはりカード移動の基本はソリティアにあるわけで、いきなりスパイダは頭が混乱する。どっちにしても、敷居の高いゲームだ。

ここで初級をやってみてくれた方は、あまりの簡単さに拍子抜けするはずだ。ルールさえ知っていれば、誰でもクリアできる。そして次に中級にチャレンジしてみよう。あまりの難易度に愕然とすること間違いない。クリアできたとしても、自分の費やしたあまりにも無駄な時間に愕然とする。なぜ自分はこんなゲームに30分も費やしてしまったのか。もしくは途中で諦めるかもしれない。それが賢明だ。そして上級を開いてこう思うだろう。「こんなのクリアできるわけがない。」

スパイダもう一つの恐怖は、フリーセル以外のゲーム全てに共通するのだが、確実にクリアできるという確証が無い。どんなに堅実にやっていっても、どこかで詰む可能性に、常にさいなまれる、この恐怖感。しかし他のゲームとこのゲームの違いは、この難易度でこの理不尽さなら、なんだか仕方が無いか、と思わせられるところにある。

以上のように、このゲームは他のゲームのように、とりわけフリーセルとは違って、お勧めはできない。闘志を掻き立てられた人、もしくは暇で死にそうな人、フリーセルやマインスイーパにはいい加減飽きたけどなんとなくやってなかった人、マゾヒスト。以上の条件に当てはまる人ならやってもいいかもしれない。

ちなみに現在、自分の成績は初級勝率100%、中級(通産)60勝34敗、上級は1勝5敗である。ちなみに上級の1勝はなぜか初プレイで、残り5敗は実力で勝ったのか確かめるためにやってみたところやはりまぐれでの勝利だったことが検証された証拠である。  続きを読む
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2005年09月13日

第20回「文科系必修論文作成術」泉忠司著 夏目書房

あまりこういうHow to本は好きじゃないのだが、ちょっと読んでためになりそうだったので購入した。中身はほんとにそのままHow to本だった。文系の学生がどのように論文を書けばいいのか説明している。

内容は意外と濃かった。概要にとどまらず具体的説明にかなり踏み込んでいるのが功を奏しているのだろう。特に、カテゴリー分けの重要さと、アウトライン・プロセッサという方法論は、これからの文章活動において非常に役に立つと思われる。

しかし具体的すぎて自分が読むのにはやや早すぎたというのと、ややおせっかいすぎるという印象はぬぐえない。そもそも文系の研究自体が理系に比べてあまり知られていないので、しかたがないというものか。実際、理系を選んだ理由は「理科が得意だから」が最も多く、文系を選んだ理由が「数学が苦手だから」が最も多いというデータもあるくらいだから。

それに対する愚痴はおいといて話をブックレビューに戻すと、文系の学生なら誰でも一読する価値はあると思うし、実際卒業論文を書くにあたってそばに一冊あると非常に便利だと思う。ただ、研究室で一冊あれば十分だと思うし、この内容に対して1900円は高い。買うべきかどうか聞かれたら返答に困るというのが、正直な感想。周りに持ってる人がいるなら、必要に迫られるたびに借りて読めばいいと思う。暇があるなら「文系って何やってるか謎」な理系さんも読むといいかもしれない。

なお、内容から言って「知の技法」や「新・知の技法」で代用可能。個人的には本書のほうが読みやすかったが、大差は無かったことを付記しておく。


泉式文科系必修論文作成術
  
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2005年09月10日

トンネルを抜けるとそこは

残念ながら白くはなかったが、雪国であることは間違いなかった。一泊二日で富山から帰ってきた。実に3年ぶりの富山だった。今回久々に北陸本線に乗って思ったのは、米原でずいぶんと風景が変わるということだ。北国はやはり、ものさびしい。例えて言うなら、東海が陽光降り注ぐ南仏なら、北陸はオランダかドイツ北部といったところだろう。とにかく、空が灰色でどんよりしている。

自分は実は転校するたびに南へ向かっているわけだが(東大へ行って初めて北に動いた)、だんだんと人々が陽気になっていったのがけっこうなカルチャーショックだった。そりゃあ、この空を見ながら育ったらおとなしく育つわな、と今更ながら実感した。携帯に写真がついていないことを、これほど悔やんだ日は無い。あの富山の、晴れているのか曇っているのかよくわからない、いかにも日本海的な空を見せてやりたかった。ともかく、境目は米原だった。考えてみると、米原から西は関西だ。いろんな意味でここは境目なのだろう。


今回の目的、一ヶ月遅れの盆ということで、金沢で墓参り。墓参りというか、金沢自体何年ぶりだろうか。先祖不幸でごめん。しかし、思ったより墓がきれいだった。親族は離散してしまっているが、けっこう皆来てるらしいことがわかり、なにやら嬉しかった。帰り、しらさぎ(富山→名古屋)を待っていると、昔飽きるほど乗ったサンダーバード(富山→大阪)がホームに走りこんできて、懐かしさのあまり乗ってしまいそうだった。乗ると明日、高校の文化祭に出れなくなるということが、自分を引き留めさせた。

北陸本線に新幹線が引かれるのは7年後くらいだそうな。なんか俺の住んでた10年前から似たようなことを言い続けてる気がするのは、気のせいだろうか。  
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2005年09月06日

12人で十分

昨日水滸伝のブックレビューを載せたわけだが、個人的にはあんまり好きじゃない。なぜかというと、一行で表すなら勧善懲悪のご都合主義だから。

勧善懲悪そのものがおもしろくないわけじゃない。そうじゃないと納得できない終わり方の作品とかあるしね。この場合は悪の側もかっこいいことが必定だけど、最初から役柄が決まっているかのように、悪役がかっこ悪い。一話完結の時代劇並。こうなるとご都合主義では逆に都合が悪くなるのも、想像していただけると思う。つじつまが合わなくなると、ご印籠よりひどい、個人の身体能力やありえない天変地異に頼るんだもんなあ。

中でもありえないのが、最後には今まで戦ってきた政府に介入され、自分達が政府正規軍になってしまうこと。物語的にはこれ自体に不自然さは無く、事情を知っていれば当然の流れではあるのだが…だったら今までの戦いは何だったんだ、となってしまう。

が、一番の原因はその冗長さ。いかに吉川英治が明快な文章で書いても、108人の人数がいては書ききれまい。はっきり言って、それぞれの英傑が梁山泊にやってくる経緯が同じすぎて覚えられない。8割の人が「役人or美女にだまされる→借金を負うor無実の罪に問われる→役人or美人局を誤って殺害してしまう→梁山泊へ」の流れに収まってしまう。がんばって書き分けようとしている吉川英治はすごい。一つ一つのエピソードはおもしろいのだから、もったいない使い方をしていると思う。

その意味では、同じく中国四大奇書の一つ「金瓶梅」は正しい。水滸伝の英傑の一人、武松のシナリオを詳しくしただけなんだから。武松の話も上の法則に当てはまって美女にだまされるというものだが、唯一、悪役がかっこいいので、一つチョイスするなら確かにこれがいい。

しかし、これらの欠点は元々は民間伝承だったものを纏め上げて作られた作品であるということを考えると当然のことだ。民間伝承なんて細部違えど似たようなものであることが多いし、なんだかんだ言っても中国一般庶民にとって今も昔も政府(皇帝)といえば絶対の権威だから最後は正規軍になるのもうなづける。そこら辺考慮すると、また楽しめるかもしれない。
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2005年09月05日

第19回「水滸伝」吉川英治著 講談社文庫

さて、今度は水滸伝である。こちらは吉川英治の味がよく出ていて非常におもしろい。水滸伝自体が善悪二元的世界なので、三国志と違ってそれでいいのである。両者の最大の違いはここだろう。

水滸伝は108人の豪傑たちが梁山泊に集まり、最初は山賊として民衆を苦しめる政府に反抗し、後政府に従って民衆を苦しめる他の盗賊や蛮族と戦う物語である。悪人が次々と成敗されていく様子は爽快感がある。

それに単なる戦争もので終わらせず、最後蛮族との戦いで仲間が次々と戦死、蛮族を追い返しつつも梁山泊のメンバーが壊滅する無常観は、日本人ならば涙無しには読めないだろう。

ただ水滸伝自体、三国志よりはおもしろく感じられないかもしれない。次々と仲間が集まっていく様子が単調で、戦争の勝ちパターンも毎回同じで単調だ。三国志は史実で水滸伝は創作ということを考えると、「現実は小説よりも奇なり」を実感してしまうかもしれない。


新・水滸伝〈1〉

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