2005年12月24日

第40回「ローマ人の物語7 〜悪名高き皇帝たち〜」塩野七生著 新潮社

政府を新しく創ったら大事なのは3代目、というのは日本史を見ればよくわかる話だ。鎌倉幕府は三代目実朝で血筋が途絶えた。室町幕府は三代目義満が最盛期。江戸幕府は三代目家光で鎖国した。それ以外にも世界史に目を向ければ「3代目が云々」というのはおもしろいくらいに出てくる。(中国史はなぜか2代目が多いが)なぜ3代目なのかというと、育ったときには平和だったからどうしても御坊ちゃまになるため、あたり外れが大きいのだろう。

ローマも例外では無さそうだ。「3代目」は非常に評判が悪かった。しかもその直後には知らない人はいないであろう世界史でも最大級の「悪役」ネロが控えている。雰囲気は3巻「勝者の混迷」によく似ているかもしれない。カエサル・アウグストゥスという二人の英雄の築きあげたものを継続するには、やや荷が重過ぎたのか。2、3人の悪政ではびくともしないシステムを構築した、先人が偉大すぎるのか。判断は難しい。

著者は同時代人であるタキトゥスの酷評を元に、この時期の皇帝が本当に愚帝ばかりであったのか検証していく。どうもところどころ欠点があるのは認めるとして、全面的に愚帝と呼んでしまうのはどうか。彼らに功績はなかったのか。

内容が内容なだけに、今までに比べてあまりおもしろくない。登場する皇帝たちがはっきり言ってぱっとしないのだ。しかし、文章力が衰えたわけではないので次に期待だろう。ここを読んでおかないと次の山場である五賢帝時代の認識があやふやになってしまう。


ローマ人の物語〈7〉― 悪名高き皇帝たち
  

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2005年12月21日

第39回「ロリータ」ウラジーミル・ナボコフ著 若島 正訳 新潮社 

(旧題 ロリータ)

積み本がたくさんある中、ちょっと前にナボコフの『ロリータ』を読み終えた。

これはすごい作品だった。一番驚いたのは、文中には一章として卑猥な部分が無いということだ。もちろん、物語に性交は出てくる。しかし、一行でその事実だけが伝えられるのみ。淡々と、ただ淡々と物語が進んでいく。にもかかわらず、主人公の異常な欲求に戦慄を覚えざるを得ない。彼の心情は理解できるのに、理性が反発する。圧倒的なまでの描写力。

ロリータと呼ばれることにドロレス・ヘイズだが、彼女に萌えられることがロリコンの定義とするならば、自分は全く違うと断言できるだろう。残念ながら、小悪魔属性は無い。だが、主人公がドロレスに惹かれていく様子は非常によくわかる。少しでも自分の中に小悪魔属性がある人は、読むと危険かもしれない。

この描写力は、ナボコフの言語感覚の鋭さに起因するんじゃないかと思う。最初の3行からして痛烈だ。普段「リ」の音のときに、舌が上の歯茎をなめることなんて意識しないのに、そのことを指摘されただけでなぜか「ロリータ」という発音に妙な違和感を発生させる。これを冒頭にもってくるところが、また憎い。

物語自体もやや冗長だが、起伏に富んでおもしろい。最後はとんでもないことになるし。割とどんでん返しだ。唯一の欠点は、カバー無しで読んでると怪しい人に思われるので、注意は必要なことか。

ロリータ
  
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2005年12月18日

第38回「銃・病原菌・鉄」(上下)ジャレド・ダイアモンド著 倉骨彰訳 草思社

なぜ人類は共通の発展をしなかったのか。具体的には、なぜ文明社会を持つ地域と未開社会を持つ地域に分かれてしまったのか。この壮大な問いに対し、生物学、地理学、言語学、考古学など、学際的にアプローチし、解き明かした結果、大陸の伸びる方向にほぼ全てが帰結する……。

このことを論証した、大著。一見するとトンデモ本だが、非常に科学的な手法でかつ平易な文章で詳細に説明している。具体例も豊富で、思わず納得してしまった。なにより、真に学際的。どれだけの切り口を持っているのだろうか。一見結びつかなさそうなものを、論理的に結び付ける。学問の真骨頂を見せてもらった気がする。

日本も登場することが多く、少々の誤解はあるものの、大筋間違ってはいないし、身近でわかりやすかった。やはり、日本の特殊性は際立つのだろう。その上で、この本では解決できない点、すなわち大陸の方向だけでは説明できないことはきちんと指摘して終わっているので、傲慢な感じがせずすがすがしく終われた。

しかし、この本の最大の欠点は、章立てを間違えたと思う。先に論証を済ませてしまった上で、具体例を羅列している。しかし、既に種は割れているため、読み始めてすぐオチが読めてしまう。だから、後半ものすごくだれた。その意味では、非常に読みづらい。なんなら、上巻と下巻の最初50ページ、それとエピローグを読めば十分だろう。

特に、地理に興味があるなら、必読だろう。文理の区別は、あまり必要ない本とも言える。どっちの知識も必要であるから。


銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
  
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2005年12月17日

テンペスト(後編)

見終わった瞬間眠くなったデレク・ジャーマンの「テンペスト」。めげずに今日もレポートの草稿代わりに考察してみんとす。まず、大橋教官が言っていたわけだが、監督のデレク・ジャーマン自身がゲイ。「ゲイ的演劇的センスが爆発している」らしいのだが、爆発しすぎて意味不明だった、というのが正直な感想。「シェイクスピア作品のアダプテーションというより(前衛)芸術映画として扱われることが多い」らしいのだが、おおよそにおいて芸術映画≒電波なわけで。

まず毎度注目のエアリエル。今回は白人男性で安心かと思いきや、やっぱりゲイ。で、今回はキャリバンもゲイ。というかこいつが最高にキモイ。常に「ゲハハ」笑ってるし、太ってるし。生理的に何かがヤバイ。原作には登場しない、キャリバンの母親のシコラックスも一瞬だけ登場するんだが、この女性も生理的にヤバイ。もちろん太ってらっしゃる。なんていうか、ヤバイ以外の形容詞を使いがたい。

こうなると全部疑わしい。キャリバンと行動を共にすることになる、ステファノーとトリンキュローもゲイっぽい。トリンキュローが原作と違って太っている。そういえば、前回見た南北戦争の「テンペスト」にはこの二人登場してないな。確かに考えてみると、大した役をしていない二人だから、必要ないといえばそうだ。これは比較した成果かもしれない。

プロスペローもどことなくゲイっぽい。というか若すぎて不自然。とても16の娘がいるとは思えない。ゲイ的センスといえば、エアリエルとファーディナンドという、作品でも若い男二人がしばしば裸体で登場する。そこまではまだ理解の範囲として、モザイクが時々ずれてナニが見えてしまっているのもゲイ的センスなのか。正直ゲイはもう飽きた。

さて、他の部分に突っ込みを入れてみる。まず基本的なところから。舞台は19世紀ヨーロッパの古城らしい。ただし、セリフはわりと原作に忠実。ときどき原作とは違うが。なんだかファーディナンドが原作よりも荒れっぽい気がする。これは仕方ないが、映像が古い。さすが80年制作。しかし、画面全体が暗くて見づらいのは芸術作品だからか。BGMも無い。テーマ的には最後の和解に重点を置いている。あそこだけ、やたら緻密で長かった。まとめるに、ゲイ的センスのためにいろいろ犠牲にした作品だなあと。まあこれで、完全に字数書けそうなので、今からがんばってみる。  
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2005年12月16日

ハイレベルな戦い

上野千鶴子VS船曳健夫の講演会「ホントに必要?駒場の前期課程」というのを聞いてきた。現場にはhenriもいた。全部書くとかぶるので、自分が感じたことだけだらだらと。

まず、上野千鶴子はさすがだ。論客としては、最強だろう。ただし、個々の問題に対して完璧な答えを用意するのが無敵、というのであって、けして総合的に見ると整合性が取れているわけではない。意外と自己矛盾していて、そこを船曳につっこまれている場面はママあった。

あと、ディベートとしては常套手段だからかまわないのだが、異様にアジテーションが多い。確かにこの講演会はディベートのようなものではあるが、やはり基本的には講演会、なわけであって。ジョークを含めるな、とは言わない。むしろいかなる内容の話にしろ、おもしろくなければ聞く気は起きないのは至極当然だからだ。しかし、必要以上のアジテーションは、ディベートならいざ知らず、講演会としてはどうか。中には経済学部や法学部の人もいただろうに、「簡単に卒業できる経済学部と『阿ホウ学部』は、また別の話ですよ」というジョークは正直どうかと思う。

対して船曳は、この場があくまで講演会であって、ディベートではないことを逆手にとっていた気がする。まず千鶴子の論理を「それは理想論だよね。それを実現するならまず金を用意してよね」と切って捨ててしまった。

そしてディベートにおいては個人によって判断の着かない材料は、それこそアジテーションにはなっても論理的な点数には結びつかない。が、彼が「(文学部のような)学部は技術ではなく人間的な魅力を磨くところだ」と言い切ったのは、すごいと思う。「人間的魅力」は、数値化できない。当然、個人によって判断基準は違う。ディベートとしては大失点だが、この場ではぎりぎり反則技ではない。実際問題、千鶴子は「人間的魅力は数値化できないので、社会学では扱わない」という逃げ方しかできなかった。

上の船曳の論理からもわかるように、どうも論点が「駒場VS本郷」から、「虚学VS実学」にずれていったような気がする。実学の観点から見れば「ディシプリン(学術的方法論)を習得させることが大学の目的だから、虚学はちんたらやりすぎだ」ということになるだろうし、そうすると当然駒場は必要ないわけで。虚学の観点からすれば「そういう問題じゃなくて、人間的修養が重要」となり、駒場的デカダンスをつぶすのは惜しいということになる。当然かみ合わない。

もちろん虚学側が文化人類学者の船曳で、実学側が千鶴子だったわけだが、実際文学部なのは千鶴子で、むしろ実学も虚学もどちらも内包する教養学部に所属しているのが船曳というねじれ現象。やっぱり行動文化学科は、文学部じゃないと思う。というよりも、千鶴子は文学部ではない。すばらしいのは最後をうまく閉めた山本副教養学部長。「結局実学中心主義的な世の中が悪いんだよね」と、遺恨が残らないように話をまとめたという功績をたたえたい。さすが、副学部長は違うな、と妙に感心した。その辺が「副」たる由縁なのかもしれない。  
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The Tempest

とかなんとか言いつつ眠気に負けて映画を見終わったところで寝てしまった。仕方が無いので朝更新とかしてみようと思う。テンペスト2作を鑑賞した。英文学のレポートの草稿も兼ねて報告してみる。

一作目は、1988年制作。監督はジョン・コリー…らしいのだがこの人もこの映画も、どれだけぐぐっても出てこない。(ジョン・コリーのほうは唯一手がかりになりそうな情報が、最近ラッセルクロウ主演の映画「マスターアンドコマンダー」の脚本をやっていたとのこと。)当然教官のリストにも載っていない。レポートに書いていいのは教室で紹介したものだけらしいので、これは使えない。もう一作見る必要があるようだ。しかも制作BBC、協力NHKなのに、発売ポニーキャニオンって何だろう。ひょっとして無名?というか何で渋谷のツタヤに入ってたのか気になるところだ。映画界の神秘に触れてしまった気がした。

内容はいたって普通。原作に忠実にストーリーが進んでいく。ミランダもそこそこかわいかったし、ファーディナンドもかっこよかった。この映画を見た最大の感想は、いままでずっと女だと思っていた風の妖精エアリエルが男だったという衝撃の事実だ。それだけならまだいい。しかも黒人男性。そしてゲイ。動きがなまめかしいんだよね……致命的なのは、妖精たちが集う宴のシーン。さすがに女性も出てくるのだが、なんでお前ら皆太ってるんだ。ギリシア美人とでも言いたいのか。んで、男ども。さすがにゲイかどうかまではわからなかったが(あまりに出番が少ないので)、なんで皆動きがなまめかしいんだ。これがゲイの美学ってやつか。いろいろ超時空な作品だった。


二作品目。1998年制作。ジャックベンダー監督。こちらは割りと有名な作品らしい。舞台は原作とは大きく変わって南北戦争時のアメリカ。89分と短く、しかも序盤ちんたらちんたらしてるので期待はずれかなと思いきや、後半けっこう面白かった。なにより、テンペストを基礎にしつつも当時のアメリカの奴隷制度の問題を絡めて論じているところがおもしろい。原作では黒人はキャリバン一人だったのに対し、この作品ではエアリエルが黒人、キャリバンがむしろ白人になっているのにもメッセージを感じる。あ、今回のエアリエルは黒人男性でもゲイではないのでご安心を。

原作ではプロスペローの魔力が強すぎて一方的に話が進んでいくところに、「銃VS魔法」という二項対立を設定して物語をわかりやすくしているのも興味深い。この作品、原作のテーマである「和解の精神」と「奴隷問題」、加えて「信じる力」と3つもテーマを設定していてしかも重層的に絡んでいるので、物語自体は原作よりもストレートにしないと89分に収まらなかったのではないかと思う。だったら時間長くしろよ、と思わんでもないが。89分でだいぶ短くないか?何よりミランダが美人だったのがよかった。なんせこの作品、ミランダ以外の女性がほとんど出てこないむさい作品だから、とオチにしてしめておく。  
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2005年12月13日

第37回「われら」ザミャーチン著  川端 香男里訳 岩波文庫

(旧題 ザミャーチンって発音しづらい)

怠惰な一日を送ってしまった。毎日怠惰じゃないかと言われればそれまでなのだが、やっぱり怠惰とデカダンスには大きな違いがあると思う。デカダンスは、言うなれば能動的な怠惰なのであって、単なる暇つぶしや惰眠ではない。その意味で今日はデカダンスではなく怠惰であった気がする。

一つやったことといえば、ようやくザミャーチンを読み終わった。わかったことは、自分にSFは向かないということだ。普段の現実を舞台にした小説ならどうでもいいような、またファンタジーなら逆にどうでもいいようなほころび、現実との矛盾がどうしても気になるのだ。

やはり現実の世界とは秩序だっているのであって、そこに何かを追加しようとするから不具合が起こるのだと思う。何か不自然な現象を起こしたければ、根本から土台ごと変えたほうがいい。正直自分でもこの指摘は重箱の隅をつつくことに似ていると思うのだが、勝手ながら気になるものは気になるもの。読んでいてずっと腑に落ちない感情が支配していた。

また、これは「われら」に限ったものだろうが、読後の爽快感が無かった。終わり方が中途半端すぎる。後はご想像に任せる系なんだろうが、どう想像を働かせても何が言いたかったのかわからない。そして「作者の言いたいことを読み取らなくてもいいんじゃないか」という前衛芸術系かというと、そういうわけでもなさそうだ。いろんな意味でよくわからない。

われら
  
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2005年12月12日

上野の美術館は化け物か

gundamそういえば書いてなかったが、こんな企画もあったんだよという記録も兼ねて書き残しておこうと思う。

土曜日、地元の連中といっしょに上野の森美術館でやっていたガンダム展に行ってきた。まず驚いたのは混み様。普通の印象派展とかと変わらなかった。これは以外ではないといえばそうだが、女性が多かったのは意外だったと言って差し支えないだろう。種の影響であることは間違いない。

展示自体はまずまずだった。時間の都合が合わず「ニュータイプ測定検査」に参加できなかったのは残念だった。目玉であった1/1コアファイターは、思っていたほど大きくなかった。むしろ他にもユニークな作品がたくさんあった。ニュータイプが感応したときに出るいわゆる「ピキュピーン」があったのには笑った。友人たちがグッズをいろいろ買っていたのを見ると、連れてきて良かったなと思った。

今回最大のポイントは、音声ガイドがアムロの声優さんだったことだろう。いつもは借りない音声ガイドだが、今回ばかりは借りてしまった。おもしろかった。というか久しぶりにアムロの声を聞いた。シャアの中の人もゲストで出てきたが、今「池田秀一の声を聞くと議長の声にしか思えない」というのは共通意見だった。けっこう凹んだ。なかなかこのような企画を立てるのは難しいと思うが、またやってほしいと思った。Zあたりで。
  
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2005年12月11日

第36回「聖なるものと永遠回帰」湯浅博雄 ちくま学芸文庫

聖なるものとは何か、人間はそれを経験しうるか、ではいかにして?この問いに対し、バタイユ・ブランショ・デリダを用いて答えようとする。この3人、思想がわりと似てるので組み合わせやすかったのだろう。他にもプルースト、レヴィナス、ニーチェ等の思想が登場。メインではないが、比較のためにハイデガーやヘーゲルの思想も出てくる。この問いから発展して、同一性と差異や、時間概念、政治理論、経済理論、芸術論など、様々な場面に言及していく。

すごく哲学してる本である。哲学が好きなら読んでみるといいだろう。自分はこの本でバタイユが好きになった。彼の宗教観や人生観、恋愛観はすごくおもしろい。また、各哲学者の思想を引用しつつも、基本的には筆者の論理で話を進めていて、総合してみるとけっこう独特である。これはこれで一つの思想体系といえるかもしれない。

しかし、お勧めできるかというと、少々疑問。哲学系を読みなれている人ならけして読みづらくないと思うのだが、同じことを言い換えて繰り返しているため、途中で飽きてくる。明快な論理の運びではなく、行ったり来たりしている。あと、当然ながら、相当の予備知識を求められる。特に「失われた時を求めて」を読んでいることは前提らしく、さっぱりわからない部分があった。


聖なるものと〈永遠回帰〉
  
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2005年12月06日

詩人とは何の関係も無い

Pissarroようやく都美のプーシキン美術館展行ってきた。割りと有名ではない美術館なのに(俺も知らんかった)、人が超多かったのはやはり印象派中心だったからか。そもそも都美が混みやすい構造というのもあるが。あそこは広くて常設展が無い分、常に特別展を数種類やっていて、しかも二科展の応募作品だったりしてぶっちゃけ人気が無い展示が多い。そのせいで人気のある展覧会に人が集中するために、敷地の割りに混みやすいのだろう。中も回廊状だしね。

なんだかんだ言っても自分も日本人なわけで、当然印象派は好きである。しかも、ピサロ(上の作品)とかシニャックとか、モネやルノワールに比べて有名度で劣る画家たちの作品の秀作が置いてあったので嬉しかった。点描は好きだ。あと、フォーヴィスムを正直ちょっと見直した。あの迫力は、実際見てみないとわからないものだと思う。

展示の順番の工夫はほめていいと思う。工夫というか、単に時代順に並べただけだから、むしろ展示作品のチョイスをほめるべきか。ともかく、印象派からフォーヴィスムへの流れが非常にわかりやすかったと思う。あまり知識の無い人でも理解しやすかったのではないか。展示の一つ一つに詳しい解説が付けてあるのも好印象だった。大抵は大作か有名な作品にしかつけないものだ。この労力を考えると、料金の高さはうなずける。ただ、さすがに疲れていたときもあったのか、投げやりなのも2,3点あってちょっと笑えた。

混んでることと高いこと以外は欠点が見当たらないので、是非。あ、最後に再認識したこと。やっぱりゴーギャンは変態だ。  
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2005年12月05日

マルコヴィッチの穴

ジョン・マルコヴィッチを知らないとどうしようもないわけだが、まあ有名で気難しいアメリカの俳優さんだと考えてくれればかまわない。

この物語は、うだつのあがらない主人公が入社した会社で、マルコヴィッチの脳内と直結しているトンネルを発見するところから始まる。突拍子も無い発想で、よくこんなアイデアがひらめいたなと思う。加えて、単純な設定かと思ったら意外と練りこまれた設定で驚いた。SFと言っていいかもしれない。

どこを離してもネタばれになるので大したことは書けないのが残念だが、これは非常におもしろい。全く先の展開が読めないわけではなく、後から考えるとけっこう伏線だらけだったりするのだが、驚きの連続で飽きないだろう。人間の意識とは何か?という命題を扱っていると聞くとお堅い内容に思えてくるが、ユーモアで装飾されているのでそうは感じさせない。

しかし、よくマルコヴィッチがこの映画を許可したなあ、というのが、一番の感想だったりする。

以下、ネタばれ。白抜きにしてある。  続きを読む
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2005年12月03日

第35回「図解雑学 現代思想」小坂修平著 ナツメ社

有名な図解雑学シリーズの中から一冊。わかりにくい現代思想をわかりやすく図解しようとがんばる努力は認められる一冊である。しかし、わかりにくいものはどうやってもわかりにくかった。

そもそも現代思想はわかりにくくて当然なのである、とエピローグで開き直っているが、その通りである。わかりやすさ、すなわち大衆性への反発から生まれた思想体系なのだから。現代思想の基本は、ナチズムやスターリニズムといった「全体主義」の徹底否定である。なぜこれらが成立しえたかといえば、そのわかりやすさ故に大衆が支持したからであり、大衆こそ近代主義が生んだ欺瞞である。現代思想は思想家によって中身が大きく異なるが、このようなことを前提としている点では共通しているのである。

現代「思想」であって、「哲学」とは言い切っていないところがまた特徴的だ。「哲学はニーチェで終焉した」という人がいるが、自分はそうは思わない。しかし、確かにこの思想体系を哲学でくくるのは乱暴だ。言語学が混ざり人類学が混ざり心理学が混ざり…主は哲学なのだが、他の学問からの影響を大きく受けている点で、確かにニーチェ以前の哲学とは画している。だから「思想」と称しているのだろうし、この混ざり具合がさらに現代思想を複雑なものにしていると思う。

まあそれでもこの本はがんばったほうだ。今まで読んだ現代思想の概説書ではわかりやすいほうだった。全般的に哲学を知りたい方は「ソフィーの世界」か、「図解雑学 哲学」がいいと思う。この本は本当に「現代思想」しか解説していないので。あと、現代思想の一部である構造主義については、「図解雑学 構造主義」という別の本が出ているのでそちらも参照にするといいと思う。というかこっちのほうが全体的にわかりやすかった。大抵の本屋で並べて置いてある。ひとまず自分はこの本でバタイユとフーコーに興味を持ったので、今度そっちを読んでることにする。

図解雑学 現代思想
  
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