2007年04月30日

二周年記念:百合についての考察から出発して

二周年記念があれだとあまりにもさびしいので何か書いておこう。私は以前「ヲタクとは究極的に少女になりたいのだ」と書いた(正確にはta-kiのブログ上でだが)。そしてまた「自分が何か作品に触れるとき、それは第三者視点であることが多く観点も唯美主義的であることが多い」とも、何度かこのブログ上で書いている。

この二点こそが、私が百合スキーであることの説明になっていると言えるだろう。目の前で美少女(無論二次元に限る)が複数人でいちゃいちゃしているのを見るだけで、すでに幸せになれる。それはあまりにも耽美な光景であり、男などという穢れた存在は必要の無い空間が構成されている。

やはり自分の入りは、(ヲタとしてはラブひなとKanonだろうが)百合に限ればマリみてだったのだろう。あの作品が多くの人にとって優れていた点は、紅なら裕巳、白なら乃梨子、黄なら由乃が割と男性視点に近い役割を与えられているということだ。裕巳ちゃんは庶民代表で、乃梨子は仏像ヲタだったりパソコン使ったりで一番我々に近い。よしのんは最もギャルゲにいそうな(元気系の)キャラという意味ではその通りだろう。そしてそんな中性的な彼女らだからこそ、逆説的に「究極的には少女になりたい」我々には、特に少女らしく見える。ちなみにその中でも自分が特に白薔薇さんちが一番好きなのは、まあ一番ガチガチな百合だからだろう。意外にも紅薔薇が一番ドライな関係な気はする。

東方シリーズのおもしろみは設定の緻密さ、すなわち弾幕の名称や形状と音楽の絡み合いにあるとは思うが、百合的カップリングが半無限的に製造可能な幻想郷という設定でなければこんなに深入りしなかっただろう(ちなみにパチェとレミィの組み合わせが一番好きなんだけど異端だろうか)。アカイイトもあれの真のおもしろみは叙述トリックを最大限生かしつつ、かつビジュアルノベルの大枠は破壊していないというメタ的なおもしろさだと思うが、それもやはり遠野を思わせるような(それこそ幻想郷のような)場所での百合という神秘性が無ければひきたつことは無かっただろう。


そう、結局のところ「越えがたき」境界であるがゆえの神秘性、美しさが自分の感性の基盤になっているのだ。百合ではなくて単体の女性で見たときの自分の属性も、神秘性であった。

しかしこの不可侵性は、自分にとってヲタク趣味以外においても発揮されていると思われる。神秘性この越えがたき壁は、けして越えてはならない。むしろ越えようとしても行けない。だからスポーツは観戦するだけで自分からはやろうとしないし、小説も読むだけで書かないし、音楽も聴くだけ、美術も見るだけ。全て受動である。この点「実践しなければ本質はわからない」と主張するta-kiとは全くの対極に自分はいるのだろう。


実践主義は間違っていない。むしろそれは正しい。だがそれでも、自分は受動のみの視点だからこそ見えてくるもの、絶対的な領域の外側にいる人間だからこそ見えてくるもの、それを大切にしたい。そこを基盤にして、全てのものを「観察」することが出来れば、それは幸せなことだろう。
  

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2007年04月15日

第99回「ローマ人の物語15 ローマ世界の終焉」塩野七生著 新潮社

『ローマ人の物語』もとうとう最後の巻である。しかし不思議と13巻や14巻で感じた寂しさは無い。やはり自分にとってここに描かれている国家は感覚的にローマではないのだろう。なんというか、全然見知らぬ国が愚策に愚策を重ねて勝手に滅びていくのをただ眺めているだけ、という感じだった。

どこまでを「ローマ人」と塩野女史が設定するのかが読む前の最大の関心事だったのだが、それはユスティニアヌスまでであったらしい。ユスティニアヌスの死をもって、この本の終わりとなっている。とは言っても読んでみると実際には彼女が最後のローマ人と設定したのはこの本の1/3を過ぎたところですでに死ぬ、スティリコという将軍であった。つまりそこから先は彼女にとって、エンディングスタッフロール後のおまけのようなものであり、描く気はあまりないけど尻切れトンボなのも気持ちが悪い、という程度で書いたものだったのだろう。ずいぶん駆け足な上に「ローマ人らしからぬ」という言葉ばかりである。

『ローマ人の物語』がすごいのは、何より完結したということである。それもいくつかの信条を保ちながら。けして研究書ではないながら長大でかつ含蓄があるという点では、彼女が参照にした古代の歴史家の著作によく似ているのではないだろうか。プリニウスもタキトゥスも、きっと満足なことだろう。



ローマ人の物語〈15〉ローマ世界の終焉
  
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2007年04月13日

京アニ版Kanon

「この曲は、Kanon。パッヘルベルのKanon。同じ旋律を何度も繰り返しながら、少しずつ豊かに、美しく和音が響きあうようにになっていくんです。」

14話の佐祐理さんのこの言葉が全てを表している気がする、と某アニメ評論サイトで読んだがまったくその通りだと思った。一ついえることは、ゲーム版(及び前回のアニメ版)のKanonにトラウマがある人ほどそれを払拭するためにこの作品を見てほしい、ということだ。ゲーム版はやる気にならないけど古典として触れる必要がある、という割と新しいヲタにもいい機会となるだろう。

以下、原作の超ネタばれ(アニメのネタばれは無し)。


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2007年04月10日

もう今眠い

早朝6時に起きて、ひかりに乗って豊橋を出発。我ながらよく起きれたもんだ。豊橋市民的には常套手段として有名なひかりなので、さすがにそれなりに混んでいた。東京に着いた後、まだ教務課が開く時間には差があったので地下鉄には乗らず、上野駅まで京浜東北で行ってそこから東大まで歩くことにした。

上野公園の桜はさすがに散っていたが、まだ少し残っていたのが逆に風流だった。むしろ桜の足元で多分杜若が咲き始めていて、まだ一ヶ月ほど早いだろうと驚いた。やっぱ今年は2〜3月が異常に暑かったんだろうか。

ところで、杜若かどうかは割りと自信が無い。アヤメか杜若か菖蒲かなんて、正直見分けがつかない。色が薄くて(濃いほうからア>菖>杜)、花に模様が無かったから(アヤメは紫地に白い線)、多分杜若であってると思う。これで、この三つ以外だったらもうどうしようもないが。そのうち別の記事で花札について書くつもりだけど、花札の6月も「菖蒲に八橋」と言われているが、実は描かれている絵はアヤメで、実際八橋に生えているには杜若(在原業平で有名な)、というここでも勘違いの連鎖が起こっていておもしろい。

東大に着くと、ちょうど教務課が開いてくれた。成績表とシラバスを受け取って美術史の研究室へ。成績表を眺めると、大方優が取れていて安心した。何より小川先生が優をくれたのが意外すぎる。ゲーテが良だったけど、あれはもう仕方が無い。むしろ優なんてとったら、henri他の受講生に悪すぎる。あとは現代ダンスが良だったが、それも仕方ないだろう。

次にシラバスを見て、いろいろ悩む。卒論を控えていることを考えるに5〜7コマくらいに抑えたいが、興味がわいたのに全部チェックをつけると11コマになって、ここから半分に減らすには相当厳選する必要がある。どうしたもんやらと考えていると、ドクターの某M氏が「………単位が足りてるなら履修届に書かずにもぐりでいいんじゃないか。」とあきれたようにぽつんと。いや、目から鱗でした。

その後、M氏とロマン主義トークで盛り上がった挙句、卒論についていろいろ指導を受ける。「6月までが史料集めで、夏休みまでにそれに目を通して10月から執筆」が一般的な流れなんだとか。そしてようやく待ち人が来て、用事が済んだので帰宅。安請け合いでとんでもない重要作業を任されてしまったんだが、自分がやって大丈夫なんだろうか。


そんなわけで、来週にその11コマを、とりあえず全部出てから考え直そうかと。まず美術史or美学専修の人以外とはまったく重ならないとは思うけど、一応その11コマを下に羅列してみた。一人で出るの寂しいんで、重なってたら御一報ください。あと、ストーカーしてくれるようなヤンデレ募集t(ry  続きを読む
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2007年04月09日

応援グッズゲット

8日の中日・横浜戦を見に行った。さりげなくナゴドは初めてだったり。(東京ドームはあるんだけど)チケットは某友人SY君から根回ししていただいたので、大変いい席でした。近くてびっくりした。

この日の先発は中日・中田、横浜工藤。中田は初回先頭打者の仁誌からいきなり四球でげんなり。しかし直後、井端・荒木の見事なショートゴロゲッツーを見て感動。その裏、ドラゴンズは1安打で1得点という、中日らしすぎる点の取り方で先制。

2回以降も中田はきっと翌日の中日新聞に「毎回のように走者を背負いながら」と書かれるんだろうと容易に予想がつくような状態で、見ているほうは不安でしょうがなかった。それでも無失点で7回まで切り抜けたのは、成長の証か横浜の失策か。どっちにしても横浜は拙攻すぎた。

工藤のほうは悪くなかった、生で見ても奴のカーブはすげぇと思った。ただあまりにも中日打線の調子が良かったのと、相川走られすぎ、そして盗塁された後動揺しすぎ。我らがビョン様の流し打ちも感動した。ものの見事に全部レフト方向で、横浜の野手陣の意識をずらした第四打席でセンター前にタイムリーかっこよすぎる。

沢井をそろそろ育てていきたかったか、S・ラミレスの様子を見たかったか、まあそのあたりだろう、落合監督に何か考えるところがあったのだろうが、中田を完投させてあげたかった気はする。8回は球威が少し落ちてはいたが、9回も1失点くらいで切り抜けられたと思う。結果的にS・ラミレスは炎上したので、阪神戦でこうならなかったのを予防できただけ、よしとするか。

そういえば、沢井が代打に送られたせいで生立浪は見れずに終わった。それだけ少々残念である。  
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2007年04月07日

弱点はチームカラーなので

今年の中日はオープン戦がぼろぼろだったけど、開幕したら強いんだろうなと思っていたらやっぱり強かった。打線はつながりまくってるし、投手陣は健在だし。特にリリーフ陣は相変わらずとしか表現できない。新外国人二人もすごくいいし。

びっくりなのは、打線だとやはり森野。生まれ変わりすぎ。マジ三冠王目指してがんばってほしい。荒木も井端も心配してないし、ウッズと福留はどうせスロースターターなので、8月くらいまでは期待してない。谷繁に至っては、もうなんかいてくれるだけでいい。谷繁の打率が1割台だからって怒る奴は中日ファンじゃない。

一番心配なのは、意外にも先発陣かもしれない。川上はここまで2試合、今ひとつの内容だし、朝倉は昨日思いっきり崩れた。中田・昌・長峰はまあいいとしても、6人目が不在で明日・明後日誰を持ってくるやら。中田を中5日はいいとして、残り二人を中5日で使うのはかなり不安である。

あと、個人的な要望としては、やはりサードは森野じゃないかと。ノリでも文句は無いのだが、レフトが森野ってのは英智や井上がいるのにもったいない。というか、ノリは短期間しか持たない気がするので、立浪と一緒に代打で使っていくのがいいのではないかと思う。ただ、今年に入って森野のレフトの守備が格段にうまくなってて、英智は別格にしても(英智はバッティングが(ry)井上と比較しても遜色なくなってるから、まあ現状の守備位置なんだろうけど。結局、ノリの加入で一番割りを食ったのは井上、ということだ。

勝ち越しておいてなんだが、今年は阪神はもちろんとして、巨人もけっこう怖い気がする。逆に去年に比べて全然怖くなくなったのがヤクルト。まさか三連勝させてもらえるとは思わなかったが、確かに打線に迫力がゼロ。

短期決戦の苦手な中日だけど、とりあえずポストシーズン目指してがんばってほしい。今年も応援している。  
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2007年04月02日

弟98回「ランスの大聖堂」ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳 ちくま学芸文庫

ジョルジュ・バタイユの短編著作集。短編だからわかりやすいかというとそうでもなく、どっちかというとわかりにくかった印象がある。ただでさえ支離滅裂なところがあるバタイユの文章を短編で読むことに無理があるのだと思う。

そんな中注目すべきはやはり表題にもなっている『ランスの大聖堂』である。これはこの短編集の中でも飛びぬけて若いときに書かれた文章で、第一次世界大戦でランスの大聖堂がドイツ軍の砲撃にあって半廃墟と化したのを見て衝撃を受けた、という一見すればなんとでもない文章である。

しかしそこには後のバタイユの思想通り廃墟への魅惑されていて思想の端緒が見える。その一方でドイツ軍に激しい怒りを燃やしており、後のバタイユとの違いも垣間見られておもしろい。第二次世界大戦時のバタイユも確かに反ファシズムで動いてはいるのだがそれは彼の政治信条から来るものであって、フランスへのナショナリズムから来るものではなかった。若い頃は誰しもかぶれる道、ということか。

他にも知っている人ならにやりとできる短編もあるが、入門編としてはお勧めしない。というかこれを読んでバタイユは難しいなんて誤解されるのも、ファンからすれば嫌な話だ。


ランスの大聖堂
  
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2007年04月01日

エイプリルフール2007跡地

昨年の秋頃某日、ベルギーの国営テレビ局が「ベルギーが二つに分裂した」と架空のニュースを伝え、一時、問い合わせが殺到するなど大きな騒ぎとなった。

ベルギーの国営テレビRTBFは、通常番組を突然中断して緊急特別番組を始めた。「フラマン地域が独立を宣言します。ベルギーという国が存在しなくなります」(ベルギーRTBF)この架空の話を伝えたのはいつものニュースキャスターで、さらに王宮前からも本物の記者が「国王が国を離れたもよう」などと中継。これが架空の話だという字幕が出たのは、番組開始から30分後だった。

ベルギーではフランス語圏とフラマン語(オランダ語の方言、フランス語とは全く違う)圏で分離論争が度々起きていて、この話を信じた視聴者から問い合わせが殺到した。 面倒なことに、首都ブリュッセルは地理的には完全にフラマン語圏なのに、フランス語話者が多い。まるで東独の中の西ベルリンのような状況がここ200年ほど続いている。

首相府などは「公共放送なのに無責任だ」と非難しているが、テレビ局側は「必要な論争を巻き起こすうえで役に立った」と主張している。



この話を聞いたときに思った。どうせなら、エイプリルフールの日にやればよかったのに、と。




以下、去年と同様。残しておきます。  続きを読む
Posted by dg_law at 05:54Comments(0)TrackBack(0)