2008年09月29日

やはり上位の行司ほど保守的なんだろうか

星だけ見れば順当に終わったように見える場所だが、その実やはり手付きの厳格化にとことん振り回された場所でもあった。待ったが多すぎて仕切りの時間を短縮した結果、普段より早く終わってしまうなど運営側にも大きな戸惑いが見られた。場所明け真っ先にやらなければならないことは行司と審判団の意思統一である。特に番付上位は手を付かなくても見過ごされる場合が多く、不公平感が募った。安馬なんかは最初ちゃんと手を付いていたのに、上位陣同士の取組ほどチェックがいい加減なのを確認してから次第に普段の取組に戻っていった。完璧になめられている。幕内下位となると一転して厳しく、途中で放駒審判長にむっと来たこともあった。整合性だけは、なんとしても取り戻して欲しい。

各力士評。優勝自体は順当。ただ、朝青龍はもう少し気合を出すと思っていた。今の朝青龍と七年位前の、関脇時代の朝青龍を闘わせたらどっちが勝つかわからない、というレベルで力が落ちている。まだ再起のできる年齢ではあるが、それは果たして九州場所か、それとも来年の初場所か。白鵬は文句なし。一敗はしたが、まあ人間だから不覚を取るときもある。それも相手が稀勢の里なら尚のこと仕方が無い。

琴光喜はよく11勝したと思う。本来はそれが大関の責務ではあるのだが、今の状況では難しかろう。やはり今の大関陣では彼が最も安定しているということか。琴欧洲君にはがっくりですよ。異様に強いときと弱いときがあるが、弱いときにはやはり内股になって脚がそろっているため立ち合いで勝敗がわかる。千秋楽の千代大海戦は星の貸し借りが見え見えで萎えた。貸し借り自体は否定しないが、もっとうまくやってほしい。千代大海が組んだらあからさますぎる。カロヤン君には来場所二桁勝利を義務付けたいところ。魁皇と千代大海については特に言うこと無し。九州場所に凱旋できて良かったね、としか。九州人はもっと千代大海も応戦すればいいと思う。

今場所の安馬は本当に強かった。身体が軽いまま攻撃力が増したので相手が全くついていけていない。その分守勢に回ると弱そうだが、それは来場所真価が問われるところである。二日目の鶴竜と十四日目の豪栄道は完全に不覚といった感じで、正直白鵬以外全勝でもおかしくない内容であった。ただ、前述のように後半に行くに従って立ち合いが汚くなっていったのには閉口した。あと、煙草はやめましょう。身体に良くないというか、相撲に良くない。

把瑠都はまさか勝ち越すとは。しかも負けたのは二横綱三大関だから、取りこぼしは少ないと言える。北の富士勝昭さん曰く稽古嫌いらしいが、稽古してほしい。引き癖を直せばまだまだ強くなる。琴奨菊は今場所、がぶっても負けるという場面がしばしば見られた。体調が悪かったようだが、来場所は再起してくれるだろう。稀勢の里はまだ迷いが見られる。彼が迷いを捨て去るのはいつになるのだろうか。なんかシャア・アズナブルみたいなことになってるな。

安美錦は変化しすぎたと思う。中日にはああ書いたが、あそこまで変わられると汚くてしょうがない。せめて千秋楽くらいはまともに当たってほしかった。勝ち越してしまったが、来場所はまともにとってほしいと思う。豪栄道はよくがんばった。割を崩されて上位陣と当たらせられ苦しんでいたが、それでもいいところまで闘っていたのは大したものだ。来場所は新三役濃厚だが、それでも勝ち越せるんじゃないだろうか。

あとの注目は栃ノ心。グルジア第二の刺客はヨーロッパ人特有の引き癖が少ない。まだ身体が軽そうなのが気になるが、数場所後には三役になっていても全くおかしくはない。注目しておいて損はない。


以下は予想番付。

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2008年09月28日

K-1GP 2008 開幕戦

さすがに開幕戦は130分時間がとられ、メインの試合がほぼ全て放映された。どれもけっこうおもしろい試合だったし、満足。しかし「以前は日本が世界一のファンでしたが、今は韓国のファンと言ってもいいくらいです。」とは……谷川さん。どんだけ日本嫌いだよ。


以下、感想。左側が勝った選手で右側が負けた選手。


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2008年09月25日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(36) るか〜わん

偶然か、L4U付近で引退したPが多かったような。やっぱあれは一つの世代交代だったかね。

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2008年09月24日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(35) よな〜るお

よな〜るお。

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秋色恋華/謳華 レビュー

最近なんの変哲もない学園物に飽きてきたわけだが、本作はそのとどめを見事に刺してくれたかもしれない。せっかくキャラ設定が、プロテニスプレーヤー、妹兼駆け出しアイドル、超金持ち、超貧乏と多彩なのに、シナリオが死ぬほど平凡な学園もので、ちっともおもしろくないし萌えもしない。

主人公は典型的なエロゲの主人公。なぜそろいもそろってエロゲの主人公はゲーセンに行きたがるのか疑問である。あと、04年のゲームということで久しぶりに前髪の無い主人公を見た。主人公の友達はかなり外し気味。軟派系リア充志望の子で、まったくおもしろくなく、シナリオ全体としては彼が一番の致命傷だったかも。けっこう共通長めで、全員とかなり仲良くなるところまであって、仲良くなってからはかなり適当感が漂う。共通部分はまだおもしろかった。

数少ない褒めるべき点は、やはり主題歌とOPムービー。これは紛れもなく神。あと、システムはすごく使いやすい。『明日君』でもそう思ったが、これは戯画と並んでエロゲ界で最も使いやすい部類。キャラとしては、葵と真由はよくできてた。基本的に妹(葵)ゲー。他は作りこみが足りない。翼がなぜ世間的にあんなに人気があるのかが謎。いや、確かにかわいいのではあるが。

ファンディスクである謳華のほうは、ボリュームの少なさに驚いた。秋箱で買ったから(中古で4k)損をした気分にはならなかったが、フルプライスだったらブチギレて許されるレベル。


共通ルートでやたら遊園地に行かされるが、そんなに背景CGがもったいなかったんだろうか。あれがシナリオの起伏を減らす原因の一つだったと思う。遊園地の元ネタは富士急ハイランドだが、そこまで一時間で着くということは、舞台は東京じゃなくてもっと神奈川、静岡寄りのどこかではないだろうか。少なくとも小田急線沿いの武蔵野のどこか。しかし、修学旅行のハワイ行きの飛行機は羽田から飛んでいると仮定すると、あまり空港まで時間がかかっている描写も無いので、やはり神奈川県のどこかか。

修学旅行先がハワイというのも豪勢な話で、私立高校なら珍しくはないが、その設定が生かされることは無かった。キャラの水着姿を無理に見せる必要もないし、どうしても見せたかったなら温水プールなりなんなりでよかったんじゃないか。結局、タイトルとOPムービー以外に「秋」という要素を見出せなかった。確かに、秋は夏や冬に比べて演出が難しいのはわかるが、わざわざ修学旅行でハワイに行かないでも、文化祭なり体育大会なりの行事はあるし、背景の木々を黄色か赤色に染めるくらいの工夫はあってもよかった。それにしても季節感の無いゲームだった。

別に最初からシナリオそのものには期待してなかったけど、キャラ萌えさせてくれるくらいの文章は欲しかった。『明日君』にはそれが出来ていたから、進化したということだろうか。しかし、『秋色』を褒める紫信者にさえ駄作と言われる『プリミティブリンク』や『春色桜瀬』は、一体どういう出来なんだろう……

以下、一応のネタばれ各ルート。クリア順。
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2008年09月23日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(34) よあ〜よと

言うまでも無く普通の人はこの保管庫全部見てたらとてもじゃないがおいつけないので、気になったのだけ見ていってくれれば。  続きを読む
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2008年09月22日

阿吽の呼吸も難しい

大相撲秋場所も中日が過ぎたが、立ち合いの手つきの厳格化が秋場所の要点となっている。良いことだとは思うが、タイミングがあまりにも悪かった。力士たちはともかく、審判団や行司に意識が行き届いていないのはいただけない。取組ごとに全く基準が違い、見ていていらいらすることが多い。確かに以前よりはフライングが減っているものの、目に見えて減ったと感じるほどでもない。

力士たちの動きが明らかにぎくしゃくしていて、力士たちも視聴者も流れがよくわからないうちに取組が終わるという不思議な取組が続いている。両者がふわっと立ってしまい力の入らない相撲になることも多いし、片方が立ち合い不成立と見て力を抜いていたら成立していた、なんてことも多い。明らかに不公平が生じており、運の要素が強い。普段ちゃんと手を付いていることの多い白鵬でさえ、前半で既に一回事故った。逆に今まで立ち合いが最悪だった朝青龍と安馬は、安馬がかなり気をつけているのに対し朝青龍は全く手が付いていないのにかなり見逃されている。これは由々しき問題だ。まあこの辺の話は場所が終わった後しっかり話しあわれることを期待して、今場所は改革の犠牲になったと思うことにしたい。

しかし、一方で手付きの厳格化がおもしろい現象も生んでいる。これまでは手付きがいい加減だったので張り差しや変化がしやすかったため、皆やるようになってしまい意外性が薄れてしまっていた。しかし、今場所五日目辺りからそれらが異常に減っていることに本来の相撲巧者たちが気づき、「ちゃんと手を付いた上での張り差しや変化」を繰り出すようになってきた。相手としては手を付いたらまともに来るとどうしても想定するため、これが抜群の威力を発揮している。

四日目、元々変化の多い朝赤龍が手を深く付いた上で変化し千代大海を瞬殺したのを始め、六日目には琴欧洲が鶴竜に、朝青龍が安美錦にそれぞれ変化でやられた。逆に中日には、白鵬が安美錦の変化を読んで楽勝したというパターンもあった。変化や張り差しはあまり好ましいことではないが、相撲巧者がきちんとやる分には相撲風紀上の問題にはならないと考えたい。後半、変化や張り差しの頻度が優勝争いに影響を及ぼす可能性は十分にある。

ついでに、おもしろいものを見つけたのでここに貼っておく。

http://jp.youtube.com/watch?v=B9Sccql14AQ

前理事長VS現理事長。



優勝は順当に行けば13勝2敗で白鵬。番狂わせがあるとしたら朝青龍か千代大海だろうが、まずありえない。残りの三大関は見るところ無し。安馬は11勝できそうな気がするが、白鵬や朝青龍とガチでやって勝てるかというとまだ無理そう。ここ数場所迷い続けている稀勢の里はいいとして、旭天鵬の不調が気になる。豪栄道、栃煌山、鶴竜の三人の若い力士が調子良く、どこまで行くか楽しみである。

あとはやはり、十両の山本山か。あれだけ重量がありながら、身体が苦しそうに見えない上に身体の動きが曙や小錦のようなとろさがなく俊敏である。その上、学生相撲出身だけあって相撲がすでに形になっており、身体能力だけで勝ちあがってくる外国出身力士とは一線を画している。今の全勝モードもうなづける話。これはひょっとして市原以来の十両一場所突破か(13勝以上で確実に幕内昇進)。そして重量優勝争いも、どうやら市原との幕下付出し対決ということになりそうだ。
  
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2008年09月21日

非常に"らしい"遺作

悲母観音芸大美術館の狩野芳崖展を見に行ってきた。こういった個展は大体生年何周年とか没年何周年といったタイミングで行われるものだが、狩野芳崖は六十歳でなくなったため(1828-1888)記念の年が生年と没年で重なり、企画組むほうも口実が減って困っただろうなと思うと少しだけ苦笑した。そういうわけで、今年は芳崖生年180年であり、没年120年でもある。

狩野芳崖は橋本雅邦などと並ぶ最後の狩野派であり、また近代日本画創成期の立役者でもあった。特に名字が狩野で美術の教科書に出てくる人間としてはほぼ間違いなく最後の人間である。しかし、直系の狩野派というわけではなく、出身地は長州藩でそこから才能を買われて江戸へ出て、修行をしなおしたようだ。長州藩に帰ってからは馬関海峡(関門海峡)の砲台建設などに携わっており、意外と画業に専念というわけではなかったようだ。

今回の展示では狩野芳崖の幼年期の作品も展示されており、中でもやはり度肝を抜かれたのは11歳の時の作品である。これがとんでもなくうまい。15歳には《馬関真景絵巻》という実写風景を山水画風に描いた長大な絵巻物を仕上げており、かなりの早熟であったことが伺えた。これは江戸からお声がかかるのもうなづけるというものだ。江戸期にも様々なものを修行で描いているが、何を描かせてもうまい。全くジャンルを問わないというのも、芳崖のすごみである。

明治維新が終わると長州藩を解雇され苦しい生活が続くが、そこを日本画革新運動を起こそうとしていたフェノロサに拾われ、それに携わることになった。その一級の成果こそが《仁王捉鬼図》であり、やけに色が鮮やかなわけであるがこれは西洋の絵の具を用いているからである。記念碑的作品であるが、今回展示されていることを知らなかったので思わぬ収穫となった(実は近美の企画展で一回見ているはずなのだが、脳内の画像フォルダには存在しなかった)。この他にも一見日本画風ながらすごくきちんと陰影がついている虎の絵などがあり、老いて尚西洋画から様々なものを吸収していた姿勢がうかがえる。

そうして見ると、芳崖の遺作である《悲母観音》は独特の位置を占めている。この時期にしては全く、完全な日本画なのである。遺作と言っても構想自体はその五年ほど前から行っていたようで、日本画のこれだけの大作で大量の下絵が残っているのは珍しいそうだ。今回の展示ではその大量の下絵も展示されており、かなり楽しんで試行錯誤していた様子も伺える。

ありきたりではあるが、《悲母観音》が遺作というのは運命的である。それも、ほぼ純粋な日本画というのもおもしろい。人間、死期を悟ると母性に帰っていくのだろうか。


ついでに、その後行った今日の東博平常展。国宝室は『群書治要』。内容は何が書いてあるのかさっぱり読めなかったが、珍しい物を見れた気はする。今回の水墨画は別に大して。その代わり障壁画は豪華で、久隅守景の有名な《納涼図屏風》が展示されていた。個人的にはあまりすごいとは思わないが、日本史の教科書に確実に載っている作品ではあるし国宝でもある。狩野探幽の《周茂叔林和靖図屏風》がその隣。こちらは完全に金地障壁画。あまり探幽らしいとは思わなかったが、狩野派的な良作である。

江戸時代の書画では、狩野探幽の《果実図》という大変珍しいものが見れた。苺と桃と枇杷であろうか。床の間に飾ってあれば大変気分よくお茶が飲めそうだ。青木木米の作品もあり、他の南画家に比べてあまり表に出てこない人であるだけにこれも見れて良かった。珍しいと言えば今回は住吉派の作品が二点も展示してあった。今の一押しなんだろうか。

  
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2008年09月20日

正直味の想像がつかなかったのに

高級酒を飲んでみたシリーズ。ここまで越乃寒梅、ドンペリと失敗を繰り返しているわけだが、今回は友達がハンガリー土産でトカイワインを買ってきてくれたので、皆でそれを開けることにした。

トカイワインとは貴腐ワインの一種であり、貴腐ワインとは特殊な菌を生育時にワインに感染させることで異常に過熟し、それをワインにすることで異様な甘みを持たせることに成功したワインである。というか、確かに原料が葡萄ではあるが、それはワインなのか。そのうち世界三大貴腐ワインとされているのは、ドイツのラインラント、フランスのボルドー、ハンガリーのトカイ地方である(もっとも、これらは全てワインそのものの名産地として有名であるが)。このうち、トカイワインはかの太陽王ルイ14世が「ワインの王にして王のワイン」と絶賛したという。


で、そのトカイワインである。封を開けてみると、色はどれかと言われればロゼに近いが、やや光沢を帯びたような感じがした。マリア・テレジアは貴腐ワインを見て黄金が入っているのではないかと疑ったらしいが、それもうなづける話である。そして、いざコルクを抜いてみると、部屋の中に異様な芳香が漂った。とにかく甘い匂いだったが、全然悪い気分にはならなかった。これだけ香りが強いと、そうなりそうなものだが、そうならなかった辺りがやはり「貴」腐と言われる所以だろうか。そして全員のコップ(グラスではないところは見なかったことにする、というか一人茶碗だった)に注ぎ、いざ乾杯。気になるその味は、なんと全員意見が一致した。


「これ梅酒じゃね?」


なんという貧乏舌。なんと、ワインを極めると梅酒になるらしい……これは驚愕の事実だ。思いもよらぬ結果に全員苦笑。ひょっとして、タイムマシンでルイ14世に梅酒を飲ませると大絶賛するのだろうか、非常に気になるところではある。

というわけで、今回の高級酒挑戦も何とも言えない結果に終わった。なお、現地でもう少し等級の高いトカイワインを飲んだときには、もう少しワインっぽい味がした、と持ってきてくれた彼が言っていた。また、うちの両親に聞いたところ、豪州産の貴腐ワインを飲んだことがあるが、「甘ったるくて飲めたもんじゃなかった、ただ梅酒の味はしなかった」と言っていたので、種別によって相当味が違うようだ。これは、別の貴腐ワインを飲んでみる価値がありそうな気がする。  
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2008年09月19日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(33) ゆう〜ゆん

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2008年09月18日

第129回 『PSYCHE(プシュケ)』唐辺葉介著、スクウェア・エニックスノベルス

瀬戸口何とかさんのラノベデビュー作……でいいのかな。ラノベというにはラノベ然とはしていない。今のラノベはものすごく範囲が広くて、ほんとにくだらないものからエンタメ志向のもの、純文学にかなり近いものまである、と言われているわけだが、それでもなおこの『プシュケ』はラノベでありながらラノベという感じがしなかった。物語の性質上、主人公以外のキャラが全く立っていないのがその原因であろう。萌えも燃えも無く、あるのは一編の短いストーリーだけだ。

内容に関してはこれ以上書くとネタばれになるので差し控えるが、確かに瀬戸口さんらしいテキストであった。相変わらず「ねえ○○」は多いし会話文の一つ一つが長い。地の文は極めて淡々としている。ストーリーは割と意外な流れだった。まあ自分は『CARNIVAL』だけ未プレイなので、氏のエロゲでのシナリオ作りを全部知っているわけではないものの、『SWAN SONG』や『キラ☆キラ』に比べると随分とあっさりした話を作ったなと思った。

主人公の趣味が絵を描くことなので、マティスだとかルオーだとか後期印象派だとか。光の話もそうで、光の色と物の色は全然別物という話もちらっとしていた。絵とは関係無いけど、哲学的ゾンビとクオリアの話も割りと好きな話題で、思考訓練の好きな人にはたまらないネタだと思う。タイトルのプシュケは知ってる人は知っての通り、ギリシア語で「蝶」。蝶は東西を問わず魂の運び手という位置づけであった。この小説では当然、キーアイテムとして蝶が登場する。

で、これらの要素をどうストーリーに絡めてくるのかと思っていたらラストで綺麗にまとまった。あーなるほどね、と。これだけ短い話でこれだけ詰められるのは、さすがの構成力である。エロゲのときはだらだら長引かせるところもあったけど、あれは絵や音楽のことも考えて、ということだったんだろうか。逆に、本作ではあっさりしすぎて心配ですらある。

そんなわけで、瀬戸口何とかさんのファン以外でも、試しに読んでみるといいと思う。



PSYCHE (プシュケ) (SQUARE ENIX NOVELS)
  
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2008年09月16日

無駄死になんて言わないで、溺死って言って

Ophelia文化村のジョン・エヴァレット・ミレイ展に行ってきた。ミレイといえば19世紀の英国で発展したラファエロ前派の巨魁である。ラファエロ前派とは読んで字のごとく「ラファエロ以前」の絵画を目指した一派であり、自称していたことからわかるように非常に自意識の強い一派であった(額にPre-Raphaelite Brotherhoodを示す、PRBの署名がある)。ラファエロ以前とは言うがより大雑把に言えばマニエリスム以降の絵画の全否定、ということになるだろう。ゆえにラファエロ前派の絵画には、古典的な描写の正確さと中世的な質感の固さが表現されていると思う。ただし、ラファエロ前派は主要メンバーがアカデミーに認められ次々と会員になってしまったので印象派のようなインパクトは薄いかもしれない。ミレイもまた生前よりすでに極めて高く評価されていた画家であった。

ラファエロ前派に特徴的な点といえば、やはり題材の特異性であろう。アカデミーの画家が古典ギリシアやローマの神話、キリスト教主題の絵画を好むのに対し、ラファエロ前派はそういったものも描きつつも、それよりは後世の、中世物語から近世、当代の小説に至るまで物語を広く題材とした。時には劇的な場面であれば、実際に起きた事件を画題したこともあった。確かにロマン主義においてもドラクロワやゴヤが現実の大事件を描いたこともあったが、あれらは物語を描いたというよりも「歴史」を描いたといったほうがいいだろう。そう考えると、ラファエロ前派の物語へのこだわりは興味深いものがある。

その例に漏れずシェイクスピアの『ハムレット』から引用してきた題材であり、今回の展示最大の目玉でもある、《オフィーリア》がここで見られたのは僥倖であった。自分の中の知名度と世間的な知名度にズレがあるのだろうが、この作品が来ていることに関して美術界隈が全く騒がしくないのがやや不思議ではある(直前に東博の対決展があって、直後にジョット展が控えているからであろうか)。よく借りてこれたなと思うと同時に、ここで見なければ一生本物を見ることは無かったであろうと思う。

会場の説明VTRで「モデルさんを風呂に入れて再現した情景をスケッチしようと思っていたら、何時間もほうっておいたらモデルさんが風邪を引いた。その結果、より苦痛にゆがむリアルなスケッチはできたが、その後モデルさんと訴訟沙汰になった」という、描かれている物語の深刻さから比べれば苦笑しかできないエピソードが紹介されていた。が、確かにこの表情は絶妙である。周囲の象徴性に満ちた植物群も異常なまでに細密でオフィーリアをよく飾っている。これぞまさに傑作である。

ミレイのその他の作品に関して言えば、19歳でラファエロ前派に参加しただけあって初期であればあるほどその理念に忠実であり、若い頃ほど作品全体に硬質なイメージがある。件のミレイも23歳頃の作品である。年老いてくると、次第にベラスケスリスペクトであったり、背景の描写が緻密ではなくむしろバルビゾン派じみて来たり、巨匠になってからのほうがある種の革新性があるような気がする。私としては、ラファエロ前派の独特な作風が好きなので、若い頃の作品のほうが好きである。

生まれた三人の娘の絵が多く、とてもほほえましかった。「教会で説教を聴く五歳の娘BeforeAfter」な作品があって、Afterではすっかり熟睡していたのは思わず笑みがこぼれた。自身のマネージャーを兼任していた奥さんの肖像画が若干怖かったのも、ミレイ流のジョークであろう(いや、実際に怖かったのかもしれないが)。同行の友人が「(展示の)裏のテーマは家族愛かもね」と言っていたが、あながち間違ってはいないのかもしれない。
  
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2008年09月15日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(32) もら〜ゆい行

もら〜ゆい行。

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2008年09月13日

大麻騒動

秋場所が始まる前に、大麻問題について。私見では、対応が性急すぎたように思う。問題をややこしくしているのは大相撲という競技の独自性と、大麻というもののややこしい立場である。

大麻(マリファナ)に関して。こちらは普通に自生している地域もあり、依存性も煙草や酒レベルかそれよりも低いとさえされる、麻薬としては中途半端な存在である。オランダでは取り締まられないというのは有名な話である。そのせいで酒嫌いや煙草嫌いからは「麻薬よりも中毒性が高い」という証拠にされているが、そんなのは大麻だけであるので、恥をかく前にそんな主張はやめたほうがいい。逆に、麻は生長が早く丈夫な繊維なので麻薬扱いして取り締まってるのは繊維業界の陰謀という電波を飛ばしている人もいるが、どうなんでしょうね実際。

そんななので日本の大麻を取り締まる法律も、所持は明確に罰するが使用に関しては規定が無い。しかも、0.5g以下の所持か、明確な初犯の場合は不起訴処分に終わることが多い。実際に、元若ノ鵬も、その両方の条件を満たしていたので、不起訴処分に終わった。露鵬、白露山の二人にいたっては、陽性反応は出ていても所持の物的証拠は見つかっていない。それどころか、「若ノ鵬と二力士の間で薬物的なつながりのある可能性は極めて薄い」という警察発表まである。二力士の「六月ロス巡業で吸った」という自白があり、家宅捜索までしておきながら、露鵬と白露山の逮捕に警察が踏み切る気配がここまで全く無いのも、そういった事情による。

一方で、大麻はドーピングの一種と見なされているという事実もある。少なくとも、日本反ドーピング機関(JADA)では大麻をドーピングと見なしている。この場合、物的証拠が無くても「選手とコーチの自己責任」において、陽性が出た時点で処罰することになっている。ドーピングとは故意他意は問わないからだ。しかし、幸か不幸か、大相撲協会はJADAに加盟していない。精密検査の依頼先がこの組織なので必ずしも関係が無いとは言いがたいものの、加盟していない以上、JADAの大麻罰則規定に従う必要はない。ちなみに、従った場合は「競技資格の三ヶ月から一年間の停止」だそうだ。

そうなると、逮捕という社会的制裁もなくJADAの規則でも直接には裁けないので、大相撲独自の罰則規定ということになるわけだが、もちろんそんなものは存在しないため急遽適当に理由つけて裁定を下すことになる。この新たに作られた罰則への理由付けがまた不明瞭で「大相撲は儀礼を重んじるスポーツで、力士には禁欲的なイメージがあり、それを汚された」とかわけがわからない。麻薬が反社会的だからでも、大麻がドーピングだから、という理由付けでもない。儀礼を重んじるのは確かだが、それが全く禁欲的につながらない。そもそも、力士が禁欲的なイメージとか初耳である。夜遊び上等じゃなかったんですかね、というのは冗談としても。

そして下された罰則が「解雇」。これはJADAの規定よりもよほどの厳罰であり、大相撲内の処罰としても、朝青龍のサッカーによる二場所出場停止や時太山死亡事件時に逮捕された力士の無期限出場停止、そして元若ノ鵬の解雇に比べても厳罰が過ぎる。実際彼らが吸っていたとしても、「解雇」という処分は十分に不当である。二力士の処分は、せいぜいJADAに準拠して六場所出場停止とそれに伴う番付降下程度にとどめておくべきだったのおくではなかったか。(実際、丸々一年休場したらどこまで下がるだろうか、三段目か序二段か。)

ついでに言えば、親方たちへの処分もよくわからない。大麻を麻薬扱いするなら力士の自己責任ということになるから、親方の責任は直接問えない。ドーピングとするなら、選手(力士)と相当の処分が必要であるから、かなりの厳罰になるだろう。仮に若ノ鵬の時と同様の処罰を下すならやはり二階級降格が妥当である。しかし、北の湖親方は事実上の一階級降格処分であり、露鵬の大嶽親方や若ノ鵬の時に比べても、異様に甘い(理事からのもう一階級降格に関しては、他の理事が引きとめたそうで)。しかも、先ほど書いたように二力士解雇の理由が「大相撲は儀礼を重んじる〜〜」という極めて不明瞭な理由であるので、結局二親方はどういう角で降格になったのかすらもさっぱり不明瞭である。


要するに、二力士は今までの相撲協会の怠惰な姿勢と身内に甘い体質からの脱却のための犠牲、スケープゴートにされたようなもので、とんだとばっちりである。白露山が北の湖理事長の弟子であったことも、協会としては不都合でもあり都合よくもあった。協会内の政争に利用されたという見方もできる。私も北の湖は理事長をさっさと辞めるべきだとは思っていたが、こんな形になるとは思っていなかった。若ノ鵬も露鵬も白露山も法廷闘争で大相撲協会を訴えるようだが、どんどんやってほしい。なりふりかまうべき状況ではない。明らかに不当なのだから。

というか、なんでもいいから秋場所だけはしっかり運営して欲しい。ファンの願いはその一点だけである。新理事長は超タカ派のようなので、場所の運営よりも綱紀粛正を優先しそうで、ちょっと怖い。
  
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2008年09月12日

第128回 『コンスタンティノープルの陥落』塩野七生著、新潮文庫

複数の主人公を用いてコンスタンティノープル陥落の様子を克明に描いた小説。複数の主人公でしつこく視点が切り替わるが群像劇というわけではなく、あくまで多くの立場・視点から描くことで情景を豊かに、立体的に切り出すことを追求している。ゆえに、主人公たちはほとんど全ての場面で交流することは無い。

実のところ、私がこの本で一番おもしろいと思ったのはこの部分である。主人公が複数ならそれは群像劇だろう、というある種の固定観念があったことは否めない。だが、二、三人主人公ならばまだしも六、七人も出しておいてほとんど全く交わらないというのは逆にすごい。まあ余計なお世話をすると、序章でしっかり登場人物の名前とその立場を覚えておかないと、視点の切り替わりの激しさのせいでしょっちゅうこいつ誰だっけになるので、注意されたし。なお、トルコ皇帝マホメッド二世以外の主人公たちには一見して無作為に選ばれたように見えるが、実はある共通点があり、そのことはエピローグで明かされる。これもまたおもしろい仕掛けであった。

『ロードス島攻防記』と『レパントの海戦』と本書は戦記物三部作と言われているが、『ロードス島攻防記』は宗教戦争からバランスオブパワーへの転換と、それによる各国家の巨大化及びそのための中央集権化、それにヨハネ騎士団が全く対抗できず時代の流れに取り残されていたこと、に焦点が置かれて描かれていた。『レパントの海戦』はまだ読んでいないが、文明の交代に焦点が置かれているだろうことは容易に想像が付く。それに対し本書『コンスタンティノープルの陥落』は、主人公が多数であることに重ねて掲げられたテーマも実に多く、単に一つの文明の終焉として片付けられないものがこの戦争にはあった。特にヴェネツィアとジェノヴァの立場はかなり興味深いものであった。


しかし、作中の通りコンスタンティノープル包囲のためにトルコが本当に15万人も動員したとするなら、それはかなり根こそぎ動員したことになるんじゃないだろうか。当時のトルコはまだ小アジアの西半分とバルカン半島の南半分しか領有しておらず、土地面積はほぼ同等でもそれよりは豊かな土地であったであろう当時のフランス王国とて10万人を動員することは到底不可能であった(本作から50年ほど経ったイタリア戦争時のフランスや神聖ローマで10万に達するかどうかであり、そのことは各戦争史の書物や、同じ著者の『チェーザレ・ボルジア』でも確認できる)。コンスタンティノープル攻め時のオスマン軍総勢は諸説あるようだが、50日かかっているということから考えても(それはヨーロッパ諸国にとっては驚きの短さであったようだが、仮に十万人以上動員しているならもっと早くてもおかしくはないだろう)、想定される最低人数の8万人程度が正解ではないだろうか、と思う。


コンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)
  
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2008年09月11日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(31) もあ〜もよ行

も行。

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2008年09月10日

ダンスは言葉であると考えたときのニコマスPV

2、3日に一回、必死にニコマス保管庫を更新しているが、ニコマスを見ていて、PVにおいて最も重要なのはダンスシンクロでも演出でもなく、ダンスのチョイスなんじゃないかと思った。ニコマスがどれほど発展しようとも、まだ部分的にしか自由にダンスを作り出せない現状(えこP等はフリーダムだが)、既存のダンスの切り貼りであるという一点においてはどんな頂点Pでも底辺Pでも変わることの無い事実である。だからこそ長回しは一種の高等技術として尊重される。

ダンスというのは一種の「意味」であり、シニフィエだの何だのという言語哲学か構造主義辺りの言葉を引っ張ってこなくても、振り付けとは意味の表出である。腕の振り指の動き、細部に至るまで何らかの意味を帯びている。ただし、ダンスとはあくまでの「意味の表出」であり、意味そのものではない。すなわち、意味は必ずしも固定していない。確かに元の曲の当てはまる部分の歌詞にあったダンスではあるが、切り取って別の曲の別の歌詞の部分にはっつけても、ちゃんと意味が通りその歌詞通りに踊っているように見えることがある。これを利用したのがニコマスのPVMADである。

おそらくオンナスキーPはそんな難しいことを考えずに「もじぴったん」を作ったんだと思うが、あの「もじぴったん」のすごかったところは「ほんとにあの曲で踊っているように見えた」というところであり、まさにダンスチョイスが神がかっていたといえる。しーなPの大ヒット作「Princess Bride」があれだけ評価されたのも、シンクロだけじゃなくてチョイスも完璧だったからである(無論、伸びすぎたのは工作のせいだが……)

多くの場合、なんかぎこちないなと思うのはシンクロがあってないからではなくて、シニフィエ(内容)とシニフィアン(表現)が全く適合していないからである。言語が齟齬を起こしていて、小説で考えるなら支離滅裂の内容になっているのと同じである。もっと言えば、「海」と書いて「そら」と読むことを強要させているようなものだ。逆にわかむらPなんかはシンクロがずれずれなときもあるわけだが、それでも見づらくないのはチョイスだけは無難にこなしているからだ。まああれだけ演出センスのずば抜けた人が、ダンスの切り貼りで意味を読み違えるはずもないのだが。

また、元々の持ってる意味が強すぎて使いづらいダンスを使っちゃってること場合も、やはり意味の齟齬が生じる。『The iDOL M@STER』や『おはよう!朝ごはん』、『太陽のジェラシー』は一つ一つの振り付けがかなり強い(特にそれぞれのサビ)。特徴的でもあるので、使いすぎや長回しは飽きられることが多い。ピタリとはまればかっこいいし、演出映えするからけっこう見かける失敗である。

何か伸びないなと感じるニコマスPが仮にこのブログをのぞいてくれていたならば、アイマス曲のダンスの読み込みと、次に使う曲の歌詞の読み込みをしっかりやってみてはどうか。あとはシンクロか演出か、または選曲のどれかがうまく働けば、少なくとも「隠れた名作」にはなるはずである。

  
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2008年09月09日

そしたら見なくなるだけかも

ニコニコ動画が伸びた理由は何かという問いに対して、ランキングシステムがしっかりしていたからではないかと答えていた人がいたが、慧眼だと思う。YouTubeは五段階評価の☆システムが胡散すぎる上に、英語ということをさっぴいてもカオスすぎる。それを何とか整えようとしたニコニコ動画の手は、マイリストの応援票化による投票制と、わかりやすいデイリーランキングである。

確かにマイリスは工作の対象になりやすいが、それはそれで一つの味と呼べる範囲で収まっているし(工作が無ければ森の妖精ブームは無かった)、プリンセスブライドの一件を除けば週マスはほとんど工作の影響を受けていない。工作もある程度は必要悪でもあると思う。宣伝下手で埋もれている動画なんて腐るほどあるはずだ。ニコマスに限っても、「なんでこの作品がこの再生数なのか、客観的に考えてもおかしい」と思うことなんてしばしばである。

有志による週刊、月刊ランキングや外部のニコチャートのような統計サイトが公式ランキングを強く支えている、という点も大きい。週刊が無いとかなりの動画を見落としているし、外部チャートはランキング制作や工作の鑑定に非常に役立っている。先月からの公式のランキング仕様変更に際して多くのランキングが、ほとんど混乱無しに続行できたのも外部ランキングに拠る所が大きい。

ニコマスだって、週マスが無ければ今ほどには発展しなかったに違いない。もちろん週マスによる良作発掘という効果もあれば、あれに入るか除外されるかというラインは「ニコマス」という枠そのものを作り、我々に一種ナショナリズムじみた結束を生み出すことに成功した。各種祭りも週マスが無かったら盛んでなかっただろう。ボカランもすぐに出来たし、遅れて東方ランキングも出来た。ランキングは界隈形成の証ともいえる。

ランキングとは大衆による「無言の評価」であり、評価が無いところに作品は育たない。ただ、いかになるべく公正でわかりやすいランキングを作るのかというのは非常に骨の折れる作業であって、特にランキングに載ることそのものがステータス化してしまう段階に来ると、それはなおのこと困難になるし、それはβ時代に既に再生数競争とその結果としてのサーバーへの過負荷という形で現れてきた。それをデイリーのマイリスランキングという形に変え、それを長く保てて来たのは、発想の勝利というよりも偶然の出来事に見えなくも無いが(運営がニコニコ動画の成功した理由に関してコメントばかりを挙げ、マイリストについてはほとんど取り上げないのも、そう思えて仕方が無い理由)、ともかくとしてこれは一つの功績であろう。

その運営が一月ほど前からデイリーランキングの仕様を変更し、これによってかなりの混乱が生じた。特徴として人気動画がいつまでも高順位に居座り、なかなか落ちていかないというのが常態化した。全体としてニコニコ動画の空気の流れ方がゆっくりになった印象がある。前仕様では、一日のうち午前2時から5時の間に一回はランキングをそうまくりしないと見落としが大量に出たが、今はいつの時間帯でもよくなったという意味でも、視聴者にゆとりが出来た(プレミアム会員やヘビーユーザーのことは知らない)。

これはこれで悪くないが、種々のランキングを見ると数字そのものがざっくり下がっており、ニコニコ動画そのものの勢いを止めた感もある。あわてた運営は毎時ランキングを急ぎ作ったが、こっちはあわただしすぎて見落としが増えただけに見える。

今後、公式はランキングをどう扱っていくのかわからないが、くれぐれも公正差を失わせる愚策だけはやらないでほしい。今の運営ならやっちゃいそうだから怖い。

  
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2008年09月08日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(30) め行

め行。

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2008年09月06日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(29) みな〜むん

有名Pなのに抜けている動画がある場合は、1、単に俺が忘れている、2、あんまり好きな作品じゃない、3、ブログ書いた日の時点ではまだ投稿されてない、のどれかである。一周終わったら、現状気づいている1と3の動画に関しては二周目をやって補完していく予定。一周目は体裁を作っているというのに近い情況なので、許してやってください。

あと、前述の通り、ニコマスWikiを参考にやってるので、そこにP名が載ってないと自動的にスルー扱いになってしまう。その点もご了承を。



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2008年09月05日

リトバス エクスタシー レビュー

このゲームのメインヒロインはドルジ(CV:Lia)。間違いない。


既存ルートについては去年書いたレビューのほうへ。でも、既存ルートは二回目のはずなのに腹筋が崩壊するのはなんでだろう……恭介の名言集めと人形劇と、何より漫画のタイトルシリーズはやっぱり耐えられなかった。あれやばいよ。だーまえ未来に生きてるよ。

追加部分に関して。共通ルートでも、細かいところで日常会話(という名のギャグパート)が増えてて好感触だった。ただ、既読スキップがきかないので仕方なくコントロールキーを使っていたから、気づかないうちに新規の日常会話をすっ飛ばしている可能性はある。音声も細かく増えていた。小毬ちゃん、お願いだから野球練習中に十万石饅頭の宣伝するのやめてくれないかな……そのたびに空振りするんだ。

クドルートは終盤かなり変わっていたが、やはり苦情が多かったのだろうか。それともライターが自分から消化不良を感じて加筆修正したのか。ロシア語に日本語訳がつくようになったのも良い配慮で、大分読みやすくなった。まあそれでもやっぱり超展開すぎてついていけないんですが。

あと気になったのは、Na-gaはちゃんとエロ描けているのに、いたるは新規CGのパースが酷かったことだ。あれで『Rewrite』描くんすか……マジ買う気失せたわ。

点数としては前回から大幅に加点してもいいかも。でも90点には満たない。


以下、ネタばれ。
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2008年09月04日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(28) まな〜みと

分離。

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2008年09月03日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(27) まし〜まと

マ〜モ行はまた多そうな予感。

このシリーズやってると、有名なPのデビュー作や有名なPなのに選曲の関係で埋もれた作品とか発見できておもしろい。まあ、趣味じゃないと保管庫に入れないから、厳密には発掘しても保管庫入りすることは少ないんですが。今回だと、まっつPのデビュー作とかおもしろかった。

あと、さりげなく開拓できたのが踊ってみたのP。ちゃんと見るとおもしろいね。そるPと暴徒Pとみどーさんは追う事にした。


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2008年09月02日

腹を空かせて行くことお勧め

サルガド《静物:虚栄》新美のウィーン美術史美術館の静物画展に行ってきた。正確な企画名は「静物画の秘密展」でありとにかく17世紀オランダ・フランドルの静物画押しのように見えるが、実のところ静物画の数はそんなに多くなく、まあ75点中半分程度といったところであった。そもそも、静物画展という割にビラの一番良いところに陣取っていたのはベラスケスのマルゲリータ王女の肖像画であるという時点で、この事態は想像にかたくない。展示の残りの半分はオランダらしい風俗画が多く、この間の牛乳を注ぐ女展といい、新美の学芸員の中にはオランダ風俗画に対し相当太いパイプを持った人がいるというのはほぼ間違いないことであろう。

オランダらしく知らない画家は多かったが今回は最大の目玉のベラスケスの保険がそんなに高額でなかったためか、平均的なレベルはそこそこ高く満足できた。これで今回ダメだったら二度と新美信用しないところだった。有名どころではベラスケス以外に、花のブリューゲルであるヤン・ブリューゲル(大)、ヤン・ステーン、画廊画で有名なテニールス(子)の他はややマイナーでデン・ヘッケ、ヘラルト・ダウ、ヤン・フェイト、ティルボルフと、何度かオランダ風俗画・静物画展に来ていればなじみがあるような感じのする面々であった。

目玉の一つにしているだけあって、サルガドのヴァニタス(今回の画像)は大作であった。ヴァニタスは大好きな絵画ジャンルの一つだが、私にはむしろ「人間の肉体は滅んでも、物は滅びない」というように読み取れてしまう。そして物には魂が残っているのだから、結局人間は滅んでいないのではないかと。特にヴァニタスは「栄光は過ぎ去るものである」という本来的な意味のために、金銀細工や時計、楽器が描かれることが多いが、これらの物のチョイスがまた崇高であると思う。これだからロマン主義は困る。

基本的に可も不可もない及第点の企画展であったので、久しぶりに西洋画の静物画が見たくなったなら、という程度にはお勧めできる。なお、珍しいことに今回の企画展は「東京新聞」主催である。
  
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2008年09月01日

ニコマス・お気に入り作品保管庫(26) ほす〜まさ

ほす〜まさ。

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