2009年06月28日

たくあん 食べたい

けいおん!はそもそもの方向性としても記憶に残る名作というものではないが、三ヶ月間限定で視聴者を幸福な気分にしてくれたという点においては優れたアニメであった。「けいおん!は生きがい」というのはネタとして意外と的を射ているかもしれない。生きがい、とまで言ってしまうとオーバーで、三ヶ月限定であるという点への揶揄がこのネタを成立させてはいるが、多くの人にとって(少なくとも私にとって)この三ヶ月間は、けいおん!の視聴を楽しみに待つ一週間の繰り返しであった。

けいおん!もいつもの京アニの作り方で原作からはどんどん乖離していった。原作は本当にゆったりまったりしているだけだが、アニメはゆるゆるとしながらも、キャラの心情描写や変化・成長にも焦点をあて、多少無理やりなシリアス回もあったものの、ほぼゆるゆるとしっとりとした心情描写を両立させていた。

ひょっとしたら、二年次のライブを最高の形で終わらせる必要がある、という最終目標を立て、全ての改変はそれに向かってのものだったのかもしれない。だとすれば物語は原作よりメリハリをつける必要があるし、唯がもっとまじめに練習してないといけない。風邪引きイベントをどう処理するのかと思っていたらうまく活用した。当日突然の参加であってもちゃんと成功したということに説得力を持たせるには、やはりマジメに練習していたという印象を視聴者に印象付けるのが良いだろう。

最終話は本当に良かった。ハイライトの候補はいくつもあるものの、1話との対比で「唯が転ばなかったところ」という場面。あそこの唯がふんばる様子をスローモーションで、細かな脚の動きまで描写したのはすばらしい演出であった。唯が遅れて謝ったシーンの描写も秀逸。1話の唯ではもっとにへらっとした顔で明るく「ごっめーん」といった感じで謝っていただろう。その他、細かい描写の積み重ねがあるからこそ、最後の「軽音最高!」の台詞は味わい深い。

最終話は唯にスポットライトが当てられ、さすがに主人公といったところだが、同じような変化は他のメンバーにもある。澪は極めてわかりやすいが、律の場合まとめ役であるという立場をどんどん自覚していく一方で、澪との関係で不安定になってみたりラブレターで混乱してみたり、女の子らしい自分との戸惑いもどんどん出てきていた。ムギはまさに自立するお嬢様で、バイト始めたというのはベタすぎたかなーと思うものの、もうひとこえーだったりマンボウだったり。ムギの最も重要なところは自分の成長や周囲の変化に敏感なところで、細かいところで気配りしていたり、ここぞというところではしっかり発言したり。「りっちゃんの代わりはいません!」はまさにムギのポジションによる発言である。「どんとこいでーす」な百合覚醒も、原作ネタではあるが、一種の変化でもあるだろう。


澪のせいで見始めたけど、いつの間にかムギ派に転向していた。むぎゅううううううう(ry  

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2009年06月23日

いろいろだまされてきた

ヘイツブレヒツ《食器棚》文化村のだまし絵展に行ってきた。実は何をもってだまし絵とするのかというのはおそらくあまり共通見解のとれていないところであって、今回の展覧会に限れば「トロンプルイユ」と表現するのがどうも正解だったと思うのだが、確かに「トロンプルイユ展」と名乗ってもピンと来る人が少なすぎて集客力に問題がありそうだという点で、だまし絵展と名乗ったのは正しい判断と言えるだろう。せっかく珍しく万人受けしそうな展覧会だもんね。

トロンプルイユというのはフランス語で直訳すると「だまし絵」であるが、実際の技法というのは額まではみ出して描いてみたり、カンバスに壁や木の板の色を塗って、鑑賞者にどこからどこまでが絵なのかという点においてだます、メタピクトリカルな技法である。この点におけるヨーロッパ人の発想と技術力というものはすさまじいもので、特にこれが大流行したオランダやフランドル、フランスの画家たちによるものは非常におもしろい。

木の板目や質感がリアルすぎて「これほんとにカンバスなの?板かけて塗ってないだけじゃないの?」と思った作品は何点もある。もちろんそれらも極度に近づけばカンバスだということは明白なのだけれど、2,3メートル離れたところからでは全く判断がつかないのではないかと思う。今回の画像のものもその一つで、食器棚が非常にリアルに描かれており、まさにこれは棚であって絵ではない、という感じだ。ただし、詰め込まれているのがどう見ても食器ではなくて手帳類なのだけれど。

リアルなのは木の板だけではなくて、それはレリーフ(浮き彫り)だったり大理石だったり、、カーテンだったりする。大理石というのは絵を壁にかけることを想定したのだろうし、カーテンというのは絵画がカーテンに隠れてしまっているかのように見せるというだましが入っている。他にもしばしば絵画作品はガラスで保護されているのを揶揄して、始めからガラスで覆われているかのような質感で描いたものもある。バリエーションは非常に豊富である。

他にもトロンプルイユ以外のだまし絵として、今回の目玉作品の一つであろうアルチンボルドの《ルドルフ2世》が見れたのはよかった。実際アルチンボルドを見る機会というのは日本での知名度から言ってかなり低いような気はする。ただし、美術ファンにはかなり知られている名前ではあるだろう。一度作品を見たら忘れないのがアルチンボルドの作風である。他に近現代のだまし絵作家としてマグリットやデルヴォー、ダリ、エッシャーの作品が展示されていた。作品群は悪くなかったが、考え方としてはシュールレアリスムなので、だまし絵的な見方もできるだけで根本的なところが違うのでは?とは思った。ただし、デュシャンやジャスパー・ジョーンズまで行ってしまうともう違和感がぬぐいきれない。

もう一つ今回の展示では日本のトロンプルイユ的なるものや、アルチンボルド的なものもちゃんと紹介されていたのが良かった。日本のトロンプルイユと言えば一にも二にも後期琳派であってやはり鈴木其一、守一の親子だろう。お前ら掛け軸の天地にまではみ出して描くの自重しろ(専門用語では描表装というらしい、一つ勉強になった)。確かに、琳派のデザイン性・装飾性というのはトロンプルイユの細部にこだわる精神に通じるものがあり、道筋が違って同じところにたどり着いた感じだろう。そして日本のアルチンボルドといえばもう歌川国芳なわけで、何度見ても笑えるのがこの顔。アルチンボルドに比べれば精密さには欠けるが、その分滑稽である。

  
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2009年06月20日

最近のニコニコとかなんか。



これがおもしろすぎて一気に見てしまった。FFTがわかる人お勧め。サガフロ2もわかる人には尚更お勧め(わからなくても楽しめる)。全く、槍装備の白魔はかわいいな。コーディーはここでも俺の嫁だぜ。



派生してこっちも。ギャグ動画のはずなのに、普通にFFTの勉強になるからすごい。




こちらはある意味超身内ネタ。これ、ネタがわかる人は世の中に五千人もいない気がするんですが気のせいですか?w偶然発見して腹筋やばかった。





こういうくだらないがんばり大好きです。『プライベートライアン』を見た人はぜひ。






あとは、最近のニコニコ動画というとやはり七色のニコニコ動画は外せないわけだが、歌ってみたから。紹介するまでもない二人だろうと言われようともやはりこれは貼っておかざるをえない。LIAU@。さん大好きだが、確かに水橋かおりにしか聞こえない部分があるw。水道水は七色の歌声すぎる。



最後に小ネタとして。この間、コ○ダのコーヒーを飲んだら胃が死んだので、どういうことだと思い、ためしに缶コーヒー飲んでみたらやっぱり胃がひっくり返った。どうやらコーヒーが飲めない体になってしまったようだ……と思ってMAXコーヒーを飲んだらセーフでした。改めて、あれはコーヒーではないことが証明された。なんか、ビタミン配合で新発売らしいんだが、ひょっとして売れてるの?職場含めて、俺の周囲で飲んでいるのが俺しかいないんだけど。
  
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2009年06月19日

寛容と中庸

最近感動したもの。

記事自体はどうでもいいので、時間のある人は掲示板のほうを1から全部読んでみてください。自分の言いたいことはそれで大体わかると思う。思わず一記事にしてしまうくらい感動した。特に書き込みの>>255を読んだとき、「ああ、人間ってちゃんと更生できる生物なんだ」と思った。はっきり言って、一定のコミュニティーが完成してくると、このようなわからずやが登場することは極めて多い。それも、それをネット上で説得するのは至難の業である。それをやってのけた、ID: VWQRdeaepW他数名はすごい。あと、いさじさん普通に良い人。まあ、今までの他のことに対する対応なんかを見てても良さそうな人柄だとは思ってた。

でも、これは単純に感動しているのではなくて、自分の心情的立場がすごくID: VWQRdeaepWと似ているというか、本来なら荒らしや、現実上でもこういう人がいたならば、私は言を尽くして納得してもらいたいと思う。可能ならば、対話という手段は最後まで捨て去りたくない。ただ、これはすごく難しいことである。この掲示板でも、ID: VWQRdeaepWが何度か匙を投げかけているように、手段が目的と化した過激派の連中というのは、正論を突きつけられても、たとえ温和な方法をとったほうが結果的に本来の目標に近いという説得を行っても、簡単に言を捨てたがる。なんとも幼稚なことだが、彼らにはそれがかっこよく思えるからだ。過激な発言をしている自分に、そしてあえて遠回りをしている自分に酔っている。その挙句、遠回り過ぎて達成できないことは、自分の無力ではなく環境のせいにしたがる傾向がある。(その意味で、このスレの一つの転換点は>>239。もちろん>>95でちゃんと謝れているのが最大の転換点ではある、ここで謝れなかったらこの子は本当の意味で単なるの電波ちゃんだった。)

それでも私はやはり、相手が愉快犯ではなく単なる過激派である限りならば、言を尽くして対応したい。単なる過激思想を持った中二病患者であるならば、その彼もまた言葉の通じる人間であるからだ。スレにある「言葉で通じない、ってのを認めるのも、ある種の侮辱だしね。」「だから、俺はお前を侮辱したくない。人を傷つける人間は最低だからな。」という二つの言葉が、このスタンスを物語っている。大切なことは誠実な態度だ。そう思っているからこそ、今回のこのスレは自分にとってけっこうな励みになった。


ついでに、このスレを読んでて一つお勉強になったこと。「薬厨」か、便利な言葉だわ。汎用性の高さのわりに知名度低すぎて使い勝手は悪そうだけど、覚えておいて損は無さそう。

薬厨とは(ニコニコ大百科)




  
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2009年06月17日

祝福のカンパネラ 余談

以下は比較的本編とは関係の無い妄想。長くなりすぎたのでレビュー本体から分離。

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祝福のカンパネラ レビュー

さて、どう書いたものか。「甘かったです、ごちそうさま」が第一声としてふさわしいだろうか。

個人的に比較対象としたいのは『こいびとどうしですることぜんぶ』である。あっちはあっちで悪くなかったのだが、どうにもこうにも人間味に欠けた部分が気にかかって、あっちのレビューで評した人口甘味料がけっこう自分なりにうまい表現だったりした。じゃあ『カンパネラ』はどうだったかというと、わざとらしい部分がなかったかと言えばそういうわけではないものの、随分とごまかしている。これはかなり自然な、くどくない甘みに近い。

シナリオはザ・ご都合主義&王道。気にしたら負けである。しかし一つ注文をつけると、それならそれで妙な理屈はこねないで、こまけぇことはいいんだよ!にしてしまったほうがすっきりとした流れになったのではないだろうか。設定を複雑にするなと言っているわけではない。エール関連に関してはよくこれだけ練ったもんだと思う。別の、もっとシリアスなゲームに転用できそうだ。

しかし、それとオチの付け方というのは全く別物であって、ミネットやチェルシーのシナリオは「なんとかする」ための弁解が過ぎたかなーと。そのために随分とシナリオが間延びしており、これは眠いと言われても、言い訳できない。しかも所詮ご都合主義のための弁解に過ぎない文章であるため、読んでて大して楽しくないという。その分、ご都合主義には違いないにしても、アニエスやカリーナのシナリオはまだ多少はすっきりしていた。王道という面でも少し文句が出る。別に王道そのものは悪くないんだけども、表現がどうにも古臭いというか、もうちょっとひねられなかったのか。青臭すぎてちょっと笑ってしまった。一人ずつ集合とかどこのロマサガ3だよ。それをエロゲでやられても。

シナリオ面において最も重要なのは、レスターさんのキャラクター。レスターさんイケメンすぎ爆発しろ、の一言で済ませてしまってもなんら問題はないのだが、一応いろいろ言おうとしてみると、シェリーさんが「自分好みに育てた」という設定がけっこう言い訳としてうまく機能しているなぁと。くどいくらい「よく考えて行動しろ」と言われるわけだが、単純に繰り返しているわけではなくて、本当にレスターさんがしっかり考えてから行動しているように見える。その結果はまあご都合主義であるにせよ、レスターさんがしっかり考えてからの行動が、結果に結びついているのはよかった。もっとも、結びつけるための超展開もいくつかあって、若干本末転倒気味には見えたのだけれど。とりあえず、私はレスターさん大好きです。この主人公像は良い。

このように数々の文句はありつつも、文章は非常に丁寧に書かれたものだと思う。結果が全てと言いつつも、そういった努力が見える文章だから、そんなに叩く気が起きないんだよなぁ。レビュアーとしては良くないのかもしれないけど。


ビジュアル、音楽は文句なし。特に、立ち絵の破壊力がとんでもない。まさに外れがない。決めポーズ的な立ち絵は用意されていてしかるべきで、パースが崩れているものなんぞ一枚絵以上に論外なわけだが、本作の立ち絵は全弾勝負と言っても過言ではない。それもサブキャラやゴーレムに至るまで。こ〜ちゃはロリ得意で年上苦手と言っていて、確かにチェルシー、シェリー辺りはやや苦手そうに見える。だが、カリーナは悪くない。この辺りの年齢層が境界線ということか。まあ、ガーネットやミネットが一番しっかり描けている辺りやっぱり、ロリコン乙。

逆に不必要だったものは、あの3Dの戦闘。あれ自体が悪かったというよりも、全く盛り上がらない。ほのぼのしていること自体は悪くない。ゲームの雰囲気上、そうせざるをえない。しかしエフェクトの平凡さが最大の戦犯だろうか、シリアスシーンでもあの戦闘方法というのは緊張に欠ける上に単純なインパクトとしても大分弱い。あれだけは本当に必要なかった。


総じて、『はぴねす!』からの進化と停滞の両方を感じさせてくれる作品。進化という面では、オーガストの『はにはに』から『明け瑠璃』や、Navelの『シャッフル』から『リアリーリアリー』への進化を彷彿とさせる。が、『明け瑠璃』が一応シナリオゲーとしても成立しえたことや、『リアリーリアリー』がネタ方向に突っ切ってしまっているのに比べると、まだまだ中途半端さが否めず、まさにこの中途半端さが『はぴねす!』から抜け出せなかった、ういんどみるの弱点であり、ある種の人にはまだ凡百のエロゲ扱いされてしまう原因ではないだろうか。79点。プレイ時間はけっこうかかった。おまけまで含めて、30時間くらい?

さて、こうなると次の一手が楽しみだ。がんばれ、萌えゲーメーカー諸氏。シナリオゲーにはない、独特の味わいがあるというところを見せて欲しい。


以下、ネタバレぞーん。クリア順に。
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2009年06月14日

TAXi4

続き物はつまらなくなる法則を2や3で裏切ってくれた本シリーズも(TAXiは2が最高傑作である)、4ではとうとうだれた。リュック・ベッソンもいよいよネタ切れなのだろう。

ノリはいつも通りのTAXiシリーズで、3からかなり年数が経っているという設定らしく、二人の主人公にそれぞれ男の子が誕生している。その子供二人も巻き込んでのコメディは前作までと何ら変わることはなく、実際前半部分はかなり楽しんで見ることができた。刑事のエミリアンや署長の二人に代表されるマルセイユ警察は相変わらずありえないほど間抜けだし、将軍も今回の犯人グループも奇天烈なキャラのままである。

では何が不満だったのかというと、これまでは事件の解決に強烈なカーアクションが必ず出てきて、1は単純なマルセイユ市内のカーチェイス、2は舞台をパリに移しつつもウイングが出てかっ飛ぶという新機能が入り(ここで爆笑した)、3ではジェットエンジンが搭載されるわキャタピラ装備で雪原でカーチェイスするわで、やりたい放題やっていた感があった。ところが今回は犯人グループが邸宅に立てこもってしまったため、解決方法が銃撃戦になってしまい、そこが全くTAXiらしくない。別に銃撃戦は求めてなかった。ぶっちゃけて言えば、タクシードライバーのダニエルがそう大して活躍していない。これが最大の不満点である。

2や3は死ぬほどおもしろかったんだけどなぁ。残念だ。
  
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2009年06月09日

「あー、じゃあそこで右折ね」 → 俺死亡

左右盲って知ってるかい?
左右盲とは(はてなキーワード)
左右盲

スレで発見して「何この同志の数」と思ってぐぐってみたら、1925年にはすでにドイツで発見されていた障害らしいことが発見された。てっきりこのスレ主が作った造語だと思っていたのだが、意外と正当な言葉だったようだ。なぜそこで正式な病名にならなかったのだろう。数が少なすぎたのか?ともかく、私も重症の左右盲である。

私は小学校低学年時代、鏡文字を使って書いていた。それは別にレオナルド・ダ・ヴィンチの真似だとか早くも中二病を発症していたとか、そういうわけではない。単に正確な文字と鏡文字の区別がついていなかったのだ。これに関しては今思い返しても、当時の自分の脳みそ展開してみたくなるくらい不思議である。実家を発掘すれば多分当時の連絡帳とか発掘されるが、やってみようか。さらに、小学校の3年生まで自転車にも乗れなかった。これも、運動神経が鈍かったという事情もあるが、本気で左右が区別できない子供だったからだ。壁に激突した回数、側溝に落ちた回数は計り知れない。

さすがにこれらは長じていくうちに自然と治ったが、根本的にはまだ左右の区別がついていない。自動車の免許を取るときも、AT限定だというのに相当苦労をした。地図を覚えるのも苦手なので、かなり前から曲がる方向の指示をくれないといとも簡単にてんぱる。右に曲がれと言われて左折したことは何度かある。とりあえず、自動車に関しては免許取得直後に一生ペーパーでいることを心に決めた。あとは、なんでもかんでもこれのせいにするつもりは無いが、格ゲーやアクションができないのもこれが大きいだろうな。FF6で爆裂拳を習得するのにえらい時間がかかった。波動拳コマンド?いまだに打てません。右クリック、左クリックも、口頭で指示されるとかなり困る。PCに慣れるまでは「右ダブルクリック」をかまして、教えてくれているしばしば兄貴を硬直させた。

私は矯正されていない左利きだ。今でも電車の改札のような右手が強制される場合を除いて全て左手である。野球だけ右打ちだが、これは剣道をやったせいで左手が下じゃないとすわりが悪く感じるという別の事情による。ぶっちゃけ左打ちでも打てる。矯正に失敗したとかでもなく、親が「矯正すると脳に障害が出やすい」ということを知っていたので、矯正は全くされなかった。しかし、きっちりこの障害は発症したようである。要するに、学習障害とかではなくて、左利き特有の先天的な障害という可能性のほうが高い。

解決策ってあるのだろうか。とりあえず、片手に特徴付けろ(左手に腕時計をしろ)等は全く効果が無い。なぜなら、右手左手を判断すること自体に時間がかかるのがこの障害だからだ。脳内で○○を意識しろ、系の指摘も意味をなさない。それに時間がかかってるんだから、ワンクッション増やされても。今更「お箸を持つほうは"左"」で解決したらこんなに被害者は多くない。おそらく、訓練でどうこうできる問題ではない。


まあ、この障害を知らなかった人がいて、周囲にそれっぽい人(特に左利き)がいたら、ちょっと考えてやって欲しい。無論のことながら一応、だから障害者認定しろとか言うつもりはさらさらないけど(そんな大それた話でもないし、こんなことで障害者認定してたら人類の半分は障害者なのではないだろうか)、二十数年間左右がわからないまま生きてきた人間からすると、けっこう重大な問題なんですよこれ。ぶっちゃけ「左利き」であることそのものでこうむる被害よりも大きいと思う。  
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2009年06月07日

二月革命のほうが重要ではなかろうか

今度、今月中か来月中にでも横浜美術館の19世紀フランス絵画展に行こうと思っている。そこでHPをつらつら見ていたのだが、そこにフランス美術館紀行というのがあって、そこで学芸員の方々が様々な質問に答えていた。まとめると、お前ら自分の国大好きだなってことになるんだが、それがなかなかおもしろかったのでご紹介。

まず、誰しもが「地元の自慢のワイン、名産品」に一番熱がこもってるところにフランス人らしさを感じた。最初からテンプレにチーズのゾーン作っておいてあげるべきだったのではと思うほどチーズ押しが多く、ルーヴルの人なんかは「チーズ抜きにワインは語れない」と述べている。要するに我々東三河人ならば「蓬莱泉とみそ田楽」と同じなのだろうと思うとそこまで不思議ではないにせよ、さすがはグルメの国である。ちなみにそんな中、ノルマンディーではビール、ミュルーズ(アルザス)では白ワイン(しかもドイツ語名)押しなのが、お国柄と歴史が出ていておもしろい。

一般的には印象派が最も評価されていて、アカデミズム?何それ?なのは日本によらず世界中どこでもそうらしいのだが(今回の企画展がやたらと豪華なのもアカデミズムの価格が暴落しているがゆえであろう)、双方の地元フランスではどうなの?という質問に対し、大概の美術館は「フランスでも状況は変わらず、印象派人気、アカデミズムは不人気」と答えていた。そのこと自体は予測できていたことで、壁画にも多いアカデミズムは建て替えの際にふさがれてしまうことも多かったらしい。そんな中、またもやルーヴルの中の人が「(一般人も)アカデミズムを重んじ、巨匠たちを評価しています。」と断定形で書いていて、ちょっと笑った。代表の一人を取り出して判断するのはよくないことだけど、こういう意識の違いはルーヴルの人ならありそうだなぁ。日本でも東博の人はちょっと特殊らしいし。


最後に、「19世紀フランスで起きた事柄で、歴史的に最も重要なことはなんですか」という質問があり、これはさすがに割と意見が割れていたけど、一番多かったのは第三共和制の成立というところに興味を引かれた(二番目は万博かな)。ぱっと見では確かに、ナポレオン3世が倒れてそこでフランスの共和制は確立したかに見えるわけだけど、第三共和制期というのはサンディカリズムの名の下に共産主義が暴れてるわ、極右もうじゃうじゃいて、ブーランジェ事件なんかを知ってると、とても危うい。それでなくとも小党分裂で政権も政情も全く安定していない時期であった。むしろそいつらが互いの足引っ張り合ってたから、なんとなく安定してたような。

今でもフランスというのは英米の二大政党や、ドイツのCDUやSPD、もしくは日本の自民党のような伝統的に政権を担ってきたことの多い政党もあまり見ない。一応社会党や民主連合がその立場と言えなくもないけど、基本的に離合集散は激しい。考えてみると世界史であっても公民であってもフランスの国内政党は一般的に習わない。何より大統領の権限がぶっちぎりで強く、アメリカ的である上にこれを導入したのはシャルル・ド・ゴールの1959年であるから、むしろお株は向こうにあると言える。

それでも彼らフランス人(とりわけ知識人)にとっては「民主主義と人権の本家本元は我々」なのだろう。その昔、ミレーの《晩鐘》が民主主義を標榜した絵という評判になるやいなや(それ以前は社会主義的だと嫌っていたのに)、アメリカと買い争った挙句、無理やり買い戻してルーヴル美術館に収蔵してしまった、というエピソードもある通り、米仏は「ラーメン屋の本家と元祖の争い」を繰り広げていた。今は民主主義が当たり前になってしまったのでそんなこともないけれど、内々にはまだ内心思うところがあるのだろう。

そんな中、またもやルーヴルの人が"19世紀の出来事"と言われているにもかかわらず「フランス革命」と書いていて、この人は本当に信念がある人なんだなと思った。これは「『長い19世紀』はフランス革命(1789年)に始まり、第一次世界大戦(1918)に終わった。『短い20世紀』はそこから始まり、マルタ会談(1989)で終わりを告げた。」という歴史観に基づく見方で、要するに機械的な100年区切りの時代区分に意味はないという観念であると同時に、19世紀を民主主義拡大の時代と考える見方でもある。いやー、フランス人だ。
  
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2009年06月06日

「忘れえぬロシア」展

クラムスコイ《忘れえぬ女》金曜日の仕事帰り、文化村なら夜遅くまで開いてるからわざわざ土日に行く必要ないなと思い、久々にJRで渋谷駅に降り立った。文化村に行くときは大概地下鉄になってしまったので、JRの渋谷駅のホームに立つとなると数年ぶりということになるかもしれない。降り立った瞬間あまりの懐かしさにちょっと立ちくらんだ。加えて、センター街で夕飯を探してみると、ひいきにしていたファーストフード店の無いこと。考えてみると就活で渋谷に来た事がなかったし、去年の9月のミレイ展以来にはなるが、それにしても変わりすぎだろう。ロッテリアもなかったしリトルスプーンもなかったし、某定食屋もなかった。ひょっとして不況の影響なのだろうか。

そういうわけで、文化村のトレチャコフ美術館展に行ってきた。そして今回も、なんで俺は良いものに限って会期終了間際に行くのかシリーズに新たな1ページを刻んでしまった。トレチャコフ美術館は豪商のトレチャコフ氏が設立、作品を収集し、死後国に寄贈されたのだそうだ。おそらくトレチャコフ氏の活動時期の関係上なのだろうが、19世紀後半の、ロシア地元の画家たちの作品が最も多い。

ロシアの地元の美術というと以前ロシア国立美術館展が都美であって(あれがもう丸っと2年前ということに恐怖を感じた)、あの展覧会も19世紀全般の作品が多く展示されていたが、あのときに「質は高いが流行から常に20〜30年遅れている」と書いているが、今回はそれを再確認する展覧会であった。やはり、その制作年代は時代遅れだったのでは、というものがほとんどであった。印象派っぽいのが出てくるのはやはり1890年〜1900年代だ(キャプションには90年代が最盛期と書いてあった)。しかし考えてみるとその辺りの時代になってくると、少なくともカンディンスキーはもうパリにいるし、ディアギレフとニジンスキーのバレエ・リュスもそろそろ活動し始めてるし、シャガールもそろそろパリに旅立つ時期である。ひょっとして、ロシア居残り組やロシアの大富豪の中での流行が遅れていただけなのかもしれない。

とはいえ、質は文句無く非常に高かった。図録を見比べても、国立美術館展の時となんら遜色はなく、むしろ上回っていたかもしれない。風景画に関して言えばやはりロマン主義的ないし自然主義的な特色が強く、私の趣味にも大きく適合していた。残念ながら前回ファンになったアイヴァソフスキーはなかったが、その影響関係があるらしいことがキャプションに書いてあった画家はいくつか来ていた。風景画でこれはとてつもないなと思ったのは、シーシキンである。おそらく今回の展覧会ではレーピン、クラムスコイに続いて三番目には有名人だと思われる画家であるが、実はシーシキンの絵をしっかり見たことはなかった。すごくゲルマン的な風景画だよな、特に樹の描き方が、と思ったらやはりドイツとスウェーデンに留学していた。

他のところではポゴリューボフ、アルヒープ・クインジの二人は心に残った。見てるとロシア(というかサンクトペテルブルク)に行きたくなるから困る。ラドガ湖とか独ソ戦的にも燃え燃えですよ。あと、北極圏への鉄道を引いた大富豪が、画家に出資して旅行に行かせ、絵を描いてもらってそれを宣伝に利用したという話がキャプションに書いていて、なるほどうまいなと。すでに印象派の連中が鉄道を頻繁に利用してフランス中の風景を描いていたことはよく知られていただろうから、そこから思いついたに違いない。


肖像画としてはやはりレーピンとクラムスコイが巨頭であった。他の画家も悪くは無かったが、ここまでずば抜けていると人気も偏るよなぁと思う。特にレーピンは全ロシア美術でも最大の画家と言われることがあるが、それも納得である。なお、今回ゲーという画家が描いた有名なトルストイの肖像画が来ていたのだが、図録によると、これらトレチャコフがパトロネージしていた画家たちとトルストイは交流があったようだ。他にもチェーホフの肖像や、レーピンによるツルゲーネフの肖像画が展示されていた。

今回の画像は、展覧会のビラにもなっているクラムスコイの《忘れえぬ女》しかあるまい。原題を直訳すると《見知らぬ女》らしいが、これを「忘れえぬ女」と訳した人は天才。相変わらず濃くていかにも高慢そうな女性ではあるが、確実に魅了される絵である。マネの《オランピア》によく似た雰囲気かもしれない。この元ネタは誰かということに関しては(研究的な意味ではなく一種の楽しみ方として)かなり議論がなされているそうだが、確かに私の中の『アンナ・カレーニナ』もぴったりとこんなイメージである。もっとも、もう一つ挙がっていた『白痴』のほうを知らないからかもしれないが。  
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2009年06月05日

第139回『白川静 漢字の世界観』松岡正剛著、平凡社新書

白川静というと、その昔大学入りたての頃に、『二重影』と『二重箱』を立て続けにクリアし、その足で駒場の図書館に行って『古事記』を借りて一週間かけて読み、その週末には東博に日本刀を見に行くというミーハーっぷりを発揮してしまったことがあるが(私の東博通いの起源である)、『古事記』の次にはこれを読もうと『字統』に手にかけたはいいがあまりの厚さと難解さに挫折したという半ば黒歴史になりかかっている記憶がある。

その後なんのかんので結構忘れることなくいろいろ読んでいたり、気が付いたら図書館で読んでたりしたので、大学にいる間比較的断続的に白川漢字学には触れていた。もっとも、卒論以後ここ2年ほどはさすがにノータッチだったが。だから私にとっては結構身近な存在だったので、今回のこの本が出るまで、他者による新書はおろか一般書も出たことが無いということを知ってとても驚いたと同時に、すごくもったいなことであると思った。

白川静は中卒から上京し、そこから長い時間をかけて夜間高校、大学に通い、立命館で研究職となった後も長く芽が出ず、地道に研究していたら退官する頃になっていつの間にか大家になっていたという、よく聞くようで実はあまりいないタイプの苦労人研究者である。言語学的な意味での国語学でも中国語学でもなく、かといってカリグラフィーに注目した考古学や美術史学でもなく、それらよりもさらに範囲の広い民俗学や東洋史学でもない。漢字を基点としながら、古代中国から東洋全体にいたる文明観を探ろうとした、まさに「漢字学」としか呼べない独自の学問を切り開いていった。その学問自体の独自性に加え、彼自身の主張の独創性もあり、大家でありながらいまだもって異端である。おそらく、彼の功績を全く認めていない学者も多いのではないだろうか。実のところ、私自身も、好きではあるのだけれど、どこかオカルトじみていて信用ならないと思っている部分もある。

白川漢字学における、最大の特徴は漢字圏の世界を、呪術的な世界としてまとめあげているところだろう。漢字の起源である甲骨文字は占いの結果を記録した文字ではあるが、実のところは神意による権威付けをしているだけであって、君主の意に沿った結果が出るまでやり直していたという、考古学的な研究成果が白川静の出発点だったと言えるかもしれない。すなわち漢字とは(努力)目標であり命令でもあり、まさに「未来に向けて実行される呪い」であった。本書では(というよりも漢字学のタームなのだろうが)これを「呪能」という言葉でまとめ、かなり言葉を砕いて表現している。若干首をかしげるところもあるが、それは『字統』を読んでもかしげるポイントなのでしょうがない。

ちなみに、白川漢字学の解説で一番印象的だったのは、『二重影』に直接出てきたこともあってか、「首」という言葉についてであった。極端に移動の少ない古代社会において、ムラから大きく外れるような行為は危険を伴うものであった、(特にこの場合は戦争を指すため)、そこで生贄、とりわけ進出方向に住む異民族(夷荻)の「首」を掲げて「行」くことにより安全を確保した(「しんにょう」は「行」を部首化したもので甲骨や金文においては区別されない)。実用的でありながら非常にオカルティックな行為である。つまり、漢字はこのように呪術的・儀式的でありながら、ある程度現実に即してもいる行為もしくはその予言を表現した文字である。漢字とは、その予言を行為に変える宣言(=「呪能」)でもある。また、白川静はそこから『万葉集』にも同じような呪能が伝わっていることを検証し、現代日本の漢字文化や、漢字が表意文字としてなぜこれだけ生き残ったかなどについても考えていたことを、本書ではしっかりと解説している。


今の説明で納得できた人、納得はできなかったがだからこそ興味が湧いた人は、ぜひこの新書を読んだ後、『字統』を手にとってみてほしい。なお、『二重影』しかり『月姫』しかり『アオイシロ』しかり、白川漢字学は非常に創作の助けになる一方で、非常に引きずられやすい呪いもかかっているので、要注意である。



白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)
著者:松岡 正剛
販売元:平凡社
発売日:2008-11-15
おすすめ度:4.5
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2009年06月04日

何度も開く画面なだけに

タイトル画面曲が良曲のエロゲは良作」の法則。

いいことを言っているので自分も何か書こうと思ったら全部言われていた。自分の中でも一番記憶に残ってるのは月陽炎である。クリアするごとに音が重なっていくのは非常に心地よい。鍵ゲーや『アカイイト』に関してもまったくおっしゃるとおりであって、いまだに一日の長があると思う。『Kanon』の「朝影」はタイトル画面にしてはしびれる。『アオイシロ』に関しても本編の評価が分かれているが、タイトル画面の良さに関しては否定しようが無い。

『この青空に約束を』が挙がっていてもちろんこれも良曲なのだが、それよりも『パルフェ』のほうがタイトル画面に惹かれるものがある。「Tea Time」の安心感は異常。その割りに『ショコラ』は記憶がないのはなんでだろう。というよりも、『ショコラ』は音楽全体に記憶がない。『パルフェ』も『こんにゃく』も、他のBGMも覚えているというのに。

まだなんかないかなーと振り返ってみたけど、もう記憶から消えかかっているのが多いのは仕方が無いにしても、インスコしっぱなしのを端から開いてみたけれど、意外と記憶に鮮烈に残るほどずばっと来たタイトル画面というのも少ないことに気づく。メーカーはもっと気を使うべきところかもしれない。単純だけど効果があるのは、OP曲のoff vocalを流しておくこと。ただし、これはOP曲の良さに依存する。この方法で一番うまくいってたのは『キラ☆キラ』だと思うんだが、まあ大きくd2b補正がかかってるので保証はできない。そういえば直接音楽じゃないけど、『殺戮のジャンゴ』の銃撃他、Nitroは割と凝っている気がするな。



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2009年06月03日

アイマスキャラバストサイズ他一覧(改訂版)

ついでに見やすくして整理。


アイマスバストサイズ一覧
















SP、DSの子達も基本的に痩せ気味。だが、一人ずば抜けて寸胴標準的な子がいるんだが、計算間違いじゃないよな……?絵理は巨乳すぎると思う。


こちらはBMIで大きいほうからそろえてみたもの。上ほどふくよか、下ほどガリガリ。

涼   20.6
春香  18.0
愛   18.0
律子  17.7
響   17.7
やよい 17.6
亜美  17.6
美希  17.4
伊織  17.3
貴音  17.2
あずさ 17.0
真   17.0
雪歩  16.9
絵理  15.6
千早  15.6

今まではどう見ても千早の細さは異常という感じだったが、そこに絵理が加わった。しかも絵理はスタイルが良い分なおさら不自然。愛は狙ったのか、春香と全く同じ数値。メインヒロイン(?)の宿命なのか。


こちらは同年代との比較(16歳まで)

年齢 身長 平均バスト

12歳 152.0cm 75.5cm
 亜美    → 149cm B74
13歳 155.2cm 78.0cm
 やよい   → 145cm B72
 愛     → 149cm B78
14歳 156.7cm 79.9cm
 美希    → 159cm B84
 伊織    → 150cm B77
15歳 157.3cm 81.6cm
 千早    → 162cm B72
 響     → 152cm B86
 絵理    → 152cm B82
 涼     → 162cm B80
16歳 157.8cm 82.1cm
 春香   → 158cm B83
 雪歩   → 154cm B80
 真    → 153cm B73

やよいは欠食児童。やはり春香は標準体型。響も絵理もとてもちんまい。意外にも涼は平均より身長が高くバストは小さい。バンナムは彼女に、あと2、3cmのバストをプレゼントするべきだった。


推定バストカップ数一覧。


Fカップ……あずさ
Eカップ……美希、律子、響、貴音、絵理
Dカップ……春香、雪歩
Cカップ……伊織、愛
Bカップ……亜美、涼
Aカップ……やよい
AAカップ……千早、真

961プロ二人のせいで一気にEランクが多くなり、より貧乳が希少価値となった。961プロの3人は全員カップ数が同じ。つまり貸し借り可能(ry


最後にナイスバディ度。
http://kaiketsu.tv/mokuhyou/ideal6.php
で計算。100%がいわゆる「モデル体型」。
推定アンダーバストはバストカップ測定スクリプトで、バストカップのついでに計測。
http://www.d9.dion.ne.jp/~ne1gi/bustcheck/cupchecker.html

春香  92.70%
千早  83.49%
雪歩  93.35% 
やよい 80.69% 
律子  95.51%
あずさ 98.97%
伊織  90.45%
亜美  88.63%
真   77.15%
美希  101.22%

響   89.31%
貴音  92.29%

愛   86.72%
絵理  99.50%
涼   78.84%

絵理のナイスバディっぷりに吹いた。どんだけ設定恵まれてるんだよ。961二人は意外と普通だった。響は身長が足りなかったか。貴音は……ヒップが大き(ry。そして涼がなんとか真のワーストは避けた。でも普通に考えて80-59-80で身長が162cmなら、やや身長の割に小柄な印象は受けるけど、寸胴だったりスタイル悪かったりというイメージはない。数字のマジックだ。
  
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まさに「貧乳は希少価値」

三毛招きさんのお前ら、貧乳って嘘だろ?を読んで、昔自分も似たようなことをやったなーという記憶から漁ってみたら出てきた。アイマスメンバーのカップサイズ一覧。同じサイトを使用しているわけだが、これも厳密ではなくてあくまでもバストとウェストからアンダーを想定しているだけなので、ひょっとしてキャラが寸胴だったりすると結果が変わってくる。だからたとえばりっちゃんとか(ry、いや冗談です。

見ていただければわかるとおり、アイマスのメンバーも、アイドルであるということを差し引いても細すぎる。3サイズはまだマシだが、体重とBMIがひどいことになっている(その割にやよいが比較的ふっくらしているのだが……)。なお、この当時は春香の体重は45kgぴったりになっているが、SPではなぜか「45kgくらい」と、春香だけ設定が変わっていて、ひょっとしてお菓子の作りすぎ&食べすぎで太った(という追加設定になった)のではないか疑惑がある。ああ、ただでさえ一番BMIがまともな数値なのにこれ以上ふとったらますます無個性な設定に。

例のカップの例で行くと、やはり異常なのは「ひんそーでひんにゅーでちんちくりん」と自己申告している雪歩。これは去年の千早誕生祭記念に書いたものだが、当時からしてひどく驚いた覚えがある。モデリングを見ていてもそんなにあるように見えない。伊織のCは全く違和感がなくて、よく見るとけっこう乳揺れしているということに気づく。


さて、本題。まず、鍵キャラの設定のおかしさは当時から言われていた。いたる絵の立ち絵と設定はまったく比例していないので設定のほうは全く当てにならない上に全員が死ぬほど細い(体重とウェストの設定がおかしい)。なので、カップ計算をすると栞やあゆがDだとか出てしまうのだろう。風子がCというのも、当時どっかの絵描きさんのサイトで見た覚えがある。そうして見ると『リトバス』の数値というのは比較的まともで、新規スタッフの誰かがこだわったのだろうか。

1.昔のゲームほどアンバラスなバスト設定、2.ロリ貧乳は自称貧乳。スレンダー貧乳は真の貧乳というのは上記のアイマス記事のコメント欄にある通り、どうやら昔は別の計算式を使っていたようで、それだとモデル体型は貧乳になるし単なるぽっちゃりさんでも巨乳判定になってしまったよう。逆にココから造形すると、ちゃんとしたロリ貧乳が生まれにくいという事情はあったのかもしれない。

3.なぜか70以下にならないバスト。なぜか60以上にならないウェストは、あまりにも低すぎる体重の設定と含めて、あくまでも設定なので理想的とされる数値、イメージ的に良いものを使うとどうしてもそうなるのだろう。ほら、三次元のアイドルでもAVでもウェスト59が死ぬほど多い(ry。そういえば、今気づいたけどアイマス陣もウェスト60台がいない。あずささんは詐称してるんじゃ(ry。そろそろ刺されそうなので止めておきます。あずささんもりっちゃんも好きですよ。

身長は一番立ち絵に影響が出るので変な設定にできない。この点はそれこそ『Kanon』でさえ、さすがに立ち絵の大きさと設定順はちゃんと並んでたはず(もっとも、差は適当だった気がするけど)。しかし、バストは75以上にする必要があり、ウェストも60未満にする必要があって、かつ貧乳っぽさを出すには、元記事でも指摘されているようにしばしばスレンダーさと誤解されていることもあって、最も立ち絵と関係の無い体重を極端に減らす設定にすることでバランスをとったつもりになっている。おまけに間違った計算式を使っていた(らしい)ので、ひどいバストサイズが出る。真相はこんなところではないだろうか。


それにしてもカニのEはひどいなぁ。スタッフの誰かが気づかなかったのだろうか。


(追記)
友人に言われて気づいたのだが、『水月』のキャラが鈴蘭を除いて全員高身長。那波(俺の嫁)が167、雪さんが172、花梨が169、和泉が158、アリスが153でマリアが152。そして鈴蘭だけが142。これに関してその友人は「ただでさえ設定的に危険な鈴蘭の低身長をごまかすため」と言っていたが一理ある。実は彼の説に信憑性があるのは、PS2版だと全体的に身長が縮んでいるため。那波は160cmで雪さんが167、花梨が164になっている。なんと那波は花梨に抜かれている。さて真相はいかに。

個人的にはアリマリが150cm台というのに驚いた。十分小さいのではあるけども、150前半だと現実でも普通にいるから(身に覚え的な意味で)そんなに現実離れしたロリではない。エロゲでロリっ子だと意識するのは、やはり140cm台かもしれない。あくまでイメージの問題だけどね。そこまで注意深く設定読んでからプレイすることのほうが少ないし。
  
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2009年06月02日

あさっての方向の別世界

何一つ過去に不幸の起きなかった世界のクラナド。

スレの下半分くらい。これは笑った。しかもけっこう他のエロゲ/ギャルゲにも応用可能な上に、最近このブログで流行のトラウマ論的に考えても意外と深い。実際、鍵ゲーが確かに一番やりやすい。かの会社の作品のテーマはまさに「理不尽」にあるからだ。ただし、スレでも意見が割れているように、俺も「バスケ少年朋也くんと天才少女ことみちゃんの王道幼馴染学園ラブコメ」は非常に見てみたいわけだが、極端な話をすれば朋也があの高校に入らない可能性もありうるわけで(そこら辺の設定はよく覚えてないので誰か補足してほしい)、果たしてどこまで忠実に「不幸(トラウマ)を削り取る」のかというのは、これを妄想する上で重大なポイントとなる。実のところ、削りすぎると大体のゲームは破綻する。『CLANNAD』が王道ラブコメになるのが珍しいくらいである。

例えば、『Kanon』の場合、あゆが木から落ちないと見るべきか、それともそもそも(幼)あゆが街で迷子になっていない、と見るべきなのか。前者の場合はまだ幼馴染系の凡百のエロゲとして生き残れるが後者の場合はゲームが成立しなくなる。他のヒロインは、栞は謎の奇病(笑)にかかってないし、舞は超能力を受け入れられているのだろう。どちらも祐一との接点がなくなる。

注目すべきは、名雪と真琴。名雪の不幸は片親であるという一点だが、名雪の父親や秋子さんの素性は明かされていない。というよりも全鍵ゲー最大の謎とさえいえるだろう。我々にこの理不尽を解き明かすことは許されていない。もう一人の真琴の場合、ある種彼女の身勝手ゆえの不幸と言える(もちろん狐の存在を忘れ去っていた祐一も悪いのだが)。かといってここで「人間になって一定期間経っても死なない方法が見つかった」という解決方法は、あまりにもゲームの設定をぶち壊している。この不幸を断ち切るためには祐一と出会わなかったという解決方法しかないように思うが、さてそれで真琴は本当に幸福なんだろうか。というところで、名雪と真琴の場合は不幸を削り取るという作業でさえも不可能である可能性が高い。

もっと言えば、『CLANNAD』が不幸を削りきったとしても王道ラブコメとして生き残れるというのは、日常パートやギャグパートだけで十分キャラが立っているという証拠でもある。この間toppoiさんと飲んだ時に「鍵はアホの子の偽装がうまい」ということで同意したがこれなんてまさにその効果が出ているというか、アホの子があくまで偽装でしかないからこそ、偽装が剥がれてシリアスパートに入ったときの破壊力が高いというのも確かならば、偽装部分だけでも十分キャラが立ち切っているからこその偽装たりえている、ともいえる。


そういえば、リアルでこれを公式でやっちゃったのが『君が望む第一章』。汚いなさすがage汚い、と言いながら一章遙の魅力には勝てなかった俺(ら)が最大の負け組。信じられるか、このイケメン孝之なんだぜ……

  
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2009年06月01日

OP詐欺

都美の日本の美術館名品展に行ってきた。

正直に言って、期待していたものと大分違った。名品展なんだから人気の高い作品か、明らかにその美術館を代表すると言っていいレベルのものを持ってきているもんだと思っていた。なかにはそういうものもあった。クールベやミレーを出品し、それもけっこう良かった山梨県立美術館や、もう少し知名度が下がってもエコール・ド・パリやエルンスト、日本画でも山本芳翠や横山大観、今村紫紅辺りを出してきたところは、気合が入っていて良かったと思う。

問題はそれ以外というか、明らかに220点以上あるうちの半数以上なのだが、本当にその作品がおたく自慢の作品なのかと。確かに、私が現代アートが嫌いで理解できないという点は認めよう。それでも、ウォーホルやジャコメッティを出されたら納得せざるをえないし、棟方志功のように版画だったりピカソのように作品が大量にあったりでネームの大きさの割りにありがたみがない作品であっても、ちょっと嫌だがまだ許せると思う。棟方志功が「本格的に」見たいなら青森まで行けよ、という宣伝の意味も込めて。青森県立美術館出品だしね。しかし一方で少なくとも、私は愛知県美術館のピカソはあまり目玉というわけではないことを知っている。あそこにはクリムトの《黄金の騎士》もあるし高橋由一の《不忍池》もある。もっと言えば今回集めたかったようである時代からは外れるが、浦上玉堂も与謝蕪村も代表作と言えるようなものを持っている。全然本気じゃない。

そして、それ以下の知名度及びクオリティというのは、正直に言ってケチったかコレクションが貧相かという印象にしかならない。どっちにしてもその美術館にとっては良くないように思う。正直ご当地の(20世紀の)有名人を出されてもリアクションに困る。俺だって、豊橋市美や岡崎市美の常設展のコレクションなんてまず全品わからない。

このブログでは比較的半々になるように書いているが、同行メンバーに出た後愚痴を言うパターンはかなり珍しく、数十回あって過去2、3回しかない。今回は直後に入った喫茶店で思わず「ぶっちゃけ微妙だったな」と言ってしまい、DiLに「まあそうだね」と言われてしまったという辺りで、いろいろ察して欲しい。画像はめんどいのでいいや。

  
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