2009年08月31日

コバルトブルー

青花蓮池魚藻文壺(元・景徳鎮)染付展、伊勢神宮展と、常設展に行ってきた。

染付展から。染付とは、それまでも陶磁器を生産していた中国に、元になってイスラーム圏からコバルトを焼成すると青く発色する技術が伝来したことで誕生した、青白二色だけの白磁である。中国では青花といい、日本では染付と呼ぶ。シルク=ロードの開通に比べてタイムラグがあるのは、そもそも陶磁器の技法そのものが中国から西伝し、そこからコバルトの焼成が発見されて、中国に戻ってきたためだ。ガラスや金属器に比べると多くは無いが、イスラーム圏でも陶磁器は出土している。モスクのタイルを焼く技術は中国伝来という説もどこかで読んだ覚えがある。

陶磁器文化は中国文明圏ならばかなり広い地域で生産しており、染付も朝鮮、日本、ベトナムの各国で作られた。今回の展示ではそれらの地域のものも展示されていた。染付のようなものは、青と白のコントラストがはっきりしているほうが好きである。もっと言えば、白磁は純白でなくてはならないと思う。浅学により知らないのだが、朝鮮のものとベトナムのものは白磁が濁っていてやや残念な出来であった。これはそういう特徴なのだろうか。それとも、後からついてしまったしみなのだろうか。前者であるなら単純に私の趣味ではないし、後者だとすれば残念至極である。

しかし、やはり中国のものはレベルが高い。白磁よりも青磁のほうが好きで、それも砧青磁を至高とする私が見てもやはり今回の染付展は良かったように思う。展示数が多く、模様も格調の高い洗練されたものからややおもしろみのあるものまで幅広く、地域は前述の通りで、年代としても元から清朝に至るまで集められていた。


伊勢神宮展は、実は直前まで開催しているのを知らなかったのだが、伊勢神宮に所蔵されている歴史的な遺物が公開されていた。その関係上、儀式に使われる神宝のほか、古代の大和朝廷の古文書が多かった。平安時代に書かれた延喜式の写しなど、日本史履修者にはちょっと嬉しいものもおいてあった。

神宝類は土師器須恵器から江戸時代の宝飾品に至るまで時代が実に雑多で、長く愛されてきたことの証明とも言えるし、やや取り留めに欠いた展示構成になってしまっていたかなとも言える。「今に伝える神宝」と題して一章設けており20世紀に調進されたものも展示されていたがこれらはさすがに状態が極めてよかった。きらびやかでいて落ち着いている。


最後に常設展。二ヶ月ぶりくらいだと思っていたら四ヶ月ぶりくらいだった。道理で様変わりしているものだと思ったと同時に、ということはけっこうな数の作品を見過ごしているのだろうと思うとやや後悔するところである。国宝室は地獄草紙。5年くらい前の京博の大絵巻物展で見たものだ。室町の水墨画ゾーンでは、伝周文の国宝の掛軸がかかっていたが、個人的にはあまり周文に見えなかった。しかし、国宝ということはそれなりに信憑性があるんだろうなぁ。もう一品、重文の伝雪舟の屏風が展示されていたが、こちらは保存状態があまり良くなかった。

屏風ゾーン、土佐光起の『粟穂鶉図屏風』が良かった。江戸絵画では、土佐光成の『秋草鶉図』が展示されており、親子の鶉での共演となっていた。印象に残ったのは、曽我蕭白の『牽牛花・葡萄栗鼠図』。線(というよりも墨)がのたくってるだけなのに、なんでこんなに瀟洒なんだろう。

常設展は四ヶ月ぶりだったのにもかかわらず、染付で時間を食いすぎてかなり端折りながら見てしまった。やはり時間がないと常設展まで手が回らない。  

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2009年08月30日

『新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか』樋口弘和著、光文社新書

『就活のバカヤロー』、『高学歴ワーキングプアー』とある意味三角形をなす本。新入社員の私が読んで評していいものかという気はするが、読了して腹に溜まったものがある以上は吐き出さざるをえない。

本書の前半を読んでいると、なんでこの人はこんなに自信満々に断定できるんだろうと思う節がいくつもあって、大変不安な気分になった。たとえば、ネットはコミュニケーションが片方向だからダメ」とか、「尊敬する人が両親なんて志が低い」とか(じゃあ一生中二だったらいいのか?)、「草食系(笑)はダメ」とか。「二浪、二留以上はリスキー」とか俺にケンカ売ってんのか。

なかでも「最近の若者は自分のキャリア構築について真剣で、だから早期の結果を求める」なんて書かれていて、これはもう、なおかつ私自身や周囲を観察した結果を見てもそんなことは全く無い。むしろ、全く正反対の主張をしている『就活のバカヤロー』にもある通り、「仕事を楽しまなければならない、自己実現しなければならないという、一見美しそうな概念自体が、学生や若手社員を苦しめているのではないでしょうか」というのが真相で、いつの間にか若者の側からの要求というように解釈されていたのでは本当にたまらないのである。

その他、書ききれないほどにつっこみどころ満載で、おまけに自己矛盾しているところも多々見受けられたが(直感は重要なのか信用できないのかはっきりして欲しい、著者使い分けを自身混乱してないか?)、ただし第五章の「雑談面接」については非常におもしろかった。確かに、こういう面接をすれば相手の思考海路をうまくトレースできると思うし、元就活生としても受けてみたいと思える。意味のわからないアイデンティティの発露ではなくて、事実や実績で評価すべき(できれば定量的に)というのも、納得の行く説明であった。

最後の六章まで読み終わって思ったことは、この著者は徹底的な実務家なんだろうなぁと。確かに実際の業務では、同程度に優先すべき理論が相互に矛盾をきたし、その都度柔軟な昇華が求められる。それを個々の論に分解して解説すれば、つっこみどころ満載の理論書が完成することは疑い得ないことだ。そして、それがまさに本書であろう。

しかし、人事のエキスパートとしては優秀であるがゆえに、「雑談面接」の具体的な説明の項目では光って見えた。そういうことではないか。


新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)新入社員はなぜ「期待はずれ」なのか (光文社新書)
著者:樋口弘和
販売元:光文社
発売日:2009-01-16
おすすめ度:4.0
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2009年08月20日

コミケ四日目とか参加できません

お祭の後の疲労感が半端じゃない。仕事は問題なくこなしているし気力は足りてるんだが、時間と体力がそれに追いつかない。コミケ期間やそれ以前に溜めてしまったアニメやらニコニコやらが全く消化されないまま、いつの間にか眠りに落ちてしまう。『ハルヒ』は気合で見たが、『狼と香辛料』は三週間分溜まっている。二ヶ月前に録画した『エヴァ序』もまだ見てない。コミケの戦利品もまだ全部は読み終わってないし、コミケ明けてからまだ一度もエロゲをやっていない。虎の穴には行ったが、大して買わずに帰ってきた。そりゃまあ現地であんだけ買えてれば、補完も何もないわな。

ちなみに正社員になるのは来年からなのでまだ有給休暇はないし、逆に非正規雇用なので簡単に欠勤届は出せるはずなんですが、すでに現場で貴重な戦力なので休めないという。コミケ期間の13、14、17は仕事を休んだわけだけど、これは夏休みでもなく欠勤届を出したわけでもなく、休日振り替えを駆使しまくって無理やり作った休みなので、八月一杯は休みがかなり限られていたりする。

でも友達に誘われたので、念願の(?)アニサマに行くことにした。これで22日はつぶれる。しかし、ペンライト必須なライブは生まれて初めてなんだが、いきなりアニサマはハードル高すぎないか。初めての同人誌即売会がコミケのような。まあおとなしい範囲で騒いできます。またレポは書く。


とりあえず今ブログの記事で考えてるのは、「コミケの歩き方」っぽいものでも書こうかと。そろそろ社会に還元(笑)しないとねぇ。どうせネットにはありふれている話題なので、出来る限り個性が出るようなものにしたい。書いてる暇が旬なうちにあるかどうかは怪しいけれど。


以下、東方新作ネタバレ。まだ知らない人は絶対に読んじゃダメ。

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2009年08月18日

大人になってもお祭は好き  後編

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2009年08月17日

大人になってもお祭は好き  前編

とうとう僕らも、金で時間を買う世代になりました。


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2009年08月12日

キラ☆キラカーテンコール レビュー

このライターは瀬戸口の後釜としては必要最低限で、最も必要である仕事はした。かと言って高評価できるというわけではない。それはどういうことか。つまり、この作品は紛れもなく『キラ☆キラ』のファンディスクである。『キラ☆キラ』の雰囲気、本質的なところでの精神性、ロックに対する考え方や情熱は本編と何ら変わるところなく伝わってきたからだ。それが最も必要な仕事である。ある種象徴的だったのは、前島祐子がまぎれもなく女鹿之助だったということ。ああ、こんなやつだったよ確かに。(じゃあその本質って具体的には、という話は本編のほうのレビューで。

エロゲ業界においてライターの引継ぎや複数ライター制は全く珍しいことではないが、これが出来ていない作品が非常に多い。『リトバス』ですらそうであったし、『かにしの』のような例は極めて奇跡的であった。これはもちろんライターの功績だが、一応原案ということになっている瀬戸口本人や、bambooが相当気を使ったのかもしれない。なんにせよ、一本筋が通っていたのはいいことだ。むしろこれで本質が変わっていたら、じゃあロックってなんだったんだよって話にもなりかねないだけに、本作ではとりわけ致命傷になっていたかもしれない。

しかし、じゃあなぜこれが最低限の仕事かといえば、にもかかわらず文章で全くノれないからだ。肉体たるテキストが伴っていない。瀬戸口と比較するほうがかわいそう、という話ではあるが、エロゲ批評でするべきは相対的評価ではない。絶対的評価である、と考えるならば、これは不当な判断基準とは言えないだろう。ストーリーの起伏も薄かったが、この際それはどうでもよい。問題はあくまでテキストのテンポの悪さに絞りたい。

シナリオについて少し言うなら(この段落ややネタバレ注意)、第一部も第二部も短すぎた。第一部は、言うまでもなく結衣に関する描写が少なすぎたし、第二部だと、もっと村上が何故悩んだかは描けたはずだ(これに関してはまさに最低限は描いたという感じ)。ミルとの関係は最後までと言わずとももう少し先までは見たかったし、可能だったと思う。最後の最後もなぁ……『キラ☆キラ』を全員で歌うというのは、悪くはなかったけど安直なオチだったような。てっきりライブシーンがずらっと続いて終わるものだと。スタジェネの曲とか期待してた。ネタバレ終わり。

絵と音楽については文句なし。個人的なことを言うなら、誉田君の歌声はあまり好きじゃない。うーん、まあ70点弱。あ、ライブDVDは別評価ということで。あれを含めるといやがおうにも高評価せざるをえなくなるでしょう。
  
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2009年08月11日

マジックアワー

ドジな893の子分が、親分の愛人とできちゃったことが発覚し、太平洋に沈められるすんでのところで、親分が幻の殺し屋デラ富樫を探していることを知り、デラ富樫は自分の知人と嘘をつき、俳優を雇って親分をだまし通そうとするが、ばれないどころか話は思わぬ方向に。

終始笑いが止まらなかった映画。三谷幸喜はそんな馬鹿げた状況あるはずがないというものにリアリティを持たせるのが本当にうまい。『笑いの大学』も『ラヂオの時間』も『有頂天ホテル』も、そうやって生まれてきた。今回は893の親分を俳優の演劇でだまし通すというまたしても馬鹿げた状況だが、やはりそんなバカなというくだらなさと、妙なリアリティの両者がうまくマッチしていた。いつばれるのかばらすのか、視聴者の側がはらはらしっぱなし。

終盤はかなり超展開だが、なんかもうどうでもよくなるほどそこまでの展開が馬鹿馬鹿しいので(良い意味で)、大して気にならない。特に最後の最後は、なんかもう西田敏行さすがだよなぁ、と。それまで893の親分ながらあまり目立った存在でもなく、中途半端すぎるかっこよささえ漂わせていたのに、最後の最後で全部持ってった。

いつものことと言われればそれまでだが、鈴木京香やら天海祐希やら唐沢寿明やら、わざとらしいチョイ役で大物出すぎで気が抜けない。というか、スタッフロールを見て香取慎吾の出演を知ったんだが、さっぱりわからなかった。『有頂天ホテル』の役でカメオ出演とかさりげなさすぎる。しかもストリートミュージシャンとか言われないとわかんないってば。
  
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2009年08月09日

エリン・ブロコビッチ

貧乏職無し離婚歴二回三人の子持ちの女性が、弁護士事務所に事務員として雇われ(実際には押し入ったに近いが)、ある公害問題を解決させ、米国史上最高額の和解金で調停させることに成功した、という話。実在の話を元に制作された。

ジュリア・ロバーツ演じるエリンはともかく破天荒な女性である。ともかく口が悪いし短気。礼儀も何もあったもんじゃないし、反骨精神の塊で、弁護士事務所で働いている癖に反知識人的。アメリカだったからマシだったのかもしれない。日本だったらこのサクセスストーリーはさらに困難なものになっていただろう。

一方で、"三児の母"の色気さえも武器にするしたたかさと、他人のために本気になれる情熱の強さは、確かに彼女の武器であった。本人も言っているように彼女には知識も教養も無いが、頭の回転は間違いなく速い。一度しゃべりだすと止まらないし、的確に相手の弱点を突く非常にいやらしい話し方だ。気になったことを最後まで調べつくす執念もあるし、細かいところに気付く鋭敏さもある。この映画に関してエリン・ブロコビッチ本人は「私はいつもブラのひもを肩から外に出していたようなことはしなかったわよ」とは述べているが、逆に言えば実際にあんな感じだったってことだ。恐ろしい。

こうなると、エリン本人も偉大だがジュリア・ロバーツも称えなければならない。でもまあ、『プリティ・ウーマン』も『ノッティングヒルの恋人』も、ストーリーはともかく(どっちも眠かった)演技は悪くなかったから、やはり彼女は名優なのだろう。『エリン』が最も良い出来だったのは間違いないが。

  
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2009年08月08日

C76 サークルチェックリスト(三日目)

しんどかったら二日目作ったところで止めるか、と思ったら一時間くらいで作れたので、調子に乗って三日目も作っておく。

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2009年08月07日

C76 サークルチェックリスト(二日目)

作ろうかどうか迷ったけど、やっぱり作ってみんとす。あくまでも現時点での予定に過ぎないので、当日行かなくても許してほしい。さすがに一々リンク張るのがめんどくさかったので、初めてURLは自動リンクの項目にチェックを入れてあるのでそれを信じることにする。なお、とてもじゃないが全部回れる量じゃないので、「確実に行く」って書いてない場合はかなり怪しいと思ってくれれば。

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2009年08月06日

毎年の楽しみな新収蔵品

デューラー《メランコリア機西洋美術館の所蔵品版画展に行ってきた。そんなに宣伝してなかったし常設展料金で入れるわけだが、所蔵品だしそんなもんだろう。普通の特別展ならば大概マスコミを主催として多くの企業がかかわっているが、今回は協賛:EPSON以上終了だったので、おそらくノルマも課されておらず、尚更集客する必要性が無い。

しかし、質は悪くは無かった。西美も一年に一度くらいは所蔵品の版画を常設展なり特別展なりで公開していたと思うが、さすがに集めやすいのか良いものがそろっている。

トップバッターでいきなりデューラーの《メランコリア機佞お出迎えしてくれる。この作品に関しては薀蓄を語れるポイントが多い。根本的なところでは古代・中世医学の四体液説に則っており、人間はこれらのどれが多いかで性格が変わるとされた。血液型占いに似ているかもしれない。このうち、現代ではなんのことやらわからない黒胆汁が多い人間は憂鬱質とされ、人間付き合いのしづらい人間とされてきたが、一方で哲学者や芸術家には多いともされ、この点では現代における哲学者や芸術家のイメージに継承されている。メランコリーという言葉自体が黒胆汁が語源である。ここで描かれた人間は黒胆汁質だが、その周囲には謎の多面体や球体のようなオブジェ、コンパスなど幾何学を想像させる物体、虚栄を象徴する天秤や砂時計も描かれ、人物もどことなくイエス・キリストその人を連想させる。他にも一つ一つの描き込みが何かしらの意味を持っていたはずだが(あの梯子にすら)、忘れてしまった。勉強しなおしておこうと思う。非常に緻密な作品である。版画とはいえ、ぜひ実物で。かなり接近して見ることができる。このほか、デューラーの作品はいくつも展示されている。

残りはレンブラント、ドーミエ、ゴヤ、ホガース、ドラクロワ他。あと、なぜかやたらと多かったのはマックス・クリンガー。そこそこ美術に詳しい人なら、ほとんどの画家の名前は知っているのではないだろうか。嬉しかったのは、ピラネージの作品を数点見ることができたことだ。やはり、ローマは廃墟であるべきである。とは言いつつも展覧会全体は人間の身体が中心となっており、ゴヤやホガースの作品はグロ注意と言わざるをえない。

常設展も見た。新収蔵品もいくつかあったが、ハンマースホイの作品をあのとき一点買い取っていたようだ。これは偉い。おまけにブーグローの作品まで買っていた。小さい品ではあるが、幼女の肖像画であることに最大限の賛美を与えたい。

いつも置いてあるものでは、マリー・ガブリエル・カペの自画像。これは相当美化して描いたのかもしれないが、そんなことは現代人である我々にはわからない(どうやら実際本当に美人だったらしい)。それにしても美人だ。自画像というのも属性としてポイントが高い。なお、彼女の師匠アデライド・ラビーユ=ギアールはあまり有名ではないものの、その友人のルブラン夫人はマリー・アントワネットの有名な肖像画を描いた18世紀最高の女流画家である。カペ自身はフランス革命にもめげず、師ラビーユ=ギアール夫妻のアトリエで活動を続け、ほとんどそのまま亡くなった。革命後もけっこう繁盛していたようだ。だが、日本で手に入る文献は少なすぎて、せいぜい西洋美術館の紀要に載っているくらいなものである。
  
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2009年08月05日

ナイトミュージアム

2記念で半額になっていたので。今回初めてブルーレイで借りたんだが、確かに画質がとんでもなくよかった。でも、別にこの画質は要求しないなぁ。アナログ→地デジがけっこう感動したけど、DVD→BRはそこまででもなかった。

内容は説明するまでもない。「この発想はあった」を忠実に映画化したものだが、けっこう出来はよくおもしろかった。ローマ帝国と西部開拓を二大主人公としていた点にはアメリカ人の自意識を感じたが、これは当然のことだろう。日本人にとっての戦国武将と維新志士みたいなものだ。

野暮なつっこみを入れるなら、オクタヴィアヌスは前線にほとんど出たことがなく、出ても負ける史上最弱の皇帝で、実際の戦闘では部下の優秀な将軍が指揮をとったし、劇中のような果断な性格でもない。身体も弱く、だからこそ摂生したので逆にローマ皇帝の中でも長生きしたと言われている。ちなみに、世界史の教科書で彼が戦勝したという扱いになっているアクティウムの海戦は、彼をローマの初代皇帝に就任させる決定的な出来事となったため有名だが、実際のところオクタヴィアヌスは船酔いで吐いていただけである。指揮はもちろん、彼の片腕アグリッパが取っていた。

それにしてもセオドア=ローズヴェルトはかっこよかった。アメリカの誇るべき指導者のうちの一人である。映画内でも、国父の国父たる立ち回りを披露してくれた。今でも人気の高い大統領の一人だそうだが、だからこそこのような立ち回りを得たか。次回作はリンカーンも出てくるそうだが、彼に与えられた役回りはどんなところか。そういえばコロンブスも出演していたが、彼は知名度とアメリカへの貢献度の割りに活躍しなかったような。扱いが難しかったのかな。逆にアッティラがあれだけ目立ってたのは意外だ。八つ裂きマニアとか、使いやすい人ではある。


これは2もおもしろそうだが、スミソニアンはやばいてw。所蔵品の規模と種類がとんでもない。エノラ=ゲイが出てきたらどうしたものかと思ったが、どうやらそんなことはなかったようだ。まあ危ないところは避けるわなぁ。
  
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2009年08月02日

見えないところに霊夢

いろいろ読んだので。

・グリモワールオブ魔理沙。神主がこのタイミングで(忙しいだろうに)、しかも書籍タイプの新刊を出してくるとは思わなかった。これはおもしろい。全く攻略にはなっていないが、弾幕から見る東方の世界観理解への一助にはなるだろう。演劇タイプ、バグタイプ、とか。「ネットで攻略方法は検索できるんだから、これからのゲーム関連書籍はこういったものになるんじゃ」という神主の言葉にも同感である。

それはそれとして、挿絵を担当されたみどりのにわの守姫武士さんはパチュマリ好きとして冬コミくらいに知って、そこからは追っているサークルさんで、今回の挿絵担当という話も全く知らず買って開いて最初の挿絵を見て驚いた。今までの秋☆枝さん、TOKIAMEさん、くらっしゅハウスの比良坂さんetcに比べると圧倒的に知名度に差があるわけで、なんという大出世。フルカラーだし、弾幕描写も悪くないのでこの点でも満足である。それにしてもパチェには気合が入ってた気はするが。しかし、ここのサークルは今までそんなに混んでなかったんだが、これはこの夏コミやばいのでは。案の定誕生日席ではあるもののほとんど島中と言っていい配置だし。


・マリみて最新刊『リトルホラーズ』。内容は短編集で雑誌からの再録、加筆が大半だそうで、雑誌コバルトを読んでいる人からすればどうやら出て当然の最新刊だったらしい。そういう事情を知らなかった私としては「たった半年で復活かよ、いつもの倍かかっただけじゃんw」などと思ってしまった。なお、まだ再録の済んでいない短編は残っているが話の雰囲気が違ったので見送ったらしい。ということは、遠くない未来にもう一冊短編集が出るかもしれない。あとがきに「たまればまたこのパターンは有りかな」と書いてあるし。

リトルホラーズということで一応ホラーという体裁はとっているが、本格的に怖い話はなく(まあそれは『マリみて』の雰囲気に合わないだろう)、まあ気味が悪いといおうかとりとめのない話というか、どう反応して良いのかわからない不思議な読後感の短編集であった。シュールとまで言っていい話もある。

つなぎとして間に入っていたマリみて本筋の話は、ちょっと無理があるような気はするけどつなぎっていつもあんなもんか、というくらい。奈々ちゃん主人公というのは良かった。それぞれ学年の上がった既存キャラたちはこう見えるのかと。祐巳はしっかりしてきたように見えて本質的には変わってないといういつものクオリティ。瞳子は役者ですな、実に良い。乃梨子は天然。志摩子さんは影薄いからもう少し出番欲しかった。そして、由乃の扱いひどいなぁw。ここまで考えなしだったっけ?


・もやしもん8巻。ビール編。正直に言って自分も地ビールにそこまで惹かれる理由がない。ビールにそこまでこだわりがなく、居酒屋での最初の一杯の生中で十分満足してしまう。理由はいくつかあって、そもそも穀物系統のお酒よりも果実酒のほうが好きだから。胃が小さいのであまりビールばかり飲むとそれで腹が膨れるので。特に生中の圧迫感は異常である。それらを除いても、やはり日本のすっきりとしてキンキンに冷えたビールをあまりにも飲みなれてるなぁと。癖がなくて、辛口の日本酒に近いと思う。

それはそれとして(二回目)、おいしいってことが一番大事なのであって、薀蓄で飲むものじゃないということには同意できる。ただ、一方で薀蓄も付加価値としては認めるべきだと思う。ワインも薀蓄で飲んでるところは無きにしも非ずだろう。しかし、商品のラベル貸しで、アサヒビールとサッポロビールはよく参加してくれたもんだ。これは地ビールが参加するよりもよほど好印象を残したと思う。サントリーとキリンの広報はまだまだ目が行き届いてない。


・狼と香辛料10巻。最新刊ではない。あまりこういう読み方ばかりをするのは自分でもどうかと思うのだが、もう一種の職業病と化しているので書き残しておくことにする。時期の推定としては前にも書いたが13世紀頃であると思われる。イスラームとの十字軍が終わり、北方十字軍が盛んであったこと。北欧やロシアには異教が残っていること。商業ルネサンスが終わり、香辛料や黄金を輸入する南方の諸都市が栄えていることなどがその根拠として挙げられる。その上で、パッツィオは北イタリア、リュビンハイゲンはプラハかアウクスブルク、クメルスンやテレオはドイツやポーランドのどこかだろう。

しかしおもしろいのはここから現実の地理とは大きく異なった動きをする。レノスやケルーベはスラヴやゲルマンというよりはラテンな響きのする名前だし、レイノルズにキーマン、エーブと来たらイギリスなんじゃないかと。ウィンフィール王国はもろにブリテン島ですな。中世イングランドといえば大陸側のほうが領土が大きかったくらいだし、ケルーベがウィンフィール王国領ではないようだけど、言語がイギリス系でもおかしくはない。もっとも、中世の英語は今の英語と似ても似つかぬものである、ということはこの際忘れることにするが。

ルウィック同盟はハンザ同盟なんだろう。実際にハンザ同盟は一時期、王位を左右するほどの権力、軍事力を持っていた。史実では新大陸の発見や西欧各国の王権伸張で、ハンザ同盟の側が衰退していったし、イングランドは商業重心の西進や羊毛需要の増大で勢力拡大を果たす。しかし、こちらの世界では逆に羊毛が暴落し暗君を輩出した結果、ハンザ同盟に乗っ取られそうと来た。これは本当におもしろいし、実際にありえたかもしれない歴史の展開だ。もし現実でそうなってたら、北欧一帯に大ハンザ共和国連邦でも出来てたんだろうか。妄想が広がる。

まあ、そういうことを言い出したら、中世なのにホロがジャガイモを食ってるのはおかしい、という指摘をするべきなんだろうけど。  
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2009年08月01日

『聖遺物崇敬の心性史』秋山聰著、講談社選書メチエ

あまりにももろに著者を知っているため非常になんとも書きづらいが、要するにうちの先生の本である。読んでいて著者の声がリアルに再生されるという本も珍しい。某院生が「今年の授業はこの本読んでたら出なくてもいい」と言っていたが、内容もさながら、確かに著者の授業の語り口がそのまま文章になったような本であった。実際の口調と文体が一致する人というのは意外に少なく、かく言う私も全く一致しない。それだけに珍しいタイプの先生かもしれない。

さて、内容は中世の聖遺物崇敬についてである。誤解を恐れずにざっくり言えば聖遺物とはキリストや聖人たちの遺体や衣服などのことであり、中世のヨーロッパにおいてはそれらから「オーラのようなもの」が放出されていると信じられていた。ゆえに聖遺物はある種の偶像のように崇敬されてきたし(※)、教会にとってはうまい具合に飯の種となった。やがて聖遺物には金銀宝石を用いた容器が作られるようになり、ここで聖遺物崇敬は美術史と関連を持つのである。(※ 崇拝ではない。この違いについては本書を参照のこと。)

現代の感覚では信じがたいことに、中世の聖職者は聖人の遺体を切り刻んでその一部を譲渡、購入もしくは盗難することで自らの教会に持ち帰っていた(想像するにグロい話だが)。加えて、一見すればただの骨や襤褸切れにしか見えないこれらを権威付けるために、金銀宝石を用いた容器が用意された、その結果容器のほうも崇敬の対象となった、という本末転倒気味な展開もある。聖遺物崇敬について詳しい人は非常に限られるだろうが、本書では基礎的な部分から聖遺物容器の造形的な分類や展観(聖遺物公開)の様子なども詳しく説明している。まったくの無知からでも十分楽しめると思うし、ある意味、真っ当な美術史よりもよほど興味を持ってもらえると思う。

くだらない雑感をいくつか。秋山先生なら、前書きか後書きはさぞおもしろいこと(褒め言葉)になっているだろうと思って期待していたのだが、さほど横道にそれてはいなかった。ケルンの聖ウルズラ教会の話でも、もっと書けばよかったのに。本書のカバーに著者近影が掲載されているが、この写真がやや緊張気味に映っている上に、白黒にすると実物よりも人相が悪くなった。これはちょっとかわいそうである。


聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形 (講談社選書メチエ)聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形 (講談社選書メチエ)
著者:秋山 聰
販売元:講談社
発売日:2009-06-11
クチコミを見る
  
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