2009年12月30日

非ニコマス定期消化 2009.8月下旬〜9月上旬

4ヶ月のタイムラグから3ヶ月のタイムラグにまでは追いつく、という予定だったのだが、逆に引き離されているような。記事のペースを上げるべきか。




一応中の人は本業のチェーンソーアートでもけっこう有名な人で、59歳の長野県民だったりする。撮影はご長男がなされているよう。広めていいものかどうかがよくわからないが、すでに長野新聞なんかが取り上げているので手遅れ感もある。こちらがそのHP。むしろ本業の作品がとんでもなくすごい。鳳凰とか。ジェイソンさんでやってるような、新しいものへの創作欲がこういう芸術家を支えてるのかな、とか思った。




この人の動画久しぶりに見た。でも、いまだに初音ミクの気の抜けた声はこういう使い方が実は正しいんじゃないかと思ってたりする。





ニコマス保管庫のほうにも貼ったが再掲。公式でデュオが実装されてないのでニコマスの技術力でデュオにしてみたでござるの巻。被写界深度を使ってるあたりがいかにもニコマスPである。「先生、その子千早じゃありません」タグも味を出してて良い。こうして聞いてみると、ドリクラの声優陣歌うまいよなぁ。アイマスほど売れなかったのが惜しい。




一時停止に手をかけながら見る動画。東方に多い気がするけど、作りやすいのかな。




SFCドラクエ5もナイト・オブ・ナイツも好きなんだぜ。イオナズン便利だなと思った。




コロスケ懐かしくてマイリスしてしまった。今はもう人気カテゴリの歌ってみたですが、ニコニコγの当時は、まあゴムという例外はいたけども、全くの素人が組曲を歌ってみたりしたのは、転少女や内緒妹あたりが本当に最初だったような覚えがある。当時からどうでもいいと思ってた自演騒動のせいで、黎明期の歌ってみたがことごとく滅んでいるのが、アーカイブとしては非常にもったいない。転少女の最初期のは残っておらず、別の人があげたのが見れる。それによると、転少女の組曲歌ってみたは07.7.16だったらしい、そこから2年経っていると考えると、この子もいろいろあって、こうしておもしろい動画を挙げられるようになったんだなぁとか変に感慨深くなった。ニコニコユーザーはちゃんと進化しているのかもしれない。




せみのぬけがら以外の混入物ならば食えそうだと思った自分は確実にゲテモノ慣れしすぎてると思う。昔は身内でこういうの作って食ったなーとか。俺らの世代なら、サイゼのドリンクバーで全部混ぜとか余裕でしたよね?よね?




サックスやピアノを多用した楽器構成もさることながら、裏で主旋律とは別の旋律が流れてるところだとか、せかすようにワンテンポ本来よりも早めに展開するところだとか、よくZUNの音楽が研究されている。原曲の裏旋律をじっくり聴くのが好きで、ゆえに「月まで届け、不死の煙」や「千年幻想郷」なんかを聞き入ってしまう自分としては、これは高く評価せざるをえない。



  

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2009年12月27日

今年最後のお買い物報告


テルマエ・ロマエ
→ 一部で話題になってたお風呂漫画。古代ローマ人がお風呂限定でタイムスリップ。
→ ローマの風俗と思考がよく現れてて良い。異民族を見たらとりあえず奴隷だと思うところとか、現代日本の文明度を見て「この国はどれだけの属州を従えているんだ」と考えるところとか。
→ 古代ローマの公衆浴場への情熱もさることながら、この漫画家はお風呂そのものへの情熱が半端無い。
→ いやらしい言い方をすると「漫画読み」受けは確実にするんだろうな、とか。忘れ去られてなければ来年の「この漫画がすごい!」にはノミネート確定。
→ でもこれネタ続くのかな。お風呂ネタは限られているわけで、なんとか質を保っている『聖☆おにいさん』よりも心配である。
→ 作品内時間でももうすぐハドリアヌスが死んでしまってアントニヌス・ピウスの時代に入るわけだけど、ピウスは先代ほど話題ないからなぁ。


星屑バスケット
→ 魔理沙合同同人誌。恋マリ発刊とか言われても恋マリがマイナーすぎて気付かなかったよ!
→ でも日程と場所を見たら余裕で行けた。しかも参加サークルけっこう豪華だった。行けばよかったんだぜ。まあ冬コミで既刊が買えると信じて。
→ 話を同人誌に戻すと、参加メンバーがめちゃくちゃ豪華。こういう参加人数の多い合同誌で知らないサークルが一つもないというのは初めてかも。
→ それぞれ"らしい"話で、コミケ前に東方老舗サークルを総覧するのにもちょうどいいかも。+legacyの滝島さんとかアンニュイ赤蛸のたこさんとか、こんな話あんたらにしか描けないよ。


・ 小説げっしょー
→ フルカラー扉絵が別冊で付録につくと聞いてメロブ以外で買う意味は消滅した。
→ というかむしろ本体についてないってどういうことなの?一迅社は味をしめたな。
→ まああんだけ漫画げっしょーが売れれば味もしめるか。
→ 中身については今更どーこー言うべきものではないが、4話の妹紅は実に良い。
→ 最近わかったんだが、月人は何かに近似できるなと思ったが、あれだ。中華思想バリバリの前近代中国人だ。
→ 月の都が穢れ無きがゆえに技術の進歩で地上を圧倒し、中華思想ゆえに地上不干渉であるのならば、仮に地上で"産業革命"が起こったらどうなるのか、なんて。
→ 冒頭に「考える葦が考えることを止めたならば、地上は確かに穢れの少ない草原になるだろう。月の民はそれを願うのか」という言葉が入っているが、あわせて考えるとなかなか奥が深い。
→ どうでもいいことだが、実は「水江の浦嶋子」ではなく「水江浦の嶋子」かもしれないらしい。要するに浦嶋・太郎なんじゃなくて、浦・嶋太郎の可能性があるとか。いや、ほんとどうでもいい。


・大槍葦人画集
→ そういえば、葦の人だ。
→ 中身?うん、ペドい。
→ こうして見ると変わってないようでけっこう変わってる。最近の絵のほうが若干好きかもしれない。
→ 某所でも言われていたが、新しい絵から順番に載せるというのは珍しいかも。
→ とりあえずフェアリース早くやれって声が聞こえてきた。卒論終わったらがんばる。


あと、今日秋葉原に行ったらすでに一部コミケの同人誌が売られてた。そういえば前もこんなことあったような。おかげであまり興味もないのに蛸壺屋の同人誌買えてしまった……紳士協定とかないんですかね、これ。フライング可能ならどんどんフライングしていただけると、当日の購入量が減って大変助かるんですが。
  
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2009年12月24日

C77 サークルチェックリスト(三日目)

やっぱり三日目のほうが楽そうだ。壁も少ないし。しかし、大晦日行きたくねぇ。というか、男性向が東で、ギャルゲーが西配置とかどういうことなの……明らかに東西連絡通路が渋滞するんだけど。

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2009年12月23日

C77 サークルチェックリスト(二日目)

とりあえず今回も作ってみた。まぁ、ここに書いてある通りに買いに行くとは限らないけどわけで。というか、物理的に無理。

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2009年12月22日

デラーズ・フリート? それは国民新党でしょう。

・青春18きっぷ使用者にしかわからないこと(ぶる速VIP)
→ 「初使用の洗礼は浜松〜熱海か岡山〜姫路」僕は(豊橋→)浜松→熱海でした。その後、熱海から東京へ。
→ 「同じメンツで何百kmも移動」でもなぜか尽きない話題。特にコミケ帰りとか。
→ 「米原ー大垣間の異常な混み具合」あそこはやべぇ。降りる人がいない上に北陸本線と接続する。分散するとしたら近鉄なんだろうが、微妙に違うとこ走るしな……
→ お前ら車買えよは禁句でござる。心はいつまでも18歳。


・こんなエロゲーは嫌だ
→ 思わずブコメに「1位ゴレンジャイじゃねぇか」って書いたんですが、ネタがわかった人が多かったってことだろうか。エロゲユーザーそういう世代なんだなってことで納得してよろしいか。


・ジャンプの「疑探偵TRAP」は過大評価されすぎ (ギャルゲーブログ)
→ お前らほんとノリ良いのな。
→ ちょっと古いスレなわけだが、この人らもまさかTRAP打ち切りでもう次の連載が始まってるとは思うまい。


・自民新党名、ネオ・ジミンではなく「アクシズ」に決定 (ボーガスニュース)
→ これはうまい。特に「「60年ほど前には日本の国自体が“アクシズ”を名乗っていた。ゆかりのある名称だし、とても縁起がよい」が秀逸。


・平家の名将『平沢唯』(たいらのさわただ)について教えてください(無題のドキュメント)
→ 良質なネタスレ。
→ 「計隠部」(はからべ)が秀逸。はからべと読ませるのは良いセンスをしている。


・学校で教えてくれない、芸術を評価するための6つの視点
→ 注目はコメ欄だが、全く読まなくていい。無駄な議論だから。
→ しかし重要なのは無駄であるところであって、「感性派」と「理論派」の争いは永久に終わることはないということの証左である。
→ 重要なことは単純に、理論と感性というのは両輪であって、その双方を使わなければ芸術を本当に楽しむことはできない。
→ その意味で「より重症」なのは感性派だと、個人的には思っている。
→ 少なくとも、感性の鈍い人間にとっては理論が芸術を楽しむためのありがたい入口であって、しばしば誤解されることであるが、別に理論派はセレブな気分に浸りたいがために芸術を愛しているわけではない。そこは感性派と変わりなく、芸術が単純に好きなのだ。
→ そして、こういった文脈のもとで、芸術を楽しむの入口としては、本記事は有用であり秀逸である。しかし、この文脈を説明しなければならないところにもまた、現代社会の芸術に対する病理を感じた。
→ まあ芸術家の側も悪いんですけどね。だから現代芸術は嫌いなんだ。  
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2009年12月21日

第152回『海の都の物語(下)』塩野七生著、新潮社

下巻は大航海時代の到来とオスマン帝国の登場から、ヴェネツィアにとっては苦境の時代が続き、やがて最後はナポレオンによって滅ぼされるまでの歴史を描く。本来ならば、ヴェネツィアはオスマン帝国の登場と新大陸の発見が重なった時点で弱体化していてもおかしくはなかったはずで、実際に陸にせよ海にせよ小国は次々と歴史の表舞台から消えていった時代だったのだが、ヴェネツィアは政治面、経済面の大改革によって、その衰退の兆しを100年近く「引き伸ばした」。ヴェネツィアが本当に時代の流れについていけなくなったのは、15世紀や16世紀のことではなく、17世紀の後半に入ってからのことである。1571年のレパントの海戦では、その主戦力はいまだヴェネツィアの海軍であった。

しかし、それはさながら「ちょっとうまくいった軍人皇帝時代」のローマのようであり、結局ヴェネツィアも、自分の身のうちに気付かないような細かい傷を蓄積させ、緩やかに、しかし着実に衰退を始めていったのであった。引き伸ばした、という言葉がまさに適切であるというのは、ヴェネツィアが衰退した大きな要因というのは結局、大国の台頭と新大陸の発見という、15世紀の事象に過ぎないからだ。時代の流れそのものを変えた結果が、最盛期を長くしたというわけではないのである。

一つおもしろいのは、16世紀になされたその経済上の改革の一つが、それまでの交易特化から経営の多角化、とりわけ自国産業育成の強化であったということだ。普通覇権を握った国家というのは、生産力、軍事力、金融力の順番で成長し、同じ順番で衰退していくものである。これはヴェネツィア同様、交易が国家の主要産業であったオランダでさえもそうであった。しかし、ヴェネツィアの場合は、はなから生産力というのもはほとんど持たず、陸軍も干潟に守られるという利点からほとんど捨てられ、自慢の海軍は交易によってなされた。ゆえに、交易に国家が頼りきりになるのはリスキーであるという状況がオスマン帝国と新大陸によってもたらされて初めて、ヴェネツィアは生産力に注力し、そして実際に地中海では随一の工業国となり自国の最盛期を100年引き伸ばすことになる。これは非常に特徴的でおもしろい。もっとも、その生産力も、イギリスやフランスといった大国が本気を出し始めると次第に相対的な地位を低下させ、結果的に17世紀の緩やかな衰退の一部となっていくのだが。


著者自身「民族の魂の部分が変化していないのに、ゆえに気付かないうちに腐っていくという恐怖に勝るものはない」と書いているが、まったくもってその通りであると思う。『ローマ人』は最後、ローマ人でなくなったから滅んだが、ヴェネツィアは最後までヴェネツィア人であったのだ。しかし、時代の流れは残酷であった。最後の最後、ナポレオンがヴェネツィアに攻め入ったときも、ヴェネツィアっ子たちは、この干潟の上にある都市という利点を生かして、徹底抗戦をしようとした。しかし、抵抗の無意味と、いまだ生きていた諜報機関からの情報が、元老院に降伏を決断させたのだった。仮に徹底抗戦していたら、という架空戦記はおもしろいが、どう考えても悲劇に終わる公算が高いだろう。それほどまでに、時代の流れというものは、残酷なものなのだ。



海の都の物語〈4〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈4〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-06-27
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海の都の物語〈5〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈5〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-06-27
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海の都の物語〈6〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈6〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-06-27
おすすめ度:5.0
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2009年12月19日

第151回『海の都の物語(上)』塩野七生著、新潮社

実は『ローマ亡き後』と並行して一気に読んだ。あちらに「地中海世界という色とりどりの寄木細工の、北を占める大ぶりの寄木」と言われているが、ぶっちゃけて言えば『ローマ亡き後』もかなりヴェネツィアが主人公として扱われていたということは全く否定できない。とは言いつつも、確かに『ローマ亡き後』はヴェネツィアと諸外国のかかわりという視点であったのに対し、こちらは完全に著者がヴェネツィア人になりきって内側から書かれている。

上巻は、ヴェネツィアが干潟の上に誕生してから第四次十字軍という機会を経て飛翔し、ジェノヴァを倒して最盛期を築き上げる15世紀後半までを描く。つまり、最初は蛮族から逃れるためにあえて「塩と魚しかない」土地に移住し、それしか生活の糧がなかったがために始まった交易と、少ない人的資源を生かすための寡頭制が、いつしかヴェネツィアを地中海随一の強国へと押し上げていく歴史である。ヴェネツィアは徹底的なアンチ・ヒーローの国であり、君主制でも民主制でもなく寡頭制だからこそ、1千年もの間生き延びることができ、しかもその半分以上の期間で地中海史の表舞台に立っていることができた、とする史観が、本書全体に貫かれている。

完全にヴェネツィアに焦点が当てられているだけあって書き込みは非常に細かく、政治システムや交易に使用された船の種類といった歴史の中心といえるようなものだけではなく、ヴェネツィアの家の設計方法や社会風俗、女性の暮らしの変遷などにも踏み込んでいる。本書が塩野七生作品においても特殊であるのはこの点で、確かにその性質から言っても『ローマ人』しか並び称せられるものが無い。

ところで、同じ上昇気流という点では『ローマ人』の1〜9巻と雰囲気は似ているはずなのだが、『ローマ人』では11〜15巻の下降期よりも上昇期のほうがおもしろかったのに、『海の都』では下巻のほうがおもしろかった。それは、ローマの場合はその全時代がかなり有名で、だったら上昇期のほうがおもしろく感じるのは当然である、という単純な話であるのに対し、ヴェネツィアの場合、上昇期は描かれることが多いが下降期は描かれることがあまりない、よってよく知らない時代のほうがおもしろく感じた、ということではないだろうか、と思っている。

これは同様に『ローマ亡き後』も上巻のほうがおもしろく感じたということの証明でもある。なぜなら、同じ日本ではあまり知られていない時代であっても、コンスタンティノープル陥落以後のほうがまだ知名度が高く、「奇跡の皇帝」フェデリーコ2世の頃のシチリア島なんて、私だってよく知らない時代であるからだ。これから彼女がどれだけ歴史物を書くかは知らないが、どんどん未知の時代に切り込んでいってほしいところである。


海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-05-28
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海の都の物語〈2〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈2〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-05-28
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海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-05-28
おすすめ度:4.5
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2009年12月18日

非ニコマス定期消化 古めのもの整理

最近になっていろいろ発掘したので。




天皇戦タグ吹いた。確かに、神武天皇か雄略天皇あたりとのバトルで使用されそうな曲。



もう一つピアノで。この人のごちゃ混ぜ系は何を聞いてもおもしろいが、やはり「不気味か代」発掘のきっかけになったこれで。





めったに見ない踊ってみただけど、この子はキレが良くていいと思う。かわいいのもそうなんだけど、それ以前にダンスだけで評価できる。下のルカルカのほうは振り付けも自分で考えたらしい。




僕の知らない間に小型化戦争はえらいことになっていた。制作費、ある意味数億円。科研費返せwwwwwと苦笑交じりに言われても文句の言えない大作である。いいぞもっとやれ。これ、ネギが振れるようになったら真っ当な技術の革新になるんじゃ。





ベア皇帝一人旅、とうとう完結。普通にクリアするのもしんどいロマサガ2を厳しい縛り条件でクリアしたはずなのに、浮かび上がってくるのは賛嘆というよりも爆笑というのが、この動画の性質をよく表している。ひどい歴史を見た。史上稀に見る外道皇帝であった。ラストバトルで本当にパリイして、しかもちゃんと流し切りを防ぐとか、運にも恵まれた動画でした。




最近わかむらP見ないなと思ったら「兄貴かエア本」ね……気になる人はoikawaでタグ検索してみよう。まあ、入院してたのも本当なので、ダブルでアイマスでは見なかったってことなんだろう。




完全に合唱だこれ。magnetから聞き始めたけど、この人は本当にすごい。






なぜか一気に見てしまった解せぬシリーズ。私的傑作選はこの3つ。純朴おぜうさまがかわいい。


  
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2009年12月16日

シネ☆MAD 3rd 感想

見た順番がそのまま評価高い順という珍しい結果に終わったので、出勤前にさっくりと書いておく。


3A07



説明不要の大傑作。できればニコマス民以外にも見てほしいが、その場合は「これはほぼ全部ゲーム画面でもなくMMDでもなく、自作の3D映像」ということを念頭に入れておいてほしい。セバスチャンPの見事な3Dもさることながら、七夕PのPV、RAPのシナリオ、全てが高水準であり、まさに完璧な合作であった。ちょっと話題になってた劇中曲でありサブタイトルのMemories are hereは名作百合ゲー『カタハネ』の曲。というか、今回のシネ☆MADは百合色が強かった気がするが、この曲を使った3A07が一番真っ当な恋愛劇をやっていたというのはおもしろい偶然である。

(ネタバレ)どこで泣いたって、個人的には集中治療室の廊下の場面。真は壁をたたき、春香は千早に泣き崩れ、千早は必死にこらえていたが紙一重で決壊、いつの間にか春香と立場が逆転してる。律子は小鳥さんに促されるまで気丈に振舞う。それぞれの個性がしっかりと出たシーンで、非常によく作ってある。千早が決壊したシーンで一緒に決壊した。他にも、向日葵畑は太陽のあずさを意識してるだろうし、何より桃邪気P以後にこれを作るのは相当の勇気が必要だったと思う。実際に公開直後は重ねて見た人も多かったわけで。一つの壁を打ち破ってくれたという意味でも、偉大な作品である。(ネタバレ終わり)


CROSSLIFE



製作スタッフ陣を見て百合にしかならないのはわかっていたがw、予想以上に激しかったので大満足である。ただ、選択肢とスキップ機能を利用した擬似的一本道ギャルゲー風の構成にしたのは一長一短だったかと。かなりの人数がシステムを理解せずに、もしくは順番がわからずに途中で脱落していたのが非常にもったいない。加えて、時系列が前後しすぎていて単純にわかりづらかった。アクセサリーの有無や千早の態度を見ていれば理解はできるのだが……。しかし、なんだかんだ言いつつもこれだけ絵的にもストーリー的にも綺麗な百合をアイマスで見せられるとは思わなかったわけで、やはり私はこの作品が好きである。

で、はるちはわっほいなお風呂シーン付のディレクターズカット版はいつ(ry



プラネットラヴ



各所での評価の通り、二番目に出来が良かったのはこの作品。(三番目以降は意見が分かれるようで、私はCROSSLIFEを推す)。1話でやよいのアンテナ引っこ抜かれて血が吹き出たところで笑ってしまい、完全に引き込まれた。最後の超展開は別に気にならないレベル。アイマス公式からすると完全に架空設定だが、千早と美希のキャラをうまく使っているため違和感が無い。2本のPVの出来もよく、むしろこのPVの出来ではシネ☆MAD3rd随一であった。さすがはでっぶるPである。あと、これも百合臭あふれててごちそうさまでした。



Twilight Stage



シナリオ的な関連性は無いが、パロディが多いのでシュタゲプレイヤー推奨、とのこと。オーディションバトルという、最もアイマス本編に近いことをやった。シュタゲパロディなせいもあってシナリオは非常に中二病。だがそれがいい、と来るか、やっぱりあいませんでした、となるかは個人差のあるところだろう。まあ、比較的後者だった自分が何書いても言い訳にしかならないが。シナリオのテンポは良かったし、ピジャPの絵も雰囲気によくあっていた。



JHS 2nd



タイトルが実は英語で「中二」ということで、こちらも似たような系統の話ではあるのだが、あまりにもぶっ飛んでて理解の範疇を超えた。今ひとつ世界観が把握できないまま終わってしまった。何より、シナリオのテンポが悪すぎて間延びしており、どこにつれていってくれるのか不明瞭なまま展開してしまったのが欠点だったのではないかと思う。



春香歌姫綺譚



これに関しては、途中わかむらPが入院し、とりあえず優等生さんが絵を描き溜める中、スケジュールが立たないまま締め切りが来てしまい(何せ原作のゲームさえ『大神』に定まっていなかった模様)、やっとわかむらPが復帰したので、そこから超音速で白梅Pがシナリオを整えわかむらPが編集して完成した作品である。これ以外にももう1チーム出場辞退をしているため、今更2チーム辞退ということにもできなかったのだろう。ここに合作の難しさ、イベント企画の難しさが露呈されてしまった。

そのような経緯であるので評価は難しいが、厳しいことを言えばやはり完成度は最も落ちる。そもそも春香が主人公ではなく、むしろ美希であったことからして、突貫工事がうかがえる。



全体として、3A07が全部持ってったのはいいけど、イベントとしては(1stや2ndと比較しても)あまり盛り上がらなかったという印象。実際、あまり再生数の伸びが良くない。各作品の1話は2万再生ほどだが、最終話は5千再生強に落ち着いてしまっている。運営は悪くなかったが、出揃った作品がそこまで……という気もする。せめてプラネットラヴ級の出来のものがもう一つ出ていれば、かなりイベント全体の印象が違っていた。4thがあるのかどうかは知らないが、運営はめげずにまた企画してもらいたい。
  
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2009年12月14日

山水画の世界でなら隠遁したい

山本梅逸「四季花鳥図屏風」左隻出光美術館のユートピア展に行ってきた。展示内容自体はカタログを買って帰るほど満足行くものであったが、「ユートピア」がテーマなだけあって縁起物が多く、だったら年始にやったほうが集客できたのでは?と思わなくもない。

あと、展示数は少なかった。出光美術館のキャパとしてどうしようもないんだが、1時間弱で見終わった。この後秋葉原でコミケのカタログ買って帰る予定だったのだが、あまりにも早かったので美術館のロビーで、地上9階帝劇の真上という好立地をゆったりと楽しんでいたら思いっきり昼寝していて、逆に計算が狂った。どうやら、出光美術館のロビーが最大のユートピアだったようだ。しかも、某所より確保したタダ券だったのだから……


個別の作品に移る。まず、絵画作品としてすばらしかったというより、伝趙孟頫(フ)の「陶淵明図」。国語の便覧に載ってるブツだが、ここにあったのか。まああんまり有名な人でも絵でもないから話題にもならない。「遊鶴図屏風」狩野永納筆、牡丹と蘭の花が良い。「吉田龍田図屏風」、逸名だがこれは良い。日本の山にはやはり桜と紅葉であろう、ということを再確認させてくれる作品。かなり大きく迫力がある。

「四季花鳥図屏風」、伝俵屋宗達とのことだが、ところどころ荒く、配置も雑然としているため、私には宗達に見えなかった。「十二ヶ月花鳥図貼付屏風」酒井抱一筆、こちらは間違いなく名作である。構図、配置の妙はさすがである。鈴木其一の「秋草図」は、会場で見たときは印象良かったのだが、今図録で見ると雑然としたイメージを受けた。この違いは何だろう。花鳥図関係では最後に山本梅逸の「四季花鳥図屏風」を挙げておく。今回の展覧会の売りとされているだけあって、見事な大作である。画像もこれを貼り付けておく。

山水画はどれも良かったのだが、とりわけ狩野探幽の「周茂叔林和靖図屏風」は挙げておかなくてはならない。周茂叔は北宋中期の有名な儒学者で、茂叔は字(あざな)。周敦頤というほうが通りが良いだろう。ただし、狩野派の開祖である狩野正信が「周茂叔愛蓮図」という有名な作品(国宝)を描いているので、このタイトルもそれに沿ったものだと思われる。林和靖も北宋初期の文人で、代表的な隠者として知られる。周茂叔は蓮について「泥より出でて染まらず、さざなみに洗われてすがすがしい」と延べ、世俗を知りつつも尚流されないことが高徳であると説いた。

右隻には蓮を愛でる周茂叔が、左隻には鶴を飼う林和靖の姿が描かれている。どちらも山紫水明な情景に庵を結んでおきながら、周茂叔は瓦葺のそこそこ豪華な家に住み童も何人かはべらせているのに対し、林和靖はわらぶきの粗末な家で家人も3人しかいない、という対比がおもしろい。国家に仕え学究の道を行くのも、最初から隠遁して高潔さを保つのも、どちらも士大夫のあるべき姿なのだろう。狩野探幽らしい、構図の整った傑作である。

狩野栄信「寿老人図」、寿老人に旭、鶴に松に梅とは豪華すぎやしないか。これも狩野派らしくて良い作品である。仙僉嵒桓老画賛」、実は119人いるそうで、寿老人含めたら100人じゃなくて120人じゃないか、というツッコミがキャプションで入っていた。後ろのほうはもう頭の輪郭と髭だけあればわかるだろというノリでものすごい省略されて描かれているのが、逆に和む。寿老人も嬉しそうである。まあ、それに負けじ劣らず、本日の美術館の鑑賞者の平均年齢が極めて高かったというのはいいっこなしということで。
  
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2009年12月11日

19世紀の国際情勢を東方キャラでたとえてみる

イギリス=結界組(博麗霊夢) 
一人目の主人公。この世の秩序の体現者。彼女にはその実力も実績も権威もある。基本的にすべての国との距離をおき,積極的に争うとはしない。臨機応変に手を結んだり敵対したりする。ゆえに彼女は一見して孤立しており,他方では万人に好かれている。どちらも正しい彼女の姿である。しかし,一度異変が起きれば,楽しんで戦っているようにも見える。彼女が負けることは許されない。それはこの世界(幻想郷)の崩壊を意味するからだ。

フランス=霧雨魔理沙
この世界のもう一人の主人公。永遠のナンバー2。イギリスへの対抗心は強いが,一方で彼女への追従も激しいのがこの国である。ポテンシャルが高く,努力家でもあるがどこかで一つ抜けている。戦争はパワープレー。パワーにつぶれることもしばしばだが。寒いのは苦手。アリスのところに攻めていったときはマフラーもしていったのに……
その国家としての歴史はイギリスと並んで古いが,アンシャン=レジームの頃のことは黒歴史である。うふふ,パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない。

アメリカ=東風谷早苗
イギリスと同系統(巫女)の国家。前世紀に突如出現した,三人目の主人公。星(条旗)の国。そのポテンシャルは最大級だが,いまだ発揮されていないように思える。君主制の常識にはとらわれない共和制の国家。マニフェスト・ディスティニー(笑)あと,巨大ロボット大好き。

プロイセン=魂魄妖夢
「半人半霊」。国土も国家体制も半人前だが,一方でいくつかの場面において主役級の立ち回りをする。近接戦闘に強く,その切れ味は最強である。まじめでキャラと口調が安定しない。辻斬り属性。「切ってから考える」が国是なんだからどうしようもない。彼女が一人前になれるかどうかは,魔理沙の機嫌にかかっている。

ロシア=アリス
新しいように見えて実はイギリス・フランス並に古い国。白亜の露西亜人形。物量ならどこにも負けない。伊達にボムは8個じゃない。本気を出せばとても強いが,本気は出さなかったり出せなかったりする。本気を出そうとしたら真っ赤になったあたり,やはりツンデレなのかもしれない。魔理沙とは仲が良かったり悪かったり,歴史的な因縁多数。それは人によって解釈が違うのかも。

スペイン=十六夜咲夜(紅魔館)
中世で「時の止まった」国。古豪。前々世紀までは全盛期であったが,世界を二分する戦争を起こした結果,霊夢に倒された。無敵艦隊(笑)それでも前世紀までは出番があったが,最近主人公として出してもらえることが少ない。このままフェードアウトしてしまうのか?

日本=聖百蓮
最近になって,数百年ぶりに封印を解かれた。というか,たたき起こされた。その眠りをさましたのは霊夢,魔理沙,早苗の三人だが,中でも早苗の印象は強い。南無三。霊夢・早苗とは同じ宗教関係者(シーパワー)だが,魔法使い(農業国)という点では魔理沙やアリスに通ずる。今後中核メンバーとなっていくかどうかは,神(主)のみぞ知る。

オーストリア=伊吹萃香
「東の国」。多民族国家を体現しようとしてひっちゃかめっちゃかなあたりは,鬼ヶ島であるかもしれない。時代に取り残された古くさい帝国。誰か討伐してあげて。寂しがりやで,意外と誰とでも仲が良い。国土は非常に大きいが本体は小さい。


一応,ドイツ人以外は全部人間と元人間から選出。英仏普米露までは我ながら天才的着想だったと思う。そこから先はやや苦しいが。サルデーニャ・ピエモンテだけ思いつかなかった。うどんちゃん?中国はやはり美鈴、本来は強いはずなのになぜだか普段はいじめられ役が多いという意味で。
ネタが全部わかる人=東方と世界史に精通している人という非常に希少な存在なので友達になってください。
さあ,誰かこれでVictoriaの架空戦記を作るんだ。
  
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2009年12月09日

K-1GP 2009 決勝戦(結果) 

日月が異常な忙しさであったため書き溜めていたものを回してごまかしていたが、いよいよ書いておかないと記憶が薄れていってしまう。今年は予想全的中という結果に終わり、非常にエキサイティングな試合が多かったので見に行ったかいがあった。フジテレビとしても編集が楽だったんだろうなぁw、と。

昨年の反省を生かして、今年は崎陽軒のシュウマイ弁当を仕入れてから行った。しかし、K-1の運営にしろ横浜アリーナにしろ、やはりもうちょっと商売っ気を出すべきだと思う。物販が少なすぎるし目立たない。また、今回は開場の16時と同時に入り、前座試合から全部見た。なんというか、前座試合は所詮しょっぱいなーと思った。

実家周りの連中と行ったのだが、向こうから来た連中は新横浜の隣の菊名駅で背中に「エロジマン」のロゴが入った黒いジャケットの黒人に"next Shin-Yokohama?"と聞かれたらしい。多分ジマーマンのスタッフだったんだろうなぁと思っていたら、準々決勝のときの選手入場の時に、ジマーマンスタッフの端っこのほうにいた、とのこと。


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2009年12月07日

非ニコマス定期消化 第三回MMD杯編

本来ならばまだ三週間経過していないが、MMD関連で書いていたら文章が長くなってきたので切り離す。


8月上旬から中旬にかけて、第三回MMD杯が開催されていた。そのレベルの高さは今までのMMDとは明らかに異なっていた。この時期のMMDにおいてその最も発展した点は、高度な物理演算の導入と、もはや他の3D素材と変わらぬ素体を持つようになった、という点である。これ以後、ニコマスにもMMDが大きく導入されていくことになり「(箱○)のアイマス動画と組み合わせてもそれほど不自然が無い」とまで評されるようになる。しかし、一方でMMDの高度な発展は、それまでの「誰でも手軽に扱える3Dの人型素体」という利点を否定することにもなりかねず、すでに「高度なMMDは他の3Dソフトと変わらない」という声も出始めており、一方で「これ以上の粗を物理演算でごまかすのは無理」という声も聞かれている。これらはすでにニコマスも通った道でもあるが、今後どうなるかは注目である。



第3回MMD杯第三位に輝いた作品。本大会は単純なマイリスト数による戦いであるため(幸いにも工作被害は少なくて済んだ模様)、私が投票した中では最も高位についた作品である。曲は月時計のボーカルアレンジ曲。咲夜のMMDの精度は抜群の出来であり、動きも不自然さが少ない。動画として見ても演出やMMD以外の3Dについても申し分ない。ストーリーはよくわからないのだが。



こちらはテーマ部門別で受賞(テーマは季節)。「振り付けは'06〜07シーズンの浅田真央選手のSP(ノクターン)をベースに、至高のニコ動ピアニスト、ピアニート公爵様の名演奏「時報によるロマンス」(sm3751264)をあわせてみました。」とのこと。MMDというくらいなのだからダンス動画は多かったが、まさか滑ってくるとは思わなかった。ちゃんとスケートしてる感が出てて非常に良い。スポットライトと影の表現も巧みで、個人的にはこれが優勝でいいと思った。



「初音ミクの消失」がミクの限界に挑んだ曲なら、これはMMDと人間の動体視力の限界に挑んでいるともいえるだろう。歌詞を全部手話で再現している。これはもう発想の勝利。





そのMMD杯が終わった後に、度肝を抜かれたのがこれである。もちろん、これはダンスがアイマス振り付けそのままではあるが、(おそらく血のにじむような)モーション作成と物理演算によりほとんど完璧に"ぬるぬる動く"箱○アイマスダンスを再現しており、あえて言うならばMMDの到達するべき点を指し示した動画と言えるだろう。なお、中盤より周囲で吹っ飛んでる巨大ゆっくりは重力反発係数が1を超えているそうでw、跳ねれば跳ねるほど高く跳ねていく。

私はMMDの何が嫌いだったって、まったく人間が踊っているように見えない球体間接人形のような不自然な動きがMMDで最も嫌いだったのだが、本作品を極北とするいくつかの動画はそれを克服したように思える。こうなると、素体とモーションさえ作ってしまえばキャラの応用はききやすく、しかも万人が触れられるフリーソフトであるMMDの射程は断然広くなる。一方で前述のような、そんなものどっちにしても一部の人間しか扱えないのではという不安はますます広がっている。また、今のところ不自然さが感じられないほど現実的な動きをするダンスモーションはまだまだ少なく、技術的な壁は厚い。



10月中旬なので時期的にはやや後になるが、現状最も好きなMMD動画がこれで、理由はMMDレミリアの出来が良いからであるが、ダンスがやはりキラメキラリなのがやや気になる。もちろん他にもレミリアが踊っている動画もあるのだが、モーションの自然さとなるとやはりこれ、ということになってしまう。ここら辺にもMMDの難しさが現れているのではないか。


  
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2009年12月05日

K-1GP 2009 決勝戦(予想) 

いつの間にかブランコ・シカティックがクロアチアのサラエボ体育大学で教官になっていた、しかも厚さ600PのK-1の教科書を出版しており、来年日本でも出版されるとか、貴方そんなにインテリでしたっけ?という衝撃の事実をさっき知ったのだが、なんにせよ今年もK-1GPのチケットがとれたので見に行ってくる。前年同様、予想を立てておく。

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2009年12月04日

第150回『ローマ亡き後の地中海世界(下)』塩野七生著、新潮社

上巻がイスラーム海賊の進出とイタリア諸都市の反攻を描いたものならば、こちらはスペインとオスマン帝国の勃興とそれに挟まれて苦境に陥るイタリア半島、とりわけヴェネツィアとジェノヴァの苦悩を描いたものである。特に東の大国オスマントルコにはとりわけ焦点が当てられている。

「良識とは、受身に立たされた側が口にする言葉であり、行動の主導権を握った側は、常に非良識的に行動するものである」というヴェネツィアの一外交官の言葉の通り、この頃のヴェネツィアは地中海の力量バランスのキャスティングボートを握ってはいたにせよ、すでに主導権を握る立場からは外れていた。繁栄を謳歌するために指導者が全力を尽くす姿はオスマン帝国が地中海に登場する以前と変わるところはなかったが、それはより良くする方向へ動くものではなく、いかに苦境の連続を脱するかへの努力に変わっていた。フランスもスペインもそしてオスマン帝国も、その行動は非良識的であり、ヴェネツィアは信じては裏切られた。(もっとも、ヴェネツィアも第四回十字軍では相当に悪辣であったのだが)

本書はあくまで地中海にスポットライトを当てた歴史小説であるので陸地についてはあまり書かれていないが、当時のイタリア半島というのはフランスとスペイン・ドイツ(ハプスブルク)の熾烈な主導権争いの最中であって、結局ヴェネツィアとジェノヴァでなかろうともイタリア半島はどこも受身の立場であった。その中でヴェネツィアは主導権を保とうと必死にがんばったほうではある、海においても、陸においても。

だが、大国は大国で賢くはなかった。オスマン帝国は北アフリカの海賊たちを用いて、陸軍国にまともな海軍を創設することに成功はしたが、結局元海賊ではヴェネツィア覇権を崩せないまま終わってしまった。新大陸発見や西欧の科学技術進展にもついてこれず海賊ともども先細りとなった。一方でスペインは、ヴェネツィアを信用しなさすぎたし、北アフリカへの遠征も中途半端に終わった。結局何がしたかったのかよくわからないまま没落していく。確かにヴェネツィアはリアリスト過ぎて信用ならない国家だったかもしれないが、対オスマン帝国ということを踏まえるならばあまりにも近視眼的な政治センスであった、というのは塩野七生に同意せざるをえない。新大陸同様、地中海を闊歩し始めるのはフランス海軍と、バレアレス諸島のミノルカ島と後にマルタ島を手に入れるイギリスの海軍であった。

本書で唯一不満なのは、「レパント」でほとんど終わっていて、その後はちょっとしか書かれていないということだ。上下巻通してイスラーム海賊がメインテーマだったのはわかるが、いずれにせよ英仏の侵攻、特にロイヤルネイビーがとうとう地中海に登場することになるスペイン継承戦争や、ジェノヴァ最後の砦であるコルシカ島がフランス領になるコルシカ独立戦争は取り上げるべきだった。そして最後はナポレオン戦争とムハンマド・アリー朝の独立から七月革命前夜のフランスによるアルジェ侵攻で閉めれば、より完璧であった。レパントの次の話がいきなり1830年のアルジェ侵攻では、なんとなくすわりが悪い。

あと、仕方の無い話ではあるのだが、「○○については『××』で詳しく述べているのでそちらをお読みください」が非常に多い。とりあえず『海の都の物語』は必須として、『コンスタンティノープル陥落』『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』もほとんど必須の副読本、可能ならば他のイタリア関係の著作も全部読んでおけという感じがする。その意味で、本書は塩野地中海史の集大成で、いよいよ書くネタがだぶってきたのかなという気もする。


ローマ亡き後の地中海世界 下ローマ亡き後の地中海世界 下
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:2009-01
おすすめ度:4.5
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2009年12月01日

データで見る大関互助会

タイトルであおっておいてなんだが、私は比較的八百長容認派である。実際問題大相撲の番付というのは優勝争いが2敗圏内なのに番付を維持するには勝ち越さなければならない、しかし全体の星数は固定である、という大いなる矛盾を払っているものであり、前頭の中盤辺りのエスカレーターっぷりを見ていると、安易な手段に頼ろうとしてしまう彼らの気持ちもわからなくはないのである。ましてや大関は二場所に一場所勝ち越せばいいという他よりも緩い条件の地位とはいえ、横綱及び他の大関陣全員とあたるという条件がある以上、それも公傷制度が無い現状、ある程度譲り合いの精神が発生しないほうが不自然というものであろう。互助会も大相撲の見所の一つと言えるかもしれない。

しかし、それにも当然限度はある。果たして、魁皇の幕内戦績806勝にどれほどの価値があるだろうか。いまや魁皇でぐぐると「八百長」「8勝7敗」という検索フレーズが沸いて出てくるほどである。魁皇は確かに昔は強かったし、横綱に昇進する機会も何度かあった。特に平成16年の秋か九州で昇進させてしまって、翌年には引退しておけば、晩節を汚すことはなかっただろう。しかし、横綱に昇進していればこの幕内通算勝利の記録は達成されえなかった。常に優勝を狙う立場であり、その力を失えば世間から引退の声が飛ぶ。何より、陥落の無く休み放題の横綱に互助会は存在しないからだ。


と前書きはしておいて、とりあえず、現状がどうなっているのか、データで追っていて見ることにしたのが本エントリの主旨である。まず、出張所のほうにも貼ったが、以下は見事8−7グランドスラムを達成した、今年の魁皇の一年間の取り組み結果である。


 初 ☆ 8− 7 ○○○●○●○●○○●○●●●
 春 ☆ 8− 7 ●○○○○○○●○●○●●●●
 夏 ☆ 8− 7 ○○●○○○○○●○●●●●●
 名 ☆ 8− 7 ●○○●●○○○●●○●○○●
 秋 ☆ 8− 7 ○●○●○●○○○○●●●●○
 九 ☆ 8− 7 ○●○●●○○○○○●●●●○

実に恐ろしいまでの帳尻あわせ能力であり、秋場所と九州場所、また比較的序盤調子が良かったと思われる春場所夏場所の星の取り方が極めて酷似しているという点はなかなか興味深い。終盤5戦のみの勝敗は7−23で大きく負け越しているが、裏を返せば前半は41−19で大きく勝ち越している。ゆえに魁皇の場合「貸す機会」が多く、だからこそ体調が悪く名古屋場所のような状態になってもなんとか勝ち越しに持っていくことができるし、秋場所や九州場所のように千秋楽まで勝ち越しを引き伸ばしても相手が空気を読んでくれるのである。千代大海は「返す機会」がなくなるほど弱ったので見捨てられた、もしくはこの1年で貸した星を全部回収しきってしまった、という解釈も可能である。


資料1:勝ち越しのかかった大関の、千秋楽における取組結果


某スレに貼られていたものを借用。これは宝暦7年以来全取組が検索できるサイトで、「7−7の」「大関の」「千秋楽における」取り組み結果を全検索したもの。そうすると、全部で80しか取組がなかったというのは意外と少ないかもしれない。年六場所制が定着したのは昭和33年のことであるので、それから外れる5番を除くと51年間で75番あったことになる(年に約1.5番)。そしてその勝率は77%。

しかし驚くべきことに、全体の半分にあたる40番は昭和62年5月場所以降の22年8ヶ月の間であり、年に1.76番ペースに増えている。その勝率は32−8で80%。さらに、全体の4分の1にあたる20番は平成15年7月場所以降、つまりここ6年と半年に集中しており、なんと年に3.1番は千秋楽に7−7の大関がいたことにある。言い換えれば、二場所に1番はがけっぷち大関がいたことになる。最近、やけにやたらめったら多いなと思うのは気のせいではなかったのだ。その勝率は17−3で85%に達する。

さらに数字で現れないところを考慮すると、さらに見えてくるものがある。明らかに白星がずらっと並ぶ期間とそうでない期間に綺麗に分かれる。もうぶっちゃけて言ってしまえば、昭和61年9月から平成元年11月場所までの3年2ヶ月間と(期間Aとする)、平成16年から現在に至る6年間(期間B)が異常すぎるのだ。期間Bの唯一の黒星は、相手が朝青龍であることを考えれば例外として除外可能である。よって、期間AもBも、7−7大関の実質的な勝率は100%である。

期間Aの大関陣を見てみると、この期間というのはその少し前の61年1月から北尾(笑)が横綱に昇進してメンバーが入れ替わっているものの、おおよそずっと4〜5大関が維持されていた。なお、この双羽黒と、横綱勝率.662にしてガチに負け越しを経験している大乃国の二人を、横綱ではなく大関としてカウントするなら、この期間はずっと5〜6大関として見ることができる。たとえばこの期間の5大関の勝ち星はひどいもので(資料2:五大関時代の各力士の勝ち星)、なんとか二桁が一人もいない状況だけは避けているに過ぎない。若島津、北天佑、朝潮の三人は当時から言われていたらしいが、残念ながら私は生まれてまもないくらいのタイミングであるため直接見てはいない。

期間Bは記憶にも新しいように、ずっと4〜5大関である。関脇琴光喜をカウントするなら、これも常に5大関だったとして見ることが可能である。その勝ち星については資料2の最下段に示した通りである。言うまでもないが、こちらはよりひどい。4大関時のデータがこのサイトになく、さすがに一から作る気力はわかなかったが、もはや作るまでも無いだろう。ここで、さらに限定されたデータを提示してみたい。


資料3:勝ち越しのかかった大関の、千秋楽における大関戦の結果


こちらは資料1の条件からさらに「相手力士も大関」で絞り込んだものである。全部で37番存在し、そのうち年六場所制のものは34番である。その場合、年に2/3番存在したということになる。この全期間における勝率は27−7で79%。

そして、こちらはよりくっきり結果が出ている。言うまでも無いことだが、期間A、期間Bともに勝率100%である。期間Aにおいては3年で6番なので年に2番。期間Bにいたっては額面通りに計算すれば6年で10回なので年に5/3番だが、その10回は全て平成18年5月場所以降であり、これは白鵬が大関に昇進した場所である。要するに、ここで最後の余裕がなくなったのだ。平成18年5月場所以降では3年半に10回なので、おおよそ年に3番となる。そして、平成19年初場所の栃東を例外として、残りの負けたほうの力士は全員綺麗に勝ち越し済である。さらに言えば、期間Aと期間Bの間の約14年間ではたった4番しかなく、その勝率は1−3でたったの25%である。あまり関係無いが、この4番も相手力士は全員勝ち越している。


実は、これらのデータだけではまだ検証は厳密ではない。なぜなら、11日目以降の大関同士の対戦もあぶりださなければ結果は見えてこないからである。たとえば、14日目の取組前の時点で7−6の大関Aがいたとして、この日の対戦相手の大関Bが6−7、千秋楽の対戦相手である大関Cは8−5という成績だったとすると、この三人では14日目にAがBに負け、千秋楽にCがAに負けるという話さえついていれば全員簡単に勝ち越すことが出来る。このようなパターンは非常に多いはずである。

しかし、この作業は大変に骨が折れる。4〜5人の大関の戦績を常に頭に入れておかなければ例外は排除できなくなるし、そもそも全員が全員毎場所互助会に頼っている/貸しているわけではなくて、今年の5月の日馬富士や昨年5月の琴欧洲、一昨年九州の千代大海のように、優勝争いがかかわった大関はその場所のみ必ずガチでやっているため、これらもノイズのごとく例外として浮上してくる。ゆえに、厳密な検証は相当の相撲識者で時間に余裕のある方でなければ不可能である。


だが、この千秋楽に絞ったデータだけでも、私は十分有意なデータが取れたのではないかと思っている。これらはどう見たって誤差範囲と言えるものではないし、また、「勝ち越しのかかった大関の意地」で弁明が効く範囲のものとも思えない。

  
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