2010年10月31日

ドラクエのキャラの年齢と時間の経過

・ドラクエ、FF、サガシリーズのキャラクター年齢まとめ( 最終防衛ライン2)

もはや定番になりつつあるシリーズ。ドラクエにしろFFにしろ,他のRPGにせよ10代後半が多い。この辺はJRPGでとやかくいわれる一つの要因である。が,本題はそこではない。ゲーム内時間の経過というのは自分にとって,そのゲームの持つリアリティにおいて非常に重要な要素であり,何かしら整合性がとれてないとげんなりする部分である。

ドラクエ5方式って良いと思うんだけど,案外広まらなかった。FFTも同様の事例。FFTは章をまたぐと+1,+2歳されていくが,マップ移動の際簡単に数日経過するので,普通にプレイしているだけでも2〜3年くらいは経過する。加えて,密猟だったり儲け話だったりを処理しているとゲーム内時間が普通に5年くらいかかる。結果,オリナス王子がもう10歳くらいなのに絵だけ赤ちゃんのまま,というプレイヤー多数。このような作品は時間の経過がリアルで良いと思う。

ただし,ドラクエの世界については,5のように時間経過が明示されておらずとも,実はそれなりに年数をかけて彼らは旅をしているんじゃないか,とも推測できる。宿屋で一泊=一日経過ではなくて,実際のところは数日か数週間経過していると見るのが妥当である。基準はやはり5になるのだが,たとえば,奴隷脱走からグランバニアまでの青年期前半で丸二年経過しているわけだが,その間に720回も宿屋に泊まるプレーヤーも稀だろう。加えて,息子・娘に助けられてからイブール戦までも2年経過しているが,これも同様。他のドラクエにもこの考えを適用するに,実際は旅立ってからラスボスまでにどの作品でも数年は経過してるんじゃないかなぁ,と推測できる。

3や7なんて,実は10年くらいは軽く経ってそうな話だと思う。父探しの旅がそんなに短かったらげんなりする。7の場合はさらに,FFTと同様の事情で,ゲームが長すぎて宿屋に泊まった回数だけでも軽く丸1年はカウントできそうな気がする。つまり,前段で提示した5方式で考えるなら,やはり10年くらいは数えられそうである。いいじゃないですか,ラスボスの時点では妙齢なマリベル。また,3も7も両者とも,移民の町があり,これも数日で発展するというのではリアリティがない。(もっとも,プレイアビリティの都合で,プレースタイルによっては一瞬で町が完成したり発展したり,建て替わったりする。まあ,そこは目をつぶりたい。町の建て替えのためだけに宿屋に泊まる作業とか,仮に強制されたらやりたくはない。)

5や8は冒頭の描写が良かった。ここまで主人公たちが十分に長い歳月旅をしてきており,プレイヤーが主人公として振舞えるようになるのは,実は旅の途中から,というのが明示されるからだ。今後の旅が長いことも,ここで暗示されている。こういった演出はなされるべきであろう。(にもかかわらず,主人公がレベル1から始まるのはご愛嬌。これもまたゲームの仕様上仕方がない。)


元ネタの話のことも少しだけ書くと,FFのキャラのほうが年齢高めなのはやや意外に思えたが,若いという印象があるのはFF8・10のインパクトじゃないかと思った。スコールもティーダも17歳で,なんというか年相応の若さがあるキャラである。ドラクエは逆に,主人公が寡黙(と言っていいのか)ということもあり,年齢の割に老けて見えるのかも。

  

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2010年10月29日

俺たちに翼はないAfterStory レビュー

FDにもその内容によっていろいろ種類があるが,これは確かにアフターストーリーであって,本編の補完的内容であった。それはいちゃラブという点でもその通りだが,本編に入れるべきであったがどうにも入らなかったエピソードをちゃんとやってくれたという点においてむしろ強調されるべきであり,評価されるべきであろう。特に,「選ばれなかったヒロインがその後どうなったのか」というのは本作品の性質上非常に重要であった。全体としては,本編のノリは全く変わっておらず,相変わらずテキストが楽しいため質としては全く問題が無い。本編が好きなら普通に楽しめるだろう。

値段とボリュームに文句が出るのは当然である。あまりこの点について書かない私だが,本作については書かざるをえない。アクティベート起動にされると中古で買い取り拒否になるので,事実上の値段が上がることまで踏まえると,この量でフルプライスは明らかに高い。まあ,半分はお布施と考えるほか無い。


以下,ネタバレ。主に二つの場面についてだけ詳しく書く。

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2010年10月28日

俺たちに翼はない レビュー

抜群におもしろかった。今年やったエロゲでは『しろくまベルスターズ』とベストエロゲ1位の座を争っている。

物語は,渋谷:池袋=3:1で混ぜたような大都市,ギバラこと柳木原を舞台に繰り広げられる一見して群像劇なのだが,実は……という話。目新しいものの,これがエロゲで初めての試みというわけではない。歴戦のプレイヤーなら○○と××足して二で割るとこうなるな……などと考えながらプレーしたのではないだろうか。また,その核心を特に隠す気は無いようで,勘の良い人なら第2章(つまり二人目の話)で,悪い人でも3章の途中までには気付くだろう(今回私は悪い人だったので,ガチでわかんなかった)。また,3章末には早くもネタバレしてしまっている。それだけシナリオに自信があるということだと思うし,実際におもしろかった。6章まであるが,核心が一応伏せてある3章までとそれ以降では,まるでゲームが異なる。シナリオのオチとしては,この類ならばエロゲ以外を見てもよくある話で,珍しいものではない。前半のテンションの高さの割に超展開オチを期待すると拍子抜けすることになるだろう。


シナリオのぶっ飛びっぷりに目がかすみがちだが,テキストも抜群によく,非常に滑らかである。シリアスにもギャグにも大活躍で,眠くなることはまずないだろう。また,音楽や背景CGも美麗でかつ随所にネタが仕込んであり,飽きさせない。演出も凝っている部類と言っていい。キャラは大体全員立っている。攻略不可能キャラも含めて悪い子は基本的にいない。プレイ中は「なんだよこいつうぜーな」と思っても,終盤までには大体嫌いじゃなくなっている。その意味で,実は一番しんどいのが第1章で,ここを切り抜ければあとは途中で投げ出すことはそうないと思われる。コンプリート前提のゲームでもあるので,時間はかかるが一気にやり通してしまいたい。伏線の張り方が細かく,特に群像劇らしく日付が重要になってくるので,短期間でやらないと張られた伏線をスルーしたままクリアしてしまうことにもなりかねない。私はたっぷりねっちり一ヶ月かけてのんびりクリアしたらわけがわからないことになった。


以下は比較的どうでもいい指摘を二つほどする。まず,ギバラの街,すなわち本作の背景について。都民ならツッコミどころありすぎだろう。渋谷・新宿ユーザーなら気がつくものは非常に多い。スペイン坂(と思しき場所)なんてある意味地元ネタすぎて笑ってしまった(どのくらいまんまかというと,このエロゲについて全く知らない友達が見てもわかるレベル)。もういくつか例を挙げると,アルバトロス正面からドコモタワーらしきものが見えているわけだが,渋谷のセンター街からドコモタワーは見えないはずである。方角的にもおかしい。どうでもいいが,あのドコモタワーをネタにしたエロゲも,本作が初出ではない。某「森」もそうである。

また,タカシの通学路になっている歩道橋はまんま渋谷駅東口出たところの大歩道橋だが,現実で真上を通っているのは電車ではなく首都高である。同様に,隼人の工事現場らしき風景も,渋谷駅から東口を出て首都高沿い(青山学院方向)に歩いていくと見えてくる。というよりも,都内ではよく見る風景すぎて首都高の真下なら大概ある(六本木にもこんな風景ある)。加えて,パル姐さんがクレープ屋を開いている平和通りだが,平和通りという地名は日本全国どこにも存在するものの,山手線圏内で存在するのは新宿と池袋である。池袋のほうはなんてことない商店街だが,新宿のほうは西部新宿駅を出てコマ劇のほうに歩いていったあたり……ということでいろいろ察して欲しい。パル姐さん,そんなところでクレープ屋は確かにみ○じ○料要りますわな,等々。都民なのに見落としてた人はぜひ,3章を再プレイしてほしい。


さて,西又の絵にも触れておくが,正直違和感はあったもののいたる絵と々でプレイしているうちに気にならなくなる。立ち絵にいたっては良い出来と言ってよい。よく見ると一つの服装につき腕と顔しか動いておらず厳密には種類が少ないが,そんなことは気にならないほど表情差分が多く,手を抜いている感は全く感じない。ただし,私服のセンスの飛び方は正直擁護が難しく,京と鳴はまあわざととしても他はなぁ……日和子がああいう設定なのは,ひょっとして雀孫からの配慮なのか,とか要らぬ邪推をした。正直,鳴も逃げただろうとしか思えない。小鳩はシリアスなシーンであの服装は吹くので勘弁して欲しかった。ああでもコーダインはそれなりに良かったか。ひょっとして彼女の人気の一因はそれか。まあ,立ち絵は良いとして,一枚絵のほうの擁護はする気にもならない。パース崩れすぎやろ……。あとこれは立ち絵にも若干いえることだが,基本的に顔の角度と身体の角度のズレがおかしい。もう全部正面絵で書け。

散々文句を言ったが,シナリオに調和する絵ではあって,そこには満足した。実際,エロゲにとって一番大事なことはそこである。絵だけ見たければ画集でいいわけで,文章,音楽,演出といかに相乗効果を発揮するかという点において,失点は無かった。御大,長年やっているだけはあると思う。


90点弱。時間としては共通ルートが長く,ここで20時間弱かかるが個別は短い。フルコンプまで約30時間くらいか。読むのが早いと相当縮まるかもしれない。システム回りは非常に快適で,スキップは文章スキップもあるし,章ごとスキップする機能もある。以下,各ルートネタバレ。
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2010年10月25日

自画像だけの展覧会

ヴィジェ・ルブラン《自画像》損保ジャパン美術館の「ヴァザーリの回廊」展に行ってきた。ヴァザーリの回廊とは,フィレンツェの名所であり,ウフィッツィ美術館にある回廊である(正確に言えばウフィッツィ美術館とはかなり独立した建物で広義の「回廊」はほとんどフィレンツェ市内を横断している)。ヴァザーリが建築・改修したため,こう呼ばれるようになった。その一部はアルノ川にかかる橋(ポンテ・ヴェッキオ,ヴェッキオ宮殿に通じている橋のためこの名前)の上にある。

ヴァザーリの回廊は,ウフィッツィが収集した画家の自画像コレクションが展示されていることで有名である。その収集方法は金欠のメディチ家,及びその後にトスカーナ大公になったハプスブルク家が金をかけずに収集するため,ヴァザーリの回廊に飾られることが画家の名誉であると喧伝し,画家へ寄贈を求めた。この方策はそれなりに成功を収め,現代においてもなお幅広く寄贈がされている。

ちなみに,メディチ家最後の女当主が亡くなって断絶するとき,すでにその時点で(血筋の関係で)ハプスブルク家がトスカーナ大公を継ぐことがわかっていたため,フィレンツェ市民たちはウフィッツィ(及びヴァザーリの回廊)のコレクションがハプスブルク家によってウィーンに持ち去られるのを危惧していた。そこでメディチ家の女当主は,このコレクションをトスカーナ大公の私物から切り離し,フィレンツェの政府及び市民に譲渡するという形でコレクションが国外に流出するのを避けた,という経緯がある。それゆえにウフィッツィはフィレンツェっ子にとって深い思い入れがあるものであり,回廊が改修中とはいえ,このような形でコレクション(特にヴァザーリの回廊のもの)が国外で展示されるのは比較的珍しいことである。ダ・ヴィンチの受胎告知のときも,実は反対運動が起きていたらしい。


さて,一言で言えば,予想よりも通好みな美術展であった。個人的にはそれなりに楽しめたが,同行者にはちょっと悪いことをしたような気はする。今回の展示は東大の美術史学研究室が大きくかかわっており,というか選んだのはあの人たち,ということをご本人たちから聞いた。というか,授業で旅行の写真見せられた。とても楽しいそうに選んでましたよねアナタ方。それだけに,ちょっと学術的視点が強すぎたのかなーとは思った。そういう視点で見ればおもしろいんだけど,自分の趣味から言えばもうちょっと考えて持ってきてほしかったかなと。加えて言えば,思ったよりも近現代が多かったのだが,これはあの方々の趣味ではないと思う。スポンサーの意向かウフィッツィ側の意向か。

個々の作品では,やはりカラッチは良かった。レンブラントは思ったよりも目が死んでた。いやこれはそういう時期の作品なのでそれで良いのだけれど,それでもこれは完全に死んだ目。深い。ティントレットではなくあえてティントレッタを持ってきたのはおもしろい。でもティントレットも見たかった。レイノルズうますぎ。ヴィジェ・ルブラン。これが見たかった。じっくり見ると首が長すぎてちょっとアレだが,それでもこの美しさは美術史上に燦然と輝き続けて残るだろう。

アングル,なんでそんなに素の表情が機嫌悪そうに見えるん?シュトゥック,思ったとおり普通のおっさんである。アンソール,貴方も今更仮面だったり髑髏じゃなかったりしないものでもなぁ,まあそんなインパクト重視すぎる作品でも困るけども。この流れでエミール・クラウスという名前とその作品を見て安心するのはなんら不思議な現象ではない。グットゥーゾ,お前は誰だ。ガットゥーゾなら知ってるんだが,というぼけた会話を同行者とした。絶対に関係無いよな,というツッコミをいただいた。最後に最近寄贈したばかりの日本人三人,草間彌生,横尾忠則,杉本博司の作品が展示されていた。うん,俺にはわからない。しかし草間彌生はいつもはじけてるよなぁ。
  
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2010年10月23日

9.18以後の個人的問題意識

私が9.18以後において一番恐れているのは「ニコマスコミュニティの崩壊」です。木星に関しては全く不満がありません。AKB商法は正直どうかと思いますが,どうせ買わない気がしたので本質的な問題ではありません。加えて,これは事実上撤回されましたし。竜宮プロデュース不可は正直手痛いんですが,所詮私は見る専なので,Pに比べれば,ダメージは少ないかと思われます。基本的に,千早スキーですし。

むしろ困難なのは,コミュニティが縮小することです。皆が萎縮してMADを作らなくなったらどうなるか。これははっきりと危機的な問題です。そして,これは現実的な問題になってきました。

ただし,この傾向は9.18から出現した新しい現象というわけでは,決してありません。週刊ニコランに(御三家なのに)アイマスが出現しなくなったことはしばしば話題になっていますし,週マスのptsも明らかに2010年初頭から低調なままです。衰退論争をやっていた時期からあまり回復したとは言えません。個人個人のPが「まだニコマスは終わっちゃいねぇ!」というのは自由であり,むしろ「どんどんやってくれたまえ!」と返事をしたいところですが,それは別個の概念の話であります。

9.18はこの傾向にとどめを指した,ないし拍車をかけたと言えるでしょう。それでも緩やかに見えるのはノベマス,架空のお陰でしょう。彼らは続き物が多いですし,ハリアーPのような人もいますから,ptsにも投稿数にも相当貢献しています。しかし,私は基本的に架空戦記民ですが,それでもニコマスの真髄はPVにあると思っています。PVが死んだらニコマスの半分は死んだも同然でしょう。

で,やはり質の問題は挙げざるをえない。はっきりと言えば,ここ2,3ヶ月ほどのシーンはあまりおもしろくありません。マイリストがそれほど増えていないのはそれが原因です。このとき,個々の作品を問題にしてもまったく意味がありません。最近だとこれこれなんかは文句なく質が高かった。

つまり,コミュニティの縮小は,必ずしも個々の作品の質とは相関関係がありません。一方,やはり総体で見れば,長期的には必ず影響がある。その”影響”が,09年頃からの緩やかな縮小が(多様化と綺麗な言葉で言い換えられてきましたが,PVだけで見ればやはり縮小ではあるでしょう),ここに来てボディーブローのごとく効いてきたという印象が,個人的にはあります。あくまで個人的には,と留保こそつけますが,数字にも表れているような気はします。また,以前私は「緩やかなら(コミュニティの)縮小でもいいじゃないか」と発言したことがありますが,9.18はその「緩やかなら」の部分を許してくれない事態を引き起こしかねない爆弾に成長しつつあります。

MMDで盛り返したのではないか?という意見には若干賛同しなくもないのですが,諸手を上げての賛同はできません。MMDはいまだ「その領域」には達していませんし,達することもないでしょう。MMDが到達できる程度の高みであるならば,そもそも私は「アイドルマスター」のPVにあれほど魅せられてはいません。と同時に,アイマス2のPVは十分に希望を持たせる物でした。あれでこそアイマスでしょう,センシティブトゥーンには未来があります。その意味で,有志の努力があれば自力でアイマス2ndを達成できるなどといった戯れ言にはなんら関心がありません。MMDは確かにニコマス世界を広げ,またコミュニティの延命にも多大なる貢献をしたでしょう。功績はそれで十分ではありませんか。(ただし,私が単純なMMDアンチではないことは,それこそ保管庫なりマイリストなりを見てもらえばおわかりになる通りです。MMDはMMDとして,その特質を活かしていくべきであり,本家を乗っ取るべき存在ではない。)

わがままな「見る専」は質が低下すればコミュニティから離れます。つまり,ハイクオリティな作品数の低下とコミュニティの縮小は間接的な相関関係があります。これがニコマス,及び「わただもんげ」意識で集合するニコマスコミュニティを愛する者にとって,最大の危機的状況を招いていると言えるでしょう。また,その意味において,9.18関連でのバンナム最大の失策は,実は「団結2010」の歌詞ではなかったか,とさえ考えております。何よりも問題なのは,私自身がそのわがままな見る専であるということです。「去る者は追わず」とは申しますが,去りたくもないし追ってほしいのです。少なくともアイマス2が発売し,ハイクオリティな新作PVが乱舞する状況までは,「最低限今の規模で」コミュニティが生存していてほしいなぁと思います。


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2010年10月22日

非ニコマス定期消化 2010.6月中旬〜7月上旬




1年と10ヶ月の連載,ここに完結。ラストバトルまで凝った展開でおもしろかった。半ば黒歴史となった恋愛日記は……まあこれはこれで。




これもFFT動画。皆のトラウマ,18通りの倒し方。



続きましてもスクエニのRPG。最新のサガフロTAS動画。愛されてるなぁ。アセルス編で,ルートも装備も案外普通。まあ気絶幻魔は定石ということで。半妖エンドは心温まるな。あと,視聴者訓練されすぎ。どのサガフロTAS動画でも層が同じすぎるw。



なんか今回やたらとゲームネタ多いな。天空シリーズキャラ限定,けいおん!のトレスMADだが非常に出来が良い。



ヴァイオリンさんぱねぇ。



マリオRPGのとんでもなく多い小技を紹介しながら進んでいく動画。後半紹介することがなくなり普通の実況動画になっていくのはご愛嬌。前半は文句なくおもしろく,特にpart3で衝撃の展開が。あれは既プレイヤーなら必見。



これで今回のゲームネタは終わり。なるべく和訳字幕のついてるときに見たいが,そうでなくとも視覚だけで十分伝わる。発想自体は「その発想はあった」ものだが,動画のテンポが良い。シムズとゼルダが秀逸。




もはや懐かしい感さえあるブブゼラの五月蝿さ。ワールドカップ当時,ランキングに登場したこの動画はタイミングが良すぎた。あと,作ったのは実はニコマスPのメカPである。何やってんだあんた。




スキージャンプペアの人たち,と言えば通じる人には通じると思う。競馬ネタがわからなくても是非見て欲しい。抱腹絶倒間違いなしの30分間が楽しめるはずだ。



  
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2010年10月21日

今度は美術ネタ2件

・ジョルジョ・ヴァザーリ (vasari) on Twitter
→ ヴァザーリ先生の捏造っぷりが妙にリアル。
→ ブルネレスキぷぎゃーすんな,アルベルティは草生やすな。この二人の仲の悪さは……
→ ミケ先生気性荒すぎ,ラファエロさん軽すぎ。
→ そしてデューラーさんマジ田舎者。よく特徴が出てます。
→ さあ早くbot制作の作業に戻るんだ>作者


・「ヤン・ファン・エイク『アルノルフィーニ夫妻像』新解」(Togetter)
→ いろいろ初めて知ったことばかり。すごく勉強になった。
→ 足下の犬は忠誠の象徴,膨らんだお腹は妊娠,ヤン・ファン・エイクの署名は結婚立会人としてのもの,という通説は,ふたを開けてみると該当人物がいないという驚きの展開に。犬はいいとして,残りはどう解釈する?という話。
→ 確かに死産であったと考え,夫が亡き妻を偲ぶために描かせたとすれば納得は行く。なんというロマンティックな話。
→ 鏡の周囲に描かれた非常に小さなキリスト受難伝が,夫側はキリストが生きているときのエピソードで,妻側が死んでるときのものというのもまたおもしろい。
→ そうすると,「ヴァニタスとしての鏡」の使い方や,「鏡に写る画家自身を描く」のは,相当時代を先取りしたことになる。すごすぎるだろヤン・ファン・エイク。
→ いずれにせよサンダルだけ意味不明。誰かこの謎を博士論文のテーマにするんだ。


・江戸幕府末期の財政状況がわかる図(Kousyoublog)
→ 江戸時代の経済構造の変化が非常によくわかるグラフ。が,幕府はそれでも米本位制の欠点を脱却しきれなかった。
→ 江戸時代の経済の特徴とその問題点については,前にこんなものを書いた。また,江戸時代の経済発展が明治維新成功の要因ではないか,ということも前に書いたことがある。ともにご参照いただきたい。


・小倉弁護士、国歌国旗強制について述べる(Togetter)
→ 歌うべきかどうかと言われればそれは思想信条の自由だが,こと問題になりがちな学校教育の現場で言えば,中学までは教育の範囲ではないか。「教育もまた洗脳の一種であり」云々言われたらそりゃブーメランだよ,と返事をしたい。
→ 確かに国旗国歌から軍国主義の残影を連想する方もおられるだろうが,多くの国民にとってすでにそうしたイメージが喪失されていることもまた同意が得られるところであろう。
→ 私はゆえに,国旗掲揚をせず,国歌を生徒に歌わせない小学・中学は罰せられても仕方がないと思う。
→ 集団の場でめんどくさいのは「歌う自由」と「歌わない自由」,それに「歌わせる自由」と「歌わせない自由」が混在するからであるが,「歌わせない自由」を行使することは「歌う自由」の侵害に当たらないか。それはそれで子供の人権侵害ではないか。少なくとも,中学の自分は自発的な意志で歌っていた(ということはその当時から保守的だったわけですが)。
→ 高校に関しては義務教育ではないため問題がややこしいが,不思議とそうした話を聞かない。
→ それはそれとして,「強制の反対について気炎を上げるのは過剰反応」といったリアクションが出てくるのは,やはり強制反対勢力に対し,はてサに対する不信感と似たようなものが感じられるからではないか,とtogetterやブコメを読んで思った。それに対し訳のわからない言いがかりがつけられるような現状では,リベラル派はネット上でさえ同意を広げるのは困難であろう。
→ 右派にせよ左派にせよ,真の敵は身内か。


・俳優の瓜田純士、吉野家で同性愛者に暴力をふるったとブログで告白(みやきち日記)
→ 前にこの記事を読んだことがあるという方も,その後の展開が新たに追加されているので読んでほしい。
→ いろいろゲスい連中だが,個人的な問題意識としてはアメブロが一番許せない。昔こんなものを書いたが,やっぱサイバーエージェントってなんか違うな,他と。

  
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2010年10月18日

ツイッターから村上隆批判関連のpost再掲

旬なうちにセルフでいいからとぅぎゃっとけよ俺,と思った。適当に再編集してるので,まんま再掲というわけではない。


何か勘違いしている人が多いが,これを自らの思索なしに芸術と認めることは寛容の発露ではなく,単なる知的怠惰。やはり,芸術は自己破壊することでしかもはや生き残れないのか。まあ個人的な意見としてはこうした「釣れた」とか「皆さんに考えてもらうこと自体が芸術です(キリッ」とかいう時点で,芸術ってとっくに終焉してるよなぁと。

東浩紀がヲタも現代アートもハイコンテクストな世界であり,片方に無知な状態で村上隆を批判するのはお門違いだというようなことを言っていた。悔しいがこれには賛同したい。現代アートはまさにハイコンテクストな世界だと思うし,批判するならその構造自体を批判する必要がある。その上で,私はまさに「現代芸術そのもの」を批判している。

で,村上本人は「現代芸術の世界において日本は搾取される立場。そこで日本の文化であるオタクを翻訳して輸出し,対抗している」と反論していた。これには「貴方のやっていることは誤訳ですよ」としかいいようがない。東の言葉を借りればまさにオタク側のハイコンテクストを張本人が理解していない。誤訳な上に「どこをどう要約したら元のヲタク文化になるんだよ」ってなもんだから,たたかれている。それを理解しているのかしてないのか。理解していて,かつスルーしているように見えるから,余計にたたかれている。

「翻訳なんだから元とは相違して当然」なんて,欠片しか要素が残ってないものを指して言われても,なんの説得力もない。ここのブコメにある「愛の無い二次創作はたたかれる」はけっこう正解に近いと思った。そりゃ「俺魔理沙」やればたたかれますよね。


村上隆擁護で「もっと現代美術のことを勉強しろ,美術史的にはアレは否定しがたい」という意見を見るが,本気で言っているんだろうか。なんというか,これはそのまま現代アートの閉鎖性にもつながると思う。これには本気であきれた。さらに絶望しそう。

現代アートのハイコンテクスト性というのは結局「いかにして美術史は芸術の終焉に向かったか」と「終焉後も可能な芸術とは何か」という文脈の上に成り立っている。それは勉強すれば誰にでも分かるし,だからこそ自分は「偉大な画家十選」にデュシャンを入れた。

結局終焉後の芸術概念の模索は,「価値の転倒」「新たな視点」等といった美名のもとでバーリトゥードが繰り広げられることになる。だから,現代アートのハイコンテクスト性を学んだところで大概の人は「そりゃもっともらしい説明のつく目新しいものを提示すれば,ひょんなことから評価されることもあるかもね」程度の感想しか出てこないと思う。はっきりと言えば,そこからは感性の問題。その作家と自分の波長や問題意識が共通するかどうか。理屈ではない。だから共通認識の生まれる土壌に至らない。これが現代芸術の閉鎖性であり,芸術の終焉が生んだもの。この辺の詳しい話は昔ブログで書いたので,ここら辺でも読んでほしい。

ちなみに,世界的にもオールドマスターや印象派のほうが評価が高い。というか,印象派は世界を制している。だって圧倒的にわかりやすいもん。これは歴史的にそうで,20世紀の初頭にはすでに「前衛芸術家は胡散臭いもの」という常識が存在した。大衆なんてそんなもんです。要するに,現代芸術に対する視線が冷ややかなのは日本だけの状況でもなければ,現代だけの状況でもない。それこそ,その程度勉強してから発言しろよって話。日本が遅れているとか言ってる奴は腹を切って死んだほうが良い。「偽史でも語れれば良い」って言ってる奴と一緒かそれ以下じゃないか。

ああ,一応言っておきますが,前述のように波長や問題意識があっているならば,村上隆含め,現代芸術を賞賛してもいいんじゃないですか。他人の価値観にまでは侵入しません。僕だって嫌いじゃない現代芸術があると思う。探してないだけで。現代芸術に含めて良いかどうかは別にすればニコライ・レーリッヒなんかは好きですよ。
  
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2010年10月17日

クトゥルーネタ2件

・耳をすませばとクトゥルーの関係(Togetter)
→ 今回は冒頭からこんなネタですいません。
→ 親和性が高くて驚いたのは自分だけではあるまい。お前らほんと「窓に!窓に!」好きだな。

・深海1256m地点にポツリと沈んでいた炊飯ジャー。それを守ろうとしている守護カニ。中にいったい何が??(カラパイア)
→ ブコメ大喜利に乗り遅れた結果,クトゥルーネタもドラゴンボールネタも既出であった。残念至極である。
→ 若干ドラゴンボールネタのほうが多く,クトゥルーネタは少ない。炊飯器のイメージのほうが強い動画,ということでいいのか。
→ もちろん,知名度の差もあるだろうけど。
→ なお,クラキさん→クラーケンはブコメ見て初めて気付いた。なるほど。


・総得点230点、山陽小野田の「26時間サッカー」試合終了 /山口(みんなの経済新聞ネットワーク)(Yahoo!ニュース)
→ 素で楽しそうなんですけど。ちょっとやってみたい。
→ これ,別のスポーツでもできる。代打・代走無制限の野球とか,バレーボールとか。バスケはちょっと難しいか。地方自治体の皆様これで町興しとかどうですか。
→ でもまあサッカーが一番楽しいだろうなぁ。こういうフリーダムさにかけてはサッカーにかなう種目はそうそうないと思う。


・不明のゴルゴ、戸籍から削除…山で死んだと判断 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
→ 一応現時点では生きてるけど,ブコメページで。
→ タイトルが秀逸。この記事が初出の頃は,まだ「非実在高齢者」問題真っ盛りなのであった。見事に釣られましたとも。bogusも虚構も立場がない。しかも真実という。完璧すぎる。  
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2010年10月16日

ドラクエになぜルーラ屋は存在しないかについての考察

・ドラクエ世界にルーラ屋がいない理由(Togetter)

キメラの翼が値段が均一で全国の道具屋どこでも売られているという点を見過ごすならば,意外と筋は通るように思う。考察してみて思ったのは,要するにドラクエ世界はいまだ中世の初期なのではないかと。陸路でかつ平原が広がっている地域間では交流があるが,山脈や海,川で阻まれている地域とは交流がない。ルーラにせよキメラの翼にせよ一度行った場所にしか行けないというのがミソで,まさに「前人未到の地」がそれぞれにおいて広がっているのではないだろうか。

たとえば現実世界においてもシルクロード全盛の時期でさえ,一人の商人がコンスタンティノープルから長安まで旅行していたわけではなく,複数の隊商がリレー方式で物流を担っていた。長安から楼蘭まで輸送した中国商人は,その品物がはるか西へ届けられることは知っていても,具体的な地名も知らなかったし,そこに住む人々の人種や民族,風俗は知らなかったという。ドラクエほど地形が峻厳で魔物が登場する世界ならば,もっと移動は厳しく,キメラの翼はまさに「隣町に安全に行く」程度の意味しか,一般的な商人や冒険者たちには持ちえなかったのではないだろうか。ということを前提に,具体的に考察をしてみよう。


1はあの世界に成功した冒険者が勇者一人っぽいので,ルーラ屋など存在していなくても問題が無い。魔物だらけで物流がストップしている状態(と考えると中世初期の欧州のようだが)。そもそも勇者ですらルーラを覚えない。しかもキメラの翼の効果は「ラダトーム城へ戻る」であり,ルーラと同様の効果ではない。2はサマルトリアの王子が覚え,キメラの翼もルーラと同様の効果に格上げ。が,この世界も勇者御一行以外に成功した旅人がぱっと思いつかない。

4はtogetter内にもあるが,ボンモールがエンドールと戦争になりそうだった例もあるように各国間で緊密な交流があり,ドラクエ世界では比較的珍しい。が,一方でトルネコがトンネルを掘るまで地域間の交流がなかったというパターンもあり,実は大陸間での交流はそれほどでもないのかもしれない,という前提がここで生きてくる。ルーラ人口としては,選ばれし者では勇者,ブライ,マーニャが覚えられる。これもブライやマーニャは熟達した魔法使いで,ルーラを覚えている魔法使いは世界に数人しかおらず,そして誰もやる気がない,という推測がつく(それもそうだろう,そのレベルの魔法使いが商売に色気を出すとは思えない。まあマーニャはギャンブル狂だけど)。かつキメラの翼が主流となって交通に使われているとすれば,ルーラ屋の需要はない。

5はルラムーン草の存在が必須で,そうでなければあとは天空人の一族か仲間モンスターしか覚えない(ネーレウス・キメラ,PS2版準拠)。必然的にルーラ屋は存在しない。ただし,世界内での町同士での交流はそれなりにありそうである。船便が存在するし,ルドマンは自前で船持ってるし,ラインハット兵がサンタローズ滅ぼしたり,そもそもエルヘブンからマーサがグランバニアに嫁いできてるし,パパスは天空の剣探して世界を旅しているし。そうした移動はキメラの翼で行われている部分も大きいのではないか。キメラの翼ならば一般人でも買えるので,代行する職業は不要になる。

7は石板システムゆえ,ルーラの有効性が大きく阻害されている。封印を解いた本人たち=主人公一行以外は覚えてもさして意味が無い。これはキメラの翼においても同じである。一応ダーマの神殿はあるが,封印を解くのは主人公一行であり,少なくともその時点までルーラ屋が存在しないのは不自然ではない。ゲーム時間が進めばルーラを習得し,またルーラ屋という発想にたどり着く人も出てきそうなものだが,その時点では主人公一行もルーラを覚えているため,「実は世界には存在するが主人公一行とはかかわりをもたなかった=ゲーム画面では認識されていない」と,想像することはできる。

実は,7の仮定が許されるのであれば処理できるナンバーがある。6である。6もダーマが存在するが,やはりダーマの神殿が復活するのは主人公たちがムドーを倒した後であり,それまでは長くダーマが存在していなかったせいで魔法使いの血が途絶えていた可能性は高い。また,上の世界と下の世界を行き来しないとたどり着けない地域も多く,ほとんどの上の世界の住人は下の世界では身体が透明のままのたれ死ぬか運良く上の世界に戻って事なきを得るか,であろうから世界は広がらない。逆に,下の世界の住人はそもそも上の世界を認識してもいない。結果として,地域が分割されていてかつルーラの利便性がそれほど広まっていない可能性もまた,指摘できる。7と同様の状況である。

ここで8も同じように考えられるのではないか,とふと思った。8は,極一部の層しかルーラが覚えられない世界観なのではないか。ダーマの神殿は存在せず,船が出せなくなると大変困る地域がある一方で,魔法が大変栄えている町もある。ドラクエにしては珍しく,教会がかなり権力を持っていて物語にかかわってくるという点も特異である。教会が魔法の使用を規制していたならば,一般人はそもそも魔法を覚える機会がない。しかし,キメラの翼や他の交通手段を用いた町同士での交流もありそうなのが8である。


そうすると,問題は3だけである。3はダーマの神殿があるため誰でもルーラを覚えられる。また,冒険者もそこそこ豊富らしい。まあこれも6や7と同じ理論を用いてもいいのならば,アリアハンはグランエスタード島のごとく隔絶された島だし,その島を脱出してそれほど時間が経たないうちに勇者がルーラを覚えるので,「ルーラ屋は実は存在しているけど勇者御一行には認識されていない」という妄想を建てることはできる……が,自分で言ってて説得力はない。やはり問題は3だなぁ。

良い感じに妄想が沸いてきた人はコメント欄にどうぞ。
  
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2010年10月15日

第二次諏訪旅行記 二日目後半

以下は大したことのない後日談である。

別に東方厨というわけではないA氏と塩尻駅で解散した後,私とkomeは昨年度の旅の宿題をこなしに出かけた。洩矢神社の参拝である。我々は岡谷市で降りた後,重い土産物を抱えながら,地図を片手に一路その地を目指して歩いた。そしてたどり着いた。


CIMG0385


ここが念願のその地である。

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2010年10月14日

第二次諏訪旅行記 二日目前半

9時頃起床。だらだらと準備をし,10時に旅館をチェックアウト。この日は塩尻のワイナリーを訪ねることにしていた。井筒ワインと,林農園(五一ワイン)である。

朝飯を下諏訪で探しつつ下諏訪駅へ向かって歩いていったが,どこも開いていなかった。コンビニはなく,喫茶店はチェーン店がなく,地元の店舗は休日休業。大丈夫なのかこの町。本当に観光地か。そもそもシャッター街にかなり侵食されてるしなぁ。結局,下諏訪では朝飯にありつけなかった。

電車で少し移動して,塩尻へ。塩尻周辺でブランチの食べられそうなお店を探すが,これがまたひどいシャッター街で,何もない。塩尻市は観光地の自覚があるなら整備するべきだろう。蕎麦屋なら最悪でもあるだろうと思っていた我々が甘かった。そして30分ほど放浪した挙句,適当に入ったイタリア料理店が正解だった。千円のバイキング形式だったが,この味でこの値段が維持できるなら東京でも戦えると思う。この店がせめて塩尻駅目の前にあればなぁ……惜しい。

塩尻駅でタクシーを捕まえて,井筒ワインへ。さすがタクシーの運ちゃん,一発でわかった。残念ながらイヅツさんは農園や醸造所の期間外で見学することができなかったが,試飲はさせていただいた。同じ目的の客は多く,ワイナリーの中はなかなかにぎわっていた。ワイナリーの地下の,ワイン貯蔵庫も見学。

CIMG0337


フラッシュ無しだとこんな感じで相当暗い。中には樽がずらり。すでに瓶詰めの状態で保存してあるものも多数あった。以下,それなりに画像が多いので注意。  続きを読む
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2010年10月13日

第二次諏訪旅行記 初日

昨年も参加した諏訪ののみあるきに,今年も参加してきた。昨年はkomeと二人の東方厨二人旅だったため,諏訪大社参拝が主要目的であったが,今年は三人目の参加者(A氏)がおり,彼が別に神社仏閣に興味がなかったため,純然として酒を飲みに行った。ゆえに,全開は午前中に東京を出て正午に上諏訪に集合したが,今回は正午に出て午後2時半に上諏訪集合となった。向こう二人は名古屋在住のため,やはり上諏訪駅の足湯集合であった。そういえば,去年はこの旅行のためにデジカメを買ったなぁ,とか思い出す。

集合して2千円でお猪口を購入,これで飲み放題になった。ところが,今年は大雨が降っていて,傘を差さないことにはちっとも身動きがとれない状況であった。これが非常に環境を劣悪にし,また昨年同様会場の広さの割に人数が多すぎて街道にあふれていたため,お猪口に日本酒を注いでもらったはいいものの飲むスペースがないという厳しい状況に追い込まれた(また,kome曰く「昨年よりも出来が悪かったため楽しめなかった」,加えてA氏は日本酒党ではなくワイン党である)。自分としてはそこまで悪い印象を持たなかったため,一人で楽しんでしまったようなところは少しある。そういえば,7月5日にトラックが突っ込んで酒蔵が崩壊した真澄は,まだやはり仮店舗で運営していた。真澄が一番大きい酒蔵だっただけにこの影響は大きいと思われる。

良かった点といえば,昨年は諏訪湖一周自転車の旅なんてものをしていたせいで,開始しばらく経ってから会場に到着したため,すでに豚汁や茸の味噌汁などの魅了配布がほとんど残っていなかったが,今年はそういった酒以外の食べ物はほぼコンプリートした(鹿肉だけ食べてない,か)。また,山田養蜂場が新規参加していたため,そこで蜂蜜ジュースの試飲をすることができた。あれは甘党の自分でも甘すぎると思う。はちみつレモンのレモン抜いた感じ。そこで,自分用の土産に「りんご蜂蜜」と,珍しいものということで「そば蜂蜜」を購入していった。

結局一通り飲みはしたが,参加2時間ほどで撤収し,早々に旅館に引き上げた。昨年は二人で一升ほど飲んでいたはずだが,今年は三人でようやく一升行くか行かないか程度ではないかと思う。夕飯は下諏訪駅から旅館の間で探したが,正直今ひとつ食べるところがなく,我々をさらに意気消沈させた。まともそうな蕎麦屋があったので「信州に来たし蕎麦食うか」ということで夕飯は急遽ここになった。これが存外においしく,残りの二人にとっては数少ない本日の収穫であった。しかし,上諏訪でのみあるきのあった三連休の初日の夜で,下諏訪の繁華街があれだけの寂れ様というのは,けっこうまずいのではないだろうか。あのイベントは上諏訪にしか金が落ちないのか。(一応,自分たちの泊まった旅館はそれなりに埋まっていたが)

諏訪の温泉はあいかわらず熱うございました。旅館では昨年同様,地元諏訪のケーブルテレビを見て楽しんだ。ローカルニュースの使いまわしっぷりがぱない。週刊ニュースで,しかもきちんと「次回の更新日は10/13」と表示されるという……。特番は地元の子供相撲大会。これが熱い戦いの連続で,なぜか3人そろって観戦し,2時間も視聴してしまった。

なんだかんだ言って酒がそれなりには入っていたので,泥のように就寝。  
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2010年10月07日

「体力の泉」禁止

・「エアコンの風は体に悪い」 信じる老人たち (ニュース2ちゃんねる)
→ 実際エアコンの風が嫌いな俺参上。
→ フィルターのほこりなのかもしれないが,それ以前にエアコンの不自然な冷気を直風で浴びると体調が悪化する。あれなんなんだろうね。
→ 28度や29度に設定しても自律神経がやられる自分は敏感すぎるんだと思う。


・『友情破壊ゲーム』といえばなんでしょうか?(アルファルファモザイク)
→ 「ボンバーマン」は集団で一人をはめるような行為をしなければケンカにはならないと思う。
→ 「桃鉄」は実際のところはめるのはけっこう難しい。運に左右されるところが大きいし。
→ 「いたスト」は腕前の差,プレイヤーチートに関する知識に寄るところもあるので,腕前に差があるとひどいことになるかも。一発逆転の技も少ないし。スフィアバトルならまだ増えるけど。よって,プレイヤー同士のレベルが均等なら一番ケンカになりにくいゲームではないかと。
→ というわけで,「ドカポン」かなぁ。そもそもあれは友情破壊のために作られたゲームと言っても過言ではない。


・聖書がMMOゲームに!?『Bible Online』のベータテストが9月に開始(Game*Spark))
→ 題材としてはこの上なく興味深い。パッケージゲーでSLGかRTSだったら間違いなく買ってた。
→ 他にも,誰か古代〜中世のオリエント統一に特化したゲームとか作ればいいと思うわけですよ。ヘブライでオリエント統一のほか,ヒッタイトでエジプト征服とかロマンにあふれてるだろ?EU:Romeがあるんだからいけるって。


・「カンパネラの町並みがおかしい件の続き」(Togetter)
・カンパネラの町並みに関する議論の個人的総括(はじめてのC お試し版)
→ けっこうおもしろかった議論。現実に忠実なトレスがリアリティなのか,その世界の設定に沿った描写こそがリアリティなのか。
→ いずれにせよ,検証する努力は無駄ではない。「こまけぇことはいいんだよ」から批評が生まれることはめったにない。
→ カンパネラ(エルタリア)について言うなら,確かに島国であり,しかしヴェネツィアのような網目状の運河があるようには見えず,島内の移動は徒歩が主流のように見える。また,ベルリッティ公爵家の統治が長く(百年単位で)安定しているのではないか。
→ してみると,普通の石組みの欧州風の家でありつつも,外敵の侵入を考えた迷路状の狭い路地になることはなく,逆にゴーレムが闊歩する世界観から広い路地になるというのはかなり良いところを突いた指摘ではないかと思う。
→ 低層な理由について,あの島の歴史が浅く、増築を経ていないからではないかという意見があるが,それもそうかもしれない。人間同士の争いはなくとも,逆さ人形事件的なのは頻発してそうだし。
→ まあ,アニメカンパネラの場合,狙ってやったのか適当なのか,判別がつかないけどw。
→ 取材するだけの気力が制作陣にあるか,という話はまた別問題。その結果,安く済ませようとして取材せず,適当な描写になるのは寂しいけど仕方がない。
→ そうそう,これもすでに指摘があったけど,あの世界の技術水準は確かによくわからない。錬金術全盛の魔法が普通に使われる世界だけど,汽車は普通に走ってるという。
  
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2010年10月06日

第170回『十二世紀ルネサンス』伊東俊太郎著,講談社学術文庫

古典的名著。しかし世界史履修者であっても「12世紀ルネサンスってなんだっけ?」って人も多いと思われるので説明しておく。

古代ローマ帝国が崩壊し,異民族の侵入が相次いだ西欧は,その価値を知らぬ異民族と,その価値を忌避したキリスト教徒により,古代ギリシア・ローマの優れた文明が徹底的に破壊された。なぜこのようなことが起こってしまったのか。破壊ももちろんだが,それ以前の問題として,古代ローマの共通語はラテン語であった。これはあくまで今の英語のような立ち位置での共通語であって,ガリアの人はフランス語の原型を話してただろうし,ゲルマン人は古ゲルマン語を話していただろう(イタリア半島の人間にとってはもちろん「現地語」でもあっただろうが)。その中で古代ギリシア語の占めていた立場といえば,もちろんギリシア人にとっては現地語であったが,それ以外の人間にとっては学術用語か,上流階級の趣味でしかなかった。ゆえに,古代ギリシア・ヘレニズムの文献はほとんどラテン語に訳されず,ギリシア語のまま読まれた。ゆえに,4〜7世紀にわたる中世初期の大破壊の後,西欧からはギリシア語文献が消え去り,誰もがギリシア語をろくに読めないという状況が出来上がった。

結果としてそれらを保存したのは中東の地域であった。少し後にイスラーム教が勃興し,彼らが中東を支配するようになると,これらの文明の成果は発掘され,再評価が始まった。アラブ人やイラン人はビザンツ帝国からの亡命者を積極的に取り入れ,彼らの一部はイスラームに改宗した。そしてギリシア語の知識や文献がイスラーム圏に大量に流入し,それらが一斉に翻訳され,さらなる学問の発展が見られた。

その間に西欧でも多少なりとも文明が復活し,イスラーム圏との交渉,つまり商業取引(香辛料貿易)であったり,戦争(十字軍)が行われるようになる。こうして,西欧にも,イスラームによる翻訳・再編集を介して,再び古代ギリシア・ローマの文明が入り込み,再評価の光が当てられるようになった。この西欧における古代文明の再評価が起こったのは12世紀であったため,「12世紀ルネサンス」と呼ぶ。14世紀以降に開始される本番のルネサンスの前哨である。「12世紀ルネサンス」がなければ,西欧にはプラトンもアリストテレスも,ユークリッドもプトレマイオスもなかった。実のところ,西欧が直線的に受け継いできたと思われていたもののほとんどは,イスラームを経由したものであり,それも古代文明をそのまま輸入したわけではない。つまりイスラームは単なる媒介だったわけではなく,イスラーム学問の成果の土台の上に本番のルネサンス以後の西欧学問の発展があった。

前述の通り,本書は日本に「12世紀ルネサンス」を広めるのに決定的な役割を果たした古典的名著である。元は伊東俊太郎先生の講演を再録したもので,それが文庫化されるにあたり再編集されたものである。第1講から第5講は12世紀ルネサンスとは何か,という丁寧な説明で,いかにそのインパクトがすごかったか,その具体的な翻訳経路はどういったものか,についても説明されている。

ただし,本書の精髄は第6講と第7講である。第6講は伊東俊太郎氏の博士論文から現在の研究の最前線の歩みを説明した章で,実証的な文献学とはかくあるべきものなのか,という点で非常に感心させられる。文学部の学者はどれもこれも根性の要る仕事だと思うが,中でもやはり文献学者の根性は半端ない。でもけっこうこういう作業好きな自分もいる。うなるほど金と時間があったらこういう研究の手伝いとかしてみたい。

第7講は打って変わって恋愛についての議論である。すなわち,ロマンティックな恋愛劇の起源は本当に西欧だけのものか,イスラームから輸入されたものとの融合で誕生したものではなかったか。12世紀ルネサンスの文明交流を,古代文明の還流とだけ見るのは過小評価ではないか。これは親しみやすい話題である上に,新たな視点を与えてくれる話であろう。

古典的名著だが,それ以上に読む価値のある本である。


十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)
著者:伊東 俊太郎
講談社(2006-09-08)
おすすめ度:4.5
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



  
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2010年10月04日

非ニコマス定期消化 2010.6月上旬〜6月中旬



曲自体も好きだけど,グラスハープがまた良い音色。そして曲を聞いて「しろくまベルスターズ」を連想する人は僕と友達。




俺らの世代でこの曲知らないとかねーよ,と言ったところ,「ですよねーwww」という回答と「知らない」という回答が帰ってきた。後者の人は当時まったくテレビを見ていなかったらしいので仕方ない。




相変わらずよく作られている。Final待ち。




MMDで3D弾幕再現。このシリーズもだいぶ増えてきた。魔理沙さんマジ男前。




そういえばとらハに触手ってあったっけ?とか考えた動画。




原曲まんますぎて怖いくらいの再現度。最近全然見てないけど,それでも印象に残ってるBGMすげぇと思った。




EP6までのネタバレ有。鯖缶だったりゼリーの海だったり,ガートルードガードレールさんだったり,ネタが非常に細かい。




うちの猫も野良猫と対峙するとよくこうなってた。あいつらマジ内弁慶。今は歳食って縄張りとかそういうもの自体にまったく興味を示さなくなったけど。




すっげぇありがちな作りだからすごい。あの適当な展開をこうシリアスに偽装できるのだから,京アニもすごいがうp主の編集マジックも半端無い。BGMのチョイスが完璧。もうべたぼめ。

  
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2010年10月01日

完成度だけを追う見る専はわがままなのです

「ボカロ曲は人が歌って初めて完成なのか?まとめ」(Togetter)

長くなったのでこれだけ日記から分離。ボーカロイドがジャンルかそれとも道具か,という問題は個々人意見があるところだと思う。以下,自分のブコメ及びtwitter上のつぶやきを再掲,編集&追記。


「消失」が良かったのはボカロが人間より優位に立てる曲だったから。他,初期にはミクが自分は人間ではないことを意識した歌詞や曲作りが多かった。だからけっこうおもしろかったし聞いていた。「みっくみく」にしてから「科学の限界を超えて〜〜♪」なわけで。「えれくとりっく・えんじぇぅ」なんかはその意味でけっこう好きな曲。

昔似たようなことを書いたなぁと思って発掘したら見つかった。 やっぱり同じようなことを書いていた。その意味でのターニングポイントはやはり「メルト」だったように思う。初音ミクというキャラの確立というか,ミクが透明ではなく,多様性を保ちつつも「キャラ」を持ち,多種多様な恋愛ソングを歌い,しかもそれが人気曲として流行する,という現在の基盤となった要素。

その上であえて言うが,やっぱり多くのボカロ曲は人間に歌われて完成だと思う,個人的には。「ボーカロイドは道具ではなく自立したジャンル」と主張したいなら,それ相応の工夫を曲や歌詞に施すべき。 誤解のないように言っておくが,「非人間的工夫」が施された曲は最初期にしか存在しなかったわけではなくて,メルト以後であっても,それほどアンテナの広くない自分でもわかる程度に連綿として制作されていると思う。そもそも冒頭に挙げた「消失」からして最初期の作品ではない。 超有名所だと「炉心融解」なんてかなりボカロ自意識が強い曲だと思う。ああいうのは素直にボカロすごいって思える。でも「メルト」だとガゼルに歌ってもらえよ,としか思えない。極最近だと「マトリョシカ」か。こういうのもボカロはよくあう。

ただし,もちろん,これには私がボーカロイドの機械的音声がそこまで好きではないという嗜好の問題もある。調教がしっかりされてないものはその時点で聞く気がしない。悪いけど。一方でだからこそ神調教されたものを見ると心から賞賛したくなる。最近だと,めぐぽの「さよならメモリーズ」は本当にすごいと思った。


再掲ここまで。私のボカロ観はこんな感じ。だが,この価値観は実のところニコマスPVの視点でも全く同じである。アイマスだから/ニコマスだからこそできることは高く評価したいし,シンクロの悪いものはその時点で見る気を相当失う。なぜならそれがボカロの調教具合と同じく基礎点になっているからだ。前から言っているけど,私はシンクロ厨ですよ。玄PのPVいまだに見ちゃうくらいに。

  
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