2010年11月30日

結果普段通りの場所

白鵬がまさかの二日目での連勝ストップで,今場所は大きく空気が変わった。しかしその空気をもってしても,白鵬を崩すことは難しかった場所だったとも言える。彼の地力の高さがさらに証明される形になった。それ以外の話題としては,やはり魁皇と豊ノ島と稀勢の里である。しかし,豊ノ島に関しては立派なのは確かだが,ようやく「禊ぎが済んだ」だけとも言え,勝ち星の多くは絶対に勝てる相手から拾ったものだ。正直な話これで平幕優勝されても,私的には疑念が残る。稀勢の里は12勝くらいすればべた褒めでも良かったのだが,10勝という中途半端な成績でなんとも言えなくなってしまった。特に千秋楽,豊ノ島に負けたのは今場所の印象を大きく悪くした。

魁皇に関しても,なんとも言いようがたい。本人自身が「なぜこれだけ勝てたかわからない」と言っていたが,実際内容は初日から五日目にかけてひどく,六日目に鶴竜を破ったところから尻上がりに調子が上がっていった。このまま優勝したら伝説になったが,一方で十三日目の白鵬,十四日目の豊ノ島にはまるで歯が立たず,それはならなかった。要するに普段なら何番かは落としているところの前半戦で運良く全て白星を並べることができたため,こうなった。実際のところ本人の言う通り,体調はやや良かった程度で,さして普段と変わらなかったのではないだろうか。むしろ今場所の魁皇に関して褒めるべきは,互助会も八百長も一番も無かったことかもしれない。

あと今場所言うべきは最後まで待ったが多く,連勝が途切れて話題も消えたのと同様に,場所全体の空気がぴりっとせず,どこか弛緩したような感じであった。全体の相撲内容としても凡で,中の中と評価せざるをえない。ただし,先場所は上位陣が良く下位陣が足を引っ張っての中の中だったのに対し,今場所は満遍なく凡であったことを踏まえるに,下位陣は相対的にがんばったとは言える。


各力士個別評。白鵬については上で語ったとおり。二日目で負けた後は割り切って試行錯誤をしていたように見えなくもない。というのも踏み込みの足が変わっていたり遠い位置から立ち会ってみたりと普段とは違う様子であった。一方明らかな苦し紛れの技も多発し,これがどうなるかは来場所判明するところである。いずれにせよ,大連勝記録を打ち立てた諸先輩が途切れた後崩れたのに対し,結局今場所も優勝してしまったことは驚嘆するに十分である。14−1で終わったので勝率はさらに上昇し,横綱通算で.911。ここ二年では172勝8敗なので勝率.955というすさまじい数字になってきた。すでに十分伝説級の横綱だが,まだまだ若く,伝説の積み重ねは可能である。足りないのは優勝回数か。現在17回,来年の20回到達は堅い。

大関陣。魁皇については上に語ったとおりである。把瑠都は今場所大関在位初の二桁を記録した。やや関脇時代の強さが戻ってきたように見える。ただし相変わらず白鵬には勝てず,だんだん朝青龍と琴光喜の関係になってきた。それとは別に二日目の阿覧に使った波離間投げは評価すべき。あれは把瑠都にしかできない技であろう。見ごたえ抜群で,今場所で最も記憶に残る取組であった。琴欧洲のしりさがり病はなんとかならんのか。十二日目からの四日間は幕尻でとっても負けそうな相撲であった。日馬富士に関しては,場所前にこんなことをつぶやいていたが。本当にそうなってしまった。というか,やはり場所前から休場するべきだったのでは。今場所しまらなかった原因の一つではあるので,来場所ぜひ大暴れしてほしいところである。


三役は総崩れであったが,語るところは多い。期待の高かった栃煌山だが,もろ差しが得意で先場所はそれを追求し,結果12勝した反動が出てしまった。そりゃ何が何でももろ差しを狙いに行けば対応されるに決まっているし,自らの相撲も崩すだろう。本人は何か袋小路に迷い込んだ気分だったのではないだろうか。少し精神状態が心配である。逆にそれだけネジが来るっても7−8でとどまったというポジティブな考えを持ちたい。鶴竜,栃ノ心と阿覧は成長が見られない。栃ノ心は離れてとると弱く変化にも弱く,右四つを狙いに行きすぎという点では栃煌山と共通する。阿覧は組んでからの攻めが遅く,不用意な動きも多い。いまだ勉強中といったところか。千秋楽に勝っていれば一人勝ち残りだったのに,惜しい。

平幕に移り,稀勢の里は白鵬に勝った二日目がクローズアップされがちだが,それ以外を見るとまあこんなもんだろうという中身で,上述の通りむしろ10勝で止まったことはいろいろ考えさせられる。琴奨菊も9−6だが日馬富士以外の上位陣にまったく勝っておらず,いよいよ良い意味でも悪い意味でも老獪の境地に達しつつあるのかもしれない。豊真将は後半調子が狂って7−8。前半は把瑠都を倒した相撲が非常に良く,最後までこの動きができれば10勝は堅かったが,中日魁皇にとったりで右肘を壊されてから急降下した。同情はする。北太樹は全然ダメだったが,日馬富士休場のしわ寄せで上位戦が突然増えただけに,これも同情はできる。勝負は時の運。

黒海は腰が高く軽く4−11の大敗。徳瀬川は良い相撲と悪い相撲の差が極端で今場所も小勝ちの8−7。まずいのは立会いで,ここを直せばまだ伸びる。木村山は先場所引き落としが冴え渡ったが,今場所は研究されておりうまくはたけなかったのが大敗の原因である。終盤は勝った千秋楽を含めてメタメタな内容。

さて,豊ノ島である。今場所は非常によく動けており,相撲勘の冴え渡った小兵らしい相撲であった。上述の通り,後半の上位戦を除けば勝てて当然の相手が多く,過大評価は禁物であるが,それでも彼がいなければ味気ない優勝争いではあっただろうし,白鵬以外の上位陣に負けなかった点も評価できる。敢闘賞も技能賞も十分にその価値が認められる受賞であった。

下位陣に移り,臥牙丸。圧力が良く幕内にも慣れた。押し相撲力士なのにはたけない弱点を抱えたままどこまで通用するかは見物である。今の相撲で三役は難しいように思う。ただ,彼にはまっすぐな相撲を取り続けて欲しいという気持ちもあり。豪栄道は12−3だが,豊ノ島のように優勝争いに絡まったために上位陣との取組がなく,その内容は豊ノ島と雲泥の差がある。彼の禊ぎは来場所に持ち越し。同,雅山はなんと9−6。このまま中位にとどまりそうな雰囲気さえあり,まずいかもしれない。このように実力者がそろい荒れ気味の下位陣であり,蒼国来は関取になって以来6場所目で初の負け越しだそうである。その中で光龍と翔天狼がそろって勝ち越した。光龍はこれまでぱっとしない押し相撲だったが,今場所は引きを覚えやや進化が見られた。翔天狼は押しの強さが増し,中位でも取れそうである。


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2010年11月24日

油滴天目茶碗見に行ってきた

油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館所蔵)陶磁器を目の前にして足がすくんだのは,これが二度目である。


出光美術館の「天目と呉州赤絵」展に行ってきた。要するに福建省の窯に着目した展覧会である。陶磁器ゆえに一品一品が小さく,出光美術館の面積としては十分に多い約110点の展示。福建省は江南としては痩せた土地で,唐までは人口も多くなかった。大きく発展したのは宋代以降で,海外と取引する港湾都市として整備されたからである。主要な取引品は茶や綿布といった商品作物や手工業品,そして景徳鎮や竜泉窯の陶磁器である。結果的に,福建省自体でもこうしたものは作られるようになった。現在でも茶の名産地として名をはせている。

しかし,陶磁器に限れば長らく景徳鎮の質の悪い模倣にとどまっていた,というのが真相らしい。今回のキャプションで読んで驚いた。確かに展示品を見ると釉薬のかかり方が甘いのかそれとも質が悪いのか,くすんでいたりぼんやりとした色づきになってしまっており,ぱっとしない見た目のものが多い。陶磁器として輸出されたというよりも,茶や香辛料の入れ物として用いられていたことが多かったようだ。そう聞くと発見の過程は井戸茶碗に似ているのかとも思ったが,違いは福建省の陶磁器が日本の好事家の目に止まらなかったという点である。

それでも南宋・元・明の時代まで来ると模倣の段階を脱し,福建独自の陶磁器が生産されるようになる。その一つが明代末期に発展した呉州赤絵だが,こちらは私にとってはどうでもよかった。素朴な朱塗りの大皿というのが日本の茶人に評価されたという点に関してはわからなくはないが,はっきり言って同時期の景徳鎮の万暦赤絵に比べてダサく洗練されていない,というのが私の評価である。塗りも素朴と言えば聞こえはいいが単純に荒く,赤色の発色も良くないように見える。

そしてやはり評価するべきは,南宋時代に発展した天目茶碗である。天目茶碗は浙江省から福建省にかけてで生産されたものであるが,酸化鉄を多く含み黒色に発色する釉薬が厚めにかけられたものである。が,そのうち福建省の建窯で生産されたものの一部は土の成分により焼成の過程で化学反応が起き,銀色の斑点模様が発生する。これが日本で高く評価され,斑点模様の違いにより「曜変天目」「禾目天目」「油滴天目」などと分類され,珍重された。曜変天目茶碗(稲葉天目)を見たときの興奮っぷりは以前に記したとおりである。

天目茶碗はその透き通るような,一種陶磁器とは思えない澄んだ漆黒自体が,すでに魔術的な美しさを誇っている。しかし,そこに銀の斑点がつくとその美しさは増す。今回の目的はその最高傑作の一つ「油滴天目茶碗」であり,今回のために大阪東洋陶磁美術館から貸し出された(もちろん国宝)。ありがとう大阪市。完成するかも分からん近代美術館とか作ってなくて良いから,もっと東洋陶磁美術館に力入れてくれ。

実物の輝きはとてつもないものであった。見事な一面黒色の表面に銀色の斑点が踊る様は,まさに足がすくむようであった。本作品は高台まで釉薬がかかりきっておらず,あえてかなりの部分で地を見せているが(ほとんど高台脇まで地が見えている),そのおかげで釉薬の厚みがわかるようになっている。陶器の厚みよりも釉薬のほうが厚いのではないか。また,本作は陶磁器にしては珍しく口縁を金で縁取ってある。その結果,黒・青・銀の単純な世界はよりしっかりと器の内側に閉じ込められ,小さいながらも深みのある一つ世界を形成しているといえよう。この金縁をつけた職人のセンスには感嘆せざるをえない。また,そのせいか,例の稲葉天目は何か不気味であり,禍々しい領域に入っていたが,本作はやや落ち着いた美しさであった。


これは稲葉天目と並び,死ぬまでに一度は見ておく価値のある茶碗であろう。たとえ陶磁器に興味がなかろうとも,人類の生んだ創造的傑作の一つとして。
  
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2010年11月22日

東京都の駅ダンジョン格付け

まあ1位はどう考えても新宿駅なので,2位以下についても少し考えてみた。


2位:渋谷駅
渋谷駅なんて楽勝じゃん,というのは渋谷駅ユーザーの驕りだったのではないだろうか,と最近思うようになった。確かに初心者では新宿駅に匹敵する意味不明度かもしれない。多分,多くの方にはまず地下鉄の癖にメトロ銀座線の駅が地上3階にあるという時点であまり信じていただけまい。これは渋谷が名前の通り「谷」で,銀座線は戦前に誕生した3番目に古い路線であるため,名前を裏切って地上に出すしか線路を通す方法が無かったためである。さらに,実は銀座線は乗降口が別で,乗る場合と降りる場合ではホームも違えば改札も違い,必然的に出入口も異なる。これは新宿駅には無いトラップである。

そうそう,渋谷駅はJRの出入口の名前がカオスで,玉川口にハチ公口,東口,西口,新南口,宮益坂口とある。これも渋谷の地理を知ってる人にはイメージしやすいが,初めて来た人にとっては「せめて方角で統一しろよ」ってことになるだろう。特に新南口トラップは新宿駅同様健在である。新南口はあまりにも通すぎてもはや別の駅である。だが埼京線から乗ってくると新南口が一番近く,ここで降りてしまうと「京王線どこだよ」とぶちぎれる羽目にになるかと思われる。

もちろん私鉄の建物との複合も新宿駅と同様で,京王百貨店と東急百貨店が渋谷駅全体の多くを占めている。JRはどこまでがその領域なのかまったく判然としないが,あまり弊害はない。渋谷駅の特徴として上下に深く,地上はメトロ銀座線の3階まであるが,地下もメトロ副都心線(東急東横線接続)の地下5階が最も深く,8階層構造になっている。この点は新宿駅を越えており,地下5階の副都心線と地下3階の半蔵門線(東急田園都市線接続)が突出して深く,特に副都心線から銀座線に乗り換えるなどという行為は考えたくもない。

唯一楽勝なのは京王井の頭線とJRの乗換えで,井の頭線を降りて改札を出て,ずっとまっすぐ行くとJRの玉川口である。等等を考慮すると,やはり2位は渋谷駅で鉄板であろう。ただし,むしろ「渋谷」の場合は駅よりも町並のほうがダンジョンじみていてカオスなのだが,それは横においておく。


3位:東京駅
東京駅は広さにおいて新宿駅を上回るが,ダンジョン具合からいけばかなり下がり,渋谷駅と同程度か,さらに下がる程度であると思われる。なぜなら,東京駅は広いだけで構造は至極単純だからである。駅の形は完全に南北に縦長の長方形。西側は全て「丸の内」で,東側は全て「八重洲」。丸の内側にあるのが有名な赤レンガの建物なので階層が低く,八重洲側にあるのが大丸百貨店なので階層が高い。出入口は確かに全部で15個と多いが,

丸の内北口・中央口・南口 丸の内地下北口・中央口・南口 京葉線地下丸の内口
八重洲北口・中央口・南口 八重洲地下北口・中央口・南口 京葉線地下八重洲口
日本橋口

と整理されており,名前の付け方が完全に方角に拠る上に,新宿駅と違って名前通りの場所にある。階層も基本的に地上階と地下一階の二階層だけ押さえておけば,例外は極めて少なく,京葉線のホームはかけ離れて南にあることと,日本橋口だけかけ離れて北口になる。ただし,丸の内側と八重洲側は改札を抜けない場合大きく迂回する必要がある点は新宿駅と共通のトラップで,それぞれの地下北口と南口をつなぐ東西連絡通路があるので,それだけは注意したい。これだけ覚えておけばまず迷わない。

加えて,駅のほぼ全域をJR東日本一社で管轄しているせいか,100mおきという頻度で駅全体の地図が張ってあり,心配なら逐一現在地を確認しながら歩けばよい。また,実は東京駅は私鉄と乗り入れておらず,接続しているのはJRとメトロだけである。メトロの駅はJRから乗り換える場合,丸の内地下中央口が最短で,これもそれだけ覚えておけばまず迷わない。しかも近年は丸の内再開発により,メトロ東京駅の真上には丸ビルと新丸ビルが建ったので,三菱地所のおかげでさらに道案内が充実した。どんと来いおのぼりさん。ちなみに,反対側の八重洲の地下は広大なショッピングモールとなっている。


4位:大手町駅
東京駅丸の内側の地下からは歩いていけるため,しばしば東京駅と複合して考えられる。複合した場合においては,新宿駅と肩を並べて同率1位になると思われる。大手町は極めて広大である。端から端までは1駅分あり(比喩ではなく本当に),東京駅と複合した場合には3駅分は軽くあると思われる。丸の内線の大手町と都営三田線の大手町を同じ駅と言い張るのは詐欺である。丸の内線のほうは「産経前」に改称してください。地下で移動させられるので土地勘が生かしづらく,何度行っても乗換えがわからない。せめて地上に出れば楽勝だろうと思っても,コンクリートジャングルすぎて当てにならないのである。完全に一つの会社が管轄している駅としては最も難易度が高いのではないか。

なお,大手町の最北端である千代田線大手町から,地下だけをずっと歩いて南下すると,東京駅を通り抜け,京葉線のホームも通り抜け,有楽町駅に到達し,最終的には日比谷線の東銀座まで行けるそうである。その距離,直線で測って3km。広さだけを考えるならば,ダンジョンと呼ぶにこれほどふさわしい状況もないかもしれない。


5位:池袋駅
いわゆる「不思議な不思議な池袋〜、東が西武で西、東武♪」。むしろ困難なのはそこではなく,それを知っててもなお迷うほど出口が多いということである。東側だけでも東口,西武口,サンシャイン口とあり,けっこう地下が広いため,適当に地上に出ようとすると現在地がわからないということになる。今だから言うが,最初に「いけふくろう集合ね」と言われたときはかなり迷った。生粋の都民は「いけふくろうなんて東口のエスカレーターの真下なんだから迷いようがないだろ」と思われるかもしれないが,メトロで来ると最低1回は曲がらないと到着しない上に,おのぼりさんには東口と西武口の区別がつかないため,あさっての方向にたどり着くことになる。そもそも,あれは東口とは言わないだろう。方角だけ考えればあれは東北口であり,出入口の名前が実情とあってない点は新宿駅に共通する。(ちなみに,北口はちゃんと存在するが,あれはあれで「西北口」としかいいようがない。)

池袋駅の難易度を大幅に下げているのは中央に東西連絡通路が存在していることで,東京駅や新宿駅のように駅の反対側へ行くために5分以上かけて迂回するということにはならない。さらに,やはり「東西武で西東武」という構図の単純さは大きく,また階層も基本的に地下2階から地上階までの3階層しかない。メトロもシンプルに接続しているため,東京駅同様に慣れれば難易度が下がるダンジョンではあると思う。都民には優しくおのぼりさんには厳しいダンジョンである。wikipediaのこの地図はすごくわかりやすくて良いと思う。


6位:上野駅
ここは駅がダンジョンというよりは「目的地に着くにはどの出口が最寄か」というのがわかってないと大変なことになる駅だと思う。出入口がやたらと多い上に,それぞれの出口が遠いために,出口を間違えると途端に集合場所や目的地が遠くなってしまう。また,名前の付け方が渋谷駅同様完全に固有名詞であり(公園口,不忍口,山下口,パンダ橋口,広小路口,入谷口),慣れている人にはわかりやすいが知らない人にはイメージしづらい。

ただし,あくまでダンジョンという観点から考えるならば駅そのものからの脱出は容易であり,駅ビルとしてはアトレというデパートが複合しているだけである。私鉄が乗り入れていないためJRの在来線と新幹線の他はメトロしか入っていない。新幹線が来ているだけあって駅構内地図も豊富である。まあ,メトロとの乗り換えは,地下へ降りる階段が少ないのでやや難易度が高いかもしれない。京成?あれは別の駅。異論は認めない。


7位:赤坂見附・永田町駅
メトロしか利用していないはずなのに異様に広大,という点では大手町に共通するが,大手町が複雑に入り組んでいるのに対し,こちらは基本的に一本道である(東から順におおよそ有楽町線・南北線・半蔵門線・丸の内線・銀座線)。ただ,本当に入れ替えがしんどい。何度もエスカレーターや階段で上り下りさせられる上にゴールが見えない徒労感は,たとえ毎日利用したとしても消えることが無い。南北線の永田町に降り立って丸の内線の赤坂見附に乗り換えなければならないときに見える「丸の内線ホームまで600m」という標識を見るとがっくりうなだれるのは,都民に共通する心情ではないかと思う。

乗換えでは決して迷わないが,待ち合わせ場所としては最悪である。地上はザ・官庁街なので,改札で集合するよりはよほど地上のどこかランドマークを指定したほうが良い。


同7位:溜池山王・国会議事堂前駅
赤坂見附の隣の駅であり,同格の難易度。こちらもやはり広大ながら一本道で,乗り換えに迷うことはまずありえない(北から順に丸の内線・千代田線・南北線・銀座線)。しかし問題は渋谷駅並みに地下5階から2階までの7階層で,ここでの乗り換えは極力避けたいという点である。驚くべきことに,同駅には「(最北端の)丸の内線から(最南端の)銀座線への乗り換えは約15分かかります」と書いてある。本当にどういうことだよぶっ殺すぞコノヤロウ。もちろんここもどこの路線で降りたかによって地上で見えるものが違うので,乗り換えではなくここを目的地として来た場合には気を付けたい。多分,隣の永田町か赤坂見附あたりで降りたほうが,各目的地に近い。


8位:秋葉原駅
この辺から段々ダンジョンではなくなってくる。ただ,T-Xができてちょっとだけ複雑になった。出入口が多く立体構造な点は見落とされがちで,3階の総武線から地下4階のT-Xに乗り換えるにはかなり歩かされる。それぞれがそれなりに離れていて,かつ道案内がやや少ないため,初見だと時間をとるかもしれない。


9位:品川駅
ここまで来ればまあ普通の駅。ただし,品川駅も新幹線が出来てから広大な領域を持つようになった。在来線への乗り換えはかなり歩くので注意。



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2010年11月21日

魔窟新宿駅

こんなスレとかこんなスレとかあって,たびたび新宿駅のダンジョンっぷりが話題になるので,都民歴約8年+αの俺が解説。


その1.出入口が多く,しかも名前と場所が一致していない
ざっと考えただけでも西口,中央西口,東口,中央東口,東南口,南口,新南口,サザンテラス口とある。これに加えて小田急や西武,メトロや都営などの持つ出入口をくわえると出入口の総数は軽く二十を越える。しかも西口と中央西口ってなんだよという指摘や北口が何で無いんだよという指摘はもっともであり,実は西口が事実上の北口であるというトラップは意外と知らない人が多い。新南口は新宿駅の辺境でもはや駅とはいえない場所にあるが,これは渋谷駅にも共通する特徴で,「新」と付く出入口は決して信用してはいけない。

その2.複数の施設が複合的に合体している
おそらくJR新宿駅の職員でさえもどこからどこまでが管轄が把握してないのではなかろうか。ど真ん中にJR新宿駅が存在しているところに,東西各種施設がべっとり張り付いていてざっくりと書くなら,北から

東側:西武新宿駅→メトロ新宿駅→(JR東口)→ルミネエスト→(JR中央東口)→(JR東南口)→ルミネ2→(JR新南口)→高島屋
西側:都営新宿西口駅→(JR西口)→西口広場→小田急百貨店→(JR中央西口)→京王百貨店→(JR南口)→ルミネ1→(JRサザンテラス口)→都営新宿駅

という感じになる。ちなみに,高島屋の端から西武新宿駅まで歩くと,最短距離で行っても20分は確実にかかるくらい遠く,待ち合わせの時間によってはシャレになってない事態に陥る。さらに,実際には構造が立体的になっており,入り組んでいてかつ階層によっては別の建物だったりするため,今ひとつ自分がどこにいるのか判然としないところが大量の迷子を生む原因になっている。

その3.実は東西連絡通路がない
JRの改札を通らない限りショートカットが存在しない構造になっている。そのため,最短でJR東口から西口に移動する方法は,JR南口にある甲州街道まで迂回するか,もしくは逆に北へ抜けてメトロの新宿駅を横切るかどちらかしかなく,どちらにせよ軽く10分はかかる。不便極まりない。また「そんなはずはない,ショートカットは存在するはずだ!」などと小田急百貨店やルミネエストに突貫したが最後,そもそも百貨店から脱出できなくなる恐怖の構造をしているため,慢心せずに迂回することをオススメする。

その4.地図がない
東京駅や池袋駅ならば通路のところどころに地図がかかっており,それを見ればなんとなく現在地がわかるのだが,新宿駅はJRの管轄内の通路にしか地図がないため,道に迷うと本気で現在地がわからなくなる。こうなると本当にまずく,ルミネエストの5階あたりで遭難した場合の絶望感は,ぜひ田舎者諸氏に一度は味わってほしいところである(実体験)。

その5.階層が統一されていない,通路が勝手に曲がる
これも施設複合の弊害で,一階を歩いてたはずが突然地下一階になっていたり,地上を歩いてたはずが地下に入っていたりする。加えて地図がない前述の事情により,さらに迷いやすくなっている。加えて,通路が決して五番の目状ではないため,勝手に曲がったり,階段しか進む道が無かったりするため,直線で目的地に到着することが非常に難しく,「一本道だと思って歩いていたらあさっての場所に出たでござるの巻」という事態は実に頻発する。これも意外と知られていないことだが,夜20時以降は通路のシャッターが徐々に閉まっていくが,シャッターの閉まるタイミングは場所によってバラバラであるため,20時,22時,24時では通れる通路と通れない通路が全部違うはずである。時限式不思議なダンジョン。


ちなみに,スレにもあるが実は新宿歌舞伎町は中央東口よりも東口のほうが近いし,ヨドバシカメラ本店は西口よりも南口のほうが近い。トラップだらけである。

  
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2010年11月17日

クライヴもガンディーもタゴールも見てきたということに……

・「『太宰メソッド』の欠陥あるいは限界」(Togetter)
→ これ,まさにその通りで。「太宰メソッド」は便利だし,はてなの生んだ偉大なる発明だと思う。周知されていないのであれば知られるべき言葉。
→ ただ,実はそこまで万能な言葉ではない。「差別感情無しに差別は存在しうる」現状で,個人が世間に対し何が出来るかというと,実はそんなに無い。
→ ところがここで太宰メソッドを使ってしまうと,それは事実の確認にもならない。単なる差別主義者たたきに堕してしまう。
→ 結局使いどころは考えよう,としか言えない。差別そのものよりも,差別構造の抱える問題は難しい。


・近代のお節介に救われた俺は,近代とどう付き合えばいいのだろう?(Danas je lep dan.)
→ これは実はけっこう深刻な問題で。
→ 近代主義という普遍性はとても強力なもので,実はガンディーですら「近代のもたらした豊かさは独立運動を大きく妨げた」というような主旨のことを述べている。
→ 近代の豊かさや悪習の排除は非常にわかりやすい合理性を備えた,間違いなく一種の正義である。しかし,人間には愚行権もあれば,それで掬い取れない行動もあり,全てが合理的なわけではない。また,人類の多様性の保全が合理的だと考えるのならば,これは近代主義と対立するであろう。
→ これは近代主義と植民地主義の対立というよりも,啓蒙思想と伝統の対立と言った方が正しいのかもしれない。近代のお節介さにおいて最も重要なのは教育であり,そのお節介さはまさに啓蒙主義であり,もう一歩進めば「マニフェスト・ディスティニー」に由来する。
→ 加えて,近代が導入されないことで被害を受けるのは大体社会的弱者であり,抵抗するのは既得権益層であるということも念頭に入れれば,さらにこれが根の深い問題であると考えることができるだろう。
→ 少なくとも,複数指摘が入っているような,各論で賛成・反対を決められるものではない。理念の問題なのだから。


・アドワイチャ(Wikipedia)
→ 亀が長生きなのは知ってたけど,250年超えというのは恐れ入る……
→ ロバート・クライヴに飼われていたらしいが,彼はインドからフランスを追い出し,イギリスのインド覇権を確定させたプラッシーの戦い(1757年)の立役者である。
→ つまり,イギリスのインド統治が始まる前から生きていたということになる。完全に歴史上の「生物」である。
→ 人間の愚行の数々を,彼はどう見てきたのであろうか……亀なんだから何も考えてないだろうけど。


・体育が出来ない奴にしかわからないこと(おはようwwwお前らwwwwwwww)
→ ほとばしるほど「あるあるwwwwww」しかないスレ。
→ 美術教育の話でもそうだったが,本当に出来ない子はマジで「ボールの蹴り方」からわからない。それほど高度な教育を要求しているはずじゃないのだが。思ったとおりに身体を動かすというのは不器用な子にとって至難の業である,ということはもっと認識されるべき。
→ ちなみに自分自身,小学校まで本気で「走り方」がわからなかった。その体格で50m10秒超えはありえない,と長らく言われ,ようやく体得した中学生になって途端に8秒を割った(大体クラスの平均値くらい)。
→ じゃあ体格に恵まれていたかと言われればそれも違い,長年の持病喘息ゆえに幼少時は体育が強制的に休みであったため,身長だけ伸びて典型的なもやし体型になってしまった。多少なりとも「骨と皮だけの身体」から脱却したのは,中学で剣道部に入ってからである。
→ もっともこれ自体,成長して喘息が多少なりをひそめたため,激しい運動が許可されたから剣道ができるようになったという事情があり,もっと喘息が長引いたらという仮定は考えたくもない。自分の中では割と大きいトラウマ,コンプレックスかもしれない。
→ しかし,結局生来の不器用さは解消されず,運動テスト・体力テストの類で平均を超えたのは50m走と走り幅跳びのみであった。剣道やってたのに握力が全国平均以下とかどうしようもないね。
→ ふと思い出したけど,逆上がりできるようになったのも中学生になってから。これも,筋力が足りなかったのもあるだろうが,やり方が根本的にわからなかったのが原因であったと思う。
→ ブコメが同窓会すぎるので,同感の方はご覧あれ。

  
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2010年11月16日

togetter「美学のいろは」について勝手な可能な限りの解析

・「美学のいろは」(Togetter)
上から見ていく。どうでもいいが,これを主催した死に舞さんはひょっとしてうちの大学の博士課程だったりするんですかね?ブログに西村清和とかそんな文字が見えたような。


>「趣味について議論することができるのか?」
これは多分カントの話。この場合の趣味とは「人に快なる感情を与えるものに対する判断(能力)」の意味で,一般的ではない完全に美学的な言葉の使い方。カントは趣味判断について,感性のみで快不快が判断されるものについては,感性は人によって異なるので普遍的妥当性を持たない。よって議論不可能。ただし,判断に感性と構想力がかかわるものに関しては,構想力は悟性の下部概念であるので,普遍的妥当性を要求しうる。よって議論可能とした。このように,趣味判断において構想力をかかわらせるもの,その客体を「美なるもの」とした。「美」という概念は存在するものの定義不可能であり,「美なるもの」のみがこの世には存在する。みたいな感じ。詳しくは各自『判断力批判』の解説書を読むこと。

>「趣味の良し悪しについての話。」
カントは純粋な趣味判断は無関心である,とした。関心とは善悪など,美以外の快不快を判定させる概念のこと,と考えておけば間違ってはいない(厳密には違った気もしたけど)。ただし,カント自身,本当はそんなことを考えておらず,別の章で「美は道徳の象徴(キリッ」とか,しれっと書いている。これは,カントがやっていたことは本当は哲学ではなく倫理学であり,彼が本質的に理想主義的,性善説的な啓蒙主義者であったことを示す。彼の著作の目的はあくまで人間の理性の称揚であることを見落とすと全く読めなくなるし,近年はこの点をめっためたに批判されている。

>「ブルデューの話に繋げるのかなこれ。」
>「良い趣味を装う。」
ブルデューはwikipediaでも見てくれればわかるが,文化資本・社会資本について大きな業績を残した社会学者。カントの趣味判断は,本当に普遍的妥当性を要求できるのか?ドイツの片田舎で研究していたため,実はカント自身の視野は非常に狭窄であった。『判断力批判』に出てくる例示の貧相さや,彼のロココ趣味の古臭さについては研究史で強調されるところである。これが「ブルデューの文化資本の話につながるのかな」と思わせられた理由であると思われる。真相は不明だけど。

>「19世紀になると、美学や趣味よりも芸術の話題が盛んに扱われるようになる。」
>「趣味は個人の問題だから議論できない、という思想の普及。相対主義。」
ここで言う趣味はまさに現代的な意味合いであって,カントで言うところの「感性のみで判断される快不快」のほうであろう。しかし,19世紀には美的判断も同様に切り捨てられた。それは悟性がかかわろうが,結局は普遍的ではないという相対主義が広まった結果ではないか,という指摘。

>「カントからの引用。美的判断は普遍妥当性がある、という。」
>「ある」→「求めるものだ」
ここでやっとこの言葉が出てきた。なぜ「求められる」という言葉が大事かと言えば,実際に存在しているわけではないから。人間には美を感じ取る(=合目的性を感じ取る)能力がア・プリオリに存在しているが,それがその人の感覚に発現しているかどうかは別問題だからである。全人類に発現しているわけではないので,あくまで「要求可能」なだけ。

>「コカ・コーラは美味しいというのは個人的な判断。あの瓶が美しいかどうかは普遍妥当性が問題になる。」
その通り。説明は上記で示したとおり。

>「美味しんぼでも、普遍妥当性の問題があるから議論が盛り上がる。」
良いなあそれ。その議論参加したい。

>「背伸びしてゴダールの映画史観たり。動機の不純さ。やっぱりブルデューのはなし。」
でしょうね。美的判断が無関心なんてありえない,とするのがやはり現代の美学の立場だろう。美的判断が純粋であるなどというのはあまりにも理想的な議論で,現実的ではない。

>「ニルヴァーナが好きだった中学自体、それはほんとに好きというだけの選択だったか」
カントに言わせれば「そんなもの趣味判断じゃない!」でしょうなぁw


>「デートの場所としての美術館。研究対象としても興味深い。」
実は数回ある私的経験から言わせてもらうが,両者に相当な美術への関心がないと失敗しやすい。お勧めしません。

>「学校で、国で、鑑賞を重視して教育している。」
別の議論にぶつかりそうだが,そうでもないと思う。

>「ドラマ鑑賞やゲーム鑑賞は、芸術鑑賞としてあまり扱われないし、教育でも重視されない。」
>「芸術の概念が、そういったものとして世界中に流布している。」
>「以上の特殊性は、西洋近代の芸術概念から説明される。」
というよりも単純に,教えられなくても楽しみ方がわかるから,でしょう。

>「美学とは、もともと感性に関する学問、という意味。」
まさに。aestheticsとは「感性学」という意味。これについては以前語ったことがある。ここの冒頭部分。その下しばらくはさっきの話の蒸し返しが続く。「美」には普遍的妥当性があるのか,そもそも本当に悟性がかかわるのか,という話。

>「絵画、音楽、文学などを横断する美的な価値などあるのだろうか。」
個人的な感覚から言えば,ある。というよりも,その「美」という概念は,前述のドラマ鑑賞やゲーム鑑賞にも横断すると思う。だからこそ私は,エロゲに芸術という概念を当てはめることをいとわないわけで。

>「社会学的な懐疑論、ブルデュー。その他の懐疑論、ウィトゲンシュタインやマゴーリス。」
なぜウィトゲンシュタインがかかわるのかちょっとよくわからない。マゴーリスは人自体を知らない。詳しい人解説お願いします。

>「配偶者獲得のための美的な価値。人間の場合は文化資本にも関わる。」
なるほど,この視点はおもしろい。こう考えると,広義の「美」は人間の独占所有概念ではないかもしれない。単純な快不快から離れた美の概念。

>「聞き慣れない音楽ジャンルはたくさんきかないとどういいかどうか以前に、個々を識別できない。」
>「美的な判断は五感だけに伴うものではない。歴史的な知識や文脈といったものにもよる。」
美的判断に個人の知識量が関係しているのは間違いのないことだと思う。私はカント的な素朴な判断は否定する。これも過去に何度も語っていることなので,art_historyカテゴリか,もしくはCriticismカテゴリを参照のこと。
それはそれとして美学とは逸れるが,これは本当にそう思う。だからこそ門外漢は口を出すな,というジャンルはたくさんある。エロゲーマーとして言わせてもらえるならば「お前ら判子絵って言いたいだけだろ,多くのエロゲーマーはあれで見分けついてんだよ!」ってこと。

>「シブリーは、個々を識別するために感性を磨いているのではないか、といっている。」
シブリーをぐぐったが,マイナーな人だってことしかわからなかった。

>「銭湯が気持ちいいというのは美的な判断なのか?という疑問。」
これこそ,カントの定義する「感性のみで快不快〜〜」の典型なんだろうけど,これが温泉で,その温泉の歴史とか風呂や建物の趣まで判断の範疇に入れたら,それは美的判断なんじゃなかろうかと思う。

>「経済学において価値が重視されていたので、美学においても価値が重視されていたが、いまの経済学はそうではない。美学は?という質問。」
この場合,美学の価値ってなんだろうね?という定義から始まるのではないだろうか。

>「批評はなにしてるのか問題」
>「批評というのは、美学と重要な関係がある。」
>「批評は、人に共有してもらいたいという欲望と関係しているのでは。職業としての批評は特殊だとおもう、とのこと。」
美が知識や新たな知見と関係があるのならば,それを他人に広げ,共有することは基本的な心性ではないだろうか。それは批判についても同様なわけで。また前述のように,現実の「美」は無関心ではないので,時として批評は美以外に拡散することもある。それはそれでおもしろいのではないか,と個人的には思う。確かに職業としての批評家は特殊で,本来批評とはディレッタントの行為ではないか,と。少なくとも私はその誇りでもって書評もしてるし美術館レビューもしてるし,エロゲーレビューもしている。

>「美学には、醜さを扱うものもある。悪趣味については最近の議題としてでてきている。キッチュとかかな。」
醜さと美の関係については,それこそカントから出ている話。カントにとっては「崇高」ですら醜い。結果的に美とは別に,感覚を通して人間に快不快の感情を呼び起こすのであれば,それは「感性学」が原義である美学の範疇だろう。また,美が文化資本に根付くものとするのであれば,これはナショナリズムともかかわる。フランスが西欧の芸術概念の中心にいるとすれば,ドイツはやや辺境で「醜いもの」を尊く扱う基盤がある。これはホルバインなりデューラーなりを連想していただければ。この辺の議論については,これあたり読んでおくと参考になるかもしれない。

>「しにまいくんとしては、悪趣味を楽しむのには楽しみ方ができているから楽しめる、とのこと。」
芸術には一定のルールが存在するが,悪趣味には悪趣味なりのコードができていて,それに乗って楽しむことは一般的になっている,ということか。

>「美学の話をするときは下世話な話が必要。ポルノは趣味と言えるのか。」
>「ポルノは使用目的だから美学じゃない、のこ問題。」
趣味でしょうね。理由については上記にうだうだと書いている通りで,何かしらの趣き深さがあり,作品間の微細な違いや技巧が人間の快に影響を与えているのならば,美学の範疇で全て扱って問題なかろう。使用目的だから,で切り離すのはあまりにもカントやヘーゲルを引きずった議論のような気がする。また,この視点は絵画や音楽,彫刻といったいわゆる「純粋芸術」の特権性を強調するので危険。無関心を追及するとこうなると思われる。

>「使用目的有る無しで言うと、器も衣服も使用目的があるわけで >ポルノ」
これは関係なかろう。ただし,使用目的を考慮した上での技巧的価値の付与は,大きく賞賛されるべき,だと考える。

>「クラシックとそうでないものの問題が面白そうだな、結局。」
価値が大衆に認められ,かつ歴史的価値が付与されればなんでもクラシックになるかと。問題はむしろそこに至る過程。



で,結局これ第二回はあったんだろうか。

  
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2010年11月15日

石川五右衛門も欲しがったという

根津美術館の南宋の青磁展に行ってきた。今回の展示ではほぼ全て竜泉窯であった。「陶磁器は南宋期の砧青磁を至高とするが」と自己紹介にある通り,砧青磁が大好きである。あのぬめっとした感じであり,それでいてかつ磁器特有の硬質さを失っていない見栄えは,矛盾した感覚をそのうちに秘めている。

ただ,今回飽きるほど見て少し感じたのは,砧青磁というのは美しいだけだな,ということである。もちろんそれはそれで重要なことで,唯美的な良さというのもあるし,それは私を支配する一つの価値観である。が,砧青磁に黒楽茶碗や曜変天目茶碗のような小宇宙を感じたかと言われれば,どれ一つとして感じることは無かった。あまりにも美しいがゆえに,そこで閉じてしまっているのである。一つなら欲しいが,二つ目は欲しくならない。まあ,絵画と違って道具ではあるので,ある程度の画一性は求められるべきであろうから,全部同じに見えることに文句をつけてもしょうがない。その点ではむしろ,唯一無二な世界を持つ,黒楽や天目のほうがおかしいのであろう。

そうそう,青磁に金継の技法での修復はどうかと思った。あれは「閉じた世界」をぶち壊している。とても無粋に見える。しかし,では他の技法で修復したらよいかと言われるとそれも困難で,そもそも砧青磁というものは欠けた時点でおしまいなのではないだろうか。完璧な美しさをほこるがゆえの欠点ではないか。かいらぎについても同様のことが言える。砧青磁に貫入を認めるのは是か非か。完全な完璧を求めるのであれば非なのだろうが……青磁は白磁よりも低温で焼けるが,逆に発色は不安定で,釉薬が厚いため貫入がおきやすい。それほどに,完璧な砧青磁の製造は難しい。

妙な名物としては,かの有名な千鳥の香炉が展示されていた。キャプションが地味だったので一瞬気が付かなかったが,ちゃんと紹介して欲しいところである。


今回驚いた展示といえば,米色青磁である。白いのに青磁とはこれいかに,というわけだが,それを言い出すと青磁だって実は青じゃないじゃないかといえるわけで(ほとんどの青磁は碧色である),これはそもそも中国だと青・緑・碧あたりは適当に使われていたことに由来するのであろう。磁器の歴史として白磁のほうがかなり遅いはずなので,色付の磁器はすべて「青磁」とする風習がついたのかもしれない。なるほど,「米色」は白色ではない。


根津美術館の庭園は広大で美しいが,いまのタイミングでは紅葉までまだ一歩足りない感じであった。来週末行くとちょうどいいくらいかもしれない。  
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2010年11月11日

非ニコマス定期消化 2010.7月上旬〜8月上旬

けいおん!とワールドカップの時期。



確かにこのメンバーでGMをやるのは罰ゲームであるw。本当の魔女おるし不老不死おるし吸血鬼おるし。




これは名作アレンジ。「しかけるトレモロ こたえるフラム」ってレベルじゃねーぞ。上がボーカルなし,下がボーカルつき。



まあキーボード万能だよね。ギターが終始一番忙しそう。




ニコ動に異様にうまいウクレレでアニソンを弾いてる爺さんがいるけど正体不明,という話題は,この時期非常に盛り上がった。正体が発覚したときは皆驚いた。



プロ無理すんな。何よりブブゼラで音に高低をつけられたのが驚きである。あと嘘歴史語るなw。Zeit誌がやらせたのか,ベルリンのコンツェルトハウス・オーケストラが自分から売り込んだのか,謎である。日本のN響も対抗して法螺貝でry



ブブゼラにあわせて。今見てもとんでもないゴールがたくさん。やっぱフォルランはんぱねぇ。もう四ヶ月も前なんだよなぁ。感動をありがとう。




ジルリール4のOPパロ。枚数が多いだけあってぬるぬる動き不自然さがない。



おやつの人。更新が早くてすばらしい。31秒縮まった。更新ポイントは一部のみでLP減らす作業。そしてとうとう「やり逃げダイナミック」が大百科に。


  
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2010年11月08日

ニコマスで初めて知った単語「被写界深度」

・モンゴルは蒙古にあらず。中国は支那にあらず。(ハワリンバヤルを100倍楽しもう)
→ 「もっと周知されるべき」タグをつけたことだし,再掲。
→ 支那及び蒙古が蔑称として扱われるようになった経緯が述べられている。理由を知ったら使わないようにしよう。蒙古のほうは知らなかったなぁ。


・2ch学問板が全滅?(増田)
→ これも意外と知られていない事件らしいので掲載しておく。
→ ある日Janeを起動したら登録したスレのほとんどがdat落ちしてて異変に気付いた。気付いたときには保存もきかない状態に。正直けっこうショックだった。
→ 世界史板も日本史板も,美術鑑賞板も飛んだ。貴重な議論の成果が……
→ 元記事にもあるように,2chは規制も激しいし,自滅の道を着実に歩んでいるようにしか見えない,少なくとも専門板。


・オゾン・ホールが縮小傾向に転じ、2073年に消滅する見込みが立つ(ニュースの社会科学的な裏側)
→ 珍しく人類が自然環境に一石を投じた様子。
→ オゾンホールというとちょうど自分が小学生くらいのときにフロンガス禁止とか本格的な対策が採られ始めた記憶があるので,感慨深いものはある。自分ではほとんど何もしてないけど。


・寂れていく温泉街…どうしたら立て直せるかおまえら知恵を貸せよ(暇人\(^o^)/速報)
→ 正直温泉で町興しという発想自体が古い。
→ 日本列島は温泉掘れすぎて何の珍しさも無くなり,かつそう差別化できるものではないから,勝ち組と負け組の二極化が激しくなってきている,というのが正解ではないかと。
→ 一つ言えるのは昭和的意識を切り替え,テーマパーク然と「古き良き日本」を演出すればとりあえず人はそれなりに戻ってくるであろう。
→ スレにある「刺身」と「コンクリ」にはほとばしるほど同意しておく。
→ 言うまでも無くこれだけ注文があるのは,僕もいっぱしの日本人であり,普段のお風呂も好きならば温泉も大好きだから。ああ,のぼせる直前くらいまで熱いお湯に入りたい。


・ゴッホの絵をチルトシフト撮影でミニチュア風にしてみた(カラパイア)
→ ゴッホの絵を撮影した写真をPhotoshopで被写界深度を加工すると,ミニチュア風に見えるようになるらしい。
→ 原理は理解したけど実際自分でやれと言われたら絶対に無理。Photoshopもすごいし考えて実行した人もすごい。
→ ぼかすと奥行きが出るという単純な原理ではあるのだけれど,これだけ鮮明に遠近感が出るというのは割と驚きである。
→ そもそもゴッホのようなポスト印象派の連中の絵には遠近感が足りてないから出来る技か。印象派以前だと難しいかもしれない。(実際,ゴッホでも《星月夜》は苦しそうに見える)
→ つまりこれは,素材選びも良かった。よし,次はセザンヌだ。


・「適材適所」の鳩山前首相、尖閣諸島に永住へ(虚構新聞)
→ かつてこれほど虚構新聞が絶賛されたことがあっただろうか。
→ 落ちまで含めて秀逸である。ぜひとも実行してほしい(笑)
→ はてな民が冗談の通じる人たちでよかった。にしてもあなた方,虚構とボーガスに慣れすぎでしょう。


・国内にマニ教「宇宙図」 世界初、京大教授ら確認(47NEWS)
→ 何故日本で発見された?というところに,シルクロードの恐ろしさがある。
→ マニ教はゾロアスター教を基盤にキリスト教・仏教を混ぜた融合宗教である。仏教的な要素があってもおかしくはない。
→ もっとも混ぜすぎ注意で,中央アジア一帯に一時期広まったが,人心への訴求力が低下してよりわかりやすいイスラーム教へ信徒をほとんど吸収されてしまった。従って,こうした史料が発見されることは,本当に極めて貴重なのである。
→ まだまだシルクロード,中央アジア研究では日本が世界で最先端。今後も世界を引っ張っていって欲しい。


  
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2010年11月07日

けいおん!!雑感

今頃になって,というのはあるが,書いておかねば気がすまなかった。


私の周囲ではしばしば比較される『けいおん!!』と『キラ☆キラ』だが,この両者はバンド物特有の共通点を持つ。どっちも全力で青春を楽しんでいるという点においてである。バンド物と青春活劇の相性が良いのは,そのスピード感,高揚した最高の気分は一瞬で過ぎ去るという感覚がよく似ているからである。しかし,『けいおん!!』が奇妙なのは,本作品の基調とするテンポはゆったりまったりしていて,まるでバンド物らしくない,という点だ。考えてみると,これだけゆったりまったりバンド物を描いた漫画・アニメというのは相当に珍しいのではないだろうか。私もそんなに例を知っているわけではないが,バンド物は大概展開が早い。ロックの持つイメージの強さもあるだろう。(無論,けいおん!!はロックとは割と縁遠いが。)

にもかかわらず,『けいおん!!』は間違いなく優れた青春活劇である。sasaharaさんの「BECKは苦労は描いていても努力は描いていなかった。けいおんはその逆。」というブコメは非常に示唆的である。そう,彼女らはさして苦労をしていない,がその分全力で楽しんでいたのである。そう,自らの生に自覚的で,異常な速さで過ぎ去る時間を惜しまないという姿勢は意外と難しい。この点,私は彼女らに大変共感する。私自身,全力で高校生活の3年間を楽しんだという自負がある。だからこそ,私は『けいおん!!』を全力で感動することが出来たと思う。特に20話に関して言わせて貰えば,加えて高校時代文化祭の実行委員をやっていて,ライブイベントにも無縁の存在ではなく,機材の準備とかしてたし,友人たちのバンドが出演したこともあった。こうした経験は今考えても貴重であった。

もちろん,誰に感情移入して楽しんだかというのは人による。唯たち自身に感情移入していた人たちもいるだろうし,梓にしていた人もいるだろう。クラスメイトたちかもしれないし,和や憂や純かもしれない(自分は割と和の視点だったかな)。誰に感情移入したかは,その人の人生経験により大きく異なる。だからこそ,そのために『けいおん!!』はあれだけサブキャラ・モブキャラを絡ませ,立体的な放課後ティータイムの周辺を描き出そうとしていた。つまり,描き方さえ工夫すれば苦労はせずとも青春は出来るし,楽しめるし,人を感動させることは可能なのだ。またそれを通して彼女らは心身ともに成長した。これ以上何を望むのだ。

20話以降,三年生の文化祭が終わった後から突然イベントの消化が早くなるのは,決してペース配分をミスったからでも,消化すべき学校行事がなくなったからでもない。あれは梓の体感スピードの変化なのだ。あずさはバレンタインの季節になってようやく,喪失感を味わうことになった。これはアニメという,一週間に一話ずつしか進まないという特性を逆に生かした妙味であった。視聴者の一週間は,作中ではたった1/3日であったり,逆に一ヶ月であったりするのである。この感覚こそが,視聴者と梓の視点を結びつける。

そして,バンドと青春の相性の良さを全力で生かしていると同時に,描写が非常に丁寧であるのが,けいおん!!というアニメであった。人格的な成長も,音楽的成長も,どちらもしっかり描かれている。これはネット上の先行研究にもよく現れている。懐かしい話をすると,15話の「マラソン!」がネット上でそれなりに批判されていたことで,それまで着実に成長していたように見えた唯が一期のようなずぼらに戻ってしまったように見えたからだ。つまり,大多数の視聴者であっても,だらだら見ているようできちんと彼女らの成長を感じ取っていたことがわかる。(某バカによる全員同じ大学批判だが,あれで一番腹が立ったのは彼が先行文献を全て無視し,独善的な論立てをしたということだ。まあそれ以前にジブリアニメもよく知らないようだし,そもそも保守主義ではない右翼なわけで,彼は丸々HNを変えたほうが良いだろう。)


これは論評ではなく完全な感想だが,Utauyo!Miracleはここ最近のアニソンでは例がないくらいクリティカルヒットした曲であった。歌詞も曲調も。それ以外でも,『けいおん!!』は本当に名曲が多い。アニメが終わって一ヶ月以上経っても延々と聞き続けていることを考えると,これはもう当分作業用BGMに入れっぱなしになりそうである。音楽にも恵まれたというのは,本作品において大変な僥倖であった。
  
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2010年11月06日

祝祭のカンパネラ レビュー

幸せな気持ちになったという点では,看板に偽りの無いファンディスクであった。『祝福のカンパネラ』のほうのレビューはこちら。余談のほうもどうぞ。


カンパネラの世界観は非常に簡明で,それがきちんと貫かれている。じっくり考えた結果は,なんであれ尊い。この思想が貫かれてるのがカンパネラの世界であるからだ。現実世界では,善意から生じる悪夢もあれば,沈思が直感に劣ることもある。でもここは理想世界だから,そうしたことは排除される。これを単なる理想世界だと,たとえゲームであってもそんな理想郷はありえない,と一蹴するのは簡単だが,まずは,そんなケツの穴の小さいことを言う男にはなりたくないなぁ,俺は。

レスターさんのすごいところは,朴念仁なイケメンなんじゃなくて,本当に精神的にもイケメンなこと。全員の好意を気付き,かつ受け止めて,それを受け流せるところ。受け流せるところが罪作りなわけだけどw,それは朴念仁なのとは決定的に違っていて。朴念仁はエロゲにあふれていて飽きてるから,レスターは新鮮である。ただ,その受け流し方はやはり「一見胡散臭く」軽薄に見えるわけで,エルタリア外から来た登場人物はその胡散臭さを感じ取る描写がちゃんとなされている。「祝福」のほうだと初期のアニエスがそうだし,本FDではリトスの過去が語られるわけだが,リトスは実はエルタリア到着直後,レスターを非常に警戒していたことが明かされた。

こういった気配りは登場人物たちの心情描写にリアルさを生む。ただまあ世間のレビューを見ていると,これに付いていけないプレーヤーも多数いるだろうし,下手したら朴念仁なのと区別のつかないプレーヤーもいるだろう。それは非常にもったいないことである。

しいて本作に文句を付けるなら,なぜハーレムルートが無かった,と。『はぴねす』にはあったわけですよ。レスターさんなら尚更それは許されたはず。正妻はどう考えてもカリーナだろうけど,それは他のヒロインたちも納得するところだろうし。あとは,文句というよりもやっぱりねという感じだが,ガーネットにHシーンはなかった。声優の関係だろうからなぁ,仕方が無い。その意味では,『はぴねす りらっくす!』に比べてフィオーレさんやシェリーママが攻略できなかったという点で,相当おとなしいFDになってしまった,とは思う。とはいえ,オカズとしてはこ〜ちゃ絵が好きならば十分すぎるほど活用できるかと思われます。BGMや歌も全部良い。

カンパネラ,というよりもういんどみるのゲームで一つ褒めておきたいのは,登場キャラの私服のセンスに大きな外れが無い。本作で言えば「祝福」のほうのチェルシーの私服だけどうかと思っていたが,FDでは見事に修正してきた。これは予想外に良かった。これは大きく原画家の差ではあるので(脚本やディレクターのほうから修正指示が入ることもあるだろうけど),こ〜ちゃのセンスということか。私服論については今度また別個に語るかもしれない。



ガーネットクエストについて。クイズゲームだが,誰でも分かるものからガチで難しいものまで。ラスト付近は本当に難しく,ノーパートナーノーコンでクリアできた人は,ぜひミリオネアなりタイムショックなりに出場してくださいというレベル。さくさくとクリアしたければ,まず一人のヒロインを徹底的に攻略し,ヒロインストーリーを出現させること。ヒロインストーリーは5問出題され,1問正解で1万pts,2問で2万pts,3問で4万pts,4問で7万pts,全問正解なら10万ptsが入る。内容はそのヒロイン及びカンパネラ本編についての出題なので,きちんと「祝福」のイベント内容を覚えていれば2〜3問は正解可能だろう。

膨大なポイントを得たらコンティニューを10個ほど生産し,余ったポイントは他のヒロインの好感度を上げるアイテムを作る。このゲームはパートナーの性能が非常に重要で,特に「選択肢−1」や「答えなおし」を持つヒロインが重要になる。終盤はパートナーを二人使えるようになるため,これらを用いて実質二択の状態に持っていけば,相当な難問でも突破できるようになるだろう。……実はラスボスが異常な難問を出してくるので,それでも何度かはコンティニューするだろうけど。

「選択肢−1」……カリーナ,アニエス,サルサ,リトス
「答えなおし」……チェルシー,ニナ,アヴリル

注意点として,ショートストーリーは概ね全て終盤回収できるが,2つだけタイミングを調整しないと取れないものがある。1つは409番で,これは紅水晶4つ目までの段階でしか取れない。もう1つが508番で,409を見た状態でかつ紅水晶5つ目の段階でなければ見られない。コンプリートするなら気をつけよう。


以下はネタバレ。攻略順。

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2010年11月05日

意外と怖くない麗子像がいた

三菱一号館美術館の岩崎家のコレクション展に行ってきた。会期の末日であった。出品一覧を見ると,個人蔵以外は美術館の持ち主である三菱地所,さらに三菱重工,静嘉堂美術館,東洋文庫,麒麟麦酒,日本郵船といった感じ。そうそうたるメンバーである。出品は120点ほど。第一章の30点が明治期の日本美術で,山本芳翠,黒田清輝から梅原龍三郎まで。まあ,日本の美術様式がフランスから20年遅れで伝わってたことは確認できるだろう。ルノワール+野獣派な梅原龍三郎で1930年代だからなぁ。

第二章・第三章が静嘉堂及び東洋文庫からの出品で,最大の見所であるかもしれない。『周礼・鄭玄註』(南宋の写本)に始まり,『徒然草』(室町の写本),『日本書紀』(1599年の写本)等等。中でもやはり度肝を抜かれたのは『詩経・鄭玄註』(初唐写本),『文選集注』(平安中期写本)の国宝2点である。なお,鄭玄は後漢の大学者で,儒教関係の古い書物には大体この人の注釈が付いている(後漢末期はそういうブームだった)。『三国志』の正史にも演義にも登場したはずなので,三国志マニアは必ず覚えておくこと。

しかし,あんないい加減な大学受験以来の漢文ではあるが,なんとなく書き下し文的に読めてしまうから,東アジア文化圏すごい。やっぱ日本人として漢文の基礎の基礎くらい修めておいて良かったと思った。他では杉田玄白『解体新書』及びその元本『ターヘル・アナトミア』。『平定ジュンガル方略』(乾隆年間)はなんと満州文字で,生で見たのは初めてであった。これは絶対に読める気がしない。確かに元を辿ってくと明らかに感じではなくセム系っぽい雰囲気のする文字である。これは非常に貴重な体験であったと思う。

第四章は麒麟麦酒と日本郵船の戦前のポスター。まあ,今でもこのデザイン狙ってるポスターはよく見る,居酒屋とかで。第五章は西洋近現代美術。ざっと名前を挙げると,ミレー,ドガ,シスレー,ピサロ,ルノワール,モネ,セザンヌ,ヴラマンク,ボナール,ルオー,シャガールと言った面々。豪華なんだけど,正直あまり貴重な感じはしない。それは見飽きているというのもあるし,二・三章のインパクトには大分負けるかなとも思った。一つ,梅原龍三郎との比較でルノワールが飾ってあったのは良かった。あとはヴラマンクの絵は良かったかな。


今回で三菱一号館に行ったのは二回目だが,まだ開館して日が経ってないということもあり,この美術館は非常に「三菱」であり「丸の内」であるということにこだわっているように見える。今回もジョサイア・コンドルによる設計図が展示されていたし,丸の内の町並変遷をまとめたムービー(約3分半)が会場で流れていた。さらに,なぜか小岩井農場の特集展示まで存在していた。まあ自分が東大生だったというのもあり,三菱のこうしたプライドの高さ,自意識は嫌いではないし,筆頭に立って,丸の内の文化を支えていって欲しいと思う。
  
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2010年11月02日

第171回『アンナ・カレーニナ』トルストイ著,望月哲男訳,光文社古典新訳文庫

タイトルを『コンスタンティン・リョーヴィン』に変更すべき。と,おそらくすでに言われまくっているであろうことを,あえて冒頭に掲げておく。

本書を読んだのは二回目だが,一回目は大学1年の頃で,(某人の推薦で)義務感に駆られて読んだのもあり,旧約の読みづらさもあり,当時の自分の読解力もあり,ほとんど今回が初めてのような感覚で読んだ。感想が当時と大きく違うので,そこら辺を各登場人物に対する評価としてつらつらと語っていく。既読者はぜひ,コメントの程を。

アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫)アンナ・カレーニナ〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:レフ・ニコラエヴィチ トルストイ
光文社(2008-07-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る




以下,全編ネタバレ。  続きを読む
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2010年11月01日

架空世界考えるの大好き

・民主代表に菅氏再選 党員・サポーター票で小沢氏に大差(朝日新聞)
→ あえてブクマページを貼ったのは新聞記事だからというだけではなく,やはり皆様の反応が重要だろうと。
→ 個人的な意見を言えば,菅直人の再選はなんら不思議ではなく,予想の範疇であった。さすがに小沢を選ぶほど民主党員も空気を読めないわけではあるまい。
→ いまだもって彼の何が信用できるのか,私には疑問で仕方が無い。むしろ信者ではなく,一般的な支持層に聞いてみたい……が,ひょっとして信者しかいない?


・カオダイ教(wikipedia)
→ ベトナムの宗教。儒・道・仏・キリスト・イスラームを混ぜたというが,ヴィクトル・ユゴーが聖人扱いなあたりはよくわからない。某エル・カンターレの作った聖人リストに近いものを感じる。
→ このダメっぽい新興宗教っぷりは,日本の新興宗教に引けを取らない。
→ しかし,推定信徒100万人以上。その上創始は1919年とそこそこ古い。こういうの,どこにでもあるもんなんだろうか。


・『PLANETS』ZUN×竜騎士07対談を読んで(〜萌畢竟〜思索考究)
→ 神主と竜騎士の対談。
→ 神主はしばしば自分をゲーム制作者としてストイックな求道者のようなイメージを作ろうとしているが,普段のtwitterの様子や視聴物を観察していると,案外そうでもない普通のオタクだったりする。
→ まあ,萌えヲタかというと,それは確かに全く違うのだけれど。
→ コミュニティにも積極的と言わないまでも,普通に接していて,それも同人ゲーの楽しみの一つであることは認めていると思う。馴れ合いが過ぎるのが嫌いというだけであろう。
→ あるいは萌え方向に偏りがちなヲタ界隈への天邪鬼,本流とは外れたところにいたいんだよというポーズか。
→ 総じて,神主本人が言うことはあまり当てにならず。儚月抄や香霖堂含めて(後者に関しては自称ですら「MMR」なわけで)。言ってることとやってることが違うことはけっこう多い。
→ 「神主は二次に全く肯定の意志はなく、ゲーム以外のメディアには興味がなく、他人にも興味はなく、」この辺は堂々とダウトフルでしょう。一方,「自分と自分に近い人種向けに気持ちの良いゲーム、世界観も感じるゲームを作り続ける」というスタンスはその通り。



・ドラゴンボールの世界にゴクウがいなかったらどうなっていたか(すくいぬ)
→ こういう妄想おもしろい。
→ フリーザ一味は悟空がいなければ来ない,ドラゴンボールは四星球を悟飯のじいちゃんが持ってるからピラフ一味じゃ集められない,セルは作られる動機もなければそもそもサイヤ人の細胞を使ってるので作れない,ブウは復活に必要なエネルギーが集まらない。
→ ヤムチャは荒野で盗賊で終了でしょうなぁ。ブルマは案外,悟飯と亀仙人にさえたどり着けばDBを集めきるかも。でも彼女は何かなえたかったんだっけ?ベジータはフリーザのもとでスーパーサイヤ人になれず飼い殺し。フリーザは惑星転売業を続行。
→ こうして消していくと,やはりレッドリボン軍の世界征服が順調に進む,までは確実だろう。分岐するのは,ピラフがピッコロ大魔王を復活させるか否か,か。復活させたらレッドリボン軍とはいい戦いになりそうだ。ひょっとして桃白白あたりがピッコロ大魔王と戦って英雄扱いされるのか?もしくはそれは天津飯の役目かもしれない。胸熱である。
→ アラレちゃんを考慮するとどうなんだろう。その世界だと「んちゃ砲」の威力が容赦なく最強のような。腕力も,地球割れるしな,ギャグ漫画だけど。燃料(ロボビタンA)切れを考慮しなければ,少なくともフリーザあたりまでは通用しそう。

  
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