2011年07月31日

カオスラウンジ周辺諸問題について

0.はじめに
私のことをよく知らない人のために自己紹介を兼ねて言えば,私がこの問題に関心を持ったのは美術史学畑の人間だからであり,20世紀以降の芸術は一部例外を除けばおおよそ全部嫌いだからである。私の芸術観については過去記事のこれこれを参考にしていただければおおよそわかると思う。

実害もなくなぜそんなに嫌いなのかと言われると,実はそこまで嫌いでもなく,自分が好きなものの行く末はなんのかんの言いつつもやはり興味を惹かれ,結果的に横目で眺めているというのがおそらく正しい。趣味が悪いと言えば悪いし,私憤でしかないと言われれば,私憤であると答える。特に村上隆関連を追っていたのは,自分の趣味であるヲタク界隈と接続しているからで,カオスラウンジはその延長線上に登場したに過ぎない。また,まどか☆マギカ関連でおもしろくない批評をやっていたのが彼らに良くない印象を与えたことも,一応この記事を書いた理由として挙げておこう。

本記事では自分で全部説明していくと冗長になる上,必ずしも正確な説明になるとは限らない点を鑑み多くのリンクを張った。面倒である,すでにこの問題をそれなりに追っていて流れは頭に入っているという方は適宜すっ飛ばしていただいてかまわないし,それでも論旨は把握していただけると思う。


1.キメこな問題

これについては,まずひとまずこちらを挙げおく。前者はやや偏っているが,最初期のまとめであり,すでに論点が整理されているため紹介する。

・【ふたば】5分で分かるキメこなちゃん盗作問題のまとめ : ふたばのまとめ(仮)
・Togetter - 「カオスラウンジ問題の整理・解決されていない事柄」

読まない人のためにばっさりと言ってしまえば,これはのまネコ問題の変形した再来である(別にギコネコ問題でもいいが)。「のまネコ問題を知ってればこんな事件起こさない。25歳?その年齢なら知らないってのはほとんど罪だよ。」というのが約二ヶ月前の自分のコメントであるが,現在でもここから感想は全く変わっていない。これはこちらのブログの「この10年美術界では何も起きなかった、は黒瀬陽平氏の言葉ですが、ネット上ではこの10年様々なことが起きていました」という指摘が補強してくれるだろう。

しかし,この問題は3つの点でのまネコ問題よりもたちが悪い。

・元ネタの著作権侵害が明確な点
・ふたばの閉鎖性と住民の抵抗の動機を理解してなかった点
・「芸術性」を言い訳とした点


まず,のまネコは誰の著作権にも帰属していなかったものを企業が勝手に商標登録し著作権保持者になろうとしたものだが,元はAA(モナーのバリエーション)であり著作権的にはほぼ完全にフリーである。一方,キメこなは様々なアニメキャラの「キメラ」であり,存在そのものがグレー(ないしブラック)ゾーンである。ふたば民はこれをグレーゾーンと認識し,洒落の通じない人の目には触れない範囲で遊んでいた。それを「芸術(の聖性)」の名の下に梅ラボが表へ引っ張り出したため,彼らは反発したのである。すなわち,のまネコ問題ではなかった著作権侵害が問題として浮上してくる。

次に,のまネコは最終的に商標登録を撤回したが,カオスラウンジ及び梅ラボ氏は現状撤回していないどころか,最終的な完成品を発注者(東浩紀)に納品してしまい,しかも東氏は「門外不出」として実質的な手打ちとした。また,カオスラウンジは「制作した作品の影響で,ネット上のコミュニティがつぶれても気にしない」ととれる主旨の発言したことだ(参考)。この発言はこの騒動全般において,最大の悪手であった。元々ふたばの人たちがキメこなを表に出してこなかったのはコミュニティの防衛のためであるから,そこへ「つぶれても気にしない」と来れば挑発しているも同然であり,一層批判を浴びるのは目に見えていた。さらに言えば,カオスラウンジ幹部の面々はどうやら「梅ラボ作品が犯罪なら同人誌も同罪」であり,「グレーゾーンをなくしていきたい」という認識でいるようだが(参考),この発言自体が問題を当初から根本的に理解していなかったことを示している。二次創作の同人誌だってグレーゾーンなのは,言われなくても皆理解しているのだ。その上で,コラージュはさらにリスクが大きいことも。(これに対してヲタク界隈はグレーゾーンの撤廃の自助努力をしてこなかった報いだとかいう意見も出ていたが,話があまりにもずれる上に,今回の件に適用するには極めて独善的な理路なのでこの話は広げない。)

最後に,のまネコは純粋に商業上の利用であったが,キメこなは並行して芸術上の利用としてまつりあげられたという点である。これにより,少なくとも現代芸術擁護側からは「この観点では正しい。デュシャンやウォーホルだって訴えられながらその地位を築いた」という反論の余地ができてしまった。説得力皆無ながら私に言わせれば,嫌いな現代芸術の文脈に則ったとしても,やはり評価できない。だが,この「芸術上」の話が,芸術全般や現代芸術の現状に疎い人たちを混乱させ,煙に巻くには十分な効果があったことが悔やまれるところである。なお,デュシャンやウォーホルに関しては実際に芸術性が高かったと判断されたがゆえに,著作権的には置いといても世間的には「許された」のであって,その意味でこの理路は間違ってない。かの作品にそれだけの説得力がないというだけで。

本来はこれに加えて偽札騒動やiPhoneケース回収騒動などもあるのだが,網羅的に把握するのが目的ではないため省略する。本来であればこれ一件一件が致命的であるはずなのだが,問題が山積しすぎてスルーされているのが現状である。


2.Pixiv「現代アート」タグ騒動

こちらもすでによくまとまったものがあるので,先に掲載しておく。この辺から本格的にTogetterでの玄米茶無双が始まる。

・Togetter - 「【問題の要点まとめ】pixivの”現代アート”タグが気になった方へ」
・pixiv「現代アート」のまとめ ※まとまりません
・揺れるイラストSNS「pixiv」、運営めぐり批判、退会の声 - デジタル・トゥデイ(Digital Today)

この問題では,pixiv運営陣が梅ラボ氏によるコラージュ作品の投稿を認めている点,そして仕事の斡旋などで協力関係にある点が問題視された。当初取り沙汰されたのは前者である。いろいろあって「「現代アート」タグさえついていればコラージュ作品でも許された」と理解した人たちが,マジ・便乗・悪意それぞれの思惑をもって流入・投稿していった(マジがいたというのがすごい)。これに対し,pixivは騒動の本質を理解しないまま無作為に削除した。結果として,「現代アート」タグがついていただけで何の著作権も侵害していないもの,pixiv運営批判にはあたらないものでさえも削除され,アカウントも停止された。さらに例大祭での企画で募集された東方絵をカオスラウンジ作品が使用していたことが発覚し,問題が拡大した(参考)。これに関してはpixiv運営の過失ではないと思うのだが(特別に便宜を図ったわけではないだろう),火に油を注ぐには十分な事件だった。

こうして批判が増していったためpixivはようやく謝罪したが,根本的には何も解決していない謝罪であった。さらにカオスラウンジ幹部が自主的にpixivを退会し一応のけじめをつけたが,対応としては手遅れであり,ユーザーのpixiv離れまで生じてきた。これも要点をさっくりとまとめておく。

・pixiv運営がカオスラウンジと他ユーザーにおいて,明確なダブルスタンダードを設定していた点
・pixiv運営が「運営に批判的」という理由付けで無作為に削除・アカウント停止が可能であるという,杜撰な管理体制であることが発覚した点
・カオスラウンジ自身の現代芸術の理解が浅かった,ないし宣言通りの活動をしていないということが露呈した点


一番上の件については,実は回避は簡単であった。「ダブスタでしたごめんなさい。」と認めた上で,彼らのアカウントを停止するか,最低でも「これからも特別扱いです」と言い切って残しておけば,それで済んだのである。あれが理由不明瞭なまま残っていたからこそ「現代アート」タグは許された扱いなのであり,ここが全ての元凶であった。そうしなかったのは,せずとも現状維持で通せると見た見通しの甘さであろう。その意味では二点目に吸収される。結果的に梅ラボ氏他が自主退会したため,キメこな問題同様,うやむやの解決となってしまった。

二点目については,安藤一郎さんのセミアートが格好の例だろう(上記Togetter中段)。これについては現状でもいまだ削除基準が不明瞭で,謝罪になってない謝罪で逃げ切りを図っている感がある。突然死ぬジャミラとともに今後どうなるか注目だが,いずれは沈静化するであろう。一方,恣意的な削除基準は場の破壊最大の攻撃手段であり,「現代アート」タグの有無に限らずユーザーにとっては脅威である。ここでも「コミュニティの防衛」という観点は必要で,いかに「気にしない」発言が地雷を踏んだかが確認されうる。

最後の一点は言われて気づいたのだが,実にその通りである。簡潔にまとまっている藤田直哉氏の発言も引用しておく。「大きな矛盾点として挙げられるのは、1「カオス*ラウンジ宣言」との矛盾 2過去の発言との矛盾 3他者に適用しているルールを自分には適用しないというカントの格率を破るような公正さに関する矛盾 の三つ。」彼らが自らの宣言を遵守するのであれば,「現代アート」タグ騒動については擁護するべきであったし,少なくとも自らの肖像権が侵害されても声を上げるべきではなかった。また,覚悟がないのであれば宣言は撤回,もしくは改定すべきであった。そして仮に宣言がなかろうとも,こうした現象そのものが(私にとっては不本意ながら)現代アート的と評されることは,少しでも現代芸術に親しみのある人ならすぐ気づくことで,結局彼ら自身が矛盾しているという結論しか導けない。

さて,このように見ていくと実のところ「現代アート」タグ騒動については,総じて問題となっているのがpixiv運営の体質であって,芸術性や著作権が論点となっているわけではない。ことpixiv問題に限って言えば「同人の二次創作も同じ穴の狢」論も「梅ラボ氏の作品には芸術性が認められる」論も,全く論点に関係がないし,そもそもカオスラウンジの対応については上述の矛盾点があるということしか突けない。擁護にせよ批判にせよ,pixivに問題が拡大してから芸術や著作権に一家言ある人が急にコメントしたがる傾向があるが,周回遅れの議論をしないために,キメこな問題までさかのぼって調べてから発言したほうが良い(せめて上記のリンクは全て目を通していただきたい)。

最後に,東方を利用したコラージュ的現代アート=許諾のない三次創作については,神主が東方のガイドラインに抵触していることを明言したために「ユルサレヌ」になったことを付記しておく。


3.今後どうなるか

冷静に考えると,これだけ騒動が拡大した割には,いろいろと元の鞘に戻るのではないかと思っている。

カオスラウンジについては,今回面目は丸つぶれとなったが,応援している人がそれなりにいる限り活動は続くだろう。まあ,今後むやみにネット素材を利用しないはずである。どうせ現在すでに宣言通りに活動できていないのだし,したとすれば相当に頭が悪い。キメこなが素材に使われた作品そのものは東浩紀が本当に「門外不出」とする限り,強制的に手打ちになってしまった感があり,これ以上追及しようがなく,またこれ以上の追及は現実的に考えると,よりふたばを表に出すだけであって逆効果でさえあるだろう。逃げ切られたという見方も可能である。まあ偽札騒動あたりが再爆発したらそれはそれで。

もう一方のpixivだが,おそらくはつぶれないであろう。「運営陣にはイラストに対する愛がない」と評されているが,実際のところ運営陣に業界愛が無いからこそ長続きしている企業というのは,世の中に存在している。むしろ怜悧冷徹に顧客の欲しがるものを提供し,また金に目がくらんでいたからこそ積極的な営業活動ができたからであろう。これらの点で頭抜けていたからこそ,pixivはやはりイラスト系SNSで今の覇権があるのではないか。騒動がもう一段進んで広告離れや様々な提携関係の解除,たとえば例大祭への出展停止などが生じた場合は,その限りではない。現代アートタグはそのうち沈静化するのではないか。沈静化しなかったらおもしろいので,それは歓迎したいが。
  

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2011年07月28日

第195回『新・現代歴史学の名著』樺山紘一編著,中公新書

本書は近年重要視される,20世紀後半から21世紀初頭にかけて書かれた歴史学の名著を紹介することで,現代の歴史学の推移や特徴をも紹介しようとするものである。本書の説明はそれぞれの専門家が書いたものだが非常に簡潔でわかりやすく,前書を読んでいない,史学史には明るくない読者であっても十分に読めるものであると思う。史学史の流れを追いたいという方であれば,自信をもってお勧めできる一冊である。ということは先に述べておきたい。

その上で以下に述べたいのは,本書が22年前に出た『現代歴史学の名著』の続編であるということだ(ゆえに書名に『新』がついている)。リストは全て入れ替わっており,この入れ替わり自体が歴史学の流れを非常によく示している。ぐぐって見たところ,この一覧を掲載するのが本書のレビューの様式美であるようだが,冗長になるので私はリンクを張って済ませることにする。


双方のリストを見て感じられる歴史学の変化として第一に,やはり20世紀の歴史学の主体はアナール学派だったのだなということが感じられた。『現代』のほうではマルク・ブロック,フェルナン・ブローデル,心性史という点で選出されているエリクソン等がリストに入っており,『新・現代』のほうではそれを継ぐ形でラデュリ,ル・ゴフ,ピエール・ノラが選出されている。また直接的にアナール学派ではなくとも社会史・経済史・心性史に近い分野からの紹介が多い。特にピエール・ノラはアナール学派の一区切りとして意義深い。

もう2点違いから感じられたことを挙げるとすると,まず19世紀的な大きな物語に対し,20世紀後半は小さな物語を語らざるをえない状況になっているということ。これに対し積極的な価値を認める意味合いで掲載されたのがギンズブルグだと思うのだが,一方それでも大きな物語を語る意識は残っているという点で,アナール学派内側からの視点としてル・ゴフが,外側からではニーダムが挙げられていると思われる。もう1点は,一国史的な視点が明確に後退し,代わりに構造主義的な視点が主流になっていること。これについてはやはりウォーラーステインとオブライエンの違いが一つの軸になっているのではないかと思う。

気になる点を挙げるとすれば,前書に比べてメンバーのやや格落ち感が否めないかもしれない。前書があまりにもそうそうたるメンバーではあるにせよ,クールズ,ダワー,メドヴェージェフあたりが今後時間の洗礼に耐え切れるのかなと思うと少々疑問である。やや考古学的な範疇ではあるにせよ,2000年代の人文書で世界で最も読まれたとされる『銃・病原菌・鉄』が入っていないのにも首を傾げる(本書でもっとも新しい速水融の著作が2002年,『銃・病原菌・鉄』の刊行はアメリカで1997年,日本では2000年)。無論歴史学の書ではないという異論はあるだろうが,であれば梅澤忠夫あたりにも疑問を持たねばならず,切りがないので大枠で収録しても良かったのではないか。


新・現代歴史学の名著―普遍から多様へ (中公新書)新・現代歴史学の名著―普遍から多様へ (中公新書)
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2011年07月27日

魁皇引退によせて

前から言っている通り,魁皇に対してはどうしても複雑な評価をせざるをえず,何とも言えない気分にさせられる。

強かったことは間違いないのだ。それもずば抜けて。彼の場合,横綱になれなかったのが間違いであった。優勝回数5回を誇る大関は長い長い大相撲の歴史で魁皇ただ一人であり,より正確に言えば4回の大関も存在しない(ただし,3回優勝の3人のうち2人が千代大海と栃東であるため,これは武蔵丸・朝青龍両政権下のみに生じた特殊事情という見方もできる)。最初の優勝が平成12年5月場所,最後の優勝が平成16年9月場所だが,平成13年には連続ではないものの二度優勝している。本来であれば,ここで横綱に上げておくべきだったのだが,間の場所の成績が4勝5敗6休というのが印象を悪くしすぎた。これが本人にとっても周囲にとっても不幸であった,というとおそらく魁皇本人は否定するのだろうが,私はそう思っている。

実のところ,魁皇はそもそも大関に上がるのも実力から分不相応に遅かった。通算勝ち星など他の成績に隠れてあまり注目されないが,殊勲賞10回は歴代最多,敢闘賞も5回で,技能賞はないものの三賞合計15回は歴代3位である(1位は安芸乃島,2位は琴錦)。しかもそのほとんどが平成7〜8年に固まっている。あと星が1つか2つ足りていれば,この時点で大関に昇進していたことだろう。並行世界の魁皇には,平成8年頃に大関,13年に横綱で,17年か18年には引退というのもあったことだろう。

しかし,当時は大の苦手力士である曙がおり(6−25という対戦成績),若くしてすでにケガが多かったため好不調の波も激しく,不運もあってとうとう平成12年まで上がれなかった。ゆえに,通算幕内在位107場所はぶっちぎりで1位だが,そのうち大関65場所,関脇21場所,小結11場所,平幕10場所という極めて偏ったバランスとなっている。他の上位陣である高見山も安芸乃島も大関にはなっていないし,千代の富士は逆に横綱にさっさと就任しており,小錦だって大関の次には平幕が多い。これだけ関脇・小結に費やしたこと自体がすでに特例なのだ。魁皇が保持している記録を並べると,通算幕内在位場所数(107),大関在位場所数(65),通算幕内勝数(879),通算勝利数(1047),幕内出場回数(1444)がある。通算出場数だけは大潮と寺尾を抜かせなかった。

取り口として,右上手の怪力は全盛期から引退まで変わることがなかった。白鵬が輪島になぞらえて「黄金の左」と称されるのに対比するのであれば(ただし輪島は下手・白鵬は上手である),魁皇は「鉄腕」と表現するべきだろう。黄金と呼ぶには不恰好で攻勢に特化しており,「とれば勝つ」が「とれば負けない」類のものではなかったように思う。上手投げは強烈で貴乃花や朝青龍,白鵬であっても警戒し,取られれば危うくなった。さらに単純に投げるだけでなく,立ち会いの瞬発力に意外と優れており,立ち会いすぐのとったりや小手投げで相手を仕留めることも少なくなかった。さらに全盛期を過ぎてからはこの瞬発力を生かし,突き落としやはたき込みでの勝利も少なくない。むしろ引退直前期にはこちらの勝ちパターンのほうが多かったように思う。右腕以外全身満身創痍ながら相撲をとっていく老獪な強さは大関取りを目指す若手力士の登竜門であり,いかに晩年であっても強いことには違いなかったのだ。


が,評価を複雑にしているのは,これらの長所が全て欠点にひっくり返っており,それも一つ一つが致命的に晩節を汚したことである。平成16年までは良かった。この年は69勝21敗で終わっており最多勝次点,最後の優勝をした年でもある。しかし,本当に良かったのはこの年が最後ではなかったか。翌17年は実働三場所,年間の半分しか働いておらず隔場所で休場し続けた。より正確に言えば,平成17年の東京場所で,魁皇は一度も最後まで戦っていないのである。それでも出れば二桁勝っていた。ところが18〜20年でも休場が頻発し,9−6や8−7での勝ち越しが目立つようになる。平成21年にはとうとう伝説の8−7グランドスラムを達成した。平成17〜20年の4年間は一度も年間45勝を越えていない。

これらは,良く言えば「ケガと高齢に耐えながら,自らの不運に負けず必死にがんばる大関」ではあるのだが,悪く言えば地位にしがみつく醜い姿にしか見えないのもまた一つ確かで,大関互助会の存在はもはや否定しがたく,2chでは「会長」と揶揄された。私自身このような検証をしたことがある。そしてその数少ない勝ち星が前述した立ち会い後即の突き落としやはたき込みで上位戦になれていない若手を食い物にするもので,老獪といえば聞こえはいいが実際はほとんど変化しているようなもので,勝ち方として全く美しくない。若手つぶしといえば,必殺技であるとったり・小手投げも何人の若手力士の左肘を破壊してきたことか。「左肘を痛めさせた相手の分だけ自らも数多の怪我を背負い込んだ」という某人の評は的確だ。それでも足りない分は互助会で補うものだったから腹立たしい。そこまでして続けたいか,と。

さらに言えば,平成17年以後の朝青龍戦の成績は3−13で(16年までは善戦していた),朝青龍全盛期には全く手も足も出ていなかった。これは白鵬に対しても同様で,大関昇進以後の白鵬との戦績はなんと2−22。そして朝青龍戦にせよ白鵬戦にせよ見るからに手を抜いており,観戦者としては場所の終盤にげんなりさせられる一番を毎度毎度見せつけられる羽目になった(さらに言えば,それを是認する風潮も嫌いであった,これは魁皇の責任ではないにせよ)。勝てないまでも善戦する栃東の姿が脳裏にあっただけに,やるせない気分になった視聴者は少なからずいたことだろう。横綱戦でヘタにケガしたくないというのはわかるのだが,それは観客に見せるべき取組だったのであろうか。

完全に「いるだけの大関」であり,記録のために存在していた。無論,千代大海も同様のことを繰り返していたために尚更心象を悪くしていた点は否定しがたいものの,それで魁皇が免責されるわけではない。以上の経緯から,私は魁皇が打ち立てた数々の記録の価値に懐疑的であり,また若手力士のチャンスを幾多もつぶしてまで残すべき記録であったのかということを考えると,角番13回という負の記録を含め,どうしても肯定的に評価することができない。晩節を汚したといっていいだろう。

その引退においても,時代の終わり目として2つの面を見いだせる。一つは貴乃花や曙などいわゆる「花の六山組」の最後を飾り,輝かしい時代の幕を引いたこと。もう一つは,第二次大関互助会黄金期というあまり嬉しくない時代を率いた人物がとうとう引退するというあまり嬉しくない幕引きでもあること。とは言うものの,第二次大関互助会の面々3人は全員引退記事を書いているが,それぞれ一長一短の特徴を持つ個性派であった。私自身がまじめに相撲を見だしたこともあり,若貴時代よりもよほど相撲を楽しめた時期であった。魁皇が楽しい大相撲を提供してくれたことには感謝しつつ,筆を置きたい。
  
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2011年07月24日

巨魁落つ

今場所は記録的な意味での見所は多かったし,正式な本場所としては半年ぶりの開催で,さすがにそれなりに熱戦が見られた。終了後放駒理事長は「力士たちもわかっていたのだろう」とコメントしており,確かに気合も入っていたと思う。前半で立会いが徹底してあわず,五日目・六日目あたりは目も当てられない状態であった。審判部の指導が入ったのかどうかは知らないが,その後やや改善されて持ち直し,後半はおもしろい取組が多かった。

記録という点では,まず魁皇の1047勝だが,これについては魁皇について別個記事を立てる予定なのでそちらで語りたい。ただし,以前から言っているとおり,私の魁皇に対する印象は決して良くはない。一つそちらでは書く予定がないことをこちらに書いておくと,twitterと2ch・職場での魁皇の評価が違いすぎるということ。2chや職場では私と同じ見解を示す人が多い。が,twitterの#sumoで魁皇に否定的な意見を言う人はほとんど見ない。たまに言う人はいるのだが,そんなどうでもいいことでケンカになるのは嫌なのもあり,誰も触れようとしないから,そうした意見は宙に浮いてしまっている。このコミュニティの違いによる意見の相違は興味深く,以前私は八百長騒動で,「twitterには思っていたよりも純粋な相撲ファンが多くて驚いた」と述べたことがあるが,当然それにも関係しているだろう。今場所に限った話をすると,稀勢の里戦時に右上手をとっていたにもかかわらず切られたことが,おそらく引退に大きく影響を与えているのではないかなと。右上手で攻められなければ,あとは魁皇にはあまり褒められない立会いの突き落とししか攻撃手段がなく,「攻める気持ちを失った」発言もむべなるかな。

次に白鵬の連続優勝記録が途切れたこと。これは今場所の白鵬の調子が悪かったことと,日馬富士が好調だったことの双方が重なって生じた。どちらが欠けていてもダメだったであろう。白鵬は先場所にひき続いて不調であったが,来場所も悪いとなればいよいよ覇権が危うい。このところ前半戦の格下相手には絶対に取りこぼさないものの,関脇・大関相手には案外と苦戦する場面も見られる。昨年ほどの圧倒的な力量は見られない。まだ年齢のせいではないし稽古量が落ちているという噂も聞かないので,単純なスランプなのだろうが。調子が悪くなると張り差しを使いたがり,また立会いの踏み込みが鈍くなる傾向があるので,立会いに注目するとよくわかる。この辺も,研究している力士には見抜かれているような気がする。

最後に琴奨菊の大関取り失敗。そもそも本質的に彼が大関にふさわしいかどうか疑問なのが私の立場で,年初には大関への期待順で7人中6人目に配した程度には期待していない。先場所の評価でも「まあ無理だろう」と自分で書いていた。ただし,私が無理だと判断していた理由は年齢の問題と,がぶり寄りに偏った取り口の問題があるが,このうち後者については今場所ある程度解消していたようにも見えた。でなければいかに不調だったとはいえ白鵬を破ることはでまい。一方,メンタル面がそれほど強いわけではないという,佐渡ヶ嶽部屋に共通する課題も今回新たに発覚してしまい,来場所もやっぱり崩れるのかなぁと考えざるを得ない。


各力士個別評。白鵬・魁皇・琴奨菊については前述の通り。大関陣,把瑠都から。前半は崩れず優勝争いについていき,負けた相手も負けるべくして負けた,千秋楽に不調とはいえ白鵬を倒し11−4であれば,文句は付けられない。ただ,なんとなく勝ってしまったような内容のものが多く,このまま成績が安定するかはわからない。琴欧洲は可も不可もない。千秋楽負けたのは不運だったとすればまあ10勝したと評価してもいいだろう。日馬富士を当然含めて,今場所の大関陣はそろって好調であった。

同様にそろって好調だったのが関脇陣で,これだけ上位陣が安定していたのは珍しいのではないだろうか。稀勢の里が10勝するとは思ってなかったし,まさか千秋楽で日馬富士を破るとは思ってなかった。ただし,よくわからないところで星を落とす甘さ,調子の波の激しさは健在で,毎日千秋楽くらいの相撲がとれればなと本当に思う。鶴竜も10勝はしたものの,技巧に凝りすぎて負けるようなところが昨今見られ,これは悪癖になるかもしれない。変化した取組もあり,必ずしも変化が悪いとは言えないが,内容としては琴奨菊,稀勢の里に比べてやや落ちる。しかしそれでも先場所小結で12勝によりこれで22勝,これで来場所12勝すれば,琴奨菊に逆転して大関昇進になるだろう。鶴竜・稀勢の里両者に言えることだが,なんでもできるのはすばらしいのだがこれといった型がなく,それがもう一個上に上がれない原因であると思う。先場所も言ったが,何か必殺技が欲しい。

小結二人は負け越し。栃ノ心はもう少し勝てるかなと思ったが,まあこんなもんか。特に目立った一番もない。豪栄道は立会いが完全に弱点と化しており,とかく当たり負けが多すぎてその後がどうにもならない。改善が急務である。前頭上位陣。嘉風は好調上位陣に前半完敗し,後半うまく立て直したが一歩届かない7−8だった。負け越しではあるがよく動けていたほうで,実力相応の地位と結果であろう。ほぼ同様の戦績ながらうまく立て直しきって9−6なのが豊ノ島。鶴竜,栃ノ心に勝っているのが大きい。臨機応変にうごく彼らしい取組が見れたと思う。来場所は小結返り咲きだが,大負けしそうな気はする。

5−10ながら,上位陣初挑戦となった若荒雄の奮戦も目立った。特に内容の良くなかった前半戦において気を吐いていた。あまりの必死の突っ張りに白鵬が驚いていた七日目の取組が特に印象深い。ただし,もう26歳で若武者というには難しい年齢である。今後どれだけ伸びるか。ベテラン若の里は右上手の怪力が目立ったが,特に琴奨菊戦の,元大関候補者の意地やそれ以外の負の観念が入り交じったような気迫のこもった右からのすくい投げが,こちらは非常に印象深い。安美錦と旭天鵬はエレベーターで下がっていくが,それにしても両者2−13と大きく負け越したものである。安美錦は猛然とつっこむがその直後に引いて呼びこんでしまい負けるパターンが目立った。

前頭中位。まずは時天空を挙げねばなるまい。今場所は足技の多用が以前にもまして目立ち,外掛け・裾払い・けたぐり・蹴返しと一通り見ることができてしまった。特に調子が良かったわけではないようだが,ピックアップするに十分な印象を残した。栃煌山と豊真将は大勝したが,これは上っていく方のエレベーターなので別に気にするところではない。高安は前半7−1で折り返しこれは行けるかと思ったが,後半息切れした。彼も本格派な雰囲気があり,魁聖とともに前頭上位までは早期に定着すると思う。前頭下位では,舞の海に同意するのが若干シャクだが,磋牙司の技巧くらいしかスポットを当てるところがない。高見盛はもう二度と幕内に戻ってこれないと思う。頼みの綱の背筋と差し手争いの強さの両方が消えかけているので……


最後に,久しぶりに予想番付を貼って今場所も締めることにする。
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2011年07月21日

まどマギ関連と批評関連

実はとっくの昔に『くどわふたー』クリアしててレビューだけ書けてないとか,ブックレビューも1冊たまってるとか,『狼と香辛料』の最新刊も読み終わったのでシリーズ総括したいとか,EU3HttTも二周したのでこれも所感をまとめておきたいとか,魁皇の引退記事も絶対に書かねばならないとか,書くネタは腐るほどあるのだが,一つも終わってないのは仕事が忙しかったからである。こればっかりはどうにもならない。はてブからの拾い物ばかりで飽きるかもしれないが,7月中はご勘弁願いたい。


・魔法少女まどか☆マギカがつまらなかった理由(増田)
→ まどマギが1クールという時間の制約により,既存のコンテクストに大きく乗っかっているため,単体では説明不足の部分が多いこと。また設定が人工的でシナリオが設定に優越している点などは認められるし,ここから批判することは可能だと思う。(逆にその人工性の高さは脚本の技巧的うまさを示している,という見方もできる。その観点では逆に,この簡潔さはマニエリスム的に称賛できる。)
→ が,この方の言っていることはその前段階であり,こうした「『まどマギ』は脱構築を自己目的化しただけのアニメで,意外性しか見るところがない」という批判はあの3話の直後にすでに出ている上に,その後の展開によりすでに否定されている。
→ 10話がおもしろく感じたならば,もう少し踏み込んで視聴して欲しかったかなと。結局そういう浅薄な理解をしないためにも,批評というものはあるわけで。この感想だと,正直こう受取られても仕方がないレベル。本当は違うんだろうけど。
→ それとは別に,人間には感性の違いというものがあるのだから,無理にメジャーに乗っからずにあわないと直感的に感じたものはスルーする勇気も大事で,それができなかったのは単純に臆病だったからなんじゃないか,という話もある。もちろん,批判するために見るとか,おもしろいか判断できないまま最終話まで見てしまった,とかもあるので一概には言えないが。

・評価厨・考察厨・二次創作(感情移入)厨の違いみたいなの(増田)
→ 上の話題の派生から。この考察が個人の分類としてあまり意味が無いのは,人は作品ごとに観賞する態度を変えるからである。私自身,作品によってソクラテスになったり豚になったり態度を変えるので,この問題にコミットする意味をさして感じない。(偶然ミルのたとえを重なっただけだが,豚は良い形容だなぁ。)
→ その上で言うが,感情が揺さぶられるのだけが評価軸という(感覚主義)のは一見単純でわかりやすいので「自称ライト層」を中心にしばしば存在するが,実のところこの分類で言うところの「評価厨」にくくられる存在でしかなく,しかも自分がなぜ感動したかを説明できないという点でランクが低い。ここまでの自覚があって初めて胸を張って豚になれると思うのだが,この文章からはそうした意気込みはまったく感じないのでダメである。
→ twitterではつぶやいたが,感覚主義の悪しきところは,大衆への間口を広げているようで実は狭めている点。大体の人間は,教えられずに楽しみ方を学べるほどセンス良くないので,どこかで快楽回路を学ばなければその趣味に深入りしない。だから,親切な作品は自らが間口になろうと,快楽回路を切り開くような構成になってる。あまりにも有名な例がスーパーマリオブラザーズの1−1である。
→ じゃあ教養主義はどうかというとこちらは汚点が嫌というほどネットにあふれているので今更。結論としてはやはり中庸しかないのではないか。


・黒瀬陽平さんが藤津亮太さんのまどか評論を批判、そのつぶやきと2chの反応がやらおんにまとめられたことに始まった批評クラスタでの議論(Togetter)
→ いや,まじめな話,藤津さんの評論にある「夢を目的にするのではなく,生き方そのものを夢にする生き方」を,まどかは母から読み取り,それが伏線となって11話に生かされた。これ以上の読みが,あのニコ生の黒瀬さんの評論にあったとは,私はとても思えないのだけれど。(そもそも,この時点で藤津さんがまどマギを単純なビルドゥングスロマンとして捉えているというのは誤読だよね。)
→ やらおん!たたく前にまず自分の評論の出来を省みたほうが良い。萌え豚批判する前に,批評的にも拙すぎたということをまずは反省してほしい。
→ 「ちなみに梅ラボの指導のおかげで、ふたば虹裏の素晴らしさは理解しておりますハイ」とか,こんなこと言うやつがあのキメこな騒動につながったかと思うと,彼の底の薄さも透けて見えますね。これら件に関しては,悪いけど壮絶にdisっても許されるんじゃないかな,というところで次回,話題はそちらに続く。これもいつかは書く……がまだ騒動が収まってないのでタイミングが難しいところである。

  
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2011年07月18日

逆にひよ子買ってったことないなぁ

・ファーストキッチンのポテトのフレーバーから,とうとうメープルバター味が消滅した。油と砂糖の単純な合体によるMAXコーヒーばりのえぐい味で,一部の愛好家にのみ愛されさっさと消滅するかに思われたが,なんだかんだで半年ほどはもってしまった。驚きである。
→ MAXコーヒーも東京圏からほぼ消えて久しく,甘党にとってはいろいろ寂しい初夏であった。


・Twitterの、RT、QT、MT、HT(てくてく糸巻き)
→ twitterのあれこれまとめ。
→ tweenのQTってin reply to付いてたっけ?付いてないような気がしてたので,非公式との区別が付かなかった。/MT以下は見たことない。というか非公式RTも危険性に気づいたので最近公式RTしか使ってない。
→ ぶっちゃけて言って必要なのは公式RTと非公式RT(QT)くらいで,あとのは必要がない気が。特にMTとHTは確実にもめ事の火種になる。ただでさえ非公式RTがそうなってるのに。
→ それはそれとして,ひどいブコメなんとかならんか。「メモ」と書いてあるし,この人自身が作ったわけでも広めようとしたわけでもないのに,この人を中傷するブコメが複数あって非常にげんなりする。しかも謝ってないしね。こういうコメントはどうにかならんのかね。


・読書感想文に書くと親呼び出しにされる図書一覧(アンサイクロペディア)
→ むしろこういう本で提出してみたかったけど,当時の僕はまだ純粋でした。でもいまだもって,この中で読んだことがあるのは『痴人の愛』と『ロリータ』ほか数冊しかないのをふまえると,いずれにせよ実現は困難だったと思う。
→ 『源氏物語』の「雲隠」や『ウォーリーを探せ!』,『大日本史』の発想は良い。『ウォーリー』は真っ当に褒められそうな雰囲気さえある。『ネクロノミコン』とヴォイニッチ写本は……書かれた読書感想文も呪われてるか解読不可能かいずれか,か。


・東京土産を買おうと思う ひよ子買えばいいんだろ?(ニュー速で暇潰しブログ)
→ ある時期を境に一気に増えたため,ひよ子を買っていかなくて済むようにはなったものの(ひよ子は福岡名菓であり草加せんべいは埼玉である),結局のところ「名産物」があるわけではなく,「東京感」のしないもので妥協することになる。
→ であればせめて味の良いものという振り切りの結果,自分の場合ごまたまごになってしまう。東京ばな奈も何度かは買っていった。とらやの羊羹,千疋屋のフルーツ,花園まんじゅうも買っていったことがあるが,値段が値段なので土産物としてはコストパフォーマンスが悪すぎる(特に花園まんじゅうは高い割に別に特別な味はしない,残りの2つは味は保証できる)。
→ あとは浅草土産で妥協するか。秋葉原土産という裏技もあるが一般人にはお勧めできない。けっこう見たことないのが挙がっているが,いかんせん東京駅or品川駅に売ってないと買う機会がないというのが……


・卒業式で国歌の起立斉唱命令、最高裁が合憲判断(読売新聞)
→ 消滅故にブコメページ。読売だとそれなりに賛同ブコメが多く,毎日だと批判ブコメが多いところに何かを考え無くはない。
→ 前にも書いたが,私は昔から「義務教育までは歌っとけ・歌わせとけ。その先は自由意志」が持論なので,妥当判決だと。まあここで全体主義がどうだのなんだの言い出すから理解が得られないんだと,ある種の左派はそろそろ理解するべきではないですか。
  
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2011年07月14日

第194回『敗戦処理首脳列伝』麓直浩著,社会評論社

本書は『ダメ人間の世界史』,及び『ダメ人間の日本史』の著者による第三弾である。社会評論社の悪乗りは続く。が,本書は前二冊に比べるとかなり真面目じみたテーマを扱っている。タイトルの通り,敗戦が確定した状態で,前任者からその処理だけのために政権を移譲された人物,もしくは単純に敗戦処理を担当したため世界史に名が残ってしまった人物を紹介している。

400ページ近くあってかなり分厚い本だが,紹介している人物の数もかなり多いため,一人当たりの分量はそれほど多くない。また,マイナーな人物が含まれているとはいえ,扱われている戦争の説明にも大きく紙面を割いているが,これは余分であった。人物紹介と融合させてしまったほうが紙面がすっきりし,かつ一人当たりの説明も充実じたのではないか。一人当たりの説明が短かったせいか,文面が前二書と比べて非常に淡白で,どちらかというと事実の羅列が多い。amazonの書評にもある通り,『列伝』と名乗るのであれば,もっと筆者の人物評価を聞きたかったところである。

人物一覧を載せているブログがあったので,リンクを張らせてもらう。やや長く紹介されていたのはタレーランで,さすがに敗戦処理の英雄筆頭と言えるだろう。敗戦処理は一歩間違えると亡国となり,うまくいっても現状維持だから割りに合わない。やり方としても粛々と勝者にしたがって処理するか玉砕覚悟で最後の抵抗を見せるかくらいしかなく,中途半端な決断は本邦のWW2のごとく,ひどい結果しか生まない。結果的にタレーランやケマル・アタテュルクくらいしか,その筋で有名な人物が存在せず,本書もマイナーな人物だらけとなっている。それが本書の目的なのだから,それでいいのではあるが。第二次世界大戦の項目はさすがにそうそうたる面々で,マンネルヘイム,ペタン,バドリオ,デーニッツ,小磯国昭,鈴木貫太郎,東久邇宮稔彦と続く。彼らにも同情できたりできなかったり様々である。

発売してそれなりに経つのにぐぐってもあまり書評が出てこないというのは,売れてないということなんだろうか。


敗戦処理首脳列伝―祖国滅亡の危機に立ち向かった真の英雄たち敗戦処理首脳列伝―祖国滅亡の危機に立ち向かった真の英雄たち
著者:麓 直浩
販売元:社会評論社
(2011-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
  
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2011年07月13日

第193回『不朽の名画を読み解く』宮下規久朗編著,ナツメ社

久しぶりに入門書的なものでも読もうかと思いつつも,単なる入門書じゃつまらないなということで,偶然見つけた宮下規久朗編著のものを手にとってみた。その意味では,私の期待に応えてくれた本である。

編著という形になっているが,ご本人が書いたのは専門であるバロックのゾーンであろう。ここだけ極めて宮下規久朗色が強い。バロック章の冒頭の説明の「西洋美術の黄金時代」はまあいいとしても,ベラスケスを「西洋美術史上最高の天才」と評し,カラッチやボローニャ派,ティエポロにも極めて高評価を与えている。「フランスは圧倒的にイタリアの影響下にあり」というのはその通りだとしても,そのノリでそのまま「ロココは独立した様式というより,小規模なバロックというべきもの」と断じているのは,やはり入門書としては非常に独自性が高い。作品別の説明においても,カラッチの《バッカスとアリアドネ》を「世界三大壁画の一つ」とし(残り2つはラファエロのヴァティカン宮殿とミケランジェロのシスティーナ礼拝堂),《ラス・メニーナス》に至っては「世界最高の究極の名画」と持ち上げている。西洋美術飛び越えて世界最高言い出しちゃったよこの人……

そもそもバロック以外の部分でも独自性は高い。元々60しか選ばなかったら編集部に「せめてもう10足してくれ,日本人になじみのある作品で」と頼まれたらしいことがはしがきに書かれており,編集部の苦労が透けて見えるようである。実際には70しか紹介していないのではなくて,コラムという形でちまちまと増やしその倍くらいは紹介しているのだが,「これスルーしたのに,こっちは紹介するの?」ということがしばしば発生している。私はロレンツェッティの《善政の効果》を紹介した入門書を初めて見たし,ティエポロレベルでも入門書には載ってないことのほうが多い。一方,ミケランジェロの《最後の審判》やルノワールの《イレーヌ嬢》《ムーランドラギャレット》が載っていない(それぞれ《システィーナ礼拝堂天井画》,《舟遊びをする人々の昼食》)。ドガもバレエの作品じゃないし,クリムトも《接吻》ではない。

じゃあ印象派以降も気合が入ってるのかというとそうでもなく,前近代の画家は一人当たり4〜6ページとってあるのに対し,新古典主義以降はほとんどの画家が2ページで終わっている(モネ,セザンヌ,ゴッホ,ピカソの4人だけ例外)。20世紀は非常にすっきりしており,にもかかわらずウォーホルが《キャンベルスープ缶》じゃないという妙なこだわりは発揮されており,バーネット・ニューマンやフランク・ステラといったマイナーな画家も紹介されている。はっきり言って基準がまったくわからない。

総じて入門書としてではなく,宮下規久朗編著の概説書はこうなるのか,という気持ちで読むと吉である。


不朽の名画を読み解く不朽の名画を読み解く
著者:宮下 規久朗
販売元:ナツメ社
(2010-07-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

  
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2011年07月11日

だがパリヤさんはかわいい。

・文化村に行ったときに渋谷でマック赤坂の本物を初めて見た。選挙期間以外もこの人ちゃんと活動してるんだなと思った。

・『乙嫁語り』3巻。twitterでパリヤさん可愛いよパリヤさんと思わずつぶやいてしまったが,タラスさんがかわいいのも自明である。
→ 一方,本巻で描かれたのは遊牧民の社会と19世紀欧米人の感覚の違いで,こうして見ると近代社会を指して「家父長制が強くなった時代」と一方的に断定するのも問題だなと再確認する次第である。無論この物語はフィクションであり完璧に忠実というわけではないにせよ,実際にこういうすれ違いはありえただろう。結婚の話以外にも,ヴェールをぬいだところを垣間見られたタラスさんが超恥ずかしがる様子とか。宴会の様子だとか。料理は超うまそう。(参考:森薫先生本人が作っちゃった。
→ もう一つ今回判明したこととして,本作の舞台がソグディアナやマーワラーアンナフル,現代で言えばウズベキスタンにあたる場所であったこと。もう少し西のほうの,カフカス山脈のあたりかと思っていた。そりゃ時代的にもろロシアの侵略最中ですわな……

・ジャンプの新連載は確かにおもしろかった。良かったのは友人の設定で,これを嫌味な奴にしたりひねた奴にすると,一見キャラが立ちそうで雰囲気悪くするだけなので,主人公の宇宙趣味を理解できる温厚な少年としたのは正しい判断。画力も申し分ないし,これは期待が持てる。


・Bitchの為にカネは鳴る−佐倉杏子の系譜−(凍てつくが如く、哀槌を鍛つ)
→ 身内びいきを差し引いても,これは優れた論評である。
→ ウロビッチという造語は,語呂の良さに惹かれてつけられ,「お前ビッチと言いたいだけだろ」と本人がセルフツッコミしている通り。適語と言えるかは微妙だが,論旨自体は的を射ている。「傷ついた聖女」は,間違いなく虚淵作品を貫く通奏低音であろう。
→ まあ「なんだよぶっさんも結局キリスト教がネタの源泉なのかよ」と思うかどうかは個人差があるところで。個人的にもあまり気にならないのだけれど,一方キリスト教ネタはかぶりやすいので,案の定まどマギのときも相当煽られていたから,虚淵もそろそろもう一捻り必要なのかなとは思った。


・ゲームのレビューについて去年学んだことのメモ(dldou)
→ 「反応を気にしてたら何も書けなくならから吹っ切れよう」と読み取るかは自由なところで。
→ 一部除けばおおよそ同意できる内容。肝心なことは好き・嫌いな理由,評価している・していない理由をきちんと語れることで,それを読んで納得出来るか否かは読む側の問題かなと。
→ 同意できないのはアイドル批判でも別にいいじゃないかと思うし,「自分には合わなかった」でも理由を説明できれば別にいいんじゃないかとか。
→ なお,一番同意するのは「書けば書くほど矛盾する。」という点で。人間は時間経過すると意見が変わる生き物であり,そうでなくとも内側に矛盾した理屈を秘めているものなので,レビューも論理的にはいかないものなのです。ただ,自分で気づいた分には「この点は矛盾してるけど,矛盾しているのにも自分の中で理屈があって」と語れる限りは語っておきたい。


・陸前高田市の中学校で、やけくそとしか思えない運動会が開催される(暇人速報)
→ タイトルが秀逸。
→ 「生きるって行為は無駄なんだよ でもそれが楽しいから生きてるんだと思う」っていうコメントはけっこう大事で,いやほんともうその通りなんじゃないかと。

  
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2011年07月10日

非ニコマス定期消化 2011.3月下旬〜4月上旬

時は震災・原発ネタから日常MADへ。



ゴムはエンターテイナーだなと思った。



狂気と税金と電気代の無駄遣いを見た。




グロ注意。ナイトスクープファンなら林先生シリーズで覚えている人も多いはず,あのオオマリコケムシです。林先生も言っていたが,こうしたものはドブくささが食えない原因になっているので,きちんとした生育環境なら多少マシかもしれない。もっとも,ナイトスクープの林先生シリーズで一度,きちんとした生育環境で育ってても結局まずかったものも出てきていたので(名前は忘れたが赤い生物),まあマシなだけなんだろうな。コメントにもあったが,オオマリコケムシの場合はただの寒天になりそうな気もする……が,大百科いわく汚い水でしか育たない模様。



そのナイトスクープ。林先生はともかく,海遊館もいい迷惑だよなこれw。




東方オールスター,というわけでもないが。



ちょっと珍しい桃鉄TAS。目的が「最速最大持ち金」であり最大収益ではない。最大持ち金なのでカンストが目標になるが,これが案外と手間である。前半の謎の行動も伏線だったことに気づいたときには,このTASの組立に感嘆することだろう。



これも珍しいTAS。奴が来るのはなく奴を取る。基本的に1UPキノコとコインだけで100機を目指す。まあ流行しそうにないので一発ものだが,十分おもしろかった。



そしてFC版ドラクエ2TAS。当方SFC世代なのでFC版は未プレイである。しかし,ドラクエ2TAS自体が今まで無かったのでおもしろかった。TASだとこういうルートになるのか……エンカウントしないからこそできる芸当。
  
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2011年07月07日

欲しくとも飾る場所がない

伊万里写ティーセット(ロイヤル・ウースター社製)三菱一号館美術館のジャポニズム展に行ってきた。展覧会の主要作品は西洋陶磁器である。タイトルが「もてなす悦び」というだけあって,実際にどう使われていたかを意識した展示になっていた。ただし,こうした陶磁器は観賞用であるため,明らかに実用に向かない形状をしたものも多く,実際にはあまり使われていなかっただろうというものもけっこうあった。一方,こうした通常の使用に耐えうるか否かのギリギリで作られた工芸品は割と好きである。使用に耐えられなければ工芸品である意味合いが薄れるし,逆に「用の美」に特化されてもつまらない。たまにしか使わない高級品だからこそ許されるところもあるだろう。

今回の展示に合わせて,ニューヨーク在住のジョン&ミヨコ・ウンノ=デイヴィー夫妻が三菱一号館美術館に100点を超える収集物を寄贈した。名前のとおり奥様のほうは日本人である。すまいの写真も飾ってあったが建物自体も洒落たもので,収集されたアンティークと調和し,良い意味で時間が100年ほど止まっている空間が作られていた。あこがれはするが,東京では無理だろうし,これをそろえるのには莫大な資産が必要であったことだろう。その中で収集物の一部を美術館に寄贈したのは素晴らしい行為だ。一方,まだまだ震災の影響は残っており,今回ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館は急遽貸し出しを中止した。残念である。

展示品としてはロイヤル・コペンハーゲン,セーヴル,ウェッジウッド,ミントン,ロイヤル・ウースター,マイセン等。マイセンが弱いのは19世紀を扱った展覧会だからであろう。そして,一部断られたわりにはイギリス系の陶磁器が多い(ゆえに展覧会名が「ジャポニスム」になっているのはやや違和感がある)。銀器ではティファニー,ガラスではガレの作品が目立った。というよりもガレは形が形なので非常に目立つ。そういえばバカラは1点しかなく,ルネ・ラリックも1点しかなかった。いっそのこと生産地を統一してしまって「英米におけるジャポニズム受容」にしても良かったのではないか。展示数は200点を超え,ボリュームとしては申し分ない。ゆっくり見れば2時間は軽く滞在できる。どうでもいいが,公式HPのブランド・製造元紹介がいまだに工事中で(7/7現在),会期中にオープンするのかが心配される。

前回のマイセン展でも感じたのだが,西洋磁器は当初景徳鎮や伊万里を真似たところから始まったものの,この時期のものはやはり真似ただけであって微妙なものが多い。それよりはその後独自進化を遂げたもののほうがおもしろい。19世紀後半のジャポニズムは日本の開国によってその後にもう一度来たリバイバルであり,18世紀以前のものと区別しなくてはならないし,アール・ヌーヴォーの文脈を外すと理解出来ない。その意味で,18世紀以前の模倣が微妙なのは,西欧の側に「美意識」まで含めて輸入するだけの余力がなかったのだなということを感じた。逆に言えば19世紀後半のヨーロッパ人は,往々にして中国と混ざっていたりはするものの,見事に日本の美意識を咀嚼し,西欧元来のものと融合させているように思われる。各作品をみながら,どこが日本的か?を考えるのはとても楽しいことだ。繰り返すが,「使いづらそう」と考えるのは当然の発想だとは思いつつ,何か負けているような気がしないでもないと自省する次第。

  
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2011年07月05日

意見の割れる日常

・「ニコ動」は角界の救世主か/技量審査場所(日刊スポーツ)
→ ニコ生の再生数は一日当たりおおよそ約10万前後。NHKでそれなりの視聴率をとっているだろう平時と比較するに,これが相撲観戦者全体においてどの程度のプレゼンスを持つかは疑問である。
→ 以前に五月場所の総括記事で書いたが,実況民としては大変楽しい場所であった。名古屋場所以降も継続して欲しい。
→ Xe・GAD・FOMA等の表現は相撲実況民特有の表現であり,すでに一つの文化であると思う。こうしたあだ名は野球やサッカーでは普通のことだが,それが相撲にも広まっているということが周知されるのは,スポーツ全体における相撲の存在感を示すこととして良いことだ。多分,野球実況民でさえ,相撲実況民が彼ら同様にあだ名付けて遊んでいるのをあまり知らないのではないか。


・「白田秀彰先生 環境省の超クールビズに物申す「和装こそ真のクールビズだ」 」(Togetter)
→ 実家ではパジャマ代わりに甚平で寝てたこともある。和装は本当に涼しいと思う。
→ このネタ『こち亀』であったな,と思ったが昔別件で同じこと書いたような覚えが。昔のこち亀は偉大である。


・日常7話見ててふと思ったこと(G.A.W. )
→ 「日常」はくだらないことに全力投球する愛すべき馬鹿の文脈,ないしくだらなすぎて一周して笑えるの文脈だと思っている。個人的には大好きです。 ただ,ネタの当たり外れが激しいのと,ある程度話数が重なるとネタがちょっとかぶってくるのは問題点で,これ2クール持つのかなぁという不安も,最近膨らみつつある。原作組曰く,なのの登校後,消化されていないらしいみおのエピソードがおもしろいらしいので,そこでブーストをかけられるか。
→ なお,原作は某後輩の家で読んだことがあるが,あまり笑えなかった。京アニは「くだらないことを全力で」に加速を付けておもしろくしてるのかな,とか。ブコメにある「不条理ギャグマンガの萌え化」というのも割としっくり来る意見で,そう考えると確かに低年齢層狙いでもあり,かつおっさんホイホイでもある。少なくとも,高校生狙いだけの作品ではないかなーと。まあ,的が絞りきれなかった分,ひどい売上になってしまっているという可能性も否定できないが。


・盗掘団、ペルシャ王族?のミイラ発見 イラン警察が押収(朝日新聞)
→ ササン朝ペルシアならありうる。ゾロアスター教は鳥葬だし,マニ教は死体の埋葬にこだわりがない。乾燥してるイラン高原なら自然とミイラになるかも。
→ マニ教は教義上,本当に死体にこだわりがない。ヒンドゥーも割と死体に無頓着で,あっちは「どうせ輪廻転生するから肉体はさして関係ない」くらいのノリでガンジス川に遺灰を流す。が,マニ教の場合はそもそも「肉体は悪魔が作った悪そのもの」でしかないので,ガチでどうでもいい。
→ そのせいで,古代宗教の重要な手がかりになりうる集団墓地がほとんどみつかっていない。マニ教研究の障害の一つである。
→ そういうわけで,この少女がどの宗教の信徒の娘だったかはおそらく判然としないけども,ササン朝の風俗研究が進みそうでいいことです。発見が盗掘団というのがどうにももにょるが。


・うどん条例違反で飲食店店主を逮捕 そば販売の疑い 香川(虚構新聞)
→ 虚構新聞より。虚構ではあるのだが,ドイツのビール純粋令を彷彿とさせる……
→ そして随所から入る「虚構ではない」というツッコミ……香川……恐ろしい場所やで……

  
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2011年07月04日

デコン!デコン!

矢印つけて改行する間隔が少ないほうが読みやすいのではないかという疑念から少しだけ形式を変更してみる。


・原発 島耕作(インサイター)
→ 先日思い立って島耕作のまとめ記事を書いたが,その契機のなったのがこれである。基本的に財界人にすり寄りがちな島耕作ではあるが,今回は空気を読み,結局原発事業撤退を決めた。無論,島の英断扱いである。といいつつも,実は島耕作は最初から反原発だったということに気づけたのは本記事のお陰である。
→ ただし,本記事に一つだけ言わせてもらえば,島耕作は原発事故と正面から向き合うことを避けていたのではなく,時期を見計らっていた,時流を読んでいたのではないだろうか。実際,弘兼さんが島耕作に原発事業撤退を言わせたのは,時流を読んだ結果でしかないように思われる。ただし,その伏線としてあらかじめ島に消極的原発撤退派的な発言をさせておいたのは,作者の巧妙なリスク分散であった。この点は現実を扱う漫画を描く手腕として,大いに褒められて良いだろう。
→ つまり扱いを間違えたのは島ではなく勝浦のほうで,これは作者が勝浦に原発推進派発言をさせていたことを忘れていたのではないか。キャラが薄いからこのようなことになる。
→ 「原発問題はまさに「ネタが現実に追いついてない」状態なので,再来週あたりからぼちぼち扱っていくんじゃないかと。島が周囲を説得して新エネルギー部門を強化するとか予想。」が,本記事の時点での自分の予想。前半半分はあたった。後半半分はどうか。それはそれとしてこの著者の『サラリーマン漫画の昭和史』がおもしろそうなので,探してみようと思う。


・モテる現代思想系女子力を磨くための4つの心得(増田)
→ こうした現代思想系の意味不明術語を用いてギャグを作るのは,実は割と常套手段ではあるのだが(昔『恒河沙』でもあった),元ネタと現代思想がかけ離れているだけにインパクトが強い。
→ 元ネタも男を馬鹿にしてるのか女を馬鹿にしてるのかわからないほど回転しきっている振り切れ具合が受けているのだと思われるが(ねーよw・くそうぜぇwが素のリアクションの大半だろう),このパロディも大概にうざくてよろしい。デコンデコンの擬音化の意味不明具合がたまらない。男の発言も<主体>とかポイント高い。現代思想系の本を読んでてこういう表現出てくると「<主体>(キリッ だってぉw」って言いながら机ばんばんたたきたくなるのは私だけではあるまい。
→ しかし,これだけ改編されても「そんな奴いねーよ」感が大して変わらない元ネタのすごさよ。オムライスの腹筋破壊力は馬鹿にできんね。あ,でも現実にこれだけ現代思想用語を使いこなす女子がいたらそれはそれで惚れそう。女子力は皆無ですが。


・「政治的に安定した共産党ベトナム」の死角・北西部Hmong族の暴動とその報道(KINBRICKS NOW )
→ ベトナムは北部・中部・南部で全部歴史も文化も違う。元々ベトナム人の国は北部のみで,中部は長らくチャンパー,南部はカンボジアの領土だった。北部王朝が征服して「統一」し,その領土をそのままフランスが植民地化し,現在のベトナムも引き継いでいる形。ゆえに,見ようによっては北部による征服が現在のベトナムと言える。
→ もっとも,これは表現が非常に難しいところで,ドイツだってプロイセンによる征服王朝だと考えることもできるし,イタリアだってサルデーニャ・ピエモンテによる征服だと考えることもできる,これらと同じと考えればイメージは悪くないが,「現在の中華人民共和国は特に根拠なく清朝の最大領土を中国の正統な領土」と主張しているのと同じ,というととたんにイメージが悪くなる。まあ,これを言い出すと,古代までさかのぼってもいいのなら日本だって近畿による征服王朝じゃないかとか切りが無くなる。
→ 民族というくくりの曖昧さと国家というくくりとの接合性の難しさを浮き彫りにする事例。19世紀初頭の阮朝成立以来,どれだけの少数民族が消滅したやら。
  
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2011年07月02日

2011上半期ニコマス20選

2011上半期ニコマス20選レギュレーション
2011上半期ニコマス20選ポータル


今回の上半期は2発売によるPV映像の進化が最も特筆すべき点として挙げられる。相変わらず界隈の人口的には減少傾向が止まらないように感じられるが,PVの質はむしろ上がってきており,前回に引き続いて少数精鋭化が進んでいる。一方,20選に挙げるP名が(個人的な観測範囲において)固定されてきており,神風Pのような圧倒的な新人の登場を今後も期待したい。


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