2011年08月29日

駒場祭のミスコン一度も見たことないな

・10年前にミス東大の運営やってたけど、未だになぜ反対する人がいるのか理解できない (Togetter)
→ 別段ミスコン好きでも嫌いでもないんだが,実は理路に関しては難しいところであると思う。「性的ではない人間の外見的美しさ」が存在するということが,ある種の西洋美術の歴史画を支えてきた論理であり,古典古代の登場人物が全裸でも許された理由である。が,現代ではこれらがフェミニズムやオリエンタリズムの視点から批判されてきた。また,そもそもそれらを出さずとも,このことをマネが喝破したところから,歴史画の権威が崩れていったわけであり,蔑ろにしていいものではない。「性的ではない人間の外見的美しさ」は可能か。また,それは外見以外からでも測ることは可能なのか。これに無自覚な「ミスコン批判批判」はつまらないしやってはいけないと思う。
→ まあ「大学でやる必要がない」に対しての「たこ焼きを売る必要もない」という返しはうまかった。
→ 途中出てきたICUが電波飛ばしててわろた。「ミスコン反対がICUから飛び火していって家父長制度を廃絶する世界同時文化大革命にいたること」て。見事な三段ジャンプですな。家父長制に反対するのは別に良いのだが,ミスコン反対と結び付くのか?また,家父長制の廃止が世界に文化革命を起こすような変化なのか。
→ 「世の中には、女性が肌を露出するのは本人にとって悪いことであるとか考えている人が男性にもいる」そりゃまあイスラム教はそういう教義ですし。ただこれも性の抑圧と言いますか,正しく太宰メソッドと言いますか。そういう性の抑圧が進んだ社会は,まあつまらんでしょうな。個人的には勘弁願いたい。


・合唱曲で一番の神曲は(まめ速)
→ 半分くらいは知ってる曲だった。『旅立ちの日に』は小中の卒業式どちらでも歌わされたが,良い歌である。90年代後半から一気に流行したのもわかる。混声四部合唱なので,実は男子は主旋律を歌えない。自分はテノールパートだったはず。『走る川』が中学の合唱コンクールの,うちのクラスの割り当て曲でした。これはむちゃくちゃ練習した。
→ 中学の合唱コンクールは「女子がやたらやる気になる。 DQN男子もやたらやる気になる。」という謎の現象。なんだかんだで皆歌うことは好きだというのと,まあ中学くらいまではそれほどDQNも振り切れてないというのと。


・「どうしてこうなった」と事故の経緯を聞きたくなる不可思議な93の事故現場(GIGAZINE)
→ 落とし穴シリーズ,直立シリーズ,水没シリーズなどなど。本当にどうしてこうなったのかわからないものも。GIGAZINEのツッコミがなかなか秀逸。


・信用してはならない映画評の書き手の見分け方(伊藤計劃:第弐位相)
→ 私自身,感想と批評をそう大して分けていないことは前提として。
→ 良いことが書かれているのだが,あえてばっさり行くと
1.自分が読めていないだけという可能性を念頭に置いていないもの
2.感想の理由を具体的に説明していないもの
はレビューに値しない
,という当たり前だがとても大事なことを戒めているに過ぎない。少なくとも,私が他人のレビュー読むときはこの2点が守られていれば気にしない。
→ 特に重点を置くのは2番で,理由を書いていないというのは他の部分で相当光っていない限り,読んでも徒労感しか残らない。まあそういうレビュー・感想は大体において短いので,徒労感さえ残らない,が正しいかもしれない。
→ あとは,「初見の人が多そうな場では自分の立場,見方を表明しておく」くらいか。やはり人間には個人で固有の感性がそれなりに存在し,言葉の使い方なども大きく異なるため,私はこういう前提で話をしてますよという了解を取ることは重要であろう。それであらぬ誤解を受けて叩かれるのは避けたい。
→ 本文で「感情移入できないのでダメは最悪バカワード」とあるが,「自分は感情移入できないものには感動できない立場に立つ」であることを示しておけば,かなりマシだろう。少なくとも批判者に対して「感性の違い」という理由は立つようになる。(十分立派な理由だと思うし)。ただまあ,私自身は登場人物に感情移入しない性質なので,そもそもこれを評価のポイントにしていないのだけど。
  

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2011年08月26日

非ニコマス定期消化 2011.5月下旬〜6月下旬



まどマギ予言者。無論放映前。よくこれ作ろうと思ったな……この組み合わせのMADがあることに本気で驚いた。



ニトロつながり。目と目で通じ合えなかった結果がこれだよ!



予言者その2。これも本当にすごい。どういう先見の明なんだろう……



いまでも続いている日常で「空耳アワー」。更新速度が早いが,毎回よくできていてどこから探してくるのかと不思議になる。




全9回。その理由はブロンティストなら確定的に明らか。声に出されるとなぜだか余計におもしろい。淡々と読む所が素晴らしい。いやー,ブロント語って美しいですね。



ただのB級映画ではない……このオチは絶対に予想できないだろう。動画の説明文にもあるとおり,2分あたりからすでにおかしいが5分からがすごい。



とうとう独立して挑戦。これも「やり逃げダイナミック」というネーミングのおかげかと思うと非常に興味深い。全クリを目的としているわけではないので,いつもと変わらないところ(エアロビートの多用)もあれば,いつもと違うところ(金策に苦労)もあり。暇な時間におやつ本人への質疑応答もあり,見どころ満載。



通常では13連携が限界だが,チョコボの不思議なダンジョン付属のデータディスクを使えば全員オーバードライブを使えるので,TASも駆使すれば40連携まで行けるという。非常に綺麗につながり,最後はあの技で終わるため美しい。「ミリオンスライスープロケット逆風の熱...」タグの百科事典も必読。ネタバレなので見終わった後に読むこと。



同じく40連携。おやつの人が挑戦したと思ったら,ニコニコ動画内にはすでに先駆者がいたという。

  
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2011年08月24日

超絶技巧の磁器(キャプション原文ママ)

粉彩花卉文碗(景徳鎮官窯・雍正年間)出光美術館の明清期の陶磁器展に行ってきた。中国の陶磁器といえば宋が注目されがちなのは,あの時代が陶磁器において(そして画においても)中国のルネサンス=真の美術史の始まりにあたり,そこが最も輝いた時代であるという価値観がある程度強い説得力を持っているからであろう。が,実際にはその後も中国の陶磁器は正統進化を続けており,とりわけ技術の発達とは切り離すことができない。そもそも宋代がそれだけ注目を浴びるのも,北宋代に白磁の技術が完成したためであり,中国の陶磁器の歴史は技術の進化とは切っても切り離せず,宋代だけを特別視するのはあまりおもしろくないと思う。

本展覧会は時代別に陶磁器が並べてあり,初心者としては大変ありがたかった。明代の前期には青花(染付)が流行したが,これは元の時代に染付の技術が発明されて発達していた点と,新時代の清らかな雰囲気が染付の持つイメージと合致したせいだと思われる。ただし,明代は強い統制経済で,特に明の前期は王朝の権力が強かったため,良くも悪くも政府が多くを主導した。陶磁器で強かったのも官窯だった。しかし,いわゆる北虜南倭による外圧や王朝そのものの劣化から政府の統制が崩れ,なし崩し的に海禁政策も緩んでいくと,海外需要の増大の波にさらされて民窯が力をつけていく。また,赤色をうまく発色させる技術が開発されて,呉須赤絵や万暦赤絵として発展していく。金を用いた豪華絢爛な金襴手が発達したのもこの時代で,輸出産業となった。これにより,シンプルな青白ニ色の染付からの脱却が図られ,模様の多様化が進んだ。なお,万暦赤絵は万暦帝の時代の景徳鎮で隆盛したためこの名前がついたが,万暦帝は秀吉の朝鮮出兵に対抗して明の援軍を送り込んだ皇帝であり,日本軍が朝鮮から陶工を連行して自らの陶磁器を発展させた。当時の戦国大名は朝鮮からも明からも,茶道具として大量の陶磁器を購入していたのだから,輸入代替化も考えるだろう。

万暦帝の遠征は朝鮮王朝の命脈を保ったが明の財政を破綻させ,明滅亡の原因となった。かわって清朝は異民族王朝ではあったが,中国の伝統を保護した。陶磁器も例外ではなく,景徳鎮はじめ官窯は引き続き王朝に奉仕し,民窯も活発に活動した。前時代から入ってきていた西洋の技術の流入や,ヒ素を用いることで絵の具の定着が良くなることが発見されたことから,いよいよ絹本のように磁器の肌に綿密な画を描くことが可能になり(この技術を粉彩という),また色自体も多様に発明が進み,清朝前期では極めてカラフルで極めてマニエリスティックな陶磁器が展開されることにあった。これが本当にすばらしい。もっと見たかったのだが,今回は明朝前期から清朝前期まで全てを扱う展覧会だったこともあり,それほど数が多くなかった。

しかし一方で,清朝前期は近代の科学技術を伴わない範囲での技術革新が限界に達し,また周囲の追い上げが厳しくなっていった時代でもあった。朝鮮はいわずもがな,明の時代から高度な白磁を生産していたし,その朝鮮から技術を得て,朝鮮や清朝が鎖国している間に輸出産業に成長した日本(特に伊万里)もいる。そしてその主要な輸出先であるヨーロッパでは,18世紀初頭にまずマイセンが磁器の製法を解明して生産を開始し,その他の諸国でも次々と磁器生産が始まっていった。そして18世紀後半からの清朝は,長く続きすぎた平和による政府の腐敗と軍隊の弱体化,統制経済が経済発展・人口増加に耐えられなくなってきたことによる民衆の不満増加や,宗教結社による大規模な反乱が重なった。そしてここに,イギリス人がアヘンを持ってやって来て,中国に大きな社会混乱を起こすのである。陶磁器の発展もここで止まってしまった。

まあ伊万里好きの私が見ればそりゃ清朝の超絶技巧気に入りますよねって話ではあるんだが,伊万里ほど金襴手がくどくなく,本当に「カラフル」としか表現しようがない。また,色のバリエーションが非常に多様で,江戸末期や西洋磁器でもこうゆう発色はあるのだけど,やはり中国は相当に先んじていたんだなと思わせられた。景徳鎮ぱないの。

  
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2011年08月22日

相撲も競技であり興行であり。

・star(twipic)
→ 書き順の話。私は「1→5→2→3→4→1」なのだが,自分がすごく例外であることが発覚した。最初の一角が1→4派と2→3派が多い。あとは4→1派もいる。1→5といく自分は左利きゆえの1→4の変形であろう。(とtwitterでつぶやいたところ,左利きでも1→4派がいたので必ずしもそうというわけではないようだ)4→1派も1→4派の変形か。
→ 2→3派は漢字の書き方,1→4派はアルファベットの書き方という説を唱えていた人がいるが,これはその通りかもしれない。自分の場合,アルファベットのほうが「まだ字が汚くない」とよく言われるのだが,実際アルファベットのほうが書きやすい。右利きの人はあまり意識しないと思うが,漢字は習字を経ている関係で,正しい書き順で書くと極めて左利きに不利な構造になっている。


・物語をプロレス的に観ることと、格闘技的に観ることの真逆さ(ピアノ・ファイア)
→ ものの見方の例え。

「お約束や様式で演じられるドラマに「うまく騙され」ながら、その中に真剣(ガチ)な瞬間を求める見方 = プロレス(=興行タイプ)
「作りもの」ではなく真剣勝負(ガチ)だという幻想を抱きながら、その中にロマンを求める見方 = 総合格闘技 (=競技タイプ)」

無論,実際にはプロレスにもガチはあるし総合にも人情相撲はある。あくまでたとえであると理解したい。
→ 作品にあった見方をするか。「見方は変えられない」として,自分にあったタイプの側の作品を探し求めるか。その指針としたい。ちなみに,リアリティの言葉の使い方についてだが,「虚構の世界において筋が通っている」という意味合いで使いたいときは迫真性という言葉を使うとしっくり来る,と昔某教授に教わった。
→ ところで,いわゆる設定厨は競技タイプ=総合格闘的な見方が強い人なんじゃないかと思う(自分含めて)。
だから設定が矛盾したり,妄想で補えなくなったりするとリアリティが消滅してぶちぎれる。興行タイプの見方をすることが多い人からしてみると,どうでもいいところで不可解な切れ方をするのはそういうことだ。
→ そういうわけで自分は割と競技タイプの見方をすることが多いように思われるが,『まどマギ』についてはお約束の固まりだったので,これは興行タイプの作品であり,そういう見方をしたかな,と思う。設定としてはけっこうあいまいな部分の多い作品でもあり,考察が不十分にしかできない点はやや不満である。


・弁護団声明―蒼国来の地位保全等仮処分申請について(蒼国来栄吉よりご報告)
・力士側有利と北村弁護士=元星風の地位確認訴訟−大相撲 (時事ドットコム)
→ 昨今の土俵外のいろいろ。先行しているのは蒼国来裁判。もう一件の星風裁判のほうは,担当弁護士が北村弁護士である。双方共にぜひ勝ちとってほしい裁判である。
→ そういえば露鵬・白露山の裁判はどうなったのかと思い調べてみたら,地裁・高裁には請求を却下され,上告中らしい。まあこちらは自業自得なのでおそらく最高裁でも勝てないだろう。
→ ところで拙文のブクマコメ「最大の被害者であるはずのピュア層が魁皇に手拍子を送ることによって「互助」を支えていた。ピュア層には被害者面するなと言いたい。」というのがあって,今更ながらはっとさせられた。慧眼なので紹介しておく。しかし,スポーツ・興行というのは多かれ少なかれそうしたピュア層に支えられているもので,加減が難しい。
→ 先場所においては隆の山に注目が集まるのは嬉しいのだが,今から集まりすぎるのは本人にとって重圧であろうし,イケメンキャラ,ネタキャラ化するのは好ましくない。そもそも今のあまりレベルの高くない十両で10−5だと,来場所新入幕でそれほど大暴れできるとは思えない。顔見せに近い場所になるかもしれない。それでも叩かれないことを祈りたく,また冷静な観戦を好角家には求めたい。
→ 彼の場合,土俵ぶりもすばらしいし十両になるまで10年間チェコに帰らなかったというエピソードもすばらしいのだが,どうせならずっと稀勢の里の付き人で今までも花道でちらほらとテレビに写ってたことだとか,同部屋新入幕だった高安は平成生まれ初の幕内力士だとか,母体は柔道でそこから日本文化に興味を持ったことだとかも相撲内容に関係しているので報道すればいいのにと思う。
  
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2011年08月20日

『東方コミュニティ白書2011』覚書(2) pp.57〜108

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2011年08月19日

『東方コミュニティ白書2011』覚書(1) pp.1〜56

本書は序文にある通り,「記録に残っていない記憶の歴史」については他者に譲り,あくまで記録・データの面からの東方コミュニティを分析したものである。そしてこの記事はあえてデータを中心にまとめたという本書の意図を出来る限り汲み,本書の内容についての覚書・注釈としての機能を果たすことを目標として書いた。また「記憶の歴史」としても補完できれば良いと思う。よって,できれば手元に本書を置きつつ読んでもらいたい。一応,なくても何を言ってるかはおおよそわかるように書いたつもりではあるが。先に総評を述べておくと,今回の結論は「拡大から成熟へ」ではないかと思った。

2010年度版(1)後半の(2)。一部にこちらからの変化を取り扱うので,先にこちらを読んでおいてもらえると幸いである。


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2011年08月18日

C80参加報告

今回はよく人と会ったので,このブログでは初出の人も含めつつ可能な限りtwitterのアカウントにリンクを張っていこうと思う。買った同人誌の感想についてはまた後日。特に『東方コミュニティ白書2011』と敷居亭の本については別個に記事を立てる予定。

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2011年08月12日

C80 チェックリスト(三日目)

今年も円環の理に巻き込まれたせいで三日目不参加で友人&ショップ頼みなので,「行ってたら買ってた」リストである。

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2011年08月11日

C80 チェックリスト(二日目)

いつもの。

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2011年08月10日

第196回『地下室の手記』ドストエフスキー著,安岡治子訳,光文社古典新訳文庫

本書はドストエフスキー作品ながらどこかつまらないと思いながら読み進め,しっくり来ないまま訳者あとがきに出てきたナボコフの評を読んでその疑問が氷解した。「ドストエフスキーの主題,方法,語り口を,もっともよく描き出した一枚の絵」である。ドストエフスキーの小説はしばしば思想小説と呼ばれ,分類されるが,それは彼の思想面と,小説の物語性がうまく接続しているがゆえである。つまり,ドストエフスキーの小説のおもしろさは

1.小説としてのおもしろさ。意外とサスペンス色,ミステリー色が強く,伏線処理が巧み。
2.思想としてのおもしろさ。キリスト教やロシア愛郷主義に基づく。
3.思想と小説をつなげる巧みさ。隠喩の多用と鋭い人間描写。


の複合技である。しかし,本書は2に偏っており,小説としての工夫は薄い。伏線も何もあったもんじゃない展開で,2章構成のうち,1章は主人公が思うところを語りつくしただけ,2章は主人公が行き当たりばったり行動し,前半はぼっちだったのに見栄を張って学生時代の旧友の集まりに出て顰蹙を買い,後半は娼婦にらしくもない説教してブーメランと要約できてしまうだけのストーリーである。主人公の行動原理の説明やそれを受けた友人たちや娼婦の反応など,人間描写は流石の一言で,これは文句のつけようがない。特に主人公の性格はねじけきっており,内的思考力は高いのにプライドと自意識と自己弁護力が高すぎて身動きが取れない端から見ると哀れな人間の姿を描写しきっている。これは現代的な問題でもあり,人によっては非常に身につまされる話ではあるだろう。

が,鋭いだけで,主人公の台詞や説教の内容自体は著者の思想の駄々漏れであり,特に工夫がされているわけではない。直なだけに毒気は強いが,それも他の著作でドストエフスキーに触れていれば衝撃を受けるようなものでもなく,さしたるおもしろみはない。他の短編のような,長編を圧縮したようなものを期待すると大きく肩透かしを食らうと思う。

まあ,これも訳者あとがきに書かれているが,本書でドストエフスキーデビューする人は極稀だと思われるので,本書のせいでドストエフスキーを誤解する人はほとんどいないと思う。わかってて読むのであれば損はしない,が別にドストエフスキーに深入りする気がなければ特に読む必要もない,というのが本書の位置づけではないだろうか。


地下室の手記(光文社古典新訳文庫)地下室の手記(光文社古典新訳文庫)
著者:ドストエフスキー
販売元:光文社
(2007-05-10)
販売元:Amazon.co.jp
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2011年08月07日

そっくりさんと観光地

・最近マジで中世的な男増えたな(もみあげチャ〜シュ〜)
→ これを見ると,普通の人は中世と近世の区別ついてないんだなと痛感させられる次第である。ルネサンスもモーツァルトも絶対王政も近世だよ!モーツァルトなんて近代に片足突っ込んでるよ!ジャコバン派に至っては完全に近代だよ!
→ 前にそもそも中世という時代区分が長すぎて混乱が生じているという記事を書いたが,もっと言えば中世の後半と近世も合体して混乱が生じてるのかね。そして近世という時代区分は存在しない,と。寂しいのう。日本史だって,鎌倉時代と江戸時代は同じ武家政権でも大きく異なるわけで,やはり近世という時代区分は絶対に必要だし,認知されるべきだろう。


・「ニコライ2世」と仲良し、「レーニン」を警察が拘束 ロシア(AFPBB News)
→ 「ニコライ2世と一緒に商売をしていたウラジーミル・レーニンが、暴言を吐いたとして警察に拘束された」とかすっごくカオス。要するに両方そっくりさんで,観光地によくありがちな商売をしていたのだが,そのコンビと「警察に拘束された」というのがどうにも。
→ もう一人加えるとしたらやはりラスプーチンか。誰かそっくりさんを呼んでこい。


・東方のエロ同人誌で許容出来る範囲(2ch東方スレ観測所)
→ 個人的には2(ふたなり)以外は全部行ける。「百合エロにふたなりは必要か」問題は,おそらく東方エロ界隈で永久にもめ続けるものではないかと思う。趣味の問題なんで「問題」にするだけ無駄なんだが,それでも騒がれるところであり。「百合は男性要素が皆無だからこそ百合」だと思うので,できればディルドーで済ませて欲しい。
→ 7はビッチの度合いによる。実は私はアヘ顔がギャグにしか見えないので,拒否感はないのだけれど,その意味ではあまり好きじゃない。
→ 「キャラ次第」「マジレスすると絵による」は一つの真理かと。これを突き詰めてくと「同人誌はサークル買いか,ジャンル(キャラ)買いか」というところに行き着き,多くの人はその折衷で考えているというところだと思う。私自身,筆者の持つ絵の求心力だけで全く知らないジャンルでも買ってしまうサークルもあれば,全く知らないサークルだったけどそれなりの趣味の絵でレミリア描いてるから買ったという本もある。


・アニメでよく見る購買部のパンの争奪戦って本当にあんの?(VIPPERな俺)
→ スレでもさんざん出ているがありましたね。マイマザーが弁当作ってくれていたので基本的に関係なかったが,たまに忘れれると参戦せざるをえなくなった。学年が上がると購買部の裏口から買う,学校を脱出して近所のパン屋に行く,などの知恵がついてくる。
→ 近所のパン屋の小倉トーストがうまくてな……というあたりが非常に愛知県民ですね。
→ 「パンの争奪戦はなかったけど購買のおばちゃんの争奪戦はあった。」もその通りで,基本的に物がなくなるのではなくレジ(とレジ係)が足りないのが購買部である。だからこそ裏口から買う,昼休み以外の時間に買う,が有効になるわけです。ここが描写できてるか否かは,そのアニメやエロゲの作者が購買部を実体験していたか,理解しているかに現れていると思う。たとえば,と言われるといい例も悪い例も有象無象にありすぎて思いだせないが。


・ヒトカラのいいところ(VIPPERな俺)
→ ヒトカラーです。無論ヒトカラは楽しいのだけれど,練習・集団で行く時本番,という要素はあり。
→ あと最近アニカラは友達が十分付き合ってくれるので,ヒトカラはむしろざっくばらんに歌うようになった。「疲れたら曲入れずにダラダラできる」「自信無い曲にチャレンジして駄目だったら即効中止」「飽きても途中で停止」等は本当に大きいメリットである。あと履歴をさかのぼれるだけさかのぼってみたりするのも楽しい。機械を独占できるのでゆっくり見れる。
→ 入ってくる店員は最初気にしたがすぐに気にしなくなった。都会だと店員の方も慣れていると思う。特にパセラやカラ鉄はそうだろう。
→ かく言う私はいつもパセラなわけだが,ハニトー丸々一個食べるとか楽しいですよ。さすがに胃がもたれるけど。
  
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2011年08月06日

南北アメリカの歴史的相違点

・何でブラジルは豊富な資源や広大な農地があるのにアメリカみたいになれなかったんだ(歴史的大敗)

少なくとも民族性や気候のせいにするのはちょっと。まあそういうものも必ずしも無きにあらずという気もしつつ,と思ったので取り上げる。マジレスすると南米が経済発展しなかったのは長く続いた地主制(カウディーリョ)のせい,というところでおおよそまとめられると思う。独立はしたけれど,政治的独立は必ずしも経済的独立とは言えない,という話。また,ブラジルがBRICsにカウントされているように今後のことはわからないので,「今南米に『アメリカ合衆国』が存在しない理由」に絞って話をする。


植民地は「一次産品,農産物を本国に送り,かつ本国の工業製品を買わせる」という意味合いが強いので,普通本国のほうで縛って商工業は発展させない。よって,自然と地主が現地民をこきつかって農産物を量産する,プランテーション経営が成立しやすくなる。無論,時代や地域によって細かな形態の違いは無数にある。蘭領東インドの強制栽培制度のように,国家が租税という形で商品作物を強制栽培させるパターンもあれば,英領インドのように,白人が直接地主として赴くというよりも現地の元領主を地主として仲立ちさせるパターン。さらに,日本統治下の朝鮮半島やアルゼンチンのように,生産させられるのが商品作物ではなくて食料品(米,食肉)という場合もあった。

ラテンアメリカの場合,ヨーロッパ人が初めて植民地化した土地で勝手がよくわかってなかったということが悲劇的だったと言えるかもしれない。国王の許可を得た征服者(コンキスタドール)たちが,キリスト教布教を条件に原住民を労働力として活用する権利を得て,実質的な自立を図っていった。さらに,疫病や酷使によってインディオの数が大きく減ってしまったため,黒人奴隷が輸入されるようになった。さらにそれらが混血したため,地主である本国出身者(ペニンスラール),中間層の現地生まれ白人(クリオーリョ=クレオール),下層としてインディオや黒人,白人と黒人の混血(メスティソ)などの階層が生まれていった。そして独立運動を起こしたのがクリオーリョの層であり,結果的に彼らはペニンスラールを追い出して自らが地主に成り代わった。こうして,独立後も人種による階層が,地主制のまま固定されてしまった(もちろん,インディオ出身のメキシコ大統領フアレスのような例外も存在する)。

プランテーション的地主制の良くないところは,国内の貧富の差が非常に拡大すること。地主だけが一方的に富み,先進国並の生活を営む。が,この地主層は工業化に対して消極的だし,大衆を単純労働力としか考えてないので,あまり教育制度も普及しなければ社会福祉も充実しない。おまけに,プランテーションは儲かる商品作物しか生産しないので,大概モノカルチャー経済的になる。南米だとサトウキビ,コーヒー,タバコ,綿花が有名。ところがこういうものは世界中どこでも生産しており,流行もあるので,非常に価格変動に弱い。そうすると,国際市場で特産品の人気が高いときは良いが,不調になると取り返しのつかないことになる。教育も福祉も充実していないところに激しい景気の波がくれば,当然社会や政治が不安定になる。20世紀中頃にはそれを逆手にとって,理想主義的政策(ポピュリズム)を掲げて大統領に当選したアルゼンチンのペロンやブラジルのヴァルガスのような独裁者も誕生したが,アジアの開発独裁のようにはいかなかった。今のベネズエラのチャベスがこれに近い。(ついでにわかる人に言えば,『ブラックラグーン』のロベルタの主人ガルシア・ラブレスは,設定上ベネズエラを牛耳る地主層「南米十三家族」の一つであるラブレス家の次期当主であり,その父親ディエゴ・ラブレスはチャベスを応援する第五共和国運動に参加したことを理由に,1997年にアメリカの特殊部隊に爆殺された。これに対する復讐劇が,単行本6巻後半〜9巻の内容である。7巻冒頭でベニーが事情を説明しているので,持ってる人は。)


さらに言えば,ラテンアメリカの場合,独立運動の際イギリスの外交的支援を受け,そのままイギリスの工業製品の市場となってしまったため,工業化が抑圧されたという経緯もある。もっとも,実際には独立以前から,宗主国スペイン・ポルトガルを通じてイギリスの工業製品は流入していた。イギリス経済の衰退後は,そのままアメリカがその地位にスライドした。20世紀の100年間を通じてアメリカがラテンアメリカの政治にやたらと介入したのは,キューバ危機のような安全保障上の理由だけではないのだ。この点もラテンアメリカに限った話ではなく,その他の多くの元植民地も,独立後も旧宗主国の工業製品の市場と化し,結果的に工業化が抑圧されている。

たとえばアルゼンチンは,食肉のモノカルチャー経済化により,イギリス・アメリカを市場に19世紀後半から戦間期にかけては世界有数の経済大国であった。しかし,世界恐慌による需要の減少,冷凍技術の進歩による産地の多様化,さらに食肉産業は二次大戦後アメリカとオーストラリアが本腰を入れ始めたため,経済が傾いた。慌てて始めた工業化も失敗し,しかしペロンによる福祉国家化だけは成功したため一層財政が破綻して,政変も相次いでフォークランド紛争もあり,とうとう21世紀初頭にデフォルトに至った。一方,完全にアメリカ経済に従属することで金融業に専心したパナマや,うまいことバナナ・コーヒーモノカルチャーから脱却して社会的安定を得たコスタリカのような例外もなくはない。元スレに挙げられたブラジルも,BRICsと呼ばれるところまでは工業化が進んだ。今後の南米から先進国が誕生することもあるかもしれないが,現状を生んだ歴史的経緯としてはこのようなところであろう。


アメリカ(合衆国)の北部は植民地時代から商工業が発展していた。これは合衆国が例外的なもので,アメリカ北部は国家政策での植民ではなく,イギリス国内に政治的・宗教的事情でいられなくなった人が自主的に行き着く先という意味合いが強かったため,本国の統制も少なかった。さらに,原住民のインディアンがそもそもあまり多くなかったし,追い出しながら開拓したため,白人人口が多く,農業も家族経営的な小規模なものからスタートしたため,現地民を利用した地主制が広まりづらかった。19世紀になるとカナダや,流刑植民地からのオーストラリアやニュージーランドのような後追い事例も出てくるが,少なくとも17〜18世紀の植民地としては13植民地が異例といえる。仏領北アメリカ(ルイジアナ)も,フランス人は毛皮取引を目的として移住しニューオリンズのような都市部に定住したため,インディアンと衝突しなかったし地主制も広がらなかった。ルイジアナの大部分の本格的開拓は,アメリカがフランスから購入してからだ。

そのままだと本国の工業製品が売れないということで必死に抑圧しようとしたのが,印紙法やらタウンゼンド諸法やらの重商主義政策であるが,これがそのまま独立戦争の引き金を引いた。それでも独立直後にはイギリスも努力してアメリカを経済的従属におこうとしたが,ナポレオン戦争を契機に再度戦争となり(米英戦争,第二次独立戦争とも言われる),とうとうアメリカに完全に自立されてしまった。ゆえに,アメリカは割と早期に産業革命がスタートし,イギリスの工業製品流入が進まなかった。西部は「早い者勝ちで開拓した奴が所有者」だった関係で自営農民が多かった。南部はラテンアメリカ並の地主制だったが,南北戦争に負けて(少なくとも表面上は)解体。大規模農業という形態は変わらなくても小作人制か資本主義的経営に変わっていった。多分,南北戦争が無かったか,南部が勝利してたら,アメリカ連合国も発展途上国の仲間入りしてただろう。
  
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2011年08月04日

豊臣秀吉関連で2件

・前々記事は正直予想の3〜5倍くらい伸びて,むしろ微妙に気分が重いわけですが平常営業していきたい。なお,まだクドわふもEU3HttTも『狼と香辛料』も書いてなければさらにブックレビューが1冊積んだ始末。実はさらにこのブクマの消化も滞っているという。まあ,表に出せるものからがんばって出していきます。


・『へうげもの』13巻。いよいよ関ヶ原。
→ ついでに語るか。『へうげもの』のすごいところは,信長・秀吉・家康の美意識の差を,政治意識の差と連動させて表現したところ。信長は侘び寂びには理解を示さなかったが,南蛮趣味を肯定し,圧倒的に開明的だった。秀吉は最初は侘び寂び趣味であったが,天下統一が近づくにつれ,信長の趣味に理解を示すようになった。また,古田織部の「へうげ」理解第一人者でもある。秀吉の場合,利休の権勢が強くなりすぎて,自分の趣味をねじまげざるをえなかったところもある。本作中盤の主人公の一人は間違いなく秀吉だが,彼は数寄と政治を両立させていたからこその天下人の器であった。彼は中途半端ではなく,極めてバランスのとれた人間であった。
→ そこへ行くと,今対立している家康と三成もタイプが全く異なる。二人とも数寄をほとんど解さない点では共通で,実は正義と信念の人である点も共通している。しかし,家康はそこを踏ん張って理解を示している振りをする,そして利害をちらつかせて人を動かす,見事な狸親父となっている。一方,三成は根が真面目なのでそうした行動は出来ず,ただし単なる堅物の悪役ではなく,周囲の人間の言うことを聞いて,苦渋の思いをしながら数寄に理解を示そうとし,それで味方も多少なりとも出来た。秀吉が信長の影を追い,三成は秀吉の影を追った。しかし,三成は秀吉になることができないまま,それだけの余裕も無いまま,関ヶ原は開戦する。一方,家康は全くの別路線を突き進んでいた。


・豊臣政権を存続させるには秀吉はどうすればよかったか(歴史的大敗)
→ 豊臣家の生き残りをかけて。
・秀頼生まれる
・秀次を関白にする
・徳川家が健在

この3つが成立すると詰む 」というのは大体間違ってないだろう。(秀次がいようがいまいが秀頼が生まれたところで詰んでるような気もするが)
→ 常識的に考えれば秀頼を生ませず,秀次関白政権を安定させるのがifとして最も合理性が高い。徳川家の弱体化という点では小牧長久手までさかのぼる必要があるが,あれは長期戦にしびれを切らした秀吉が織田信勝をそそのかして無理矢理講和したもので,戦争としては家康は不利ではなかったから,実力での逆転はifとして困難である。
→ 実は,さらに元のこもないことを言えば,豊臣政権は地盤が弱かったため,どうがんばっても存続が困難だったという見方もできよう。超速度で天下統一したため有力な外様大名が多く,成り上がりものゆえに譜代大名が少なく,弱い。コメント欄にあるが,三成を立てたがゆえに武断派が切れて大名同士で争ってしまったのが関ヶ原の遠因であるので,ifを考えるならば少なくともこれは絶対に近い条件だが,案外と難しい。
→ 自らの財政基盤も脆弱である。少なくとも直轄領(蔵入地)が約220万石(うち関西は65万石で後は飛び地)に対し,関東転封後の徳川家康は250万石であっちはさらに開墾の見込み有り,というのはやはりまずい。残りの財政基盤は金銀鉱山と重要都市の直轄権,貨幣鋳造権,南蛮貿易の独占権など。有力ではあるが,この時代の商工業関係はまだまだ不安定。
→ 各幕府の財政基盤については室町幕府を中心にまとめたことがあるが,こうして見ると直轄地(御料所)が少なく,(外様という概念は存在しないものの)有力な守護大名が多くそのつぶし合いで東奔西走してしまった室町幕府は,豊臣政権が置かれた状況に近い。仮に存続した豊臣政権が室町幕府の状態になっていたとすると,ガチで神聖ローマ帝国のことを笑えないまま黒船来航を迎えた可能性もあり,非常に恐ろしい事態である。


  
Posted by dg_law at 23:11Comments(0)TrackBack(0)

2011年08月02日

非ニコマス定期消化 2011.4月中旬〜5月下旬

なんとなくゲーム系が多かった時期のようである。



日常MADははやっているのかはやってないのか微妙なラインである。



3回目のジャパンワールドカップ。今回は予選からあったので長く楽しめたが,やはり一番おもしろかったのは決勝であった。反川キメジいろいろ反則だろ……



企画の発想もすごいし解決方法もすごい。TASさんの休日の見本である。それにしても確かに,最近の桃鉄は逆転手段が多すぎてどうかと思うのも割と同意できるというか,個人的に逆転要素が多すぎるボードゲーはあまり好きではないので,桃鉄は昔のもののほうが好きである。



発想はおもしろかったがどうにも無理ゲーだったのと,再生数工作でpart1が晒し上げられたのが途中打切の原因である(part3以降の再生数が正しい数字)。ルールを緩くして続けて欲しかったなと。




ほぼ同時期に始まったがこちらはきっちりと完結した。part1では「失踪予定シリーズ」がつけられ,事実ヨースター島が脱出できそうにないような状態であったが,どんどんと「足を上げ」ていき,手でやるのとそれほど遜色の無い動きになり,とうとうクッパを倒してしまった。うp主は確実に体力が増強されたのではないかと思う。今後は未プレイ面のクリアと,マリオ64での続編を並行してやっていくそうである。




ランキングに上がっててびっくりした動画。ヒテッマンは人工的に作ったバグだらけのゲームを進めていくプレイスタイルの方であり,以前上がっていたドラクエ4が爆笑できる出来であった。今回はドラクエ5である。文章の崩壊,音楽の崩壊は当たり前,ワープにデバックモンスターの登場などやりたい(やられたい)放題である。part1を見れば,おおよその雰囲気はつかめると思う。




P(ピー)の高速マリオ,総集編の完結編。 三十のすけさんもお疲れさまでした。ワールドの方のまとめもがんばってください。



オケアレンジの名手,けいえむさんの作品。ちゃんとループします。

  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)TrackBack(0)