2011年09月30日

『敷居の部屋の行方』雑感

夏コミで発表されたこの本について。覚書というほどの文章でもないし,書いて投稿するべきか否か逡巡して一ヶ月も遅れたブツなので雑感で良かろう。第二部のはじCさんと敷居さんの部分についてのみ。

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2011年09月27日

がぶり寄りが見た夢

今場所は相撲内容,優勝争いともに充実しており,及第点である。少なくとも上の下はあげてよかろうし,上の中としてもいいかもしれない。序盤は日馬富士と鶴竜がこけ,内容も薄くどうなるのかと心配したが,4日目くらいから持ち直して尻上がりにおもしろくなっていった。もはや慢性化していると言っていい立ち合いの乱れだけは千秋楽まで続いてしまったが,その割には短調で集中力に欠いた取組が少なかったように思う。場所前半の英雄は言うまでもなく臥牙丸であり,終盤は稀勢の里であった。また,本人は昇進争いのチャンスをつぶしたり場所をかきまわしたりしておきながら,ギリギリ勝ち越しの隠岐の海と負け越しの栃煌山の二人も名前を挙げておきたい。その他ピックアップしていい力士は多いが,このあたりは各力士総評で後述したい。

昇進挑戦4人組はうち2人が早々に討死し,最も条件が厳しいと思われた者が最後の最後で倒れ,結果最も順当であったもののみが昇進を手にした。大相撲が星の奪い合いである以上,そんなもんである。日馬富士は白鵬が決して本調子ではなかっただけに,実に惜しいことをした。先場所の相撲がとれていれば横綱だっただろう。しかし,日馬富士自身があまり綱取りに興味がないので,それほど気落ちはしていないのかもしれない。鶴竜は意外にもメンタルがそれほど強くなかった。稀勢の里は条件が厳しすぎたというのはあるものの,その割に12勝を上げてかつ白鵬を倒し,実質的な準優勝であることを考えると,来場所の昇進基準は相当緩くしてもいいように思われる。

琴奨菊については,場所前の予測では崩れると思っていたが,そうはならなかった。先場所の大関取り失敗を経験して精神的に強くなっていたというのもあるが,それ以上に技術的な進化が見られた。先場所に「がぶり寄りに頼らない相撲への挑戦がみられる」というようなことを書いたが,今場所の前半もそれがはっきり見えていた。今場所はなかなか「伝家の宝刀」を抜かない縛りプレーを課しており,内容を見てもあからさまにがぶり寄りを避けていた(前半がぶったのは三日目の阿覧と六日目の豊ノ島のみ)。格下はがぶらずに倒すという彼の挑戦心は大きく買いたいし,だからこそ終盤まで崩れずに持つだけの多様性が相撲に生じたのではないかと思う。特に今場所の琴奨菊は右上手の使い方が卓越しており,左が差せずとも右からの極めや小手投げが極めて強烈なものに進化した。ただし,右上手にこだわらず,白鵬の弱点を見ぬくや一日その練習に費やして,左上手の型でも取れるようになった器用さも見られた。

さて,琴奨菊の来場所についてだが,かなり苦しいのではないかと思う。近年の新大関は白鵬を除いて本調子が出ない傾向が強く,ましてや琴奨菊の場合御当所九州場所でおそらく拍手付である。いかに今場所メンタル的に強くなったとはいえ,これは苦しかろう。さすがに白鵬も三場所連続で敗れるわけにいかないので対策をとってくるだろうし,稀勢の里の大関取りもある。逆に言えば,来場所優勝争いに絡めれば本物かもしれない。


残りの各力士総評。白鵬については,北の富士が見抜いていた通りと言える。実力十分・稽古量十分ではあるのだが,どこか気が抜けており,場所の終盤になっても緊張感がなく,以前のような覇権的強さがない。本人も「優勝争いに悪い意味で慣れてしまっている」と言っているので自覚しているようだ。これはこれでメンタルの問題なのかもしれない。技術的な面でも,稀勢の里と琴奨菊という思わぬ方向から右差しを封じられると左上手が機能しなくなるという弱点を発見され,対策が立てられるようになってしまった。改善は急務と言える。

大関陣。日馬富士はプレッシャーに負けたとしか。終始調子を取り戻せず,一人でとって一人で負けるシーンが多かった。初日から物言いがつく相撲に,十日目は栃ノ心に変化,にもかかわらず8−7でギリギリの勝ち越し。終盤はせいぜい稀勢の里を破ったくらいでいるのかいないのかわからないレベルの影の薄さで,本当に綱取の場所だったのか疑わしいレベルである。把瑠都は平常運転。雑な相撲がいまだに見られるのが残念であり,このまま「相撲を覚えないまま大関になり,相撲を覚えないまま引退した」ら,それはそれで相撲の歴史に名を残しそうである。琴欧洲はノーコメント……としか言いようがない。

残りの関脇。まず稀勢の里は調子のいい稀勢の里であった。ぶっちゃけて言えば,腋が閉まってれば勝てるんですよこの人は。どれだけ調子が良くても,ときどきふと思いだしたかのように腋を開けるのが怖い。あとはまあ,白鵬攻略法を見出し,琴奨菊に伝授したあたりは殊勲賞を3つくらいあげていい功績。さて本人の大関取りやいかに。目安としては11勝なんだろうが,来場所も白鵬を破るようなことがあれば10勝でも昇進させていいと思う。横綱2勝分的な。鶴竜はメッタメタだった。なんだろうな,やっぱプレッシャーかな。大関取りは白紙に戻ったので,まずは気楽に関脇維持してほしい。小結二人。阿覧はエレベーター。豊ノ島は踏ん張って初場所同様の逆転劇。両者ともにまあこんなもんだろう。

前頭上位陣。豊真将はやっと前頭筆頭での勝ち越しで新小結。ここまで長かったが,押しがさらに強くなったところはある。はたきになかなか落ちないために名勝負製造機になっているので,これからも長く上位で取って欲しい。反面,関脇昇進にはさして期待していない。隠岐の海は大関二人撃破とはいえ日馬富士と琴欧洲で,結果ギリギリの8−7なのでさして書くところはない。成長著しいのは認めるが,まだ見えてこず,期待をかけるのは早計である。栃煌山は内容がそこそこ悪くなかったのに7−8で負け越した。うーん,なんだろうな。もろ差しじゃないと勝てない病かな,圧倒的な武器になるほどのものでもないし。逆にメッタメタだったのに,番付の低さにも助けられ運動神経だけで10勝してしまったのが豪栄道である。来場所前頭最上位まで来るだろうが,エレベーターの未来しか見えない。

前頭中位。時天空は今場所も足技がさえていたが,気づくと負け越していた。雅山はなんとか7−8に持っていたが,若荒雄はじめ他の押し相撲力士にお株を奪われるシーンが増えたので,年齢的限界が来ているかもしれない。老獪な雅山の相撲はかなり嫌いじゃなかったのだが。高安は6−9だったのが不思議なくらいの絶不調。同様に絶不調だったのが魁聖で,今場所はとにかく腰が高く,某人のおっしゃる通り動きがもっさりしており全然ダメであった。両者には来場所の捲土重来を期待しよう。ピックアップすべきはやはり栃乃若で,今場所急に頭角を現した感がある。在日三世なので春日王以来の韓国人というにはかなり語弊があるものの,「りー」と行司や呼び出しに無理やり呼ばせる姿だけが記憶に残っていた。押しにけっこう威力があるのでいい形でまわしをとれることが多く,押しだけで決着がつくことが多かった。一方,磋牙司に背負い投げで負けたシーンも印象的である。今場所がフロックであるか否かは来場所次第。その磋牙司は小兵らしい動きまわる相撲が目立ち,結果はともかく観客はわかせた。

前頭下位。旭天鵬は安心の大勝。ある意味魁皇よりすごいのではないか。北太樹はこの番付なら二桁勝てるだろう。さて臥牙丸,今場所は紛れもなく「動けるデブ」であり,押しの威力がとてつもなかった。把瑠都に勝った一番を含め見ごたえのある相撲が多く,特に前半戦では最も輝いた力士であったと言っても過言ではあるまい。なかなか引かずはたかずな点も好印象である。来場所は相当地位が上がるが,日馬富士や琴欧洲あたりとどうなるかに注目したい。北太樹と安美錦は上がっていく方のエレベーター……まだ北太樹には期待したい。翔天狼と黒海の動きも良かった。特に黒海は久しぶりに幕内で見たが,そろそろ年齢との戦いである。隆の山は残念ながら十両落ちだが,あまりにも身体が軽く,それで取るには技術が足りていなかった。また鍛えなおしてきてほしい。あと結婚おめでとうございます。


以下予想番付。  続きを読む
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2011年09月25日

全面蒔絵

月宮殿蒔絵水晶台三井記念美術館の京蒔絵展に行ってきた。何やら近くの漆器屋も同時開催で展覧会をやっていたようだが,行くと買わなければいけなくなりそうで(何しろ入場料がチラシに記載されていない),無論そんな金はないのでそちらはスルーした。京蒔絵展ではあるが,より正確に言えば西村彦兵衛という漆工の一族がおり,彼らが江戸時代から京都の漆器商象牙屋に奉公していたが,主家断絶後後を継ぎ「象彦」の号を名乗って生産から商売まで一族で請け負った。

私はこの展覧会まで京蒔絵,というよりも象彦の作風を全く知らなかったのだが,要するに「全面的な蒔絵」であった。多くの作品において,黒の地が見えないのである。螺鈿も少ない。表面はほぼ金銀のみで彩られている。それでいて変化があるのは,蒔絵の技法が多種にわたり,それぞれによって金銀の発色が微妙に異なっていたからである。これにより,少ない材料の種類で多様な表現を生むことに成功しつつ,金銀の豪華さ,締りのある統一感を失わないで両立させることに成功している。これを単なる成金趣味と判ずることはできないということは断言できよう。金銀を生かした気品の高さは,京蒔絵の意地であり,発注した側の三井の意地でもあるだろう。

一方で,良くも悪くもマニエリスティックであり,悪趣味とは言わないまでも,ともすれば画一的で,贅沢にも見飽きるというのもまた特徴であると思う。確かに覚え切れないほどの技法が巧みに使われており,それは素人目にもわかるほど大変優れたものであるのだが,いかんせん金銀のみであり,ワンポイントで螺鈿か珊瑚が使われているのみである。珍しいものでは,三井の鉱山でとれた鉱石を使用しているものもあったが,基本的には蒔絵のみで構成された作品が多い。ゆえに,一品物としては良いし,近所の漆器屋のように販売が目的であるのなら目の肥えた客に対し,細かな違いをアピールするのも良いと思うが,展覧会としてはもう少し工夫が欲しかったかなというのも本音である。

その中でやはり心を惹かれたのは,三井らしい鉱物を利用したもので,特に巨大な水晶を月に見立て,鉱物を険しい岩礁とし,空を漆黒として,雲や波濤を蒔絵で仕上げた水晶台があり,あれは大変に良かった。画像がそれである。こうした「発注主のらしさ」を生かしたものには,やはり惹かれる。
  
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2011年09月21日

非ニコマス定期消化 2011.6月下旬〜7月下旬




あわせてどうぞ。両方ともセルフ比較版付。上は初代とWのあまりのキャラデザの違いに吹いてしまうが,ZとWだと意外と違和感がない。2つともよく探してきたもんだ。



スターウォーズの元ネタ自体が殺陣とはいえ,元が達人同士の型であるためとんでもない出来に仕上がっている。上が刀同士,二刀流や小太刀もあり。華麗な足さばきにも注目。下が薙刀と刀。薙刀の巻き込む動きをご覧あれ。





久々のじゃんがりあんMAD。ほぼ同時期にネタかぶりで2つも誕生。上はオーソドックスな作り。下はネタが練りこんであっておもしろい作り。上のほうが伸びてるが,出来にそれほど差はないと思う。




足マリオは64へ。前作以上に「本当にクリアできるのかよ」「できないプレーとか面とかあるんじゃね」と言われた1話であったが,最初のクッパも倒し順調に進行中である。同時進行でマリオワールドの残していた面も攻略中。



むぎゅううううううううううううううううううううう



実際ひどいんだがわくわくする動画である。

  
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2011年09月16日

K-1の沈没の理由について

K-1がどうしてこうなったのか,ということについてはネット上で多くの分析がなされているが,それらを並べてみる。


まず,世界を目指すと言いつつ,日本の市場に頼りきりであったこと。ヘビー級ではモンスター路線撤回以後,各地で大会を興すようになったが,モンスター路線時代はやたらと小規模な国内大会が多く,そこでモンスターを使いきってしまった感があり,同時に(悪い意味で)プロレスと同一視されるようになっていった感もある。PRIDEを中心とした団体間抗争を煽ったのも醜かった。K-1の元々のファン層はプロレスとはだぶらず,むしろボクシングに近かったのだから,石井元館長の「競技化」路線はそのままで良かったし,モンスター路線ならそれはそれとしても,はじめから世界を見据えて興行を打つべきだった。2003-05年あたりは,二重の意味で貯金を食いつぶすだけの期間であった。

06-07年頃から次第にモンスター路線を撤回し,反省の弁もないままいつの間にか競技化路線に戻っていたが,今度はMAXやらPRIDEから引き継いだDREAMやらに力を入れ始めたという,無軌道な多角化路線。しかし,変にK-1本体よりも日本人が活躍できてしまうためか,今度はこちらが露骨な日本人びいきで,結局体質は変わっておらず,なぜ競技化が求められたか運営陣が理解していないことが露呈した。結果的にMAXはMAXで盛り上がったからいいものの,それで本体の運営がおそろかになった点は指摘しておきたい。K-1本体がやるべきは「無差別級」「立ち技」「世界最強」の維持であって,それ以外は本道ではない。

一方で,「立ち技最強」にこだわったのはいいのだが,他の競技や団体をこけにしすぎた。昔から思っていたのだが,これは旧来の格闘技ファンの心象を相当悪くしたと思う。元々K-1のKは格闘技のKで,異種目最強決定戦だったはずなのだが,次第に「K-1」という種目が確立していった。これ自体はまあ,競技化路線でやっていく以上は別に本道だと思うのだが,ところがこの自意識の拡大がモンスター路線と合体すると肥大化し,いつの間にか「K-1で勝った奴が立ち技最強」ではなく,「K-1を本拠に戦ってる奴が立ち技最強の選手層」ということにすり変わってしまい,そこから他種目への蔑視が強まっていった。これはK-1のプロレス化にもつながり,上述の総合格闘技との馴れ合いにもつながった。まあ,一番の被害者は間違いなくボクシングだが。

スターは勝手に出てくるものではなく作るもの,という傲慢な発想。そもそもモンスター路線が受けなかったので競技化路線に戻したわけだが,手遅れだった。競技化を目指す方針がスター作成方針と衝突し,不可解な判定や恣意的な選手&マッチメイクが全く減らなかったため,本当に実力主義に回帰したとは言いがたい状況だった。しかも「作られたスター」が,魔裟斗とバダ・ハリはともかく,武蔵やテイシェイラ,ボンヤスキーではぱっとせず,作られたうちの半数以上は全く光ってくれなかった。特にボンヤスキーや武蔵の不人気がK-1に与えた影響は正直な話致命的であろう。(一応補足するが,両者とも過大評価にせよ一時期トップファイターにたる実力者であったことは否定しない。過剰な優遇だけが不可解であった。)

財務体質が悪い原因の一因として,石井元館長の一家による中間搾取を挙げている方もいるが,証拠がない以上眉唾である。これが本当だとしたらK-1は石井館長が作って潰した自作自演に近いことになるが,真相は潰れてから誰かしらが暴露本でも出さない限り闇の中だろう。これに引っ掛けて谷川氏と石井元館長の間で確執があるという説もあるが,同様に眉唾甚だしく,谷川氏自身は否定している。現状私はこれらの説を信じていない,というよりも信じるだけの材料がない。いずれにせよ,単純に最盛期02年に東京ドーム・約7万5千人あった集客力が,07年に横浜アリーナに移ると約1万7千人になり,10年にはとうとう有明コロシアム約1万2千人にまで落ち込んだ。Dynamiteこそ箱としてさいたまスーパーアリーナを保っているが,視聴率ではWGPに大きく負けている。人を呼べないから視聴率も上がらず収益がでないのが,極単純な理由だろう。無論,それはそれとして財務状況を明らかにすべきだが。


総じて発端はモンスター路線になるが,06年頃からの競技化路線をきっちりとできていれば「あれは一時の誤りだった」として軌道修正できたのではないかと思う。その意味で真の失敗は06〜08年の運営にある。で,2010年前半くらいまでであれば,「谷川を首にして運営何とかしろ」という話だったのだが,こうなっては再建不可能だろう。谷川一人なんとかして金が湧いてくるわけではない。もういっそIT'S SHOWTIMEにもろもろ全部投げればいいのに。それでオランダで大会開催してフジテレビが放映権買ってくれれば俺は文句ない。ただ,SHOWTIME自身がトラブル絶えないのと,彼らにそれだけの財務的体力はないし,ヨーロッパの外の選手とのコネもなく,おまけにオランダ当局ににらまれているという(移民2世が多く活躍しているので,という多分に人種差別的な問題も含む)。仮にFEGがSHOWTIMEに投げたとしても,石井元館長が商標権を手放さない限りはK-1の名前を使えないので,少なくともK-1の名前が消える可能性は高い。あとはまあ石井さん自身が新企画を立ち上げることだが,あの人は脱税問題でしょっぴかれて館長辞めてからから興行師として死んでるので,もう無理だろう。このまま「立ち技最強決定戦」は地上から滅びるんだろうなぁとか思うと大変に寂しいところである。
  
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2011年09月14日

昨今のK-1

使われていないK-1タグを有効活用してみんとす。現段階で今年のワールドグランプリ開幕は絶望的,というよりもおそらく昨年が最後のWGPになりそうな情勢濃厚なわけだが,どうしてこうなったのか。いろいろ掘り返して時系列的に追ってみた。


報道的に最初に資金難が大々的に取り上げられたのは,今年の年初だった。もっとも,本当は2009年頃から悪化は始まっていて,この頃から未払いの話はぽつりぽつりと漏れていたような気がするし,少なくとも2010年は地方大会の数が少なくテレビ放映も短く,WGPで谷川氏本人が「K-1は厳しい状況」とか言っていたので,予兆は十分にあったと言える。ただし,2011年初の場合は,暴露したのがボブ・サップであったという点と,彼が話を大きく盛ったとしても,借金の額が途方も無い金額であったことが世間の耳目を集めてしまった。当時の2chでは「ボブ・サップみたいなインテリをだませるはずないだろw」という指摘がされていたが,それもそうである。直後にIT'S SHOWTIMEがボブ・サップの発言を裏付けるコメントをインタビューで応答しており,この時点で噂は事実と確定した。

問題が大きくなってきたのは2月になっても例年3月開催の横浜大会の日程が一向に発表されず,4月になってやっとこっそり会見が開かれた。この記者会見は表面的に,東日本大震災のチャリティー企画を立ち上げるというものだったが,こっそり「DREAMとMAXでがんばる」「GP?しらんがな」という彼の態度が表面化した会見でもあった。こういうことをこっそり言うあたりがもう末期的だと思うのだが,一応こっそりやっただけあってそれほど話題にはならずスルーされた。OHPに残っている記事を見ての通り,財務状況については一言も触れていない。以後もOHP及び谷川氏のtwitterは大本営発表が続く。

5月,K-1のヨーロッパにおける最大の提携相手でありルールもよく似ている,IT'S SHOWTIMEが日本支部を立ち上げると(SHOWTIMEJAPAN),谷川氏は「STJに出場した選手はK-1に出させない」と発言し,ほうぼうから反感を買った。彼はその後必死に弁解したが,直後の5月末にSHOWTIME代表サイモン・ルッツ氏が「FEGはSHOWTIME管轄の選手に対し,40万USドルものファイトマネー未払いがある」と発表し,納得が行く説明がなければ提訴するとした。結局提訴はされていないようだが,FEGにとってはニュースで流された事自体が致命傷だろう。7月頭には選手の側からファイトマネー未払いが暴露される。ソースが東スポとサンケイスポーツなのが不安な上に,発言者のバンナとレイセフォーがボブ・サップ同様金額を盛っているような雰囲気もあるが(SHOWTIMEあわせて40万ドルなのにセフォー一人に70万ドルは無いだろう),訴え自体は信用して大丈夫だろう。(サンケイスポーツのほうはバンナの写真付でまだネット上に記事が残っている)。これに対し谷川氏は「少なくともセフォーには支払っている,訴えれるもんなら訴えてみろ」という挑発的な反論を残したが,本当に訴えられたらどうなるんだろうか。

7月末,これまたひっそりとK-1の開催権が不動産業の株式会社バルビゾンに移った。全く聞いたことのない会社だが,都心のマンション等に強く金は持っている模様。ただし,K-1の商標権は石井元館長のままである。もちろん,大本営発表ですらなくOHP上は未発表である。これがいったいいくらのお金になったのか,せめて焼け石に水くらいにはなったのか。そしてまた開催は遠のいたんじゃないかという気がすごくしたのだが,案の定これ以降再び長らく動きがなかった。なお,その際MAXとDREAMの開催権は売却しなかった。完全にWGPは谷川氏に見捨てられている。

で,ようやく「10月WGP開幕戦開催」という風の噂が流れてきた。流したのがダニエル・ギタでソースが彼の所属するマイクスジム,さらに発表されたのがFacebookと,風の噂というよりも半ば単なる情報漏えいか,そうでなければギタ自身がだまされているデマなんじゃないかとしか疑えないような状況である。さらに言えばこれも8月8日付のニュースであり,もう一ヶ月以上経っているのに続報がない。これが本当なら,出場する選手はノーマネーファイトのボランティアになるんじゃないか……大体開催場所どこだよ……というところでもう諦めている。
  
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2011年09月08日

むしろレビューが溜まってきた

3ヶ月ぶりにエロゲの進捗状況を報告。前回。

・クドわふたー → クリア済だがレビューしてない。書く気はあったが忙しさと,文章に悩んでいたらタイミングを逃した。気力があればそのうち。悪くない作品でしたよ。
・仏蘭西少女 → 評判とおり異常な長さで,コミケ前は1日1時間ペースで進めていたが,20時間かかってもいまだEDが3/48とかいう状況に驚愕し,コミケ明け二週間は1日2時間ほどのペースで進め,おそらく現在40時間以上費やしたところでやっと38/48まで来た。本作がいかに難易度が高いかについてはレビューを書くときに説明しようかと思う。
・バイナリィ・ポット → クリア済,レビューは記事立てるつもりはないのでここで簡潔に。今見ると凡作だが,2002年という時期やメーカー処女作であることを考えると,十分な出来だったのでは。まさかの触手プレーの存在に驚いた。
・オーガストFANBOX → 同上。優希の一枚絵が変わりすぎてて笑った。ぷりぽんは一応全クリしたけどゲームとしての出来は良くない。これでオーガスト作品はコンプリートしたので堂々と信者を名乗ろうかと。

・素晴らしき日々 → 『仏蘭西少女』の次。そろそろ買ってこよう。
・群青の空を越えて → すば日々の次。これも同時に次秋葉原行ったときに確保しておこう。
・Rewrite → 周囲の友人たちのレビューを読んで,自分には絶対に向かないことがわかった。本作は様々な要素のキメラ合体だがロミオ成分が一番濃い,というのが一番よく聞く感想だが,そもそも私はロミオがあまり好きではない。
・ホワルバ2IC → CCの発売日が公開されたので(延期する気はするが),予定通りこれとあわせて買って連続でプレーしたい。


さて,そうなると『群青』の次を全く考えてないわけだが,どうしようか。候補としては『猫撫ディストーション』と『まじこい』あたりに手をつけるか。それとも,もうちょっと過去作を漁ってみるか。それとも,いよいよ『EU3』から卒業して『Vic2』に以降するか。

なお,9月は仕事が忙しいのでおそらくあまり進まず,次の報告は11月か12月になると思う。逆に12月は毎年おおよそ暇なので,残業せずに定時退社して,ここで本数を稼ぎたい。現在9月で9作目,ということは年内12作ペースかな。まあ『仏蘭西少女』が3作分くらいあったような気はするが。
  
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2011年09月07日

東方projectに関する一推察 特異点・転換点としての永夜抄

『東方永夜抄』は,弾幕STGのシリーズとしての転換点だったのではないか,という推察。

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2011年09月01日

現代邦楽に関する議論について

0.はじめに

・伝統楽器・伝統音楽というものへの問題提起 とあるボカロPの傷林果に対する反応と、その一連の流れ - 8月24日 #gendaihougaku (Togetter)
・.ブンガPと藤山晃太郎の伝統音楽についての議論 - 8月25日 #gendaihougaku (Togetter)
・続:ブンガPと藤山晃太郎の伝統音楽についての議論 - 8月26日〜27日 #gendaihougaku (Togetter)
・.完:ブンガPと藤山晃太郎の伝統音楽についての議論 - 8月28日〜30日 #gendaihougaku (Togetter)

この議論はtogetterが乱立しており,それぞれの特性があるが,一番わかりやすいものを提示しておきたい。というよりも,このtogetterが無ければこの記事を書く気力はわかなかったであろう。これはtogetterまとめのお手本のような出来である。

さてその上で,今から私がやることはカオスラウンジ騒動同様,全く無関係の議論に対して横から茶々を入れる行為ではあるが,前回とは大きく目的意識が異なっている。この議論は内容的に非常におもしろく示唆に富んでいる。にもかかわらず,togetterが乱立しどれを参照すればよいのか判然としなくなってしまったこと。それに関連して,藤山さんは周囲全体からの意見も聞きたいとしてハッシュタグを用意し意見を募り,最序盤は有効に機能したもののやがてノイズにしかならなくなっていったため,お二人の意見のみを追うには大変困難になってしまったこと。さらにtwitterはその特性上,140字ずつしか投稿できず,しかも言及元が参照しづらく,話題の重複やループにも気付きづらいなど議論をするには欠点があり,おそらくそれが原因の一つとなって議論が止まってしまったことは残念である。

ゆえに,まだ誰もやっていないようだし,邦楽にもボカロにも全くの門外漢ながら,またおそらく議論が再燃する可能性は非常に低いと思われるものの,拙いながらの私見を交えながらでも,togetterとは別のフォームでこの議論をまとめ直しておくことは,一定の意味があるのではないかと考えた。無論,私にはこれらの専門知識が全く無いので,議論内容に関する本質的な指摘は他者にお譲りしたいし,私自身はこの記事以上の言及をするつもりはないことを先に述べておく。


1.お二人の意見

藤山さんの指す邦楽は端的に言ってかなり広い範囲を指すもので,楽器が和楽器であるか,リズムや音階など方法論的に伝統的なものが使われている等,部分的に「過去の伝統技術」が使用されていれば含まれるとするもの。あえて言えば,最大公約数的・「最広義の定義」と言える。が,ブンガPの提示に対し,藤山さんは「和楽器を使用しただけでも十分に邦楽ではないか」と自らの邦楽定義の一部分のみを提示し,それがブンガPが最も拒絶反応を示す領域であったため,初手から議論が混乱した点がある。というよりも,「藤山氏は楽器,外形のみを重視している」というブンガPの誤解は,議論の最後まで解けず,藤山さんが後出しで「本質なんてない」と言い出したことから,ブンガPには藤山さんが途中で意見を変質させたように見えてしまい,これが最終的に彼が議論を降りる原因となってしまった。議論は,実は初手で死んでいたのかもしれない。


それに対し,ブンガPが提示した邦楽の領域は,一言で言えば「魂」がこもっていなければ邦楽にあらず,としたものだ。すなわち,邦楽を歴史的にひもとき,どのような精神や発想があって,現代の邦楽が形作られていったのか。このような音色やリズムが生まれたのかに立ち返り,それが守られている範囲が「邦楽」である,と。とりわけ,彼が重視したのは「民衆の中に残っている音楽伝統」であり,その代表例として本邦では沖縄・奄美民謡を,また現代に適応してうまく生き残っている例としてボサノバなどを提示した。だから邦楽の「魂」も,方法によってはまだ生き残れるはずだ,と。彼自身の言うように,彼の主張は原点回帰ではなく,あくまで「魂」の保存であって,外形にこだわるものではない。里神楽に溶け込んだリコーダーは良い例証であった。しかし,この点について藤山さん自身はよく理解していたが,どうも周囲の外野が理解できておらず,「ブンガPは保守的」というレッテルが貼られてしまったように見え,これが彼をうんざりさせ,議論を打ち切った原因の一つとなったのであろう。

が,それをわかりやすく言おうとしたのか,「方法論」と曖昧に濁したのが失敗だったかもしれない。いっそより曖昧な「魂」と表現したほうが,議論が進んだかもしれない。最後のtogetterの末尾にて,本人は「情緒」と言い換えているが,この表現でも良かっただろう。彼はとりわけ(和)楽器の音色のみを残すものに見えるもの(傷林果)や,技術のみの保存のために現代にはそぐわない家元制度,またその保存のために素人を食い物にしたやたらと高い月謝のシステム等を批判した。「傷林果」は,さぞ「器作って魂入れず」に見えたことだろう。それが最初のtweetの憤激である。ゆえに,彼にとって傷林果批判と制度批判は同根であって,この点を無視した藤山さんの反論は的を射ていない,本質を突いていないもののように感じられたのではないか。ゆえに彼は最後まで本質に関する議論を展開しようとした。しかし,藤山さんからしてみれば,本質論とは本来分けるべき作品批判と制度批判をごっちゃにしたものにしか見えず,その切り分けに腐心した結果,すれ違いがひどくなっていった感がある。

そしてまた,本質を語るにはかなりの素養が必要であり,ゆえに彼は3つ目のtogetterの末尾にて藤山さんに邦楽の素養について問うた。結果,議論相手の素養は(案の定)浅薄であるとして,議論を降りた。が,実際には最初から,「生き残りをかけた」と言いつつ邦楽の範囲をやたらと広げていく藤山さんの理路は「邦楽を歴史的にひもといていない」,浅薄な理解によるものと感じられていたのではないか。


2.議論の行方

整理すると,実際には議論すべきところは明確であった。

・ブンガPの指す「邦楽の本質」の明確化
・周知拡大と内部体制の転換は並立して可能なものか?
・「傷林果」は本当に本質から外れた作品なのか?という実証的な議論


まあ1つ目についてはブンガP自身が後日ブログで,と投げてしまっているので困難だったかもしれないが,3つ目をやっているうちに明確化していった可能性はある。というわけで後回し。

2つ目の論点については補足がいるだろう。3つ目のtogetterの冒頭にもある通り,藤山さんに既存の制度を破壊・改革する意志はない。「49900人が通り過ぎても100人が興味を持ち,10人が弟子入りして1人がプロになればよい」というのは既存の制度の強化でしかない。結局「まず周知拡大か,本質追求のための内部体制の転換か」という点は,全く議論が進まなかった。どころか,最初から議論にさえなってなかったのである。

しかし,藤山さんのほうも彼は決して「魂」を軽視しているわけではない。ただ,「魂を残す以前の問題として,滅びかかっている邦楽を生き残らせるには,まず邦楽の定義を広げて大衆の目を惹きつけるしかない」とし,また「傷林果の程度であれば,魂は失っていない」とする立場を提示した。この点の対案について,ブンガPは「よいと思ってもらえる作品を作ること。そして、その一見変わった音楽が、実は自分たちの民族性から出たものなのだと、驚きをもって感動してもらうこと。」と述べ,また「現状を「大衆的で芸術的価値の低い邦楽」と「(敷居・芸術的価値の高い?)純邦楽」に分類した上で、「その間を結ぶ作品」を発表したい」ということか?という藤山さんの確認に対し,是と答えている。藤山さんはブンガPの対案不足,具体案不足を嘆いていたが,実際にはちゃんと答えは出ており,こうした遡及性の無さはぶつ切りになるtwitterの欠点だろう。togetterになってみないとわからないという。

さて,互いの方法論が出揃っているがゆえに,この先議論を進めるなら,やはり「実際,魂の保存に余裕がないほど邦楽は死んでいるのか?」,「そもそも傷林果は本当に邦楽の本質を外したものであったのか?」という論点のすりあわせは必要であった,というのは自明であろう。これが3つ目の論点が浮上する理由である。


しかし,実はその実証的な議論が出来たかはやや疑問である。藤山さん自身はやる気も能力もおそらく無かったのだろうが,七三先生ご本人を投入してでもやるべきだったのではないか。しかし,藤山さんは七三先生について,こうコメントしている。「今回の議論でつらと思うに、七三先生は邦楽のルーツやらソウルやら、なんも知らないんよ。ただ良い音を奏でる、という機能特化。もしブンガPが仰るような「先達には本質を示してもらいたい」というのを叶えるような方がいたとしたら、それは奏者の仕事じゃない。Pの仕事だ。」実際にはそんなことはないのだろうが,いずれにせよ七三先生自身にも,ともすれば空理空論と受け取られがちな「本質論」をする気がなく,本質とは曖昧なままで良いという立場であろうことは推測がつく。(少なくとも藤山さん自身は割とそう考えている節がある。このtweetなんてまさに。)

それにしても,この点が全く深まらなかったどころか,ほぼ完全に無視された点は残念である。ブンガPが「傷林果は全くもって邦楽の本質ではない」とするなら,その反論は「そんなことはない」であるべきではなかったか。ど素人の私でさえも,「Bad Apple!」が東方曲の二次創作であり,東方projectであることは邦楽にとって一つの意味合いを持つというコンセプトは気づく。Togetterを丹念に読んでいくと,ブンガPにもそれなりに東方曲に対して親しみがあるようなので(project本体に親しみがあるかどうかは読み取れなかったが),せめてこの点だけでも議論が深まっても良かったのではないか。

特に,「傷林果」自体,「法界唯心」を踏まえており,あちらのほうがより「邦楽である意味合いが強い」コンセプトであるとは言うことが可能ではあり,本作はより逸脱を目指したものであるとは言えるものの,それでも東方曲の範疇ではあるだろう。「法界唯心」については,ブンガPがどう思ったか,ぜひ尋ねて欲しかった。これは,この点を提示しなかった,藤山さん自身にも落ち度はある。というよりも,議論の途中で本人が「当方は「人気曲のアレンジ」を新しいものとして捉えていない。この活動の斬新な点は「ネット受けを狙い投稿した邦楽演奏動画で大きな視聴者を獲得した」事」としか答えておらず,これでは手妻師自身が本作の力量を見誤っているような気がするし,その返答は自身が「法界唯心」を無視したものになってしまっている。もったいない話である。

無論,東方であるコンセプト以外でも,本作がブンガPの言う「邦楽の本質」からどれだけ外れているものか,という議論は展開されるべきであったのだが,今回の議論は,具体的な音楽理論の話が全く出てきていない。その意味で,ブンガPが「もっと勉強してから来いよ」と言い放ったのは正しい。正直,邦楽はおろか音楽のど素人としては,私的に最も期待していた議論であった。2つ目のtogetterの末尾で蝉丸Pが「本質論はtwitterでやるに向かないのでニコ生でやってはいかがか」と極めて重要な指摘と斡旋をしているのだが,これは流れてしまった。議論の途上でもちゃんと指摘している第三者関係者がいた。むしろ,今からでも手妻師陣営はやるべきではないか。ニコニコ大百科のものよりも詳しく。


それはそれとして,一つ文句を言わせていただく。知らない人も多数いる中で,2垢併用で議論をするのは裏切り行為としか。最初から明示した上でならともかく,「2垢使ってるのは有名だから皆知ってる」「(本当に自演するつもりだったのだとしたら)すぐ自演と気づくレベルのものでその意志はなかった」という言い訳で通すのは,故意でないでも相当苦しい。たとえば,このtogetterをブンガPの普段の活動を知らない人が見たら別人にしか見えないし,私にはそうとしか見えなかった。
  
Posted by dg_law at 01:34Comments(0)TrackBack(0)