2013年02月26日

タイ紀行(2):交通・言語・観光地(チェンマイ・アユタヤ)

(1)から。

3.交通
一般的な交通案内はあまり書く意味がないというか,我々一家も何か書けるほどタイの交通機関に乗っていないのでガイドブック以上のことは全く書けない。その上で。

市内観光でよく言われるトゥクトゥクは三輪オートのタクシーで,日本人としては激しく昭和臭のする乗り物だが,同行旅慣れてる人が「あまりお勧めしない」と言っていた。理由は単純に値段の交渉がめんどくさいからだそうだ。しかもそれほど速いわけではないし,チェンマイならまだしもバンコクは主要観光地にはおおよそ地下鉄が通っているので,それほど利用価値がない。現地の風を浴びたい,値段交渉こそが旅行の醍醐味という方はどうぞ,というところだろう。もっとも,この辺りの事情は普通のタクシーでもあまり変わらないようで,まあ値段交渉はどこでもつきまとうものか。やっぱり公共交通機関がいいよ,うん。通ってない場所には行けなくなってしまうのが難点だけど,チェンマイ・アユタヤ・バンコクに限れば困ることはそれほどないはず。言うまでもないが運転マナーは東南アジアクオリティなので,荒いと言えばいいのか恐いと言えばいいのか。

あと,一番書いておかなければならないのは冷房対策で,何乗っても寒い。タイ人はよくあの外気と車内のギャップに耐えられるなぁと思う。設定気温なんてデジタルなものはなかったのでよくわからないが,常に20度くらいで入ってるんじゃなかろうか。タイ王国観光庁のHPに「(電車の)冷房が効きすぎる場合があるので注意」と書いてあるが,自覚があるならなんとかせえよ,と本気で思う。同行旅慣れてる人いわく「ラオスとベトナムはこんなに寒くなかった」そうなので,タイ特有かもしれぬ。


4.言語・文字
言語は文字からして読めないタイ語・タイ文字が主流だが,観光地に限ればほとんどの場所で英語が併記されているため,さして困らない。チェンマイは英語止まりだったが,アユタヤとバンコクは中国語と日本語が併記されているところが多く,さらに安心だ。しかし日本語が不自然・間違っていることが時々あるのもご愛嬌で,どことは言わないが「この台には乗らないでくだい」という看板には思わず笑ってしまった。がんばれタイ王国観光庁。


5−1.観光地(チェンマイ)
まず,チェンマイという都市はタイ第二の都市で,北部の中心地である。厳密に言えば人口では第三位になるそうだが,なぜ第二かというと,長らくチャオプラヤ川流域のタイ王朝(スコータイ・アユタヤ・バンコク)からは離れた,別の王朝の首都であったからだ。これをラーンナー王国というが,まあ高校世界史で出てこないように小国かつ歴史の表舞台には出てこなかった国である。自立していたのは成立の13世紀末から200年ほどで,残りの20世紀初頭に滅亡するまではタイかビルマのいずれかに服属していた。ビルマがイギリスに滅ぼされていなかったらこの地域は現在ミャンマーだったかもしれない,というのは十分にありえたifである。近代になってバンコク王朝に吸収されたのは明治政府の琉球処分にだぶるし,チェンマイの歴史的立ち位置自体がわりと琉球にだぶる。歴史の流れが彼らの存在を許さなかったのであれば,なんとも悲しい話ではなかろうか。

しかし,このような歴史ゆえにアユタヤ・バンコクとはちょっと違った文化が残っているのがチェンマイである。いくつかの街の中心部の寺院と,ワット・ドイステープに行ったが(ワットはカンボジア語同様「寺院」の意味),旅行当時は最初がチェンマイだったので,どこがバンコクのものと違うのか今ひとつわからないままであった。帰国してから写真で改めて見ると,全体としては似ているのだが意匠の細部がやはり独特で,バンコクからみてもエキゾチックさを感じる。なお,Wikipediaの写真にある通りタイの寺院は割りとどこもまっ金金で,正直に言っていいのなら,侘び寂びが染み付いた日本人的感覚からするとちょっと趣味が悪く感じた。すごく失礼なことを言っているとは思うが,銀閣を見て「ぼろwwwww何これwwwwっw」という外国人に出くわしても日本人が「で,ですよね……」としか返事できなさそうなのと一緒で,許して欲しいところである。フォローするわけではないが,後述するようにバンコクの寺院はその方向性においてすごく,単純に感動した。その意味では,チェンマイは中途半端といえばそうかもしれない。

そういえば,ドイステープの麓でリアル托鉢に出くわした。一般大衆から食料を恵んでもらうあの行為である。その辺りの事情はタイが熱心な上座部仏教国であることやその宗旨を知っている人にはわかっている話だろうから省く。ともあれ,これは一般的な日本人的に興味惹かれる光景なので,一見の価値があると思う。


5−2.アユタヤ
次に行ったのは本当はアユタヤである。一つ前の記事に書いた通り,本来はスコータイにも行きたかったのだが時間がなかった。チェンマイの居心地がよく,長居しすぎたのだ。さて,タイの後の統一王朝になっていくチャオプラヤ川下流域の王朝は,首都の名前をとってスコータイ・アユタヤ・バンコクと変遷する。これは位置的に南下していっているが,そもそもタイ人の出身が雲南地方であり,南下はタイ人の歴史といってもよい。スコータイ朝はおおよそ日本の鎌倉時代に重なる。アユタヤ朝は室町時代から江戸時代の中期まで,バンコク朝は18世紀後半にアユタヤ朝を継ぐ形で成立し,現在まで続いている。

ではスコータイ・アユタヤは日本の鎌倉や京都と重ねることができるのか,というとそうもいかない事情がある。タイの歴史とはビルマとの抗争の歴史であり,しかもおおよそ敗北の歴史に近い。アユタヤ朝の歴史を見ていくとビルマの王朝強すぎ笑えない,ということになりかねないのだが,アユタヤ朝が滅亡するときに,ビルマ人がスコータイ・アユタヤをほぼ破壊し尽くしてしまった。もっとも素材が石材・レンガであるだけに限度があり,アンコール・ワット同様「完璧な廃墟」としては生き残っているものが多い。破壊の凄惨さは,仏像の素材が石材であっただけに痛ましく残ってしまった。アユタヤの遺跡には首の部分だけへし折られた仏像が山のように転がっている,とても無造作に。仏像の中が空洞になっていて中に宝物が入っていることを期待して,一番折りやすいところをやった形であるが,ビルマ人も同じ仏教徒であったはずで,なんともむごい。

しかし,アユタヤの廃墟の見事さには大変魅了された。これは紛れもなく崇高なるものだ。しかもこの巨大な廃墟,どうにも危険そうな場所や神聖な場所以外で立ち入り可能な場所が多く,年甲斐もなく,ちょっと崩れかけたレンガの階段に腰掛けて時を忘れてしまった。廃墟に魅力を感じる人にはたまらない観光地だろう。下の写真程度じゃちっとも伝わらないと思うが,ぐぐるとけっこういい写真が出てくるので,ピンときた人には是非お勧めしたい。(本当はもっといい写真もあるのだけれど,大概自分らか現地民が写っているので……)



アユタヤ:ワット・プラ・マハタート
  

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2013年02月25日

タイ紀行(1):気候・食

行ったのは1月中旬だが,いろいろあってずるずると報告を書くのを引き伸ばしにしていた。主な理由は行き帰りに読んだ『天地明察』の書評が滞っていたことだったりするのだが,ようやく旅行記に取り掛かれることとなった。行った先はチェンマイからスタートして南下,時間の都合でスコータイにはよれず,アユタヤには寄ってバンコクから帰還した。時系列順に書いていってもあまりおもしろくなさそうだったので,分野別に書いていく。


1.気候
タイは言うまでもなく国土全体が熱帯で,ケッペンの区分で言えばほぼ全域がサバナ気候に入る。1月だろうと超熱いだろうということで真夏用の服装を準備していったが,これはアユタヤ以南では大正解であった。というかバンコクの気候はおかしい。気温が40度近いとかいう以前の問題で,日差しが痛いのである。きついのを通り越して”痛い”。時折「日本の夏は気温より湿気のせいで不快指数が高い。熱帯の乾燥してる時期のほうが過ごしやすいくらい」とかいう言葉を聞くが,誰だそんなこと言った奴は。日差しが痛いなんてのは生まれて二十数年,初めての経験であり,あれが一日中,ほぼ一年中続くのであれば,私的にはどう考えても日本の夏のほうがよほど快適である。他人の感覚なんてあてにならないというよりは,経験してみなければわからないもんだなと思った。

一方,チェンマイはイメージしていたタイと全く違い,最初の観光地であっただけにカルチャーショックは大きかった。それだけにアユタヤに着いたときの「これだよ,これ!」感も強かったが。具体的にどうだったかと言えば,チェンマイは涼しかったのである。さすがに日本の冬とは比べ物にならないが,日差しが痛いということもなく,半袖じゃないと過ごせないということもなく,むしろ薄手の長袖は必要なくらいには涼しかった。チェンマイはタイ北部の都市であるが,北だから涼しかったというよりは高地だから涼しかったと言ったほうが正しかろう。一応現地の天気予報を見ると最高気温で25度前後であったが,体感としてはもっと涼しく,この辺がまさに「乾いているから」なのだとすれば前述の言葉もあながち間違っていない。


2.食
辛いイメージがあるが,韓国料理がそうであるように辛くないものだってあるだろう,というノリであまり心配していなかった。これはおおよそ正しく,それほど食には困らなかった。もちろん味付けが独特で,辛くなくても食べづらいというものはいくつか出てきたし,辛いものが多かったことは言うまでもなかろう。その独特の味付けを楽しむのが海外旅行だと思う。

目についた料理をいくつか。チェンマイ名物と言えばカオソイと呼ばれる麺料理だが,一言で言えば「カレーラーメン」である。カレーうどんではなく,麺はほぼ日本のラーメンであった。辛さ控えめで,辛いのが大の苦手な私でも十分完食できた。二回食べて二回ともそうだったし,同時に食べた普通のカレーは普通の辛さだったので,そういう料理なのだと思う。ブログにアップするつもりであったのだが,カオソイの写真を撮り忘れたのが痛い。さてそのカレーであるが,インド風カレーと比べるとココナッツミルクがベースになっているため,まろやかで一口目の感触はそれほど辛いように感じない。が,見事にココナッツミルクのクッションに騙されているだけで,魔法が溶けると反動もあって突然辛さに襲われることになる。やはり,辛いものはどうあっても辛い。

そしてカレーだけ辛いならいいのだが,タイ人は何かにつけて香辛料を入れるらしく,何食べてもスパイシーであった。見た目が赤ければまだわかるのだが,カツで閉じられた肉に香辛料がかかってたり,グリーンカレーのような状態だったりすると見た目辛そうに見えないというトラップがあり,飯は常に戦々恐々としていた。トムヤンクンは無論のことながら辛かったのだが,辛いというよりは酸っぱいという感覚が先行し,普通のカレーに比べれば意外にも飲みやすかった,それでも完食はできなかったが。意外な安牌が米類で,インディカ米ではあるのだがモチ米文化でもあるらしく,毎食モチ米であったのだがこれが抜群にうまい。辛さに耐えられ無くなったらモチ米をほおばる方式で,割りと辛さも楽しめたのかな,とは思う。

と,ここまで店屋で食べたものばかりで書いてきたが,夜市などの屋台の食べ物について。まず言うまでもなく衛生的に相当怪しいので,慎重に食べること。さらに店屋のものは現地民向けの店であっても,多少なりとも味がマイルドになっているが,屋台の物はいろんな意味でド直球であることには留意せねばなるまい。その上で言うならまあ,一回くらい食べても人生経験にはなると思うが正直に言ってお勧めはしない。どこでもいいから店で食べよう。

熱帯共通のこととして,フルーツはおおよそ何を食べてもうまかった。マンゴー・スイカ・パイナップルが3点セットで出てくることが多く,スイカは日本のものと変わらないかやや水っぽい。マンゴーとパイナップルは圧倒的に味が濃かった。さて,タイでフルーツと言えばドリアンかと思うが,ドリアンは二回食べて二回とも味が大きく違ったので種類差か個体差が激しいのではないかと思う。一つは強烈な臭さだったが甘みも豊富で,もう一つはそれほど臭くなくて食べやすかったものの「王様」的な風格に欠ける甘みであった。前者は(食べたことがある人なら同意してくれると思うが)とても完食できるような臭さではない。後者はインパクトこそ欠けたものの,普通に食べられる上においしかった。前者は店屋で出てきたが後者は屋台で買ったので,おそらく臭くて食べられないほうが高かったと思う。画像は屋台で買って,屋台のおばちゃんにカットしてもらったもの。


ドリアン



最後に,お酒。ビールが好きならシンハービールを飲んでおけば良かろうが,ビールが別に好きではない私にとってはこの点なかなかつらい国で,ビール以外は日本で飲めるようなお酒しか見なかった。さっき調べたら一応米焼酎も国産のものがあったようだが,旅行中は見つけられなかった。残念である。


(2)へ。  
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2013年02月24日

映画版『天地明察』

原作の書評はこちらに。さて,その映画版である。褒めるべき部分と批判すべき点がある。

先に褒めるべき点から行こう。言うまでもないが,映像美はすばらしかった。天体を扱うものだけに映像は重要で,特に北極出地のシーンなんかは映像化したかいがあったものであった。文章ではどうしても説明しづらい天体観測の器具や実際の日食の様子などは映像のほうが圧倒的に適している。配役についても申し分ない。メイン二人の岡田准一・宮崎あおいを始めとして,関孝和も徳川光圀も違和感のない配役ばかりであり,誰それの演技がつたなかったというとこもなかった。これは原作のある映画ではなかなか無いことで,大いに称賛されてよい。特にあの渋川春海は演じづらかったであろうが,よく原作の雰囲気が出ていた。後述するように瑕疵の大きい脚本だが,最終的に「原作とは別物」とはギリギリで言いがたく,一方的な批判をしづらいのはこの辺りの美点が大きいためだ。

さて,その脚本というかシナリオ改変の話だが,原作が長すぎたということはわかる。2時間半というやや長めの尺でも厳しかったというのはよくわかるので,いろいろな要素をばっさり省いたこと自体は別に批判する気はないし,うまいこと削ったなと思える部分も多い。たとえば,原作の渋川春海は実際には二度結婚しているわけだが,映画では最初からえんと結ばれている。これはわかりやすさのために仕方のない改変と言えよう。序盤の酒井忠清,後半の徳川綱吉・堀田正俊・山鹿素行あたりをばっさり削り,江戸城中の政治的変化という映画では見せづらい部分もばっさりいっているが,これも英断であった。こんなところを説明していたら3時間でも足りないし,そんな絵にもならないシーンを映すなら北極出地の時間を1分でも増やすべきだろう,というのは納得できる話だ。

じゃあ何がダメだったかというと,いろいろ削ったにもかかわらず,全体としては案の定「ダイジェスト」を超えるものにはなっていない。そもそも原作からして詰め込み過ぎた感はあって,一つ一つのテーマは明確ながら,メインはどれなのかというような状態ではあった。だからこそ,そのアダプテーションはすっきりしたものにするべきであって,必要最低限のイベント以外はカットするという手段をとるべきであった。もちろん,それで不満に思う原作読者も出てくると思うが,無難に終わらせようとした結果としてダイジェストでしかない現状よりはマシだったと思う。特に保科正之まわりは削られすぎて,どうして支援してくれているのか映画だけだと把握できない状態であった。

しかも,いろいろ削った割に,無理にエンタメにしようとして原作にはなかったものが追加されているのだから,これを増やすくらいなら削らずに済んだ部分あっただろ,という感想になるのは致し方あるまい。これが良ければ「原作とは違ったけど,削ったかいがあった」で済んだのだが,2つほどどうしようもないのがあるからそうはいかない。以下,ネタバレ。

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2013年02月23日

第219回『天地明察』冲方丁,角川文庫

タイ旅行の飛行機の行き帰りもたせる予定が,あまりのおもしろさに旅行中に読み終わってしまった小説。なお,帰りの飛行機では偶然にも『天地明察』映画版が視聴可能であったので,これを見て帰った。映画版については別記事を立てたいと思う。

というわけで,とてもおもしろい小説であった。歴史小説ではあるが,本質的な所では綺麗な「努力・友情・勝利」でとても少年漫画らしい作りになっている。いやらしさがなく非常にさわやかなのは主人公の性格自体がそうでありつつ,周囲の人間もまた気のいい人たちばかりであり,まさにそうした好漢たちの努力の結晶が,貞享暦の勝利として最終的に帰結する。痛快な物語である。この物語とキャラの明快さはライトノベル由来だとすれば,ラノベも他の小説ジャンルに新風を吹き入れているのだなと感覚を新たにするところである。(というのがラノベも歴史小説も中途半端にしか読まない身の正直な感想であるが,全く的外れかもしれぬ。)

一方で,暦の改訂という一制度上の変更にすぎないものを,政治体制の転換に結びつけて話を大きくしたところは歴史小説らしいところで,うまいこと融合しているとも言える。ついでに言えば,わかりやすい巨悪を設置せず,歴史の重みそのものを敵とすることで,さらにさわやかになっていると思う。その意味では,本作は歴史と科学の戦いでもあるのだが,科学の側に神道や朱子学を味方させることでそこもうまいこと和らげている。特に朱子学は比較的守旧派として描かれることが一般的に多いので,こうした使い方はとても珍しく思えた。この辺りも歴史小説らしい工夫と言えるのではないだろうか。(というところで,映画を見た方には,私にはあの映画が大いに不満だったことは察していただけるかもしれない。)

言うまでもなく本作最大の特徴は主人公,渋川春海の性格である。才能があるのに(それも多才),生まれの事情から卑屈で,読んでいると「君はもうちょっといばってもいいのだよ」と声をかけたくなる。しかし卑屈すぎるというわけではなく,見る目のある人に大業を与えられればそれをきちんとやり遂げていく。挫折と挑戦を繰り返す中で卑屈さはなくなり,どっしりと構えられるようになっていく様子は,歴史小説であり,一人の人生という長いスパンを描けるからこそのゆったりとした成長物語であろう。自らの言をひっくり返すようであるが,少年漫画特有の不自然さといえば,急激な成長の早さだと思うのだ。ドラゴンボールもそこをうまいこと処理しているなと思うが(孫悟空がちゃんと年をとっているので),話がそれてきたのでこの辺でやめておく。


ちなみに,授時暦は元代の中国で,郭守敬という天文学者が作ったものだ。本作でも「正確無比」と評されているが,郭守敬が参考にしたのはイスラームの天文学であった。ユーラシアの大部分を統一したモンゴル帝国では人材の交流が活発であり,特に元朝では西方の人材が「色目人」として,モンゴル人に続く身分制度の二番目に置かれていたことは習った覚えのある方も多いのではないか。続く明朝では大統暦が採用されたことと,授時暦に比べて正確さに劣ることが本書で紹介されているが,実際大統暦はそれほど重要ではない。しかし,本作で紹介されない大統暦の次,清朝の暦は非常に重要である。これを「時憲暦」というが,その根本に使用された知見は西洋由来のもので,伝えたのはイエズス会宣教師の一行であった。成立は1644年で,実は貞享暦よりも早い。日本の改暦事業にも,以後は西洋の知見が取り入れられるようになっていく。世界の学問の最先端がイスラーム世界から西欧に移り変わったことを図らずも示しているのが,極東の暦事情であったりするところも,歴史のおもしろみと言えるかもしれない。


歴史小説であるので史実と異なるポイントがいくつかある。これらについては一通り参照しておくべきであろう。ということで,参考文献の著者(近世数学史)から入ったツッコミを張っておく。 
→ ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から(satokenichilab's blog)
その他,天文学や囲碁の観点からも史実との相違や著者の誤解と思しきところに指摘が入っているので,気になる方はいろいろ調べてみるとよいだろう。


天地明察(上) (角川文庫)天地明察(上) (角川文庫)
著者:冲方 丁
販売元:角川書店(角川グループパブリッシング)
(2012-05-18)
販売元:Amazon.co.jp
  
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2013年02月19日

自炊はする予定ありません(キリッ

・自民党の経済政策について(児童小銃)
・日本の対立軸にはどうして「経済合理性+国際協調」という選択肢がないのか?(ニューズウィーク日本版)
→ 2つ合わせて,げに。内では経済政策を粛々とやりつつ,外では国際協調路線という右派政党はなぜに無いのかと。左派政党は,リフレに反対ならそれはそれとして,なぜ経済政策自体を語らない(争点にしなかった)のかと。
→ 戦前の日本の名誉回復などということに力を注がなくてもいいのである。個人個人で誇りに思うのは自由だ。私自身(当たり前だが)全否定しているわけでもない。
→ しいて言えばみんなの党あたりが一番近いのかなぁ。私はあの政党支持してないけど。逆に言って左派政党は内政でも外交でも,頑迷な理想主義を唱えているだけでは支持は得られまい。
→ ついでに書いとくが,これらの記事に対するはてサの方々のリアクションがそれぞれ違うのがおもしろいかもしれない。上の記事の著者同様に(リフレではないにせよ)左派も経済政策を語るべきだという立場もあれば,「それでも自民党は」という人もおり,やっぱり経済そのものに目が向いていない人もいるわけで。
→ まあ,安倍さんが本当に自身の興味範囲をそっちのけにして経済政策をやってくれるか,という疑問視自体は右派でも大きいので,信頼されてねーな,とは。


・一人暮らしの食費が4,5万で高すぎるという意見(増田)
→ 全く自炊してないけど,付き合いの飲み代を抜けば4万行かないな。(※ 食が細いだけです。)
→ 気持ちはわかる。自炊は大学1年であきらめたよ。本当に自炊で大学生活を過ごしたいなら,まず下宿のキッチンに気をつけよう。電気コンロとミクロな流しだけがついているものを台所とは言わない。無論,それでもがんばって自炊している人はいるが……


・島耕作がしたことは現実のパナソニックに当てはめると全部失敗している(市況かぶ全力2階建)
→ さすがに罪のなすりつけが過ぎるような。「米国映画会社買収、家電リサイクル、ワイン輸入」etcのほとんどは彼が課長・部長時代の仕事だから。主体的に決定したのは中国企業との合弁くらいじゃないか。ホワイトナイトによる三洋合併はむしろナイス予言的中だったし,外れだったともいいがたい。これをスルーしてるのもちょっと。
→ 島耕作の出世理由からグレちゃんが抜け落ちるあたり,ちゃんと読まれずにdisられてんな,と思う。部長,ないし取締役以降の展開が糞で解決策も超ご都合主義なのは否定しないが,課長・部長時代の業績持ってきて「裏目ってるよね」とか,解決策を全部女性のおかげ扱いとかはさすがどうなのか。disっとけば良いという風潮になってないか。島耕作が批判されるべきポイントはもっと別にあるというのに。
→ と,言うだけ言って自分の論評を載せないのはフェアではないので,過去記事を張っておく。 → 島耕作雑感


・「日中誤解」3つの法則 歴史が示す不信解消のヒント(日経新聞)
→ まあ互いが互いに相手の認識が違いすぎてかみあわない感が強い。
→ 最初の指摘にもあるが,文化的・経済的交流はしばしばあったものの,政治的な交流の歴史は断続的でトータルするとそう長くはない。日本人が長いように感じてしまうのは聖徳太子のインパクトの強さかなぁ。1400年も前にあんなことがあれば。でも遣隋(唐)使にしても一方的に受容したところが多いし,政治制度を除けばやはり文化的影響が一番色濃いわけで,白村江の戦い以外は没交渉と言ったほうが。
→ あとは文化的・経済的交流・影響が,政治的なものとイメージレベルでは混同されている,とかが可能性としてありそうな。残念ながらレイヤーが違うので,交流の蓄積にはなっていない。結果的にわかっているようでわかっていないから認識に相違が生じている。こういう極めて広い意味での認識の相違の原因は,中国人の側にもあるのかな。

  
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2013年02月18日

通史も授業でやってほしかったところです

・「フランス笑顔革命:18世紀の歯科医術とアイデンティティ」セミナーまとめ (Togetter)
→ 歯科技術の進歩が笑いの意味を変え,それが絵画にも反映された,という話。なかなか興味深い。
→ 科学技術の進歩が社会を変化させていくというテーマ自体はメジャーなんだけど,こういう細部の話はなかなか出てこない。


・鎌倉幕府は何故滅亡したのか?(Kousyoublog)
→ 封建制社会の安定→貨幣経済発展→地代の相対的地位低下→封建制自壊は歴史上よく見られる現象の一つと言えるかも。他の事例だと春秋末の中国とか,中世西欧の13〜14世紀頃とか。
→ その後の展開はところにより全然違うけど。中国は統一王朝ができたけど,日本はむしろ戦国時代に向かっていったわけでね。
→ 1〜3は日本の特殊事情かな。1はまだ唐末五代の中国に類似例を見つけられる気がするけど,2は日本特有の恩賞システムのせいだし,3は天皇の話なので。


・美術史の教科書 まとめ (Togetter)
→ 駒場のうちに読んどけ:『まなざしのレッスン』,日本美術史:辻惟雄の『日本美術の歴史』,東洋美術史:そんなものはない,西洋美術史:そもそも通史の授業なんてない だったかな。今はどうか知らない。
→ 基本的に「大学は特殊講義をするところ。通史は自分で学ぶもの」というのがあの人たちの姿勢らしく,『まなざしのレッスン』からして通史の本ではない。辻惟雄の『日本美術の歴史』が唯一の例外だったが,それを用いた教官自身の書評は,次のamazonにあるコメントの通りである。 → 『日本美術史(放送大学教材)』佐藤康宏,放送大学教育振興会


・(勝手に)アニメ流行語大賞を決めよう!2012
→ かなり妥当な感じ。「わたし,気になります」は『氷菓』を見てなかった人でも聞き飽きたレベル。「(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!」はまったくアニメ見てない人のtwitterでも使われていて驚いた。これらが1・2フィニッシュなのは当然だろう。5位の『中二病』のセリフは長い割には流行したと言えると思う。
→ 自分の観測範囲だと,20位まで見て4位の『男子高校生の日常』と8位の『K』のは聞かなかったくらい。あと7位の「闇の炎に焼かれて死ね」は「消えろ」の間違いではないだろうか。

・9万人が選んだ『ネット流行語大賞』 金賞はアノ言葉
→ あわせてこちらも。昨年一年間のネット流行語を一言でまとめると,「なんJ語の躍進」ということになるかと思う。(迫真)(震え声)あたりは使い勝手が良すぎてつい使ってしまう。淫夢語の時点では使いづらかったが,なんJ語に合流して使い勝手が増したところはあるように思う。この辺りの事情はパンツレスリング用語が妖精哲学に昇華されたことで「許された」のとよく似ている気がするが,どうか。
→ 「ステマ」は良くも悪くも大賞だねぇ。「ナマポ」も同列か。
→ アニメ系だと,やはり「うー!にゃー!」は入っているけど,下半期は失速したかな。1クールのアニメはこういうとき辛い。「シャバドゥビタッチヘーンシーン!!」あたりも割と一過性だった。「Anotherなら死んでた」は汎用性の高さで,アニメよりネットで評価された感じ。この辺が順位の違いだろう。  
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2013年02月17日

非ニコマス定期消化 2012.9月下旬〜10月上旬



最悪の状態が本当に最悪の状態だった。「サガフロ2は詰みゲーじゃない!」これほど説得力のある動画はない。……でもエッグは詰みポイントだと思うな。この動画は知識と根気と運の賜物なので。



あまりの長さにTASが作られて来なかったDQ7。とうとう挑戦者が現れたものの,まだまだ初戦闘までが遠い。そうこうしているうちに3DS版発売の報に,やりこみ実況の開始。盛り上がってきたところだが,TASは続けるか。





それが愛でしょう。ええ,愛ですね。



音源からして貴重すぎる。



名作MAD。曲が麻雀をイメージして作られただけあってピッタリ。



こっちは同曲で阿知賀編。



途中まではドラが17個も乗りそうにない展開だったのに,勝負は14巡目から突然動き出す。なんというかまあ……むやみに槓はするものではない。





久々にやって来た,盛り上がるニコニコメドレー。



当然,「忙しい人のための」が作られ。



歌われる,と。
  
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2013年02月16日

ハーベストタイムの実験をしてみた……はずだった

正月に,『咲-Saki- 阿知賀編』のハーベストタイムの実験を友人たちと行ったわけだが,その報告が遅れていた。理由は2つある。まず,ぶっちゃけて言うと実験結果が微妙で,2回ともハーベストタイムに失敗したということはまだ良いとしても,麻雀自体が突飛な結果に終わってしまい何の実験をしていたのかわからないような状態だからである。ハーベストタイムについては実験より回数を増やした統計のほうが必要ではないか,とは思った。もう一つの理由として,ハーベストタイムについては実験しやすいからか,多くの実験結果報告がある。自分が見つけただけでも3つ。

・渋谷尭深さんの能力で打ってみた(マンガソムリエ兎来栄寿のブログ 先刻の箚記(さっきのさっき))
・収穫の時(迷子の坊やのみちくさ日記)



正直,この微妙な実験結果で,試行回数2回で何か書いても何のインパクトもなく,咲研究に貢献するところも無かろう。というわけで,どうして実験が失敗に終わったのかという得点のやり取り表と寸評だけ書いてお茶を濁しておきたい。

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2013年02月15日

第218回『ゴシックとは何か 大聖堂の精神史』酒井健,ちくま学芸文庫

本書を読むきっかけとなったやり取りについて,先に書いておきたい。それはある日twitterでこのようなtweetを見かけたところから始まる。

「12世紀のドイツ、フランスじゃあ人口の9割が農民、そのうちのほとんどが非キリスト教徒、という記述を読んで、ほおーっと思う。4世紀末にローマ帝国国教化、と話したから、ヨーロッパ全体がそこですっかりキリスト教に染まると勘違いしている学生が多そうだな。」

え,いやそんなはずはないだろう,というのが初見での感想であった。後半の感想もおかしい。4世紀末での国教化時点でローマ系住民はかなりの割合で改宗しているはずで,ゲルマン人に対してもアリウス派の布教が広まっていたはずである。そしてカトリック教会もゲルマン人への布教は熱心に行なっており,だからこそクローヴィスのアタナシウス派改宗やグレゴリウス1世は重要人物として歴史に名を刻んでいる。

ではこの情報のソースは何かというところで,本書が紹介されていた。そして著者名を見てまた驚いた。酒井健氏はバタイユ研究で有名な方で,そうそういい加減なことは書かない人だからである。ただし,本職とは別の分野であることはやや気にかかった。この本は後日読むこととして,TLでとある方と話し合って出た結論としては,

「実際に聖職叙任権闘争が解決するまでは,まともな(カトリックの)聖職者が存在しない地域(教区)も多かった。いわゆる冠婚葬祭の形式統一が図られ,生活にカトリックが浸透するのは中世末のことであった。また,13世紀まではまだカタリ派などの異端も生き残っていた。これらのことを考慮すると,表面的・アイデンティティとしてクリスチャンであっても,実態として異教徒であった人の割合が12世紀時点で90%であったということを言いたかったのではないか

ということであった。で,本書を読んでみた結果としては,半分ほどはこの結論で推測として間違っていなかったようである。該当部分を引用する。

「大開墾運動の始まる十一世紀半ば,フランスの総人口の九十パーセントは農民だった。そして彼ら農民のほとんどは非キリスト教徒であった。たとえキリスト教に帰依していても,それは表面上で,生活の中で彼らは異教の信仰と風習をしっかり維持していた。」

元tweetが間違っている点を指摘するとすれば12世紀とは本書に書かれていない点で,実はこの100年の違いは大きい。1050年から1150年の間に中世ヨーロッパは大きな変化を遂げているからだ。大開墾が進み,商業が復活し,叙任権闘争が起き,十字軍が始まり,レコンキスタが激化し,12世紀ルネサンスが始まった。そしてまさにこれらを要因としてゴシック様式が生まれたのがこの期間であった。(中世ヨーロッパの社会変化については以前書いているので,そちらの記事参照のこと。→ 中世ヨーロッパの11世紀以前・以後)ところで,あえてリンクを張らなかったがこの元tweetをした人,どうも学者のようなのだが,この辺のことを知らなかったとするとすさまじく危ういような。中世ヨーロッパ史の根幹がすっぽ抜けているわけで。


閑話休題。ともあれ本書は決して怪しげな本ではなく,やはり信頼できる著者によるちゃんとした精神史の書物である。前半はゴシック様式の誕生した経緯について,精神史の観点から説明している。すなわち,「森林から抜け出た元農民たちは,都市でも母なる森林を必要とした」結果としての高層・過剰装飾・列柱のゴシック様式なのだということを語っており,様々な論拠を挙げていて強い説得力を持っている。特にバタイユを引いて聖性の二極面を説明し,死や自然への畏敬が教会へ入り込んでいったことを紹介したあたりは,とてもこの著者らしくて良い。

しかし1つだけケチをつけるなら,精神史を焦点としているといえど周辺的な事情についてはばっさり省いた説明になっている点を挙げておかねばなるまい。商業の復活と都市人口の増加により城壁の内側の面積が不足し,高層化の傾向が強まったこと。その延長線上にゴシック建築があることや,建築技術の発展はイスラーム文明の流入(12世紀ルネサンス)に負うこと等もほとんど記述が無い(12世紀ルネサンス自体は「スコラ学とゴシックの関連性」のところで触れているにもかかわらず)。完全に精神史に焦点を当てたはいいがそれで全て説明しようとしているところは,危うい。何より叙任権闘争に関連する事項は全くと言って記述が無かった。叙任権闘争があったからこそ教会は教義や儀式を西欧中に行き渡らせることができたのではなかったか。ずらずらと説明しろとは言わないが一言二言添えるだけでも違ったはずで,よく知らずに本書を手にとった読者が,(それこそ上記のtweetの類の)勘違いしないか心配である。

後半はルネサンス以後の精神史,ゴシックに対する毀誉褒貶を追う章となっている。こちらもおもしろいし,簡潔にまとまっている。こうして読むとルネサンスはゴシックの反発として全てをひっくり返しているなぁと。宗教改革はまだしも,ルネサンスがこれだけ残念系で語られる書物もなかなか無い。ゴシック=リヴァイヴァルの部分ではイギリスの庭園文化やピクチャレスク・廃墟・崇高などにも触れており,アレグザンダー・ポープやジョゼフ・アディソン,エドマンド・バーク,ホレス・ウォルポールといった,イギリス園芸について調べたことがあれば必ず知っている面々の名前も上がっている。この辺りの簡潔なまとめとしても優れている。一方,ところどころに著者のど直球な感想が入り込んでいるのも興味深い。特に宗教改革ではカルヴィニズムにはかなり手厳しい記述になっているが,著者は何か恨みでもあるのか。「エッフェル塔は崇高ではない」という著者のコメントも,これ自体意見の分かれるところだろう。


ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)ゴシックとは何か―大聖堂の精神史 (ちくま学芸文庫)
著者:酒井 健
販売元:筑摩書房
(2006-05)
販売元:Amazon.co.jp
  
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2013年02月13日

ほんとなんでだろう>蛇口から飲む猫

・小中学生の嫌いな料理 「うなぎ」が2位にランクイン (痛いニュース)
→ 中国産かどうかは別にして,安いのはゴム食ってるとしか思えないのがあるのは事実なので,大きな原因の一つではあると思う。そもそも子供の食べ物ではなく,普及しすぎて子供も食べてしまうのが嫌われる原因,というのもけっこう納得のいく理由。
→ もっとも,振り返るに自分はけっこう子供の頃から鰻を食べていたような気はするが。愛知県民(というよりも三河民)の風習ゆえか。


・勝っても負けても、完全燃焼の20秒。前頭4枚目舛ノ山、相撲人生の刹那(Number Web)
→ この人は幕内に入った途端,ほとんどの好角家が名前を覚えたと思う。
→ タイトルの通りの取組をする。何かしら感動するところがあると思うので,普段相撲を見ない人にも一度見てほしい。


・純白のカラス出現 突然変異か 島根(朝日新聞)
→ 世が世なら吉兆として史書に残るレベル。「場所的に出雲だし,旧暦なら神在月だからこのカラス自体が神様」という指摘有。
→ アルビノかと思うのだが,そうであれば目が赤くなるから違うのでは?という指摘もあり。興味深い。理系(?)的にはそんなことより「ヘンペルのカラスが覆された!」とつっこみたいところらしい。リアクションが真っ二つに割れていた。


・早大、学部生を2割減 今後20年の長期ビジョン公表(日経新聞)
→ 少子化の中で集客増狙い,既存のブランド名を活かした定員増,しかし結果として偏差値が下がりブランド価値が低下,より集客効果を狙って……というスパイラル。
→ 早稲田が一番激しいにせよ,どこの難関私大でもある傾向なので,早稲田が定員減という方向に舵を切ったのは興味深い。ブランド価値の維持の側に均衡がよったと判断したか。


・タイのアニメ同人絵がカオスになってた…伝統の画風で描かれたアニメキャラいろいろ(らばQ)
→ これも一種の現地化か。現地としてもネタではあるのだろうが。
→ その意味で,東方キャラ浮世絵風と同じ空気を感じる。 →これ。
→ そういえば,タイ旅行記でタイにしっかり日本のダメっぽい文化が根付いているという話を書こう書こうと思ってすでに一ヶ月近く経っているまずいなぁ。幸い記憶は割りと鮮明なのだけど。


・猫が蛇口から水を飲みたがるのは何故? (暇人速報)
→ あったあった。うちの猫も蛇口ひねるとそこから飲んでたわ。画像にすごく既視感がある。あれなんなのでしょうね。そんなに溜まった水が嫌なのか。


  
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2013年02月11日

咲関連の気になったもの(12年9〜11月頃)

このはてブからのリサイクルでなりたっている日記記事ではあるが,咲ネタだけ別枠でやることにした。そのほうが語りやすいので。


・宮永咲のプラマイゼロに関する仮説と次回の予想(私的素敵ジャンク)
→ 咲さんのプラマイゼロについて。
→ 宮永咲は点数調整能力が先にあって,符計算の都合上嶺上牌の支配が後からついてきたものだと思う。末原先輩については,あの半荘2回を見る限り全ての点数のやり取りに絡んでいるので,これはこれで一つの能力(特性)ではないかと。だとすれば,咲との相性は極限的に悪い。(末原さんの得点推移はこの記事参照。他にもどこかのブログでそういう説を見かけた気がしたのだけれど残念ながら失念してしまった。)
→ 咲の精神状態については,マホちゃんのアレから実は立ち直ってないことに加えて姉との物理的距離が近いこと,さらに末原先輩の特性があいまって,ああなっていると考えている。


・咲-Saki-のキャッチコピーを考えよう(咲-Saki-ほんだし -)
→ 「今日は何ツモろう」。改めて見るに,これはストレートで本当に良いと思う。言葉もいいけど画像もすばら。この言葉がぴったり来るのって,やっぱりこの二人だ。照だとちょっと悲壮感を感じてしまう。
→ あとは「雀卓で作る,青春がある」は好きかな。


・あの宮永照に追っかけリーチで直撃喰らわした美少女雀士(やるじぇい!)
「オーラス、お茶のここまでの捨て牌は四喜和狙い、 北家がはっちゃん、ドラ表示牌は南、そんな泥沼の戦い
たぶんクロチャーが西抱えてカンもできずアガれないよーと涙目になり はっちゃんはナイナイそんなのと意地になり お茶は何が起きてるのか理解できず
頑張り屋さんの姫様がピンフのみでアガる、そしてラスを引く 」
→ ナニソレこれ超見たいw
→ 誰の支配力が優先されるのか。縛りのきつさから言えばたかみー,魔物に近い存在という観点からははっちゃん,思いの強さからいえば玄。誰が勝ってもおかしくない。石戸さんか姫様が入ったらそっちが優先されそうだけど。


・愛宕や加治木や福路って言うほど非能力者か?(やるじぇい!)
→ 方向性の無い豪運を「能力」と呼ぶか問題。自分としては呼ばない。
→ キャップの観察眼は一種の能力だと思うけど(開眼は情報収集完了の合図),かじゅや愛宕姉,セーラは単なる豪運じゃなかろうかと。


・咲-Saki-の大阪代表2校には何で能力者いないの?(ヒーローチャンネル)
→ >>564-565あたり,あとコメ欄の>>13は自分の考え方と近い。特にコメ欄の>>13のいう「基礎雀力型」は,やはり異能とは呼べないと思う。
→ りつべは名門校に強いノーマルを配置している気がする。 大阪の二校は典型的で,怜さんは後天的だし,スズと末原さんは持ってても気づかれていない感じ。
→ 愛宕姉も完全な無能力者とは考えづらいけども,ひとまずは持ってない分類だしね。あとは竜華さん次第かなぁ……と思っていたら枕神とか出てきて困惑している。どうしたものか。


・竹井久に最もお似合いの女性キャラ決定戦:第15回アンケート結果発表(咲-Saki-まとめアンテナ )
→ キャップの病気コメ読みにすっ飛んできました!まキ病抜と言わざるをえない。ともあれ,この人気投票はおもしろかった。どうして部長こんなタラシになってしもたん……いやまあ,はるるへの対応が一番典型的な原因だとは思いますが。部春が部長のたらし疑惑を加速させたところは大きいだろうなぁ,あの短いやり取りで笑顔にさせちゃうんだもの。
→ 実際のところ現三年によるインカレ編は読みたい。10年後くらいに期待。
→ なお,DGさんは加治木さんに入れた模様。性格は一番合うと思う。まあ因果の力でまこやキャップに負けてるけど。国広君と和と咲とタコスは選択肢に欲しかった気がする。
  
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2013年02月09日

会田誠展に関する議論周辺雑感

・退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感(Ohnoblog 2)

私はこの大野さんの記事の論旨に納得したクチなのだが,はてブやtwitterの反応を見るに一般的にはそうでもないらしい。どころか,抗議した側の人間から本記事は「的外れ」であるという指摘があったようだ(後述)。それでまあ自分でも見に行ったので,ぼちぼち短くぼやいておこうと思う。なお,会田誠展への抗議そのものは上記の記事からのリンクで読めるので,本件について全く知らない人はそちらからどうぞ。


メタブにも書いたが,私がこの記事への反応で一番驚いたのは「筆者の主張とは無関係に「表現の自由は擁護されるべきだ」という主張が出てくるあたり」である。言うまでもなく私も撤去には反対だが,「今回の抗議はそういう問題ではない」ということを主張したのがこの記事であったのだから,はっきりと言えば記事が読まれていないも同然であった。

今回抗議した団体の最終目標が,「二次元を含めたポルノの封殺」にあるのはおそらくその通りだろう。二次元だろうとポルノ自体がダメ,女性蔑視につながる(と彼らが判断するもの)は全面的にアウト,というところが裏にあって,それが透けて見える抗議だからこそネット民の反発は大きく,これに対する反論ならば掲げるのは表現の自由で良かろう。ただし,今回の抗議そのものに限れば焦点はそこではないように思われる。上記の記事も引用しているように,

「このようなものが、同人誌にこっそり掲載されているのではなく、森美術館という公共的な美術館で堂々と展示され、しかも、各界から絶賛されているというのは、異常としか言いようがありません。すでにNHKの「日曜美術館」で肯定的に取り上げられ、最新の『美術手帖』では特集さえ組まれています。」

と抗議文にある。もう一箇所引用すると

「森美術館のような、公共性をもった施設が堂々と公開し、宣伝し、多数の入場者に公開していることは、このような差別と暴力を社会的に公認し、それを積極的に正当化することであり、社会における少女の性的搾取、女性に対する暴力と差別、障がい者に対する侮蔑と差別を積極的に推進することです。」

というのもある。繰り返していうが,無論のことながら彼らは会田誠の作品そのものも問題視している。が,それと同時にこれを展示した森美術館も問題視している。そして抗議の要求は「女性の尊厳を著しく傷つける諸作品の撤去」である。ひとまずのところ,会田誠に「描くな」と言っているのではなく,美術館に「展示するな」と言っているのにすぎない。

すなわち,抗議の本体は「美術館という権威が取り上げることの問題点」である。大野さんの記事で「つまり抗議側にあるのは、「性差別表現がアートとして堂々と提示されているからこそ一層問題である」という考えだ。」とある通り。美術館(そしてアート)が権威(=公共性が高く,社会的に肯定されている・絶賛されている物を展示する場所)で無いならば,こんな抗議は無意味だ。だからこそ自然と焦点は「アートだから許される・許されない」になり,それって歴史的に何周目だよ的な話で,これは退屈だという大野さんの記事は,とても納得のいくものであった。

加えて言うならば,いきなり最終目標を主張してもどうしようもないという分別はあの団体にもあって,第一歩として「社会的に地位の高い芸術の分野から疑問符をつけて社会の風潮を変えていこう」というもくろみがおそらくあって,こういう抗議になったのではないか。戦略的譲歩と言うべきか。抗議文書に対するブコメに「同人誌ならいいのかw」というコメントがあったが,実は鋭いコメントだと思う。


そういうことを考えながら展覧会を見に行っている間に,抗議者側が集会を開いており,twitterでの報告をまとめたものがTogetterに上がっていた(「森美術館問題を考える討論集会――問われる表現の自由と責任」昼間たかし氏と渋井哲也氏の実況を中心としたツイート )。いわゆる又聞きの状態であるので言及するのは心苦しいが,看過はできない。ここで取り上げるのは大野さんの記事に対するコメントである。

森田「(大野さんのブログの話)こーゆースタンス、よくありますね。まあ、あのすごい勘違いがあるんですが、この人の意見によると、私たちが、ああしたアートとして〜が看過できないのだ……というのは、抗議文には書かれていないんですよね」
森田氏「美術館も抗議する側もどっちもどっち、という言説も見られる。アートとして美化するのはナンセンスですが、アート=良いもの、の前提で批判しているのではないか、との偏見がある。アートであろうが、なんだろうが、性暴力的な表現を堂々と公共性の高い美術館で展示し、絶賛するのはおかしい」


要するに,大野さんの指摘は的外れであると言いたいようだ。大野さん本人は「書いてないこと読み込んじゃった」と反応していたが,私の解釈はちょっと違う。「アートであろうが、なんだろうが、」は本音なのだろう。だから”アート=権威だから批判したんでしょ”と指摘されたら,思わず本音が漏れてしまったのではないか。ただし,私はここにいちゃもんをつけるつもりはない。実際この場面は本音・最終目標を主張しておくべき場面だからであって,ここで「はいそうです」などと言うのは腰が引けていると見られても仕方がない。

しかし,彼らの抗議の「(展示における)女性の尊厳を著しく傷つける諸作品の撤去」を成り立たせる理屈は何かというと,今回に限れば「(ただでさえ許せないブツなのに)”公共性の高い美術館で展示し、絶賛するのはおかしい”」の部分である。そういうことを言いたかったわけではないのであれば,あの抗議文はおかしい。あれほど公共性や社会的評価に対する糾弾を強調するべきではない。

類推に類推を重ねる形ではあるが,おそらく本音である「(女性蔑視と受け取られる可能性のある)ポルノの全面的封殺」と,当座の目標のために立てた理路の整理が,批判側の中でついてないのではないかと思う。Togetterを見るとこの後段に芸術家特権論に対する批判が出てきて「アートであるかどうかは無関係に悪いものは全部ダメ」と主張していて,それはまあその通りだろう。カオスラウンジのときの騒動でも見られた態度だ。しかし,この理屈を通して本音の側が駄々漏れになると,だったらなぜあれほど美術館の公共性や作品の社会的評価の高さを理由に挙げたのか,ということになる。こうなると当座の理屈のほうは苦しくなる。

抗議側はまず,「本当は全面的にダメだけど美術館だから余計にダメ,だから抗議した」のか,「本当に全面的にダメで,たまたま森美術館が目立ったから抗議した」のか,はっきりさせるべきだ。後者でいきたいなら抗議文は改めるなり追記すべきであるし,その反論も今度こそ「表現の自由があるしゾーニングしてるから十分だろ」になる。しかし,それってひょっとして「アートだから許される・許されないの議論」並には陳腐な議論なんじゃないの?という気もするが。私自身も堂々と森美術館の擁護側に回れるので,そのほうが気楽である。(まあそもそもの私の主張は,展評の方にも書いたが「会田誠の作品は性差別称揚してないんじゃ」ではあるのだけれど。それは言ってもしょうがないので。)  
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2013年02月07日

会田誠展雑感

artist_01会田誠展に行ってきた。どちらかというと例の批判に対して言及したくて行ったのだけれど,行けば行ったなりに展覧会そのものにも感想は出てくるものだなと。少し会田誠に対する評価が上がった。現代芸術に対する批評は苦手分野だが,まあ。要点は2つ。


まず,会田誠の作品というと絡みたい対象がわかりやすく,よくも悪くも薄っぺらい印象を与えるものであったが,これは自覚的に行われていたということだ。まんま本人が「本質ではなく表面を描く」と言っていた。しかし,その薄っぺらさが不思議と現代日本社会を映しているように感じなくもない。これは現代社会が薄っぺらいというのではなく,現代社会の雑多さを一面的に切り取ると確かに薄く感じられるように加工することは可能ということで,会田誠はこの「雑多さ」自体にも注目した作品がいくつかあった。

一番わかりやすかったのが戦争画returnsのシリーズで,これは正直に言っておもしろかった。他の作品はともすればありがちな社会批判・反権威主義としても捕えることが可能で(おそらく本人にそのつもりはないわけだが),薄っぺらさが本当に何もないただの薄さと感じることもあった。戦争画returnsシリーズも一作品ごと単体で見るとそうした雰囲気がないわけではないのだが,シリーズでずらっと見て「あーこれ別に確固とした批判精神があるわけじゃないんだなー」ということがわかったところで最後の作品のキャプションで「僕にとって太平洋戦争とは、煎じ詰めれば「意味」ではなく「抒情」なのだと悟った」と来る。確かにこれは批判でも茶化しでもなく,ただのセンチだ。ただし,センチだからこそ芸術性を保っているのであって,批判や茶化しであればこんなにつまらない作品はなかろう。ところで,戦争画returnsのシリーズに広島原爆ドームとパルテノン神殿を重ねて描いたものがあったが,これはアメリカン・サブライム的なものが背景にあるのだろうか。それとも偶然か。

で,こうした総花的・過剰装飾的な作品の最たるものとして《モニュメント・フォー・ナッシング掘佞覆觝酩覆あり,巨大な熊手型の壁面をアキバ系のイラスト他の切り貼りで埋め尽くし,真ん中にリスカしている少女を配置したものだ。で,この作品2009年と比較的新しいのだが,キャプションにある通り本当に秋葉原から素材を調達しており,見たことがあるような同人絵が大量に勝手に使用されていた。ダメ図像学力を発揮してみたものの,作家は"あずまゆき"くらいしか特定できず,使われていた作品も『ハヤテのごとく!』と『涼宮ハルヒ』くらいしかわからなかった。無念極まりないのでどなたかにリベンジを頼みたい。ただし,ほとんど顔しか写ってないので作家の特徴や持物不足でわからなかったというのはあった。……という話ではなくて,カオスラウンジがダメならこの作品もダメなんじゃないか,とはちらりと。無論のことながら「宣言」のあるなしは大きく違うのだけれど。



ということで2つ目の美少女の話に移る。これもぶっちゃけて言えば本人の語っている通りなのだが,彼の美少女観はある種のアキバ系オタクにかなり近いところがあるように思った。このへんは主語を大きくしてもしょうがないので,あくまで「私の考えるある種のアキバ系的思考」ということにはなるのだが,そこはご了承いただきたい。と前置いた上でだが,少なくとも私の考える美少女観には近く,その意味で村上某よりは多少なり我々の側に近い。

理想化された「美少女」とはイデア的であるのだが,これは案外とあっさり平面上に顕現してしまう。無論のことながらこれは,性的欲求の対象であるからこそ産業化され,大量生産されているという必然性は前提となっている。一方で,性的欲求にとどまらない,憧憬的なもの(正しい意味でのエロスかもしれない)を見出したからこそ,我々は「萌え」とかいう言葉を生み出したのではなかったか。これがド直球に来た作品が《滝の絵》である。スク水を着ているのはポイントで,言葉にするのも野暮なレベルではあるが,スク水とブルマあたりは二次元美少女という概念の持物ないし象徴となっているところはあるだろう。

が,同時に我々はそれが「イデアでありながら簡単に顕現する」こと自体が大きな矛盾をはらんでいることに自覚的で,実際にはそれが平面に過ぎないこともマスプロダクトの儚い製品であることも,知っているのである。おそらくこの路線で描かれたのが,ぶっ壊れ気味の美少女の羅列である《ジャンブル・オブ・100 フラワーズ》だろう。しかし,結局そうした儚い存在に,性的に・もしくはそれ以上に依存し・使ってしまっていることに対して,多少なりとも自己嫌悪なり自嘲なりといった感情も,我々に無いわけではない。だからこそ攻撃的に,虚無主義的に美少女を汚したり,破壊したくなる。《ジャンブル》でもそれは現れているが,まあ話題になった《犬》シリーズでもそれは顕著に見えた。あの絵の中の美少女が笑っているのはマネの《オランピア》同様に挑発的だ(というと言い過ぎになるが)。わざわざ隣に「美少女という文字(概念)だけで自慰できるか」にチャレンジした映像作品を配置したあたりにも,そのような意識を感じた。

とまあ,ここまで書いてくると褒めているように見えるが,実際のところ《滝の絵》はともかく,後段の諸作品に関してはちょっと退屈であった。なぜなら,これが特権的な主張であるならば芸術作品である必要もあるが,そのような意識を突いた作品は”アート様”でなくとも巷にあふれており,わざわざ芸術として主張する意味合いが薄いような気がするからである。ともすれば,村上某と同様の簒奪ではあるまいか。それでも怒りがわいてこないのは,あちらのような曲解が見られないからか,と自問自答した。


ともあれ,このような解釈が前提にあれば,あのような程度の低い批判は出てこないはずで,それこそ《オランピア》あたりからなんも進歩してねーなと思ったりもする。もっとも,おそらく批判者の本音はかくのごときイデア的美少女の全面的駆逐にあるとは思う。この話については近日中に別記事を立てたい(と言っても大したことは書けない)。

一方で,ゾーニングの甘さは指摘されても仕方ないかもしれない。基準をどこに置くかという話で,確かに最上級に刺激の強いものは隔離されていたものの,内臓の飛び出た美少女の作品や,女性器が無修正に描かれた作品が隔離されていなかった。成人向け同人誌の基準でいえばアウトである(=わいせつ物扱い)。《ジャンブル・オブ・100 フラワーズ》のように抽象化されているものや《ジューシーミキサー》くらい振り切れているものを出されるともにょるが,《大山椒魚》はスジが見えたので厳しいかもしれない。

クールベの《世界の起源》はどういう扱いになるんだろう。自分が浅学なだけで議論自体はまず間違いなく終わっているはずだが,これが一つの基準になるのかな。
  
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2013年02月03日

東方曲でもやってほしい(他力本願)

・なんと東大法学部が初の定員割れ法曹志望、公務員志望減少が影響か(ダイヤモンド・オンライン)
→ 進振りは水物なので,1年の結果で動向がわかるものでもない気がする。時と場合により,大人気学科でも底は割れる。理物とか。
→ 法曹・公務員の不人気はおそらく事実だが,それでもむしろ,この一時的であろう現象をそこと結びつける方に危惧を覚える。そんなに公務員叩いて楽しいか,と。


・ジャンルコード別サークル数一覧(C77〜C83)と冬コミ告知(Myrmecoleon in Paradoxical Library. はてな新館)
→ ギャルゲーはモバマス効果で回復,東方は微減傾向続く。型月はさりげなく増加を維持し,Fate/Zero効果が持続。まほよはそれほど影響を与えていないと思う。
→ 黒子のバスケ激増。一方,NARUTO・ワンピース・銀魂・REBORNは激減。ヘタリアも減少。タイバニは微減ながらも1千サークルを維持。最近の女性向けは男性向けばりに変動が激しい。「女性向けは男性向けほど三ヶ月で嫁が変わるわけではない」というのは,今は昔か。


・「尖閣諸島で挑発行為を続ける中国の狙いは海上自衛隊をおびき出すことだ」海上自衛隊幹部学校長インタビュー(木村正人) (BLOGOS)
→ 確かに冷静で安心する記事。
→ はてブ等の反応を見ると,田母神さんの残したものの大きさを負の意味で感じる。相当自衛隊の信用落としたよなぁ,やっぱり。あの人は割りと突然変異だったと思うのだけれど,それにしてもなぜあれだけの地位になれたのか。


・三国時代の魏蜀以外の中国史について(Togetter)
→ 中国美術史もドマイナーだしね。日本美術や西洋美術に比してもマイナーだし,単純に中国政治史と比してもマイナー。
→ 政治史や社会経済史でマイナーと言っている方に,そこらへんどう考えてるか聞いてみたい。半分くらい嫌味で。


・猫に関する人気ボケて(bokete)まとめ(〓 ねこメモ 〓)
→ いやほんと,猫はシュールな笑いに強いよね。
→ 「いつもよりやけに多い餌を全て平らげた翌々日、飼い主が旅行に行ったということに気が付いた。」これは本当にあるw,なんとなく感づくものらしく。んで,帰ってくるとすねてる。


・ニコニコメドレーにおけるアイマス関連楽曲の使用状況を調べてみた(めぐりあいクロニクル)
→ 良い調査。ごまえーはアイマスを代表する曲扱いだと思う。キラメキラリ・もじぴったんとあわせてやよい強い,という意味合いも強い。
→ プリブラは別の意味でアイマス(ニコマス)を代表する曲かも。アイマスとは全く関係ない曲を,アイドルに躍らせるというPVで,最も有名な曲という点で。
→ エージェントはとかちだなぁ。「乙女よ大志を抱け!」が意外と強い。指摘の通り,傭兵Pのアレ効果だろう。
→ 逆に,relationsはシリアスすぎて知名度の割に使いづらいし,Do-Daiは出足が遅かったかな。一方,「空」は知名度の割に良い曲だから使われているところはあると思う。ここら辺はバランスの問題というやつで。
  
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2013年02月02日

メッセがなくなるのはそれなりに寂しい

・“教職員定数 5年で1万人削減”案(NHKニュース)
→ まあ教育の質ではなくて,教員の負担の問題よね。その点でこの政策は賛成できない。リアルとネットを問わず多方面から教員のブラックさが聞こえてくるので他人事ではない。財務省の「文部科学省が目指している少人数学級の実現は必ずしも教育の向上につながらない」は論点がずれている。文科省が増やす方針なだけ救われる。
→ それはそれとして,少人数学級は共産党がやたらと推しているが。学力向上だけ考えるなら家庭教師がベストなので,それに近づけるに越したことはないだろうし,面倒も見やすくなるとは思う。が,一方記事でも出ていたようなクラスサイズパズルのような議論もあるようで,よくわからない。以下の資料を見ると,確かに学級規模と学力に相関関係はないように見えるが,お国柄もあるだろうし要素が多すぎて断じるのが難しい。
→ 財務省側の資料(pdf)。一方,少人数教育を推す側の資料としてはこれとか,これとか。


・少子化のミステリー(Meine Sache)
→ 19世紀フランスの人口増加率低下の謎について。
→ ここに挙がっていない理由としては,「フランス革命とナポレオン戦争による荒廃」というか,若い男性の戦死者が多すぎて人口ピラミッドが歪んだから説も聞いたことがある。真偽の程は不明。


・議会民主主義の制度は、「人民の考えはけっこう間違う」という前提で設計されている―法哲学者・大屋雄裕インタビュー (BLOGOS)
→ 恐ろしく同意なので。それが保守主義の要点の一つでもある。人民というか,人間は間違えるし,つい短期的な利益を追求しがちである。
→ 「現在この時点の我々が短期的に「これがいい」と思ったことを集めて政治を行った場合、どのようなことが起こるのでしょうか? 歴史的に見れば、おそらく黒人差別や女性差別はなくなっていないでしょう。」まさに。


・マイクロソフトがメッセンジャーを来年終了、Skype に統合(Engadget Japanese)
→ こうなる気はしてた。
→ メッセンジャーはよく使っていた。が,年を追うごとに改悪され,だんだんと離れていった。
→ スカイプと統合か……悪くはないんだけど,twitterからそっちに戻るかと言われると……スカイプもアカウントはあるけど,結果的にあまり使っていない。結局twitterが一番便利だなー。内々の話するときだけ困るので,そこでスカイプになるかな。


・ゆきちは(Togetter)
→ 雪歩自体が百合を誘発しやすいキャラだよね,とは。
→ 加えて言えばゆきちはは両方重いので,そこら辺がエロさにつながってると思う。infernoでこの二人を起用した公式はよくわかっている。これは,はるちはでは春香が千早を救済”してしまっている”からこその好対照。ゆきまこも,真がかなりさわやかさを含めてしまっているので。
→ やよいおりも絶妙にエロいけど,あれはロリ×2という背徳感に負うところが大きい。
  
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