2016年11月30日

稀勢の里が大相撲の歴史に名を残した場所

混戦になるかに見せかけて,さらっと鶴竜が優勝した場所であった。しかし,そこに鶴竜の成長が見られるとは思う。場所の雰囲気が混戦になったらそれに巻き込まれるのは,どんな力士でも割りとある現象である。鶴竜も稀勢の里に敗れて1敗に下がった時には,そうなりそうな雰囲気があった。しかし彼は踏みとどまって,最終的には抜きん出た成績を残すことになった。「自分は自分である」として相撲が崩れなかったのは立派であり,先場所の豪栄道のような独走とはまた違った強さであると思う。見どころが序盤から中盤にかけて変遷したが,最後は全て鶴竜が持っていったというのは,何か不思議な爽快感があり,一年の締めとしてもふさわしい場所になったのではないかと思う。

一方で,ある新聞記事で「今年の優勝者は全員30代で,世代交代が今ひとつ進んでいない」という指摘があったが,実際にその傾向は年々強まっている。横綱・大関陣どころか大関取りの面々まで長らく変わり映えがなく,栃煌山と隠岐の海も30代,宝富士と魁聖も29歳で,これからの大関取りはかなり難しかろう。若手も照ノ富士こそ大関になったが,高安は今場所失敗,遠藤と逸ノ城は前頭上位で定着できておらず,大砂嵐に至ってはケガに苦しんで幕内になかなか上がってこない。これから期待が持てそうなのは正代と御嶽海くらいか。実のところ,高齢化自体は力士寿命が伸びているということで悪いことだとは思わないし,なんだかんだでニューカマーが多くて話題は尽きない印象もあるが,一方で現在の幕内上位陣の年齢層が固まりすぎていて,2・3年後くらいにごっそり交代するのではないかという心配は割りとある。


個別評。鶴竜は飛び抜けて強かったという印象はないが,安定感はあった。そして,白鵬と日馬富士の次の実力者となると,やはり鶴竜が出てくるのであり,横綱という地位は伊達ではないというところを見せてもらった。あとはやはり,前述の通り,場所の雰囲気に流されず崩れなかった安定感は賞賛に値しよう。そういえば前に二度目の優勝をした時「自分は自分である」みたいなことを本人が言っていなかったか。白鵬はあからさまに相撲勘を失っていた相撲が多く,詰めの甘さが目立った。もう一歩踏み出すことは容易にできたのに踏み出さなかったせいで逆転負けを食らった相撲が遠藤戦と稀勢の里戦であり,この2敗でやる気を失ったようにも見えた。休場明けの試運転という意識が本人にもあったのかもしれない。今までよりも負けた後の表情が悔しそうではなく,落ち着いていたようにも見えた。日馬富士は,実は12日目に稀勢の里に負けて2敗目を喫するまで,優勝は固いと思っていた。あの相撲については稀勢の里が会心の相撲だったとしか言いようがないが,14日目の白鵬戦で負けたのは日馬富士側のスタミナ切れと言わざるをえない。

大関陣。稀勢の里は史上初の優勝なしの年間最多勝おめでとうございます。年間6場所制以後で初というのもさることながら,朝青龍と白鵬以外の最多勝は15年ぶり,日本人としては平成10年の若乃花以来18年ぶり,大関の最多勝は霧島以来25年ぶり,大関の最多勝自体が若嶋津・霧島に続く3人目という珍記録である。ほんとお前どうなんってんだよ。3横綱撃破後の13日目に栃ノ心戦は嫌な予感がしていたが,本当に負けるとは。ただまあ,あの一番について言えば栃ノ心の出来も良かった。そうそう,今場所の稀勢の里は,上半期のアルカイックスマイルでも,それ以前の無表情でもなく,何かを諦めたような悲しげで悟った表情だったのがとても印象的だった。彼自身,琴奨菊も豪栄道も優勝し,綱取り場所が途切れて思うところがあったのだろうか。

豪栄道は先場所ほどの好調さは無かったが,それ以前の8勝と負け越しを繰り返す相撲でもなく,まずまず悪くなかったように思う。星が9勝というのは意外ですらあり,平幕には全く落としていない。窮地の首投げも少なかった。照ノ富士は初日から2連敗した時には陥落かと思われたが,その後復調した。先場所までは組み方にあまりこだわりがなく,結果として外四つになって耐えられなくなって負けるというパターンが頻発していたが,今場所の照ノ富士は右でも左でもいいからまともな四つになろうという意識が見られ,それが勝ち越しの要因であろう。終盤再失速して8勝に終わったのは悲しい。琴奨菊はノーコメント。カド番がんばって。

三役。高安は,広い意味でのスタミナ切れではないかと。緊張の糸と言ったほうがよいか。人間半年も張り詰めているのは難しく,だからこそ大関取りの要件は「3場所」なのだろうけど。その意味で北の富士が「地力不足」と評していたのは正しい。その中で何とか7勝にまとめたのは,好材料ですらあるのかもしれない。先場所に「調子の波の変動が激しい人だが,何とか来場所まで持つか。」と書いたが,やっぱり持たなかった。御嶽海は上位挑戦二度目の場所だが,やはりまだまだ。玉鷲は突きの威力が異常に強かったが,前兆は先場所にもあって突発的な現象でもない。上位陣は対策をとってくるであろうし,大関取りまでは無理だろうが,まだしばらく楽しませてくれそう。

前頭上位。碧山はちょっと動きが重かった。太ったかな。遠藤は勝ち越せそうだったのに負け越してしまった。稀勢の里と白鵬を倒しておいて負け越しもなかろう……。しかし振り返ってみると,何かが致命的に欠けててどうにもならないというよりは,いろいろと足りないという様相なので,来場所で修正が効きそうな気も。正代は遠藤の後に出てきた世代(琴勇輝・御嶽海・錦木・輝)では完全に頭一つ抜けたか。何というか,頭のいい相撲を取っていて,その意味では鶴竜あたりに近いのかもしれない。琴勇輝は研究されていて,一時期に比べると相手にかわされているようにも見える。

前頭中盤。熱狂的なおじさんファンのいる栃ノ心は稀勢の里に勝ったのが今場所の全てです。貴方はよく頑張った。豪風は引き技の切れ味がすごかった。これはこれで1つの技術である。ところで,尾車親方がNHK解説に来るたびに「豪風には頭が下がる思い」と言っていて,もう何度も頭が下がっているので最近笑ってしまうようになってきた。それだけ親方が信頼しているというのはわかっているのだけれど。輝は先場所修正されたかに見えた相撲が元に戻っていて,相撲が縮こまっていた。腰も高い。荒鷲と千代翔馬は遠目から見ると本当によく似ていて,しかもどっちも取り口が技重視でよく似ているので余計に見分けが。荒鷲は右四つで左上手が生命線,千代翔馬は左四つで左下手が生命線という違いがある。あと荒鷲は実はスロー出世で現在30歳だが,千代翔馬はまだ25歳である。

前頭下位。新入幕の北勝富士は勝ち越し。突き押しがここまで通じているが,中盤に上がってどうなるか。逸ノ城はかなり痩せたが,不自然に痩せたため同時にパワーも失っていた。鍛え直しである。最後に石浦。低い重心と機敏な動きで,里山に近いというべきか嘉風に近いというべきか。特異な動きであるので周囲がまだ慣れておらず,勝ち星を稼いだところはあると思う。対策を立てられる来場所に真価が図られることになるだろうとはいえ,ひとまず今場所の10勝は見事であり,また見ていておもしろかった。今場所の17時より前の取組で,見ていておもしろかったのは石浦と千代翔馬・荒鷲であった。

  続きを読む

Posted by dg_law at 10:34Comments(9)TrackBack(0)

2016年11月28日

「ロボットは東大に入れるか」成果報告会 in 2016(11/14)レポート

昨年のものはこちら。また,朝日新聞によるまとめ・結果一覧はこちら。

以下は聴講の記録だが,大部分は昨年と解法などが変わらないため,文章短縮化のため変わらない部分は「昨年と同じ」と同じとして省略するのでご了承願いたい。

昨年はマーク模試・東大模試ともに駿台・ベネッセのものであったが,今年はマーク模試がベネッセ,東大模試が代ゼミのものになった。東大模試は一昨年まで代ゼミのものだったので,出戻りになった形になる。私自身風の噂で聞いただけなので話半分として書くが,駿台とは何やら揉めたらしく,代ゼミに戻ってきたそうだ。まあ,そもそも駿台の東大実戦は配点がおかしいので,河合の東大オープンか代ゼミの東大プレを使うのが無難ではあろう。


[解法についての教科全般の話]
・例によって,OCRで直接文章を読み取って東ロボくんに流し込む,というのは未実装。ほとんどの科目は問題文をXMLに書き下すところまでは人力。ただし,数学のみMathMLとせず,テキストデータの状態のまま解答まで全て人工知能だけで行う“完全自動化”に成功したそうだ。

[総評]
・リンク先の朝日新聞にあるが,消えた時のために転機しておくと,マーク模試は950点中525点,900点満点に換算すると517点。偏差値だと57.1という成績が出る。昨年の偏差値が57.8なので,やや下がっている。ただし,これは東ロボくんの武器であり,昨年は152/200(偏差値64.0と65.8)を叩き出した数学2つが今回は不調で,129/200(偏差値57.8と55.5)であった影響が大きい。にもかかわらず総合偏差値が0.7しか下がっていないのは,他の科目が若干ではあるがそれぞれ偏差値が伸びているためで,一応研究が進展しなかったというわけではない。
・結果的に英語・国語・世界史という一般的な私大文系の受験型(3教科)に絞ると偏差値は55を超え,これは法政大学や関西大学なら,学部学科によってはA判定が出るラインになる。……ただ,ご存じの方はご存じの通り,関関同立MARCHの中で関西大学と法政大学は一番入りやすいところなので,これをもって「関関同立MARCHに受かるようになった」というのはかなり無理があり,語弊があるようにも。各マスコミの報道を見ると,すっかり「難関私大にも届いた」のようなことが書いているが,実際のところ関関同立MARCHは大学・学部により偏差値帯が大きく異なり56〜64くらいまで含むので……
・ところで英語・国語の偏差値が50前後で,社会科の偏差値だけ65オーバーというのは,私大文系の浪人生の5月頃の成績で非常によく見るパターンで,要するに直前期に社会科の知識は叩き込むので急激に偏差値が伸びるが,英語・国語の地力不足はごまかせていないという奴である。こういう子は血反吐を吐きながら英語と国語の成績を伸ばして早稲田に手がかかるか,結局最後まで社会科だけを武器に不安定に戦ってMARCHのどこか(下手したら日東駒専)に落ち着くかのいずれかになる。
・東ロボくんの東大模試の成績は文系数学が46/80(偏差値68.1),理系数学が80/120(偏差値76.2),世界史が16/60(偏差値51.8)であった(他科目は未受験)。数学の成績は伸びていてしかも抜群であるが,世界史は昨年とほぼ変わっておらず,ほぼ平均点である。


[東ロボ手くん]
デンソーウェーブが開発した,代筆機械。ただし,ぶっちゃけて言うと電王手くんシリーズの技術の応用であり,そう目新しさはない。とはいえ,手にボールペンを持ってきっちり文字も数字もアルファベットも書けているのはなかなかすごかった。これで東大模試はちゃんと解答用紙に記述できるようになった,とデンソーウェーブの技術者は誇らしげであったが,代ゼミの担当者からは「東大は本試も模試も解答は鉛筆またはシャーペンのみという規定があるが,東ロボくんは筆圧の関係でボールペンしか使えないので,実際0点では?」と辛辣なツッコミを受けていた。来年度の東ロボ手くんには,シャーペンを持てるようになっていることを期待しよう。ちなみに,字はかなり上手いものの,書き順はめちゃくちゃである。書き順を守ると字がひどく下手になるのだと思うが,これは左利きの私自身書き順滅べと思っていることを書き添えておく(漢字の書き順は右利きが書きやすいようになっている)。


[英語(筆記)・リスニング]
・基本的な解法は昨年までと同じ。今年は文法・熟語・構文(第2・3問)の分野を強化した。母体となるテキストデータを約50倍に増やし,3300万文から19億文(10億語から500億語)に増やし,そこを検索して問われている構文と同じ(または極めて似ている)文を探し出して正解を当てはめるので,増やせば増やすほど有利になると考えた。実際に500億語まで増やすとかなり精度は高くなり,第2・3問の正答率は大幅に向上した。
・にもかかわらず点数・偏差値ともに昨年からほとんど伸びていないのは他の大問で苦戦したからで,運にも見放されて全く点数が取れなかった。第4問以降が昨年並の正答率だったなら120点程度にはなっていたようで,であれば偏差値は60台に載っていたかもしれない。
・会話文の空欄補充や,第4問以降の長文読解の分野はまだ苦手である。発表者の推測によると,これらの分野の攻略にはまだまだ母体のテキストデータが足りず,500億語ではなく500億文(1兆語オーバー)が必要になるのではないか,しかも単調な文ではなくあらゆる文法や構文が入っている複雑で高品質な文章の,と話していた。しかし,そうなるともう膨大なデータを持ってそうなGoogleさんしか取り組みようがない分野なのでは……私見だが,会話文・長文はもう別の手法で取り掛かるしかないように思う。
・というかGoogleさんがSATやSATの科目テストに挑んでアイビーリーグ合格水準を叩き出したらすごくおもしろいと思うのだが,そういう研究はやってないのだろうか。
・また,今年はディープラーニングを導入してみたが,全く上手くいかなかったという。ついでに書いておく。東ロボくんに対する反応として,「人工知能の研究であるのにディープラーニングを頑なに使わないのはなぜか」というものをたまに見るが,使わないのではなく使えないのだそうだ。ディープラーニングは成績向上には全く結びつかなかった。


[国語(現代文・古文)]
・いろいろ解法を工夫した結果,選択肢を2つまで絞り込むことまではできるようになったという12月くらいの受験生みたいなことを言っていた。しかも評論が得意で小説と古文が苦手である。身に覚えのある読者の方も多いのでは。
・古文はようやく本格的に取り掛かった。解法は現代文と同じで,現代語訳して,訳があってればそれで行けるだろうという予測だったようだが,現代文の小説が今ひとつ解けていないのにそれで解けると思う方が間違いであると思う。結果は割りとひどい16/50で,特に現代語訳問題は3問全て落としたとのこと。おい現代語訳の精度。
・漢文は未実装。まあ古文がようやく本格参戦したところではあるので。
・思うに,入試に出る古文・漢文のバリエーションなんて大したことないので,英語で50億文のテキストデータをインストールなんてできるんだったら,古文・漢文もよく出る文の本文と現代語訳を全てインストールしておけばけっこう攻略できてしまうのでは? それで50億文も行くまいし……と私がここで思いつくことはやっていないはずがないので,多分やって何かしらの理由でダメだったのだろう。
・なお,ここでもディープラーニングは明らかに向かないので試しすらしなかった,と語られていた。


[物理]
・解き方を昨年と大きく変えた(というよりも研究者が変わった)。昨年まではシミュレーションを動かして,実験結果から解答を出すという手法だったが,入試問題で必要になるシミュレーションが意外と複雑で,挫折していた。そこで,問題文を読解する過程で無理やり数学的な問題になるように人工知能に読解させた上で,限量記号消去(QE)で解答を出すという戦法に変えた。数学の分野では上手く行っているからという意味では正しい発想だが,まーたQEかという笑いが思わず。
・結果としてはこれが上手くいって,昨年までは偏差値40前後だったのが,今年は偏差値59.0まで伸びた。今後の課題は,どうがんばっても数学の問題に変換できない類の問題だそうで。


[数学]
・解法は今までと同じだが,自然言語処理をほぼ完全に自動化した点が新しい。これについて,研究者陣営は「比較的容易」と考えていたようだが,やってみると意外と困難だったという。自然言語の「一見して複数の意味に取れる曖昧さ」が苦戦の理由で,たとえば「また」とくるとその前後がつながっている並列なのか,それとも完全な話題の転換なのか,人間ならどちらかぱっとわかるが,人工知能が人間の手を借りずに判断するのは非常に困難であったようだ。それでも何とか完全自動化したのは大きな成果だろう。やっと「人工知能が入試問題を解いてると言っても,入試問題を人工知能が読解できるところまで書き換える作業は人間の手が入っているじゃないか」と謗られなくても済むようになった(数学だけだが)。
・あとはQEソルバーの高速化などを行ったが,マーク模試の方は相性もあって苦戦した。東大模試の方は成績が向上し,好成績を残した。こと数学の筆記試験限定ならば人間の受験生の最高峰レベルまで到達したと言ってよい。人間の受験生で東大型の理系数学で80/120を取れるようなやつは理傾膤糞蕕砲靴いない。


[世界史]
・マーク模試の方はほぼ改良なし。成績は80/100前後で安定し,これ以上の改良は難しいようだ。
・東大型の二次試験の方も,基本的な解法は昨年と同じ。第1・2問の論述問題は,指定語句や問題文を頼りに教科書や用語集・Wikipedia等から該当する文を抜粋し,指定字数に至るまで解答に挿入した。ただし,今回は前回と違って単純に抜粋するのではなく,問題文もちゃんと読んでテーマを探ったり(第1問),あらかじめ用語集の項目をラベル付した上で,問題文の要求もラベル付してラベル同士が一致した項目の説明文を出力するようにする等(第2問),解法のレベルアップが図られた。
・結果的に点数は伸びていないものの,解答のそれっぽさは上がり,若干なり人間に近い解答に見えるようになった。ただし,それでも時系列や地理的な配置がぐちゃぐちゃで,例えば「ユスティニアヌスがミラノ勅令を発布した」という文の後に「中国では五胡十六国の時代になった」という文が入り,その後にまた「ユスティニアヌスがミラノ勅令を発布した」という全く同じ文が入るという,ツッコミどころしか無い文章構成になっている。お前は健忘症か。また,「ゾロアスター教を国教と定め,突厥と結んでエフタルを滅ぼした。」という一見して正しい歴史的事実を述べているように見える文だが,ササン朝という主語が無いために非文になっていて加点されないというようなミスも散見された。結果的に点数・偏差値は昨年の東大模試から全く伸びていない。
・これは要するに,人工知能はある程度問題文の要求するところを(見せかけ上)理解できるようになっているが,東大の問題文が要求するような細かいニュアンスは当然読み取れておらず,本質的な歴史的理解があるわけでもないので,結果的に問題文の意味を全く取れないまま解いているのとさして変わりない点数にしかならないということである。逆に言って,東大の問題文のようなめんどくさいものではなく,単純な論述問題であれば,精度は昨年に比べて向上しているのではなかろうか。昨年は東大以外の論述問題にもチャレンジしていたが(そして昨年の段階でかなり解けていた),今年は無かったので比較できず残念である。
・第3問のクイズ問題も,問題文からどんな種類のもの(人名・国名・宗教名・事件名・建物名等)が問われているのかを判断させてから,解答を出力させた。ここは人工知能の得意分野に思われたが,東ロボくんにインストールされている教科書や用語集が古く,新課程に対応していないため新課程で重要度が上がった単語を解答できないという思わぬトラップに引っかかって,点数が伸びなかった。また,問題文がひねられていると解答が難しく,例えば「魏の文帝の父親は誰か」と問題の東ロボくんは「曹丕」である(曹丕は「魏の文帝」であるから誤り,正解は曹操)。問題文の意味を理解して解いているわけではないので,この程度のひねりであっさり引っかかるのである。前に私は「東ロボくんは早慶上智の世界史の方が得意なのでは」と書いたが,撤回します。早慶上智の世界史はこんなやわなひねり方はしません。
・ただまあ,代ゼミの講師の講評によると,「受験生の解答も,たとえば曹操の問題だったら「曹丕」がやはり多かった。第3問の他の問題を見ても,人間の受験生の誤答と東ロボくんの誤答は酷似している」そうで,まあそうだろうなと私の実感としても思う。国語といい世界史といい,人工知能が人間に似ているというよりは人間が人工知能のような思考しかできていないのではと思わせられたわけだが,これは東ロボくんプロジェクトに携わる研究者の側も同じことに気づいたようで,これが[今後の東ロボくんプロジェクトについて]に続く。
・しかし,新課程に対応していないせいで点数が伸びなかったのは人工知能のせいというよりもデータ提供元の山川出版社の責任では。おそらく無料で提供していると思われるし,虎の子のデータなので万が一の流出を考えると最新の教科書・用語集のテキストデータは提供したくないのだろうけど。


[今後の東ロボくんプロジェクトについて]
・巷に流れている情報が錯綜していて,明らかな勘違いも流れているので,ここで整理しておく。
・東ロボくんプロジェクトの目標であった2022年までの東大合格は断念する。正確に言えば,英語・国語・物理・日本史等は,人工知能自体にそれこそシンギュラリティ(技術的特異点)が来るようなレベルの大規模な進歩がない限り,点数が大きくは伸びないこと,そしてそれがすぐには来ないことが予測されるので,一度挑戦を凍結し,来るべきときが来たら再開する。ある程度結果が出ている数学と世界史は研究を継続し,むしろ現行の人工知能の範囲でどこまで人間の受験生を超えられるのかに挑む,またそこからの産業への応用を目指すそうだ。
そもそもこのプロジェクトは「現行の人工知能の自然言語処理における可能なことと限界を探る」ことが本質的な目的であり,東大合格は「可能か不可能かすら全くわからない」目標として掲げたものだった。そこで偏差値55程度の学力で東大はまず無理という「限界」が示せたから,目的は達せられたという。最初から東ロボくんプロジェクトをウォッチしている私自身も証言するが,この目的は東大合格に失敗したから突然出てきたものではなく,初年度の成果発表会からずっと出ていたものだ。東大合格を諦めたからといってプロジェクトが失敗だったと見なすのは,それこそ“その人の読解力不足”でしかない。
・そして東大入試挑戦の本体を凍結してどうするかというと,前述の通り,「人工知能は問題文の意味を理解して問題を解いているわけでは決してないのに,ほとんどの教科で偏差値50を超えてしまったのはどういうことか」という点や,国語や世界史といった文系分野では人工知能と人間の解法・解答が極めて似通うという点から,むしろ人間の受験生が問題文の意味を理解しないままに問題を解いているのではないかという疑問点にたどり着いた。
・そこで基礎的な読解力を測ることに特化した「リーディング・スキル・テスト」を開発し,15000人の中高生を対象に実施したところ,無残な結果であった。これについてはここにまとめると非常に長くなるので,問題とそれぞれの正答率がNIIの方で公開されているので(pdf注意),そちらを参照してほしい。まあ,成績にかかわらないテストであるので生徒の側のやる気がなく,適当に解答した輩がそれなりに紛れ込んでいた結果として正答率が低いという可能性も否めないが,それにしても確かに低い。宗教の問題の間違え方何かは明らかに人工知能っぽい間違え方である。とりわけやる気のわかない状況では人間の側が人工知能っぽい思考になりがち(キーワードを拾った斜め読み)というのは,案外コロンブスの卵なのではないかと私は思う。
・人工知能の進化が予測されるからこそ,人工知能が苦手な分野の読解力を人間は磨くべきではないか。あるいは人間の読解力の本質を調べていくことで,人工知能の進化に貢献できるのではないか。というわけで,このプロジェクトは今後「リーディング・スキル・テスト」のさらなる開発とその結果を用いた研究にシフトしていくようだ。

  
Posted by dg_law at 07:30Comments(4)TrackBack(0)

2016年11月26日

16年間で100本は密度が高すぎないか

・「シン・ゴジラ」での政府の意思決定プロセスについて書いてみた(ツイッターに書ききれない長文を書くブログ)
→ 内閣府防災の中の人による『シン・ゴジラ』解説。『シン・ゴジラ』は石破茂氏など様々なリアルサイドからの言及があるが,ある意味これが一番貴重かも。


・英BBCが「21世紀の最も偉大な映画 TOP100」を発表(amass )
→ 21世紀と言いつつ2000年含みである。この中で見たことがあるのは意外と少なかった。『戦場のピアニスト』『A.I.』『ブロークバック・マウンテン』『ロスト・イン・トランスレーション』『グランド・ブタペスト・ホテル』『千と千尋の神隠し』『マルホランド・ドライブ』で全部だろうか。『善き人のためのソナタ』と『アクト・オブ・キリング』はいつか見るリストに入っている。
→ 1位が『マルホランド・ドライブ』は私も好きな映画だけど,さすがにひねくれ過ぎではw私の感想はこれ)。そこがBBCのセンスと言われればその通りなんだろうけど。あとは『グランド・ブタペスト・ホテル』『ブロークバック・マウンテン』『戦場のピアニスト』は確かに非常に面白かった。『ロスト・イン・トランスレーション』は微妙というか,あれがおもしろいというのは若干オリエンタリズムが入っているような気がしないでもない。ある意味リアルな東京の風景ではあったが。『千と千尋の神隠し』はおもしろいとは思うけど,これらの映画と同じ尺度でランキング付する感覚が私の中にないのでノーコメントとしたい。『A.I.』だけは納得行っていない。あれはスピルバーグ監督作品の中では微妙では。


・ブルキニ禁止、仏国務院が凍結判断「基本的自由を侵害」(朝日新聞)
→ さすがに司法はまともな判断をした。
→ フランスは政教分離と多文化共生を両立させたいなら,そろそろ「宗教的標章」とはなんぞやという問題に,まじめに社会的に取り組むべきではないか。他の宗教の信徒がそれを身につけた時に,宗教的意味合いを持つか否かという点はやはり重視されよう。その意味で,ブルカやブルキニが「宗教的標章」というのはかなり無理があろう。顔面を全て覆うタイプのブルカが,コンビニにフルフェイスのヘルメットで入ってくるバイク乗りと同じ理屈で咎められるのはまだわかるが,それ単体で見れば“ただの頭巾”であるので,十字架のアクセサリー等よりもよほど宗教的な標章ではないだろう。ブルキニとて身体を全面的に覆っているだけであり,ムスリム以外の女性の需要もあるとのことで,宗教的に咎められる筋合いは無い。


・PCデポ 高額解除料問題 大炎上の経緯とその背景(Yahooニュース)
→ 今時これだけアコギな商売をして,よく炎上しないと思っていたなと思った。これまで炎上しなかったのも不思議ではあるが,それだけ「ねらい」が良かったということだろうか。店側の対応が悪手すぎたのも気にかかるところで,今時悪質なクレーマーではない人をクレーマー扱いしたら爆発炎上するのは当然であるし,アコギな商売である自覚があれば,今回の案件が悪質なクレーマーによるものではないことくらいすぐにわかりそうなものだが。仮にアコギな商売である自覚が無かったのだとすると,会社全体で感覚が麻痺しているし,余計にどうしようもない。


・「まず、根性論を捨てる」日本柔道復活を成し遂げた、井上康生流「大改革」そのすべて(賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社])
→ 五輪の時の柔道は良い話が多かった。ようやく脱根性論世代が指導者層になり始めた,その幸先の良いニュースであるかもしれない。世代交代が進むうちに,いろいろな分野・業界でも悪しき風習は廃れていって欲しい。  
Posted by dg_law at 07:30Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月21日

8月末の五輪関係あれこれ

・表彰台での勇気ある行為が原因で、母国で生涯を通して除け者扱いされ続けたオリンピックの銀メダリスト(イミシン)
→ 美談ではなく,オーストラリア政府の対応が醜すぎる一件と言ったほうがよいと思う。非政治的なことが建前になっているオリンピックではあるから,いかに正義のある行為といえども罰せられるのは仕方がないとしても,一人のアスリートの人生を丸々つぶすのは重すぎる。しかもその後,オーストラリアが多文化主義に舵を切る中でこれを放置し続けたのは,明らかに国家のメンツをつぶされたことに対する報復であろう。2006年に亡くなったのに国家の謝罪が2012年というのは,シドニー五輪が2000年,サン・ノゼ州立大学の銅像が2005年ということを考えても遅すぎる。
→ なお,サン・ノゼ州立大学の銅像にノーマン氏の姿が無いのは,本人の希望によるとのこと。次の記事を参照。
・オリンピックに斬り込んだブラックパワー:1968年メキシコオリンピックで米国の人種差別に抗議して黒い拳を揚げたジョン・カーロス(アフリカンアメリカン・フォーカスブログ篇)


・女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか?(BuzzFeed)
→ 出てきた人たちの中で,南アフリカのキャスター・セメンヤ選手だけは当時の報道で見た覚えがある。
→ 性器の外形・染色体・ホルモンのいずれでも決定的には確定できないのであれば,どれか1つに絞るのではなくて,総合的に判断するしかないのでは(そもそも外形のチェックは記事中にもあるように過剰なプライバシーの侵害になるので極力やるべきではない)。
→ 少なくともテストステロン値だけによる区別は本質的ではないと思われる。記事中に「テストステロンの値が高いことが競技に有利だというなら、背が高いことや肺活量が大きいのはどうなのか。」とある通りで,男性に近いというよりも単純に個人的な特徴の範囲ではないかと思う。しかも,意図的にテストステロンを増加させるドーピングもあることを考えると,これを性別の検査に使うのはますます危ういと思う。



→ 五輪関係のゴタゴタを一切忘れて横に置いておくなら,このプレゼンテーション自体の出来はすごく良かったと思う。高層建築の建つ現代都市・技術立国(工業国)・伝統ある国・アニメや漫画というコンテンツという,実態はともかく世界が抱く日本・東京のイメージを上手くすくった形である。RIOからのMARIO,ドラえもんが地底探検車ならぬ土管,そして安倍さんご本人がマリオのコスプレをして会場に登場という流れは,これらの要素をつなげていて上手かった。
→ 招致の時のムービーといい,五輪関係のアピールだけはけっこう高得点で,なぜこれが他の分野で発揮できないのかというと,まあやっぱり利権が絡むと人間おかしくなるのだろうなと。もしくは,これは椎名林檎他すごい人選で,他の分野は人材不足ということなのかも,と考えると余計に悲しくなるのでやめよう。
→ パラリンピックの方も負けじ劣らず良い映像なので是非。  
Posted by dg_law at 22:21Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月17日

非ニコマス系動画紹介 第17回MMD杯



今回の総合部門準優勝作品。ポーラの魅力が実に詰まった動画。間宮の背景の客にも要注目。



前半はダンスPV。後半は海に場面を移してド派手な大花火大会。艤装が海上自衛隊の護衛艦仕様になっている。いろいろ工夫があって楽しい。



今回のおしゃれダンスPV枠。



今回は「極楽浄土」を使ったPVが多かったが,この比叡は似合ってた。圧倒的なまでの美しさ・かっこよさ。個人的にはダンス限定なら今回一番好きな動画。



東方ならこれかな。




選考委員賞からの掘り出し物。ストーリーはかなりわかりづらいが,雰囲気は良い。



Papers,Pleaseがベース。ニコ動ネタとの融合具合がすばらしい。




競馬をミクさんで再現しようという発想自体が狂気なんだけど,レースの展開も突き抜けているのでなんかもうおもしろい。下は元ネタ集。



個人的な優勝作品。これは傑作PVと言っていいでしょう。思春期の子のやるべきことが見つからない焦燥感と夏の夜の茫洋感が見事に音楽と映像で表現されている。
  
Posted by dg_law at 12:00Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月14日

最近読んだもの・買ったもの(『クソゲー・オンライン』他)

・『冴えない彼女の育てかた』10巻。霞ヶ丘詩羽編。
→ 9巻の感想に「ひょっとしてこのまま残りの面々も作中のヒロインにされていくのでは……? 丸戸がそこまで単純なことはしない気もしつつ。」と書いたら,本当にその路線らしい。それを全く隠さなくなったのが本巻であろう。ということはあとは出海か美智留か。「冴えない」のは恵だったが,気づくと全員ヒロインにさせられていたという。メインヒロインポジションがいたらサブヒロインのルートもあるという,ギャルゲっぽい構成を模している(そしてほとんどのプレイヤーはメインを最後に残して攻略する)という意味では,本作らしいメタさ。
→ クリエイターとしての霞ヶ丘詩羽を忠実に再現した初稿はお蔵入りにして,ギャルゲっぽいキャラにした方を採用した,という展開だが,これ,丸戸が自分で作ってきたエロゲだったら初稿のキャラが採用されていることが予想されるあたり,本当にメタというか何というか。この詩羽シナリオの最終章が"coda"なんて名付けられているところもセルフパロディが強い。
→ 今後の展開としては11巻・12巻が出海・美智留ルートの制作と文化祭とマスターアップ前の修羅場,13巻で冬コミ&恵で何か,14巻か15巻くらいで終わるのかな。ギャルゲーメタネタとクリエイター論で突っ走る本作の終着地点はどこだ。


・『クソゲー・オンライン(仮)』1巻。『ざるそば(かわいい)』の作者,つちせ八十八による新シリーズ。『ざるそば(かわいい)』でシリーズ化は難しかったようだ。
→ 舞台はVRMMORPGだが,作品世界では舞台となっているゲームが世界初のVRMMORPGということになっている。しかし世界初であるがゆえに「時代が早すぎた」,つまりタイトルの通りバグが多すぎるクソゲーと化しており,ラグが発生して死ぬを筆頭に,資金増殖バグがあって経済が崩壊している,バトルのバランスも当然崩壊している,重要ステータスが死にステータスになっている等々,ありそう(または既存のゲームに存在した)バグのオンパレード。おまけに運営スタッフは失踪しており,運営会社の資金も尽きかけているという。この状況でひょんなことから運営側に回ることになった主人公は,ゲーム世界の存続をかけて奔走することになる。
→ というわけで,本作もメタネタなラノベである。別に私はメタネタが特別好きというわけではないのだが……ともあれ,本作はVRMMORPGラノベのメタ,あるいは単純にクソゲーのメタネタラノベとして,なかなかよく仕上がっていると思う。作者がテーブルトークの『パラノイア』愛好者だったことを考えると,むしろ本作の方が『ざるそば(かわいい)』よりも出自に近く,ネタが扱いやすいのかもしれない。なお,VRMMORPGラノベのメタネタとしては,(ネタバレ注意)「ゲーム中で死ぬと現実世界でも死ぬようなバグは法律で禁止されていて,このクソゲーでもその法律だけはきっちり遵守している」というのが一番強烈だった。私はこのネタで爆笑した。
→ というわけで,『ざるそば(かわいい)』を面白く読んだ人なら,本作もどうぞ。すでに2巻が出ていて,漫画化もされているので,好調なのかな。





・『火ノ丸相撲』12巻。大典太光世VS國崎千比路。
→ 大典太戦は三橋くんをぶつけて捨てて副将で國崎が勝つか,あるいは國崎が負けるとして三橋くんが活躍するか,代打監督が1勝をもぎ取って伏線を回収するかのいずれかと予想をしていたので,この番狂わせは完全に予想外であった。相撲内容自体はおもしろかったし納得の行くものであったが,さすがに本作の大典太光世が不憫すぎる展開でもあった。本作で特別視される「国宝」というものの価値が少し下がったのは否めないかもしれない。まあ作中にあった通り,國崎は「高1でレスリングの国体で優勝している國崎も十分国宝級の素質で,経験不足なだけ」というのはあるので,本作の評価自体を下げるような論理破綻は無いのだけれど。
→ その國崎は目標が総合格闘技なだけあって,相撲は通過点に過ぎない。本作が大相撲ではなく,学生相撲(それも高校)だから可能な設定であり,それを存分に活かしていると思う(これは幕下付出という制度の存在を前提とした主人公からしてそうだけど)。四つなのか突き押しなのかすら絞れないという取り口は実際に新しく,相撲漫画っぽくて良い。
→ 途中で挟まれた「日本人大関論」は,稀勢の里・琴奨菊・豪栄道らへの応援メッセージか。実際に「彼らは横綱を諦めている」という声援は聞かれる。しかし,火ノ丸相撲世界と違って,現実では琴奨菊も豪栄道も優勝を果たした。本音で諦めている日本人力士はいまい。  
Posted by dg_law at 08:00Comments(4)TrackBack(0)

2016年11月12日

謎の天正遣欧少年使節ブーム

・【東方】求聞3で妖怪だってバラされたら人里で生活できなくなりそう(2ch東方スレ観測所)
→ 東方世界の雰囲気が時を経るごとに如実に変わっていることを感じたスレ。二昔前はスレタイのような雰囲気だったが,今となっては里に妖怪がいても「里の人間は特に驚かなさそう」という様相である。里に人間に擬態(した振りを)して降りてくる妖怪が多すぎる。
→ これほんとありそうすぎてwwwwwww>「「女の子が酔い潰れてると思ったら首がゴロンと落っこちたんだよ 首だけなのに平気で寝息立ててたから放っといたけど」(居酒屋店主)」


・エロゲでサブヒロインを可愛く描くのマジでやめてほしいわ(増田)
→ さっちん・乃絵美・美汐と並ぶはてなの年齢層。途中でリーダさんも上がっているが,『かにしの』だってジャスト10年前だからな。時が流れるのは早い。『かにしの』と言えば,三嶋さんについては「全力で攻略したくなるように作った」と制作陣が言っていたのは印象深い。ちなみに『ましフォニ』と『俺つば』で7年前です。自分がブコメで挙げた『乙りろ』(ディートリンデ)でやっと3年前,『つり乙2』(桜小路アトレ)で2年前だ。
→ はてなの年齢層にあえて理由を求めない場合,ブコメで指摘もある通り,最近だと制作者の方針として出さないということがない限り,続編かファンディスクでメインに抜擢されるパターンが多いので,どうしても古い作品の名前が出てくるという傾向があるかもしれない。実際にアトレさんは多分続編で攻略可能になると思っている(続編が出れば)。
→ 昔ブログ上で論じたことがあるが,手が届かない=内面の秘匿があるからこそ魅力的なのであって,攻略できるようになったら人気が下がるという現象もあり,攻略できないなら攻略できないようにしたなりの制作側の意図もある(内面を描き切れるほど設定がない)というのは,まあ考慮してもよかろうかなと。その意味で,上手いこと後付でサブキャラの内面を作り上げ,シナリオを仕立てた例を見ると,シナリオライターを賞賛したくなるということはある。それ以外の場合は,まあ同人誌で我慢しましょう。


・天正遣欧少年使節のフレスコ画、法王の子孫宅で発見(朝日新聞)
→ 天正遣欧少年使節の絵ではあるが,制作は19世紀半ばとのこと。ローマ教皇グレゴリウス13世は天正遣欧少年使節との謁見,グレゴリウス暦採用で有名な教皇であるが,庶子がいたようだ(当時のローマ教皇としては珍しくない)。記事中の美術史家の推測通り,日本の開国に合わせて先祖を顕彰した発注だったのだろう。
→ 発注者が「アントニオ・ボンコンパーニ・ルドビジ公爵」,発見者が「ニコロ・ボンコンパーニ・ルドビジ公爵」とあるが,少し調べてみた。とは言っても,以下は私自身も英語版とイタリア語版のWikipediaを調べただけなので,話半分で。まず姓の部分はBoncompagniとLudovisiの複合姓で,いずれもイタリア貴族の名門のようである。グレゴリウス13世はBoncompagni家の出自になる。Ludovisi家がピオンビーノ公を世襲していたが18世紀初頭に直系男性が途絶えて,生き残った女性の中で最年長だった人物が嫁いだBoncompagni家と融合し,以後はBoncompagni-Ludovisi家がピオンビーノ公を継いだ。アントニオはおそらく正確には「アントニオ・ルイジ3世(Antonio Lnigi III)」の模様で,この人の生没年が1808-1883であるから適合する。また,現当主はNicolo Francesco Boncompagni-Ludovisiで,この人がこのフレスコ画の所有者らしい。ピオンビーノ公国はナポレオン戦争の混乱で消滅したが,爵位だけは残っている。
→  ついでに画家のピエトロ・ガリアルディ(Pietro Gagliardi)はイタリア語版Wikipediaに記事があったが,英語版に他にはない程度の知名度の模様。画風はこのフレスコ画を含めて古風なアカデミー風という様子。実は19世紀半ばから後半の壁画は,19世紀末以降の目新しい絵画ブームによって急速に古風になったせいで,漆喰で覆われたり今回のように天井裏に隠されたりしたものが多い。近年,フランスでもアカデミー風の再評価が進んでいて,再改築ついでにとか,記録に基いて漆喰を剥がしてみたら見つかったというパターンもあるようだ。私的にはアカデミー風絵画が好きなので,嬉しい動きだが。作品自体は,少年使節が辮髪だったり中国風だったりという,何ともオリエンタリズム漂う。画風は前述の通り古めかしいアカデミー風。
→ 2年前に伊東マンショの肖像画も発見されているし,近年は天正遣欧少年使節の再発見ブームが来ているのか。  
Posted by dg_law at 16:39Comments(2)TrackBack(0)

2016年11月09日

『黄金のアデーレ 名画の帰還(原題:Woman in Gold)』

帝政末期のオーストリアの画家グスタフ・クリムトの代表作《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞歪垢蕕ウィーンのベルヴェデーレ美術館に飾られていた。しかし,本作はナチスがオーストリア併合(いわゆるアンシュルス)の際にユダヤ人の裕福な家庭から強奪したものであり,ベルヴェデーレ美術館に寄贈したのもナチスであった。しかも敗戦後の混乱によって元の所有権が有耶無耶になったまま,20世紀末(1998年)に至る。そこで,アメリカに亡命していたアデーレの姪マリア・アルトマンがオーストリア政府を相手取って訴訟を起こした。無謀と言われたこの訴訟は意外にもマリア・アルトマンの勝訴に終わり,最終的に2006年,オーストリア政府との間で調停が結ばれて,この名画はアメリカに移ることになる。現在はマリア・アルトマンが競売にかけて,購入した人物の持つ画廊に展示,公開されている。競売でついた価格は1億3500万ドル,当時の換算レートで約156億円であり,これは当時の絵画の最高落札額になる。

本作はこの事実に沿って制作されたノンフィクション映画であるが,完全に事実に沿ってストーリーが展開していくわけではなく,映画として映えるように,またマリア・アルトマン側が美化される形で脚色されている点は注意が必要である(脚色については記事末尾に後述)。事実と映画の相違点は英語なら比較サイトが豊富にあるが,日本語ではあまり存在していない。


この件について,オーストリア国民は「何かよくわからない経緯で,国宝級の絵画が強奪された」「しかも早々にオークションにかけられた,金目当ての強奪だった」という反応であったようで,事実よりもさらに原告寄りの目線で脚色された本作はなおのこと不評らしい。私も事実と映画の違いが気になっていろいろと調べてみたものの,その結果として言わせてもらうと,映画がオーストリア国民を悪役として描いていることとは無関係に(あるいは差し引いて見ても),この件と映画にかかわるオーストリア国民の反応は割りと見苦しい。若干ネタバレになるが,以下に本作の骨子である《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞僚衢権の変遷について簡単にまとめておくので,本作を見る気がない人も,読んでどちらに正当性があるか,ちょっと考えてみて欲しい。

《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞魯織ぅ肇襪猟未螢▲如璽譟Ε屮蹈奪曄瓮丱Ε◆爾鬟皀妊襪防舛れた作品ではある。アデーレは遺言で「自分の肖像画は国家に寄贈し,ベルヴェデーレ美術館に飾られることを希望する」と書き残し,1925年に亡くなる。しかし,夫のフェルディナントは自分が亡くなってからの寄贈でよかろうと考え,手元に残していた。夫婦だからこの絵画作品は共有財産であるし,妻の形見と考えていたようである。話がややこしくなるのはここからで,その後の1938年にナチスがオーストリアを併合し,ユダヤ人であったこの家族から《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞鯔彈してしまい,そして奇しくもベルヴェデーレ美術館に寄贈してしまったということにある。

その後フェルディナントは1945年11月に亡命先のスイスで亡くなるが,その際の遺言で,遺産はアメリカに亡命した姪マリア・アルトマンを含めた何人かの親類に分け与えることとした。ただし,この時のフェルディナントは手持ちの財産が皆無で,莫大な財産をほとんどウィーンに置いてきていることから(しかもその全てはナチスに接収された),この遺言は手持ちの財産ではなくウィーンに置いてきた財産を指しているのは明白である。一方で,フェルディナントの遺言には《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞魎泙瓩審┣荳酩覆砲弔い督樟楔正擇なかった。これは「ウィーンでナチスに接収された財産」の中に含まれているから,わざわざ個別に言及しなかっただけのことであろう。また,大戦末期あるいは戦後直後の混乱の中で書かれた遺書であり,自分の財産がきちんと返還されるかわからない状態で書かれたものであるから,個別に事細かに言及する意味を感じなかったのかもしれない。

しかし,第二次世界大戦後のオーストリアは,《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞鬟侫Д襯妊ナントの相続人たちに返還せず,アデーレの遺言の存在を根拠に国有化し,そのままベルヴェデーレ美術館に展示し続けた。一応,オーストリア政府はフェルディナントの遺言の存在を知らなかった,という事情は加味されるべきかもしれない。また,1948年にフェルディナントの代理人を名乗る人物がオーストリア政府と交渉し,絵画返還の要求を行っているが,オーストリア政府はアデーレの遺言を持ち出して《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞魎泙犧酩雰欧亙峇圓靴覆った。結局,このフェルディナント氏の代理人はこのオーストリア政府の主張を認めてしまい,かなりの作品がオーストリア政府側に残ることになった。問題はこの代理人,フェルディナント氏本人が指名したのは間違いないようだが,彼がオーストリア政府と妥結したこと自体やその内容は,フェルディナントが遺言で指名した相続人たちに知らされておらず,しかも代理人は「相続人たちの同意の下に」と名乗って交渉していたということにある。この代理人の妥結の有効性は,当然後の争点になった。

そして1998年,オーストリアの有名なジャーナリストであるチェルニンが,ベルヴェデーレ美術館の書庫を調べていてフェルディナントの遺言を発見し,ロザンゼルス在住のマリア・アルトマンに連絡を取ったところから,事態は急転することになる。ここで,アデーレの遺言(と代理人の妥結)が優先されるか,フェルディナントの遺言が優先されるかという点で,オーストリア政府とマリア・アルトマンの主張が衝突することになった。


さて,私見だが,オーストリア側の敗訴は順当な結果だと思う。というかこの裁判の時に行ったオーストリア政府・美術館の主張が「アデーレの遺言に従って国有化しただけ」「歴史的経緯によって直接の寄贈者がナチスになってしまったが,“結果的に”アデーレの遺言に沿うことになったので問題ない」というのはちょっとひどくないですかね。この絵画の来歴の最大の問題点はナチスを経由したことである。美術作品の来歴は,作品の真贋にかかわるし,来歴自体が価値になることがあるから,極めて重要な要素である。アデーレが亡くなった時点ではナチス政権ではなかったし,彼らは間違いなくホロコーストの被害者である。ナチスによるオーストリア併合とホロコーストの不当性を論じることを回避して裁判を戦おうとすること自体,おこがましくないか。ナチスが絵画を接収の時点でアデーレの遺言は失効したと考えるのは自然な発想であるし,マリア・アルトマンへの返還は国家の贖罪という観点から言っても,正当であると思う。とすると,国家的贖罪を約60年も果たさず放置していたことのほうが,「金目当ての強奪」よりもよほど倫理的な悪ではないか。

ちなみに,私はブログ上で映画の批評を書く際に他者のレビューをそれなりの数読んでから書くことにしているが,日本人の反応として,従軍慰安婦問題と結びつけた上で本作を酷評したものが案の定さくっと見つかってしまい,何かもうこの世の邪悪の底を見た気分になった。


とまあ,映画自体の批評というよりも,映画周辺の話題に対する批評になってしまったが,最後に映画の出来自体を述べる。これは,おもしろいけど,さすがにちょっと原告側を美化しすぎではないか,と思わないでもない。美化せずとも原告側の正当性は保証されていたはずで,ゆえにこの美化は単純に「映画(映像)としての面白さ」を追求したものである。しかしどうにもやり過ぎ感があり,かえって真実味を削いでいるというか,外連味がありすぎるように思う。そこは残念。とはいえウィーンの風景は美しく,過去と現代の風景が入れ替わりながらストーリーが進んでいく様はなかなか見応えがあった。

なお,脚色が激しいのは確かである。たとえば,上述の代理人の妥結も映画では消されている。話がややこしくなって間延びするから削った可能性もあるが,原告側に不都合な部分であるのも確かである。また,実際には旧フェルディナント氏所有の絵画のうち1998年時点でベルヴェデーレ美術館が所蔵していたものは21点あり,うち16点は1999年の時点でマリア・アルトマンに返還されているという事実がある。5点が返還を拒否されたのは,この5点がアデーレの遺言で寄贈されたと判断されていたものであり,この5点の中に《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像機佞盍泙泙譴討い拭この点も映画は一切返還しなかったかのように描いており,どころか美術館側の担当者を悪し様に描いていたが,これは明らかに映画の過剰な脚色である。
  
Posted by dg_law at 15:00Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月08日

鈴木其一の大回顧展

鈴木其一「朝顔図屏風」サントリー美術館の鈴木其一展に行ってきた。江戸時代の琳派の掉尾を飾る人物である。今回の展示品は,大体は過去に一度は見たことあるものがほとんどだったが,やはり日本美術史上でも飛び抜けて好きな画家であるので,自分のその評を再確認しに行ったという意味合いが強い。加えて言えば,まとめて見れる機会というのはやはり貴重である。それゆえに鈴木其一については過去に語り尽くしていて今更付け足すことは特にないのだが,あえて改めて一言で言うならやはり「奇抜かつ洒脱」という評価になるだろうか。通常,やりすぎなくらい派手にやると洒脱ではなくなるのだが,そのラインをわかっていてはみ出ようとすると不思議と両立する。鈴木其一の画風はそこにあると思う。

鈴木其一は酒井抱一の弟子である。基本私淑でつながる琳派にあっては珍しく,ここは明確な師弟関係がある。鈴木其一の画風が酒井抱一と同じく都会的で垢抜けたものになったのはこの師弟関係の影響は大きかろう。酒井抱一が亡くなると独り立ちして,次第にもう一つの特徴である奇抜さが大々的に飛び出してくる。6年前に「夏秋渓流図屛風」は初めて見たときに大きな衝撃を受けたが,改めて見ても波濤の表現が見事である。一方,「朝顔図屏風」は今回初めて見た(今回の画像)。明らかに燕子花図屏風を模していながら,あちらが静的な配置の妙を出しているのに対し,こちらは蔓の配置が動的である。この作品なんかは巨大な作品であることもあって本当に仰々しいのだが,やりすぎない範囲で収まっていて,かえって統一感さえ感じる。この朝顔図屏風はメトロポリタン美術館にあるので,国内で見るのは今回のような機会でないと難しい(今回の“帰国”は12年ぶりとのこと)。

あとは鈴木其一といえばやはりだまし絵であろう。いわゆる描表装で,掛け軸の天地にまではみ出して描いた作品である。その意味での鈴木其一の無二の傑作というと「業平東下り図」で,天地に描かれた四季の草花が本当に見事であった。「業平東下り図」も琳派に好まれた題材であり,尾形光琳も俵屋宗達も描いている。先人を超えるにはどうしたらよいか,というところで採用したのが描表装だったのではないか。実に見事なウィットである。

ところで本展,諸事情により会期末に行ったのだが,かなり混雑していた。また必ず買おうと思っていた図録が店頭分は完売していて,以降は後日に発送という形になっていた。東京展は10/30に終わったが,これから姫路市美術館,細見美術館と巡回する。鈴木其一の知名度を鑑みると思った以上に人気であるので,行こうと考えている人はなるべく早めに行っておいたほうがよいかもしれない。

  
Posted by dg_law at 15:00Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月07日

『ブロークバック・マウンテン』

これは傑作。どのくらい傑作かというと『ショーシャンクの空に』クラスだと思う。明らかに私が見た映画の傑作トップ20には入る。トップ10に入れてもいいかもしれない。

有名な作品ではあるが2005年公開の作品であるし,あらすじを書いたほうが説明しやすいので,あらすじを書きながら要点をまとめていく。舞台はアメリカ中西部ワイオミング州,時代は1960年頃〜80年頃まで。主人公は二人のカウボーイの青年,ジャックとイニスである。彼らは夏の間ブロークバック・マウンテンで羊を放牧する季節労働を受ける。二人は雄大かつ過酷なロッキー山脈を,羊を連れて駆け抜けていく。仕事で協力する中で二人の間には友情が芽生える(ついでに一線も超える)。

結局二人は夏が終わって仕事も終わると離れ離れになり,連絡もとらないまま,4年の歳月が過ぎる。二人とも結婚して家庭を持ち子供ももうけたが,それぞれの事情によりどちらも幸せな家庭を築けたとは言えず,抑圧された生活を送っていた。そして4年経ったある日,ジャックがイニスを見つけ出して連絡を取り,二人は再会する。それから16年間,二人は何ヶ月かに一度会っては旅行に出かけ,再び友情(と愛情)を育んでいく。しかし,同性愛混じりのその友情は,保守的な社会の中では当然禁忌であり,それもあって二人の旅行先は必ず人目のつかないワイオミングの山中,ブロークバック・マウンテンだった。だが,はっきり言ってしまうと「人目を避けるため」というのは表向きの口実にすぎなかった。映画はストーリーを映像に語らせるのが真骨頂であるとするなら,本作は満点である。ブロークバック・マウンテンは,二人にとってはカウボーイでいられた若き日の思い出の場所であったことを,その自然の雄大な美しさをもって雄弁に語っていた。それは抑圧された家庭を持った二人にとって,何よりもかけがえのない思い出であった。本作が名作たる所以はいくつかあるが,その最大の理由を挙げるなら,間違いなく風景による心情の代弁であり,ロッキー山脈の美しさそれ自体でもある。(余談1:実際のロケ地自体はカナダだったそうだが,私は聞かなかったことにした。余談2:町山智浩氏はこの美しさをアダムとアダムと例えていたが,うんまあ,確かに森の妖精だったかな……。むしろニコニコ動画でアレを「アダムとアダム」や「森の妖精」と名付けた人は本作や町山氏の批評を知ってて付けたのなら,意外に趣深い。)

しかし,雄大な自然はただそこにあるだけで,鬱屈した現実を解決してくれるわけではない。16年続いた二人の交際は,ある事情によりあっけなく終わりを告げることになる。悲恋の物語だが,悲恋というだけで終わらせなかったので,非常に爽やかなエンディングとなっている。


本作で描かれているのは「二人の男性が長期間に渡って育んだ友情」であり,また「同性愛」である。一方で,同性愛の要素が無くても本作のストーリーは実はほとんど成立してしまう。友情のストーリーとして追っていくと,始まりからエンディングに至るまで,同性愛の部分を捨象しても十分に成り立ってしまうし,それでも本作は十分におもしろいのである。ではなぜ,本作はあえて同性愛を入れたのか。もちろん,アメリカ中西部の保守的で閉鎖的な社会を批判したかったという意図は無かったわけではなかろう。しかし,それ以上に友情と恋愛の垣根を取っ払って描写したかったというのが何よりの意図だったのだと思う。監督自身が「本作は普遍的なラブストーリー」と言っているように,逆転の発想で,何なら本作のストーリーは男女にしてしまって成立しないことはない(女性のカウボーイという存在が許されるのかは別問題として,あくまで筋だけ考えれば)。あえて言ってしまえば二人の関係は親友かつ恋人であり,そのいずれか片方ではないのである。

実はこの「友情の延長線上にある同性愛」という考え,私は百合ややおいに通じるものを見た。本作の公開年と奇しくも同じ2005年,『リリカルなのはA's』の誰だったかの評論で,「友情は過酷な戦闘を通じて恋愛との区別がつかなくなる……という発想を誘発する作品で,やおいを誘発する作品も同じ構造をしている」というのがあって,なるほどと思った記憶がある。当時ははてブなんて知らなかったので記録をとっていないのが残念である(そういえばはてブも2005年にサービス開始である)。『ブロークバック・マウンテン』を見て私が真っ先に思い出したのが,先の評論だったりする。


以下はネタバレで雑多に。  続きを読む
Posted by dg_law at 03:34Comments(0)TrackBack(0)

2016年11月03日

シン・ゴジラあれこれと天皇陛下の会見

・シン・ゴジラと常盤橋プロジェクト(yosha-ki.log)
・シン・ゴジラと東京駅周辺の質量兵器群(yosha-ki.log)
→ 確かに見慣れた東京の風景の中に見知らぬ建物があって,何だろうとは思っていた。こんなところで『シン・ゴジラ』の虚構VS現実というテーマ設定を補強してくるとは。「メーサー車もスーパーXもない」けど「現実と地続きになった虚構(未来)の力は借りてる」という指摘はなるほどと。


・【シン・ゴジラ】尾頭ヒロミいいよねという画像まとめ【ネタバレあり】
→ これは「萌え」としか言いようがないキャラ造形だった。漫画・アニメ的ではあって,庵野監督の手のひらの上である。ただ,綾波レイかと言われるとそれは違うし,単純化しすぎた見方である。カヨコがアスカも同様。尾頭さんの良さは「ああ,この人は本当に生物が好きなんだなぁ」と思わせられるオタクっぽい語り方と知識,ゴジラも生物として見てしまう思いの強さ(二次創作で蒲田くんとセットになっていることが多いのは非常にしっくり来る)。オタク語りすぎてコミュ障に見えるのだけど,本人はさして気にしてなさそう&周囲が拾える人間ばかりというのもおもしろいし,また典型的な仕事人間っぽさ(実際に有能)と「少し臭います」に代表される女性っぽさの間のギャップもある。この辺は全部綾波が持っていないものだ。
→ なお,女性の視聴者としては文科省の安田さんが萌えだそうで,確かにそうだろうなと。あと男女共通して泉ちゃんは人気かな。これもわかる話。


・象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(宮内庁)
・「象徴としての天皇」を体現――陛下の「完璧主義」と歩み(Yahooニュース)
→ 長い年月を経て立憲君主制下における国と国民統合の象徴という存在にたどり着いたという歴史を背負い,一方ではその「象徴」の意味を模索し続けた天皇陛下の実感がこもったお話であった。名演説と言ってもいいと思う。象徴であるからこそ「摂政を置いて解決するものではない」という言葉の重みは,陛下御自身にしか出せない。確かに制度上は置けるだろうが,それはまだ象徴という存在の意味合いがかっちりとしていなかった時に作られた制度なのだ。陛下が崩御に伴う社会に与える影響の大きさを懸念されているのも,現代の社会を考えた陛下らしい発想だ。
→ 私は保守主義者であるが,だからこそ変えてよい部分と,変えていかなくてはいけない部分の切り分けは重要だと考えているし,象徴天皇制を現代日本の新たな伝統として残していくのであれば,陛下が今回切り出した部分は「変えていかなくてはいけない」部分であろうと思う。というよりも,そうした切り分けが陛下御自身のお言葉として出てきたのは大変喜ばしくもあった。
→ 現実的な解としては,やはり定年制の導入だろうか。ついでに女性天皇・女系の継承についても議論されればよいと思うのだが,どうもそうはいかなそうで,どころか安倍政権がどうやら一代限りの特別な措置ですまそうとしているようで,実はあの人達皇室を滅ぼそうとしているのではと思えてきた今日このごろである。


・「天皇陛下お気持ち表明」 フォントは放送開始14分後、皿は27分後にほぼ特定、そして難関と思われた石も(Togetter)
→ こっちはお遊び。陶磁器は異様に詳しい人が多いので即座に特定されるだろうと思っていたが,石まで。
→ なお,陛下の疎開先は奥日光で,その時住んでいた建物が後に益子に移築されたとのことなので,疎開先だから益子焼というわけではないそうだ。益子焼からメッセージを見出すのは深読みのしすぎになるだろう。ちなみに益子焼の歴史は案外と新しく,江戸末期に始まったものなので,私も陶磁器は大好きだけどこれはあまり関心範囲ではなく,さっぱりわからなかった。
→ ところで,石を特定している人のアイコンは,アイドルマスターシンデレラガールズの依田芳乃で,趣味は石ころ集めである。担当アイドルの趣味に精通している,プロデューサーの鑑である。  
Posted by dg_law at 01:14Comments(4)TrackBack(1)