2017年06月28日

伝説(?)の7つの玉手箱

「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」サントリー美術館の玉手箱展に行ってきた。玉手箱とは「玉=宝」の「手箱」であり,手箱とは主に化粧品を収納した中世日本の漆器の小箱のことである。女を化けさせる化粧,しかも化粧は「化生」に通じ,とりわけ髪を扱うものは古来より呪力の源泉であり,日本神話でイザナギが櫛や髪飾りを投げて逃げていること等もその関連である。このことから,化粧道具を封じる玉手箱も呪力が封じられていると考えられてきた。そうすると,浦島太郎が帰り際に与えられたのも,浦島太郎が男性であったにもかかわらず「玉手箱」であり,実際にとんでもない呪いが封印されていたというのも理解しやすいところである。今回の展覧会でも,浦島太郎が持ち帰ったという伝承がある玉手箱の「松梅蒔絵手箱」(重要文化財,枚聞神社所蔵)が展示されていた。ご存じの通り,浦島太郎伝説は日本中にあるが,この玉手箱を信じるなら薩摩が正解ということになる。


さて,有名な茶人が持っていた茶器に箔がついたのと同様,玉手箱でも北条政子が保有していた手箱は後世大いに箔が付いた。そうして生まれたのが北条政子が特に愛用していた手箱が7つあるとする「政子の7つの玉手箱」伝説であるが,往々にしてありがちなことにこの7つは史料によって異同があって確定していない。もっと言えば,そもそも北条政子が7つも手箱を愛用していたかどうか自体が確証のある話ではなく,もっと少ない可能性もあり,いろいろと眉唾な伝承であるが,先の呪力の話といいどうにも中二心をくすぐる話である。

今回の目玉展示の浮線綾螺鈿蒔絵手箱も,「7つ」のうちに挙げられることがある玉手箱の1つである。この玉手箱はサントリー美術館が近年長らく修復作業をしていたもので,今回が久々のお披露目となる。この玉手箱の模様である浮線綾紋は,サントリー美術館の今年のメンバーズクラブ会員証の模様にもなっている(のだが言われて初めて気づいた)。浮線綾紋とは平安貴族が身につけていた衣服などに用いられていたいくつかの有職文様を指し,それ自体が特定の文様を指すわけではない。見ての通り,抽象的な唐草文様である。そして,この浮線綾紋を手箱の文様に用いて螺鈿で表したのが今回の玉手箱ということになる。今回の展覧会は浮線綾螺鈿蒔絵手箱を含めて「7つ」のうちの3点(3点とも国宝)の実物が展示されていた。実物を見てみると,呪いとかそういうのは全く感じなくて,ただの大変螺鈿の綺麗な漆器の箱でしかない。しかし,あえてそういう曰くを込みで見た方が尚更楽しめる展覧会だったと言えるだろうし,各展示のキャプションも気合が入っていて説明がおもしろかった。ただ「美しい」というだけでは帰らせない展覧会は良い展覧会である。

さらに今回の展覧会では,「7つ」の玉手箱の19〜20世紀に作られた模造品も展示されていた。これはこれで大塚国際美術館じみた楽しさがあった。またそれとは別に幕末に製作された普通の漆器が2点展示されていた。これはどういうことかと言えば,この2つの漆器は,「7つ」のうちの1つとされていた「籬菊螺鈿蒔絵手箱」とともに1873年のウィーン万博に出品されていた。うちの国の手工業は昔からすごいし,今でもその伝統が受け継がれているという国威発揚・輸出促進のためである。しかし,展示を終えて復路の1874年3月,それらを輸送した船が伊豆沖で座礁・沈没する。明治政府の必死の捜索の結果,沈没から1年以上経ってからやっと発見された……のがこの2つを含む幕末の作品だけだった。籬菊螺鈿蒔絵手箱は鶴岡八幡宮が所蔵者で,「7つ」伝説に最も近い手箱であったから,痛恨の出来事であった。このエピソードを加味して改めて展示を見ると,この約140年前に引き上げられた2作品と,籬菊螺鈿蒔絵手箱の模造品が並んで展示されていた意味が理解できる。模造品の完成は1999年と意外と新しく,2作品との約140年ぶりの”再会”であるのだ。なお,このエピソードは1年以上海に沈んでいたにもかかわらず破損が少なかったということで,漆器の恐ろしいまでの耐久性アピールになったのが,ケガの功名・不幸中の幸いだったとのことである。実際にその2作品,言われないと「2世紀分の経年劣化かな」としか思われない程度には傷みが少なかった。これらはこれらで,十分に見る価値がある。

ところで,その「籬菊螺鈿蒔絵手箱」,さすがに海の藻屑だろうか。まだ原型をとどめていたら,それはもうさすがに漆器の恐ろしいまでの耐久性の域を超えて,それこそ呪力の域であるような……トレジャーハンターの皆さんはチャレンジしてみてください。
  

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2017年06月27日

雛人形の持つ魔力で役満くらい楽勝……?

・サンゴの天敵「オニヒトデ」を食べてみる(デイリーポータルZ)
→ 平坂さん,いろんな動物の毒を受けすぎて体に耐性ができているのでは……生物学的にはありえないが,この毒耐性っぷりを見るとそうも思えてくる。
→ 自分の考える「食ってみないとわからないだろ」を実践する人の双璧は,山のカメ五郎,海の平坂さんになっている。まあカメさんはサバイバルスキルの一貫として無謀な物も食べている&泳げないから海に行かないというだけなので,食うのが目的で生物学的な好奇心が先立つ平坂さんとはちょっと方向性が違うけども。


・不要になったお雛様で“日常生活”を表現した「福よせ雛」 余生を楽しんでる感が満載すぎると話題に(Togetter)
→ モチーフが平安貴族なので,余生を楽しんでいるというよりかは,現代にタイムスリップして生活をエンジョイしている感がおもしろい。
→ 中にある麻雀,国士無双をあがっている。上家は緑一色聴牌だったので惜しい。この卓,ひょっとして化物だらけですか……?


・鳥取砂丘水たまり「オアシス」巨大化 大雪で地下水増え(毎日新聞)
→ 鳥取砂丘というと以前に旅行で行って大変残念な気分になったところだが,こうなってくるとかえって「緑化しちゃうので早く見に来い」需要を喚起したほうがよいのかも……
→ ところで本ブログの名前は本来稀にしか見られない奇跡的な現象ということで「砂漠の雪」なわけですが,鳥取砂丘に雪が降るのは珍しくも何もない話であるところ,実物を見て「そもそもこれは砂漠ではない」と割り切れるようになったので,見に行ってよかったです。これは謎の行ってよかったポイントだった。
→ ところでもう1つ,この毎日新聞の写真は上手い。見事に鳥取砂丘が大砂漠のように見える。


・青森県田舎館村「田んぼアート」の超絶進化がすごすぎる(デイリーポータルZ)
→ インターネットの風物詩として毎年やっているなという認識はあったけど,並べてみると確かに超絶進化である。元絵の進化もあれば見る角度を考える工夫もあり,稲自体の種類も増えてと,参加する面々の向上心がすごい。機会があったら見に行きたい。


・イスラム法のむち打ち刑、初めて仏教徒に執行 インドネシア(AFPBB)
>2015年にアチェ州法が見直され、シャリアに違反した非イスラム教徒は、国の法制度とシャリアのどちらの下で裁かれるかを選べるようになった。
→ ということで,被告の仏教徒がわざわざシャリーアでの裁きを選んだからこそのむち打ち刑だったようである。自由刑ということは長期間拘束されるということになるから,短時間で終わるむち打ち刑を選んだということであろうか。むち打ち刑が残っているという野蛮さを嘆くべきかどうか悩むところ。  
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2017年06月26日

バベルの塔(完成間近の方)

ピーテル・ブリューゲル《バベルの塔(ボイマンス美術館)》都美のバベルの塔展に行ってきた。バベルの塔の他に,ヒエロニムス・ボスとピーテル・ブリューゲルを二大巨塔として,15〜16世紀のベルギーの美術品が展示されていた。土日に行ったら混雑がひどかったので(入場20分待ち),可能であれば平日に行くのを勧める。

《快楽の園》等で有名な奇想の画家ヒエロニムス・ボスは16世紀前半の当時すでに高名な画家であり,彼の生み出した怪物たちは同時代の画家たちに模倣された。そのせいでボスの作品は真贋の鑑定が難しく,特に真筆と断定されている油彩画は約25作品しかない。フェルメールよりも少ないのである。もっとも,ボスの場合は生前遅筆で作品数が少ないというよりも「断定」できるものが少ないということなので今後増える可能性はある。今回の展示でも「ヒエロニムス・ボスの模倣」となっている作品は多かった。また,ボスは版画作品も多いから油彩画に限定して”少ない”というのもお門違いではあるように思う。それでも今回の展覧会はそのうち2点《聖クリストフォロス》と《放浪者(行商人)》が来ていたので豪華と言えるのだが,この点ではほとんど宣伝されていなかった。ポスター等に登場するのは全てブリューゲルの作品であって,ボスの作品ではなかった。当然ながら日本におけるボスの知名度はブリューゲルにかなり劣る。しかし,鑑賞客の受けは良かったようで,奇抜な怪物たちに魅了された人は多いようだった。これを機会にボスの知名度も上がるとよい。

ピーテル・ブリューゲル(1世)はネーデルラントのルネサンスを代表する画家であり,以後バロック美術の時代までネーデルラントの美術を牽引することになるブリューゲル一族の初代である。今回の展示はバベルの塔を除けばほとんどが版画ではあったものの,油彩画の様子をうかがうことができる版画が多く,良い紹介になっていたと思う。定番の農村の様子を描いたものや,教訓やことわざを描いたものもあった。

さて,《バベルの塔》である。16世紀では当然考古学は存在せず,そもそも西洋人がすんなりイラクまで行ける時代でもなかったから,完全に想像で描くしか無かった。ブリューゲルの《バベルの塔》が偉大なのは,ここまで高層の架空の塔を初めて構想したという点にある。当時のヨーロッパの高層建築というとまだゴシック様式の教会・尖塔しかなかった時代であり,いかに『旧約聖書』に「レンガ造りの天まで届かんばかりの高い塔」と書いてあっても,全く想像がつかなかったはずである。実際に,ブリューゲル以前に描かれたバベルの塔はそれほど高層には見えず,想像もつかないような世界を描く困難さを如実に表していたのであった。ブリューゲルの直前の時期になってやっと,螺旋状の外周を設けている作品が現れてくる。

そうしてブリューゲルの作品を見ると,リアルな建築現場が描かれていることがわかる。画面をよく見ると,塔の麓でレンガを作っている様子,塔の中腹で真っ赤なレンガや真っ白なセメントを高層まで運ぶための滑車が動いている様子や,最上階で木製の足場が組まれている様子などが描かれていて,塔の外では物資を運搬する巨大な船が港に入ってきている。これらの様子は当時の西洋経済の中心地であったアントウェルペンを観察して描かれたものであり,この時代にやっと神話の想像力に人間の技術力が追いついたと言えるのかもしれない。一方,この塔は人間の大きさを基準に計算すると高さは約500mになるそうで,高いには高いが21世紀現在ではそう珍しくもない高さである。なんせ828mもあるブルジュ・ハリファを我々は知っている。16世紀の天才が考えた「神の怒りを買う高さ」をすでに人類は超えているのである。

なお,ブリューゲルの《バベルの塔》は2作品あり,1つは建設開始間もない頃の塔で,こちらはウィーン美術史美術館にある。もう1つは建設がかなり進んだ状態の塔で,ロッテルダムのボイマンス美術館にあり,今回展示されているのはこちらである。画面自体の大きさは前者が後者の約4倍あり,ボイマンス美術館所蔵の方がかなり小さい。しかし,実物を見てみるとわかるが,ボイマンス美術館のものでも十分巨大で迫力がある。してみるとウィーン美術史美術館の方も見てみたくなった。

今回の《バベルの塔》の展示では,特別企画が2つ動いていた。1つは,大友克洋氏がバベルの塔の内部構造を想像して描いたInside Babel。もう1つは東京芸大が主体となって,画面を約3倍に引き伸ばして描いた《バベルの塔》の模写作品である。どちらも会場で展示されていてよくできており,良い企画だったと思う。芸大の作品なんかは本物よりも混んでない&引き伸ばしているおかげで細部がわかりやすくなっているので,じっくり見たいのならお勧めである。もちろん,3倍に引き伸ばされても荒れない元絵の画素の高さもすごい。(油彩画に画素って言葉を使っていいものかどうかは別として)


その他の展示は,ブリューゲルとボスに金がかかりすぎたか層が厚くなかったものの,ヨアヒム・パティニールを持ってきていて「西洋初の風景画家」と紹介していたのはとても良かった。また,オランダが独立する前の,というよりもオランダが世界経済の中心地として隆盛する以前のホラント州の画家たちの作品が紹介されていた。技術レベル等の観点では普通すぎて特にコメントがないが,たとえば江戸幕府開府前の江戸の画家の作品が残っていたらおもしろいだろうなと考えると,作品の価値は理解できるし,こういう形で紹介されるのは貴重である。


  
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2017年06月25日

非ニコマス系動画紹介 2017.1月下旬〜2017.2月中旬

一気に『けものフレンズ』の動画が出てきた時期。





カメ五郎氏のどんぐり料理リベンジ。part4は砂糖抜き,part5は砂糖あり。結論:砂糖はやっぱり偉大だった。そりゃね,どんぐりだけだと甘みがね……




とうとうネズミ避けが完全パターン化。低レベルプレイの鬼門が崩れた。



この動画は明らかに『けもフレ』ブームの起点の1つだったなぁ。



その発想はどこから出てきたんだよw



サンドスターはゲノム編集を引き起こすナノマシンだった……?



これかなり貴重な音源なのでは。しんざきおにいさんも古参のアプリ版ユーザーだったのに驚いた。



気弱でロリ体型の山風が,艶やかな和服を来て色っぽい曲を活き活きと踊るこのギャップがすばらしい。



元ダンス。こっちもすごい。
  
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2017年06月21日

外国人力士枠制限は緩和すべき

・広島大学図書館 教科書コレクション
→ 明治時代の教科書とかまで全部読める。すごい。自分の興味範囲から言えばやはり世界史の教科書になるが,これは偶然にも2巻のコラムに関連する内容であったので,少しそちらの参考にした。何を書いたか興味ある人は読んでみてください(露骨な宣伝)。
→ そこに書いたこと以外で言えば,ある程度の時期まで固有名詞が全部英語由来なので,何のことやら一瞬わからないのがあっておもしろい。たとえば「アゼンの発達,パーシア戦争」(アテネの発達,ペルシア戦争)とか。昭和前半くらいまでくると,かなり今に近い表記に置き換わっていて,戦前でも一応表記を原語に合わせる努力はあったらしいことが読み取れる。


・白鵬 外国人力士枠制限「なくしたい」 留学生らの悩みに心痛(スポニチ)
→ 1部屋1人に制限されている外国人力士枠は,外国人力士は日本人力士よりも(日本語学習や日本の風習の学習などがあるために)手厚い指導が必要で,数が多すぎると親方の指導が行き届かなくなるからという理由があり,この制度が本格化された10年程前まではそれなりに合理性があった。1人というのも,人間2人以上集まると気が大きくなる傾向がある以上は正しい数であった。日本人に帰化しても外国人とカウントして運用していたあたりは,悪気はなくとも人種差別とそしりを免れない制度ではあったがものの,これも無理に帰化させて制度逃れしようとする親方が出現してしまったためと当時説明されており,制度の目的や悪用の防止を鑑みると,当時としてはやむを得ない面があったのは否定しがたい。少なくとも一部で言われていたような「モンゴル人排斥」が目的だったというのは否定される推測であろう。
→ が,さすがにこれだけ外国人力士が増加した現状では不合理であろう。各部屋に対応策がそれなりに蓄積し,やってくる側も日本のことをある程度知ってから来るようになっている。むしろ現在は,有望な若者の外国人力士が入門したがっているのに,空きの部屋がない(あるいは指導力に問題がある部屋しか空いていない)という弊害の方が大きくなっている。日本人力士は部屋を選べるのに,外国人力士は選択肢が非常に狭いという差別の温床になっているのである。
→ 制度創設の目的を鑑みて急な撤廃は無理でも,段階を経るとして以下のような緩和策が考えられる。これだけでも現状の不合理はかなり解消されるように思う。
1.帰化者はノーカウント。
2.5年以上の在籍者や関取はノーカウント。
3.国籍ごとに1人まで可にする。 
4.日本語検定が一定以上,あるいは日本の大学の大卒はノーカウント。


・指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】(聖徳太子研究の最前線)
→ 日本史は専門外なので容易には首をつっこめない話ではあるけど,非常に興味深い話だった。
→ 学習指導要領自体は結局聖徳太子を優先する表記に戻った。ただ,文科省の説明も悪かったというか,おそらく説明した役人も今ひとつどこが焦点だったかわかっていなかったのだと思う。これ,私が聞いた話だと「聖徳太子という名は没後になって使われるようになったため」ではなくて「聖徳太子という名称を用いると、後代の伝説化されたイメージが強くなりすぎる」からという,この記事の筆者も懸念しているところが理由であったので,理由としてはそれなりに正当だったはずである。代替候補の「厩戸王」が不適切だっただけで。だから,聖徳太子に戻ったというのは,改悪するよりは随分マシだったにせよ,根本的な解決にはなっていない。
→ ちなみに高校の社会科では,現行の山川の『日本史用語集』では聖徳太子・厩戸王・厩戸皇子・上宮王の4つ併記でこの順番,厩戸王のルビは「うまやとのおう」で清音である。『世界史用語集』は厩戸王(うまやとのおう)のみ。
→ それにしても,
>厩戸王という名は古代の主要資料には見えないという点を報じたのは、私に取材してその談話という形で掲載した産経新聞だけであり
 他のマスコミちゃんと取材せいよ……ただし,産経新聞としては史実がどうこうというよりも「自説の補強に使えるものはなんでも使え」で使ったものと思われる。産経新聞の本音としては筆者の懸念通りであるのだから(後代の伝説化されたイメージの強化)。しかし,だからこそ産経新聞に正しい意見を恣意的に使われる素地を与えてはいけなかったわけで。
  
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2017年06月19日

最近読んだもの・買ったもの

怒涛の勢いで消化しているが,まだ発売日2月の物品である。

・『アルテ』6巻。ヴェネツィア編の続き。
→ ヴェネツィア貴族のお嬢様カタリーナさんは,男児を期待する父親に放置され,父親に物を強く言えない母親の様子もわからず,熱心に世話してくれた乳母は亡くなり,兄のように慕っていた乳母の息子とも生き別れたという情況だった。だから乳母親子のことが忘れられず,いっそのこと平民になりたいとして,問題児の振りをしていたのである。しかし,再会した乳母の長男に「生まれは変えられない。目の前の情況を受け入れて,前に進むしかない」と説得され,両親に向き合う決意を固める。そして母親と和解する。
→ これは4巻で,アルテが自らの出自(貴族)を受け入れるかどうかがヴェネツィア行きのテーマとして示されているから,この事件を体験させることで,テーマの消化も一歩前進する。逆境に立ち向かうにはなりふりかまってはいられない,使えるものは全部使う,それが自らの幸せになるのなら。本作では,情況を受け入れないことと受け入れること,受け入れた上で立ち向かうのは全部違うのである。この点,カタリーナは今回受け入れた上で立ち向かうことにした。さて,貴族である自らの出自にまだ答えの出せないアルテさんは……というところで,7巻はまだヴェネツィア編が続く模様。
→ ヴェネツィアングラスの島,ムラーノ島が登場。フィレンツェでは毛織物工場が登場したので,こちらも登場させたかったのだろう。毛織物工場は行程がいくつもあってマニュファクチュアの先駆けという雰囲気だったが,ガラス工場は職人の集まりのような雰囲気であった。


・『ダンジョン飯』4巻。地下5階,レッドドラゴン戦。ファリンの蘇生。
→ レッドドラゴン編はこの漫画らしからぬマジなバトルだったが,本当に勝てるのかという緊張感が強くておもしろかった。そして,終わったらやっぱり食すのであるが,ドラゴン肉は固いらしい。
→ 地下5階は中世ヨーロッパ風の城下町だが,部分的には古代ローマ都市になっている。公衆浴場も生きている。
→ ファリンはこの兄にしてこの妹という感じ。この人も絶対魔物食好きよね……
→ ファリンの蘇生は非常事態につき,マルシルがこっそり知ってた黒魔術を使ってしまったわけだが,どうやらこれが第2部とも言うべき5巻以降の展開にかかわってくる模様。ライオスは一度地上に戻ると言っているが,戻れない展開になるのだろう。第2部はやはりダンジョンの謎を解くべく,さらに深く潜っていく展開になるのだろうか。


・『プリニウス』5巻。プリニウス一行の船旅,ストロンボリ島の火山噴火。
→ 歴史物としての進行という点では休憩巻で,ほとんど話が進んでいないし,時間も経過していない。
→ プリニウスと出会った老人が「パルミラでセレス(中国)を見た」といい「平たい顔の人種」と呼称していたが,こんなところで『テルマエ・ロマエ』ネタが。しかし,現実的に言って当時はまだ甘英すらシリアに到達していない時代であるから,漢民族がシリアまで行商に来ていたという可能性は極めて薄い。完全にロマンネタである。まあ本作は『博物誌』に登場する架空の亜人種が多様に登場するので,それに比べると実在する漢民族が紛れ込んでいても不自然ではない。
→ 震災に遭ったポンペイで,復興工事のためテルマエを休業するべきという要請をつっぱねる経営者のオヤジがどう見てもトランプ大統領である。時事ネタというか,どこにでも登場するなトランプさん。確かに使いやすいキャラでわかりやすい顔立ちではあるが。なお,このオヤジはフスクスというが,巻末の対談によると実在とのこと。
→ プリニウス一行はネアポリスからレプキス(レプティス)・マグナへ向かう模様。レプキス・マグナといえば後にセプティミウス・セウェルスが登場することになるリビアの都市である。かなりの古代ローマ好きでなければ知らない地名であるにもかかわらず何の説明もなくさらっと出てきたが,確かに本作の読者層なら注釈なしに通じそう。
→ アフリカからネアポリスに来た船の積荷は象牙と奴隷。逆にネアポリスからアフリカに行く船の積荷はワインと羊毛,革のようである。
→ なお,全然知らなかったのだが,いくつかある噴火形態の分類の1つにストロンボリ式噴火,またプリニー式噴火があるらしい。プリニー式噴火はヴェスヴィオ火山が典型例であるから,その対比でストロンボリ島の火山を出しておきたかったらしい。  
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2017年06月15日

コペンハーゲンが将来の旅行先リストに入りました

・肉塊に覆われた世界 グロテスクで有名な『沙耶の唄』の狂気がVRで再現(Mogura VR)
→ これ割りと楽しそう。あとは沙耶のように元からグロいものだけが正常に見えるようになって,音声も実装できれば完璧。


・月に寄りそう乙女の作法聖地巡礼 〜フィリア女学院日本校編〜(みるそら)
→ その建物実在してたのかよというか,コペンハーゲンは行きづらい。せっかくそのためにパリに行った身としてはここも押さえておきたいところだけど。ベルリンに旅行する気はあるので(数年以内を目処に),そこに無理やり入れ込むかどうかかな。


・ルーヴル美術館で「フェルメール展」が開催されます。(弐代目・青い日記帳)
→ 一挙に12点見られるルーヴル美術館はすごいとは思うのだけれど,日本も一度に7作品が会したことはある。また,この12点のうち《天秤を持つ女》,《ヴァージナルの前に座る女》,《信仰の寓意》以外の9点は全て,過去10年に少なくとも1度は来日があり,私自身この3点以外の9点は全て見たことがある。日本も大概すごいとは思う。


・『けものフレンズ』大ヒットの理由とは? ガチケモナーな東大研究者が語るケモナーの歴史とその深淵(電ファミニコゲーマー企画記事)
→ 電ファミニコゲーマー企画記事はおもしろいものが多いが,今回も誰しもが納得するようなケモナーを探してきてインタビューするという着眼点がすばらしい。
→ ただのネコ耳好きとケモナーの双方が支持できるキャラデザ,という話が一番おもしろかった。高い擬人化度を保ったまま,それ以外の点で工夫すればできるものなんだなぁ。ちなみに私はケモ度の階段だと1以外はダメという完全な非ケモナーです。亜人種自体は嫌いではないのだけど……そういう意味では亜人種と「ケモノ」の間にも大きな溝がありそう。


・「アフリカの呪術師」と全面対決するため、電子マネーを導入した話。(Books&Apps)
→ 『ルワンダ中央銀行総裁日記』と同じような読後感。
→ しかし,考えてみると発展途上国で新たに工業化する際に,20世紀後半から21世紀にもなってわざわざ蒸気機関からやり直す人はいないわけで,資本主義と現金自体が根付いていないなら一足飛びで電子マネーに行くというのも合理的な発想ではある。アフリカで固定電話が普及しないまま携帯電話の普及し始めているのも同じか。今回の場合,見た目のギャップと,直接の目的とのギャップがすごいだけで。
→ ちなみに,タンス預金ならぬ「土の中の壺」貯金は,過去に日本でも存在した。室町時代にはそういう風習があったようである。基本的に銅銭なので紙幣よりは目減りしないかな。  
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2017年06月13日

最近読んだもの・買ったもの(東方関連他)

・『異議ガール!』1巻。法律物で,14歳の天才少女(弁護士資格取得済)が,幼馴染の19歳の女性を影武者に立てて事件を解決していく。14歳でなんで法曹になれるんだよというのは第1話で「司法制度改革」で押し切られているのでつっこんだら負け。
→ 連載開始時には「漫画:春河もえ 協力:オーガスト」という異色の制作陣が立てられていたが,いつの間にかどこを見てもオーガストの文字が消えていて,1巻にも書かれていなかった。本当は参加しているけどエロゲメーカーということで伏せているのか,本当に制作協力から抜けたのか,何らかの事情があったのかはわからない。少なくともエロゲメーカーだから伏せるなんてことは,角川もオーガストもやらなさそうだが。
→ 絵は春河もえ氏ということで文句の無い出来。話は……法律物ならもうちょっと法律を活かしてがんばろう,という出来。弁護士がちゃんと監修しているということだったが,1巻で扱われた事件の3つとも,大して法律が関係ないという。なにせこの1巻で一度も裁判所まで行っておらず,全部その手前で解決してしまっている。どういう読者層を狙っているのかよくわからないけど,もうちょっと本格的な法律物が読みたいところ。春河もえ絵が好きなので,2巻が出れば2巻も買うと思うけども。





・『東方鈴奈庵』6巻。
→ 幻想郷の本格ミステリ作家,アガサクリスQさん誕生。まさかこの設定,他作品(『東方文果真報』)で再利用されるとは思わなかった。
→ 百物語の話で,八雲紫が久々に登場していて嬉しかった。いろいろと幻想郷を揺るがす騒動があったのに,ここ数年いなくなってたから。同様に『東方茨歌仙』の方でも再登場していて,神主の考えからして明確に紫の再登場が必要になったということなのだろう。とはいえ『茨歌仙』の方は確かに紫がいないと始まらない話だったが,『鈴奈庵』の方はまだとりあえずの再登場という感じで,この先どういう出番があるのかわからない。


・『東方茨歌仙』7巻。
→ 華扇ちゃんが「道寿の壺」なる油が無限に湧くマジックアイテムを登場させていたが,元ネタが全くわからない。
→ 第34話で霊夢が長編小説を読んでて寝不足という話が出て来るが,読んでいたのはひょっとしてアガサクリスQの作品? とすると『鈴奈庵』と話がリンクするが。
→ そしてこちらでも八雲紫が再登場。紫様のいう「こちら側」,華扇の言う「私は貴方側の人ではない」「私は天道とともにある」とは一体何を指しているのか。単純に妖怪と人間というわけではなさそう。


・『東方外來韋編』3巻。
→ 巻頭は『東方文果真報』に向けた書籍特集で,めちゃくちゃおもしろいので古参の東方ファンなら必読。以下,ちょっと長くなるが要点をしぼって要約する。最初に『香霖堂』の話。そういったもののオファーは意外にも紅魔郷の直後から来ていたそうだ。しかし,使い物になる企画がなく,断っていたとのこと。頼みに行く方も練った企画を頼むというよりは受けてくれれば儲けものという感覚だったのだろう,時期を考えても。結局その中で受けることになったのがビブロスの持ってきた企画で,これが後に香霖堂となって表に出てきた。このときのビブロスの編集がシナリオライター・美少女ゲーム批評家の佐藤心氏で,だから連載誌が『カラフルピュアガール』になった,という裏話が披露されている。そこで神主が当時の風潮について「東方も葉鍵とジャンル的には同じと思われていたかもしれない」と触れ,「昔は「東方って何のエロゲ?」ってよく言われたしね」と語っている……神主そのフレーズ認識してたのね。そこから何度も雑誌が死んで掲載媒体が変わる話もちゃんと触れられている。
→ 次が『文花帖』。話を持ってきたのは一迅社(当時はまだスタジオDNA)の側で,第1回例大祭の時だったとのこと。設定資料集という形が嫌だったから文花帖という形になったというのは有名な話だが,これについて神主が「当時なんであんなに嫌だったんだろう」と言っていて,わかんなくなってのかよというw。記者役は当初天狗ではなくカワウソの妖怪だったとのこと。天狗にして正解である。
→ そして『求聞史紀』。文花帖が出た後,設定資料集の要望がやっぱり多かったので神主が折れたようだ。帯が重版のたびに変わっていて,帯を見ると第何刷かわかるようになっているが,これはスペカのイメージらしい。『求聞史紀』をクリアするには重版するたびに買って帯を保存しておかないといけないということか。実は東方諸作品で一番難易度が高いのでは……? 
→ 問題の『儚月抄』。世間の不評について,神主は「最後に誰かを倒して終わるストーリーじゃなかったこと」と受け止めている模様。全然違うと誰か教えてやって。ちなみに『儚月抄』を振り返る章だけめちゃくちゃ短く,割りと触れられたくないのかも。
→ 『Grimoire of Marisa』。神主本人は楽だったけど,スペカのスクショ(7000枚!)を撮る人が異常に大変だったらしい。というか,画像提供神主じゃなかったのね。
→ 『求聞口授』。「これからの幻想郷の話をしよう」と時事ネタをサブタイトルにしたのは,時事ネタは時代を感じられるものだからとのこと。なるほど幻想入りである。そう考えると『文果真報』が週刊誌ネタでオルタナファクトがテーマというのも理解できるところ。
→ 巻頭企画以外についてはいつも通り。過去作紹介は萃夢想・花映塚・文花帖。幻想郷人妖図鑑はプリズムリバー三姉妹・メディスン・リグル・ミスティア・ルーミア・レティ・チルノ・伊吹萃香・風見幽香・小野塚小町・四季映姫・射命丸文。  
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2017年06月11日

最近読んだもの・買ったもの(『咲-Saki-』16巻他)

・『咲-Saki-』16巻。五位決定戦の始まり。決勝戦までの幕間のように見えて,細かく見ていくと面白かった。
→ 原村一家が集合。和は(身体の一部分以外)お父さん似だったんやね。どういう経緯でこの性格が全然違う二人が結婚したのか,自由すぎる母が検察になり,お硬い父が弁護士になったのか。いろいろドラマがありそうだが,本編で掘り下げられることはなさそう。
→ すばらさん,やはり「プロ相手でも2万点以上削られなかった」ということで,宮永照は例外と言えそう。要するに能力が破壊されているわけだが,これも照魔鏡の効果だったりするのかな。
→ 二次創作ではすっかりアレな扱いだった友清さんが初出演&名誉挽回。そして友清さん1年生だったことに驚き。あと新道寺の監督めっちゃかわいくない?
→ 怜さん,能力が拡大して1巡先なら複数の未来が見えるように。そして怜さん,一巡先を見ているときは瞳の片方の色が変わっててオッドアイになっている。確認したら阿知賀編ではなっておらず,アニメでも2回戦ではなっていなかったから,アニメの準決勝から生まれた設定っぽい。一応,アニメからの逆輸入設定ということになるのかな。あとこれは明確ではないけど,アニメだと見た未来視する場面でしか瞳の色が変わっていなかったけど,今回からは「未来視で見た期間」が終わるまでずっと色が変わっていた。わかりやすいのはp.156-160で,p.160の真ん中のコマまではずっとオッドアイだが,その下のコマからは同じ色に戻っている。これは能力の変化に伴う変化なのかもしれない。
→ 怜が千里山の後輩の名前を挙げている場面に出てくる「ナクシャトラ」さんは何者。ナクシャトラは『マハーバーラタ』に登場するインド神話の神(月の神の妻)のようだが。


・『咲日和』6巻。
→ 一番笑ったのはやっぱり永水の巻の,ジェネシスを連想させる謎競技をやり始めたところかな。あとスク水はるるがかわいい。
→ 阿知賀の巻Г聾大会後のことだと思うけど,初瀬さん,憧と交流が復活してよかったね。そして憧の髪型をしたしずの似合わないことw
→ 白糸台の巻,あの世界の麻雀選手の地位を考えると,他の人はともかく,照さんの私物だった普通に売れてしまうのではw


・『怜-Toki-』1巻。
→ 始まったときの驚きは以前書いた。物語としてどうなっていくのかは先が全く見えなくて,何とも言えない。『シノハユ』もそうだけど,本編につながる形で終わってほしいなぁと。あっちはそれなりのスピードで年が経っているが,こっちは約7年前スタートで意外と進行が遅いのでちょっと心配。



・『シノハユ』7巻。市大会編の続き。
→ 慕が初めての団体戦に挑み,いきなりその難しさを味わっているのが,とても『シノハユ』っぽくて良い。
→ 河杉さんが国士無双を上がった時の,森脇先輩の慕への言葉「なんでイーソー4枚占有しておかないの」は確かにw。それに対して「狙ってできるのかな……」と答えているけど,慕の能力はどちらかというと,ちょうどいいタイミングでイーソーが手に入る(&イーソーが上がり牌になるように手が組まれる)というだけで,イーソー自体は普通に河に出てくるし他家の手牌にもあるし,玄のドラとはかなり違う印象がある。
→ 最後に杏果さんが覚醒。実際,縦に伸びやすいって他の麻雀漫画でも強い能力よなぁ。しかも今までの『咲』シリーズで,いそうでいなかった。勝った後の杏果の「うちの先鋒の方がずっと強いですし」は地味に杏果と閑無の関係を表しててよい。  
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2017年06月06日

人類は何万局も打てるのか

・さようなら、オバマ「あなたは史上最悪の爆弾魔でした」(プレジデントオンライン)
→ 少なくともこれがオバマの評価を難しくしているところで,どこまでがオバマの本心・意図だったのかはこれからわかっていくのだろう。無人機によって攻撃の心理的ハードルが一番下ったのはオバマ本人だったのだろうか。結果として中途半端な介入を繰り返すことになったのは,今のところ批判の方が強い。トランプ政権が有言実行でモンロー主義を復活させるのだとすると,オバマは積極的に外に出ていったブッシュ政権からトランプ政権への橋渡しになってしまったという評価にもなりかねない。この辺は本当にまだ見えない。


・マンガ『マスターキートン』の知識「砂漠ではスーツがいい」は本当か? マジの砂漠にスーツで行ってみる(それどこ)
→ 冷涼なイギリスで生まれた服がなぜw,と思ったが,逆に言ってスーツとかいうあの服,湿度が高い場所以外ではいけるということなのではないだろうか。そしてつまり,日本は最悪レベルに向いていないのでは。
→ 当然次の検証に期待がかかるところだが,無茶なのが多いからなぁ……w


・AI、ポーカーでプロ4人に圧勝 2億円超のチップ獲得(朝日新聞)
・なぜ人間はポーカーでAIに負けたのか? 日本トッププロが解説する“違和感” (ITmedia)
→ 上記事は朝日新聞の初報。下記事は日本人のトッププロによる詳細な解説。
→ 最初は「ほう,不完全情報かつ運の絡むゲームで」と思ったが,考えてみると運が絡むほうが差がつきやすいのかもしれない。人間はどうしても流れとか考えてしまうし,分岐が多ければ多いほど細かな確率は無視しやすいが,AIはそういうことはない。
→ 囲碁もそうだが,下記事にあるようにこうしてトッププロが「かえってゲームの新しい手法が見つかった」と喜ぶ流れを見ると,人類からゲームは滅びんなぁと。
→ こうなるとやっぱり完璧な麻雀のAIを見たいところで,選択肢が無限に分岐するのも精神的なものの影響が強くて押し引きの駆け引きがある点などもポーカーに近い。問題は「有意に強い」と言えるまでに何千局・何万局とかかる点で,1局にかかる時間も長いし,麻雀力以前の問題で人類が体力負けするような気も。(ところで,完璧な麻雀AIってそれは『咲-Saki-』の和さんではという話で,なるほど能力者級。)


・学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か(朝日新聞)
→ この第一報がはや4ヶ月前。大きな問題になるにせよこんなに長引く案件だとは思っていなかったし,そう予想していた人も少なかろう。結局森友学園側が泥をかぶる形で学校設立にかかわるフローチャートは消滅に追い込まれたが,森友学園側にも疑いはある以上同情はできない。しかし,それ以上に国が明らかにすべきところを全く明らかにしていないので,本件がずるずると伸びている。明らかにタイムアップ狙い,国民が忘れるのを狙っているようなので,忘れずに追っていきたい。というか,籠池氏が破れかぶれでいろいろ出しているのにあまり効いていないように見えるのが何とも。  
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2017年06月05日

フランス・ロマン主義の異才

シャセリオー《アレクシ・ド・トクヴィルの肖像画》西美のシャセリオー展に行ってきた。いかにも西美が企画展をやりそうな画家のチョイスである。テオドール・シャセリオーは美術の流れが新古典主義からロマン主義に移り変わる時期に活躍した画家であり,一般的には後ろを取ってロマン主義に分類することが多い。最初はアングルに師事し,早熟の天才として早くからサロンに出品・入選していた。事実,今回の展覧会では16歳の自画像が出品されていたが,恐ろしく上手い。アングルからすれば,このまままっすぐ成長すれば新古典主義は安泰であると思っていたところだろう。

しかし,ドラクロワをはじめとする画家・詩人のロマン主義者たちと交流するうちに,シャセリオーは師の嫌っていたロマン主義に流れていった。結果的にアングルとは決別しているが,ドラクロワのような妨害は受けなかったようで,シャセリオーは基本的に当時の画家の王道を歩み続けることになる。師と決別したとはいえ,シャセリオーの画風はそこまでロマン主義に偏っておらず,上手いこと新古典主義とロマン主義を折衷しているように見えるのもその理由かもしれない。題材も歴史画や肖像画が多く,その点では既存の価値観を全く毀損していなかったから,アングルの意識を抜きに考えても,当時の美術界からすれば異端視する理由はなかったというところだろう。ただし,シャセリオーは当時のサロンの基準は新古典主義に寄りすぎていると考えていたようで,何度もサロンの審査基準の不当さを訴えて変更を陳情している(自分は入選しているにもかかわらず)。一方で,シャセリオーのが歴史画や肖像画以外で描いたテーマは確かに目新しく,いかにもロマン主義と言える。『オセロ』の連作を作ってみたり(ドラクロワは『ハムレット』の連作がある),アルジェリアに行ってオリエンタリスムにかぶれたあたりはいかにもドラクロワのフォロワー。

彼は死ぬまでずっと売れっ子であったが,残念ながら37歳,1856年に夭折してしまった。明らかに過労死であり,ラファエロや狩野永徳の系譜である。シャセリオーは生前あのアレクシ・ド・トクヴィルと深い親交があり,今回の展覧会ではシャセリオーによるトクヴィルの肖像画(今回の顔図)の他に,シャセリオーの死を知って悲しみに暮れるトクヴィルがシャセリオーの兄に送った手紙が展示されていた。意外なところにつながりがあるもので,今回の展覧会で最も驚いた事実である。死後はほんの短期間忘れられた期間があるようだが,19世紀末にはすでに評価が復活しているし,そもそも直後の画家のピュヴィ・ド・シャヴァンヌやギュスターヴ・モローがもろに影響を受けていて私淑しているのだから,忘れられていた期間があると言っていいかどうか自体が疑問である。特にモローは影響関係は素人目に明らかであり,なるほどフランスにおけるドラクロワのロマン主義と,モローの象徴主義のつなぎ目であるなと。

そういうわけで,個人的にはシャセリオーの評価というと,フランスが生んだ新古典主義からポスト印象主義に至る綺羅星の如き画家たちの一人であり,新古典主義とロマン主義の過渡期の画家,あるいはドラクロワとモローのつなぎ目の画家ということで十分すぎると思う。しかし,西美は今回の展覧会をどうしてもさらなる別角度から切り込みたかったようで,彼がエスパニョーラ島(現ドミニカ共和国)で生まれたことと,アルジェリアに行ってオリエンタリスムにかぶれたことを持って,「エキゾチスムの画家」と位置づけていた。しかし,シャセリオーがエスパニョーラ島にいたのは2歳頃までのことで,アルジェリアの旅行も26歳の頃に2ヶ月ほど滞在しただけのようである。さらに言えば,地理的に離れていて共通点もそう多くないカリブ海とアルジェリアを無理やりくくって「シャセリオーの内面に宿った異国情緒」というのは相当に苦しい。西美さんともあろうものがそれはないよ,と思ったことは正直にここに記しておく。確かに父親が外交官でカリブ海方面に出ずっぱり,母親はクリオーリョ(クレオール)だから特殊な生育環境だったし,そうしたことがロマン主義に向かった要因の一つだっただろうことは否定しないけども。もう一つついていたサブタイトルの「フランス・ロマン主義の異才」はその通りだと思うだけに,惜しい。  
Posted by dg_law at 00:56Comments(0)TrackBack(0)