2018年06月23日

世界史上の諸君主の出題頻度グレーディング:フランス王(カペー朝・ヴァロワ朝)編

要望のあった,フランス王編。基準はこれまでと同様に以下の通り。

A:基礎知識。センター試験世界史B以上の入試を受けるなら知ってないとダメ。
B:国立二次・MARCH以上の私大を受けるなら必要。
B-:教科書に載っていて用語集頻度もそれなりに高いが,便宜上掲載されているという色彩が強く,実際には入試にはほとんど出ない。ネルウァが好例。
C:高校世界史範囲内・外のグレーゾーン。用語集頻度が低いか掲載されていないもの,または旧課程では範囲内だったもの等,早慶上智対策としてなら見るもの。
D:高校世界史範囲外だが,早慶上智でなら見たことがある。満点が欲しいなら覚えてもいい(が当然推奨しない)。
E:完全な高校世界史範囲外で,早慶上智ですら10年に1回未満のレベルでしか見たことがない。

視認性を高めるために,グレーディングのアルファベットに沿って☆を付した。Aなら6個,Eなら1個である。ズレがあったら☆の数の方が間違いなのでアルファベットの方を信じてほしい。意外と思われそうな人は赤で表示した。また,感覚には個人差があるので☆半分くらいは異論があると思われる。特に綿密にデータを収集してデジタルな判断をしたわけではないので,DとEの差については多く異論がありそうだが,そこはご寛恕いただきたい。以下,本編。


《カペー朝(前半)》
君主名グレーディング
ユーグ=カペー     B-☆☆☆☆
ロベール2世      E
アンリ1世       E
フィリップ1世     E
ルイ6世        E
ルイ7世        E
初代ユーグ=カペーはほぼ必ず教科書には載っているが,入試ではあまり見ない存在。これを答えさせるなら「カペー朝」と聞く,という発想になるのは割とわかる。カペー朝というと後半に出てくる3人以外はぱっとしないという印象があるが,それぞれ長命な君主が多く,早々に共同統治者を指名して後継者を確定させる慣習もあり,当時の西欧では貧弱ながら随一の安定した王権を確立していた。その延長線上にフィリップ2世が登場するのであるから,後世の目からすると結果的に「自らが凡庸ならば,子孫に英雄が登場するまでじっと耐える」という戦略が功を奏したように見える(当然ながら当時の王たちにそのような意図は無い)のが非常に面白いところ。その意味で,フィリップ2世以前の王がそろってEなのは誉れ高き低評価と言えよう。なお,(西)フランク王国時代について一応書いておくと,シャルルマーニュはA,シャルル2世はCまたはD,残りはE。


《カペー朝(後半)》
君主名グレーディング
フィリップ2世 A☆☆☆☆☆☆
ルイ8世    E
ルイ9世     B☆☆☆☆☆
フィリップ3世 E
フィリップ4世 A☆☆☆☆☆☆
ルイ10世    E
ジャン1世   E
フィリップ5世 E
シャルル4世  E
極めてメリハリがあって,早慶上智なら出るという人がいないのが特徴的。トップ3がフィリップ2世・ルイ9世・フィリップ4世になるのは誰しもが想像のついたところだと思うが,そこからさらに頻出度を見ると,明らかにフィリップ4世・フィリップ2世・ルイ9世の順番になる。フィリップ4世はやはり三部会の開催が非常に大きい。アナーニ事件もあるし強行のバビロン捕囚もあるしテンプル騎士団の解散もあるのでどれだけでも出しようはあるが,三部会はその後のルイ13世・フランス革命でも登場するのでどうしても触れざるを得ないというところがあるだろう。それと比較すると,フィリップ2世は第3回十字軍か王権強化の開始のいずれか。ルイ9世はアルビジョワ十字軍の完遂で聞く形になる。ルイ9世は第6・7回十字軍でも問えるが,最近は十字軍自体の出題が減っている(第1・3・4回しか出ない)ので,ルイ9世も見なくなっている印象。ただしB-やCまでは下がっていないと思われるのでBとした。


《ヴァロワ朝(前半)》
君主名グレーディング
フィリップ6世 C☆☆☆
ジャン2世   E
シャルル5世  E
シャルル6世  E
シャルル7世  B☆☆☆☆☆
ルイ11世    E
シャルル8世  C☆☆☆
フィリップ6世はCにするかDにするか微妙なところ。ヴァロワ朝初代にして百年戦争勃発時の君主であるが,意外にも入試では見かけない。一応Cにしたが,私が指導者だったら覚えなくてもよいと言う。一方,エドワード3世は二院制議会の確率もあって頻出である。百年戦争の終点シャルル7世は用語集頻度は最高のГ世,入試に頻出かというと難関大以上に限られる印象。シャルル8世はイタリア戦争を起こした王で,彼もCかDかというところ。2014年の課程改定で範囲外になった。

さて,ヴァロワ朝の前半といえば百年戦争であるが,その重要人物の賢明王ことシャルル5世,高校世界史では一切出てこない。というよりも百年戦争自体,始まったと思ったらジャックリーの乱の次はもうジャンヌ=ダルクなので,シャルル5世もデュ=ゲクランもヘンリ5世も登場しない。加えて言えば,昨今の用語削減の流れから,クレシーの戦いでB,ポワティエの戦いでC,アザンクールの戦いでDくらいの出題頻度になっている。私自身,百年戦争の流れを細かくやってもしょうがないのでこの辺の人名が登場しないことに異議はないのだが,であればジャンヌ=ダルクを強調するのも英雄史観の古臭い話ではないかという違和感がぬぐえない。百年戦争を中世的封建国家から絶対王政への脱皮の総仕上げと見なすのであれば,かえってシャルル5世の方が重要人物だと思うが,どうか。


《ヴァロワ朝(後半)》
君主名グレーディング
ルイ12世    E
フランソワ1世 A☆☆☆☆☆☆
アンリ2世   D☆☆
フランソワ2世 E
シャルル9世  C☆☆☆
アンリ3世   D☆☆
フランソワ1世以後をヴァロワ=アングレーム朝とも呼ぶが,高校世界史では区別しない。フランソワ1世はイタリア戦争におけるカール5世のライバル,レオナルド=ダ=ヴィンチを勧誘した人物として頻出。イタリア戦争自体,2つ前くらいの課程(2007年以前)だとそれほど重要事項ではなかったが,近年ではルネサンス・大航海時代・宗教改革に並ぶ近世のスタートと位置づけられている。その影響でフランソワ1世の名前もよく見るようになった。その割にシャルル8世は範囲外になっているのは,用語削減の流れとのバランスがとられたようで,おもしろい現象である。

アンリ2世はカトリーヌ=ド=メディシスの夫で問うパターンしかない。カトリーヌ自身の出題頻度はCくらいで,一応範囲内(用語集頻度はぁ法シャルル9世はユグノー戦争の勃発及びサンバルテルミの虐殺発生時の王として問われることがあるが,出題頻度は高くない。アンリ3世は見覚えがあるような気がしたのでDにしておいたが,私の気のせいでEかもしれない。一人だけ先取りしておくと,アンリ4世は当然Aである。

ブルボン家もやるつもりだったが,長くなってきたので今回はここまでで。次はノルマン朝・プランタジネット朝をやるか,このままブルボン家・ボナパルト家をやるか。  

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2018年06月17日

「ゆるふわアウトドア」とは

・ゆるキャン△に一つだけ言いたいこと(増田)
→ これはみんな思っているw。少なくとも志摩りんは完全にガチ勢ですやん。
→ しかし,「女の子だけのゆるふわアウトドア漫画」で売っている『ヤマノススメ』も大概なので,そんなもんなのかもしれない。ゆるふわ勢はいきなり三つ峠登ったりしないから……12本歯アイゼン装備して北アルプスとか行かないから……しかしまあ,主人公たちが本格的なトレイルランに取り組んだりせず,登山部インターハイを目指さなかったりするあたりでギリギリのゆるさを保っているのかも。
→ こういう日常系に見せかけて趣味をガチめに追求する系統の漫画・アニメはたまにあるけど,ジャンル名ってあるのだろうか。『けいおん!』はある種の走りであり,かつ本当にゆるいので純粋な日常系との中間か。


・行商人やキャラバンに憧れたからモロッコでロバと一緒に放浪の旅を始めたバカだけど
→ この「バカだけど旅人」シリーズは本当におもしろいので,時間はかかるが最初から最後まで読む価値がある。たとえばこのモロッコ編は,アラビア語を習得してモロッコで本当にロバを購入,さらに荷馬車を組み立てて,現地で稼いでモロッコを縦断するという偉業を成し遂げた。この他に,カメルーンまで行ってピグミー族の村落で生活してみたり,キルギスまで行って馬で旅行してみたりと,冒険心の塊である。ネットで読みたくないという方は,このモロッコ編だけ書籍化されているので,そちらへ。最近はメディア露出も増えてきて,これだけの偉業をなしたとなると5chが出自でも取り上げられるようになるんだなぁと。もっとも,この旅行記をブログでもTwitterでもFacebookでもなく5chでスレ立ててやり始めたのはよくわからないのだけれども。



・ゴディバの由来となった”ゴダイヴァ夫人の逸話”には色々な受け取られ方がある?「全裸上等!って感じの話かと思ってた」(Togetter)
→ これは絵画の影響力が強すぎた事例。私もけっこうな期間,絵のイメージの通りの話だと思っていた。ゴディバのチョコはたまに食べていたのにな。QUEENのdon't stop me nowもたまに聞いていたのにな。もっとも,いずれにせよ史実ではないので解釈なんてどっちでもいいよと言われればその通りである。

・なぜいちご大福はピリピリするのか?(デイリーポータルZ)
→ 確かにピリピリすることがあって不思議だった。一般的にそう思われていて共感を得られる話だったこと自体にもびっくりである。しかしまあ,正体はいちごが自ら出す炭酸ガスとは。
  
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2018年06月16日

2018ロシア・ワールドカップのグループリーグに見る世界史

本ブログ的に恒例企画なので。この目線だとグループB・F・Gがおもしろいかな。

グループA(ロシア・サウジ・エジプト・ウルグアイ)
エジプトがムハンマド=アリー時代に,サウジの前身の第一次ワッハーブ王国を滅ぼしていて,またロシアはエジプト=トルコ危機では第一次・第二次を通じてオスマン帝国の支援者だったので,エジプトの近代化を妨げた。関係が薄いようで,19世紀の「東方問題」では意外とつながりが見えるグループ。その意味ではウルグアイだけ浮いてる。あとはエジプトとサウジは20世紀後半にアラブの盟主をうかがうライバルだったというのは当然すぎるけど一応。

グループB(スペイン・ポルトガル・モロッコ・イラン)
すでに指摘があるが,4つともウマイヤ朝の旧領というすごいつながりがある。というか,よくよく考えたらこのグループ,イラン以外が地理的に近すぎないですかね……スペインはモロッコの旧宗主国,ポルトガルも1580〜1640年はスペインに占領・支配されていた。その占領の引き金となったのが,当時のポルトガル王セバスティアン1世によるモロッコ遠征で,彼が遠征先で客死(おそらく戦死)してしまう。セバスティアン1世に嫡子がいなかったために国政が混乱,それを見たスペイン王フェリペ2世が強引に同君連合化を提案して,という流れである。というように,地理的に近いだけあって,この3国は非常にいろいろある。モロッコとイランは西サハラを巡って対立があり,つい最近断交した。こんな新聞記事が出ている。
モロッコ、イランと断交 西サハラ独立派巡り (日経新聞)
→ 以前はモロッコはスンナ派の中ではシーア派に対して寛容な国で,イランとも融和的だった数少ない国だったが,これについては正直イランが余分なことしたよね,という感想。

グループC(フランス・デンマーク・オーストラリア・ペルー)
因縁がありそうであまり無いグループ。フランスとデンマークに限ればいろいろあるが,それは書いてもつまらんしな……一応4つとも二次大戦時の連合国とかいう大概当てはまりそうなくくりが無くはない。

グループD(アルゼンチン・アイスランド・クロアチア・ナイジェリア)
ここもそれほどつながりが無いか。ハプスブルク家の旧領は大体サッカーが強いが,アルゼンチンとクロアチアはオーストリア系とスペイン系に分かれた関係で同一の家系に支配されていた期間がかなり短い珍しいパターン。ところで,アイスランドとアルゼンチンの緯度差がすごい。

グループE(スイス・セルビア・ブラジル・コスタリカ)
ヨーロッパ2国とラテンアメリカ2国という偏ったグループだが,スイスとセルビアはどちらもEU非加盟国。ブラジルはメルコスール原加盟国だが,コスタリカは未加盟。世界史じゃなくて地理の話になってしまった。

グループF(ドイツ・メキシコ・スウェーデン・韓国)
フランスのナポレオン3世はメキシコ出兵の失敗を契機に政権が不安定になり,普仏戦争の敗戦で退位。フランスのいるグループCと両国のいずれかが当たるとしても,早くても準決勝になる。同じくドイツ統一戦争から,シュレスヴィヒ=ホルシュタイン危機に際して,スウェーデンがデンマークに肩入れしてスカンディナヴィア連邦を組むという計画があった。良いところまでいったが実現せず。そのデンマークもグループCというのはなかなかの因縁である。あとはドイツとメキシコというとツィンメルマン電報事件か。韓国だけどうにも何にもない。

グループG(イングランド・ベルギー・チュニジア・パナマ)
ベルギー・チュニジア・パナマといずれも地政学上の要点にある。ベルギーは言わずとしれた「道」と揶揄される国で,パナマは運河建設のために作られた国,チュニジアは地中海の真ん中,イタリア(シチリア)の対岸。ちなみに,フランスが1881年にチュニジアを植民地化しようとした際,対岸が植民地化されることについてイタリアが抗議するも,同年勃発したエジプトのウラービー運動の単独鎮圧をフランスに承認させる見返りとしてイギリスがフランスに肩入れし,結果フランスの植民地化が成功したという間接的なつながりはある。これで英仏への不信感が増したイタリアはドイツに接近して三国同盟が成立するという流れ。そのイタリアは今回予選敗退で本大会に出場できなかった。パナマを除く3つはローマ帝国の旧領。これはグループBのイラン以外もそうで,もっとありそうなものだが,意外にも4分の3以上はこの2グループだけ。ベルギーとイングランドは因縁がありすぎるので割愛。

グループH(ポーランド・コロンビア・セネガル・日本)
グループD以上に世界史上のつながりが希薄なグループ。これだけ言及できることが無いグループも珍しい。それも寂しいので,世界史には全く関係がないが将棋ブームであることだし,カロリーナ女流棋士には言及しておきたい。


  
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2018年06月11日

最近読んだもの・買ったもの(『ハードボイルド彼女』他)

・『ハードボイルド彼女』1巻。
→ 艦これの同人で有名なdeco氏の商業デビュー作。3話までは無料で読める。設定・物語はリンク先の通りだが,ハードボイルド路線でやってきた漫画家のヒロインがラブコメ転向を目指し,幼馴染の男子に協力してもらって七転八倒する話。この主人公カップルの織りなす物語自体が王道ラブコメというメタ要素が作品の中核になっている。艦これの同人誌とは雰囲気がかなり違って,設定はありふれているものながら,シリアス成分ゼロのラブコメを書いてもこの人は上手いなと思う。ので続刊を待ってるんですが,待てど暮らせど9話が来ないし2巻が来ない。売れてないのかネタが詰まっているのか。とりあえず微力ながら宣伝はしておく。




・『へうげもの』25巻(完結)。大阪夏の陣の後始末。本阿弥光悦,古田重嗣,岩佐又兵衛,加藤景延,俵屋宗達,豊臣秀頼,それぞれの戦後。古田織部の切腹。さらにその後。
→ 史実では古田重嗣も切腹しているので,彼と豊臣秀頼のみフィクションであるが,残りは概ねこの通り。ひょうげものの精神は琳派等の狩野派に属さない文化潮流として生き残った。あるいは,秀忠を通じて幕府の文化政策自体にも生き残った,というのが本作の解釈かもしれない。
→ 岩佐又兵衛が黒田家で描いた屏風は「大阪夏の陣屏風」で,確かに岩佐又兵衛作者説がある。古田重嗣の隠居先として福島正則が指定した「日本橋の本誓寺」は,1615年時点では確かに日本橋にあったが,明暦の大火で焼失して現在の深川(清澄庭園のすぐそこ)に移った。したがって,聖地巡礼の際は日本橋に行ってもなにもないので要注意である。
→ 最後は1650年まで話が飛び,まだ生きている上田宗箇と岩佐又兵衛が古田織部の切腹の謎を追う旅に出て,琉球にまでたどり着く。その過程で登場する堺の南宗寺は,確かに元和3〜5年頃(1617〜20年頃)に沢庵宗彭によって再建されたものだが,庭園が特に織部好みであったという記録はないようだ。沢庵宗彭と古田織部に交友関係があったのは確かだが……あとは現地に行って確認するしかないが,ちょっと堺に行く用事が他に無いのよなぁ。最後,琉球で陶磁器の絵付け指導をしていたのは,落ち延びた豊臣秀頼で間違いなかろう。薩摩・琉球に落ち延びた説はよくある。
→ とりあえず25巻自体の感想はこんなものにしておくとして,『へうげもの』全体の感想は別記事にして(いつ書けるんだろう……なるべく早いうちに)。一言だけ書いておくと,主要人物の美学と政治哲学が重なっているというのが本作の世界観で,政権交代と文化潮流の変化が綺麗に消化されていったのが歴史物の漫画としてとても美しかった。また,歴史漫画として言えば,エピソードの拾い方と無理のない範囲での改変が上手かったと思う。


・『球詠』3巻。公式戦スタート。初戦:影森戦。
→ 影森高校は試合よりも練習が好き,さっさと帰りたいから試合はクイックモーションや初球打ちを活用して超ハイテンポで進めるという高校であった。意外と見ない設定である。個人的には気持ちがわかるというか,スポーツ自体の面白さと試合の面白さはまた別物で,前者に偏るチームがあってもいいのだろう。とはいえわざと負けるのも前者の面白さを毀損してしまうので,自然とハイテンポ戦術になる。しかし,対戦する方はたまったもんじゃないのは本作で描かれている通りで,違和感がすごそう。であれば相手のテンポに合わせてこちらもハイペースにするなり,相手の心理を動揺させる手段を取るなりという戦術がとられることになり,新越谷はその両方になる完全コピー投手を送り出す戦術をとった……というところで4巻に続く。
→ 白菊さん打撃開眼。道場の応援団が来てたのが『ガルパン』の華さんにだぶって笑ってしまった。そう言えばこの子,こんな設定がある割にご家族と現在進行系で揉めているわけではないのよなぁ。作者が野球を描きたくてやっている漫画なので,そういう外野の話は極力しないのかも。  
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2018年06月10日

日馬富士引退に寄せて

基本的に大関・横綱が引退した際には普段の場所評とは別に記事を立てて感想・論評を書いているが,日馬富士は引退が曖昧であったのでタイミングを逃してしまっていた。かなり時間が経ってしまったが,いよいよ踏ん切りをつけようと思う。実はその他,関取の引退もその場所の評の末尾につけているのだが,これも翔天狼・阿夢露・北太樹と書かないままさぼっているので,彼は名古屋場所の時に書ける範囲で書いておきたい。

日馬富士,本名ビャンバドルジは安馬の四股名でデビューした。2001年に16歳で初土俵,以後は2004年に新入幕であるから出世は早かったが,そこから三役までの道のりがやや長かった。当時の印象は軽量の割に攻撃力があるが,軽量の弱点そのままに脆く,立ち合いが汚く変化も多いというくらいであった。後に横綱・大関となる力士の場合,三役までは早々に到達するが,上位定着から3場所33勝までが長いということの方が多いので(近年だと稀勢の里も豪栄道も琴奨菊も鶴竜もこのパターンである),逆に入幕から三役定着までの方が長かった安馬は珍しい部類に入る。2007年頃にやっと三役に定着し,そこからは約2年間,7勝から10勝の間を行き来して,大関になれそうでなれない状態が続くが,2008年11月にとうとう大関に昇進し,日馬富士に改名した。安馬の昇進により2横綱5大関となるため協会はかなりしぶっていたが,3場所35勝で後ろ2回は優勝次点とあっては上げざるを得ない成績である。この頃の日馬富士はとにかく上昇志向が強くストイックで,練習量が異常に多く,とにかく最強の力士になるため闘志を燃やしていた。闘志が余り余っていたために前述のような汚い立ち合いや変化に加えてダメ押しもあり,素行は早くから不安視されていた。

大関時代の日馬富士は,昇進直後に右膝を負傷したこともあってぱっとしない成績が続いた。大関3場所目の2009年5月場所で優勝したがその後は長く低迷し,彼もそういうパターンかと思われたところ,2011年頃になって成績が安定し,優勝戦線に絡むようになる。そして2012年の7月・9月で怒涛の30連勝,無傷の連続優勝で横綱に昇進した。日馬富士の力士人生を語る上で外せないのが,彼の品格の豹変である。大関時代までの日馬富士は随分と品格の問題が懸念されていたが,横綱に昇進してからの日馬富士は人が変わったかのように落ち着いていった。彼の原動力は強い上昇志向であったところ,横綱になって頂点を極めたからか,はたまた単純に地位が人を作ったか,加齢によるものか。そのいずれもあったのだろう。2015年頃になると,白鵬の素行が問題視されていったため,かえって日馬富士の品格が褒められるまでに至った。

取り口はスタミナと守備力を捨ててスピード・テクニック・瞬間の攻撃力の3つに全振りしたかのようなステータスで,とにかく立ち合いから猛烈に攻め立てて勝負を決めてしまう。特に大関時代後半から横綱時代の半ばにかけてよく見られた「突き刺さるような鋭い立ち合い」と称される,低く入って片手で深く差すか両手で前まわしをとる立ち合いは大相撲史上でも例を見ないほどの破壊力を持ち,勢いのままに相手の腰が砕けるか,二の矢で飛んでくる寄りや投げが綺麗に決まるかで,優勝したような場所ではほとんどこの立ち合いだけで勝負が決まっていた。

一方で,立ち合いで失敗するとどうしようもなく,守勢に回っても弱く,長い相撲にも弱いし,大型力士とパワー勝負になっても苦しかった。この辺りは守勢に回っても抜群の相撲勘で逆転し,スタミナ勝負やパワー勝負はむしろ得意な朝青龍や白鵬とは大きく異なる。また,自らのスピードが早すぎて思考が追いつかずに自滅するという特異な負けパターンもあった。この立ち合いの失敗とスピード自滅が原因となって格下相手に取りこぼすことが頻発し,横綱・大関には全勝しているのに終わってみると11勝で優勝ならず,というような事態が多々発生した。二日目・三日目に負けることが非常に多く,「三日目のジンクス」はNHKの放送でもしばしば取り上げられるほどであった。金星配給数も在位31場所で40個と異様に多い。これをもって日馬富士を「横綱としては弱い部類」と見なす評価もあるが,横綱在位時勝率.727,通算優勝9回の横綱にそれはないだろう。いずれも横綱としては平均的なレベルの数値で,同時代に朝青龍と白鵬がいることを踏まえると,むしろ金星が多いことくらいしか弱い横綱とする論拠がない。

しかし,軽量で異様な攻撃力を誇るその取り口は次第に身体へ深刻なダメージを蓄積させるようになり,まず右膝,次に右肘,左肘,左足首と負傷箇所が増えていった。2014年9月には5日目に右眼窩底を骨折し,失明・引退の危機にもなった。2015年頃になると突き刺さるような立ち合いは鳴りを潜め,むしろそれをテクニックでカバーする取組が増えていった。特に左右の出し投げは強烈で,立ち合いの威力減少を十分に補った。元々テクニックがあった力士であるから出来た取り口の変化であり,前述の品格の変化もあって,この頃には玄人好みの力士になっていた。大関昇進前には考えられない話である。結果的に普段は10〜11勝して横綱としての責務をそれなりに果たしつつ,10場所に1回くらいに思い出したかのように優勝するというのが横綱後期であった。

このままもう3年ほど実働して,優勝回数が12回くらいになったタイミングで円満に引退かなと思っていたところ,丸くなったと言われていた素行のうち,酒乱だけはどうしても治らなかったようで,酔った勢いで同じ関取の貴ノ岩に暴行を働いた。これが2017年九州場所中に発覚して引退となった。最後の金星配給は2日目,奇しくも同じ貴乃花部屋の貴景勝であった。その場所評に書いた通り,「朝青龍が一般人を殴り,半強制的に引退となった事例を引けば,やはり最低限でも自主的な引退は避けられない。相手が一般人か力士かは罪の軽重に無関係であろう」というのが自分の判断で,概ねそのように事態は推移していった。日本への帰化申請をしていたが間に合わず,引退は日本相撲協会からの退職を意味することになってしまった。しかし,伊勢ヶ濱部屋の親方ではなく「コーチ」という立場に就任し,後進の指導をすることになった。また,横綱在位中から法政大学大学院に通っており,史上初の大学院生横綱であったから,今後は学究の道に進むのかもしれない。土俵外では趣味の油彩画で知られ,腕前はかなり上手く,個展を開いたこともある。お疲れ様でした。コーチとしての活躍に期待します。
  
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2018年06月08日

限りなく陶磁器っぽいガラス

黄色鳳凰文瓶(清朝・乾隆年間)サントリー美術館の清朝ガラス展に行ってきた。中国というと陶磁器のイメージが強く,しかもそのイメージは概ね間違っていない。ガラスの発見自体は諸説あるものの,春秋時代末期から戦国時代のこと(ちなみにこの時のガラスは鉛ガラスと言って,透明度は高いが量産しづらいもの)。しかし,その後はどうも関心が向かなかったようで,明代くらいまで大した技術進化が無く,量産もされなかった。今回の展示でも,その最初期の春秋戦国時代〜後漢頃のガラス製品が何点か展示されていたが,技術的進化がなさすぎるのか,その後の三国〜明代のガラスは一切展示が無かった。そして時代が清初に飛ぶ。

しかし,清初にイエズス会士がソーダ石灰ガラス(アルカリ石灰ガラス)の技法を伝えると,時の皇帝康熙帝が紫禁城内に官営のガラス工房を作らせ,やっと中国のガラス工芸が開花することになった。ただし,おそらく西欧側の技術も発展途上だったのであろう,この時の技術伝播はかなり問題があった。以下は化学的な説明になるが,ソーダ石灰ガラスはシリカ(硅砂)と炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)と石灰(炭酸カルシウム)を6:1:1で混ぜるところ,当時はバランス調整が不十分で,ソーダの割合が多くなりがちだったようだ。そうすると,数年〜数十年のロングスパンでは,余分な炭酸ナトリウムが硅砂と混ざってケイ酸ナトリウムが生じ,水溶性のあるこの物質が器の表面に付着した水分に溶けて流出する(空気中の水分もあろうが,そもそもガラスとは液体を注ぐものである)。こうなるとガラスの組成が崩れるので表面に穴が空いたり不透明になったり,最後には器全体が損壊するという現象が起きる。「クリズリング」というそうで,中国によらず,近世のソーダ石灰ガラスでは世界的に生じていた現象だそうだ。それでも欧米では数が作られていたこともあってそれなりに残っているが,中国のガラス職人たちはとうとうクリズリングの問題を解決できず,極めて残念なことに康熙帝・雍正帝期のガラス作品はほとんど残っていないそうだ。残っているものは,偶然の産物として材料のバランスが良かったのだろう。今回の展覧会でも,康熙帝・雍正帝期の作品はわずかに3点だけで,しかもうち1点は「クリズリングが実際に進行している事例」としての展示であった。確かにそのガラスは錆びた金属をイメージしてもられば大体想像通りと言える状態であった。ガラスでも錆びる,というのは今回受けた大きな衝撃であった。

そして乾隆帝が即位した頃に,またしてもイエズス会士が技術を伝えて,やっとクリズリングの起きないガラスの製法が確立された。こうして本格的に官営ガラス工房が稼働するようになる。この頃の清朝ガラスの特徴は無色透明であることにこだわりがないという点である。無色についてはほとんど無く,着色ガラスが基本であった。透明なガラスはそこそこ数があったが,他地域のガラス工芸と比べると圧倒的に不透明なガラスの割合が高い。これはおそらく陶磁器の影響を受けているからで,器の形も模様も概ね陶磁器の方向性と同じである。結果的に,材質を隠されて展示されたら陶磁器かガラス器かわからないものが多く,なかなか衝撃的であった。今回の画像は展覧会内の一部が写真撮影許可だったので自分で撮ってきたものだが,これなんかは本当に陶磁器っぽく見える。ガラスなのに,この透明感の無さよ。図録にも「儚さや壊れやすさを好まない中国の伝統的な造形感覚」の現れと指摘されていて,確かになと。

最後はエミール・ガレの作品が展示されていて,彼が中国ガラスから受けた影響について説明されていた。でもまあ,ガレは何にでも影響受けているしなという感じがあって,影響を受けていたのは確かだろうし説得力もあったが,それほど感動はしなかった。やはり本展の目玉は乾隆帝期の,あまりにも陶磁器っぽいガラス製品たちであろう。
  
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2018年06月06日

非ニコマス系動画紹介 2017.9月中旬




術のみ縛り。ロマサガ3の術は使い勝手が良い一方で攻撃威力が低いので,パーティーバトルの場合は非常に有効だが,一人旅だと火力不足がついて回る。しかも技と違ってレベルが上がっても術は威力がそれほど上昇しないので,終盤ほど辛い。それでも何とか真フォルネウスも破壊するものも倒せた。一応,朱鳥術以外はクリア者がいて,朱鳥術も真フォルネウスまでは撃破しているので,術一人旅もできなくはないっぽい。999の自動回復さえ攻略できればなんとかなるということと,真フォルネウスは破壊するものと同じくらいハードルが高いということは,武器縛りと術のみ縛りでよくわかった。




shellfall氏の最小コマンド入力回数に対して更新案を提案したstay氏による更新動画。有言実行はえらい。



そのshelfall氏が発見した新たな仕様(バグ?)。大きな発見であったため,ねとらぼに取り上げられ,Yahooニュースにも載って大きな話題になった。確かに,こんなに簡単にオメガウェポンが倒せるとは思わない。



クロノトリガーの現行最速TAS。2012年だが,ゲームによってはこんなに昔からサブフレームリセットを活用したTASがあったのだ,ということに驚き。



ROMを解析してゲームのバグを修正する動画。企画が斬新。第2回は52回全滅バグについて。




定番ネタではあるが,全部上手い。すごい。  
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