2006年04月20日

第56回「ローマ人の物語11 終わりの始まり」塩野七海著 新潮社

幸福な人間は不幸であったときのことを忘れた瞬間、不幸になる。国家も同様なのだろうか。トライアヌスもハドリアヌスも、平和なローマ帝国でありながら国防への配慮を怠らなかった。その結果、アントニヌス・ピウスの時代は彼が内政に集中していれば善政とみなされ、戦争も無く真の意味での平和を享受できた。

その代償は、マルクス・アウレリウス帝に降りかかった災難ではなかったか。不幸なできごとばかりに襲われ、賢帝と言われながらも実際には上手に統治できなかったのは、実は彼やその前帝の統治方法に問題があったからではないだろうか。

そして、ローマ帝国は衰亡を始める。そう、山の頂上がなだらかであることは珍しく、頂上を越えればあとは下がっていく一方なのである。ローマの場合は、頂上とはアントニヌス・ピウスの時代であり、マルクス・アウレリウスは自らの治世から下り坂が始まっていることを自覚せざるをえなかった……五賢帝と言われるピウスとマルクス・アウレリウスだが、彼らは本当に賢帝だったのか。ある意味、そこを問う本である。


トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭を引用するところからこの本は始まっているが、なかなか考えさせられる名文なので、この書評もこの言葉を引用して終わりにしたい。

「幸福な家族はいずれも似ているが、不幸な家族はそれぞれ違う不幸を抱えている。」


ローマ人の物語〈11〉―終わりの始まり


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