2008年03月07日

『SWAN SONG』レビュー

隠れた名作と名高かったのでプレイした。確かにこれは神作品。設定は「大地震によって世界が崩壊した直後の群像劇」でシナリオも予想通りの方向へ進んでいくのだが、各登場人物の心理描写が非常に巧みで、やってることのレベルがそんじょそこらのエロゲとか小説のものじゃない。瀬戸口氏の文章が当然主軸ではあるのだが、美麗なビジュアルやBGM、演出が最大限それを生かしている。特に一人称視点の切り替えや文章表示の工夫、効果音など、エロゲじゃないと出せない良さもふんだんに盛り込んでいたのもすばらしい。

「極限状態だからこそ人間心理の本性がわかる」という理論は、この作品にとっては言い訳であって、多分瀬戸口氏ならどんな舞台設定でも料理できてしまうんだろうなと思う。『キラ☆キラ』に興味がわいたので入手しようかな。いずれにせよ、「群像劇」という言葉がこれほどまでに似合うエロゲは、現時点でこの作品以外存在しないだろう。絡み合う思惑が本当におもしろい。しいて中心人物を挙げるのならば、主人公の尼子司ではなくて、佐々木柚香かクワガタだろう。

これだけだとあまりにも短いので、レビューではない雑感を。「予想通りの方向へ進むシナリオ」と書いたが、悪い方向へ悪い方向へ進んでいくので、ある程度予想を立てながらプレイするとおもしろいかもしれない。序盤は当たらないかもしれないが、中盤以降はおもしろいように的中する。某シーンのムンクの《叫び》調の背景があるが、あれは作者がよくあの絵の真意を理解しているなと一人でほくそえんだ。ああいう使い方は非常に良い。

昔某友人(複数)が「時々混雑する街中でマシンガン乱射したくなる」と言っていたことがあったが、そういう人はやっちゃダメな作品かもしれない。多分、発狂する。逆に、鬱に弱い人、心臓の弱い人もやっちゃダメだ。精神的な意味で正視に耐えないシーンがゴロゴロ出てくるので。グロは無いんだけどね……


以下、ネタばれ。この作品について語るところは多い。


司と田能村(とあろえ)はよく似ている。無垢で高潔で、しかしゆえに孤立しがちだ。生命への畏敬や人間の尊厳を大切に考えているし、その上で明確な「生き抜く意志」を持ち、それらを両立させる強さも持っている。しかし、精神の脆い人間から見れば、他者の心がわからない人間に見えるのも仕方の無い話だ。司はその空気の読めなさを自覚しておらず(自覚しているようなことは言ってはいるが)、だから「学校」において責任ある立場にはならなかったし(腕のケガはある意味で建前であろう)、柚香とも最終的に分かり合えることはなかった。Nomal ENDでの、最後のキリスト磔刑像に関するやり取りは、プレイヤーをある種の絶望感へと陥れる。実存主義の哲学なんかにかぶれたことのある人にとってはとんでもないダメージだったのではないだろうか。

一方でタノさんは自分の高潔さについて自覚がある。だから人に溶け込めるよう、明るく振舞ってきた。いつしかそれが彼の地の性格となっていたのだろう。私欲が無いがゆえに他人に尊敬され、そしてねたまれる。彼が柚香ではなく雲雀を選んだのは納得がいく。雲雀は精神的に幼く、危なっかしくも見えまたそこがかわいくもある。

逆に柚香とクワガタ、妙子(と希美)が同じ性格にあたる。この場合はクワガタや妙子は自覚が無い側で、柚香は自覚がある人間である(ゆえに柚香のほうが「重症」)。彼らは幸福こそが生きる目的で、「生き抜くこと」そのものにはほとんど興味が無い。だから柚香は司の死後、後追い自殺をほのめかすし、クワガタは希美との出会いによって豹変した。妙子は最後まで母の指示を理解できず、「尊厳ある戦死」を命令できなかった。

柚香と妙子が司に惚れたのは、自分達にはない高潔さを見出したからであろう。一方で冒頭クワガタが柚香に惚れたのは、もっと即物的なもの、柚香の身体のエロさであるとか性格的な優しさであるとか、そういったものである。Nomal ENDのクワガタと司の対決シーンに、希美が乱入し、柚香の狙いを喝破してクワガタを自分の元へ戻ってくるよう仕向けようとしたのは、柚香も希美も、ともに自分達が「ファム・ファタル」(=男性の運命を狂わせる女性)であることを自覚していて、相手もそうであることを感じ取っていたからだ。柚香の司への依存も、希美のクワガタへの依存も、彼女達にとっては自覚的なものであった。本作品最大の悪役はクワガタではなく彼女らであろう。(ここに妙子を加えてもよい)

結局、クワガタと柚香が同じタイプの人間だと気づけるかどうか、というところでこの作品の印象が変わってくるのではないだろうか。柚香を善良な人間だと思えたままNomal ENDを見れば希望のあるエンディングに見えないことも無いし、GOOD ENDは必要が無いという話になる。GOOD ENDは結局のところ、柚香が子犬を助けたシーンが一番重要で、今までの彼女の思想からすればありえないことだからだ。本作品唯一の、希望の持てる表現と言えるかもしれない。

どこのレビューにも書いてあることだが、Nomal ENDのキリスト像復活はあまりにも美しく象徴的である。宗教とは人類の文明の最大の特徴であるとするならば、最悪のカタストロフィーと動物化した学校の人間達に対する、人間の尊厳の勝利とも取れる。しかし、勝利した人間は最愛の女性とさえ理解しあうことはできないまま亡くなる。そもそもそのキリスト像を修復したのは自閉症のあろえである。自閉症のあろえが人間の一つの究極的な姿であるとするならこれ以上の絶望は無いかもしれない。それだけに、分かり合うことの希望を示したGOOD ENDの向日葵は輝いて見える。

深読みかもしれないが、向日葵は太陽神の象徴で、ギリシア・ローマ的な価値観に結びつく。磔刑像は言うまでもなくキリスト教の象徴だ。前者は即物的な要素をたぶんに含みつつも一応主要人物のほとんどは生き残った。後者は高潔なる魂は勝利したものの人類は息絶えた。やはり、GOOD ENDで登場する向日葵は、深い。

表題の『SWAN SONG』に対する解題は作中になされているので別にいいだろう。というよりも、この作品は掲げたテーマへの説明が非常に丁寧で意外にもわかりやすい。ただ一点だけ、クワガタと柚香の類似だけがぼかしてあるのは、なんとも小憎らしい。果たして人間の尊厳は、鶴の美しい断末魔のように幻想なのだろうか。解釈はプレイヤーたち一人一人に委ねられている。


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雑記「SWAN SONG??神話の鏡像??」【HOTEL OF HILBERT】at 2008年12月05日 01:43