2010年09月12日

地政学(2):スペインはどの程度海洋国家であったのか?

さて,前回あえて据え置いた国家群がある。スペイン・ポルトガル・オランダ・イギリス,そして朝鮮の王朝と日本である。これらの国家群については,それぞれ別個に語りたかった事情があったからだ。まずは,前4つの国家群について。こちらは「なぜ覇権が推移したか」というテーマである。

この中ではスペインだけが異色である。なぜなら,スペインだけが海洋国家ではないからだ。スペインを考える際,2つ重要なことを念頭に置かなければならない。まず,イスラームの諸王朝を滅ぼす運動(レコンキスタ)によりできた国であるということ。次に,半島全体が山がちで国家の統一が難しい環境であるということ。この2点は,スペインが半島に存在するにもかかわらず,強く大陸国家的性格を持った王国となったことを裏付けている。征服にも統一にも,どうしても強い陸軍と強い王権が必要になる。

ただし,カスティリャとの連合前の,アラゴン王国に関しては海洋国家であったと思う。スペインがサルデーニャ島,南イタリア,シチリアを領有していたのはアラゴンの遺産であり,当時西地中海でジェノヴァに唯一対抗できる海軍力を保持していた。しかし,カスティリャとの連合により歴史に埋没してしまった。本土のみの国力で考えた場合,連合の時点で圧倒的にカスティリャのほうが大きかったためである。連合の首都がアラゴンのサラゴサではなく,カスティリャのマドリードに置かれたということも考慮したい。これもまた,国家の性格が政治的重点により変貌していく一つの事例であろう。


話を戻す。以上のような国家的性格にもかかわらず,なぜ一時期のスペインは大植民地帝国となりえたのか。それは進出方向を失ったためでもあり,コロンブスが登場したという偶然もあり,両方あるだろう。早々にレコンキスタを終えていたポルトガルはアフリカ周りの航路開拓に早期から力を入れており,一足早く大航海時代を始めていた。スペインがこれに対抗するためには,西周り航路の開拓しかなかったが,タイミングよく現れたのがコロンブスであり,その他ジェノヴァ人の船乗りであった。ジェノヴァはイタリア随一の海洋国家であり通商国家であったが,ヴェネツィアとの抗争,そして内乱により衰退。さらにフランスの侵略を受けやすい立地条件から,大国の庇護を求めていた。フランスへの対抗上,ジェノヴァを庇護したのがスペインであるのはもはや言うまでもあるまい。

その後のスペインの新大陸侵略の速度は,むしろ大陸国家的な良さが出たものであろう。アマゾンの密林にも阻まれて海岸沿いの開拓に終始したポルトガルのブラジルとは対照的に,メキシコもペルーも早い時期からスペイン支配下に入った。しかし,スペインには原始的な段階の資本主義さえ根付いてはいなかった。収奪された富は国内産業に投資されず,戦費として浪費されるかアジアの産物の対価となったか,そうでなければ先進工業地帯であったオランダに投資された。これを愚かしいというのは海洋国家のおごりか,それとも現代人のおごりか。その投資先,オランダが宗教戦争を理由にスペインから独立して,スペインの国力は失墜する。確かにスペインは海軍力を持っていた。しかしそれはオスマン帝国同様金に物を言わせた大艦隊とジェノヴァやオランダの船乗りによるもので,スペイン自身がシーパワーを得ていたわけではない。そしてその無敵艦隊も,オスマン帝国には勝ったが,イギリスには大敗し,仮面の海洋国家でさえもなくなっていくのである。

一方,ポルトガルは完全な海洋国家であった。ポルトガルはカスティリャからの自立の後,イベリア半島の西南部を征服するとそれでレコンキスタは満足して,以後はアフリカ沿岸部の航海に力を注ぐようになる。有名なのはエンリケ航海王子とジョアン2世である。スペインの船乗り・冒険家はジェノヴァ人(コロンブス)であったりポルトガル人(マゼラン)であったりと,スペイン人自身(バルボア,コルテス,ピサロ)が出てくるのはやや遅い時期になるが,ポルトガルの場合はバルトロメウ・ディアスにしろヴァスコ・ダ・ガマにしろカブラルにしろ,ちゃんと自国の人間であった。そうしてアフリカのケープ(南アフリカ),イランのホルムズ島,インドのゴア,セイロン島,マレー半島のマラッカ,中国のマカオに新大陸のブラジルと世界中に拠点を築き,交易に乗り出す。スペイン人が新大陸を領域的に支配していったのに対し,ポルトガル人はあくまで世界中に拠点のみを築き,交易を主眼としていた点に,両国の性向の違いが見られる。

ではなぜポルトガルが衰退したのか。その理由は複数存在する。まず1580年,半ば強引にスペインに同君連合にさせられたこと。これによりスペインによるポルトガル支配が事実上始まり,慣れてない連中の口出しが入るようになった上に,スペインに独立戦争を仕掛けていたオランダがスペイン領であることを口実にポルトガル植民地を強奪してしまう。1640年には連合が解除され独立を取り戻したが,これはスペインが陸続きの隣国であったゆえの不幸であった。加えて,ポルトガルは圧倒的に人口が少なかった。全盛期の16世紀前半にやっと80〜100万人程度の本国人口であったと推定される(比較として,西700万人,仏1500万人,英400万人)。ここからブラジルをはじめとする全世界の拠点に数百人〜数千人の移民や軍隊を送り出し,かつ精強な海軍を維持しようとしたらどうなるだろうか。本国が空洞化のは必然的な現象であった。後のスウェーデンと似たような現象とも言える。結果として,ポルトガルは本国・植民地ともに次第に友好国イギリスの従属下に置かれていくようになるのである。


(3):オランダはなぜ覇権を握れたか? に続く。

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