2012年06月25日

第213回『エロティシズムの歴史』ジョルジュ=バタイユ著,湯浅博雄・中地義和訳,ちくま学芸文庫

久しぶりに出たちくま学芸文庫のバタイユ著書(の文庫化)。タイトルは「エロティシズムの歴史」で,これを見ると割とストレートなテーマなのだろうかと思わなくもないのだが,実際のところ書いてあるものはいつもの断片集である。サブタイトルの通り,本書は「呪われた部分 第2巻」であり,『呪われた部分』同様の断片集は極めて読みづらい。一応タイトル通りと言えるのは,本書でバタイユはエロティシズムの起源を探し求めるという形で文章をつづっている点で,そこでは近親相姦と排泄行為,そして結婚を挙げている。これらが原初的なタブーであり,そこからエロティシズムの観念が発展していったという。理屈そのものはいつもの理性の誕生による禁止と,それを侵犯することによる快楽である。

では読む意味が全くないかというとそうでもなく,バタイユの思想を理解した上で読むと,1フレーズごとに区切ればなかなかしっくり来る言葉が多い。特にエロティシズムの定義については,『エロティシズム』の「エロティシズムとは死におけるまで生を讃えることだ」という名句よりも,本書の「エロティシズムとは動物の性活動と対比された人間の性活動である」のほうが,圧倒的にわかりやすい。要するに,理性の判断する,子供を生む”生産性”よりも,快楽が優先されて追求される。この活動の諸形態こそがエロティシズムである。動物性は,それそのものはエロティシズムと対置されるものである。(ただし,エロティシズムは一度人間性を肯定した上でのその破壊であるので,一周回って動物性の発露がエロティシズムとなることはあるだろう。バタイユが直接そう明言した文章は見たことがないが。)

他にも,バタイユの考えが端的に言い表されている表現がいくつかあり,その点では楽しめた本であった。「私の考えでは,思想の隷従性,つまり思想が有用な諸目的に屈服すること,一言でいえば思想の自己放棄は,ついに計りしれないほど恐るべきものとなってしまったように思われる。」には,バタイユが近現代にあってこのような思想体系を構築した危機感のようなものを感じる。「もし私の観点がなんらかの意味で護教論的であるとしても,その護教論の対象はエロティシズムではなく,全般的な意味での人間性なのである」も,エロティシズムの対義語が動物性ということを補強しつつ,理論構築の目的を説明している。とりあえず両方第一部から引っ張ってきたが,このような形で目を引く言葉は全体を通して出てくる。訳者あとがきも短いながらバタイユの良い説明になっていて読む価値がある。全体をひっくるめて,お勧めしていいものかどうかは,なんとも言えない。


エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻 (ちくま学芸文庫)エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョルジュ・バタイユ
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