2013年08月24日

近代的山水画

川合玉堂《春風春水》報告が随分と遅くなったが,山種美術館の川合玉堂生誕140周年展に行ってきた。考えてみるとリニューアル後初めて行ったのではないかと思うが,随分(地下鉄的に)交通の便の悪いところに移動したものだと思った。

さて,川合玉堂は技巧が卓絶している,こと日本画の山水画に限れば非常に緻密な描写である。今回かなり若い頃からの作品が展示されており,いつからこの画風が完成したのか気になっていたが,最初に展示されていた22歳の作品ですでにかなり整っており,衝撃を受けた。もちろんさすがに後の作品に比べると典型的で古典的な中国風の山水画でおもしろみには欠けるものの,技術レベルだけで言えば早熟だったのではないかと思う。長命で,晩年まで活動していたので,そういうイメージは全くなかったが。さらにさかのぼって15歳くらいの作品まで来ると,さすがに技術レベルがかなり落ちる。何があった10代後半。男子三日会わざれば,の世界である。

どの作品を見てもそう思うのだが,川合玉堂の山水画(風景画と言っても誤りではあるまい)は岩肌や水面の描き方に橋本雅邦や狩野芳崖の影響が見て取れ,清く正しいポスト明治である大正・昭和前期の画家であるのだなと改めて感じた。基礎的な描き方や題材はどうあっても伝統的なものだが,橋本雅邦と比べてもどこか決定的に新しい。それは歴史主義と言えばいいのか,西洋画も含めてあらゆるものを研究・吸収してきた成果が一枚の絵ごとに込められているからではないか。こうした過去の熱心な研究とリバイバルは近代の画家ならある程度だれでもあることで,近代の特権でもあるのだが,川合玉堂はその大成者としてあまりにも完成している。ちなみに橋本雅邦には直接の師事経験がある。


この日はサントリー美術館の谷文晁展もはしごした。こちらは生誕250周年記念だそうだ。江戸後期の画家だが,奇遇なことに技巧が卓越し器用で,割りとなんでも描けた点は川合玉堂と共通する。展覧会のキャプションにもあったが,知名度の割に作品のイメージが無い人も多かろう。かく言う私もそうであったが,その理由もまたキャプションにあり,非常に納得の行くものであった。描いた作品のジャンルも様式もまるで雑多であって,「これこそ谷文晁」と呼べるものがなかなか無いのである。器用貧乏と言ってもいいかもしれない。この点,川合玉堂は器用ながら青緑山水画以外はあくまで余技であって,習得した技術はあくまで山水画に生かされていた。ジャンルを転々とする谷文晁とはその点で違ったのである。

その上で言わせてもらうと,自分にとっての谷文晁は青緑山水画の名手であり,それ以上でもそれ以下でもないことがよくわかった。確かになんでも描けるのではあるが,まさに「器用貧乏」であり,はっきり言ってしまえば何かが物足りないのである。もう少しがっつりと習熟すれば違ったのではないかと思える作品が多かった。その中で許せたというと語弊があるが,割りと感動したのが青緑山水画であった。ただし,これはそれが優れていたというよりは,私が山水画好きだからという単純な理由であろう。

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