2014年03月10日

受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2014 その1(上智大・慶應大)

書籍版ができました!この年度も収録しています。


・序
昨年の記事も大変好評をいただき,すっかり人気シリーズになってきた。読者の皆様に感謝申し上げる。基本的な目的意識についてはこれまでのものとなんら変わりない。つまり,悪問や度を超えた奇問・難問に対する糾弾である。なぜならそれらの大半は偶発的な事故や意欲的な作問の結果などではなく,大学という教育研究機関にあるまじき知的怠惰の結果から生まれるものと推測され,それもほとんど釈明しないという傲慢な権威主義が見られるものだからだ。そうした難問や悪問を非難しつつ,笑い飛ばして供養しようと思う。

世界史未受験者やもう忘れてしまった人にも配慮して,基本的に太字だけ追っていけばどこがひどいのかわかるようにしたつもりである。世界史詳しい人にはやや太字がうざったいかもしれないが,ご了承いただきたい。


・収録の基準と分類
基準は昨年と全く同じであるので再掲する。テンプレなので昨年・一昨年から読んでいる方は読み飛ばしてかまわない。

出題ミス:どこをどうあがいても言い訳できない問題。解答不能,もしくは複数回答が認められるもの。
悪問:厳格に言えば出題ミスとみなしうる,国語的にしか解答が出せない問題。
→ 歴史的知識及び一般常識から「明確に」判断を下せず,作題者の心情を読み取らせるものは,世界史の問題ではない上に現代文の試験としても悪問である。
奇問:出題の意図が見えない,ないし意図は見えるが空回りしている問題。主に,歴史的知識及び一般常識から解答が導き出せないもの。
難問:一応歴史の問題ではあるが,受験世界史の範囲を大きく逸脱し,一般の受験生には根拠ある解答がまったく不可能な問題。

難問の分類について注記しておく。大学入試という形式上,どれかしらの高校生向け検定教科書に記載があることが,最低限の基準である。ゆえに本記事で言及する「受験世界史の範囲」は,「山川の『用語集』に頻度,任發いいらとりあえず記載があるもの」とした。おそらく,これが「受験世界史の最広義の定義」であり,ある種の「受験生と大学の暗黙の了解が守られる限界のライン」であろう。

もっとも,現実的に考えると,販路の限られた教科書の全種類に受験生が触れることは実質的に不可能であり,また他科目への圧迫ともなる。ゆえに,多くの教科書に記載がある=少なくとも用語集頻度がぐ幣紂い修靴道垣遏ε貊顱実教のいずれか1冊以上で言及のあるもの,というのが本来の適正な「受験世界史の範囲」であろう(東大や京大はほぼこの基準を守っている)。あわせて,たとえば「 銑いら選ぶ正誤判定で,,寮飢鬚棒賁臈な歴史用語が使用されているが,◆銑い全て(マイナーではあれ)受験世界史範囲内知識であるため,消去法でなんとか,正解とわかるパターン」のようなものは収集対象としていない。


・総評
今年のリストは全部で約35。去年が約40だったので減ったには減ったのだが,これは今年の上智がおとなしかったからという事情がある。また,解説の字数を数えてみると減っていないどころか増えてしまった。結局のところ諸大学には全く反省の色が見られないということだ。また,今年の早稲田大に特に見られた特徴であるが,おそらくよく調べずに専門外から出題したせいで,政治的・人権的に危うい表現が入試問題から見られることがあった。これらについては出題ミスとか悪問とかそういうレベルじゃない。ばからしい話ではあるが,出題ミス以前の問題で,本当の最低限としてそうした出題は避けてほしいところである。

また,今年は国公立大で奇問が相次いだということも特徴的である。ゆえに,普段は(1)で上智大,(2)で早稲田とし,慶應大は(1)と(2)の字数の少ない方に入れるという二部構成であったが,今年は(3)国公立大編を入れて三部構成とした。やや長丁場となるが,付き合えるところまでお付き合いいただければ幸いである。なお,(3)国公立大編が読んでて一番おもしろいかもしれない。あまりにもひどいので。



1.上智大 2/3実施
<種別>奇問
<問題>2 問7 下線部(9)は(編註:アゾフ),下の地図中のどの付近を指すか。もっとも適切なものを選択肢(a〜e)から1つ選びなさい。

2014上智1


<解答解説>
しょっぱなからいきなり世界史の問題ではなく,地理の問題だ。そして聞かれているのはアゾフ“海”の位置ではない。アゾフである。アゾフという場所の位置である(大事なことなので二度言いました)。アゾフ海の位置からしてaとeはなさそうだが,b・c・dからの絞込は難しい……。ちなみに私は「こういうのは得てして入り口か,そうでなければ一番奥まった場所」という推測から,入り口に選択肢が無いので奥まった場所のcが正解と推測した。この推測で正解であり,cがそのアゾフであり,独ソ戦初期の激戦地ロストフの近郊でもある。なお,bとdは地図帳とグーグルマップで調べたが,特に何か歴史的な場所や大都市のある場所ではなかった。aとeもわからない。eはエディルネにしては東にありすぎる。


2.上智大 2/3実施(2つめ)
<種別>難問
<問題>3 問8 下線部(き)の肖像を(編註:ムスタファ=ケマル),選択肢(a〜d)から1つ選びなさい。

2014上智2


<解答解説>
ムスタファ=ケマルの写真というと,大体において「黒板を使ってラテン文字を教えているシーン」であって,顔の特徴をはっきりと捉えた写真を見たことがないという人が意外と多いのではないかと思う。一番有名なのはおそらくbのネルーであろう。aは見るからに肌が浅黒く,違いそう。してみると正解はcかdか。

正解はcで,このイケメンがムスタファ=ケマルである。dはイランのパフレヴィー2世。aはエジプトのサダト。なお,うちの親父に聞いたところ「aとdは昔ニュースで見たことがあるから違うってわかった」そうなので,50代以上の受験生がいたら有利に解答できたかもしれない。イラン革命は35年前の出来事。


3.上智大 2/4実施
<種別>奇問
<問題>3 次の地図は緯度と経度によって現代アジアの都市の位置を示したものである。(以下省略)

2014上智3


問1 A・B・Cは日本の秋田市,トルコのアンカラとほぼ同緯度にある都市である。これらの都市名の正しい組み合わせを選びなさい。

a A天津―B北京―Cクチャ
b Aソウル―B天津―Cクチャ
c A北京―B敦煌―Cカシュガル
d Aソウル―B北京―C敦煌
e A青島―B鄭州―Cカシュガル

問5 D・E・Fは日本の京都市,イランのテヘランとほぼ同緯度にある都市で,中国の歴代王朝の首都であった。これらの都市名の正しい組み合わせを選びなさい。

a D洛陽―E開封―F西安
b D開封―E洛陽―F西安
c D開封―E南京―F杭州
d D西安―E洛陽―F南京
e D杭州―E南京―F開封

問9 G・Hは日本の鹿児島市,イスラエルのエルサレムとほぼ同緯度にある都市である。これらの都市名の正しい組み合わせを選びなさい。

a G上海―Hデリー
b G広州―Hアムリットサール
c G泉州―Hデリー
d G上海―Hアムリットサール
e G広州―Hムンバイ

問12 I・J・Kは日本の那覇市とほぼ同緯度にある都市である。これらの都市名の正しい組み合わせを選びなさい。

a I寧波―J広州―Kラサ
b I瑞金―J大理―Kアグラ
c I杭州―J香港―Kコルカタ
d I泉州―J台北―Kデリー
e I広州―Jアモイ―Kムンバイ

<解答解説>
上智大名物,変な地図。海岸線無し・ヒントは緯度と経度だけという奇っ怪な地図の出題は3年ぶりである。前例があるというのが恐怖である。しかもやっていくとダミーの都市はなく,A〜Kまで全部解答させられる。この中で一番簡単なのは問5。というよりも問5はできないと上智の受験生としてまずいレベル。D・E・Fの並びとヒントからそれぞれ開封・洛陽・西安(長安)と特定できる。というわけで答えはb。しかし,残りの3つは難易度が高い。

問1からやっていこう。Aの判別は辛いが,Eが洛陽ということを考えると,山東半島にあるはずの青島だけはなさそうである。よってeは除外できる。さらにAが天津or北京orソウルとすると,位置関係からいってBが北京や天津になることはありえず,よって正解はcに確定できる。なお,Cから見ていってでも選択肢は絞れる。ヒマラヤ山脈の西端よりもさらに西というと,タリム盆地の西端であるカシュガル以外ない。敦煌もクチャももっと東だ。よってcかeに絞れるので,やはりcが正解だ。

問9もヒマラヤ山脈との関係で,Hから特定したほうがいい。デリーは完全に山脈の南側で,ムンバイは論外。よってHがアムリットサールなのはすぐにわかる。シク教の本拠地であり,シク教徒はインド北西部のパンジャーブ地方に多い,ということを知っていれば,消去法でなくとも特定可能。するとbとdが残り,Gは広州か上海ということになる。しかし広州だとすると,Dの開封やEの洛陽の真南に位置するはずなのでどう考えてもおかしい。よってGは上海であり,正解はd。

最後に問12。Iは難しいので一旦パス,しいて言えば,問9の答えがわかっていれば,Gが上海だとするとIに同じ江南の寧波や杭州が来ることは絶対にないので,aとcは誤答として省ける。Jは,台北だけはありえないのでdが消せる。そしてKはヒマラヤ山脈との位置関係から言ってインドの内陸部にあたるのは明白であり,沿岸部に位置するムンバイは絶対にありえないのでeが消せる。そうして残ったbが正解である。つまりIは中国共産党の長征前の根拠地である瑞金,Jは雲南地方の歴史的都市の大理,Kはムガル帝国アクバル帝時代の首都にしてタージ=マハルのある場所アグラである。

どうでもいいが,なぜにアモイ(厦門)だけカタカナなのか,ちょっと気になる。


4.上智大 2/9実施
<種別>難問・悪問
<問題>1 問2 下線部(A〜F)に関する文のうち,誤っているものを選択肢(a〜e)から1つ選びなさい。

(A) (編註:第1回十字軍
a フランスの諸侯や騎士が多く参加した。
b 海路を中心に東に進んだ。
c 兵士たちが十字の印をつけていたことから十字軍と呼ばれた。
d 十字軍内ではフランスとドイツの対立が目立っていた。
e 当初,ビザンツ皇帝アレクシオス1世とはうまく協調できなかった。

<解答解説>
第1回十字軍に関するマニアックな問題で,しかも答えが絞れない。aは正しく,第1回十字軍の参加者は,トゥールーズ伯・フランドル伯・ノルマンディー公など多くがフランスの諸侯・騎士である。したがってドイツ系の騎士は少なく,dは誤文……と言いたいところなのだが,用語集にはなぜか「参加諸侯間の対立(ドイツとフランス)」とあり頭を抱えている。主要参加者の一人に下ロートリンゲン公であったゴドフロワ=ド=ブイヨンがいる,もしくは南イタリアのノルマン人からロベール=ギスカールの息子ボエモンがいるので,彼らを強引にドイツ人とカウントすれば,確かに主要参加者にドイツ人はいたし,主要参加者間の対立もあったといえる。ただ,これは非常に問題が大きい。史実としても,仏独の政治的にも。

bは完全に誤文,第1回は陸路。というわけで,作題者の想定している正解はこれであろう。cは正文。eはまたしても疑惑の判定で,「当初」も何もビザンツ帝国とは最後までうまく協調できなかったんですがそれは。これは用語集にさえ「十字軍とビザンツ帝国との相互不信の中で聖地奪回に成功し」とあり,dと違って高校世界史としても危うい表現である。

したがってbが完全に誤文=正解としつつ,dとeも正解になりうる。毎年繰り返しネタにしてはいるが,上智大はキリスト教系なのに,十字軍の問題がこんなにユルユルでいいんですかね。


5.上智大 2/9実施(2つめ)
<種別>出題ミスに近い
<問題>1 問2 (編註:問題文は前問と同じ)

(E) (編註:サラディン
a アイユーブ朝の建国者だが,同王朝は第3,5,6回十字軍と戦った。
b アイユーブ朝はスンナ派で,首都はカイロに置かれた。
c アイユーブ朝のエジプト地域はやがてモンゴルに征服されることとなった。
d クルド出身の武将であった。
e 1187年にイェルサレムを奪回した。

<解答解説>
いきなりaが危うい。用語集のアイユーブ朝の項目を見ると「第3・5・6回十字軍とたたかった」とあるので,この文はおそらくそこからのコピペであろう。しかし,第1問のリード文を読むと,なんと「第5回十字軍は神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世がおこしたものだが,実際には戦闘は行われず,アラビア語に堪能な皇帝はイスラーム側との協議でイェルサレムを一時回復させた」とあり,つまり第5回十字軍は戦っていないことがここからわかるので,問題の答えをリード文で明らかにしているという間抜けをさらしている。これを根拠にすればaは誤文=正解になる。実際には本問のリード文の表現が正しく,用語集の表現は不用意だ。フリードリヒ2世は脅しとして大軍勢を率いてはいったが戦闘にはならず,交渉だけでイェルサレムを奪還するという離れ業をやってのけている。

b・d・eは正文。cは,エジプトはモンゴルに征服されたことがないので明白な誤文である。おそらく作題者の想定した答えはcの方であり,だからこそ誤答のaは用語集のコピペで済ませようとしたのではないか。とすると,ひょっとしてリード文を書いた人と問題を作った人は別人である可能性が。それはそれで「互いの原稿をチェックしろよ」と思うが。


6.上智大 2/9実施(3つめ)
<種別>出題ミスに近い
<問題>16世紀後半(強調は編者),( 4 )の( 6 )は,ツァーリ(皇帝)の称号を正式採用した。

(4)a キエフ公国  b モスクワ大公国  c リヴォフ公国  d リトアニア大公国
e ルーシ国
(6)a イヴァン2世  b イヴァン3世  c イヴァン4世  d イヴァン5世  
e イヴァン6世

<解答解説>
(4)はモスクワ大公国のb,(6)はイヴァン4世のcという易問だが,「16世紀後半」は限りなくアウトに近い。用語集から引くと「1547年イヴァン4世が正式に採用」とあり,ツァーリの正式使用開始は厳密に言えば16世紀前半である。少なくとも受験世界史においては。よって16世紀後半にツァーリの称号を正式採用した君主はいないと考えることができ,この視点で言えば本問は解答不能の出題ミスである。ロシア正教会にケンカでも売りたかったのだろうか。


7.上智大 2/9実施(4つめ)
<種別>誤植
<問題>3 (15) イランのシーア派指導者で,1979年のイラン革命を指導し,革命後,イスラームの教えに基づく諸政策を実施した人物

a レザー=ハーン  b ホメイニ  c モサデク(原文ママ)  d パフレヴィー2世

<解答解説>
正解は言うまでもなくbのホメイニ。しかし,cはモサデ“グ”の誤植であろう。正解に影響はないが,指摘だけはしておく。


8.上智大 2/9実施(5つめ)
<種別>悪問
<問題>4 問3 下線部について(編註:列強諸国はこのころ,アフリカを植民地とするための活動を進め,支配領域の拡大に躍起となっていた),正しい記述を1つ選びなさい。

a 最初の植民地化は地理的位置の近いイタリアによっておこなわれた。
b 列強の植民地化に先だっていち早くアフリカを探検したのはスタンリーであった。
c スタンリーは一時消息不明になったが,リヴィングストンによって救出された。
d ケープ植民地はイギリスがポルトガルから譲り受けた。
e イギリスのセシル=ローズはアパルトヘイト政策を推進した。

<解答解説>
aは誤文。何を最初とするかという話はあるものの,イタリアのアフリカ植民地獲得はエリトリアの1885年が最初なので,これは少なくとも先行事例がいくらでもある。cもスタンリーとリヴィングストンが逆なので明白な誤文。dもポルトガルではなくオランダから譲り受けているので明白な誤文。eは,南アフリカでアパルトヘイトが始まったのは南アフリカ連邦成立後である。セシル=ローズはそれ以前に亡くなっているから誤文。

というわけで消去法的にbしか残らないわけだが,bもどうもひっかかる。スタンリーよりも先にリヴィングストンが探検しているのだから,これも誤文では……一応頭をひねらせて考えた結果としては,1.リヴィングストンの探検は植民地化の尖兵となったものではないから,「列強の植民地化に先だって」の探検はスタンリーが最初である。2.「いち早く」は最速の一人だけを意味しているわけではなく,スタンリーの探検も十分に「いち早い」ものである。どちらかの屁理屈によってbは正文なのだろう。例年の上智には多かったが今年は見られなかった日本語が下手系の悪問が,最後の最後で姿を現した。

今年の上智大は2/3・4・5・6とおとなしめであったが,2/9で帳尻を合わせてきた。以前にもこんな日程があったので(2009・2010年),マジで帳尻合わせてるんじゃないか疑惑が自分の中でふつふつと湧きつつある。それまでの4日程がおとなしかった場合,最後の日程の受験生は覚悟しておいたほうが良さそうだ。




1.慶應大 文学部
<種別>難問
<問題>2 とくにブリテン諸島でのヴァイキングの定住は著しく,イングランドではその北東の半分が彼らの支配地となるほどであった。そのため,( B )はヴァイキングの首長グスルムと協定を結び,その地の支配を一時的であれ認めねばならなかった。

<解答解説>
ヴァイキングと戦っていることからアングロ=サクソン系の国王とわかり,とすると受験世界史の範囲内ではエグバートかアルフレッド大王の二人くらいしかいない。問題はそのどちらかかということだが,範囲内の知識だけでは判別できまい。正解はアルフレッド大王の方である。ただし,多くの教科書や用語集では「アルフレッド大王が一時ノルマン人を撃退した」という書き方をしているため,問題文のように妥協が成立したという書き方をされると混乱する。実態としては問題文の書き方が正しく,イングランド北東部の少なからぬ領域をデーン人の支配区域として認めている(デーンロー)。


2.慶應大 文学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>2 とりわけデンマークとスウェーデンの王権は,12世紀から14世紀にかけて,ドイツ騎士団とともに,征服活動によりバルト海東部地域へと勢力を伸ばし,その地のキリスト教化に尽力した。ちなみに,エストニアの( H )に司教座が設立されたのは,1219年のデンマーク王ヴァルデマー2世による征服の結果であった。

<解答解説>
私自身エストニアの地名というと首都のタリン以外はほとんど知らないわけだが,これが正解。空欄Hにはタリンが入る。タリンはデンマークに征服された後,13世紀後半にハンザ同盟に加盟,14世紀半ばにドイツ騎士団領に譲られたため,ドイツ人の影響が強い都市となった。さらにその後はドイツ騎士団領から複雑な経緯をたどってスウェーデン領となり,北方戦争でスウェーデンからロシア領となる。

なお,駿台が解答速報で「元大関把瑠都の引退から想起したか」と指摘しているが,把瑠都はタリンではなくラクヴェレ市出身である。大体,大相撲では取組前の場内放送で毎回力士の出身地は紹介され,その際把瑠都はきちんと「ラクヴェレ市」とアナウンスされている。ゆえに大相撲をちゃんと見ていたなら把瑠都がタリン出身でないことは自明のはずである,とは好角家として明言しておきたい。駿台の解答速報担当者,お前把瑠都って言いたかっただけで相撲見てないやろ。


3.慶應大 文学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 ドイツ中北部にできたナポレオンの衛星国家における「フランス化」も,西南ドイツ16邦に抜本的な内政改革を促した。そのなかでも王国に昇格した( E )は,約230もの「独立した主権」を領域内に抱え込み,全国統一的な行政改革が焦眉の急となった。諸身分と諸地方の特権の廃止と法の下の平等,内閣制と官僚機構の確立,修道院領の国有化,諸宗派の同権をうたい,国民代表議会の設置を定めた「ドイツ最初の生粋の憲法」を1808年に採択して立憲君主政が誕生した。

<解答解説>
西南ドイツ諸邦で知名度の高いものというとバイエルンくらいしかないが,そのバイエルンが正解である。バイエルンはナポレオン戦争を通じて領土が急拡大し,その領土をウィーン議定書でも認められたという経緯があるが,受験世界史範囲外。

2014年の慶大文学部はアルフレッド大王といいタリンといい,「絞りきれない中で一番知名度が高いのが正解」という出題の仕方が多いが,出題形式として良いとはとてもじゃないが言えない。もう少し絞りやすくなるようなヒントの工夫が欲しい。


4.慶應大 文学部(4つめ)
<種別>難問
<問題>4 その文字は亀甲や牛骨に刻まれていたことから甲骨文字といい,占いに用いられたことから( B )とも呼ばれた。

<解答解説>
甲骨文字は別称「卜辞」と呼ぶため,これが正解であろう。一応,用語集にちょろっと書いてあるので完全な範囲外ではないが,普通は覚えないものであるため収録した。


5.慶應大 法学部
<種別>難問
<問題>1 皇帝 (1)(2) の即位にはじまる軍人皇帝時代に入ると, (3)(4) の戦いでササン朝ペルシアに敗れ皇帝ウァレリアヌスが捕虜となるなど,ローマの国力低下は顕著となり,ローマ法学も衰退の一途をたどった。

01.アウグスティヌス  02.アウグストゥルス  03.アウレリアヌス
05.ウァレンティニアヌス  09.ウルビアヌス  10.エデッサ  11.ガイウス
17.セプティミウス=セウェルス  18.テオドシウス  19.トリボニアヌス
22.パウルス  24.バルバリッソス  31.マクシミヌス  32.マクリヌス
34.マルキアヌス  35.ユリアヌス

<解答解説>
(3)(4)はやや細かいが慶大受験生なら知っておくべき,10のエデッサの戦い。(1)(2)は死ぬほど細かいが,聞き方が巧妙でよい。「最初の軍人皇帝」と聞いてしまうと「そんなもん軍人皇帝の定義によるだろバカ」という話になってしまうが,「軍人皇帝時代最初の皇帝」なら,答えは明確である。31.のマクシミヌスがそれにあたる。なおこれも厳密に言えば用語集に記載があるため範囲外ではないが,普通は覚えないし,覚えることにほとんど意義を見いだせないので収録した。

誤答用の選択肢は極めて細かい人物が多く,大半が範囲外にあたる。02.アウグストゥルスや17.セプティミウス=セウェルスあたりはまだいいとして,05.ウァレンティニアヌス(1世)や32.マクリヌスを知っとる受験生おるんかい……全受験生から探せばいそうではあるけど,間違いなく古代ローママニア。テルマエ=ロマエに出てそう(適当)


6.慶應大 法学部(2つめ)
<種別>難問・悪問
<問題>1 設問3 下線部(ウ)に関して(編註:封建社会),中世封建社会について記した以下の[01]から[05]の文章のうち,最も適切なものを選び,その番号を(21)(22)にマークしなさい。

[01] カール大帝が設けた地方長官の伯は,世襲制であったため,やがて独占的な支配権力を持つ大諸侯となった。国王は,大諸侯はじめ各地の有力者を王国に組み込むため,領地の保護を与える代わりに忠誠を誓わせる形で人的結合を図った。
[02] カール=マルテルがアヴァール人の侵入に対抗するために採用した重騎兵は,装備や従者のため莫大な費用支出を騎士に強いた。それを賄えるようにするために,カール=マルテルが教会領の土地を取り上げて騎士に与えたことは,封建関係を促進する契機となった。
[03] 主君と家臣との双務契約的関係からなる封建制の下では,主君は家臣を保護し扶養する義務を負っていた。そのため,主君であっても,家臣に絶対的な服従を強いることはできなかった。なかには,より多くの封土を獲得するべく,複数の主君に仕える者もいた。
[04] 諸侯や騎士は,主君から与えられた封土を所領する領主となり,荘園内に国王の官吏が立ち入って徴税をすることを拒む不輸不入権や,荘園内の農民を裁く領主裁判権を認められた。聖職者も荘園を支配する領主となったが,独自の裁判権までは有していなかった。
[05] 荘園内の農民の大多数を占めた農奴は,移転の自由や居住家屋の所有が認められないなど身分的束縛を受けた。また,領主の直営地で無償労働をする賦役や,領主から支給された保有地から得られた収穫物の十分の一を税として領主に収める貢納などの経済的義務も負った。

<解答解説>
[02]はアヴァール人が誤りで,イベリア半島のイスラーム勢力対策であった。カール=マルテルは重装騎兵部隊育成のため,騎兵に土地を与えてその費用を捻出させるシステムを作った。これが封建制の走りである。文全体が誤りに見えるが,実は正しい。領地を取り上げられた教会から不満が出なかったのかというと,十分の一税が支払われればということで納得していたらしい。[04]は,教会は教会法を定めて独自の裁判権を有していたので誤り。[05]は,十分の一税の納入先は教会であり,原則としては領主ではないため誤りである。[02]と[04]は範囲外。

[01]はカール大帝が設置した時点での伯は世襲制ではなかったため,誤りと見なせるが,際どい内容。実態として伯は世襲化が進み,「伯爵」という爵位の起源となっていく。また地域差もあり,「ライン川以西ではメロヴィング朝期から世襲化が始まっていた」とは駿台の指摘である。もちろん[01]の内容全体が範囲外。

最後に残った[03]が一応正文ということになるが,実際には際どい。「主君は家臣を保護し扶養する責務を負っていた」が引っかかるのだ。扶養する義務まで負っていたかというと……確かに初期には衣類や食糧も主君が提供したこともあったようだが,基本的には与えられた封土による自活が原則である。[03]の文のどこにも「初期」とは入っていないから,全時代的な原則論として考えると,「扶養」は誤りなのでは。同様の指摘は河合塾・駿台の解答速報でもあった。

ところで,いつも用語の空欄補充しか出さない慶應大の法学部が,こんな早稲田のような正誤判定を出すとは思っていなかった。本年はこの問題以外にも正誤判定が多く,これは大きな傾向の変化と言える。とはいえ,問題の質の悪さまで見習わなくてよかったのに,とも。収録しなかったものでも,早稲田の法学部や政経学部を彷彿とさせるような問題が多かった。2014年の場合,早稲田の法学部が易しかったことを考えるに,教員の交換でもしたのかと。


7.慶應大 商学部
<種別>悪問
<問題>1 問3 (イ)キリスト教を公認する会議が開催された都市の名前は何か。

<解答解説>
素直に考えて正解は「ミラノ」なのだが,あれは勅令である。会……議……? 確かにあれは西方正帝のコンスタンティヌス1世と,東方正帝のリキニウスが会談して出された勅令ではあるが,二人の皇帝同士の話し合いを「会議」とは呼ぶまい。ただし,2014年の慶應商学部は良問が多く,ケチがついたのは本問くらいであった。それだけに本問は惜しい。


その2(早稲田編)へ続く。

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この記事へのコメント
idこーるありがとうございます
>位置関係と緯度・経度だけで都市名を特定させるのは非常識&その方向性の地理的感覚を「高校世界史」に求めるのはお門違い

とのことですが、この白地図というか格子で切られた図形にだいたいの地形込みの世界地図をイメージできるくらいの地理的感覚を、このレベルの「高校世界史」履修者には求めたいというのが正直なところです。ブクマに書いたように、ヒマラヤ山脈がものすごく利いていてますから、問題自体はそう難しくありません。そして自然環境と歴史の推移とは切り離し得ません。もちろん志望校のレベルによるのですが。
Posted by trinh at 2014年03月11日 02:34
こちらこそ返答ありがとうございます。
メタブに「感覚に個人差あるところ」と書きました通り,

>このレベルの「高校世界史」履修者には求めたいというのが正直なところです

という意見も十分にありえますし,「自然環境と歴史の推移とは切り離し得ません。」と「もちろん志望校のレベルによるのですが。」にも同意した上で。

それでもやはり不適切な出題ではなかろうかと考えます。
自然環境と歴史の関係性を見たいのであれば海岸線や河川を付すべきであり,それならば他の大学でも見られる普通の問題です。それらがあれば緯度と経度は不要でしょう。
「緯度と経度」となると,それはやはり「高校地理」の分野であり,世界史ではないと考えました。もっとも地理選択だった人に聞くと「地理でもこの地図は奇問に入る」と言われましたが。

また難易度としても,問5と問9はそれなりに易しいですが,問1と問12はかなり正答率が低かったのではないかと。書きそびれていたのですが,上智大は約80〜90問で60分なので,実質的なシンキングタイムがとれて30秒ほどです。問1や問12を30秒で解答できるかというと厳しいかと。後出しの情報で申し訳ないのですが。
Posted by DG-Law at 2014年03月11日 09:56
理系ですがムスタファケマルの写真は資料集で見たことありますね
Posted by あ at 2014年03月11日 11:20
確かに慶應商の問題は解いてる時「んっ?」ってなった
Posted by 受験者 at 2014年03月11日 13:51
モサデグの件ですが、ペルシャ語表記"مصدق‎"の最後の文字カーフは無声口蓋垂破裂音ということで、原語忠実主義の立場からはモサデクでも構わないと思います。
Wikipediaを見ていると、言語によってはkないしqで転写していますね。
Posted by 砂恋 at 2014年03月11日 16:21
>あ さん
その資料集を見て受験した人はなかなかの幸運ですね。

>受験者さん
答えは簡単なだけに,一瞬ではあれど疑念がわくところですね。

>砂恋さん
有力なご指摘ありがとうございます。
してみると作題者が高校教科書表現よりも原語主義を優先したのであって,誤植ではないという可能性がありますね。
Posted by DG-Law at 2014年03月11日 17:01
ありがとうございます。

> 上智大は約80〜90問で60分

あ...、これはたしかに頭から抜けていました。それを考えるとしんどいかも知れません。
受験から離れるとこういうとこの感が無くなってしまいます。
Posted by trinh at 2014年03月13日 01:10
非常に興味深いエントリありがとうございます。早速、Amazonでポチりました。

モサデクかモサデグか問題ですが、現代ペルシア語ではقをghで読むテヘラン方言が共通語とされているため、モサデグでよいかと思われます。事実、2013年の山川詳説世界史B(p. 378)では「モサデグ Mosadegh 」と表記してあります。しかし、これは英語での表記に引きずられているのかもしれません。
もっとも、その数行下で「パフレヴィー Pahlavi 」と表記しているところを見ると、どういう方針だと首をかしげたくなりますね。また、高校世界史教科書では「カージャール朝」ですが、上記の理由から研究者は「ガージャール朝」と呼ぶ方が多いようです。

率直に言って「そこはこだわるところなのか?」という感情を禁じえませんが、言語忠実主義(なる衒学趣味)とインターネットでウィキペディアなどを覗きこめば(真偽はともかく)細かい知識がいくらでも摂取できる(気分に浸ることができる)昨今、教科書作成者も問題作成者も苦労しているのだろうと思います(小並感)。
Posted by アクビ at 2015年05月30日 23:55
ご購入ありがとうございます。

現代ペルシア語はさっぱりわからないんですが,パフレヴィー朝の読みだとモサデグの読みと齟齬がある感じですか?
ガージャール朝の表記は近年よく見ますね。ご指摘の通り,高校世界史ではカージャール朝の表記です。

>率直に言って「そこはこだわるところなのか?」という感情を禁じえませんが〜〜
民族問題が絡むなどの事情があるなら,配慮はすべきだと思います。
そうでない場合は,これは非常に厄介な問題で,まさに「教科書作成者も問題作成者も苦労している」部分ですね。
Posted by DG-Law at 2015年05月31日 12:02
説明不足で申し訳ありません。

モサデグ(と思ってたら彼の家名はMosaddeqとdを2回重ねる音なのでモサッデグが一番発音準拠という点では正しくなりそうです)をMosadeghと現代ペルシア語の発音準拠(にもなってなかったのですが実はこれが)のラテン文字表記を取るのであれば、パフレヴィーと書いておきながらPahlaviと表記するのはいかがなものかという意味です。

アラビア文字表記言語の場合は、いわゆるtransliteration・翻字(ラテン文字とアラビア文字が原則的に一対一対応。実際の発音との齟齬は無視する)を行うのか、それとも発音をラテン文字でそれっぽく表したまさに現代のアラブ人やペルシア人がヨーロッパやアメリカ向けに行う表記(アメリカ人にMahmudでマフムードと読めと言っても分かりはしませんからMahmoudと書きます)を取るのか、はたまた慣例準拠とするのかが教科書の中でも統一されておらず、仕方がないとはいえこだわり出すと辛いところですね。

学会でのスタンダードとなっている感のある『岩波イスラム事典』を参照すると、19世紀以降の固有名詞については現代のテヘラン方言(現代ペルシア語標準語)でカナ表記するが、ラテン文字は翻字の方針を取ることになっているようで、件のモサデグはモサッデグ(Mosaddeq・実際はsの下に点のつく特殊文字使用)と表記されていました。

……原音尊重や原語忠実主義を突き詰めてこういうことにこだわり出すと、高校生や浪人生の目からハイライトがどんどん失われてていくような気がしてなりません(小並感)
Posted by アクビ at 2015年05月31日 12:58
ひょっとしてコメントの投稿日にお会いしましたか? 勘違いでしたらすみません。

アラビア文字表記言語の件,よくわかりました。
翻字を行うのか,発音のそれっぽさを優先するのか,慣例準拠とするのかは非常に難しい問題ですね。おそらくですが,統一した基準はなく,個々の用語に対して適宜あてはめているのではないかと思います。それが考えられた末のものなのか,とりあえずでそうなっているのか,誰かの一声でそうなっているのかはわからないところですが。

最後の一文については,おっしゃる通りなところは正直あります。
忠実にしようと努力してカタカナ表記が複雑になると,どんどん覚えづらくなり,受験生に「どうにも覚えられないから,この用語は落としてもいいや」と言われてしまうことになりますので,逆効果になりかねないですね。
Posted by DG-Law at 2015年06月02日 02:17
申し訳ありませんが、「志村後ろ」に志村が決して後ろを向かない精神でお願いします。
ポチった後に、本棚でポチった本を見つけると寒気がしますね。

受験生には酷な上に筋違いだとは思いますが、「原語の尊重」や
「西洋中心主義の見直し」を唱える方が、驚くほど「西洋」以外の
言語その他の知識を欠いており、そのことを指摘すると「専門家の発信力不足」に
責を帰す姿を見るたびに、まだ、「MXテレビのでかい人」だったころの
マツコ・デラックスが、街頭で「いつも見てますよジャンボさん」と声をかけられ
「名前を間違えるってあなたいつも見てないでしょう。いつも見ていますとかよく言えたわね。」と冷静に返した話を思い出します。

こうなると、もはや教育ではなく「恥じらい」の問題なのかもしれませんが。
Posted by アクビ at 2015年06月02日 10:21
確かに,受験生の問題というよりは受験世界史の指導者,および大学の教員側の問題ではあります。

>「原語の尊重」や「西洋中心主義の見直し」を唱える方が、驚くほど「西洋」以外の言語その他の知識を欠いており、
あー……。最近身につまされるところも多いですので,うかつなことは言わないようにしています。

>そのことを指摘すると「専門家の発信力不足」に責を帰す姿を見るたびに
恥ずかしながらわからない側から弁解すると,責を帰している気はあまりないのですが,それでも専門知に基づいた的確な意見となると,専門家の方にうかがうしかなく,となるとそちらから発信してもらった方が手っ取り早いということにしかならない,というところですね。
うまい解決方法があるといいのですが。
Posted by DG-Law at 2015年06月04日 09:28
上智大8について。
用語集を引くと、セシルローズはアパルトヘイト政策を実施した、と記載されております。自分自身は専門家ではなく、ただ受験で世界史を使っただけですので、残念ながら、これ以上のことはしらないです。
受験生として用語集を読み込んだ私は、この問題は即座にe だとおもったのですが、実際のところはどうなのでしょうか。

「eは,南アフリカでアパルトヘイトが始まったのは南アフリカ連邦成立後である。セシル=ローズはそれ以前に亡くなっているから誤文。亅



第一回十字軍が陸路というのも用語集に記載がありますし、決して悪問というわけではないでしょう。受験生は用語集を読むべし、という教訓を改めて実感させられる問題だと感じます。



また、本記事において、早稲田法学部の世界史はいままで難問が多かった、と読み取れる記述がありましたが、私はこの学部の世界史の正誤問題は比較的優しいものがばかりだと考えています。早稲田の社学に比べるとかなり簡単なものだと思います。



上記三点について、あなたのご意見をお聞かせください。
Posted by 通りすがり at 2017年01月11日 15:39
上智大8については,同ページ内(版によっては同ページ内ではないかもしれませんが)の「アパルトヘイト」の項目をお読みください。ページ内矛盾が生じています。
アパルトヘイトは,一般的に言えば南アフリカ連邦の成立時(後)に,制度が整えられていくと考えられていると思われます。
なお,おそらくそちらの手元にある用語集は2008〜2014年頃のものと思われますが,2014年10月以降の版では,(セシル=)ローズの項目からその説明が消えており,アパルトヘイトの項目には「1911年以降」と付け加えられています。

第1回十字軍については,申し訳ないのですが,もう一度上智4番の解説をよくお読みください。「bが完全に誤文=正解」と書いてあるように,a・b・cについては別に問題にしていません。この問題のまずいところはd・eです。ゆえに,その指摘は的はずれです。
また,「用語集をきっちりと読んでいれば,“受験生的には”正解が出る」か否かは,この企画の関心事項からは少し外れます。高校世界史と(判明している限りの・研究成果としての)史実の双方から照らし合わせた時に,正解が不在となったり,正解が1つしかないはずのところ複数存在してしまったりという現象を問題視しています。してみると,本問はいかにbが明確な正解であるとしても,d・eの選択肢に問題を抱えている以上は,悪問と評さざるを得ません。
さらに言えば,高校世界史に純粋に準拠するにしても,eの選択肢がまずいことは解説に書いた通りです。
Posted by DG-Law at 2017年01月11日 19:46
早大法学部・社学については,年度にも大きく左右されますが,法学部もひどい年はひどいです。
2014年の早大法学部も全体的に言えば易しかったですが,質的にひどい問題はいくつかありました。本記事の最下行から早稲田編に飛べますが,そちらに3つ収録しています。
なお,社学の悪問・超難問は2011年がピークで,直近2・3年は反省したのか,早稲田の中でも標準的な部類の問題でした。もっとも,2017年がどうなるかはわかりませんが。
つまるところ,「法学部は楽勝だが社学は難しい」という感触は,1つはおそらくそういう年代に受験生だったということ,もう1つは貴方がその違いがわかるところまで受験世界史をよく勉強したということ,の2点だと思います。
Posted by DG-Law at 2017年01月11日 19:56