2015年02月25日

「意識の高さ」がイメージ悪くなったのはいつ頃からだろうか

・お菓子をくれなきゃいたずらするのは、アイルランドのジャガイモ飢饉のせいか?〜リサ・モートン『ハロウィーンの文化誌』(Commentarius Saevus)
→ アイルランドの風習だったものが,ジャガイモ飢饉でアメリカに伝わり,世界的になっていったらしい。これは初めて知った。カボチャよりもジャガイモを食べた方がいいイベントなのでは。
→ いずれにせよ,この本はいつか読みたい。


・中国、塩の専売制を廃止へ=CCTV(Reuters)
→ 前漢の武帝以来,約2100年ぶりの廃止。さすがは中国,話のスケールが違う。
→ あと,仕事か悪問集でしか見ない用語を普通にネット巡回してて見かけて若干動揺した。仕事以外でパワーポイントいじると楽しいのと逆の現象かも。


・【朗報】現実入りしても普通にやっていけそうなキャラランキングが俺の中で決定(2ch東方スレ観測所)
→ 割とおもしろい&納得できる。
→ みんな意外と幻想郷を失っても生活できるのよねぇ。能力を失わなければ,という前提はつくけど。
→ というよりも,妖怪の連中は能力がレーゾンデートルなので,能力を失うことは死に直結するので,能力が失われなかった場合という仮定は想定自体無意味かなと。


・ボジョレー・ヌーボー解禁の日にとあるバーにて(Togetter)
→ はてブの反応が否定的なんだけど,自分の好きな分野を適当に語られて,しかも目的がそれ自体ではないという使われ方にイラッと来る気持ちはわかる。だから私はこれを批判したくないしできないなぁ。
→ というか,このまとめに否定的な人でも,別所だとほぼ確実に同じようなことをやっているような気が。自信を持って「そんなことは絶対にしていない」と言える人っているのだろうか。
→ ついでに言うと「○○は感覚で楽しむものであって,知識で楽しむものではない」とかいう思想は本当に害悪なので滅んだ方がいい。無論,逆も害悪ではあるが,“感覚派”の方が自覚が無いことが多く,被害が大きい。この話に関連しての拙文:楽しみ方についての雑感(nix in desertis)


・「小学4年生」でないことを証明していくツイッターの集合知が凄い( さまざまなめりっと)
→ あの騒動から三点ほど。まず,ホームページとしての完成度が高すぎた,明らかにAdobeの高い製品や有料フォントを使っているというのは,騙る上でミスだったよなぁ。もっとも,制作したtehu氏にそもそも「騙る」気があったのかどうかは疑わしいが。青木大和氏とちゃんと意思の疎通ができていたのかは当時から割と疑問だった。
・人はなぜ慶應に「宇宙人」を期待してしまうのか 三田祭と青木大和問題で考えたこと( 陽平ドットコム〜試みの水平線〜)
→ こちらは良い総括。というよりも,本件の総括としてはこの記事だけで十分な気がする。「若者応援おじさん」は使いやすい言葉なので,今後このような場面に(ネット上で)あったら積極的に使っていきたい。
→ いやほんと「意識の高さ」を意欲として評価する制度とか,それを利用して若者を食い物にする社会とか滅びればいい。真っ当に意欲が高い子が損をするだけだ。
・AO入試対策で予備校いったり課外活動するのは悪いことじゃない(発声練習)
→ 最後のは,この騒動をAO入試の視点から見るとどうなるか,という。元のNAVERまとめが消えているのがちょっと痛い。
→ 陰謀論でもなんでもなくこういうビジネスは成立する。「意識の高さ」は外面だけを作れてしまうし,学歴がステータスである以上そこに利権が介在するのも当然になる。こうして「若者応援おじさん」の天国が作られていく。
→ 無論のことながら,受験生たち本人は悪くない。問題はねじ曲がった方向へ「意識を高」める制度とそれを取り巻くビジネス,社会の風潮の側だ。
→ ちらちら聞く話によれば欧米でも似たようなことになっているようだし,もう全世界的にAO入試を廃止すればいいのでは。

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