2016年03月13日

受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2016 その2(早稲田大)

昨日の続きで,今日は早稲田大。明日は国立大とおまけです。


18.早稲田大 文化構想学部
<種別>難問
<問題>2 設問3 下線部Cの街道(編註:アッピア街道)は,ローマ市とどこを結んでいたか。次のア〜エのなかから該当するものを一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア マッシリア  イ メディオラヌム  ウ ブルンディシウム  エ ビザンティウム

<解答解説>
アとエはすぐに誤りとわかるが,イとウは難しい。用語集の表記は「南イタリア」なのでヒントにならない。資料集などにはアッピア街道の図が載っていて,それを見るとタレントゥムは載っていることが多いが,終着点は載っていない。正解はウのブルンディシウム(現ブリンディシ)である。イのメディオラヌムがミラノの旧名と知っていれば消去法でたどり着くが,いずれにせよ範囲外。ただ,ブルンディシウムもメディオラヌムも予備校の早慶専願向けの授業では触れられることがあるので,普通に解答できた受験生もそこそこいたと思われるが,それとこれとは別問題だ。


19.早稲田大 文化構想学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>6 設問2 アメリカ独立戦争には,ヨーロッパから義勇兵として植民地側に参戦した人物が多数おり,そのうちの一人で,地図中Bのヨークタウンの戦いでワシントンの参謀として植民地側の勝利に貢献した人物はだれか。正しい人名を一つ選んで,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。
(編註:地図は問題に無関係のため省略)

ア テュルゴー  イ コシューシコ(コシチューシコ)  ウ ラ=ファイエット  エ コシュート

<解答解説>
イとウまでは絞れるが,そこからは厳しい。実は,新課程版の用語集に記載があるので厳密に言えば範囲内だが(旧課程版には無い),むしろ新用語集はなぜそんなことを載せてしまったのかという意味合いで収録しておく。正解はウのラ=ファイエット。コシューシコはワシントンの副官ではあったが,ヨークタウンの戦いには直接的なかかわりがない。


20.早稲田大 国際教養学部
<種別>悪問
<問題>2 問3 下線cに関連して(編註:多くのアラビア語やギリシア語文献がラテン語に翻訳され,その結果,西欧ではスコラ学が開花した),アリストテレスの注釈を通じて西欧のスコラ学に大きな影響を与えた人物を一人選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア イブン=バットゥータ  イ ガザーリー  ウ イブン=ルシュド  エ イブン=シーナー

<解答解説>
これは2015上智3番と全く同じ問題なので,解説文を引用しておく。

「これは受験世界史を一通りやったことがある人で,イスラーム文化史をそこそこ覚えている人なら一発でわかる悪問だろう。イブン=シーナーもイブン=ルシュドもアリストテレス哲学研究で有名だから。それでも一応出題ミスではなく悪問でとどまっているのは,ニュアンスで答えが出るから。どちらもアリストテレスの著作への注釈で有名ではあるが,より大規模な「注釈」を施したのはイブン=ルシュドの方である。」

というわけで,作題者の想定する正解はウのイブン=ルシュドと思われる。


21.早稲田大 国際教養学部(2つめ)
<種別>限りなく出題ミスに近い

<問題>2 問9 下線i(編註:フェリペ2世)に関連する記述として誤りを含むものを一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア フェリペ2世の時代,スペイン王国はレパントの海戦でオスマン帝国を破り地中海の制海権を握った。
イ フェリペ2世の時代,スペイン王国は世界最大の植民地を持つ国家として「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。
ウ フェリペ2世は,ラス=カサスから新大陸で酷使されるインディオの悲惨な状況の報告を受け,エンコミエンダ制の廃止の布告を出した。
エ フェリペ2世は,イタリア戦争の講和条約のカトー=カンブレジ条約をフランス王アンリ2世とイギリス女王エリザベス1世との間で結んだ。

<解答解説>
イとエは問題なく正文。ウは非常に細かい知識だが,エンコミエンダ制の廃止の布告を出したのは先代カルロス1世であり,フェリペ2世ではない。もっとも,現地民の猛反対を受けて実態としては継続され,先住民が激減してからエンコミエンダ制が衰退していく。ということで想定される正解は明確な誤りがあるウであろう。

審議の対象はアで,一般的に言えばレパントの海戦敗戦後もオスマン帝国は東地中海の制海権を失っていないと見なされているため,アの「地中海の制海権」に東も西もついていない以上は全域の制海権を指しているとみなすべきであり,とすると厳密に言えば誤文である。というよりも,レパントの海戦はそもそもヴェネツィア領キプロスがオスマン帝国によって攻略されたことを受けて勃発したにもかかわらず,西欧側がキプロスを奪還できなかったという戦術的大勝と戦略的な失敗が抱き合わさった海戦である。言うまでもなくキプロスは地中海の東側だ。しばしば「スペイン側に地中海の制海権が移った」とか「オスマン帝国退潮の契機」という世界史的意義が喧伝されるが全くの間違いで,いつぞやの千葉大の問題といい,ひょっとして,その辺りが専門ではない大学教員の間でレパントの海戦の過大視が蔓延しているのではないかという疑念が生じる。


22.早稲田大 国際教養学部(3つめ)
<種別>出題ミス

<問題>3 問2 下線b(編註:プロテスタント)に関する記述として誤りを含むものを一つ選びなさい。

ア プロテスタントという名称は,宗教改革の担い手たちがローマ・カトリック教会に抗議したことに由来する。
イ ローマ・カトリック教会の聖職者の腐敗に対する批判は,ルターの「九十五カ条の論題」による批判以前にも行われていた。
ウ 16世紀のドイツは,「ローマの牝牛」と呼ばれ,ローマ・カトリック教会の搾取の対象とされていた。
エ 1521年,カール5世は,シュパイエル帝国議会にルターを喚問し,自説の撤回を迫った。

<解答解説>
イはウィクリフやフスの存在の通り正文,ウも正文である。エはシュパイエル帝国議会がヴォルムス帝国議会の誤りなので誤文。作題者の想定した正解はこれだろう。

審議の対象はアで,プロテスタントの語源は,カール5世がルター派容認の布告を撤回したこと(この撤回が1529年のシュパイエル帝国議会で行われた)に対して,ルター派の諸侯が抗議したことに由来する。つまり,抗議先は厳密に言えばローマ=カトリック教会ではなく,神聖ローマ皇帝カール5世である。これを誤りとみなせば,アも正解になりうる。試験日から数日後,早稲田大当局からお詫びと複数正解を認める旨の発表がなされた。前問の方は,と思うところもないではないが,早期かつ適切な対処があったことには感謝したい。なお,その謝罪文で知ったのだが,国際教養学部の学部長はイギリス出身であった(国籍や信仰まではわからなかった)。学部長とはいえ入試問題のチェックまでは職掌ではないだろうが,報告が上がってきたとき,彼はこのクソみたいな問題に対して何を思ったのだろうか。

ところで,標準的なドイツ語の発音で言えばシュパイエルではなくシュパイアーである。シュパイエルはいわゆる「舞台ドイツ語」と呼ばれる発音に由来するもので,昔はこれが目指すべきドイツ語発音のような扱いだったが,現在では標準的な発音のカタカナ表記が優先されることが多い。高校世界史も以前は舞台ドイツ語準拠だったが,しばらく前から標準的な発音に則るものに変更されており,現行の用語集の表記もシュパイアーである。間違っているわけではないのでこの点自体を批判する気は無いが,残念ながら現行の教科書や用語集に興味が無い証左ではあるなぁと。なお,舞台ドイツ語を中世のドイツ語と誤解する向きもあるが,舞台ドイツ語は19世紀のナショナリズムの高まりの中でまとめられた発音なので,必ずしも古いわけではない。もっとも,舞台ドイツ語に則ったカタカナで書くとすごく中二心をくすぐられるので,中世ヨーロッパファンタジー執筆の際には中世の発音と解釈して採用するのもありだと思います。


23.早稲田大 法学部
<種別>出題ミス

<問題>1 設問6 下線部fの「モンゴル軍」の侵攻は誰の治世のときか。
(編註:陳朝はモンゴル軍を三度にわたって撃退した

 .船鵐ス=ハン  ◆.ゴタイ=ハン   モンケ=ハン  ぁ.侫咼薀ぁ瓮魯

<解答解説>
一般的な解答はい離侫咼薀ぁ瓮魯鵑砲覆襪,一度目の遠征の開始時点ではモンケ=ハンが存命であるので,も正解になりうる。河合塾・駿台・代ゼミ・早稲田予備校から同様の指摘有り。……おい東進。後日,大学当局からお詫びと複数正解を認める旨の発表があった。これはまあ,どうしたって認めざるをえないわな。


24.早稲田大 法学部(2つめ)
<種別>悪問
<問題>2 設問6 下線部Δ亡悗掘癖埣陝中世を通じての古典古代文化復興の動き),中世を通じての古典古代文化復興の動きについて明白な誤りを含む文章を以下のア〜エから一つ選びなさい。

ア アルクインは,カール大帝に招かれて宮廷学校の運営にあたり,カロリング=ルネサンスで中心的役割を果たした。
イ 12世紀には,商業活動や十字軍を通じてビザンツ帝国やイスラーム圏からギリシア古典がもたらされ,それらがラテン語に翻訳されることで,学問や文芸が大きく発展した。
ウ 14世紀頃にイタリアで生じたルネサンスは,古代ギリシアやローマの文化を模範とし,ミラノ公やローマ教皇などの保護の下で展開された。
エ ダンテはヴェネツィア地方の口語を用いて『神曲』を著し,その言葉から現在のイタリア語の標準語が発展した。

<解答解説>
アとウは問題なく正文。エはヴェネツィア地方ではなくトスカナ地方なので誤文である。作題者の想定した答えがこれだろう。審議の対象はイ。12世紀ルネサンスにおいて東方貿易や十字軍で入ってきてイタリア半島で翻訳されたものは少ないとされており,文献流入・翻訳活動の中心地は,レコンキスタの起きていたイベリア半島のトレドと,キリスト教徒とムスリムが共存していたシチリア島のパレルモである。そもそも,12世紀に入ってきたのは「ギリシア古典のアラビア語訳」や「その注釈・研究書」であり,原典ではない。ギリシア語から直接ラテン語に訳されたわけではなく,アラビア語を介しているのが12世紀ルネサンスの特徴である。この点は,たとえばアリストテレス哲学がイブン=シーナーやイブン=ルシュドによる注釈・発展を経た形で入ってきたことがスコラ学に影響を与えたことが典型的だろう。また,このときに原典ではなかったからこそ,この200年以上後に滅亡寸前のビザンツ帝国から直接原典が大量に入ってきたことが大いなるインパクトを与え,イタリア=ルネサンスの大きな進展を促したとも言える。これらから総合するにイの文は全体として危うく,誤文と判断されても仕方がない。この問題の作者は12世紀ルネサンスをしっかりと理解していなさそうな。

なお,同じ大問2の設問8について,駿台から新課程の用語集の完全なコピペであるという指摘がなされた。確認したが,指摘の通り完全なコピペであった。番号を振っての収録とするかどうかは非常に迷ったが,総合的に判断して悪質性が低いので,ここに付記するに留める。


[番外編]早稲田大 法学部
<種別>悪問とは言いがたいが一応指摘
<問題>3 [ B ]年にクロムウェルによって発令された航海法が,オランダ人をイギリスの貿易から排除し,オランダの海上権に打撃をあたえようとしたために,両国の対立が激化し,イギリス=オランダ戦争が勃発した。

設問8 [ B ]に入る最も適切な年を次の1〜4の中から一つ選びなさい。

1 1648  2 1651  3 1653  4 1655

<解答解説>
Bは1651(年)以外入りようがないので(2が正解),素直に考えるなら普通の易問である。しかし,クロムウェル本人は航海法がオランダの権益を害すものであったため,新教徒同士の戦争を誘発するのではと懸念し,制定に反対していた。そこで,英国議会がクロムウェルの留守時に勝手に議決・制定してしまったという経緯がある。そして実際に第一次英蘭戦争が勃発した。それを考慮するなら「クロムウェルによって発令された」という表現はやや問題が出てくる。

ただし,これはかなり瑣末な指摘である。まず,一般的な高校世界史では「クロムウェルが発令」と習うから,そもそもこの文に違和感を覚えた受験生は皆無に近かったと思われる。次に,少なくともクロムウェルが政権を握っていた時代に発布されたのは事実であり,また彼の存命中に航海法が廃止になったということもない。よって,高校世界史のレベルでは「クロムウェルが発令」と「クロムウェル時代に発令」の差異に重要性が無い。

以上の理由から本問は完全な収録対象外の予定であったが,二つの事情により[番外編]として収録することにした。一つめは,駿台が解答速報で触れているということだ。私は四大予備校の解答速報のコメント・分析を概ね全て読んでいる。それらは大いに参考にしているが,問題の不備と見なすポイントが一致しているとは限らない。今回のこの問題では一致しなかった。予備校の解答速報で問題の不備が指摘されているのに本企画に収録されていないものは,私が瑣末だと判断した(あるいは校正者との協議によってそう判断した)と思ってほしい。逆に,指摘しているのが私だけではない場合は,気づいた限りにおいて他の指摘者を書き並べることにしている。その方が私の指摘に説得力が増すと思うし,“手柄”の独占と思われるのは心外であるというのもある。

もう一つは,同年の東大が二次試験で「英仏の重商主義について,その主要な法令や推進者に触れつつ説明せよ」という主旨の問題を出しており,これに対する各予備校の対応が異なったのが興味深かったからだ。問題の要求から言って「航海法」は必須になるが,この場合クロムウェルの扱いが難しくなる。これに敏感な対応を見せていたのが駿台と代ゼミである。駿台は「クロムウェル時代の英議会は航海法を制定」としており,有言実行といったところか。代ゼミはそもそもクロムウェルの名前を出すのを避け,概評で出さなかった理由を説明している。一方,河合塾と東進は航海法の制定者としてクロムウェルの名前を挙げている。なお,東大の採点方式から言って,クロムウェルがあってもなくても満点が取れるように採点すると思われる。


25.早稲田大 法学部(3つめ)
<種別>悪問
<問題>3 設問2 下線部△亡慙△靴董癖埣陝Р疾部が長いので選択肢の下に),オランダの独立に関して述べた次の1〜4の説明の中から誤っているものを一つ選びなさい。

1 スペイン支配下のネーデルラントという呼称は「低地地方」を意味するが,この地域は,中世以来,毛織物工業と海上貿易の発展で栄えた地方であった。
2 ネーデルラント北部7州は,宗教的にはカルヴァン派のプロテスタントが多く,ユトレヒト同盟を結成して独立運動を進めた。
3 ネーデルラント南部10州は,宗教的にはカトリックが多く,独立戦争から離脱してアラス同盟を結成し,スペイン支配下にとどまった。
4 ロッテルダムを州都とするホラント州が北部7州を主導して戦い,オラニエ公ウィレムがネーデルラント連邦共和国の初代総督となった。

 (下線部◆オランダでは,スペイン支配下のネーデルラントから,北部を中心にした州が,政治的・宗教的・経済的な問題を背景に独立運動を開始し,1581年にネーデルラント連邦共和国として独立を宣言した。)

<解答解説>
ロッテルダムではなくアムステルダムなので4が誤文=正解で,一般的に言えば普通に成立している問題。ただし,「オランダ独立戦争では,カトリックが多かった南部10州はスペインに妥協的であり残留したが,カルヴァン派が多かった北部7州は徹底抗戦して独立した」というのは高校世界史に長らく存在しているやや不正確な説明である。実際には戦争の過程で南部ではスペインが優勢となったため大量のカルヴァン派が北部に移住し,結果として宗教的なすみ分けが発程した。この観点で言えば,選択肢の2と3は危うい。

そもそもオランダ独立戦争は旧教VS新教の宗教戦争というよりも,圧政に対する反乱という色彩が強い。1581年に「ネーデルラント連邦共和国が独立を宣言」とされるが,この時点ではスペインの統治権を否定しただけであって,「独立した“主権国家”になる」とも「共和国になる」とも宣言していなかったりするのだ。加えて,反乱勢力はかなり終盤まで王政の樹立を目指し,フランス王族のヴァロワ家(当然カトリック)から「ネーデルラント国王」を招聘しようとしている。しかし結果的に擁立できず,共和国という形態に落ち着く。ゆえにオランダ人は自国の建国年を1581年とあまり思っていない,と山川の各国史には書いてあった(『新版世界各国史14 スイス・ベネルクス史』森田安一編,山川出版社,1998年)。

とはいえ,現行の一般的な高校世界史では俗説で習うから,2・3は正文=誤答と見なさざるをえない。一方,帝国書院の教科書には「アントウェルペン市を含む,ほぼ今日のベルギーにあたる南部10州が独立戦争から脱落し,これらの州では“その後”カトリックが強くなった」(強調は編者)とあり,帝国書院の教科書だけを読んで勉強してきた人は2・3を誤文=正解と見なす可能性がある(そういう人はまずいないと思うが)。7冊中1冊ではあるが,正確な説明をしている教科書があるという点は考慮されるべきであろう。また,山川の『詳説世界史研究』(※)ではかなり詳細にカルヴァン派の南部から北部への移住を説明している。この辺りを考慮すると,それほど強く批判する気は無いのだが,一応は悪問でラベリングせざるをえない。

ところで,本問にも駿台はコメントしているのだが,この<解答解説>の第二段落にあたる「1581年の独立宣言は,正確には独立宣言ではないから,下線部△聾蹐蠅澄廚箸い指摘のみである。その説明もこの第二段落とほぼ同じであるから,参照したものも同じと思われる。独立前の南北ネーデルラントの宗教情勢についての誤りは触れていない。

※ 今更ではあるが,高校世界史未履修者のために,念のため説明。『詳説世界史研究』は山川出版社から出されている分厚い参考書で,同社の教科書の『詳説世界史』を鬼のように詳しくした代物である。山川が出版している・教科書と紐付いているため,高校や予備校では準教科書のように扱われることが多い。「早慶上智を受けるなら『詳説世界史研究』くらい読んでおけ」とはしばしば言われ,実際に私も現役当時に熟読していた。本企画での扱いはグレーゾーンであり,教科書・用語集に無いが『詳説世界史研究』に掲載されているというものについては,個別に判断して範囲外か範囲内か決めている。もっとも,ここまで大概は範囲外にしているが。


26.早稲田大 法学部(4つめ)
<種別>悪問
<問題>4 設問4 下線部(編註:下線部が長いので選択肢の下に)のキリスト教にあった複数の考えについての記述のうち,明白な誤りを含むものを一つ選びなさい。

イ アタナシウス派は父なる神と子なるイエスは同質だとし,この考えはのちに三位一体説として確立された。
ロ アリウス派はイエスを神によって創られた人間と見なし,異端とされた後もスラヴ民族に拡がった。
ハ ネストリウス派はイエスの神性と人性を分離して考え,中国まで伝播して景教と呼ばれた。
ニ 単性論はイエスに神性のみを認め,エジプトのコプト教会などに受け継がれた。

(下線部:教会内部では,325年のニケーア公会議で,アリウス派が異端とされ,アタナシウス派が正統の地位を占めた。431年のエフェソス公会議ではネストリウス派が,また451年のカルケドン公会議では単性論が,異端とされた。)

<解答解説>
イとハは完全な正文,ロの「スラヴ民族」が「ゲルマン民族」の誤りで明白な誤文=正解,というのが作題者の想定だろう。しかし,コプト教会は単性論ではないので,厳密に言えばニも誤りになる。しばしば誤解されているが,コプト教会に代表される非カルケドン派(合性論)の思想は,「イエスは神性と人性の双方を持つが,本性においては統合されて1つの本性になった」というものである。つまり,イエスの人性を否定していない。一方,単性論はこの非カルケドン派が極端になって表出したもので,「イエスの持つ人性は神性に吸収される形で1つの本性になったのであるから,その本性は神性のみである。イエスは外見において人間であるに過ぎない」とするもので,似てはいるが同じではない。非カルケドン派は人性が消滅したとは考えていないからである。

アタナシウス派,つまりカトリックや正教会等は「イエスは神性と人性の“2つの”本性を持つ」とする教義であるから,この3つは人性の扱いが全て異なる。カルケドン公会議でアタナシウス派のみが採られ,非カルケドン派と単性論派がまとめて排斥されたのは事実である。一方で,ビザンツ帝国は非カルケドン派の強かったシリアやエジプトを領有していた関係で,コンスタンティノープル教会と非カルケドン派との和解を望んでおり,6〜7世紀頃には折衷的な教義も考えられていた(この折衷案からマロン派が誕生した)。しかし,そのような妥協の動きはカルケドン公会議の決定に反するとして強く非難したのがローマ教会であり,これが思わぬ激論になったため,東西分裂の動きが加速した。それもあって20世紀後半までカトリック教会は非カルケドン派を単性論と同一のものと見なして強く異端視していた。教義上での和解が進んだのは1970年以降のことである。

ただし,高校世界史においては非カルケドン派と単性論が区別されておらず,コプト教会やアルメニア教会は単性論派と説明されるのが一般的である。よって,ニを誤文=正解と見なして出題ミスであるとは断言できず,悪問止まりであろう。また,こうした場合はアリウス派の説明も間違っていることが多いが,今回は当てはまらないので少し悩んでいる。アリウス派は「イエスは神の被造物である。よって,イエスには人性と神性の両方が宿っているが,父なる神と同質な存在ではない(父なる神よりも劣った神性である)」という教義であるが,これが誤解され,高校世界史では「アリウス派はイエスを人間と見なし,神性を否定した」と説明されることが多い。本問のロの前半部分の「アリウス派はイエスを神によって創られた人間と見なし」は誤解をかわしているのがわかると思う。

このアリウス派の説明を鑑みるに,本当はわかっている人が問題を作ったが,ニの表記は泣く泣く高校世界史の表記にあわせた,という推測も成り立つ。だとすると責めるのは極めてお門違いである。真相が知りたい。


27.早稲田大 法学部(5つめ)
<種別>悪問・出題ミスに近い

<問題>4 設問5 下線部ぁ癖埣陝両教会)の東西の両教会についての記述のうち,明白な誤りを含むものを一つ選びなさい。

イ キリスト教は元来偶像崇拝を禁止するが,コンスタンティノープル教会では,異教徒への布教の必要から聖像の使用を容認した。これに対してローマ教会では,イスラームに対抗するために,聖像が禁止されていた。
ロ 西ヨーロッパ世界では皇帝と教皇の二つの権力が並立していたが,ビザンツ帝国では皇帝がキリストの代理人として教会を支配し,最高の権力者であった。
ハ 第四回十字軍は,コンスタンティノープルを占領してラテン帝国をたてたため,ギリシア正教会とローマ=カトリック教会は不仲となった。
ニ ビザンツ帝国の文化と宗教は,帝国の滅亡後,ロシアに受け継がれ,モスクワの教会は,ギリシア正教の中心であると主張し,ロシア正教が発展した。

<解答解説>
イは,聖像の使用を必要としていたのがローマ教会で,禁止令を出したのはコンスタンティノープル教会だから明白な誤文であり,これが想定される正解である。ところが,ロは古臭い皇帝教皇主義の説明で,現行の研究ではほぼ完全に否定されている。よって誤文=正解と取れるが,皇帝教皇主義に関する高校世界史教科書の態度は割れており,完全な誤文とするのはやや難しい。
  拙文ながら参照:・「皇帝教皇主義」という用語について

ハも,ギリシア正教会とローマ=カトリック教会の不仲は第一回十字軍からすでに始まっており,当然第四回ではない。「不仲となった」は第四回が不仲の起点であるように読めるので,これは誤文という解釈もできる。ただし,不仲が深まったのは間違いないので,これはやや意地悪な読み方かもしれない。ニも,「ビザンツ帝国の文化と宗教は,帝国の滅亡後,ロシアに受け継がれ」とあるが,言うまでもなくビザンツ帝国の滅亡前から正教もその文化もロシアに伝播しているから,誤りとも解釈できる。また後半も,「ビザンツ帝国の滅亡によって,ギリシア正教の中心地がモスクワに移った」はよくある誤解で,実際にはそんなことは起きていない。
  参照:・「ロシア正教会は正教会の盟主」?(神田御茶ノ水草子)
ただし,ニの文をよく読むと「モスクワの教会は,ギリシア正教の中心地であると主張し」とあり,「中心が移った」とは言っていない。そして,モスクワの教会が「第三のローマ」論を主張していたのは事実であるから(もっともそれもリンク先の説明の通り大きな留保がつくが),後半はギリギリでかわしているようにも読める。また,ロと同様に,これも高校世界史では「ビザンツ帝国滅亡により,正教の中心地はロシアに移った」と書いてあることが多く,皇帝教皇主義以上に蔓延している誤解である。高校世界史との兼ね合いを考えると,ニもまた完全な誤文とするのは難しい。

総合すると,イが明白な誤文=正解ではあるが,ロ・ハ・ニそれぞれ誤文に近い文で,非常に危ういところで成り立っている問題と言える。出題ミスとは断言できないが,出題ミスに近い。多分26番と同じ作題者だと思うが,それだけに尚更この2問の真意がわからない。


28.早稲田大 文学部
<種別>難問
<問題>1 設問2 下線部aに関して(編註:この時期のエジプトの金は,多くは産地である他地域から運ばれてきた),次のア〜エのなかで,産地として最もふさわしいのはどれか。

ア コンゴ  イ ヌビア  ウ モロッコ  エ リビア

<解答解説>
普通のよく出来る受験生のレベルなら,コンゴ・モロッコは明らかに遠すぎるから違うとして二択までは絞れるが,そこからは厳しい。非常によく出来る受験生なら,ヌビアが現在のスーダン北部を指していて,後にクシュ王国ができることも知っていようが,残念ながらクシュ王国の特産品は「鉄」と習うので,今回には無関係である。マニアックな事項まで載せている参考書なら書いてあるので,一部の世界史マニアなら正解できたかもしれない。正解はイのヌビア。古代のヌビアは金も採れた。


29.早稲田大 文学部(2つめ)
<種別>難問・悪問
<問題>4 設問3 下線部c(編註:(対モンゴル戦争を始めた朱元璋は,元が天命を受けて建てられた王朝と認めつつ,「胡虜に百年の運なし」との古の言は正しいとして,その礼・義にもとる行為を弾劾し北伐の軍を進めた。)の背景・理由として正しいものはどれか。

ア 皇帝のキリスト教への傾倒
イ 兄弟間の大ハーン位継承戦争
ウ 一夫多妻制の流行
エ 朱子学以外を禁ずる文字の獄

<解答解説>
アは明らかに事実に反しており,エは清朝の政策なので誤り,よってイとウまでは絞れる。「中国の皇帝だって一夫多妻制だから,非難することはないのでは?」という予測はいい線をいっている。ついでに「アリクブケのフビライに対する反乱もあったし,儒教は長幼の序を重んじるから,イでは。李世民の所業だって非難されているわけだし。」というのもかなりいい予測で,正解のイにたどり着ける。

……のなら収録対象じゃないんだな,これが。イが正解なのは間違いないんだけど,実はこの予測は問題だらけだ。的外れな予測で正解にたどり着けてしまうのは果たしてよいのか。解説を加えておくと,まず儒教は確かに一夫多妻制を認めており,中国(というか漢民族)の一夫多妻制は我々の想像する一夫多妻制である。しかし,当時のモンゴル人の一夫多妻制は通常の側室の他に「父や兄が死んだら,その妻は自らが引き継ぐ」という方式で妻が増えるもので,これは当然のことながら儒教倫理には反した行為になる。そして,実は朱元璋が北伐に際して発布した「朱元璋奉天討元北伐檄文」という檄文が存在しており,問題文にある「胡虜に百年の運なし(胡虜無百年之運)」もここから取られているのだが,この檄文では,“モンゴル人の風習としての”一夫多妻制ならばきっちり非難されているのだ(「至于弟收兄妻子烝父妾」)。「モンゴル人の風習である」とはウの文についていないので,ウを完全に正解とみなすことはできないものの,危うい選択肢の作りではあると思う。特に,モンゴル史に詳しい受験生はかなり迷ったのでは。(いないとは言い切れない。少なくとも高校生当時の私はオルドとかいうコマンドのある某コーエーのゲームのせいでモンゴル史を調べたことがあって,この風習を知っていた。)

ではイの「兄弟間の大ハーン位継承戦争」はどうかというと,これもばっちり檄文内にある。しかし,実は朱元璋が檄文で直接非難しているのはアリクブケとフビライの争いではないというのが本問をややこしくしている。「天暦以弟鳩兄」,つまり天暦年間におけるコシラとトク=テムル兄弟の争いを非難しているのだ。無論のことながら,この天暦の内乱は受験世界史範囲外である。

つまり本問は,深く考えずに選択肢を吟味すると,二重に間違った推測から正解に到達させる上に,中途半端にモンゴル史の知識があると誤誘導される可能性がある。私は,受験生に間違った推測をさせる問題は,仮にそれで正解にたどり着けるとしても,やはり良くないと思う。なお,この問題の難点を指摘していたのは駿台のみであり,本問を難問としている予備校すら少ない。


30.早稲田大 文学部(3つめ)
<種別>悪問
<問題>4 設問4 下線部dについて(辛亥革命後の中華民国は,漢・満・蒙・回・チベット諸民族の協調を目指す五族共和をスローガンとした),革命勃発時から1920年代までの蒙(モンゴル)の動きを外モンゴルという語を使用して40字以内で述べなさい。

<解答解説>
「孫文が掲げた四大綱領のうちの「駆除韃虜」と「恢復中華」も,朱元璋の北伐檄文から引用されたものである」という主旨のリード文が,下線部cとdの間に入っている,という話を一応書いた上で。本問も連続して収録対象となってしまった。紙一重で良問だったのに。解答に必要な知識自体はそこまで難しくないのだが,書いてみるとわかる。本問は明らかに字数の設定ミスであり,どう考えても40字では足りないのだ。字数制限を無視しつつなるべく省略して書いてみたが,次の答案くらいが限界だろう。

「内外モンゴルともに独立の動きを見せたが,内モンゴルは中華民国に留まった。外モンゴルはソヴィエト赤軍の支援を受けて独立に成功し,モンゴル人民共和国が成立した。」(78字)

なぜ字数制限が適切なら本問が良問だったかといえば,紹介したリード文に意味が出てくるからだ。元々の中国同盟会は,朱元璋を引用してまで「漢民族の民族国家」という点にこだわっていた。しかし,いざ革命が成功の兆しを見せると,一転して帝国主義むき出しの「五族共和」に変わるのである。そして内モンゴルは取り戻したが,帝政ロシア及びソヴィエト=ロシアの支援を受け続けた外モンゴルには自立されてしまう。地政学的事情および大国のパワーゲーム(そう,極めて帝国主義的な!)によって内外モンゴルの命運が分かれたのだ。この中華民国の変節としっぺ返しを考える上で,1910〜20年代の内外モンゴル史は実に論じさせやすく,高校世界史の範囲からはみ出ない良い題材なのである。返す返すも「100字」指定にしなかったのが悔やまれる。文学部の論述問題は毎年30字か40字なので,そのせいだろうけど。

さりとて40字と指定されている以上は,何かをばっさり切り落として解答を作るしかない。本問がなぜ悪いかといえば,採点基準が非公開なのに,完全な解答のために必要な要素のうち何かは切らないと字数が収まらない点にある。上記の解答の要素は大きく4つ。
1.内外ともに独立の動きを見せたこと
2.内モンゴルが中華民国にとどまったこと
3.外モンゴルがソヴィエトの支援を受けたこと
4.外モンゴルにおけるモンゴル人民共和国の成立
このうち,2つは削らないと40字にはならない。1番はまあ真っ先に削る対象だろう。4番は逆にどうあっても削れない。よって,残すのは2番か3番,という選択肢になると思うが,どちらを残すかはもはや趣味の問題だろう。というわけで,本問も実は予備校の解答が割れたシリーズだったりする。そして各予備校の解答速報を見ると,3番を残す派,つまり「外モンゴルはソヴィエトの支援を受けて独立し,モンゴル人民共和国が成立した。」という解答が多数派であった。河合塾だけが2・4番の要素による解答,つまり「内モンゴル」に言及のある解答を発表している。ただし,代ゼミは概評の方で「問題文が曖昧なので,内モンゴルに言及すべきかどうか定かではない」とコメントしている。こうした苦言は駿台だとしばしば見られるが,代ゼミが書くのは珍しい。


31.早稲田大 人間科学部
<種別>誤植・ひょっとしたら出題ミス

<問題>1 設問Y ァゝ賁鸚蚕颪肇リシア神話について,誤った説明はどれか。

a ユダヤ教徒の聖典である旧約聖書は,洪水神話を含む『創世記』や『出エジプト記』などのいわゆる「モーセ五書」を中核とする。
b ユダヤ人の精神的支柱である旧約聖書は,ヘブライ人の伝承や神の啓示,予言者の言葉などをまとめたものである。
c ギリシア神話はオリンポスの12神を中心とする古来の伝承を,主にホメロスとピンダロスが体系化したものである。
d ギリシア神話の神々は多くが人間的な性格を帯びており,その神話観はローマ神話に受け継がれた。

<解答解説>
bの「予言者」が「預言者」の誤字。これは気づいた受験生も多かろう。bは,予言者と預言者を厳密に別物と見なすのであれば誤文=正解になる。一方でcも,ピンダロスではなくヘシオドスであるので明白な誤文である。一応,「預言者」の表記については議論があるようだが,私はこの分野に詳しくないので深入りできない。ただし,現実的には「預言者」と「予言者」は現在の日本で別物とおおよそ考えられていることから,やはり問題のある誤植と言わざるをえない。

さすがにこれは当局発表があるだろうと思っていたところ,やはり大学当局から発表があったが,「訂正はするが,解答に影響はないと見なし,採点上の特別な措置は行わない」とのことであった。つまり,早稲田大当局は「予言者」と「預言者」は峻別する必要がないと見なしたか,あるいはcの誤りがあまりにも明白なので,論争のあるような誤りは誤りと見なす必要がないと判断されたか,いずれかであろう。私は後者だと思うが,いずれにせよこの対応は残念である。

しかし,2016年の人間科学部はこの問題を除けば全体として正誤のポイントが明白で解きやすく,ちょっとした工夫のある問題も見られてなかなか好印象であった。それだけに当局発表が残念だった,というのは付け加えておきたい。


32.早稲田大 教育学部
<種別>難問
<問題>1 (5) イングランド王国について述べた次の文 Ν△寮妓蹐料箸濆腓錣擦箸靴董だ気靴い發里呂匹譴。

 .如璽鹹を開いたクヌート(カヌート)は,デンマーク王とスウェーデン王でもあった。
◆”看戦争の戦費調達のための人頭税徴収に反対して,ワット・タイラーの乱が起きた。

a  歙機´◆歙機   b  歙機´◆欷
c  欷蹇´◆歙機   d  欷蹇´◆欷

<解答解説>
,蓮ぅヌートがスウェーデン王になったことはないので誤文。こちらは範囲内である。△和膓擇農喫犬妨えるが,追加の徴税が「人頭税」であったかどうかは範囲外。実際に人頭税であるので,正文である。,誤文で△正文だからcが正解。なお,「人頭税」のせいで難問なはずなのだが,本問を難問と指摘している予備校が無いのがやや気にかかる。ワット=タイラーの乱の背景としての人頭税は一昨年の一橋大学でも出題され,その時は非難を浴びていたような気がしたのだが……


[番外編2]早稲田大 教育学部
<種別>難問
<問題>2 (8) 国際連合について,誤っている説明はどれか。

a ウクライナ,ベラルーシは設立当初からの加盟国である。
b スイスは現加盟国ではない。
c ダンバートン=オークス会議(1944年,アメリカ)で国連憲章の草案がまとまった。
d 朝鮮戦争への軍の派遣に際しては,安全保障理事会で拒否権の行使はなかった。

<コメント>
おそらく社会人の方が苦戦するシリーズ。c・dは正文,bは昔習った記憶だとそうだったはずで,aは聞いたことないし国連成立時点では「ソ連」だからaが誤文=正解,と推理すると間違いになる。スイスは2002年に国連に加盟しているのでこれが誤文=正解,一方,実はソ連とは別にウクライナ・ベラルーシもそれぞれ国連に加盟していたのでaは正文になる。

で,この問題。初見は難問すぎるだろうと思ったんですが,よくよく考えてみると今年の受験生の大半(18・19歳)は,小学校の・中学校の社会科でスイスはとっくに加盟済のものとして習ったはずで,その知識が残っていればbは圧倒的に易しい選択肢である。いずれにせよaは高校世界史範囲外の内容になるが,bが当然の誤文すぎて,aの内容の正誤を判定する必要がないのだ。この問題を難問と考えるのは,スイス加盟以前に義務教育を終えてしまっている人たちだけということになる。初見で難問と思ってしまった己の加齢にショックを受けさせられた問題であった。


33.早稲田大 教育学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>4 (1) 以下のことがらを古い方から時代順に並べた場合に,3番目に来るものはどれか。

a 宣統帝の退位
b 外モンゴルの独立宣言
c ダライ=ラマ13世によるチベット独立宣言
d 中華民国の成立

<解答解説>
月単位シリーズ。全て年号が用語集に記載されているが,さすがに無茶振りである。d→aは範囲内の知識でわかるが,残りは受験生に求めるのは酷だ。「3番目に来るもの」なので,事実上全ての年号がわからないと正解が出ない。しかも正解は多くの人にとっては意外なもので,bの外モンゴルの独立宣言は非常に早く1911年12月,つまり中華民国成立よりも早い。cのチベット独立宣言は逆にかなり遅く,1913年のことになる。つまりb→d→a→cの順になり,正解はa。なお,チベット独立宣言の項目は新課程の用語集になって登場したもので,旧課程にはない。それを意識した出題かもしれない。


例年は難問・悪問のラッシュになりがちな政経学部だが,2016年は良心的な問題が多く収録なし。珍しいが,とても良いことである。


34.早稲田大 商学部
<種別>難問
<問題>1 問E 下線部Eについて(編註:禁軍),正しい説明はどれか。

1.宋の太祖趙匡胤は,後周禁軍の武将だった経歴から軍事力統制の重要性を理解していた。
2.王安石新法の保甲法は,弱体化した禁軍に農民を訓練して入隊させる改革案であった。
3.南宋の科挙官僚であり禁軍司令官でもあった岳飛は,和平派の宰相秦檜と対立し殺された。
4.宋朝の禁軍は,早くから火薬の使用を進め,世界一の小銃部隊がモンゴル軍を撃破した。

<解答解説>
1はぱっと見で正文だが,「禁軍」の武将だったかどうかの判断材料は高校世界史に無い。2も正文に見えるが,保甲法が「禁軍に入隊させる」ものだったかの判断材料は高校世界史に無い。3も正文に見えるが,岳飛が科挙官僚だったかの判断材料は高校世界史に無い。4は「世界一の小銃部隊」が明白に誤文なので切れるが(そもそもまだ小銃という武器が誕生していない),残りの3択は困難である。

さて,2は保甲法が禁軍(常備軍)への入隊まで見据えたものではなく,あくまで臨時・緊急の農民兵の強化を見据えたものであったから誤文。3も,岳飛は叩き上げで科挙を経ていないので誤文である。ただし,武官も科挙があったということ自体が受験世界史では非常にマイナーであるため,「岳飛は武官だから科挙は無関係だろう」という微妙に間違った推測で誤文と正しく判断した受験生はいただろうと思う。よって,消去法的に1が正文=正解になる。趙匡胤の出身は禁軍。


35.早稲田大 商学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>1 問H 下線部H(編註:唐の府兵制と元の軍人世襲制を範とした明の衛所制)についての説明として誤ったものはどれか。

1.唐の府兵制を範としたという意味は,兵農一致とすることで,屯田制がそれを実現した。
2.元の軍人世襲制を範としたという意味は,軍戸が世襲制で兵部の管轄下に置かれたことを指す。
3.衛所は,唐の折衝府にならい全国の100か所に置かれ,農民からの軍戸の選別,訓練,動員にあたった。
4.1衛は,百戸所112人,10百戸所で千戸所となり,さらに5千戸所5600人から成っていた。

<解答解説>
用語集に記載はあるが普通は覚えないシリーズ。ぱっと見は全部正文で,誤り箇所がさっぱり見当たらないので焦る。実際の受験生だったら鉛筆転がして次の問題に行くのが吉だろう。正解は3で,「100か所」ではなく「300か所」である。こんなのもう,偶然目に入ってなんとなく覚えちゃった人を除けば,中国史マニアか数字マニア,もしくは用語集を一字一句丸暗記するという狂気の所業を行った人しかまともに解答できまい。なお,早稲田予備校が「1の文章が意味不明で不快である。」と痛烈に批判していたが(「不快」とは駿台でも見ない表現だ),確かに不自然な文だ。「唐の府兵制を範として兵農一致を目指し,屯田制によってそれを実現した。」または「唐の府兵制を範としたという意味は,屯田制により兵農一致を実現したことを指す。」と直すべきだろう。


36.早稲田大 商学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 問G 下線部Gに関連して(編註:行政府),アメリカ連邦政府に関する説明として誤っているものはどれか。

1.初代の財務省の長官は,ハミルトンである。
2.国務省は合衆国の外交政策を担当する行政機関である。
3.合衆国憲法の制定後,国防総省が直ちに設置された。
4.フーヴァーは,商務省の長官に在任していたことがある。

<解答解説>
連続して,用語集に記載はあるが普通は覚えないシリーズ。1と2はすぐに正文とわかるが,3と4の2択からが厳しい。3は意外にも用語集に記載がある。新課程の用語集にしかなく,頻度も,世。国防総省の設置は第二次世界大戦後のことなので,これが誤文=正解。「直ちに」が怪しいという国語的な推測は可能である。4は完全に範囲外だが正文。前問よりはマシかなぁ。


37.早稲田大 商学部(4つめ)
<種別>悪問
<問題>3 問H 下線部H(編註:裁判所)に関連する説明として誤っているものはどれか。

1.連邦最高裁判所は,自らが違憲立法審査権を有する旨の判決を下し,現在に至っている。
2.第二次世界大戦後,連邦最高裁判所は,ブラウン対教育委員会事件において,公立学校において人種隔離を行うことを違憲とする判決を下した。
3.連邦最高裁判所は,ニューディール政策における重要法案であり,1933年に制定された農業調整法や全国産業法についていずれも合憲であると判決を下し,同政策を後押しした。
4.現在の連邦最高裁判所の所在地はワシントンD.C.である。

<解答解説>
政経かな? と見まがう問題。2のブラウン対教育委員会事件と4の裁判所の所在地が範囲外ではあるが,3があまりにも明白な誤文なので正解は出せる。連邦最高裁判所はニューディールを個人の経済活動の自由を侵害するものとして敵視し,AAAにもNIRAにも違憲判決を出している。だから種別に難問も奇問も入れていない。

そんなことより気にかかるのは「全国産業法」という表記で,NIRAは全国産業“復興”法では。RはRecoveryなのだから,勝手に脱落させるのは問題があろう。……ひょっとして,AAAとNIRAが違憲だったかどうかを忘れてしまった受験生にも正解がわかるように,非常に初歩的なところに誤りを作った作題者の配慮だった? という冗談は横に置いとくと,これが誤文の選択肢で助かったというのが本音で,仮に3の文が正文で,4あたりが「ニューヨーク」になっていて誤文=正解という問題だったなら,完全に複数正解の出題ミスになるところであった。それにしても,わざわざ復興を欠いた理由が本当にわからない。上記の冗談以外で何か思いついた人がいたら連絡ください。


38.早稲田大 社会科学部
<種別>難問・悪問
<問題>2 問4 下線部(D)について(編註:ヘンリ8世),ヘンリ8世の治世に関する次の記述のうち適切なものを2つ選べ。

a.国王を国教会の唯一最高の首長とする国王至上法を1534年に発布した。
b.ケンブリッジ大学教授トマス=クランマーの作成した英文共通祈祷書を国教会信徒に義務づけた。
c.修道院の解散による所領の没収などで王室財政を強化するとともに,ウェールズを併合した。
d.開放耕地制の徹底によって羊毛生産や毛織物工業を振興し,毛織物貿易を著しく繁栄させた。

<解答解説>
aは文句なく正文=正解。dは開放耕地制ではなく第一次囲い込みであり,第一次囲い込みは非合法だったので二重に誤文である。bとcはそれぞれやや問題のある文だ。bはトマス=クランマーが作成者かどうかが範囲外であるのと,「英文共通祈祷書」という書き方だ。高校世界史では「一般祈祷書」の名前の方が通りが良い。そして一般祈祷書であれば制定されたときの国王はエドワード6世であるから誤文とわかる。なぜこのような意地悪な書き方をしたのだろうか。トマス=クランマーが一般祈祷書の作成者であること自体は正しい。

「適切なものを2つ選べ」であるから,消去法から言って残ったcは正文=もう一つの正解ということになる。前半は範囲内で間違いなく正しいと判断がつくが,一般的な受験生からすると,後半は疑問符がつくはずである。それもそのはず,山川の『詳説世界史』本文には「ウェールズは13世紀にイギリスに併合された」と書いてあるからだ。より正確に言えば1284年,エドワード1世の治世になる。では出題ミスかというと,そうとも言えないのが本問のややこしいところである。エドワード1世はウェールズ公国を征服して,その君主(プリンス)の地位を息子のエドワード(後のエドワード2世)に与えることで,事実上ウェールズをイングランドの一部とした。お察しの通り,ここからイングランドの王太子がプリンス・オブ・ウェールズを名乗るという風習が生まれる。しかし,この時点では形式上ウェールズ公国がまだ残っていることになる。これを解消して,ウェールズを正式に完全併合したのがヘンリ8世であり,1536年のことになる。このヘンリ8世による正式併合は『詳説世界史研究』にならば載っているが,教科書たる『詳説世界史』の方には一切載っていない。つまり,教科書だけで勉強していくとcは誤文という判断になるが,史実の上では正文ということになる。

ところで,本問の作題者はまず間違いなく『詳説世界史研究』をベースにしている。なぜなら,ヘンリ8世によるウェールズの正式併合のみならず,トマス=クランマーの名前も出てくるからである。前述の通り,本企画の基準では『詳説世界史研究』をグレーゾーンとしている。しかし,『詳説世界史研究』からの出題を看過するとしても,教科書と食い違う記述から出題するのは公正ではないと言える。


39.早稲田大 社会科学部(2つめ)
<種別>誤植
<問題>3 問9 下線部(I)について(編註:アメリカ経済が大きく成長した時代),19世紀末までのアメリカ経済に関する記述のうち,適切でないものを1つ選べ。

a.大陸横断鉄道の開通により国内市場の結びつきが強まった。
b.アメリカがイギリスを抜いて世界最大の工業生産国となった。
c.労働争議が頻発し,非熟練労働者の組合である産業別組織会議(CLO)が結成された。
d.独占的企業が台頭したが,シャーマン反トラスト法の制定など反独占の動きも生じた。

<解答解説>
普通に解くならa・b・dが正文なので,消去法でcが誤文=正解とわかるし,素直にcの産業別組織会議の成立はニューディール期であるから誤文という判断も可能で,難易度は高くない普通の問題である。

が,産業別組織会議の略称はCIOであってCLOではない,というとんでもない誤植があることは指摘しておかなければなるまい。Congress of Industrial Organizationsの略で,これは日本語の名称から十分復元が可能な略称だろう。おそらくLはLaborの頭文字と勘違いしたものと思われるが,産業別組織会議のどこにも労働の言葉がないのだから,そこで気付かなかったのだろうか。専門がアメリカ史なら,多少時代がずれていようとも絶対に犯さない類のミスだと思うのだが,どうか。だから専門から完全に離れた入試問題を作る時は慎重に,と口を酸っぱくして毎度書いているのだが。

cが誤文=正解でよかった。これが誤答用の正文選択肢だったら,完全に複数正解の出題ミスになっていたし,非常に恥ずかしい訂正発表になっていたところであった。


40.早稲田大 社会科学部(3つめ)
<種別>限りなく出題ミスに近い

<問題>4 問7 下線部(G)について(編註:辛亥革命により中華民国が建国されたことで清が滅亡していた),清朝滅亡に至る過程に関する記述として最も適切なものを1つ選べ。

a.孫文は1905年に興中会を組織するとともに三民主義を提唱した。
b.中国同盟会の指導者である宋教仁らは臨時約法を作成した。
c.袁世凱は第三革命と呼ばれる地方蜂起を鎮圧して大総統に就任した。
d.立憲君主制をめざして改革を行った光緒帝は清朝最後の皇帝となった。

<解答解説>
aは興中会が中国同盟会の誤り,cはデタラメ,dは清朝最後の皇帝は宣統帝なので当然誤り,そしてbは正文=正解である。が,根本的にbとcは「清朝滅亡に至る過程」の出来事ではなく滅亡後の出来事だから誤りと考えることができ,この場合はbが死んだことにより全選択肢が誤文なので正解なしの出題ミスとなる。駿台から同様の指摘あり。


今年の社会科学部も,雑な作りで3つ収録とはなったが,数年前までと比べると圧倒的にマシな問題になった。政経学部も収録なしである。一方で,従来は楽勝だった学部が難化傾向で,これまで学部間でバラバラだった難易度をある程度そろえようという動きでもあるのかもしれない。経過観察を要す。難易度をそろえるために難化させること自体はかまわないが,副作用的に悪問が増えており,特に文学部でそれが顕著なので,担当される教員はご注意を願いたい。


その3:国立編へ。


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この記事へのコメント
お疲れ様でございます。
早稲田法の入試に潜入した者です。その後の論述の添削ありがとうございました。
解きながら十字軍やキリスト教関連は絶対ここに載るだろうと思っていて案の定でした。どうして難関大の教授陣はスペシャリストでありながら問題作成がガバガバになるんだろう、と毎年記事を読みながら思います。
ちなみに、一橋の問題について、世界史講師と思われる人が批評してるのを見つけました。例として
2015年度入試のページをリンクしておきました、稲田先生の感想お願い致します。
http://worldhistoryclass.hatenablog.com/entry/2015/04/01/一橋世界史2015
Posted by koshimax at 2016年03月13日 23:11
そのブログの人は有名な駿台の世界史講師です。
随分前から参考にしています。
1970年代から東大・京大・一橋大の問題をストックしていて解説もついてるので,便利なんですよ。
解説は当然的確ですしね。
Posted by DG-Law at 2016年03月14日 03:07
ブコメには収まらなかったので、こちらで失礼します。29.についてですが。
朱元璋の檄文中の「至于弟收兄妻子烝父妾」は、「弟が兄の妻を収め、子が父の妾を烝すに至る」の意味で、レビレート婚の習慣を非難したものです。前近代の中国は「一夫多妻制」(正しくは一夫一妻多妾制)ですので、妾の多いことは非難の対象になりません。もし「一夫多妻制」が非難の対象であれば、檄文中の「父妾」も非難すべきでしょうが、そういう文脈ではありません。

モンゴル含む遊牧民のレビレート婚の風習は、儒教倫理からはインセストタブーに触れますし、女性側からも「貞女二夫に見えず」の道徳を守れないことになります。そちらのほうがより文化ギャップとして大きく、激しい嫌悪と排撃の対象であったと思われます。ちなみに明代の「大明律」の規定では、父・伯父・叔父の寡婦を娶った者は斬首、兄嫁あるいは弟の嫁を娶った者は絞死に処されることになっています。

ということで、「中国の皇帝だって一夫多妻制だから,非難することはないのでは?」論法で選択肢ウ.を消しても問題ないと思います。

さて「天暦の内乱」のほうは、杉山正明でも読んでいないと、ピンと来ないですよね。
Posted by nagaichi at 2016年03月14日 05:18
応えていただき,本当にありがとうございます。

本文中にも書いてますが,
>ということで、「中国の皇帝だって一夫多妻制だから,非難することはないのでは?」論法で選択肢ウ.を消しても問題ないと思います。
やはりそうですかね。
一夫多妻制自体を非難したものではないですもんね。焦点がおっしゃるところの2点ですから。
29番は入れるかどうか迷ったんですが,校正者の皆さんとも相談したところ「紛らわしいには違いない」ということで結局入れた形です。
(出版されれば)書籍版では「レビレート婚であることが儒教的タブーなので,ウはそこまで考えれば消せる」という説明を足したいと思います。

>ちなみに明代の「大明律」の規定では、父・伯父・叔父の寡婦を娶った者は斬首、兄嫁あるいは弟の嫁を娶った者は絞死に処されることになっています。
これは普通に知らなかったです。叔父・伯父もダメなんですねぇ。

Posted by DG-Law at 2016年03月14日 12:48
今年もありがとうございます。
受験生ではないですが、どこかの学部でアメリカの移民法絡みの肢が出てましたが…過去のシリーズを拝見していたのでわかりました。ありがとうございます

30番の早大 内外モンゴルについてですが
「1920年代の」というところを重く見るとソ連の介入(3)がタイムリーなので残すという感じなんでしょうか。(2)も現代に繋がる遺恨にはなっているので確かに削るのが難しいですが。
Posted by ojima at 2016年03月15日 11:13
毎年お読みいただきありがとうございます。
お役に立てたなら幸いです。

30番の問題で,予備校の解答でソ連の介入(3)を優先させるものが多かったのは,指定語句に「外モンゴル」があったからだと思われます。
この指定がなければ,もっと内モンゴルの動きに言及した解答例が多かったのではないかと。

ひょっとすると作った側の発想としては,「外モンゴルを指定語句にしたんだから,内モンゴルのことは一切書かなくていいとわかってくれるだろう」という感じだったのかもしれません。仮にそうなら,問題文の作り方が悪いですね。
外モンゴルの動きだけ書けばよいのなら,外モンゴルを指定語句にするという回りくどいことをする必要はなく,ストレートに「革命勃発時から1920年代までの外モンゴルの動きを40字以内で述べなさい。」という問題文で良かったのですから。
Posted by DG-Law at 2016年03月15日 21:34
どうも、新高3になる受験生です。
国立志望の世界史選択です。

16 について。
アッピア街道がローマとブルンディシウムを結んでいることは山川の教科書に記載されています。アッピア街道の写真下にある説明部分ですね。
それでも十分細かい内容ですが。

慶應の3、4について。
沢田教一、ピューリッツァー賞については、高2の現代文及びコミュニケーション英語で取り扱っているのかもしれません。
私の学校では両方の教科書で登場し、授業で扱いました。
もちろんこれについては学校により異なるでしょうし、そもそも世界史ではない教科の話なので悪問にかわりはないと思いますが。

以上、参考になれば。
Posted by 新高3 at 2016年03月15日 22:44
ほ   ん   と   だ   。

情報ありがとうございます。
ついでに洗いなおしてみたら,「金の産地ヌビア」も用語集の「ラメス2世」の説明文にありますね……この2問は書籍版への転載の際に収録判断のやり直します。

>沢田教一、ピューリッツァー賞については、高2の現代文及びコミュニケーション英語で取り扱っているのかもしれません。
こういうパターンはそれなりにありますね。英語や国語の題材は社会科と重なりやすいので。
沢田教一が英語で扱われて,世界史の入試で出たらものすごい幸運ですね。明らかにそこで他の人と1・2点差がつきますから。

逆パターンで,世界史ネタが英語の長文で出ることもあります。
(私は東大の二次試験の英語がまさにそれで,非常にラッキーでした)
Posted by DG-Law at 2016年03月16日 19:37