2016年03月14日

受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2016 その3(その他)+おまけ「今年の気になった問題集」

その2から。今年のその他はセンター試験と名大だけ。おまけで,解いていて良い意味で気になった問題集をつけた。


1.センター試験世界史B[本試]
<種別>審議不能(あるいは出題ミス)

<問題>2 問3 下線部に関連して(ヨーロッパ経済が世界的に拡大していく),次のグラフは1630年から1799年にかけて,オランダ・イギリス・フランスの3カ国において,アジアに航海するために艤装(航海に必要な装備を施すこと)された船舶の数を表したものである。このグラフから読み取れる内容について述べた下の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の 銑い里Δ舛ら一つ選べ。  12 

センター試験グラフ



a オランダの船舶数がピークを迎えたのは,七年戦争終結後である。
b フランスの東インド会社が再建される以前,同国の船舶数は,常にイギリスの半分以下である。

 a−正 b−正
◆a−正 b−誤
 a−誤 b−正
ぁa−誤 b−誤

<解答解説>
センター試験がグラフの問題を掲載したのは13年ぶりのことで,知識問題ばっかりで思考力を問う問題が出ていないという従来の批判に加えて,新テストは思考力重視で行くという世の中の流れから,こうした工夫を施したと思われる。グラフの読み取りと年号の知識が両方必要で,年号の知識が難しすぎない,良い問題だ。aはオランダの船舶数のピークが1730年前後であるが,七年戦争の終結は1763年であるから誤文。bはフランス東インド会社の再建が1664年であり,それ以前のフランスの船舶数はどう見てもイギリスの半分以下が続いているので正文,すなわち正解はである。

というのが常識的な判断による分析&解答になるが,実は落とし穴がある。フランス東インド会社は少なくとも二度はつぶれて再建している。フランス東インド会社は1604年にアンリ4世によって創設されたが,しばらくは実質的な運営は全くなされずに放置され,すぐさま事実上活動が停止している,とされている。そして一度目の再建が1664年だが,これは1769年に停止し,1784年(実働は1785年)に再再建され,最後に1791年に解散が決定,1795年までには完全に活動が止まった。bの文は一度目か二度目か示していないので,二度目の再建と取った場合は当然誤文となり,正解はい砲覆襦J数正解の出題ミスである。

しかし,ここである程度高校世界史が頭に残っている人からは,それはさすがにかわいそうな読み方だろうという反論が来るだろう。そして,その反論は正しく,なされてしかるべきものだ。高校世界史において,「フランス東インド会社再建」と言えば,圧倒的に一度目のことを指し,1664年のことであり,センター試験でそこそこの点数が欲しければルイ14世の財務総監コルベールの重商主義政策の一環,とよどみなく暗唱できてしかるべき基礎知識の一つである。二度目については,“ほとんど”出てこない。

……はい。“ほとんど”なんですよ。だから,純粋に「高校世界史範囲外」と言い切れないところが本問の困ったところで,新課程の用語集の「東インド会社再建<《フランス》」の項目を引くと,そこではなんと再建が二度とも説明されている(表現は1664年が「再建」,1769年に「廃止」,1785年に「復活」だが,復活だから再建ではないというのは無理筋である)。この新課程の用語集のトラップがなければ,「そんな範囲外の事象まではさすがにセンターの作題者もカバーしてないから,情状酌量の余地があるのでは」という,去年(2015年)のジョン=ケイと同じオチがついて終わりになるところであった。

しかも,フランス東インド会社「再建」のトラップは,もう一つある。今回,本項目の解答解説を書くにあたって,フランス東インド会社の日本語文献を簡単に探してみたところ,フランス東インド会社どころか近世フランス経済史の本すらほとんど見つからないという状況だったのだが(英・蘭は豊富なのに),私が参照できた少ない数冊のどれを見ても,1604年アンリ4世の創建という記述は一切なく,むしろ全て「1664年コルベールが創建」となっていた。アンリ4世に言及があるものを参照すると,アンリ4世の出したのは貿易独占権に関する特許状のみで,国庫から出資もしていないし株式会社の形態もとっていなかったそうで,それは確かに歴史用語としての「東インド会社」の要件を満たしているとはいえまい。しかも,研究史を読んでいくと,フランス東インド会社は後発だったのにもかかわらず,一時は英蘭のものに匹敵するほどの活動規模を見せたという特異性(他のデンマーク等の後発組の東インド会社はそこまで成長できずにつぶれている)自体が,研究の中核なのだそうだ。なるほど,であれば研究者のレベルで1604年が軽視されるのは尚更納得がいく。そして,論理的に考えればわかるのだが,1664年が再建でなく創建であれば,当然「再建」が指す年号は1784年しかなくなる。

ここから導き出される仮説は,1604年にアンリ4世が東インド会社を創建したというのは,おそらく日本の高校世界史の特殊ルールなのではないかという最悪のパターンだ。一体,誰がどこからこんな事項を引っ張ってきて,高校世界史の常識にしてしまったのか,大変に気になるところであるが,残念ながらそれを調べる手立ては全く思いつかない。多分,早慶上智のどこかが出題してそれからか,あるいは,中途半端に調べた予備校講師が先制して参考書に載せたか,いずれかではないかと思うのだが,さすがに調べがつかない。

この件について,近世イギリス史の研究者の友人に,ここまでの文章を見せて検討していただいたところ,多忙な中で以下のような返事を送ってくれた。

ロリアンの東インド会社博物館のウェブサイト(※1)でも1664年に“創建”されたとなっているように,『1664年にフランス東インド会社が“再建”』にはやはり疑問があります。一方,1784年は紛れもなく“再建”です。
ただし,イギリス東インド会社の例を出すと,王政復古直後の1660年に特許状が発行された際に,明確に1660年以前の会社との連続性を記しています。そのため,1604年設立の会社組織を検討したうえで,ルイ14世の王令なり,特許状なりの原文を読んで,1604年の会社との連続性が明示されているか否かを踏まえることが鍵になるとは思います。
また,イギリス東インド会社やオランダ東インド会社に比べて,フランス東インド会社の研究が日本でほとんどされていないということにも,このような問題が生じた要因があると思います。
英仏独蘭中のWikipediaの記事を見ても(※2),1664年創建と書かれているので,日本の高校世界史ローカルルール説は有力なのではないでしょうか。」
※1 ロリアンはフランス東インド会社の拠点の一つだったブルターニュ地方の港湾都市で,東インド会社博物館がある。
※2 2016年3月14日現在。たとえば英語版

これは完全に私の手には余るレベルになってきた。誰かが完璧に調べたら,日本の歴史教育史はおろか,近世フランス経済史に間違いなく寄与する話なので,フランス語が読めて原文にアクセスできる方,ぜひやってみてください。


そうして本問に立ち返ると,これは高校世界史自体が圧倒的に悪いので本問を議論するべきではなく,審議不能である。ただし,新課程の用語集の記載を無視したという点はやや罪が重く,どうしても審議結果を出せと言われたら,やはり・い諒数正解の出題ミスと言わざるをえない。また,一つ提言がある。高校世界史で,1604年のアンリ4世の創建も,1769年の再再建も,教えるのをやめないか。今回のような混乱を産み,全くの無意味な覚えるべき事項を増やしているだけで,完全な無益である。フランス東インド会社については「コルベールが1664年に“創建”し,フランス革命期に解散した」だけで十分であると思う。

なお,厳密に言えば,フランス東インド会社は1719年に他の特権会社を吸収して“東”の外れた「インド会社」に改称している。しかし,混乱を避けるために区別せず,便宜上は最後まで「東インド会社」と呼ぶことになっている。この点をもって「1719年以後はフランス東インド会社が存在しないと見なすことができ,1784年に再建されたのはインド会社であるから,『東インド会社の再建』が指すのはやはり1664年しかない」として,本問は瑕疵なく成立しているという反論は出るかもしれないが,どう考えても無理筋だろう。それを言い出すとイギリス東インド会社も神聖ローマ帝国も名称の変遷があるので。

一番役に立った参考文献として,『フランス東インド会社とポンディシェリ』(羽田正編,山川出版社,2006年)を挙げておく。本書は近世フランス経済史の権威フィリップ・オドレール氏が来日した際の講演記録である。

今回痛感したのは,自らの知識不足と調査の遅さであった。こんなにまずい問題だとは全く思っていなかった。アンリ4世の時点での東インド会社がもう少しは実態のあるものと思っていたところがあったし,近世フランス経済の研究史も全く知らなかった。本問はこんな後になってから騒ぎ立てるべきものではなく,センター試験の直後に調べて,大学入試センターに問い合わせ,何かしらの解答を得るべきものであった。不覚である。



2.名古屋大(前期)
<種別>難問・悪問
<問題>1 次の図は,古代の地中海世界におけるある民族の海上交易ルートを模式的に示したものである。この図について,下記の問に答えなさい。

2016その他2


問2 この民族は,なぜジブラルタル海峡の外側まで進出したのか(a),また,その交易ルートは,なぜ破線矢印で示したような進路をとっていたのか(b),その理由を,それぞれ答えなさい。(編註:各30〜50字程度)

<解答解説>
2016年の名大は,中国史がおとなしかったと思ったら,古代オリエント史が暴走の極みであった。なんですかね,この大学はどこかが暴走していないとダメなルールでもあるんですかね。

さて,この地図は調べればすぐに出てくるが,『通商国家カルタゴ(興亡の世界史3)』(佐藤育子・栗田伸子著,講談社,2009年)のp.111に掲載されているものそのままで,(b)の解答は同ページに,(a)の解答はこの数ページ前に書いてある。なんですか,前任者が自分の論文から出題したら批判されたので,今度は自分が最近読んだ本にしてみたんですか。余計に質悪いわ。ところで,地図の出典が書かれていないのは引用の条件を満たしていないと思うんだけど,大丈夫なんですかね。私がここに転載する際に省いたのではなく,問題文のどこにも『通商国家カルタゴ』と書かれていないのである(念のため証拠,リンク先pdf注意。問題3の文章は出典出してるのにね)。「カルタゴ」の文字がヒントになるから掲載したくない場合は,「なお書名は問題の都合上省略している。」と書き添えておくのが入試作成上の常識であり,他大学の入試は大概の場合こうなっている。出典が無い場合は,単なる白地図に問題に必要な要素だけを入れた創作性の薄い地図であるか,入試のために作成されたオリジナル地図とみなされるが,本地図はそのいずれでもない。これは剽窃を指摘されても仕方がない。ついでに言うと,この地図は『通商国家カルタゴ』の完全なオリジナルではなく,ある研究者の著作に掲載された地図を元に作成されたもので,当然『通商国家カルタゴ』にはその論文の書誌情報が添えられている。元に辿れるようにするためにも,『通商国家カルタゴ』の書誌情報は必要である。さらに言えば,この問題で古代地中海史に興味を持った受験生が『通商国家カルタゴ』を手に取る可能性もあるという教育上の配慮もしてほしかった。入試問題なのだから。

本題に移ろう。(a)も(b)も,言うまでもなく高校世界史範囲外で,これで「受験生の発想力を測っている。史実に沿ってなくても,納得できる解答が出てくれば,それで加点する」とか思って出題しているのだとしたら,大間違いである。以前から何度も書いているが,「史実に沿ってなくても,納得できる解答」なるものは非常に恣意的に判断されうるもので,学部生のレポートの単位なら教員の裁量の範囲だと思うが,大学入試の採点基準としては問題がありすぎると言わざるをえない。もっと言えば,これが完全に自らの専門領域から出題しているならいいが,本当にただの「自分が最近読んだ本」だった場合,以前の千葉大のような大事故 を引き起こしかねないわけだ。そこまでわかっていて,この種の問題を出題しているのだろうか? 百歩譲ってそれを通すとしても(綿密な討論をしている等の対策がされているとして),せめて問題文は「その理由について,貴方の考えを書きなさい。」とすべきであり,今の文言では史実を求めているとしか取れない。その受験生の思考経路にたどり着けないのは,入試作成者として未熟と言わざるをえない。誤解してほしくないので言葉を重ねておくが,発想力を問う入試問題がダメだとか,解答が多岐に渡る入試問題がダメだとかは一言も言っていない。それがやりたいなら,受験生が自らの知識を基盤に着想可能で,かつ史実に帰着できるだけの問題を,素材・文言ともに練るべきだ,と言っているのである。あるいは『興亡の世界史』シリーズくらい全部読んでいるという受験生を欲していたのかもしれない。無茶を言うなという話である(校正者のある方から「大学生でも無茶だと思いますよ……」というコメントをもらったが,私もそう思う)。

正解は『通商国家カルタゴ』を各自お読みいただければわかるのだが(この本自体はとてもおもしろいです),(a)は「イベリア半島やモロッコの鉱物資源が豊富であったから」。特にガデス(現在のカディス)周辺の銀鉱山は「シルバーラッシュ」と呼ばれるほどの銀産出地で,この銀をオリエント世界に供給したのがフェニキア人のなした歴史的業績の一つであるという。イベリア半島南部の銀鉱山はフェニキア本土が衰退し,代わってカルタゴが登場した後も,ポエニ戦争後にローマの属州になった後も重要な鉱山であったので,第二次ポエニ戦争に詳しい受験生がいたら,それこそ「発想力」で正解に辿り着いたかもしれない。私自身も(a)は『通商国家カルタゴ』を読む前に正解がすぐにわかった。

(b)は「地中海の海流が反時計回りだったから」。当時の航海技術では,それでもフェニキア人は他と隔絶して卓越していたのだが,海流に逆流して積み荷満載の帆船を動かすのは困難であった。そこで,なるべく海流に沿って動けるようにフェニキア人が見つけた航路が,この反時計回り航路であったそうだ。


3.名古屋大(前期)
<種別>悪問
<問題>1 問4 図中(編註:地図は同じ)で地名が添えられた白丸は,この民族が建設した植民市とその母市を示しているが,そこには一つだけ例外がある。この例外にあたる都市について,その名称(a)と,この都市が建設されるに至った経緯(b)を,それぞれ答えなさい。(編註:(b)は30〜50字程度)

<解答解説>
(a)の正解はシュラクサイ,現在のシラクサである。他は全てフェニキア人の植民市であるが,これだけギリシア人の植民市である。まずいのは(b)だ。これは本当に単純に日本語が悪い。駿台には「問いかけ方が適切とは言いがたい」と書かれていたが,さすがの指摘だ。

受験生にシラクサが建設された理由なんてわかるはずがないのである。だが,前出の問2と決定的に違う点,受験生が救われる点が,本問にはある。受験生は,ピンポイントのシラクサが建てられた理由は知らないが,「ギリシア人が植民市を建設した“一般的な”理由」なら勉強しているからだ。そこで,一般的な理由を解答に入れておけば,満点にはならないかもしれないが,大きく減点もされないだろうという推測が受験生にも働く。この高校世界史で学習する「ギリシア人が植民市を建設した“一般的な”理由」は,シラクサの名とともに,『通商国家カルタゴ』にも載っている。少し引用しよう。

「ネアポリス(現ナポリ),シュラクサイ(シラクサ),マッサリア(マルセイユ),ビュザンティオン(イスタンブル)……地中海周辺の東西に散在するこれらの港町は,もとはすべてギリシア人の植民市として建設された。紀元前8〜前6世紀,バルカン半島と小アジアのエーゲ海岸ですでにポリスの時代を迎えていたギリシア人は,母市の内紛や人口過剰から新天地を求めて大植民運動を展開し,その結果,ギリシア人の活動の範囲は黒海沿岸を含む地中海全域へ広がった。」(p.90)

というわけで,高校世界史で学習する“一般的な”理由が,実はしっかりとした正解なのである。おそらく作題者は,この文章を頭に入れた状態でp.111にたどりつき,地図中のシュラクサイの文字を見て,着想を得てしまったのだろう。この地図とこの文章で,問題が作れると。その発想自体は良かった。(b)の問題の文言は「この都市に代表されるギリシア植民市が建設された一般的な経緯を答えなさい」にしておけば,何の問題も無かったどころか,文句なく良問だった。実に惜しい話だ。

なお,問1・3・5は受験世界史範囲内で解答できる標準的な問題だが,全部『通商国家カルタゴ』の本で大きく取り上げられている事項である。高校世界史を一切知らなくても,『通商国家カルタゴ』だけ読んでいればこの大問1は完答できる。





[おまけ:今年の気になった問題集]
以下はおまけとして,今年私が解いていて気になった問題をピックアップして簡潔にコメントする。「悪問は定義しやすいが,良問は定義しづらい」と以前このブログ上で書いたことがあるが,とりあえず良い悪いは横に置いといて,私から見て「印象に残ったもの」「おもしろかったもの」をピックアップした。また,読者諸氏からの「今年の一橋は?」「千葉大は?」という声が聞こえてきそうなので,それらも含めて。本当に簡潔にしか書かないので,ご容赦を。また,今のところ何かしらの書籍に転載することは考えていません。


1.一橋大:第1問
<コメント>
正直に言って,第一声は「今年もやりやがったか」であった。駿台はこの種の問題について「一橋大学・レジェンドシリーズ」と命名していた。上田辰之助は東京商科大学時代からの教官であり,この著作は1933年の刊行である。まさかそこから取ってくるとは思わなかった。良知力が最古だろうと思っていたのだが,そう来られるともう全く来年以降の予測が立たない。そのレジェンドシリーズとしては,今年のものは解きやすい。文章はやや古くて読みづらいが,読解できなくても解ける(ただし,読めればヒントにはなっているので無駄にはらない)。下線部だけわかればよい。そして,実はアリストテレスの思想にもトマス・アクィナスの思想にも深入りする必要が一切ない。(知っていれば,かなり有利ではあったが。「人間はポリス的動物である」とかは大ヒントなので。)

してみると,アリストテレスにとっての「都市国家」は「国家」であるが,トマス・アクィナスにとっては「都市」であった。この違いが生じた背景として考えられるそれぞれの社会形態を対比して考察せよ,というわけだ。当然であるが,アリストテレスの念頭にあったのは「ポリス」(特にアテネ)であり,トマス・アクィナスの念頭にあったのは中世欧州の自治都市である。あとは,ポリスと中世欧州の自治都市を書き並べれば,相違点は容易に見えてくる。ポリスの市民は政治的主体だが,経済活動は奴隷任せの部分が大きい。一方,中世都市の市民は商工業のために集住した人々であるから当然に経済活動を行っていた。しかし,都市の自治権は君主からの特許状に由来していたし,市参事会は一部市民の寡占であるので,ポリスに比べると政治的な集住とは言えない。高校世界史範囲内で学べる知識だけで,十分に考察可能で,400字は埋まる。「倫理は履修してなかったので,アリストテレスの思想なんて1ミリも知らない」と投げ捨てた受験生には,ご愁傷様としか言えない。


2.一橋大:第2問
<コメント>
この第2問も見た目のヤバさが強いが,解いてみるとそこまででもない。少なくともフランス大聖堂の方は楽勝で,これが書けないなら一橋を受験してはいけない。ナント王令(勅令)廃止と,経済発展を目的としたプロイセンのユグノー招聘運動が説明できていれば十分。後ろの聖ヘートヴィヒ聖堂は多少難しい。しかし,年号から言ってオーストリア継承戦争がかかわっていること,フリードリヒ2世が啓蒙専制君主で宗教寛容政策をとっていたこと(これは引用文にもヒントがある),シュレジエンにはポーランド人が住んでいたこと(少なくとも現在ポーランド領であることは知っているはず)から推測は付くはず。ただし,ポーランド分割は無関係と思われる。河合塾と駿台の解答ではポーランド分割への言及があるが,分割前に完成していることから想像してほしいところ。ドイツ語でググッて調べた限りではあるが,やはり資金の出資者はシュレジエン出身者であった。


3.千葉大:第3問
代ゼミが撤退したため,東進にしか問題がなく,会員制だからリンクを貼っても意味が無いので,簡潔に問題文を要約する。
・ミロのヴィーナスの写真が掲載されており,問1は「この美術作品の名称と発見された地域」。後者の正解は「ギリシア」で十分と思われる。
・問2は「この作品の歴史的価値について述べなさい」。
・問3(1)は「この作品は1939年9月から1945年6月の間,ルーヴル美術館ではなくフランス中部のヴァランセ城に移動していた。その理由を具体的に述べなさい。」
・問3(2)は「この事例を参考にしながら,美術館・博物館の社会的な役割について述べなさい。」
(字数は3問の論述を合計して200〜250字程度)

<コメント>
これは収録対象かどうか,まだ判断してない。するとしても問3(2)がやや奇問・難問に入るかなとは思うが,少なくとも悪問の区分ではなく,総合的に言って今のところ否定的である。問2は「ヘレニズム文化の代表作で,写実的でありかつ優美(理想主義的)という特徴を現在に伝えている。」とか50字以内で書いておけば満点だと思う。十分に素材は教科書にある。1820年発掘ということを知っていれば(用語集に年号の記載有),「古代ギリシアへの憧憬を煽り,ロマン主義の発展に影響を与えた」とも書けるが,そこまで書ける受験生はほとんどいなかったと思うし,多分求められてもおるまい。

問3(1)は易しい問題で,年号から推測ができる。「フランス中部」も良いヒントだ。ナチスドイツのパリ占領とヴィシー政府の成立を70〜80字くらいでまとめればよい。(2)はこれ単体だと完全に収録対象の奇問だが,問2や問3(1)は良い誘導だと思う。「文化財の保護により,歴史的・美術的に価値の高い作品を後世に伝え,広く公開することで,研究や市民の教育に役立てること」が多分模範解答で,これで約60字だが,引き伸ばせば80〜100字くらいにはなろう。難易度はかなり高いが,少なくとも跳躍的な発想は要求されておらず,採点基準が推測できない問題でもないと思うのだが,どうだろうか。
(多分これ,めっちゃ良問って褒める人と,超難問って非難する人と,私のように判断に困っている人に綺麗に分かれると思う。この辺が良問と難問は紙一重と言われる所以で……)


4.北海道大
<問題>1 問3 下線部(2)について(編註:燕雲十六州といわれる河北・山西の一部を獲得した),契丹の文化的特質を,中国文化とのかかわりを念頭に置いて簡潔に説明しなさい。
(編註:字数は60〜70字程度)

<コメント>
100字前後の論述はかなりパターン化が進んでいて,頻出の問題がどうしても出てきてしまう。その中で,これは完全にパターン外の出題で,けっこう驚いた。なので,この解答に必要な要素は当然すべて教科書には載っているが,これを押さえている参考書はかなり少ないのではないかと思う。

解答の要素としては「大乗仏教の信仰」と「漢字とウイグル文字を母体とした契丹文字の作成」の2つが入っていれば満点だろう。契丹(遼)は「不甲斐ない中国人が唐を滅ぼした」というところから,唐の後継者という強い自意識を持って生まれた王朝で,一方で遊牧民であることは捨てず,どこまでも遊牧国家と中華王朝の両立を目指した王朝であった。これを政治的統治体制(いわゆる二重統治体制)の面から論述させる問題は“パターン”にあるが,宗教と文字から問う問題は極めて珍しい。言われてみると,契丹文字は両立の象徴ではあろう。


4.早稲田大 人間科学部
<問題>4 設問Y ァ,弔のうちパスパ文字はどれか。

パスパ文字

<コメント>
もう1つ,契丹文字関連から。「この辺の諸民族の文字,文字の名前と字母だけ機械的に覚えている人が多そうだけど,見た目でちゃんとわかる?」という問いである。難易度から言えばめちゃくちゃ簡単なんだけど,本質的な問いではあろう。パスパ文字だけ一切漢字の要素が入っていないというのを知っていれば,cしか残らない。ちなみにaは契丹文字の小文字で,2番めに漢字っぽくないのはこれだろうが,漢字とウイグル文字の要素が混ざっているから。bは女真文字,dは西夏文字で,この2つは漢字が主要な母体である。(『シュトヘル』,買ってはいるけど積んでいる。)


5.慶應義塾大 経済学部
<問題>1 問7 次の第1図中のa〜cは,それぞれ1905年〜1945年のアメリカにおける原油生産量,自動車生産台数,ビール生産量のいずれかの推移を指数で示したものである。(第2図は省略)

慶大経済


(1) 第1図中のa〜cの組み合わせとして適当なものを,次の1〜6の中から1つ選び,解答用紙Bの所定欄に記入しなさい。
(編註:選択肢省略。いずれにせよ全部特定できないと解答が出ないようになっています。)
(2) (1)の解答を導いた理由を,a〜cのうち2つの動きを取り上げ,解答用紙Aの所定の欄の範囲内で説明しなさい。

<コメント>
私的な今期で一番おもしろかった大賞はこれかなーと。まともに解きたい人のために,一応隠します。(携帯から見ると外れてそうだけど,それは申し訳ない)

一発でわかるのはc。1920年代にほとんどゼロなのは禁酒法制定期だから。次にわかりやすいのはb。二次大戦中は軍需生産に振り分けられていて急減するし,世界恐慌期に生産が落ちている。aの石油が一番わかりにくいけど,これも期間中の大部分で生産拡大しているのに世界恐慌期だけ停滞していることと,戦時中に急激に生産量が伸びていることからわかる。


6.慶應義塾大 経済学部(2つめ)
<問題>1 問9 (1)次の第3図は,1978年〜1997年度のUAE(アラブ首長国連邦),イラク,イランからの日本の原油輸入量の推移を示している。図中のa〜cを示す国の組み合わせとして適切なものを次の1〜6の中から1つ選び,解答用紙Bの所定欄に記入しなさい。
(編註:選択肢省略。いずれにせよ全部特定できないと解答が出ないようになっています。)
(2) (1)の解答を導いた理由を,この時期で中東地域で起こった出来事と結びつけて,解答用紙Aの所定の欄の範囲内で説明しなさい。

慶大経済2


<コメント>
これもおもしろいと思う。同様に一応隠します。

全部わかりやすいのんだけど,cは湾岸戦争とその後の経済封鎖が読み取れるのでイラク。bは1980年に急落しているが,その後はゼロにならずに輸入が続いているので,イラン革命と第二次石油危機を読み取ってイラン。ほぼずっと輸入量が拡大しているaがUAE。


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この記事へのコメント
イベリア半島の豊富な銀がフェニキア人の進出の一因となった事は『世界史Q&A』p.8に記載がありますが、それにしたって、こんなの解けた受験生がいるのか…(-_-;)
Posted by ワラキア at 2016年03月14日 23:54
載せてる参考書あるのかどうか気になってたんですが,あるんですね。
参考になりました。

解けた受験生がどのくらいいたのか,私も気になっています。
名大を世界史で受けた人にアンケート取ってみたいですね。
Posted by DG-Law at 2016年03月15日 21:27
いつも楽しく拝見させてもらっています。
今年名大を受験した者ですが、モロッコやカデシュについては自分の友達の合格者の中では結構な数の人が書けていたように思います。
さすがに海流については、みんな、こんなの分かるかって感じでしたが^^;
Posted by 初めまして at 2016年03月19日 01:26
マジですか。強い。
どっかで読んでました?(教科書や参考書等で)

Posted by DG-Law at 2016年03月19日 03:02
古代オリエントのところには記述がありませんが、帝国主義時代のアフリカ分割の際モロッコ事件の登場でモロッコの位置は知っていました。
そしてドイツとフランスがモロッコをめぐって争ったのは、帝国主義政策を進める際に必要な資源がアフリカは豊富だからだろう、と予想してモロッコは資源が豊富であったからフェニキア人はジブラルタル海峡を超えた先まで進出した。と解答できました
Posted by 3コメ at 2016年04月03日 16:17
なるほど。貴重な情報,ありがとうございます。

資源が豊富なのはこの時代だとイベリア半島の側なのと,帝国主義時代のモロッコもさして資源が目的だったわけではないことを考えると,誤った推測でも解答に至ってしまうあたりも,この問題の欠陥である気がしますね。
だから,受験生の手持ちの情報が少ない分野で「推測させる」問題を作ってはいけないんですよね。
Posted by DG-Law at 2016年04月03日 19:31