2018年04月25日

すぱっと切れた美しさ

白釉円孔透鉢サントリー美術館の寛永の雅展に行ってきた。寛永文化と言えば桃山文化と元禄文化の間にある文化で,両サイドとも豪華絢爛であるが,その間で清新な綺麗さを目指した文化であった。桃山文化は戦国大名の権威を示す豪壮さ,元禄文化は上方の商人の景気の良さを示したものであるが,寛永期も別に不景気だったわけではない。文化の中心は桃山と元禄もそうであるように上方であり,織豊政権に支えられて復活してきた天皇を中心とする公家の文化と戦国の遺風が加わり,さらに世の中が平和となって落ち着きを取り戻した社会が豪華とは違う美意識を志向したという複雑な潮流によって,寛永文化は発展していったのである。その意味で特徴を一言で言い表すのは非常に難しく,あえて言えば新時代の到来を象徴するような「清新な綺麗さ」と表現するのがよかろうと思う。

寛永期を代表する文化人として本展でピックアップされていたのが,後水尾天皇・小堀遠州・野々村仁清・狩野探幽である。この中だと小堀遠州だけが戦国の生まれ・育ちでかなりの年長者,一方仁清の師が小堀遠州と同世代の金森宗和であるから,かなりの年下になる。残った二人がちょうど真ん中の世代か。小堀遠州や金森宗和の名前を聞くと,最近ついに完結した『へうげもの』の世界からそう離れていないことにも気づこう。その古田織部は無理やり入れれば桃山文化になるのだろうが,やはり桃山文化最大の茶人というと千利休がいる。そして寛永期になると小堀遠州になってしまうので,この二人をつなぐ人物という中途半端な評価になってしまうのは,「◯◯文化」で区切ることの弊害と言えるか。

本展ではまず後水尾天皇とそのサロンが紹介され,織豊政権・江戸幕府の保護という形ながら宮廷文化の復興が進んだ点が強調される。この間「大量の宸翰を見た」と書いたばかりのところ,今回は後水尾天皇一人のものながら,またしても多くの宸翰を見る機会を得てしまった。このサロンで活躍した絵師というとやはり住吉派・土佐派になり,規模は大きくないが,大和絵としてもルネサンスといいうる復興だったのだろう。住吉如慶と狩野探幽は完全に同世代で(1600年頃の誕生で1670年頃に没す),土佐光起が半世代ほど後ろになる。なんとなく住吉如慶・土佐光起は元禄文化に入れてしまいがちであるが,生没年を考えても功績を考えても,確かに寛永文化に入れるほうがふさわしいというのは新しい発見であった。絵画ではあとは俵屋宗達(と本阿弥光悦のコンビ)が寛永期の人物だが,こちらは後代の尾形光琳も含めて「琳派」であり,◯◯文化で区切れない独自の潮流感がある。今回もいくつか展示されていたが,こう寛永期でまとめてみると確かに端であり,琳派でまとめた方がおもしろい。

次に小堀遠州。これはもう「きれいさび」と言われる通りで,基本形は桃山文化で完成した茶道なのだけれど,決定的に明るい。収集された茶器が国産・中国・朝鮮と散っていて,なるほど強い美意識に従った選別だという印象を受けた。そのまま続きで陶磁器の章に入り,仁清。仁清も元禄文化に入れられがちだが,活躍年代が1640〜60年頃で生没年不詳であるから,これはなんとも判断が難しい。寛永文化と元禄文化の切り替わりの時期と言えようか。仁清の京焼は華々しいながらも柔らかい印象が強く,寛永文化のイメージは正直ほとんど無かったが,今回の展示品の「白釉円孔透鉢」(今回の画像)を見て驚いた。全面白一色,刀で切ったような角ばった口縁に,無作法にすら見える無造作な円孔,これは確かに寛永文化を象徴する一品に見える。そこまで超絶有名という作品ではないが,本展の宣伝では前面に押し出されていた。理由は実物を見て一発で氷解した。サントリー美術館,さすがのセンスである。陶芸では後は初代酒井田柿右衛門が寛永期の人物になるが,場所が九州であり,琳派同様これまた別枠感が。今回の展覧会で出品が無かったのもうなづけるところ。最後は絵画作品で狩野探幽だが,ここはあまり印象に残っていない。しかし,トータルでは十分すぎるほど満足できた展覧会であった。