2018年07月17日

「イタリアっぽい絵画」という概念

・足りない数百票、勝手に白票扱い 甲賀市、衆院選で不正(朝日新聞)
→ 結果が変わらんとしてもこれは民主主義のルールから言えば最悪な事件で,これが技術的な事情(あえてこう言う)で本邦で起きたというのは衝撃的である。
→ こんなのまともな教育を受けてきていたら民主主義の制度破壊になるというのはわかるはずで,よほど隠蔽しきれる自信が無いとやらないはずである。それが,おそらく実行者の一人か近い人が情報提供して発覚したというのは,さすがに良心が痛んだか。何から何までひどすぎる一件だが,最後の最後で救われた。


・サイゼリヤ店内の絵画と、日本人が感じる「イタリアっぽさ」の関係(Buzzfeed)
→ イタリア・ルネサンスの二大潮流というとフィレンツェとヴェネツィアだが,なぜだか日本の美術教育ではフィレンツェだけが扱われる。その理由は記事中で書かれている通り。それがこうして「イタリアっぽい絵画」のチョイスという形で,全くイタリアと関係がない絵画を巻き込みつつ,サイゼリヤの壁面に現れるのはおもしろい現象。別に批判しているわけではないのだから,サイゼの広報の返事も知りたいところである。
→ なお,これは記事中にもある通り高校世界史も同じで,加えてバロック以降のイタリアは無かったことにされている。その不自然さについては拙著(1巻)でもコラム3で論じているので,お持ちの方はこの記事をあわせて読み直してもらえると幸いかもしれない。そして高校世界史の他分野でこういう偏向があると烈火の如く怒る人でもここには怒らない。知らないだけだと思うので,せめて自分で啓蒙していきたい。
→ それはそれとするなら,サイゼの壁の絵画のチョイスはけっこう好きで,その辺の私の感覚は世間的一般の日本人のセンスと多分それほどずれていないのだと思う。印象派も好きだし。ミーハーなのです,どこまで行っても。
→ ところで,聞かれている「美術史研究者のめりさん」は昔からのTwitterのフォロワー(片思い)で,近日単著も出たようで,その出世っぷりがちょっと嬉しい。昔のネタだとこれとかこれとかの作者。


・猫がわざわざ餌置き場の水入れから遠い場所の水を飲みにくるのはなぜか、というお話「これ不思議だった」(Togetter)
→ 我が家の猫もそうで,よく花瓶の水や洗面所の水を飲みに来ていた。飼い猫に普遍的な現象だったとは。長年疑問だったが,氷解した。なるほど。なお,水道から出たての水でもガブガブ飲んでいたので,カルキの味が嫌だったということは無いと思う。花瓶の水なんて時間が経ちすぎてかえって汚れていたので,汚れもおそらく関係なく。まあ,うちの猫に限った話かもしれないが。


・中国、国家主席の任期撤廃改憲案 習氏、長期政権狙う(朝日新聞)
→ 中国は小平(1979〜89/93年)・江沢民(1989/93〜2002年)・胡錦濤(2002〜12年)とおおよそ約10年で最高指導者が交代し,それぞれ退任後は(隠然たる影響力を発揮したにせよ)第一線から退いていた。無論のことながら中国の独裁体制は崩れるべきだと思っているが,終身で個人が独裁するよりは優れたシステムだと思っていた。ここでそれが崩されつつあるのは残念である。
→ もっとも,中国の最高指導者は必ずしも役職通りではないことに注意が必要。江沢民以後の3人は共産党総書記・国家主席・軍事委員会主席の3つを兼ねることで最高指導者として振る舞ってきたが,小平なんかは軍事委員会主席しか就任していない。この時期の党総書記は胡耀邦・趙紫陽だが,彼らは最高指導者とはみなされていない。そして党総書記と軍事委員会主席には元々任期なんて無い。そこら辺は権力闘争次第らしい。
→ 実際,習近平さんはいつまでやるつもりなのだろうか。個人崇拝を強めていることからして長くやりたがっているのは間違いなかろうが,前述の通りであるので国家主席の任期だけ撤廃してもあまり意味はなく,意外とあっさり降りる,あるいは降ろされる(生命を奪われない形で)可能性も。