2018年09月11日

富士山登山記2018

『ヤマノススメ』聖地巡礼を兼ねて,富士山登山に行ってきた。他の登山記事はもうちょっと数が多くなってから(少なくとも飯能市街と谷川岳に行ってから)書こうと思っているが,富士山は『ヤマノススメ』以外の文脈の方が大きいので,先行して書くことにする。弾丸登山は避けて1泊2日であったが,これについては後で触れる。


富士山の麓への到着は10時半頃。ややもたついてスバルライン五合目の到着が12時の少し手前。五合目は人でごった返していたものの,思っていたよりは少なかった印象。非常に外国人が多く,白人と中国人が中心だが,訪日外国人の割合から考えるとやや白人が多めか。というよりも白人は多くの人が軽装で,登っていくと八合目くらいからあからさまに中国人の割合が高くなっていったから,目的が異なる。中国語は登山中,山小屋内を含めて終始聞こえてきて途切れるタイミングが無かったというところで,中国人の数を想像してもらいたい。国内の景勝地を訪ねるよりも,かえって富士山の方が近いという感覚なのか,それとも登山人口自体が大きいのかはわからない。

スバルライン五合目で昼飯を食べて13時頃に出発。登るのは当然吉田口登山道になる。六合目までは馬に乗って移動できるというサービスがあるが,料金が1万円ということもあって止めておいた。かなりの数の馬が五合目で飼われていたので少し驚いた。六合目まではすいすいと進み,特に混雑もなく13時40分頃に到着。そして六合目から七合目に進んだはよいが,七合目到着目前の辺りから猛烈な渋滞に襲われた。富士山はそもそも登山道が渋滞するものであり,高山病と並んで他の山と全く異なる様相を示す特徴の一つとなっている。が,登ってみてわかった。はっきり言わせてもらうとこの渋滞,人が多すぎるからではなく,道が狭すぎるからである。

間違いなく道を広げれば解決する。五合目・六合目あたりの方が人が多く,意外と六合目まで登って戻っていく人も多い(前述のように軽装の白人は大体ここまで来て楽しそうに写真を撮って戻っていく)。にもかかわらず全く渋滞していないのは道が広いからで,5人くらいが横になっても人が通れる。しかし,七合目付近から途端に道が狭くなり,ひどいと一人しか通れない階段になる。これで渋滞しないほうがおかしい。登ったのが9/1-2であるのでこれでもまだマシだそうで,お盆の頃はさらに重い渋滞になるそうであるから,もう全く身動きがとれないのではないか。道が広げられそうにないかというとそうでもなく,登山道が山小屋に沿うように,一本道になるように引いてあるから強制的に狭くなるという様相で,既存の道を拡張するなり,山小屋を回避して別の道を引くなりというのはそれほど苦労せずにできそうに思えた。渋滞のせいで明らかに登山道の環境が悪くなっており,登山に時間がかかって登山客の危険性も高まっているのであるから,安全性を考えても改善の余地が大きいと思う。「渋滞は富士山名物」なんてのはコミケのコミケ雲並に誇るべきものではない。

七合目五勺付近から道がやや広くなったこともあって空き始めた。3000mに近づき,このくらいからさすがに涼しさを感じるようになり,空気の薄さも感じるようになり,加えてこの辺りから岩場が目立つようになった。なるほど,『ヤマノススメ』であおいちゃんが挫折したわけだ。それでも渋滞地帯よりは快適で,激しい運動をしているので涼しさはありがたかったし,岩場の存在もかえって本格的な登山をしている雰囲気が出ていて,単純な登山の楽しさとしてはこの辺が一番であった。七合目付近では標準タイムから20分ほど遅れていて山小屋の夕飯に間に合わないのではという不安もあったが,特に急ぐ意識もなくスピードアップし,結果的に17時40分頃,目標タイム通りかやや早めに八合目着となった。標高3200m。すっかり火山らしい荒涼とした風景となり,五合目等と比較すると完全な別世界である。

そして山小屋に泊まった。管理人のサービスやトイレの設備,夕飯の質等は文句なかったが,睡眠環境が極悪であった。すし詰め状態は渋滞から予測できたことではあるし,我々は出遅れて予約したので仕方がないところはあるが,それにしても詰め込みすぎていたと言わざるをえない。あれなら「人数過多なんで無理です」と断ってくれたほうが,出遅れた我々としてはかえって助かった。締め切られた狭い空間に人が詰め込まれているので気温が上昇し,電力に余裕が無いからクーラー等なく地上と変わらぬ熱帯夜,そして空気が非常に悪く息苦しい。さりとて環境に文句を言っても詮無いとして,より悪かったのは隣のおじさんで,いびきが爆音だったのは仕方がないとして,異常なまでに寝相が悪く,両側を蹴り倒して3人分占拠して寝ていた。しかも寝相の方向によってはおじさんの顔がこちらの顔に近接し,耳元でいびきをかかれためにいびきが耳栓を貫通したのには本当に閉口した。あまりにもひどかったので寝返りで蹴られるたびに蹴り返していたが,向こうは終始爆睡状態だったのが余計に腹が立った。人生30年余り生きてきて,山小屋の経験は少なくともそれなりに劣悪な環境の雑魚寝は大小経験してきたが,この夜ほどひどかった環境は無かった。頬付が「奴隷船を彷彿とさせる」と言っていて,最初は私は「さすがに言い過ぎではw」と言っていたが,終わって振り返るに確かに奴隷船レベルだったと思う。

結果的にほぼ一睡もできないまま,形の上では寝転がってから7時間経って午前2時。「御来光を見るなら今起きるとよい」と管理人が宿泊者全員を起こしにかかるが,誰も彼もが同じような状況だったせいか,ほとんどの人は起き出さずに,むしろうめき声が漏れていた。それでも2,3割の人が出発していった。私は高山病というよりは睡眠不足で身体が非常にだるかったが,「このままここで横になっていてもどうせ一睡もできない」と見切りをつけて,一念発起して起き上がった。結果から言えばこれは正解で,むしろもっと早く見切りをつけて起きるべきであった。その際に例のおじさんとは逆の側で寝ていた頬付に声をかけると「同じく一睡もしていない。非常に頭が痛いので高山病ではないかと思う。薬を飲んで様子を見る。もう少し人が減って部屋の気温が下がれば寝られると思うから,もう2・3時間寝てみてその時の体調でこのまま下山するかそちらに追いつくか検討する」と言って解熱鎮痛剤を服用して丸まってしまったので,ここからは単独行動となった。『ヤマノススメ』聖地巡礼を兼ねているので吉田ルートで登ってきたが,まさか展開まで『ヤマノススメ』と同じになるとは思っていなかったし,高山病になるなら3000m級初挑戦の自分だろうと思っていた。

準備を整えてロビーに降りて外をうかがうと雨が降っており,天候まで敵で踏んだり蹴ったりである。しかしロビーは涼しく空気もよく,とりあえずここで寝っ転がってみると存外すんなり寝入ることができた。1時間弱寝るとなぜだか一気に回復し,朝飯を食べて外に出ると雨も止んでいて,午前3時半頃に気分良く出発した。なお,後で聞いた話だが,その後私という壁がなくなったことでおじさんの寝相の蹴りは頬付に襲いかかったそうで,再会後に私と全く同じ苦情を彼が述べていたのが少し面白かった。

八合目の山小屋を出発してヘッドライトを点灯させ,少し進んでまず感じたのは完全な暗闇の恐怖である。見渡して360度,自分のヘッドライトとはるかに遠くなった山小屋の明かり以外に一切の明かりないと人間は根源的な恐怖を感じるというのを実感した。実は私はナイトハイクが初めてで,これ自体はよく聞く話であり,自分もそういう恐怖を感じてみたいなとすら思っていたところだったから,真に経験できたのは僥倖でさえあった。確かにあれは意味不明に怖い。とはいえこの状況では登山に支障があり,進みが非常に悪かったので,勇気を出してある程度がむしゃらに進み,先行する何人かの集団に追いついた。この時の安心感と言ったらない。

そうして進んでいって午前4時半頃に八合七勺といったところか,集団が何十人,いや何百人という列になり,ヘッドライトの連なりで登山道がくっきり見える状況になり,「これ『ヤマノススメ』で見たやつだ」となり妙に嬉しくなった。この頃には雨が再び振り出して小雨,やがて激しくなって風も出てきて暴風雨の様相を呈していった。事前の天気予報では午前6時に近づくにつれて天候は回復するとなっていたが,正反対である。一応午前5時10分に日の出ということになっていたが,もはや御来光は望むべくもない。山の天気は読めないとはまさにこのことだ。さらに九合目からは道が再び狭くなって渋滞し,九合目を過ぎた時点で午前5時10分を過ぎてしまった。明けない夜は無いが,見えない日の出はあるのである。それだけにかえってこの集団に団結力が湧いていった。もはや御来光などはどうでもよい。暴風雨などに負けてたまるか。そこに頂上があるから登るのだ。そういうような気持ちを場の全員が共有していた。そうして午前6時頃,とうとう登頂に成功した。 標準タイムの2時間から遅れること30分の2時間半。しかし時間以上に渋滞と暴風雨に苦しんだだけに,喜びもひとしおであり,着いた瞬間誰しもが歓声を上げた。私も九合目からずっと一緒だった見知らぬ人と思わず歓喜の握手をかわし,互いのスマホで写真を撮り合って喜びを分かち合った。異様なまでの達成感であった。なお,この人たちに聞いたところ,何度も登っているがこれほどの荒天は初めてだそうで,「初の富士山がこれとは」と同情されてしまった。

さて,本来であればこの後にお鉢巡りであるが,諸所の事情により今回は断念した。理由はまず,あまりにも風が強かったこと。登頂した頃には雨は小雨に戻っていたが,風は強さを増していた。強くなったというよりは頂上では遮るものがなにもないために人体に直撃するからということだろう。とりあえず剣ヶ峰の方向に歩き出したものの,風速が軽く20mは超えていようかという風に真っ向吹かれて,全く一歩も進めなかった。気づくと自分以外に剣ヶ峰に向かって歩いている人がいなくなっており,最終的に自分も断念した。そしてこのことで気づいたのだが,やはり自分も相当に疲弊していた。服はさすがのゴアテックスで全く水没しておらず,その下にセーターを着込んでいたため気温0度の頂上であっても全く寒さは感じなかった。膝も特に痛みがなく体力的には快調そのもの,高山病の症状もなかった。が,登頂したことで一度気が緩んだか,睡眠不足によるだるさがぶり返してきていて,ちょっと無理が効きそうになかった。3つ目の事情として,山小屋に放置してきた頬付の様子がさすがに心配になり,早めに合流したほうが良さそうに思えたことである。

そうして午前6時半頃,下山を始めつつ頬付に連絡をとってみると,なんと実は5時頃には体調が回復していて,遅ればせながら登り始めていて,もうすでに九合目というではないか。そこで彼に「自分は下山を始めてしまった」と言うと,「じゃあ下山路で合流します」という返事が来たので,申し訳ない気持ちになりつつ,そのまま下り続けて吉田口下山路の八合目過ぎ(須走ルートとの分岐点過ぎ)で合流した。なお,下っていくと風は弱まっていったが雨はぶり返し,結局この日は終始雨か風かのどちらかには苦しめられた。スバルライン五合目には午前9時頃,標準タイムを30分縮めて到着。五合目で買う気もなくお土産を物色していたら,『ヤマノススメ』グッズは全く無かったが『ゆるキャン△』のグッズは売っていたのがちょっとおもしろかった。後はバスと電車を乗り継いで帰宅した。帰宅して寝て起きたら12時間経っていたので,やはり睡眠不足ではあったのだろうと思う。



下山してしばらく経って思うのは,反省点の多さである。まず,山小屋の混み方は想像を遥かに絶していた。耳栓はもちろんのこと,アイマスクも必須であるし,何なら睡眠薬も持っていったほうがよいだろう。そもそも根本的に有休をとって平日に登った方がよい。渋滞も避けられる。ただしその場合,少人数でのナイトハイクは本気で危ないという副作用が生じるので,3人以上のパーティーを組んだほうがよいだろうが,勤め先がバラバラな社会人が決め打ちして有休を取得できるかという壁はあるかもしれない。これに関連する話として,弾丸登山(=日帰り)は高山病リスクが高いとして近年強く戒められているが,正直あの睡眠環境なら弾丸登山の方がマシであると思う。

悪天候対策も甘かった。前述の通り,服装はゴアテックスで固めたので申し分無かったが,そもそも悪天候を避ける日程を組むという努力については足りていなかった。後から調べてわかったところ,8月下旬から9月頭になると頂上付近の天候は荒れやすくなり,9月になったらいつ雪が降ってもおかしくないそうだ。確かに今回も頂上の気温は0度であり,小雨も降っていたので,あれは雪でもおかしくなかったのだろう。7月も中旬までは梅雨の影響で荒れやすいそうなので,御来光を目指すなら7月下旬か8月上旬〜中旬がよいとのこと。今回は7月に雲取山に登る日程を組み込んで延期し,8月上旬はコミケとぶつかると言って延期し,中旬はお盆の混雑を避けるべく延期し,結局選択肢が8/25-26か9/1-2しか無くなってしまった。これが最大の敗因であったと思う。一方で体力と技術は問題が無かった。どちらも雲取山の方がきついと感じた。寒さは言われているほどのものとは感じず,装備が十分なら問題なかろう。睡眠不足と荒天が無ければかなり余裕な登山だったのではないかと思う。

結果的に私は登頂したが御来光を見逃してお鉢巡りをしておらず,頬付は九合目で撤退となった。来年は準備を万端にして絶対にもう一度登頂すると宣言して(だから記事名に2018と入れている),今回の記録を締めておくことにしよう。そういうわけで時期が近くなったら同行者を募集すると思うので,希望者は頭の片隅に置いておいてもらえるとありがたい。