2018年09月16日

東大食堂の壁画廃棄問題についての雑感

・宇佐美圭司壁画処分問題(Togetter)
・展示されていた宇佐美圭司の絵画は・・・ (東京大学消費生活協同組合:ひとことカード集)
→ 不祥事であり議論の大筋には同意するが,その上で言うと,残念ながら宇佐美圭司は「誰でも名前ぐらい聞いたことあるでしょレベル」では全くない。関心が無い人が見たら抽象画であるがゆえに「奇抜な壁の模様」にしか見えず(つまり壁画とすら認識されない),ましてや知名度のある画家の作品とは思われないと思われる。なにせ,多少なりとも美術に関心があり,かつ4桁のオーダーでここに通った私でも,このニュースを見て「そういえば抽象画の壁画あったな」とやっと思い出すレベルである。ましてや他の大多数の学生・教職員をや。おそらく学内で知名度アンケートをとっても1%に満たないであろう。
→ 「今の日本の大学の知的レベルがわかる話だ。」とか適当なことを言っている人が東浩紀含めて複数いるが,それはカスパー・ダーフィト・フリードリヒが(中国絵画なら┝平でも挙げておこうか)大学生の一般教養だと思っているくらいの大きな勘違いだと思う。さらに言えば本件の直接の関係者は大学生協で,少なくともこのTogetterがまとめられた時点では大学当局の関与の度合いがわからなかったところ(後にやはり関与が非常に薄かったと判明する),「大学の知的レベル」を論じるような問題ではない。総じて本件を大学の知的レベルの問題として語る人は問題の焦点を間違えている。実際にTogetter内でも「画家の知名度の問題ではない」と言っている人もおり,そちらのほうが冷静な反応である。また同様の理屈で大学のコストカット体質の強化という論点もお門違いだろう。
→ この認識の相違は実はこの問題の核心ではあり,現代美術の場合,世間的な知名度と美術史学上の重要性や財産として見た際の評価額の乖離が激しく,詳しくないとあっさり捨てられる可能性は常にあると考えた方がよい。逆に言うと,このニュースに衝撃と怒りを覚えている人たちも世間での知名度を読み誤っていて油断していたという側面も指摘できよう。
→ また,これは良いことかもしれないが,あの壁画はあまりにもあの食堂の壁面にマッチしていたので,かえって余計に展示されている壁画と意識されないというきらいはあっただろう。しかし,旧食堂にマッチしていたということは,現在の小奇麗な食堂にはそぐわないというわけで,意匠の観点から言って取り外し自体は正しい判断だったとも言える。

・東京大学中央食堂の絵画廃棄処分について (お知らせ | 東京大学)
・東大生協、画家の大作を廃棄「重大さに思い至らず反省」(朝日新聞)
→ 全容解明編。やはり当局には事情と価値を知っている人がいて,しかも諮問を受けて解答しているのにもかかわらず, 監修者の提言を無視した点で生協側の決定的な過失であるというのが,本件に対する私の最終的な論評になる。それにしても,全容解明できたことがすごい。これだけ綺麗に全容がわかった世間的大事件は近年そうないと思う。記録はとっておくに越したことはない,と昨今の政治的事件を横目にして。

この記事へのコメント
論旨に異論ないのですが、フリードリヒは大学生の一般教養だと思ってました! 知名度って難しいです……
Posted by 一読者 at 2018年09月17日 00:29
中高の学習課程で出てこない(あるいはピックアップされない),美術史の概説書なら載っていることが多いが,必ずしも載っているわけでもない,個人名を冠した展覧会があるわけでもないというレベルなので,知名度は低かろうと思います。
┝平の方がもっと低いでしょうけどもw
Posted by DG-Law at 2018年09月18日 02:01