2018年11月10日

義教のくじ引きと秀吉の花見と

醍醐寺「如意輪観音坐像」サントリー美術館の醍醐寺展に行ってきた。醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山として,空海の直系孫弟子にあたる聖宝が開いた。9世紀後半,貞観年間のことである。実は命名に醍醐天皇と関係ない(後に帰依は受けている)。本展は昨年に上海・西安を巡回してきたもので,この後には九州国立博物館に行く大規模な巡回展である。醍醐寺が空になるような所蔵物の全公開状態で中国では延べ80万人が来館する大好評だったそうだ。

密教系であるので所蔵されている仏具は修法や加持祈祷に用いたものが中心になる。制作年代は鎌倉・室町時代が多いが,たまに平安時代の,それも創建からそれほど経っていない時期のものがあり,保存状態も良くて驚く。応仁の乱で伽藍の大部分が焼け落ちたそうだが,よく残っているものだ。展示には多くの仏像も含まれ,全部で15体ほどあっただろうか,それぞれがそこそこ大きく,これで海外まで巡回したというのは神経を使ったことだろう。見どころはやはり綺麗にそろっている五大明王像と,10世紀の作例としては保存状態が非常によい巨大な薬師如来坐像,同じく10世紀の作例で,観心寺のものに引けを取らない出来の如意輪観音像だろう。特にこのなまめかしい如意輪観音像を見ると,いかにも密教美術であるなと思う。

しかし,こうした仏具や仏像はこうした大寺院の展覧会であればどこでもある程度見られるものであり,その意味で珍しさには欠ける。本展のおもしろみはやはり醍醐寺特有の所蔵物の展示であろう。醍醐寺は室町時代の初期に隆盛を極めたが,その立役者は当時の座主の満済であるそうだ。満済は当時の他の大寺院もそうであるように摂関家から輩出された人物で,足利義満の猶子となって室町幕府との縁を深め,その支援を受けて伽藍を復興,最終的には准三后にまで上り詰めた。醍醐寺座主の満済は,病死寸前の足利義持から相談を受けて「くじ引き案」を発案し,自らそのくじを作成した張本人で,日本の歴史上で重要な役割を果たしている。本展では満済御本人の日記が出展されていて,くじを発案した日のページが開かれているので,読めずとも是非ご覧になってほしい。なお,満済は将軍義満・義持・義教と三代からの信任が篤く,五山僧ではないが,密教僧として室町幕府の政策の諮問を受けていたそうだ。

その後,前述のように応仁の乱で大きな被害を受けたが,織豊政権の庇護下で復活する。展示替えで私は見られなかったが,信長直筆の書状(ちゃんと「天下布武」の印がある)も本展には出品されている。また,本展では秀吉が用いたとされる黄金の茶室ならぬ,黄金の茶器として「金天目」を見ることができる。そしてご存じの方も多いであろう,豊臣秀吉末期の花見,醍醐の花見はその名の通り,醍醐寺で開かれたものだ。開催にあたって秀吉は七百本の桜を醍醐寺に移植したのをはじめとして,多くの建造物を建てさせているが,直後に秀吉が亡くなってしまったため,名義上の寄進者が秀頼になっている建物がいくつかあって,これはこれで面白い。徳川の時代になると政治の中枢からは再び離れてしまうが,それもあってか,襖絵を描いた(見事な花鳥画である)画家が長谷川派に帰属する人物と推定されていたり,俵屋宗達であったりという名前が見られるのもまた面白い。俵屋宗達の作品は保存状態が悪く少々残念だったが,長谷川派の作品は大きな襖絵で見応えがあった。

東京での企画展は終わってしまうが,九博に行く気のある方にはお勧めしておく。