2019年03月16日

2019受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(慶應大の残り・早稲田大)

その1から。2019年の早慶上智でワーストの慶大法学部と,早稲田大。


5.慶應大 法学部
<種別>出題ミス

<問題>1 [設問4] Cの言葉は(編註:「王は君臨すれども統治せず」),ある国における王のあり方を示すものである。このような体制が確立していく過程において,その国に起こった出来事に関する記述として誤っているものを以下から選び,その番号を (07)(08) にマークしなさい。

[01] 内戦で勝利を収めた議会派は王を処刑し共和政を樹立したが,その後オランダとの間で戦争を始めた。
[02] 樹立した共和政で権力を掌握した人物が軍事的独裁体制をしいたため,国民の不滴が高まった。その人物の死後,[01]にある王の長男が亡命先のオランダから帰国し,王政復古を果たした。
[03] [02]で帰国したのちに王となった人物と議会は対立したが,この時期に王権に寛容なトーリ党と議会の権利を主張するホイッグ党の二つの党派が成立した。
[04] [02]で王となった人物の弟が次に王となった。その王は絶対王政とカトリックの復活をはかろうとしたため,それに反対する議会と対立し,亡命を余儀なくされた。その後,議会は権利の章典を制定して,立憲君主政が確立した。
[05] [04]で立憲君主政が確立したのち,新たに王となった人物は,あまり議会に出席しなかったことから,内閣が王に責任を負う責任内閣制が慣習となった。

<解答解説>
2019年早慶上智のワースト日程はこの慶應法学部であった。以下8問ほどこの日程からの問題が続く。[01]・[03]・[04]は問題なく正文。[05]は責任内閣制の説明が決定的に間違っているし,ここでいう「新たに王となった人物」はアン女王だが,一般に責任内閣制が慣習となったのはジョージ1世とされていることからも,[05]が疑いなく誤文であり,作題者の想定する正解もこちらと思われる。

しかし,[02]にある「[01]にある王の長男が亡命先のオランダから帰国し」も疑わしい。「[01]にある王の長男」はチャールズ2世のことだが,彼はフランスのブルボン家を主な庇護者としつつ,国際情勢に合わせて大陸を転々としていた。1660年時点ではスペイン領南ネーデルラントにいて,ここでイギリス議会から王政復古のお呼びがかかったが,当時イギリスとスペインは戦争状態であったため,交渉するにも帰国するにも都合が悪かった。そこで一旦オランダのブレダに移り,この地で王政復古の条件として議会派から提示された妥協案を飲むブレダ宣言を発した。しかる後に,オランダからイギリスに帰国したという流れである。よって,オランダを通過・経由はしているが,オランダが直前期の亡命先というのは苦しくないだろうか。

こういう状況であるので,高校世界史のレベルでは亡命先をかなり省略してしまうことも多い。用語集は「フランス・オランダ」,教科書類では山川の『詳説世界史』は亡命先の記載無し,山川『新世界史』と東京書籍と実教出版と帝国書院は「フランス」のみ。『詳説世界史研究』でさえ「ヨーロッパ大陸」とぼかしている。よって,大多数の高校世界史の教材の文面から判断すると[02]は紛れもなく誤文になる。要するにこれは,高校世界史が便宜的に煩雑な事実関係を省略した箇所をわざわざひもといてしまった上に,しかも厳密性に欠けるという事例になる。

これは大学側が認めないだろうと思っていたが,大学当局から謝罪と全員を正解にした旨の発表があった。発表がやや遅れたので,大学内でも議論になったか。なお,河合塾・駿台・増田塾は上述の理由以外にチャールズ2世は[02]では長男になっているが,実際には次男なのでその部分も誤りだろうと指摘していた。しかし,この長男は誕生日の即日に死んでおり,実質的な死産である。帝国書院の教科書は「長男」としており,他の教科書はそもそも長男か次男かを書いていないので,これを不備としてつつくのは瑣末すぎないか。慶應大は出題ミスと認めた理由を公開していないが,まず間違いなく亡命先が引っかかったもので,こちらは無関係と思われる。


6.慶應大 法学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>2 [設問4] 下線部(エ)に関連して,アメリカ合衆国で1920年代に生じた出来事として誤っているものを下から選び,その番号を (45)(46) にマークしなさい。

[01] ラジオの定時放送が始まった。
[02] ボクシングやベースボールなどのプロスポーツが始まった盛んになった。
[03] チャップリン監督の映画「モダンタイムス」が公開された。
[04] ハリウッドで制作されたアメリカ映画が,世界映画市場の90%を占めるに至った。

<解答解説>
[01]・[02]は早慶対策としてはよく見る。そこからの2択は無理だろう。[04]は正文で,1920年代のハリウッドの世界市場のシェアを問う問題が2011年の慶應大・商学部で出ている(拙著1巻のp.321,2011早慶8番)。その過去問を参照していれば消去法で正解の[03]にたどり着けるだろうが,学部も違うし,本問を見てこの過去の事例を想起できたら狂気の沙汰である。『絶対に解けない受験世界史』が受験の役に立って“しまった”悲劇的な事例その2。ただし,該当ページを見てもらえばわかるが,このときの正解が85%であるので,5%の差異を重視して[04]を誤文として間違えた受験生もいたかもしれない。ところで,このハリウッドの世界市場が85%という情報は旧課程の『新世界史』にあるもの(現行課程には記載なし)。また,これも旧課程の教科書になるが三省堂の教科書には90%とあるので,本問はこれを拾ったか。しかし,三省堂は現行課程になってから教科書を発行していないので,反則も反則だろう。

残った[03]が誤文=正解で,「モダンタイムス」の公開は1936年。現行の高校世界史ではチャップリンは用語集未収録で,『新世界史』と帝国書院の教科書にだけ本文の枠外で記載がある。


7.慶應大 法学部(3つめ)
<種別>難問または出題ミス

<問題>2 [設問5] 下線部(オ)に関連して,次に列挙する諸国のうち,女性参政権が認められた時期が早い国から年代順に並べた場合,4番目に位置する国はどこか。下から選び,その番号を (47)(48) にマークしなさい。

[01] 日本
[02] オランダ
[03] スイス
[04] トルコ
[05] オーストラリア
[06] ニュージーランド
[07] フィンランド

<解答解説>
2019年の大学入試の世界史は女性史からの出題が多かったが,その中からの難問であり,また出題ミスの側面もある。まず,素直に解くとして,難問という面から見ていこう。この中で明確に範囲内なのはトルコがムスタファ=ケマル政権で認められたことと(1934年),日本で認められたのは敗戦直後の1945年であることの2つだけである。あとは教科書や資料集の片隅に載っている&早慶対策で覚えることが多いという枠でニュージーランドとオーストラリアが世界に先駆けて認めている(1893年&1902年)ということくらいまでは知っている受験生も多いのではないか。しかし,残りは厳しい。女性普通選挙権の拡大年表を載せている教科書はいくつかあるが,この3つ全て記載がある教科書は帝国書院のみである。ゆえに帝国書院の教科書をもって範囲内と強弁できなくはないが……載せた帝国書院もそういう意図で載せたわけではないだろうに。

残りのうち早いのはフィンランドで,1906年に女性参政権が認められた。ロシア支配下ではあったが,自治領(フィンランド大公国)内で認められたという形である。オランダは実教出版・東京書籍が1917年,帝国書院が1919年としているが,これは帝国書院が正しい。1917年は被選挙権が認められた年で,選挙権もセットとなると1919年である。ただし,これはどちらでも正解が変わらない。イギリスやアメリカと同様に,第一次世界大戦末〜戦後の立て続けに認められた国の一つ。最後に残ったスイスは,1971年と飛び抜けて遅い。フランスとイタリアが1945年で意外と遅く日本と同年というのは比較的有名だが,スイスがそれよりさらに遅いというのは,なかなか驚きの事実ではないか。というわけでこれを並べ直すと,ニュージーランド(1896年)→オーストラリア(1902年)→フィンランド(1906年)→オランダ(1917年または1919年)→トルコ(1934年)→日本(1945年)→スイス(1971年)となって,4番目=正解はオランダである。

というのが難問としての面だが,本問はこれ以外に根本的な問題がある。「次に列挙する諸国」の“国”のレイヤーや「女性参政権」の基準がバラバラで,不統一である以上は比較不能という点である。帝国書院にも全く同じ年表が載っているではないか,という反論はありうるが,あちらは参考資料としての掲載である。前述のように「そういう意図で載せたわけではない」のだ。まず前者について。たとえば,フィンランド大公国は1906年に女性参政権を認めたといっても当時はロシア帝国の自治領に過ぎない,つまり主権国家ではない。同じことはオーストラリアとニュージーランドにも言える。オーストラリアは自治領に過ぎず,ニュージーランドに至っては自治領ですらない。両国の独立はウェストミンスター憲章の制定ととれば1931年,これを自治領側で受諾した年とするとオーストラリアは1942年,ニュージーランドは1947年になる。

これらを便宜的に無視したとして,後者はより重い。これもオーストラリアを例に出すとわかりやすい。オーストラリアの連邦議会で女性参政権が認められたのは1902年だが,地方議会の場合,選挙権は最後のヴィクトリア州で認められたのが1908年,被選挙権は同様にヴィクトリア州が最後で1923年になる(逆に南オーストラリア州では連邦成立以前の1895年から選挙権も被選挙権も認められていた)。問題文に「連邦制の国家の場合は連邦レベルでの参政権で判断せよ」という文言が無い以上は1923年という年号を採用することも可能である。一州でも女性が立候補できない州が残っていれば「女性参政権が認められた」とはいえない,と考えるのならば。そう,本問は受験生の政治的信条をはかることになってしまうという点で2014年早大法学部の問題と同様の悪質さがある(拙著1巻p.34,2014早慶12番)。1902年以外の年号は受験世界史範囲外だろうという反論については,慶應大がどの口でそれを言うの? という一言で封じられるだろう。また,「国政レベルで判断するのが当然では」という反論についても,その国ってどのレイヤーのこと? という前者の問題点に帰してしまい,全く解決にならない。そして,オーストラリアの女性参政権が認められた年を1923年とすれば順番がずれるので,4番目=正解はオーストラリアになる。

というわけで,本問は条件が緩すぎて各国の女性参政権が認められた年とする年号が複数想起しうるので,解答も複数,しかもかなり多岐にわたって出せてしまう。本問は歴史学の潮流を何も考えずに高校世界史・受験世界史に下ろそうとすると大惨事が起きるという良い一例になるだろう。女性史については,残念ながら高校世界史・受験世界史でどう扱うべきか,明確な基準がない途上の段階である。本問への反省が今後の入試問題に活かされればよいのだが。


8.慶應大 法学部(4つめ)
<種別>難問
<問題>3 アレクサンドル2世は,クリミア戦争後,「大改革」を実施し,その一環としてロシア各地に地方自治機関 (53)(54) を設置した。

32. ゼムストヴォ   33. ソヴィエト   38. ドゥーマ     
54. ミール      64. レーテ
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)

<解答解説>
山川の『新世界史』にだけ記載があるシリーズ。念のため説明すると,7冊ある検定教科書のうち,他が万単位の部数で発行されているところ,この『新世界史』だけは5千部しか出ていない。要するに採用している高校がほとんどなく,教員や塾・予備校講師しか持っておらず,そもそも入手困難ということである。にもかかわらず『新世界史』にしか収録が無い用語がかなりあり,しかも本来それを頻度,箸靴峠ΔΔ戮用語集が(おそらくわざと)拾っていないので,受験生にとっては事実上範囲外であるにもかかわらず,大学側は範囲内外のグレーゾーンとして出題できてしまう,悪魔のような存在が『新世界史』である。特に慶應大の法学部と文学部は近年『新世界史』にしか載っていないシリーズを多用してきており,もはや「慶大法学部・文学部対策として『新世界史』は買って読んでおいても損は無い」レベルになってしまった。非常に良くない現象であるので,本企画ではこのシリーズを基本的に収録対象としている。

前振りが長くなってしまったが,閑話休題。正解はゼムストヴォ。食糧管理や道路整備,郵便などの民生面での地方自治の達成が目指され,権限は弱かったものの,ロシアの地方自治の出発点としてロシア社会に与えた影響はそれなりに大きかったらしい。ドストエフスキーやトルストイの小説を読んでいるとそれなりの頻度で登場して上述のような注がついているので自然と覚えるが,そういう事情で覚えていた受験生がいたら文学青年として極めて有望株である。ほとんどの受験生はミールと間違えたと思われる。

ところで,本問で『新世界史』に依存しておいて,5番の問題では『新世界史』の情報を採用すると複数正解になるの,自己矛盾で死んじゃうやつでは。ひょっとして,だからあちらは出題ミスとする判断が早かったか。


9.慶應大 法学部(5つめ)
<種別>難問
<問題>3 2004年には,チェチェン人武装勢力がロシア連邦内の (55)(56) で学校を占拠し,児童を含む多くの犠牲者を出した。

02. イルクーツク   08. ウラジヴォストーク   17. 北オセチア
21. クリミア     26. サンクト=ペテルブルク 44. ハバロフスク
58. ヤクーツク
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)

<解答解説>
山川『新世界史』にだけ記載があるシリーズ(2つめ)。正解は北オセチア。選択肢に首都のモスクワが無いのは最後の良心だろうか。地理的に近い北オセチアと大都市のサンクトペテルブルクまでは絞れるかもしれないが,そもそもほとんどの受験生は北オセチアがカフカス地方ということがわからない(イルクーツクの地理も怪しい)ので,消去法で解答可能とは言いがたい。なお,本問の北オセチアは『新世界史』の本文ですらなく,脚注の記載である。ここからの出題はさすがに本当に非常識ではないか。


10.慶應大 法学部(6つめ)
<種別>難問
<問題>3 [設問2] 下線部(イ)の(編註:アレクサンドル2世による)「大改革」を導いた19世紀前半には,ロシア出自の改革主義的な知識人が活発な言論活動をした。『誰の罪』,『ロシアにおける革命思想の発達について』などを著した人物は, (59)(60) である。

22. ゲルツェン     34. ソルジェニーツィン   42. バクーニン
43. パステルナーク   48. プレハーノフ
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)

<解答解説>
山川『新世界史』にだけ記載があるシリーズ(3つめ)。正解はゲルツェン。消去法で何とかしたいところだが,パステルナークが範囲外であり,それを知っていたとしても慶應大名物「選択肢が67個ある」という状況なので苦しかろう。これもドストエフスキーやトルストイの小説を読んでいるとそれなりの頻度で「代表的西欧派知識人」として登場するので,有望な文学青年なら知っているかもしれない。


11.慶應大 法学部(7つめ)
<種別>難問
<問題>3 [設問9] 下線部(ケ)に関連して(編注:クリミア=タタール人),クリミア半島に居住していたクリミア=タタール人は,スターリン統治時代にクリミア半島から強制移住させられた。スターリン時代に民族ごとの強制移住を強いられた民族としては,そのほかに (75)(76) を挙げることができる。

03.イングーシ人   07.ウズベク人   12.カザフ人   51.ベラルーシ人
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)

<解答解説>
山川『新世界史』にだけ記載があるシリーズ(4つめ)……といいたいところだが,東京書籍の教科書にも載っているのを見つけた。いずれにせよ,高校世界史ではスターリンによる民族の強制移住にほぼ触れないので,多くの受験生は「そんなことあったんだ」という感想だっただろう。正解はイングーシ人。仮に高校の世界史や公民の先生の授業等でチェチェン紛争について少し触れていれば,ロシア連邦内の隣の国ということでイングーシ共和国の名前を見たことがあったかもしれないが,それでもチェチェン人と一緒に強制移住させられていたかどうかの判断まではつくまい。消去法で消せるかというと,ベラルーシ人は受験生の心情的に消せないのではないか。例によって選択肢が67個あるのも消去法を物理的・心理的に阻む。


12.慶應大 法学部(8つめ)
<種別>難問・悪問
<問題>4 同時期(編註:16世紀),ポルトガルは黒人奴隷貿易の拠点を黄金海岸の (87)(88) に設け,大西洋奴隷貿易を展開した。

07. ウガンダ   08. エルミナ       09. ガオ    
11. ガーナ    12. カーボ・ヴェルデ   23. シエラレオネ
37. ベニン    45. マリ
(編註:関係のある選択肢のみ抜粋)

<解答解説>
範囲外であり,ここまでの経緯からどこかの教科書に載っているのではないかと疑って探してみたが,見つからなかった。見つけた人はご一報いただきたい。正解はエルミナ。現ガーナ共和国の沿岸部にあった。実はガーナを入れても若干不自然ながら事実関係の正しい文として意味は通ってしまう。エルミナという地名が受験生に全く知られておらず,ガーナは現在のガーナ共和国,(場所が全く違うが)ガーナ王国と受験生に知りうる地名であるので,選択肢54個の消去法という高い壁を乗り越えて,エルミナとの二択でガーナを解答した受験生はそれなりにいそう。それで不正解というのも理不尽では。


2019年の慶應大・法学部は合計で8つの収録となった。これでもグレーゾーンの白い方としてセーフにしたものが同数程度あり,全50問中約15問程度が激烈な難問であった。純粋な難問が多く,悪問・奇問が少なかったのが唯一の救いか。この点で駿台は「難問ではあるがいわゆる悪問・奇問の類は多くない」と私と同じように評している一方で,「慶大・法を目指す受験生としては解答すべきものが多く,また早慶レベルの過去問では既出のものも散見される」として,駿台さんとしては全体の難易度は昨年比で易化だそうだ。ほんまか。本当にそうか。実は大問1が5番に収録した問題以外は易しく,大問4も12番に収録したものともう2問を除くと易しいので,難易度がサンドイッチされた形になっていて,解き終わった直後には「最初と終わりが良ければ全て良し」という印象になりがちな構造になっている。また,昨年も異様な難易度だったのは事実であり,正式収録4問+グレーゾーン10問程度だったので,激烈な難問の数はさして変わらない。総合的に見て昨年比で昨年並というのが妥当なところではないか。この難易度については予備校間でかなり意見が割れており,出そろってみると駿台・東進が易化,代ゼミ・増田塾が昨年並,河合塾がやや難化であった。

毎年書いていることではあるが,さすがにこれは範囲外からの出題が多すぎる。そして矜持を持ってあえて範囲外から出題しているのであれば,せめて5番のような出題ミスや8番のような自己矛盾は最低限回避すべきである。範囲外から出しておいて出題ミスになるのは恥という意識を持ってほしい。



13.早稲田大 文化構想学部
<種別>出題ミス(誤植)

<問題>1 設問4 下線部Dについて(編註:ゾロアスター教),ゾロアスター教の中国での呼称は何か。次のア〜エの中から一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア 祅教   イ 摩尼教   ウ 回教   エ 景教
(強調は編者)

<解答解説>
文字化けでわけがわからないことになっていたら申し訳ない。細かいことを考えずに解答を出すならアが正解になるが,ゾロアスター教の漢字表記は「祆教」が正しい。「祆」と「祅」は漢和辞典を引く限り意味が全く違う別の漢字で,「祅」は「妖」の異体字だそうである。「祆」と「祅」はどちらも環境依存漢字であるが,古いワープロだと比較的「祅」の方が表示してくれることの方が多かったので,大昔は仕方なく代用していたようである。その名残かもしれない。当然だが,最近のパソコンはほぼ確実に「祆」の方も出る。手元のスマホではどちらも出なかったが。早々に大学当局から謝罪と全員を正解とする旨の発表があり,ただの誤植だったことが判明した。


文化構想学部は,あとは範囲内ながら「ヘロドトスの出身地の現在の国名」(正解はトルコ共和国)と,シケイロスの壁画運動が展開された場所(正解はメキシコ)が難しかったか。


14.早稲田大 国際教養学部
<種別>難問
<問題>1 問2 公民権運動および公民権法に関する記述として誤りを含むものを一つ選びなさい。
ア 1963年8月の集会で,キング牧師は「私には夢がある」と公民権法制定を訴える演説を行った。
イ アメリカの公民権法は,投票・教育・公共施設利用上の人種差別を禁止した。
ウ アメリカの公民権運動に参加した女性たちは,独自に女性解放運動を始め,女性の権利意識の向上に大きな影響を与えた。
エ 1981年に国際連合総会で女性差別撤廃条約が採択され,人種・性的マイノリティに対する差別の撤廃が盛り込まれた。

<解答解説>
一見するとどこにも誤文が無いのだが,女性差別撤廃条約の採択は1979年(発効が1981年)なのでこれが誤文=正解。用語集に年号の記載はあるが,普通は覚えないところ。ただし,この条約は2018年の東大の第1問で出題され,受験業界でかなり話題になった。このような瑣末な形で出題されることは望まれていないにせよ,女性史の出題を増やす意図で東大があれを出題したとは思われるので,それに乗っかった形である。6番のところでも書いたように,2019年は女性史からの出題が本当に多かった。また,東大と早稲田大の国際教養学部なら客層もかなり重複していようと思われ,条約名自体は記憶に残っていた人や,予備校で教えられた人も多かったのではないか。年号を変えてくるというのはまさかの展開であったが。

国際教養学部の収録はこの1問だけ。昨年があまりにもひどかったので,今年は慎重に作ったか。問題の出題形式自体がかなりシンプルになっていた。


法学部は収録無し。どうもここは難易度が安定しない。今年の難易度だと,易しすぎて差がつかないのでは。なお,300字論述が例年の近現代に反して中世ヨーロッパ史であったのが唯一のトピックらしいトピック。


15.早稲田大 文学部
<種別>難問
<問題>1 トトメス3世は,シリア・パレスチナ地方に17回もの軍事遠征を実施し,支配権を確立したが,トトメス3世の死後,北シリアは再び〔 B 〕王国の勢力下に入った。その後も200年ほどこの地域は,エジプトをはじめ周辺の大国の干渉を受け続けていたが,前1200年頃に「海の民」と呼ばれる人々が,ギリシア・ エーゲ海地方から進出すると,この地から大国の勢力が後退したことで(後略)

設問2 空欄〔 B 〕にあてはまる王国は何か。次のア〜エのなかから該当するものを一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア アッカド   イ ヒッタイト   ウ アッシリア   エ ミタンニ

<解答解説>
トトメス3世は範囲外のファラオになるが,前1200年頃の200年前ということから,前1400年頃に北シリアをエジプトから奪った国が問われているとわかる。とするとアッカドは時代が異なり,この時期のアッシリアはミタンニの服属下であるからこれらは外せる。残ったヒッタイトとミタンニからが難問。多くの教科書は,前15〜13世紀にかけてのシリアはヒッタイトとエジプトとミタンニの係争地,としか書いていないから,判別しようがない。

正解はミタンニ。実はヒッタイトの繁栄時期はバビロン第1王朝を滅ぼした前16世紀前半と,エジプト新王国と激しく争っていた前14世紀中頃〜前13世紀前半にあたり,特に後者が全盛期とされている。この間の前16世紀後半〜前14世紀初頭は弱体化していて,シリアやメソポタミアからは後退していた。とすると本問の焦点である前1400年頃には登場しえない。逆にミタンニは前15世紀が全盛期でエジプトと争ったが,前14世紀に入るとエジプトに和親策をとるようになり,やがてヒッタイトの攻撃で崩壊する。予備校の解答速報もほぼエになっているが,東進のみイとしていた。

文学部は昨年・一昨年とやや難しかったが,2019年は易しくなり,早稲田大の中では易しい部類という文学部らしい問題に戻った。本問以外では,第2次モロッコ事件が起きたのはタンジールかアガディールかを問う問題が多少瑣末だったか。


16.早稲田大 人間科学部
<種別>出題ミス

<問題>2 設問Y ぁ仝涕媾熟珊饂代の文化・宗教に関する説明として正しいものはどれか。

(ア)川の流れに沿って地形や都市を説明する地理書の『水経注』が著された。
(イ)亀茲出身の仏図澄や鳩摩羅什は,仏典の漢訳につとめて仏教をひろめた。
(ウ)華北における農業を体系的に叙述した農書の『斉民要術』が著された。
(エ)田園に住み,その日常を詩文にした陶淵明は「帰去来の辞」を残した。
(オ)仏教の隆盛に対抗して,孔穎達が儒教経典を注釈する『五経正義』を著した。

<解答解説>
(ア)と(ウ)は北魏,(オ)は唐代のことなので誤文である。審議の対象は(イ)と(エ)。(イ)は仏図澄が仏典の漢訳をしていないので,事実関係として誤文である。やや細かい事実であるが,用語集にはっきりと記載があり,早慶上智対策としてはかなり知られる情報でもある。一方で(エ)は,陶淵明は東晋の人物であるので,時期から言えば五胡十六国時代と同時期に活躍しているが,五胡十六国時代は華北の時代区分であるので,地域が異なる。この点,仏図澄も鳩摩羅什も華北で活躍した五胡十六国時代の人間であるので,時代区分や地域から言えば(イ)は曇りが無い。つまり,地域が異なるのを優先するか,やや細かい事実の正誤を優先するかで正解が変わってしまう。大学当局から謝罪と全員を正解とする旨の発表があった。


17.早稲田大 人間科学部(2つめ)
<種別>悪問
<問題>3 ぁ.團紂璽螢織鶻很燭亡慙△靴峠劼戮深,諒犬涼罎如じ蹐辰討い襪發里呂匹譴。

a 1628年に議会では議会の請願が提出されたが,翌年チャールズ1世はこの議会を解散した。
b 1640年に短期議会,長期議会があいついで召集され,王党派と議会派のあいだに内戦がおこったが,ピューリタンを中心とした議会派が勝利した。
c クロムウェルは,水平派や長老派を擁護しながら,王党派の拠点であるアイルランドやスコットランドを征服した。
d クロムウェルは,1653年に終身の護国卿となり,軍事的な独裁体制をしいた。

<解答解説>
aとdは正文。cは,クロムウェルが水平派や長老派を弾圧しているので明白な誤文。これが大学の想定する正解だろう。まずいのはbで,素直に読めばbの文の出来事が起きたのは全て1640年ということになってしまうが,内戦が本格化したのは1642年,議会派の勝利は1649年のことである。作題者としては,1640年の議会召集だけが正誤判定のポイントで,後ろの方は雑に読んでほしいということだと思われる。これは他の選択肢も同様の水準で雑なら,百歩譲ってそういう読み方もできるかと思うが,aの選択肢は「翌年」と入っているから,そうもいかない。正誤判定の水準が選択肢ごとにずれているのは問題の作りとして致命的では。変な話であるがaに「翌年」がない方がまだマシと言える。

とはいえ,解釈次第では正文になる文よりも完全な事実の誤りの方が重いので,出題ミスとまでは言えず悪問止まりとした。実際に,この点を指摘している予備校は無い。日本語がまずい問題は近年かなり減っていて絶滅まで持って行けそうであるが,2019年はまだわずかな残滓を見ることになってしまった。


18.早稲田大 教育学部
<種別>一応の指摘
<問題>2 (3) ポーランドの歴史について,正しい説明はどれか。

a 18世紀に,カジミェシュ大王の下で,国力を高めた。
b 第二次世界大戦後,ピウスツキが軍事クーデタを起こした。
c ポズナニ暴動にソ連が軍事介入した。
d ワールシュタット(リーグニッツ,レグニツァ)の戦いで,バトゥに敗北した。

<解答解説>
本問に対する指摘は瑣末なものなので書くかどうか悩んだが,駿台が指摘していたので乗っかることにした。a・b・cは明らかに誤文であるのでdが正文=正解と想定されていると思うが,ワールシュタットの戦いにいたのはモンゴル軍の支隊である。バトゥが直接率いる本隊はこの時ハンガリーを侵攻中であった。したがって,「バトゥに敗れた」というとやや語弊がある。ただし,用語集が「バトゥ率いるモンゴル軍がドイツ・ポーランド連合軍を破った戦い」とあって同じ過ちをおかしているので,これが出典であると言われると,高校世界史としてはセーフという判定になろうか。説明が煩雑になるので高校世界史としては本隊と支隊の区別を省いた箇所なのかもしれず,とするとあまりつつきたくない。この「バトゥがワールシュタットの戦いの戦場にいなかった」ネタは作問上の危険なポイントとしてマッツィーニのローマ共和国ネタくらいには知名度があると思っていたのだが,拙著の1巻・2巻と検索してみても収録がなく,今回初出で非常に驚いている。一応,dを誤文と見なすと正解が消滅して出題ミスになる。


19.早稲田大 教育学部(2つめ)
<種別>出題ミス

<問題>3 (9) ロシア革命の出来事として,次の 銑い,年代の古いものから順に正しく配列されているものはどれか。

 ー匆駝閏臈泙離吋譽鵐好ーが首相に就任した。
◆ 嵎刃造亡悗垢詆杞陝廚鮑梁鬚靴拭
 血の日曜日事件が勃発した。
ぁ.譟璽縫鵑亡命先のスイスより帰国した。

a あ→□   b →あ、
c あ→、◆  d →あ□

<解答解説>
素直に解答を出すなら(1905年)→ぁ1917年4月)→ 1917年8月)→◆1917年11月)で至極あっさりとbが正解となるのだが,,亮匆駝閏臈泙社会革命党の誤植であり,,呂修Δ靴浸実自体が存在しないことになる。よって問いが成り立たず,出題ミスになる。代ゼミ・駿台・早稲田予備校から同様の指摘があり,大学当局から謝罪と全員に得点を与える旨の発表があった。


20.早稲田大 教育学部(3つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)

<問題>4 (9) この運動(編註:タバコ=ボイコット運動)を契機にイランではナショナリズムが高まり立憲革命に結び付いた。19世紀末から20世紀初頭において,立憲制を実現した時期が最も早かったのはどの国か。

a イラン   b オスマン帝国   c 日本   d ロシア

<解答解説>
予備校間の解答が割れているシリーズ。アジア初の近代憲法というとオスマン帝国が正解になるのだが,これには2つの疑義が挟まる。まず,ミドハト憲法の成立は1876年であるので,一般的な19世紀末の範囲である1880年代以降から外れてしまう。次に,ミドハト憲法がアジア初の近代憲法であることは疑いえないが,ミドハト憲法は1878年には停止されており,オスマン帝国の第一次立憲制は2年に満たない。問いが「憲法を制定した時期」ではなく「立憲制を実現した時期」であることを踏まえると,第一次立憲制が作題者に立憲制と見なされていない可能性がある。以上の2点の理由からオスマン帝国を外すと,次に憲法を制定したのは本邦であるから,これが答えになる。大学当局から謝罪と複数正解を認め,bとcのいずれでも正解とした旨の発表があった。


〔番外編2〕早稲田大 教育学部
<問題>3 設問B ヨーロッパ勢力後退のすきをついて1915年,日本は中国の袁世凱政権に二十一カ条要求を行った。この時の日本の内閣総理大臣の名を答えよ。

<解答解説>
正解は大隈重信。二十一ヵ条要求のからみで大隈重信を問うとは,自己批判かな? まあ,ほとんど気にしないで出題したのだと思う。なお,早稲田大で大隈重信が問われるのは,上智大のキリスト教ネタ,慶應大の福沢諭吉ネタに比べるとかなり珍しい。


21.早稲田大 政経学部
<種別>難問
<問題>2 B 4 下線部i(編註:国家は,革命前よりもいっそう強力な行政機構を備えることになった)に力を注いだナポレオンが,1801年7月に宗教協約を結んだ時の教皇は誰か。

<解答解説>
早慶名物,マイナーなローマ教皇。正解はピウス7世。この出来事よりも,《ナポレオンの戴冠式》で所在なさげに座っている人としての方が有名と思われる。


22.早稲田大 政経学部(2つめ)
<種別>悪問
<問題>3 本国政府は同港封鎖(編註:ボストン港のこと)などの抑圧的方策を講じるが,12の植民地代表は〔 f 〕に集まり第1回大陸会議を開催する。

2 空欄fに入る場所として正しいものはどれか。

イ ジョージア      ロ フィラデルフィア
ハ ペンシルヴェニア   ニ ヴァージニア

<解答解説>
素直に解答を出すならロのフィラデルフィアが正解になるが,フィラデルフィアはペンシルヴェニア州にあるので,ペンシルヴェニアを入れても文意は通ってしまう。というよりもイ・ハ・ニが全て州名(植民地名)であるのにロのフィラデルフィアだけ都市名なので浮いており,非常に違和感がある。これが例えばニューヨークが入っていたならどちらとも取れるところだが,この3つではそれもない。仮に選択肢ロも州名であったならば,正解は紛れもなくハになっていただろう。しかも,この後に別の問題でオーストリア帝位継承者夫妻が訪れた場所としてサライェヴォではなくボスニア・ヘルツェゴヴィナを答えさせる問題が出てくるので,首尾一貫していない。本問は悪問と踏み込むまでもないかと思っていたが,後者の問題との矛盾を考慮して収録対象とした。選択肢の作りがもうちょっと何とかならなかったのかなと。


23.早稲田大 政経学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>3 A 7 下線部m(編注:アメリカ合衆国の南部と北部は経済的構造や奴隷制に対する立場の相違などから対立していた)に関する記述として正しいものはどれか。

イ 北部は,イギリス本国との間で原料の供給,工業製品の購入という相互依存関係が成立していたので,外国製品に関税をかけない自由貿易制度を主張して,連邦政府の権限を縮小する方向を目指した。
ロ 南部は,産業革命が1840年代以降本格的に進行することになって,技術・生産の面で進んでいたイギリス本国の工業とは競合する関係にあったので,保護貿易を主張した。
ハ 南部から北部へと黒人奴隷が逃亡するのを助ける地下組織の活動に業を煮やした南部側が裁判所の判断を求めたが,自由州に逃げた奴隷は解放されるとする最高裁判決(ドレッド=スコット判決)が出て北部側が勝利した。
ニ アメリカ=メキシコ戦争の結果,アメリカ合衆国に編入されたカリフォルニアとニューメキシコの扱いに関して,前者は自由州とするが後者については住民の決定を待ち,さらに奴隷逃亡取締法を実施することで南部と北部の間に妥協が成立した。

<解答解説>
イとロがセンターレベルで誤文とわかるなめた難易度。一方でハとニは高校世界史範囲外というギャップが激しい問題。ドレッド=スコット判決は稀に早慶で出るが(たとえば2009年の早大社学,拙著1巻の2009早慶24番を参照),普通の早慶対策では触れないところだろう。ドレッド=スコット判決では,「ドレッド=スコットは市民ではないから,そもそも裁判を起こす権利がない」「黒人奴隷は国民ではなく財産である」と判断されて,最高裁判決が奴隷制を擁護することになったので,ハは誤文。残ったニが正文=正解である。

ところで,このハとニはほぼ全く同じ文章が旧課程の『詳説世界史研究』にあり,本問は明らかにこれを参考にしている。前から何度も言っているが,旧課程の教材(それも教科書ですらないもの)から入試問題を作るのは受験勉強に悪影響を及ぼすので絶対にやめてほしい。課程の切り替わりのタイミングでは,学説の更新も行われる。アメリカ南北戦争の部分ではそういうものがほとんど無いが,他の時代・地域ではある。旧課程の教材を参考にした学習はすでに否定された学説の学習を推奨することになりかねない。あなた方が必死に研究して刷新したものを覆す作業になるが,それでよいか。また,受験生には新旧両課程の教材をそろえさせることになり,金銭的負担も新たに生じるし,当然他教科への圧迫にもなる。そこまでデメリットがあってもなお,まだ旧課程から出題すべきなのかどうか,熟考してほしい。


24.早稲田大 政経学部(4つめ)
<種別>難問
<問題>3 1789年に初代大統領となったジョージ=ワシントンが所属していたフェデラリスト党は,1800年の大統領選挙で〔 k 〕党に政権を奪取され,第3代大統領にジェファソンが就任する。第6代大統領まで〔 k 〕党政権は続き,フェデラリスト党が衰退する。ただし,いずれの政党に所属する大統領も名望家といわれる社会的有力者で,連邦政府で働く官吏も名望家が多かった。しかし,1820年代には,第6代大統領を支持する勢力に対して,貧しい移民の子供として生まれ独立戦争にも参加していたアンドリュー=ジャクソンを支持する小農民や大農園主たちが民主党を結成して,〔 k 〕党は分裂した。民主党に対抗する集団は〔 l 〕党を名乗って,1828年の大統領選を競い合うが,結果として,ジャクソンが第7代大統領に就任した。(中略)
奴隷制度の拡大を恐れた人々は,〔 l 〕党を発展的に解消して新党を組織した。1860年大統領選挙ではこの新党のエイブラハム=リンカーンが民主党候補などに対して勝利を収めて,第16代大統領に就任した。

A 6 空欄lに入る用語として正しいものはどれか。

イ 社会   ロ リバタリアン   ハ 人民   ニ ホイッグ

B 空欄kに入る政党名を記せ。

<解答解説>
いずれもアメリカの現在の二大政党以外を聞く難問。民主党と共和党以外だとフェデラリストを聞くのが限界で,残りは現実的ではない。空欄lの方はまだマシで,社会党は1800〜20年代の話題であるからいかにも不自然なので違う,人民党も同様に不自然で,また人民党は用語集頻度,嚢猝椶あるから知っていれば外せる。とすると残ったリバタリアンかホイッグの二択になるが,リバタリアンは聞いたことがない言葉であろうし,ホイッグはイギリスの政党しか知らないであろうから,選びようがない。一応,用語集の共和党の項目の説明文の中に「連邦派と旧ホイッグ党メンバー」が合流してできた旨の説明があるので,空欄lのうち最後のものと照合すればホイッグ党が正解とわかるが,これを範囲内とは認定したくない。

空欄kはノーヒントなのでもっとヤバイ。ホイッグ党を選択肢にしておいてこちらを記述にした意味が全くわからない。正解はリパブリカン党(民主共和党)。こちらも一応,用語集の反連邦派の項目の説明文に「のちリパブリカン党(民主共和党)となった。中心の一人がジェファソン」とあるので無理やり範囲内と主張できなくもないが,ホイッグ党以上の無理筋に感じる。

早稲田大の政経学部は4つ収録でうち3つが難問,この他に用語集頻度,離ザン=ハン国,そのカザン=ハン国を流れる川としてのヴォルガ川,サーマーン朝の首都(正解はブハラ),ヤクブ=ベク政権を崩壊させたのは清かロシアかという正誤判定(清が正しい)等,中央アジア・シベリア関連のグレーゾーンの問題が多く,全体的に難しかった。早慶上智というくくりでは慶應大・法学部に譲るが,早稲田大というくくりでは2019年の最難関だったと言える。


25.早稲田大 商学部
<種別>悪問
<問題>4 オーストリア大公としてヨーゼフ2世とともに第一回ポーランド分割にもかかわった皇帝〔 6 〕の像を刻んだ銀貨は,ムッソリーニ政権が併合した東アフリカの〔 7 〕などで20世紀にいたるまで交易ネットワークに沿って流通していたことが知られる。

<解答解説>
素直に解答するなら空欄6はマリア=テレジア,空欄7はエチオピアになるが,マリア=テレジアは皇帝に即位していない。ハプスブルク家の家長,ハプスブルク君主国の君主であったから便宜的に彼女を「女帝」と言い表すことはあるし,当時の彼女自身も自らが女帝であるという意識があったのは確かであるので,史実として誤りとまでは言わない。しかし,他の要素からはマリア=テレジア以外の正解があり得ないにもかかわらず,皇帝の文言が気になって躊躇した受験生は少なからずいたと思われる。受験生への配慮を考えると,この「皇帝」の文言は余分。代ゼミと駿台から同様の指摘有。

なお,この1780年鋳造のマリア=テレジア銀貨は,貨幣史上はかなり有名。以下のサイトが参考になる。
・1780年銘のマリア・テレジア銀貨(コインの散歩道)
銘文を見るとR・IMPとあり, Romanorum Imperatrixつまりローマの女帝という意味である。彼女自身の自意識や当時の人々の感覚はここからも読み取れる。あまりにも大量に発行されたため,状態にもよるが,永楽通宝と同様に実にあっさり買える。私は持ってないが。

この他,2019年の商学部はひねり方が絶妙で,悩んだ末に範囲内と見なして収録しなかった問題が3つあり,「あれらは収録対象ではないのか」と気になっている人もいると思うので,ここで紹介しておこう。範囲外のものを問題の作りで悩ましいラインにまで押し込めているのであるから,ある意味での良問である。まず,現在のイギリス在住の外国籍の中で最多人数の国。これは2018年の慶應大・法学部でも出題されていて(2018早慶5番),あちらはほぼノーヒントの難問であったが,こちらは「アメリカの19世紀後半の新移民でもメジャー」というヒント付で,残りの選択肢がアイルランドとインドとルーマニアであったから,ヒントと選択肢からポーランドに絞り込むのは何とか可能な範囲であろう。また,去年の慶應・法を解いていた受験生も多かったのでは。次に,自動車産業が発達していたアメリカの都市。答えは当然デトロイトであり,地理の問題であって世界史ではないと思うものの,中学の社会科範囲であるので批判は避けることにした。最後に,アジア通貨危機でIMFの緊急支援を受けなかった国。選択肢が韓国・インドネシア・タイ・マレーシアであるので,発端の国と政権交代した国,教科書に載っている国を除けば正解のマレーシアにたどり着く。難問ではあるが,範囲外とまでは言えないと判断した。


26.早稲田大 社会科学部
<種別>悪問(出題ミスに近い)

<問題>2 問6 下線部(F)について(編註:独自の統治制度),オスマン帝国の統治制度に関連する記述のうち,最も適切なものを1つ選べ。

a オスマン帝国では,トルコ系騎士に征服地の徴税権を認める,イクター制と呼ばれる軍事封建制度がみられた。
b オスマン帝国は,イスラーム教の少年に訓練を施し,イェニチェリと呼ばれる歩兵常備軍を組織した。
c イスラーム教の両聖都であるメッカとメディナを獲得したセリム1世は,スルタン=カリフ制をとり,スルタンを世俗と宗教の両権威を束ねる者と位置づけた。
d 18世紀以降のオスマン帝国では,徴税請負権や独自の軍隊を持つアーヤーンと呼ばれる地方名士の台頭が見られた。

<解答解説>
aはイクター制がティマール制の誤り。cは,スルタン=カリフ制の成立は18世紀後半とするのが通説であるので誤り。公的な文書でそう明言されたのがキュチュク=カイナルジャ条約が初であり,この時に「エジプトを征服したセリム1世にアッバース朝のカリフからの禅譲があった」という逸話が創作されたので,一般にスルタン=カリフ制の成立は18世紀後半とされる。ただし,禅譲の逸話は捏造であるにしても,スレイマン1世以後オスマン帝国の君主はスルタンとカリフを兼任しているという自己認識があり,ウラマー出身の高級官僚たちがその正当化を試みてきたという歴史があるので,スルタン=カリフ制が18世紀前半以前には全く存在しなかったというのもまた誤りではないかという揺り戻しの動きもある。とはいえ,この議論は高校世界史まで降りてきていないので,ここでは問題にしない。dはやや細かい内容だが正文で,これが大学の想定する正解であろう。

bの文に対するツッコミは,少しオスマン帝国に詳しい人ならすぐに気づいたはず。デヴシルメという制度は,キリスト教徒の少年を徴用してイスラーム教に改宗させてから訓練を施すものであり,成長後に選別して官僚やイェニチェリに配属した。つまり,訓練を施している段階では概ねムスリムである。したがって厳密に考えればbは正文=正解になってしまう。bはキリスト教とイスラーム教を入れ替えて作った誤文と思われるが,誤文の作り方としては安直すぎた。改宗が先か訓練が先かというのは範囲内ではあれやや細かい部分であるから,気を使ってほしかったところ。河合塾・増田塾は複数正解とみなし,河合塾は前述のスルタン=カリフ制も指摘していた。駿台はdを正解としつつ,bは「選択肢のつくりがあいまい」とコメント。代ゼミ・東進・早稲田予備校はスルー。大学からの公式発表は無し。


27.早稲田大 社会科学部(2つめ)
<種別>難問・悪問
<問題>2 問10 下線部(J)について(編註:ムガル帝国の衰退),ムガル帝国の衰退に関連する記述のうち,最も適切なものを1つ選べ。

a 皇帝アウラングゼーブの治世では,シヴァージーがシク王国を建て,ムガル帝国と対立した。
b 皇帝アウラングゼーブの死後,デカン高原にニザーム王国が成立するなど,ムガル帝国の分裂が進んだ。
c ムガル帝国のベンガル太守は,プラッシーの戦いで敗北したことにより,徴税権(ディーワーニー)をイギリス東インド会社に奪われた。
d インド人傭兵シパーヒーがムガル皇帝に対して起こした反乱は,イギリス軍の介入を招き,ムガル帝国の衰退につながった。

<解答解説>
aはシヴァージーとシク王国の組み合わせが誤り。dはデタラメなので誤文として,残った二つが難題である。bは表面上正文に見えるが,ムガル帝国の分裂はアウラングゼーブ治世の末期から進んでいるため,それをとれば誤文とも言いうる。一方,cも高校世界史の教科書的な知識で言えば正文であり,たとえば用語集のベンガル太守の項目には「プラッシーの戦いでイギリスに破れ(原文ママ),徴税権を奪われ,イギリスの傀儡とされた」とあり,誤文とみなす理由がない。しかし,これは流れの説明が煩雑になるので高校世界史が省略した部分であり,実際にはプラッシーの戦いの後,ブクサールの戦いを挟んで,イギリス東インド会社への徴税権の譲渡となる。ブクサールの戦いは2017年の慶應大・法学部で出題があり(拙著2巻のp.30,2017早慶8番を参照),早慶上智対策の定番の一つである。よって,上述の通り省略されていると見なすことができるが,「プラッシーの戦いがブクサールの戦いの誤り」だから誤文と主張することも可能であり,この主張をとればむしろcは誤文となる。

周辺情報として。まず,2019年の社学は全体的に簡単で,ソースが範囲内にとどまっているものがほとんどであった。ゆえに,本問だけわざわざブクサールの戦いというほぼ範囲外の用語を持ってきて誤文を作っているとは考えにくい。これはcが正文=正解になる補強材料になる。しかし,ブクサールの戦いがほぼ範囲外の用語という話を持ち出すと,bにあるニザーム王国は用語集頻度,如い靴もアウラングゼーブの死後の建国という情報はほぼ範囲外のものであるから,bも昔の社学のような難問選択肢ではないかと反論されうる。また,bは固有名詞が誤りではないという点で決定的に弱く,誤りと見なす決定打が無い。反対にcは前述の主張をとれば固有名詞が誤っているのだから,明確に誤っていると言えることになる。

駿台・早稲田予備校はブクサールの戦いを拾ってcを誤文,bを正文=正解としていた。河合塾も駿台とほぼ同じ解答・説明だが,ニザーム王国にも触れつつ「判断に迷う」と苦言。増田塾もbを正文=正解として,実教出版の方の『用語集』を典拠としていたが,あの用語集は山川のものに比べると学説が古かったり(なにせいまだにモンゴル人第一主義やボナパルティズムが古い定義で載っている),異様に細かい用語まで載せていたりするのでやや信頼性が下がり,あまり持ち出したくない出典。増田塾の人もわかっていて,これしか典拠が無かったのだろうと思う。東進は正解をbとしつつコメントなし。これはちょっと無責任だろう。代ゼミはcを一応の正解としつつ,ブクサールの戦いを挙げてbが正解の可能性にも言及し,唯一複数正解の出題ミスと指摘していた。多数決で言えばほぼ満場一致でbが正解になるか。


28.早稲田大 社会科学部(3つめ)
<種別>出題ミス

<問題>3 問10 下線部(J)について(編註:アフリカ大陸のほとんどが植民地支配のもとにおかれた),植民地支配されなかったアフリカの国を1つ選べ。

a エチオピア
b エリトリア
c モロッコ
d モザンビーク

<解答解説>
正解はaのエチオピアという易しい問題なのだが,とんでもない落とし穴がある。時代設定をしていないせいでムッソリーニの侵略を考慮してもよいことになり,これを考慮すれば当然エチオピアもわずか約5年ながら植民地支配を受けている。よって正解のない出題ミスと見なすこともできる。ただし,これも意地悪な指摘ではある。本問はセンター試験や国公立二次を含めた全受験世界史で定番中の定番の問題であり,書かれていなくても20世紀初頭という時代設定で考えるのが通例になっている。

一方で,アフリカの植民地状況は早慶上智だと意地悪な年代で区切って,たとえば1930年頃に設定してエジプトが独立していることで引っ掛けたりというものは見るので,今回の時代設定の付け忘れによる出題ミスの疑いは身から出た錆として当然である。また悪いことに,下線部Jに続く文が「アフリカ諸国が植民地支配から独立するのは,1960年代まで待たなければならなかった。」であり,これを踏まえると「1960年代まで一度も植民地化を受けなかった国が正解」というのが自然な解釈となるので,その上で問題に戻るとやはりムッソリーニの侵略が抵触するのではないかということに。なぜこんな悩ましいところに下線を引いてしまったのか。

やや時間が空いたが,最終的に大学当局から謝罪と出題ミスを認めて全員に得点を与えた旨の発表があった。


三日目は国公立とおまけ。

この記事へのコメント
慶應法の5つ目の問題は南オセチア紛争の南オセチア(ジョージア)がチェチェンに近いことから推測して北オセチアに絞ることができたので、慶應受ける受験生にとっては比較的解きやすい問題だったように思います
Posted by ぱっとん at 2019年03月16日 19:43
チャップリンって用語集にないのか
赤狩りの凄まじさを知る良い例だと思うけど
Posted by サクセスブロッケン at 2019年03月16日 19:51
>ぱっとんさん
南オセチアを知っていたら推測が効きますね。知っていたなら早慶上智対策がよくできていると思います。
もっとも,南オセチアが出てても難問で収録対象だったと思いますが。

>サクセスブロッケンさん
マッカーシズム自体は当然用語集にあるんですが(頻度ぁ法ぅ船礇奪廛螢鵑いないと個人名が出てこないので出題しづらくなったのは確かですね。
Posted by DG-Law at 2019年03月16日 23:27
4ページ目
早稲田大の政経学部は4つ収録でうち3つが難問,この他に用語集頻度,離ザン=ハン国,そのカザン=ハン国を流れる川としてのヴォルガ川,サーマーン朝の首都(正解はブハラ),ヤクブ=ベク政権を崩壊させたのは清かロシアかという正誤判定(清が正しい)等,中央アジア・シベリア関連のグレーゾーンの問題が多く,全体的に難しかった。早慶上智というくくりでは慶應大・法学部に譲るが,早稲田大というくくりでは2019年の最難関だったと言える。

カザン=ハン国というのはガザン=ハンとは別のですか?それともただの打ち間違いですか?
Posted by 匿名 at 2019年03月17日 00:26
別物です。
ガザン=ハンはご存じイル=ハン国の君主。
カザン=ハン国はトルコ系の遊牧国家です。山川の用語集ならp.168を参照のこと。
覚え間違いやすいポイントであり,カザン=ハン国自体がマイナーなので(なんせ用語集頻度,任垢憩試でもあまり出ません),難関私大受験生以外には混同を避けるべくそもそも教えないって先生も多かろうと思います。
Posted by DG-Law at 2019年03月17日 00:44
 南オセチアについては、近年の動きにも関心をもてというメッセージかもしれませんね。政治経済としても難問でしょうけども…
 旧課程やマイナーな教科書については、作題者ご本人の中で、学説の変更がされてない可能性もありますね。マイナーな教科書も使うことで、グレーゾーンを生かしながら難易度も担保する意図を感じますね。
 女性史の扱いは今後ますます増えると予想して、扱いの変化に注視したいです。
Posted by かっつん at 2019年03月17日 10:50
おっしゃる通り,女性史は注視した方がよいと思います。

現代史についても女性史についても,やりたいことはわかるんですが,そのノリで戦線を拡大させると無制限に覚えるべき事項が増えていくので,秩序を求めたいんですよね。
今回の女性参政権の問題では特に,記事中にも書いていますが,新しいタイプの問題を受験で出題しようとすると思わぬ事故が起きるということを痛切に感じました。
Posted by DG-Law at 2019年03月17日 20:08
慶應法学部の女性参政権の年号並び替えと最初の12個の年号の並び替えを見たときは頭が真っ白になりましたw 無事英語で得点稼げましたがw
Posted by あ at 2019年03月17日 20:27
そうでしょうね。
最初の12個の年号がやってみるとそんなに難しくなかったのが救いで,あそこの年号が範囲外だったら本当に悲劇でしたね。
Posted by DG-Law at 2019年03月18日 00:00
こうして見ると、早稲田の世界史は難問奇問がかなり減りましたね。政経がやや難しかったようですが、社学も大分丸くなっていますし。いい事なのですが、世界史マニアの受験生達には逆につらいかもしれないですね笑
Posted by バーブル at 2019年03月18日 09:00
上智と早稲田は漸減していっており,良いことですね。
早稲田は減っているのに,入試日程が9つもあるせいで総数がどうしても多くなり,減っているように見えないのはちょっとかわいそうかも。入試日程が多すぎること自体が自業自得だと言ってしまえばそうなんですが。
再来年から政経学部と国際教養学部は社会科での受験をやめてしまうので,9つ日程があるのは来年が最後ですね。

Posted by DG-Law at 2019年03月18日 22:31
慶応法の二つ目、ボクシングと野球のプロ化って1920年代よりは前ではないですかね。何をもってプロ化というかは難しいですが。
Posted by たろ at 2019年03月24日 20:38
問題文によると選択肢の語尾は「始まった」ではなく「盛んになった」
なので正文ということでしょうか?
「1903年のワールドシリーズには観客が一杯ですごかったんだぞ」という証言があったらどうするんだ?
MLBが盛りあがったのはベーブ・ルースのおかげなのか?サイ・ヤングじゃ駄目なのか?
MLB通の池井優名誉教授に聞いてみたいところである。(慶應義塾大学法学部を2000年に定年退職されました。期末テストで何もわからないから野球について書いたら評定Bが来たという都市伝説があった。)
Posted by AsKs at 2019年03月25日 22:10
更新楽しみにしてました
なんとか合格しましたが今年の政経はほんとにきつかったです…
Posted by 仮面浪人 at 2019年03月26日 00:41
>AsKsさん
あ,すみません。おっしゃる通りです。選択肢がうち間違ってます。やってはいけないミスをしてしまった……。この段階で見つかってよかったとも言えますが。
たろさんへのコメントは撤回します。本文も何ヶ月後かを目処に直します。

その上で言うと,プロスポーツ観戦の大衆化が1920年代というのはかなり一般的に高校世界史では言われていることなので,その線で戦うのは教科書と戦う形になるので,かなり厳しいかもしれません。
Posted by DG-Law at 2019年03月26日 00:49
仮面浪人さん

受かったのであれば何よりです。
本文にも書きましたが,早稲田の中では一番厳しかったですね。
お疲れ様でした。
Posted by DG-Law at 2019年03月26日 00:51