2023年03月18日

2023受験世界史悪問・難問・奇問集 その2(早稲田大)

昨日の続き。本日は早稲田大をお届けする。入試は7学部で収録した問題は14問であるが,そのうち3つの学部が10問を占めた。少し偏っている。


〔番外編〕早稲田大・文化構想学部
<問題>5 

ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ《希望》


設問3 図Bは,フランスの画家ピュヴィ=ド=シャヴァンヌが1871年から1872年にかけて「希望」をテーマに制作した作品の1点である。ここでは,白いドレスを着た女性が平和を意味する小枝を持ち座っているが,その背景には荒涼とした風景が広がり,墓地や十字架が見え戦争の痕跡がうかがえる。この絵の構想の着想源となった,製作時期にもっとも近い年代に行われた戦争は何か。次のア〜エの中から一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア ライプツィヒの戦い     イ アロー戦争   
ウ プロイセン=フランス戦争  エ クリミア戦争

設問4 図Bについて適切に説明している文章を,次のア〜エの中から一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア 白いドレスの女性が平和や希望といった抽象的概念を表していると考えられ,象徴派の絵といえる。
イ 戸外に座る女性や自然の描写に見られる特徴に,モネやルノワールと共通する印象派の手法が見出だせる。
ウ 優美な女性像を軽やかなタッチで捉えた作風は,ロココ美術の典型を示している。
エ 女性が心のうちに戦争の悲劇を秘めた描写は,感情を重視したロマン主義の表現となっている。

<解答解説>
 悩んで正式収録とはしなかった問題。受験世界史で西洋美術史の作品を用いた出題する場合,《ゲルニカ》のような有名な作品を提示して「この作品の様式は何か」と問うか,逆に「ミケランジェロの作品はどれか」と聞いて4枚の絵から《最後の審判》を選ばせるかというような,作品そのものを覚えているかどうかを問うものが多い。そうではなく,ちゃんとその様式の特徴を覚えているかどうかを問う概念把握の問題も出題されることがある。知識の問題ではなく鑑賞能力の問題になるが,定番なのはゴシック様式やガンダーラ美術の仏像であり,これらは難易度が高くない。
 早稲田大の文化構想学部と文学部では西洋美術史の問題が恒例で,必ず出題される。そして鑑賞の問題も多い。たとえば2023年の早稲田大・文学部では,西洋美術史ではないが,ガンダーラ美術の仏像を選択させる問題が出た(これは容易であった)。しかし,早大の文化構想学部・文学部ではたまに,このような簡単なものではなく,受験生が初見の可能性が高い作品を用いて本格的な鑑賞の能力が問われることがある。たとえば2022年の早稲田大・文化構想学部では,ベルト=モリゾの《自画像》が提示されて,フォーヴィスム・印象派・ロートレック・キュビスムの中から最も近い画風を選ばせる問題が出た。ベルト=モリゾは印象派の画家であるが,西洋美術史のファンではない一般の受験生は知らないであろう。《自画像》に筆触分割が用いられていることを読み取って,印象派を選ぶ必要があった。受験世界史の範疇としては高度な鑑賞能力が求められたと言える。
 さて本問である。シャヴァンヌという画家は範囲外の知識で,《希望》も当然教科書や資料集には掲載がない。設問3は容易で,年号から普仏戦争しかない。設問4も,年代から言ってロココ美術はなく,ロマン主義も19世紀半ば頃には流行が終わっているから違う。2択までは容易に絞れるが,象徴主義と印象派はどちらも19世紀後半でおおよそ重なっているから年代で判断できない。ここから知識で解くなら,印象派は強いテーマ性の無い作品,あるいは都市住民にとっての尊い日常や安らぎを覚える光景を切り取る作品が多いので,設問3から「平和を意味する小枝を持」っているとか,戦争の痕跡が見える背景を用いているのは不自然であると考えれば印象派ではないという判断ができる。また逆に象徴主義は作品に何かしらの象徴が込められていて,しかもロマン主義よりも抽象的であるから,設問3にある説明は完全に当てはまっている。よってアが正解とわかり,事実シャヴァンヌは象徴主義の代表的な画家の一人である。しかし,これらの知識は受験世界史範囲外に属するので,この解法は無理筋であろう。とすると一般的な解法は本問を鑑賞能力の問題と割り切って,作品をよく見ることになる。すると印象派であるなら筆触分割が使われていて,絵に筆のタッチが残り,物体の輪郭が曖昧であるはずだが,そうなっていないことに気づく。よってこの作品は印象派に該当しないということで,やはり正解がアとわかる。
 本問を正式な収録対象とするかどうか悩んだのは,本問の要求する鑑賞能力が高度であるためだ。前述の通り,早稲田大の文化構想学部は西洋美術史の問題が必ず出題され,しかも鑑賞の問題が含まれる。これは過去問を数年分やれば誰でも気づくことであり,対策をとらなかった方が悪いとも言える。しかも前年(2022年)に印象派の絵画の鑑賞問題が出題されていたのだから,これは伏線だったのだろう。確かに教科書や用語集では印象派の技法について大した説明が無いが,主要な資料集には書かれていて,機械的な判断で言えば範囲外の知識や能力が必要だったとは言えない。しかしながら,本問は過去の鑑賞の問題よりも明らかに要求水準が高度で,史上最難の問題であった。しかもモノクロで判断させるのは酷である。ここまで要求されるとは聞いていないというのが受験生の本音だろう。早稲田大の文化構想学部・文学部でしか必要がない能力を鍛えるのは費用対効果が悪すぎるところ,多少の訓練では身につかない水準まで高められては太刀打ちする気が起きまい。
 しかも,象徴主義は通常の受験勉強で文学潮流としてしか学習しない。加えて用語集頻度はと中途半端な高さである。念のため各社の教科書や用語集を調べ直したところ,象徴主義を文学潮流ではなく芸術全体の潮流として紹介しているのは帝国書院の教科書1冊だけであった。とすると多くの受験生は象徴主義を美術史に存在しない様式と勘違いしていて,消去法で印象派を正解に選ぶことになる。この間違え方はさすがにかわいそうだ。受験生は鑑賞能力の問題と気づかないまま知識問題として解いてしまった形であり,入り口にすら立っていない。実際に試験終了直後の受験生のネット上の反応を探すと,このような解法で間違えた人が非常に多い様子であった。もう一つ加えるなら,本問は実質的に消去法でしか解答できない問題である。通常の文章の正誤判定問題ならば消去法は通常の解法であるが,鑑賞の問題で消去法でしか解けないのはいかがなものだろうか。その様式の特徴からぴたっと判断できる問題がふさわしいのではないかと思う。
 印象派=筆触分割と機械的に覚えることに意味はあるのか,筆触分割の概念を理解しているかどうかが重要ではないのかという問題意識が作問者にはあったのだろう。特に受験世界史における文化史は絵画作品によらず無味乾燥な丸暗記になりがちで,それを回避すべく高校教員や予備校講師はあれこれ工夫を凝らしてはいるものの,根本的な解決にはなり得ない。そこに一石を投じた出題だったと言える。一方で,受験世界史における文化史は丸暗記でも仕方がないという発想もある。人間はいつ何に興味を持つかはわからない存在であるので,とりあえず著名な作者と作品を一通り覚えてもらう。これが,たとえば大学生・社会人になってから国立西洋美術館に行ったとして「へー,これがモネの《睡蓮》か。そういえば中学の美術とか高校の世界史で特徴を何か覚えた気がするなー」と思う際の,「何か覚えた」になれば十分なのだ。その「何か」を調べる時に,高校時代に一度覚えたかどうかの経験の差は必ず出る。この取っ掛かりが人生を豊かにする。受験世界史は政治史や社会経済史だけでも分量が多すぎるので,文化史は概念理解に立ち入れなくても仕方がない。この発想に基づくなら,高度な鑑賞能力を問う問題は美術検定の試験で出題してくれればいいということになる。
 私は比較的後者よりの立場であるが,読者諸氏はどう思われるだろうか。


15.早稲田大 法学部
<種別>悪問
<問題>4 設問8 下線部gに関連して(編註:アメリカ合衆国の動向がラテンアメリカ諸国の政治に強く影響を及ぼす状況が続いた),アメリカ合衆国による対ラテンアメリカ政策について述べた次の文章のうち,明白な誤りを含むものを一つ選びなさい。

イ アメリカ合衆国はキューバの独立を支援してアメリカ=スペイン戦争を起こし,勝利したのちに事実上キューバを保護国化した。
ロ アメリカ合衆国大統領ウィルソンは, セオドア=ローズヴェルトによる軍事力を背景としたカリブ海政策をあらため,合衆国流の民主主義を広めようとする「宣教師外交」を展開した。
ハ アメリカ合衆国は1889年よりパン=アメリカ会議を定期的に開催し,ラテンアメリカ諸国への影響力拡大を図った。
ニ キューバ危機を受けて,アメリカ合衆国はラテンアメリカ諸国における共産主義の伝播を抑えるために米州機構を設立した。

<解答解説>
 イとハは正文。ニは米州機構の設立がキューバ危機よりも前なので明白な誤文であり,これが作問者の想定する正解だろう。審議の対象はロで,一般にアメリカのカリブ海政策はセオドア=ローズヴェルトの棍棒外交,タフトのドル外交,ウィルソンの宣教師外交と遷移したといわれる。それぞれ前面に打ち出したものが軍事力,経済力,アメリカ流民主主義の価値と区別されるが,これは何を露骨にしたか,何を名目に介入したかの違いであって,背景はいずれも軍事力である。確かにドル外交というネーミングはタフト自身が一般教書演説で用いた「弾丸に代えてドルを用いる」という表現からとられている。しかし,これは初手をドル借款やアメリカ民間資本の進出に代えたという意味であって,相手国の対応如何によってはアメリカ軍の派遣・占領に進んだ。宣教師外交も同様で,アメリカ流の民主主義に沿わず,アメリカの指導力を認めない政権に対しては容赦なく派兵している。メキシコ革命への介入がその典型例だが,失敗に終わっている。
 したがって,ロの文は「軍事力を背景とした」の部分を読み落としてあげて,「セオドア=ローズヴェルトによるカリブ海政策をあらため」の部分だけで正誤判定をし,棍棒外交から宣教師外交に変わっているという読み方をしないと正文と判断できない。人によっては複数正解と主張する悪問だろう。「背景とした」という文言ではなく「軍事力を前面に押し出した」等の文言であればこのようなケチはつかなかった。日本語のセンスがない。


16.早稲田大 文学部
<種別>悪問
<問題>1 設問4 下線部Dに関連して(編註:儒教・漢訳仏教),次のア〜エの中から誤っているものを一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア 法顕がインドに入り仏跡をめぐり,各種仏典を得て帰国後にそれらの翻訳を行った。
イ 漢の武帝の時代に儒学の主要な経典として五経が定められた。
ウ 鳩摩羅什らの仏典翻訳は,中国での仏教布教に貢献した。
エ 後漢では,董仲舒らによって訓詁学が発展し,経典の注釈が作られた。

<解答解説>
 儒学の官学化シリーズ。アとウは正文。エは董仲舒が前漢の儒学者であるので明らかな誤文。作問者の想定する正解はこれだろう。審議の対象はイで,五経博士が武帝代に設置されたとするのは実証史学においては否定されており,実態には諸説ある。たとえば早稲田大の渡辺義浩氏は三代後の宣帝時代にそろったとしている。これに沿えばイも誤文で正解になるが,高校世界史ではまだ武帝代の設置が通説になってしまっているので,出題ミスとまでは言えない。よりによって早稲田大の文学部の問題でこれをやっちゃうか。


17.早稲田大 文学部(2つめ)
<種別>悪問
<問題>6 設問6 下線部Fに関連して(編註:イギリスとインドの通商),イギリスはイギリス東インド会社を中心に,本国とインドを結ぶ交易に重点を置いたが,イギリスの活動について述べた次の文の中で,誤りを含むものはどれか。次のア〜エの中から一つ選び,マーク解答用紙の所定欄にマークしなさい。

ア インドのマドラス(チェンナイ)やカルカッタ(コルカタ)などに商館を置いた。
イ カーナティック戦争やマイソール戦争でフランスを破り,インド支配の優位を決定づけた。
ウ インドでのマラーター戦争やシク王国との戦争に勝利した。
エ イギリス東インド会社は,インド大反乱の責任を問われ,1858年に活動を停止した。

<解答解説>
 ア・ウ・エは正文。したがってイを疑うことになり,一般的な高校世界史の知識で判断するなら,カーナティック戦争に敗れたフランスはイギリスの南インドにおける覇権を許して撤退しているから,その後に発生したマイソール戦争には参加していない,よってイが誤文=正解となる。しかし,ちゃんと史実を掘ると,フランスはマイソール王国を支援する形で参戦している。ただし,フランスの参戦は,第二次マイソール戦争とアメリカ独立戦争の時期が重なっていたため,いずれにせよイギリスとは戦っていたという事情が大きく,インドの陸上での活動は小規模であった。しかしインドからの視点で見ると,この戦争はマイソール王国のティプー=スルタンが第二次英仏百年戦争という国際状況を見据えてフランス本国まで使節を派遣するなどの積極的な外交を行ったという点において画期的であった。フランスにとっても南インドにおけるイギリスへの最後の抵抗である。そのため,小規模ではあれフランスの参戦は歴史的意義が見いだせる。以上の経緯から,本問は出題ミスと言わないまでも不用意な選択肢が含まれていて,高校世界史を超えてインド史に詳しい受験生は困惑する問題になってしまっている。代ゼミから同様の指摘あり。
 なお,マイソール王国の不運は,第三次マイソール戦争がフランス革命と並行して起こったことで,さすがにフランスはインドに派兵をする余裕がなく,マイソール王国の大敗に終わった。続く第四次でマイソール王国はイギリス東インド会社の軍門に降り,藩王国となる。


18.早稲田大 人間科学部
<種別>悪問
<問題>1 グプタ朝は〔 B 〕の進出などを原因として衰退し,7世紀前半には〔 C 〕が北インドを支配することになった。

設問X 文中の空欄〔 A 〕〜〔 C 〕に入る最も適切な語を,a〜dの中から一つ選びなさい。
B  a エフタル  b タングート  c ウイグル  d ソグド人
(編註:空欄Aは省略,空欄Cの正解はヴァルダナ朝)

<解答解説>
 空欄Bはaのエフタルが正解という想定で作問されたと思われるが,グプタ朝に侵入した遊牧民フーナがエフタルと同一の遊牧民かは異論があり,このことは東京書籍の教科書に記載がある。最近出た『岩波講座世界歴史』の4巻を参照すると,ヒンドゥークシュ山脈を挟んで南側に勢力を広げた集団を「フン系集団」,北側の支配勢力を「別のフン系集団エフタル」とはっきり分けている(古井龍介「南アジア世界の形成と発展」弘末雅士編『岩波講座世界歴史4巻 南アジアと東南アジア 〜15世紀』岩波書店,2022年,pp.19-20)。しかも前者のフン系集団はグプタ朝に臣従していた地方王権によって撃退されており,彼らの自立がグプタ朝衰退の直接的な原因のようである。フン系集団が劫掠したのが衰退の原因のようなニュアンス自体を改めるべきかもしれない。このため,最新の学説に則るなら正解が無い。代ゼミから同様の指摘あり。


19.早稲田大 人間科学部(2つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)

<問題>3 設問Y  可汗が称されるより以前にモンゴル高原の遊牧民が用いた君主の称号に「単于」がある。これに関連する文章として,誤りを含むものはどれか。

a 「単于」は,始皇帝が中国を統一したころ,遊牧民匈奴が初めて称したとされている。
b 冒頓単于は月氏や烏孫,東胡を破ってモンゴル高原を統一して遊牧帝国を建設した。
c 紀元前1世紀ころ, 朝鮮半島北部から中国東北地方にかけての地域を支配した高句麗は,建国当初,「単于」の称号を使用した。
d 7世紀中期,唐は征服地に「単于都護府」などの都護府を置いて羈縻政策を行なった。

<解答解説>
 aとdは正文。cは高句麗が単于を称した事実が無いので誤文であり,こちらが作問者の想定する正解だろうと思われるが,範囲外の知識が必要。遊牧民ではないから単于は無いだろうという常識的な判断でよいのだが,他に紛らわしい選択肢があると推測含みの判断はしづらくなる。その審議の対象がbで,この文を素直に読むと冒頓単于はモンゴル高原を割拠していた月氏・烏孫・東胡を駆逐したか,滅亡させて高原を統一したということになる。しかし,烏孫はもとからアルタイ山脈の南・天山山脈の東部にいて,東胡も大興安嶺の東,現在でいう中国東北地方にいた遊牧集団であるから,モンゴル高原にいない。実教出版の教科書は「匈奴は,前3世紀末から冒頓単于にひきいられて強大になり,月氏などをうってモンゴル高原を統一し,強大な遊牧国家をきずいた。さらに,漢の高祖をやぶり,月氏を敗走させて烏孫やタリム盆地を支配下におき,東西交易の利益を手に入れて全盛期を迎えた。」,つまり烏孫(や月氏)を討ったのはモンゴル高原統一後として記述している。よってbも誤文になる。受験生としてもbとcのどちらが正解か判断できず,非常に困っただろう。烏孫の知識がなく,かえって勉強していない生徒ほど迷わずにcを選べたという点でも本問は悪質である。代ゼミから同様の指摘あり。大学当局から謝罪と全員正解とした旨の発表があった。


20.早稲田大 人間科学部(3つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)

<問題>3 設問Y ぁ.皀鵐乾訥觜颪亡悗垢訐睫世箸靴董じ蹐蠅魎泙爐發里呂匹譴。

a チンギス=ハンは,服属した遊牧民を千戸制という軍事・行政組織に再編制した。
b チンギス=ハンはナイマン,ホラズム=シャー朝,西夏などを滅ぼした。
c オゴタイ=ハーンは北宋を滅ぼして華北を領有し,中央行政機構を創設するなど,帝国の基礎を整えた。
d フラグはモンケ=ハーンの命で西アジアに遠征し,バグダードを占領してアッバース朝を滅ぼした。

<解答解説>
 aとdは正文。cはオゴタイが滅ぼしたのは金なの誤文であり,これが作問者の想定する正解だろう。審議の対象はbで,記憶に残っている人もいるだろう,過去にセンター試験で出た悪問と論点は全く同じである(2019その他1番)。チンギスがホラズム=シャー朝を滅ぼしたかどうかは解釈に違いがあるところであり,教科書間で記述が一致していない。ただし,センター試験の方は「ホラズム=シャー朝(ホラズム朝)を倒した。」という表現だったので,「倒した」と「滅ぼした」はニュアンスが異なるという逃げ道があった。しかし,今回の早稲田大の問題は「滅ぼした」と断言してしまっているので逃げ道が無い。「滅ぼした」という表現を使っていない教科書や用語集で勉強してきた受験生にはbは正誤の判定がつかない不可思議な表現にしか見えない。悪問のそしりは免れまい。代ゼミから同様の指摘あり。ハンとハーンの使い分けをしているところはポイントが高いのだが,気を使うところを間違えている。大学当局から謝罪と全員正解とした旨の発表があった。


21.早稲田大 人間科学部(4つめ)
<種別>出題ミス(複数正解)

<問題>4 設問Y   崑臀亜廚僚亳修砲箸發覆辰董は働者政党の出現やプロレタリア文学の流行など,様々な分野でマルクス主義への関心が高まった。マルクス主義やそれ以後の社会主義に関わる以下の文のうち,誤りを含むものはどれか。

a 1848年は,貧困層の増大など新たな産業社会における社会問題を背景にヨーロッパ規模で革命が起こった時代の転換点であり,『共産党宣言』もこの年に発表されている。
b 労働者と兵士はソヴィエトを組織してロシア十月革命(十一月革命)を推進し,国会はソヴィエトの支持を受けて臨時政府を発足させた。
c コミンテルン(共産主義インターナショナル/第3インターナショナル)の支援によって,陳独秀らが中国共産党を結成する一方,中国国民党を結成した孫文もソ連との提携を図った。
d ワレサ率いる自主管理労働組合「連帯」がポーランドで改革を推し進めた結果,共産党単独政権が崩壊し,ハンガリーやチェコスロヴァキアもこれに続いて複数政党制に移行した。

<解答解説>
 aとcは正文。bはロシア十月革命(十一月革命)がロシア二月革命(三月革命)の誤りで,これが作問者の想定する正解だろう。しかし, dにあるポーランドとハンガリーはどちらも東欧革命では動きがいち早かった国で,どちらかが決定的に先んじていたということはない。高校世界史の範囲ではどちらも東欧革命によって民主化したというくくり以上のことはやらないので判断しようがなく,もう少し細かいところを見ていくことになる。
 ハンガリーの複数政党制への移行はいくつか段階があり,1月に結社法を制定してハンガリー社会主義労働者党以外の政党結党を認め,2月に社会主義労働者党の中央委員会が党の指導性を放棄して複数政党制を公的に導入する新憲法の制定を宣言した。その後も政府と民衆の間で緩やかに移行が進み,最も遅くとる場合は10月の新憲法の制定である。一方,ポーランドの共産党(正確にはポーランド統一労働者党)単独政権の崩壊は以下の通り。1989年6月に選挙で「連帯」が圧勝したが,選挙制度が異常に共産党が有利な仕組みであったために大統領選出・首相選出で難航し,7月に共産党のヤルゼルスキが大統領に就任,組閣は9月までずれこんで,「連帯」のマゾヴィエツキが首相に就任した。したがって,こちらも6月から9月まで幅がある。どちらにも数ヶ月単位の幅があって重なってしまっており,解釈と価値判断の領域に入ってくるので,正誤判定にはそぐわない。
 ここで灯台もと暗し,高校世界史の教科書に当たってみると,実教出版の教科書が「まず2月にハンガリーで複数政党制の導入が決定されたのに続き,6月にポーランドでおこなわれた選挙では「連帯」が圧勝した」とあり,他の教科書は明確な判断を下していない。よって高校世界史で典拠とすべきはこの実教出版ということになり,鶴の一声, dは誤文になる。私はbとdの複数正解で出題ミスという結論を下すことにした。教科書に依拠しすぎる慶應大学と教科書を見ずに問題を作る早稲田大学,どちらも極端すぎる。代ゼミから同様の指摘あり。大学当局から謝罪と全員正解とした旨の発表があった。結果的に人科は逃げるのが難しそうなものは全て出題ミスを認めており,対応は潔かった。


22.早稲田大 教育学部
<種別>出題ミス(複数正解)

<問題>3 問1 (5) セルジューク朝と同時代のイスラーム世界について,誤っている説明はどれか。

a アッバース朝のトルコ系軍人が自立してホラズム=シャー朝を建国した。
b ウマル=ハイヤームが『四行詩集(ルバイヤート)』を著した。
c サラーフ=アッディーンのイェルサレム奪回を契機に第3回十字軍がおこされた。
d モロッコのマラケシュを首都としてムラービト朝が成立した。

<解答解説>
 aはアッバース朝がセルジューク朝の明確な誤りで,作問者の想定する正解はこれだろう。bは正文。cは事実関係で言えば正文だが,セルジューク朝は滅亡年に諸説あるのでセルジューク朝と同時代ではなくなる可能性がある。たとえば山川の教科書や用語集は1194年としていて,高校世界史ではこれが一般的だが,東京書籍は1157年としている。アイユーブ朝がイェルサレムを奪回したのは1187年のこと。東京書籍の年号をとるならcは誤文=正解になる。dは,ムラービト朝の建国当初の首都がマラケシュではない。ムラービト朝は1056年に現在の西サハラまたはモーリタニアで建国され,北上してモロッコを征服,1070年頃からマラケシュを建設した。よって少なくともa・dは誤文,教科書によってはcも誤文になるので複数正解の出題ミスは免れない。河合塾から同様の指摘あり。大学当局から謝罪と全員正解とした旨の発表があった。


23.早稲田大 教育学部(2つめ)
<種別>出題ミス

<問題>3 問2 (ロ)の中で(編註:オスマン帝国と信仰を同じくするイスラーム諸国),オスマン帝国の版図に含まれなかった国はどれか。

a アラブ首長国連邦   b オマーン   c サウジアラビア   d モロッコ

<解答解説>
 どう考えても「含まれなかった」が「含まれた」の誤植。明確にオスマン帝国の領土になったことがある地域が現在の国土に含まれているのはサウジアラビアだけである。そのまま問題文を受け取るとa・b・dが全て正解になってしまう。一応,オスマン帝国はマスカトを一瞬占領したことがあり,アラブ系部族の首長からは宗主権を認められていたようなので,これらを版図として認めるならばdのモロッコを正解として問題が成り立っているが,非常に無理がある擁護になってしまう。河合塾・駿台・代ゼミから同様の指摘あり。大学当局から謝罪と全員正解とした旨の発表があった。


24.早稲田大 教育学部(3つめ)
<種別>悪問
<問題>4 (9) 新羅について誤っている説明はどれか。

a 王族から平民までを五等級に分けて社会生活を規制した。
b 唐から楽浪郡と帯方郡を奪った。
c 朝鮮半島東南部の辰韓の地に成立した。
d 仏教が栄え,金城に仏国寺が建てられた。

<解答解説>
 cとdは正文。bは楽浪郡を滅ぼしたのが高句麗なので誤文であり,作問者の想定した正解はこれだろう。審議の対象はaで,骨品制は詳細がよくわかっておらず諸説ある。それもあって曖昧にしか言及していない教科書が多い。やや詳しく説明しているところでは,東京書籍の教科書は「王族と平民までを出身氏族によって5階級に分け,官職,婚姻,社会生活などを規制した」としており,本問のaはここを典拠としていると思われる。一方で実教出版の教科書は「骨品制によって王族・官僚貴族の身分を厳格に定めた。」「王都に居住した人々に適用された身分制度。王族以下いくつかの階層にわかれ,官職・婚姻などの社会的地位や,衣服・家屋などの生活様式全般にわたって統制した。」とある。さらに山川の用語集は「新羅の王族と一般貴族だけを対象とした特権的身分制度。王族である骨階層と一般貴族である頭品階層からなり,階層間の婚姻や就任できる官位・官職に厳しい規制があった。」と記述している。つまり,実教出版や山川用語集の記述を信用するなら平民は骨品制の枠外だったということになる。これに沿えばaも誤文になる。また本問とは直接関係無いが,東京書籍と山川用語集の記述には「王都に居住した」という限定が無く,ここも学説が割れている。教科書間で学説が大きく異なるものを出題すべきではない。
 本問の解説はここで終わりにしてもよかったのだが,東京書籍と実教出版のどちらの学説が正しいのかが気になって,ちょっと調べてみることにした。以下,李成市氏が『岩波講座世界歴史』に書いている論文をベースにしつつ,説明をかみ砕いてみる(李成市「朝鮮史の形成と展開」荒川正晴編『岩波講座世界歴史6巻 中華世界の再編とユーラシア東部 4〜8世紀』岩波書店,2022年,pp.256-267)。かなり長いのでご興味がある方だけお読みいただければ。もっとも,この論文にも「その制度の創設された時期やその具体的な性格についての共通した理解はない」とあるので,この時点でどうしようもないとして打ち切ってもいいのだが……。
 骨品制は新羅が朝鮮半島の大部分を統一した際に初めて形成された。新羅は王都の金城(慶州)周辺の六部族を核として領域を広げていった国家であり,彼らは平民まで含めて新羅における特権的な地位を占めていた。しかし,676年の半島統一により領土が急速に拡大すると,統治上の都合から服属民の上位階層にも高い官位を与えざるを得なくなり,六部人に不満が生じる。ここまでの展開だけで言えば共和政末期のローマ市民権をめぐる展開に近いが,ここからの展開が全く異なる。新羅は7世紀末から8世紀半ばの間に,官僚制における官位とは別に,六部人に特権を与える身分制度を整備したと見られている。これが骨品制である。王族を指す聖骨・真骨,貴族階級を指す六頭品・五頭品・四頭品,平民を指す三頭品,二頭品,一頭品の八段階で,六部人に属さない地方民は骨品制の対象外とされた。骨品制は細部まで生活様式を規制した身分制であるが,ヒンドゥー教のカースト制でもシュードラの下に不可触民が置かれたのと同様に,身分制の外にいる人々を置くことで六部人を宥めた形である。また,各骨品には就任できる最高官位・官職に制限が定められ,これが王都に居住する貴族の権力を保証した(逆に言えば骨品制外の地方民は中央官界への進出が大きく阻害された)。ただし,骨品制研究が大幅に遅れている原因として,残っている史料は9世紀以降のものがほとんどで8世紀以前のものは皆無に近く,中国や日本の記録を参照しても復元が困難という事情があるようだ。成立期の骨品制理解はこれからまだまだ変化する可能性がある。
 統一新羅の長い歴史の中で,このような王都の特権的地位がいつまでも守られるということはなく,住民の移動とともに身分制度が変質した。834年に布告された風俗規定では,骨品制は真骨・六頭品・五頭品・四頭品・平人・百姓となっており,在地の首長は五頭品・四頭品に準ずること等が規定されている。この史料では,まず聖骨が消えている。過去にはこれを根拠に聖骨非実在説もあったらしいが,現在では骨品制は生活様式を規制するものであるから最上位の王族に規制は不要であると判断されて布告に記載されなかったとする解釈が一般的なようだ。次に平民を規定する三頭品以下が消滅し,新たに平人と百姓という表現が出現した。平人は官位を保持する平民(おそらく最下級の官吏・胥吏)のことで,百姓は無官位の平民を指すと見られている。そして,この史料では新羅全土の平民までが身分制の対象に含まれている。すなわち骨品制の外に属する平民はいなくなり,ここに至って六部人の特権的身分制度という制度の意味合いは失われている。さらにこの後の時代には,新羅末期の社会混乱の中で官位の上限規定も弛緩していくようである。
 なお,東京書籍の教科書にある「王族と平民までを出身氏族によって5階級に分け」の5階級であるが,実際に史料の上でも骨品制が五段階であるとする言及があるようだ。これは834年の布告の平人と百姓を区別せずに平民として数えて五段階と見なしている史料と,聖骨をカウントして平民をカウントしない,すなわち聖骨・真骨・六頭品・五頭品・四頭品の五段階と見なしている史料があるからで,東京書籍の執筆者は前者の解釈をとる立場なのだろう。結局のところ当時の史料自体が混乱していて,これ自体が新羅後期の社会混乱を表している。
 以上の学説を踏まえて高校世界史の教科書記述に戻ると,東京書籍の教科書の平民を含む説明も,実教出版の教科書や山川の用語集の平民を含まないとする説明も,どちらも学説として存在している。また,骨品制の適用範囲は時代により異なるので,いずれの説明も誤りとは言えない。それにしても骨品制を深く調べたことがなかったので,私自身非常に勉強になった。


25.早稲田大 商学部
<種別>出題ミス・悪問・難問

<問題>1 問E 下線部Eフィリップ2世について,最も適当な文章を選べ。

1.第3回十字軍に参加し,サラディンからイェルサレムを奪回した。
2.課税権を巡る教皇との対立をきっかけに,三部会を召集した。
3.教皇の求めに応じてアルビジョワ十字軍を主導し,南フランスのカタリ派を弾圧した。
4.1214年ブーヴィーヌの戦いでジョン王を破り,フランス内イギリス領を大幅に縮小させた。

<解答解説>
 1は,フィリップ2世は第3回十字軍の途上でイギリス王リチャード1世と仲違いして途中撤退している。その後,リチャード1世がサラディンと講和したため,イェルサレム奪回はなっていない。2はフィリップ4世の事績。
 3について。フィリップ2世は1209年,教皇インノケンティウス3世からアルビジョワ十字軍への参加を命じられている。しかし,フィリップ2世はジョン王との争いに忙殺されていたため本人は参加せず,シモン=ド=モンフォール(イギリス議会の創設で有名な方の父親)に遠征を命じた。このシモンが1218年に戦死し,息子のアモリー6世=ド=モンフォールが引き継いだ。このアモリー6世は1223年にアルビジョワ十字軍に失敗して撤退し,フランス王家に指揮権を返還した。同1223年にフィリップ2世が亡くなってルイ8世が即位したが,フランス王権はその14年間で急速に強化されていた。勇猛なルイ8世は1226年に出征し優勢を築いたが,遠征中の同年に病没する。すぐに息子のルイ9世が即位したが,幼少のため母后が摂政となって政務を代行。この母后が主導して1229年にアルビジョワ十字軍が完遂した。さて,以上の流れから考えるとフィリップ2世が「主導した」は誤りだろう。また高校世界史では,アルビジョワ十字軍は完遂させたルイ9世の事績として極めて単純化された形で学習するから,高校世界史レベルのざっくりとした理解で判断しても「主導したのはフィリップ2世ではなく孫のルイ9世だから」という判断で同様に3は誤文である。しかし,作問者は「主導した」を大した意味で使っておらず,教皇からの指示を受諾して遠征軍を派遣しただけでも十分主導したと考えている可能性がある。とすると作問者の脳内では3は正文である。
 4について。まず,ジョン王は1206年までにフランス内イギリス領の大半を失っている。その奪還を図って神聖ローマ皇帝オットー4世と結んだ。ジョン王自身は英領アキテーヌに上陸して北上し,び,オットー4世と反フランス王派の諸侯らがフランドルに集結して挟撃する計画であったが,彼らの集結が遅れていた。そこでフィリップ2世は勇猛で知られた王太子ルイ(後のルイ8世)をアキテーヌに派遣すると,ジョン王は王太子ルイの軍を追ってアキテーヌに反転してしまう(しかも王太子ルイの軍に惨敗する)。その後にやっと軍が集結したオットー4世とフィリップ2世による決戦がブーヴィーヌの戦いである。結果はフィリップ2世の大勝で,フランス王権はフランス北部での覇権を確立して急速に強化された。逆にオットー4世は失脚して皇帝の座を追われ,代わって即位したのがシュタウフェン朝のフリードリヒ2世である。ジョン王はご存じの通り戦費負担を巡る混乱から翌1215年にマグナ=カルタを承認する羽目になる。以上の経緯の通り,ブーヴィーヌの戦いにイギリスのジョン王は参加していないし,フランス内イギリス領の失陥は戦前のことであるから,素直に解釈すれば4は誤文である。しかし,ブーヴィーヌの戦いを広くとって王太子ルイのアキテーヌ派遣からすでに始まっていた長い戦役であると解釈し,さらにブーヴィーヌの戦いがフランス内イギリス領失陥を決定的にしたと解釈すれば,むりくり4を正文とみなせなくはない。
 結果として史実に沿えば1〜4に正文がなく正解の無い出題ミスである。しかし,本問の真に困ったところは作問者が3と4のどちらを正解と想定して作問したのかがわからないことと,ブーヴィーヌの戦いが範囲外の知識である点である。多くの受験生はブーヴィーヌの戦いは初見だから4は判断を保留し,3を誤文と判断,消去法で4を正文=正解として選ぶというところだろう。大学当局が公式解答例を発表しでおり,正解は4であったから,結果的に被害は少なかったかもしれない。代ゼミ・駿台から同様の指摘あり。
 加えて言うと,同作問者が作成したと思われる別の問いで「ニュルンベルグ」や(ドイツ都市の)「ハノーヴァー」といったドイツ語履修者ブチギレ表記が発生しており,基礎的なドイツ語発音を理解していない人が中世ヨーロッパ史の問題を作っちゃったのかと思うと残念至極であると同時に納得もしてしまう。高校世界史が正しく使えている表記くらいはそれをなぞってほしい。
 なお,モンフォール家はフランス王の臣下としてはモンフォール領主,イギリス王の臣下としてはレスター伯爵であり,英仏両王家に仕えていた。しかし,アモリー6世が十字軍として中東に旅立ったため弟のシモン=ド=モンフォールがレスター伯を継承,さらに1241年にアモリー6世が十字軍からの帰途に南イタリアで客死したため彼の息子のジャン1世がモンフォール領を継承し,ここで英仏両属をやめたようだ。


26.早稲田大 商学部(2つめ)
<種別>難問
<問題>4 ニューイングランド地方への入植者らにおいて,教会や学校などの特定の場所に集まって共通の問題について話し合う〔 6 〕という住民による直接民主制に近い仕組みの下で公共的な事柄について決定するということがみられた。

<解答解説>
 直球の難問。正解は「タウン=ミーティング」。古い課程の用語集なら立項されていた。あるいは現行の教科書では山川の『新世界史』にのみ記載があったので,そのいずれかが典拠だろう。


27.早稲田大 商学部(3つめ)
<種別>難問
<問題>4 1920年には,合衆国憲法修正第19条により,選挙権に関する性差別の禁止が定められ,スタントンらの主導によって1848年に〔 7 〕州のセネカフォールズで開かれた会議から本格的に始まった女性参政権運動に対する一定の成果が見られるに至った。

<解答解説>
 流行の女性参政権の歴史からの難問。1848年に女性参政権獲得運動の嚆矢となる大会が開かれたセネカフォールズがあるのはニューヨーク州である。一応,用語集の「女性参政権(アメリカ)」の項目内に記載があるが,「1848年のニューヨーク州での集会から始まり」という書き方で,こちらはセネカフォールズの地名を出していない。それもあってこれを覚えている人は極めて少なかろうと思い収録対象とした。女性参政権に関連する用語はどこまで覚えればよいのか,このまま広がると際限が無くなってしまう。あやふやなまま受験世界史の範囲のグレーゾーンを広げられている危機感がある。
 この大問4はその他にも「1890年代のアメリカで,エリートたちに対抗心を抱いた南部や西部の農家を支持基盤として起きた政治運動」「日本においてもしばしば政治に関するコンテクストで用いられる言葉」というヒントから正解「ポピュリズム」,「1996年に国連総会で採択された」「アメリカが批准を拒否した」がヒントの「包括的核実験禁止条約」,「2003年のイラク戦争」「国際的な協調の対義語」からの「単独行動主義」,「Facebook社(現在のメタ社)やTwitter社が提供する」「社会的分断を助長する」からの「SNS」……という感じで,作問者の関心領域の時事問題かつ微妙にわかりにくいヒントによる出題が散見され,受験生は苦しめられたと思われる。ポピュリズムは私も1分くらい考えた。早稲田大・商学部の大問4の空欄穴埋め問題はアメリカ史・現代史が頻出で,過去にはBlack Lives Matterの出題もあるとはいえ,今年のような出題をされると対策が難しい。教授の日記の空欄穴埋めは世界史の試験ではないはずである。


28.早稲田大 社会科学部
<種別>出題ミス(さすがにいい加減にしろ)

<問題>3 問4 下線部(C)教会大分裂(1378年〜1417年)の間に世界でおこった出来事について述べた次の記述のうち,最も適切なものを1つ選べ。

a.オスマン帝国の攻撃によりコンスタンティノープルが陥落し,ビザンツ帝国が滅亡した。
b.室町幕府の将軍足利義満の下で,日明間の勘合貿易が始められた。
c.明の正統帝がオイラト軍の捕虜となる,土木の変が起きた。
d.アルタン=ハンがチベット仏教黄帽派の指導者にダライ=ラマの称号をおくった。

<解答解説>
 aは1453年,cは1449年,dは1578年なのでそれぞれ教会大分裂の時期から外れている。bは勘合貿易開始時に足利義満はすでに将軍を退いているため,事実として誤りである。よって正解が存在しない。足利義満の件は過去に何度も出現している出題ミスであり,何より去年(2022年)の早稲田大・教育学部がこれで出題ミスを出している2022早慶19番)。一年前の他学部の出題ミスなんぞ関知するところではないということか。そうでなくとも足利義満が退任していたことは出来の良い中学生なら知っている日本史の知識であり,こんな出題ミスが毎年どこかの大学の世界史で見つけられてしまうのは,なんというかもう恥ずかしい。せめて私学の雄ではもう見たくない。河合塾・駿台・代ゼミ・早稲田予備校から同様の指摘あり。大学当局から謝罪と全員正解にした旨の発表があった。
 2023年の社学は全体的に誤答の選択肢に範囲外やグレーゾーンの知識が散見されたが,正解の選択肢だけは割とわかりやすいという作りで,惑わされずにピンポイントで選べるかが問われた。このため機械的な判断でいずれも難問とは言えず収録対象外となったが,実際には解きにくかっただろう……と思っていたら,ネット上の受験生の反応では「今年は易しかった」というものが散見された。皆過去問や他学部の入試でそういうものに慣れてしまったのかもしれない。受験生はたくましい。
この記事へのコメント
お疲れ様です。今年は早稲田出題ミスが多いですね。出題ミスと言えば早稲田商学部の崇禎暦書の問題も早稲田予備校が出題ミスとしてましたね。河合塾も指摘してました。私個人としてはチャハル部でいいと思うんですがね。
Posted by 名無し at 2023年03月18日 19:49
商学部の2の問Aですね。解いてすぐにそういうツッコミが入りそうな問題だなとは思ったのですが,「ホンタイジの治世」という限定が時代にも地域にもかかっていると考えればおっしゃる通りにチャハル部に絞れますし,これは普通の発想だと思うので,本企画では収録対象としませんでした。
収録対象としない理由を述べる意味で,〔番外編〕にしても良かったかもしれません。
Posted by DG-Law at 2023年03月18日 22:53
ご返信ありがとうございます。それぞれの予備校の反応も面白かったです。代ゼミは「治世」を後金の時代と場所に限定して4に、河合塾は「治世」を限定するなら2だけど同時期と解釈するなら4も正解となりうる(複数正解を指摘)、早稲田予備校は時代だけで判断して出題ミスと断定、駿台は逆に地域の判定で4、(増田塾はどうだったか覚えてません。)。これだけ別れるなら出題ミスとまでは言えなくても悪問には近いかなと思いました。
Posted by 名無し at 2023年03月18日 23:13
今年も興味深く読ませていただいています。

人間科学部は不用意問題の売り尽くしセールというか、指摘を受けると素直に認めるところからして、「どうせなくなるから」の気分で内部チェックがやる気をなくしてるんじゃないかと邪推したくなりますね。
社会科学部もいかにもやる気をなくしたために出てきそうな問題が収録になっていますが、ここ数年擁護不能な雑出題が必ず一つはある感じなのでなんとも……(この企画の発端になったころの印象が悪すぎるので、なんとなくマシな気がしてしまうのですが)

来年は後を濁さない終幕になることを祈ります。
Posted by 砂屋 at 2023年03月19日 01:42
19.早稲田大 人間科学部(2つめ)に関して質問です。

前209 冒頓単于が即位(〜前174)。東胡と烏孫を討ち、エニセイ川上流のキルギス(結骨)を勢力圏に入れる。
前176 西方の月氏を追い、モンゴリア(モンゴル高原)を統一。

中央公論社世界の歴史だったか何だったか(出典があやふやですみません)の記述で上記のようになっていたのではないかと記憶していますが、いかがでしょうか。

受験世界史から離れて久しいので、見当違いな質問をしていたら申し訳ないです。
Posted by 清瀧街道 at 2023年03月19日 02:19
>砂屋さん
言われてみるとその可能性がありますね。
政経学部と国際教養学部も,少なくとも最終年は残ったものを全部入れた感じがしましたし,来年度の問題が気になります。私も綺麗な終幕を祈っておきます。

>清瀧街道さん
出典を見てみないことにはなんとも言えないですが,モンゴル高原(モンゴリア)の範囲って意外と曖昧ということは私も感じているところで,人によって指している範囲が違うというのは考えられるところです。純粋に地理的に言えばやはり大興安嶺から東とアルタイ山脈から西が境界だと思いますが,遊牧民が居住する中国の北方全域を指してモンゴリアと捉えるならもっと広くなるのかもしれません。
いずれにせよ,出題した人間科学部自身が出題ミスを認めましたので,出題者は強く抗弁する気が無いということでしょう。
Posted by DG-Law at 2023年03月19日 16:13
更新ご苦労さまです。三日目も楽しみにしております。今年の早稲商の世界史は大問1の中世ヨーロッパの商業圏についての出題でしたがここ数年前にも似たような問題が見受けられましたがそういう傾向なのでしょうか。ところで日本史では世界史でも用語集レベルのOPEC発足時の加盟国を「全て」選ばせる問題がありました。
来年で社学、人間科学は最後の世界史にはなりますが2020年の上智大、早稲田大学政経学部をみると最後に花火のような爆弾を上げてくれるだろうとは感じられますね(特に前者)。
Posted by 歴史科目の入試問題が好きな学生 at 2023年03月19日 17:12
ありがとうございます。商学部の大問1は中国史が来るか中世ヨーロッパ史が来ることが多い印象ですね。古代ローマ史が来た年もありますが。

>日本史では世界史でも用語集レベルのOPEC発足時の加盟国を「全て」選ばせる問題がありました。
それもまたエグい……やっぱり同趣旨の日本史企画,読みたいですよね。誰かやってくれないですかね。

>来年で社学、人間科学は最後の世界史にはなりますが〜〜
別コメントへの返信でも書いたんですが,本当に在庫整理で花火打ち上げにならないことを祈るしかないですね。
Posted by DG-Law at 2023年03月19日 17:47