成人の日の14日は鳴子へのんびりと日帰り温泉に行く予定でしたが、仙台市内20cmの降雪により中止となりました。

それではと...
青葉区の大崎八幡宮で行われる伝統行事「どんと祭(どんとさい)」を見に行こうかな?

と思いましたが、雪は降り続け止まず、厳しい寒さでのどが痛みだしたので、当日は結局のんびりと冬の王道、炬燵にみかんでマスクをしてTV観賞、夕方お風呂を沸かし貰い物の入浴剤「山代温泉」を入れ温泉気分を楽しみました。

このバスクリンの入浴剤には本日行く予定の鳴子温泉も日本の名湯シリーズとして製品化されておりました。

根性なしの当方とは違い、どんと祭には家内安全などを祈祷する6万8400人が参拝をしたそうです。

このどんと祭は神社の境内などで正月飾りを焼き、御神火にあたることで一年の無病息災・家内安全を祈願する祭で、特に宮城県内各地の神社で盛んに行われており、仙台市の大崎八幡宮の「松焚祭」(まつたきまつり)が宮城県最大規模です。

更に、この祭りには伝統の裸参りも雪が降りしきる中に行われ、震災復興や商売繁盛、療養などを祈願する
約110団体、約2600人が参加し、男性は胴に白いさらし、女性は白い法被に身を包み口には、「含み紙」、右手にかね、左手にちょうちんを持って参道の階段を登りました。

来年は裸参りに参加? は無理ですが、寒さに負けずにこの裸参りの写真を撮ってきたいと思います。

仙台河原町の雪景色の写真として、4月にはしだれ桜があでやかな創業明治18年仙台駄菓子製造の「石橋屋」さんを乗せました。

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雪の古民家も大変情緒がありますね。

駄菓子と云うとベビースターラーメンやブタメン、うまい棒、酢イカ、ゼリー、ふうせんガムなどなど昭和レトロな子供向けの小銭で買えるお菓子 (当方はくじ付きのホームランチョコバット?や指に塗るとけむりがでる妖怪けむり?などの小物が好きでした) とのイメージですが、実は駄菓子とは四季を重んじ形や色や味で季節感を表現します。

形は非文化地方ほど色彩がきつく、風味は他のいかなる菓子にもない異様さを持ち、かつ濃厚なものほど意義が深いものです。駄菓子は元を雑菓子と云い、東京より南地方(京都・大阪・四国・九州)は雑菓子と云い、東京より北の地方(関東・東北・北海道)は駄菓子と呼んでおりました。

江戸時代、武士は貧乏で町民は裕福であったため、幕府はあらゆる手段で町民の生活を抑圧し、例えば庶民が食べる菓子には、一切白砂糖は使用できぬと云い、雑菓子以外は食べることができませんでした。

それで駄菓子の駄は粗悪なもの「つまらぬもの」と軽蔑思想が生んだ言葉です。

菓子のうち、駄菓子という名称が出たのは文政の頃で国花万葉記に雑菓子と記されております。

仙台駄菓子の由来はその地方の風俗、気候、穀物に合わせて独特の雑菓子が作られ、特に東北地方は文化が貧しく、賃金も低いので安く形が大きく、腹持ちのする食べ物が必要でした。

また、保存のできるものも必要でした。

伊達藩には仙台糒(ほしいい)と云って糯(もち)きび、粳(うる)きび、粟きび、トウモロコシきび等があり、これを原料として菓子種を作り、この菓子種を使って、おこし類が作られました。

この仙台糒と云うのは、伊達藩独特の製法によって作られ、一種の携帯食として、江戸への参勤交代や野戦での折りに食料として使用されました。

仙台糒の製法は伊達藩の家伝で門外不出とされ、時折この仙台糒が家臣や町民にも払い下げられました。

払い下げられた仙台糒を原始的家内企業で独特のおこしや黄粉、胡麻、くるみ、粟等を使ったねじり菓子、餅菓子等が作られました。

これが、いわゆる仙台駄菓子の由来です(石橋屋HPより索引)

仙台駄菓子を製造・販売している店は、城下町における下町、すなわち、仙台市都心部の周辺地域の河原町・小田原・上杉などの路地裏にあり、中心商業地や郊外ロードサイド店舗にないため、仙台駄菓子の存在を知りながらも、販売している店が見つからず、一度も口にしたことのない市民も少なくないようです。

以前ご紹介した防滑仕様のビジネスシューズですが、今回の大雪では靴内は暖かく、靴底はしっかりと雪やアイスバーンを捉え滑らず大変良い働きをしております。

また、のどの調子も前日の養生が功を奏し快調です。

何事も 備えあれば憂いなし ですね。

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