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横浜バロック室内合奏団第73回定期演奏会/みなとみらい小ホール(2015.2.20)

横浜バロック73回プログラム表紙

 2014年度最後の横浜バロック室内合奏団の定期公演(2015.2.20)は、下記のプログラムだった。
 1. J.C.バッハ 五重奏曲ニ長調 OP11-6
 2. J.C.バッハ ヴィオラ協奏曲 ハ短調(じつはアンリ・カザドシュによる偽作)
 3. モーツァルト 弦楽五重奏曲第6番 変ホ長調 K614
 4. モーツァルト フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K299

 1は独奏がフルート、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、チェンバロの組み合わせ。典雅だが、まあ、ただそれだけの曲。
 2はなかなか味わい深い曲で、河野理恵子さんの演奏もすばらしかった。東京室内管弦楽団の首席奏者だそうだ。横浜バロック室内合奏団団長の小笠原伸子さんは東京室内管弦楽団のコンサートマスターに就任したそうで、今後横浜バロック室内合奏団との交流が深まりそうな気配だ。
 3はこれまであまり聴き込んだ記憶がない。第1楽章の流れに、「ああ、モーツァルトにはまだこのような曲があったのか」と感動した。第一ヴァイオリンが軽やかに高みにのぼっていき、どうだ,といわんばかりになるが、まだ一段その上の高みにのぼる。その見せ場(聞かせどころ)が3回用意されていて、思わず快感にぞくっとする。
 このとき、小笠原さんのヴァイオリンの音色が、高い音程でもじつに柔らかく軽やかに響くことに気が付く。いつのまにこんなに美しい音になったのか。楽器が変わったこともあるのかも知れない。
 そう言えば、チェロのテクニシャン・村中俊之 さんも楽器が変わっている。より深みのある響きを出すようになった。全体に埋もれがちだったヴィオラも、きょうの河野理恵子さんは音が違う。
 4は、モーツァルトとしてはさほど深みを感じさせる曲ではない。ただ、天才のきらめきがあり、聞かせどころ満載の美しい曲で人気がある。響きの美しさをこれでもかというほど追求して作曲した印象だ。
 独奏の高野成之さんは、横浜バロック室内合奏団としては数少ない管楽器奏者の団員だ。この人のフルートは響きがまろやかでうつくしい。
 きょうはあきれたことに楽器の左右が逆になっている。演奏後の本人のトークによると、特別に製作してもらった楽器で、世界に3本しかなく、モーツァルトのこの曲をフルートを左に構えて演奏したのはおそらく世界で初めてだろう、とのこと。
 フルートとハープの組み合わせ、もっとあってもよさそうに思うが、ぼくはモーツァルトのこの曲しか知らない。双方の楽器にそれぞれ聞かせどころをつくり、全体の合奏と独奏楽器のアンサンブルの配分がじつに巧み。カデンツァも合奏の響きも心地よい。
 今晩は、ただただ美しい響きを楽しんでください、というプログラムだった。

 年に4回、みなとみらい小ホールにくるたびに、室内楽の響きの美しさに酔いしれる。贅沢な楽しみであるが、ずっと続けていきたい、と思っている。


名画をフルートにのせて/横浜美術館協力会 設立30周年記念コンサート

名画をフルートにのせて
吉川久子ディスコグラフィ

 2月15日、横浜美術館 講堂で「横浜美術館協力会設立30周年記念コンサート」が開かれた。
 演奏はフルート:吉川久子 さん、ヴァイブ:板垣誠さん、ギター:種田博之さん。
 コンサートは休憩をはさんでの二部構成となっていた。
 第一部は、「横浜美術館所蔵コレクション」の中からフルート奏者 吉川久子さんが選んだ10作品について、それぞれの絵からイメージされる曲を演奏する。
 第二部は、同美術館で現在開催中の「ホイッスラー展」の展示品の中から代表的な8作品が選ばれた。それぞれの絵からイメージされる曲を演奏する、という点は同じ。
 演奏会場では、演奏者の横の大きなスクリーンに、該当の絵が映し出される、という趣向だ。

 まず第一部についてだが、横浜美術館では所蔵コレクションを随時入れ替えて展示しているので、協力会の会員になって数年を経過すれば、選ばれた絵画についてはよく見て知っている作品となる。
 一般的に有名な絵も多い。
 一例を挙げるなら、第一部最初のハイネの絵「ペルリ提督横浜上陸の図」は、ペリーが横浜に上陸したところ描いたもので、横浜の歴史について書かれた書物ではよく引き合いに出され、図版として収録されている。

 次に第二部のホイッスラーだが、ホイッスラーは自分の絵の題名に「白のシンフォニー」とか「ノクターン・青色と金色」など音楽用語を使った題名を付けた。
 ホイッスラーは、たとえ室内で憩う女性の姿を描いているように見えても、あるいは単に港の夜景を描いているように見えても、じつは「純粋な色とかたちの美」を追求しようとしていたのだ。
 だから、肖像画のように見えても「白のシンフォニー No.3 」などと題名を付ける。
 それなら、「絵からイメージされる曲を演奏するコンサート」という趣向も、いかにもホイッスラー展にふさわしい、と言ってよいだろう。


 フルート奏者の吉川久子さんは横浜市磯子区在住だそうで、クラシックからポピュラー、子守唄、日本の曲まで、ジャンルにこだわらない演奏活動をされ、CDもたくさん出されている。
 吉川さんは作曲・編曲もされる方で、プログラムの中には「この曲は何の曲?」と知らない曲も多いのだが、それらはご本人が作曲された曲だ。
 フルートとヴァイブラフォン、ギターという組み合わせは響きがとても心地よく、第一部の奈良美智さんの絵の前後ではぼくは記憶が飛んでいる(笑)。 生演奏を子守唄としてうとうとする、というのは、とても贅沢な時間の過ごし方だ。
 フルートの演奏にこのような感想を書くと、音色の美しさを強調した眠い演奏と誤解されるかも知れない。しかし、たとえば第二部のラストはホイッスラーの最も知られた絵「白のシンフォニー No.3 」にショパンのノクターンを選び、アドリブも入ってジャズ風のテイストのある演奏となり、コンサートの最後を盛り上げていた。

判決破棄/マイケル・コナリー

判決破棄 リンカーン弁護士(上) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2014-11-14

判決破棄 リンカーン弁護士(下) (講談社文庫)
マイクル・コナリー
講談社
2014-11-14


 マイケル・コナリーといえば、いまや米国では名の知られたミステリ作家で、知人にもファンが多いが、彼の主たる作品ハリー・ボッシュ・シリーズについては、ぼくはいまひとつ作品世界にとけ込めず、馴染めないでいた。
 1992年の『ナイト・ホークス』が、ハリー・ボッシュがロス市警刑事として登場する最初の作品だが、主人公のボッシュの性格というのが、著しく陰気なのだ。
 刑事ボッシュはベトナムでの従軍体験がトラウマとなっているという設定で、しかも軍で主として従事していた仕事というのがトンネル工作兵。地下に張り巡るトンネルの暗闇の中で活動する兵士だったボッシュが担当するのが、パイプの中で発見された戦友の死の捜査ということなのだが、それがどのようにつらいことなのか、設定が極端に過ぎてぼくには想像が難しく、感情移入しにくく感じた。
 ボッシュは性格が暗く、警察組織の中でも孤立している。「孤独でタフな刑事の孤立無援の捜査」と書けばおもしろそうだが、無口でストイックなこの男に感情移入して小説を読むのはどうにも疲れる。

 それでも根っからのミステリ好きなので読み続けていたが、版権の問題からか、途中から出版社が変わったり、どういう順番に本が出ているのかわけがわからなくなり、何冊か飛ばしたりしたら、シリーズを追いかける気がしなくなった。
 ほくがマイケル・コナリーを再評価したのは、2009年に刑事弁護士ミッキー・ハラーを主人公とする『リンカーン弁護士』が翻訳出版されてからだ。
 ミッキー・ハラーはハリー・ボッシュと違って陽性だ。悪党からの弁護依頼でも選り好みせず受ける。それが仕事なのだから。そんな悪い奴らの世界によく通じていて、かなりの遣り手だ。証拠の粗を見つけ出して、徹底的に穴を広げ、無罪を勝ち取る。そのようなやり方に、警察関係者や検事たちの評判はすこぶる悪い。 
 この主人公設定はぼくをうならせた。主人公に強く感情移入して、応援せざるを得なくなってくるのだが、それも、複雑な思いを抱えつつ…、なのである。主人公の生き方は果たしてこれでよいのか、というところまで、問いかけてくる。
 ミッキー・ハラーのシリーズは『リンカーン弁護士』に続いて『真鍮の評決』が出て、これがまた完成度の高い小説だった。主人公が一人の弁護士として社会問題に直面し、自分の立ち位置を見定めようとする努力や気構えとを、著者はじつに巧みに描き出しているのだ。

 それでいよいよ本書『判決破棄』だが、本作品ではミッキー・ハラーとハリー・ボッシュの二人を主人公に据え、それぞれほぼ同等の扱いで描き出している。
 
 ———— 24年前の少女殺害事件に対して出された有罪判決が破棄された。DNA鑑定で被害者のワンピースに付いていた精液が服役囚とは別人ものだと判明したからだ。ふつうなら、刑事弁護士ミッキー・ハラーはこの服役囚の弁護を引き受けるという展開になるはずだが、なんと彼は、ロサンゼルス郡地区検事長の要請で、特別検察官として再審を引き受けるのである。
 囚人を服役させた判決は間違っていた! と騒がれているのだから、ほとんど勝ち目がないことはわかりきっている。だが、ハラーの調査員としてハリー・ボッシュ刑事がチームに加わり、服役囚は無罪を訴えているが犯人に間違いがない、と確信して、二人は再審に臨むのだった。ボッシュが、新たな証人を見つけたのだ。 ————

 じつは、このひとつ前のハリー・ボッシュのシリーズ『ナイン・ドラゴンズ』をぼくは読んでいる。
 チャイナ・タウンでの中国人経営者殺害事件の捜査で、容疑者を拘束した直後にボッシュは彼自身の娘を監禁しているぞ、と脅迫を受けるのだ。娘を助け出すべく香港に飛んだボッシュは、前妻と彼女の同僚の力を借りて街中を血眼で探し回る。
 このボッシュはまるで一気に性格が変わったかのようだった。自分の家族、娘が誘拐されたとなれば、さすがのボッシュの陰気な性格もすっとんでしまい、荒れまくるのだ。
 そんな展開だから、読者も感情移入しやすい。『リンカーン弁護士』を出版し成功したことで、大作家コナリーはボッシュ・シリーズの雰囲気までも変えていこうとしているのか、と思われた。

 そこで本書のハリー・ボッシュだが、彼はミッキー・ハラーの調査員としての仕事だといいながら、じつは24年前の被害者の少女に自分の娘の姿を重ねて見ている。だから事件にかかわる彼の姿勢はまたもや仕事の範囲を逸脱して、とても熱く燃えているのだった。

 じつは、またまた「じつは…」で申し訳ないが、『ナイン・ドラゴンズ』のひとつ前の作品に『スケアクロウ』という、LAタイムズの記者ジャック・マカヴォイを主人公にした作品がある。
 「ひと味深みを増した高級なエンタテインメント」と、ぼくは感想を書いているが。とてもおもしろい作品だ。
 同じジャック・マカヴォイを主人公にした『ザ・ポエット』を探し出して読んでみたが、さほど「よくできた作品」とは感じなかった。調べてみると、コナリーの第5作目で 1996年の小説らしい。
 マイケル・コナリーは、間違いなくデヴューの頃から進化している。
 警察小説などという範疇からはすでに抜け出して、より深みのある犯罪小説を書く作家となっているのだ、と感じる。99年から2004年くらいに出版されたマイクル・コナリーを、ぼくは飛ばして読んでいないのだ。少しずつ、遡って読んでみようか、とそんな気になっている。

寒中お見舞い申し上げます

三渓園・臨春閣の黄葉340

寒中お見舞い申し上げます

昨年11月に義父が他界し、当家は喪中ですので、新年の挨拶は失礼させていただきます。
ブログでお付き合いさせていただいているみなさんには、昨年はたいへんお世話になりました。
本年もまた、変わらぬお付き合いをお願い申し上げますとともに、みなさんのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

写真は昨年12月2日に撮影した横浜・三渓園の内苑「臨春閣」です。

ジョルジョ・デ・キリコ展〜変遷と回帰/パナソニック汐留ミュージアム 〜2014.12.26

ジョルジョ・デ・キリコ展表紙
ジョルジョ・デ・キリコ展裏表紙

 横浜美術館の協力会の会報の名称は『ポルティコ』という。
 美術関係の会報の名称に使われるのだから、”Portico” というイタリア語はそこそこ知られているのだろう。建物の外側などに「屋根付きの回廊」がずっとつながっているのを、どうもポルティコと呼ぶらしい。ただ、日本の商店街のアーケードのように安っぽいものではなくて、道路側は石の柱になって、それが連なっている。もっともよく知られたポルティコはトリノにあって、全長18km にもなるという。

 不思議な静けさと孤独感が漂うキリコの絵に、このポルティコがよく登場する。
 キリコはもともとギリシャ生まれで、8歳くらいまでギリシャで育てられたというから、ギリシャ神殿風の石柱や建物、彫刻が登場するのは「なるほど」と思う。しかし、アーチの下が石の柱になったポルティコがよく出てくるのは何だろう? と長らく不思議に思っていた。どの時代のどこの景色なのか、見当が付かないでいた。
 それはどうもトリノの風景らしい。

 キリコは両親がイタリア人で、ミラノ、フィレンツェなどに住み、ドイツ・ミュンヘンの美術アカデミーに入学し、ドイツ哲学、とくにニーチェに傾倒したという。
 1911年にはパリへ向かう途中トリノに滞在した。
 トリノといえばフィアット社で有名な工業都市だが、昼間工場が稼働しているときには街路から人がいなくなってガランとしてしまう、という。
 そのときの印象がよほど強かったのだろう。
 ポルティコが連なる無人の街路、事物によって異なる遠近法で描かれた街に人はいない。そんな絵の画題に「トリノ」の言葉の入ったものもあるから、彼の絵に登場するポルティコが「トリノのポルティコ」であることは間違いないと思われる。

 ニーチェの思想とトリノの街の憂愁がどう結びついたのか、キリコの絵には不思議な魅力がある。
 技術的にはさほど上手だとは見えないし、印刷物にしてしまうとぱっとしない。人の代わりにマネキンが登場したりするから、ただ単に奇をてらっているのではないか、と疑いもしたが、不思議な憂愁をともなう魅力についつい惹き付けられてしまう。
 手元の記録では1973年12月2日に鎌倉の神奈川県立近代美術館へ『デ・キリコ展』を観にいっている。今回調べてみるまですっかり忘れていた。
 「キリコの内面は自分に似ていて共感を持てる画家だ」などと当時のノートに書いてある。「シュルレアリスムというよりは『古代の神話的世界への憧憬』が主調となっており、形而上学的境地を分かち合える友を求めていた」とも記録している。
 そのとき展示されていた自画像に17世紀の服装をしたものがあったことなどから、そんな感想を抱いたらしい。若いときの記録だが、いい線を突いているのではないか、と思う。

 20世紀初頭の画家たちは、とかく理屈を捏ねたがり、難しい言葉をつかって、自分は高尚なことをやっているのだ、と説明したがる。結局は、「他人に自分のやっていることを認めてもらいたい」という意識が強いのだ。
 もともとは「直感的にどうしてもそうやりたい」と描きたい絵を描いているにすぎないのだが、なんとかして言葉で説明して、大勢の人にそれを評価してもらいたいのだ。
 キリコは若い頃から「形而上絵画」を描き始めたが、第一次世界大戦に従軍後精神的に不安定だったらしい。「形而上絵画」と称して風変わりな絵を描きながら、心の底では古典主義絵画にも惹かれていた。ギリシャやローマの時代の美術の、均衡・調和を理想とする静謐な世界に惹かれるのは、キリコの絵に見えているいくつもの素材や世界観から納得がいく。
 ただ、アカデミックな世界への復帰はシュルレアリスムの画家たちからは裏切り行為だと批判されただけでなく、商業的にも成功しなかったので、後年、自分の過去の作品の描き直しや、立体化(彫刻化)に取り組んだりした。
 「形而上絵画」などと、画家自身も批評家たちもむずかしい説明をしているけれど、鑑賞する側としては、まずは「心情的に惹かれるか惹かれないか」であり、「惹かれる」のであれば、自分の内面とキリコの内面と、どこに共通点があるのか、じっくり探してみるのがよいだろう。

〈参考ブログ記事〉デ・キリコ展〜JASON通信

ウフィツィ美術館展/東京都美術館〜2014.12.14

ウフィツィ美術館展表紙 ウフィツィ美術館展ヴァザーリの回廊

ウフィツィ美術館展裏表紙2 ウフィツィ美術館展裏表紙1

 フィレンツェに強い興味を持ち始めたのは、ダン・ブラウンの『インフェルノ』を読んだときからだ。
 『インフェルノ』(ダン・ブラウンの最新作)では、『ダヴィンチ・コード』等の作品でシリーズ化されているハーバード大学のロバート・ラングドン教授が、丸1日間の記憶を喪失した上に、謎の敵に追われ、警察からも
追われて、フィレンツェ市内のまるで迷路のような美術館や博物館などを逃げ回りつつ、苦労しながら謎解きをしていく、という場面から始まる。
 「ヴァザーリの回廊」という建築物が登場する。この「渡り廊下」は広く一般公開されていなくて、ラングドンのようなVIPでないと見学はできないらしい。そこにはメディチ家の数々のコレクションが飾られているという。メディチ家の一族が市内を安全に通行できるようにと、メディチ家の自宅と、仕事場である政庁を直接つないでヴァザーリの回廊を作った、ということらしい。ラングドン教授を追いかけてくる悪漢連中はそんな回廊の存在すらよくわかっていないので、ラングドンは「ヴァザーリの回廊」を使って逃げるという設定だ。
 本当にそんな回廊があるのか? と思っていたら「ヴァザーリの回廊」を案内するという特別ツァーの広告を見かけた。
 その後よく調べてみると、「ヴァザーリの回廊」があるのはウフィツィ美術館であり、ウフィツィとはイタリア語で「オフィス」のこと。メディチ家のコジモ一世の時代に政庁(メタディチ家の事務所)として建てられたのがこの美術館の建物だという。
 芸術を奨励し保護したメディチ家の遺産を多数所蔵しているのがこのウフィツィ美術館だということであり、せっかく名品のいくつかが日本へ来ているのだから、これはどうしても見にいきたい、と12月10日上野まで出かけた。

 上に書いたようなことは、ルネサンス美術の愛好家であればよく知られていることらしい。
 ぼくは近現代の西欧美術からアートの世界に入ったので、古い時代の西欧美術と日本美術について勉強を始めたのはここ数年のことだ。

 さて、いよいよ本展の感想だが、今回の「ウフィツィ美術館展」の目玉はボッティチェリである。
 ルネサンス絵画の区分としては「初期ルネサンス」のほうで、時代を遡るほどぼくは知識が足りないし、実物に触れた体験もない。そもそもこれまで初期ルネサンス絵画の実物をほとんど見ていなくて、知っているのは印刷物だけだ。
 正直に言えば、このボッティチェリという画家の絵は、印刷物にしてしまうと妙に古めかしく、ぱっとしない。そういう印象だった。
 だからこそ、ボッティチェリの実物に接した衝撃は大きかった!

 この美術展の最大の目玉は『パラスとケンタウロス』だと思われる。今回のボッティチェリの作品の中で一番大きく、女神パラスも堂々と描かれている。大作である。
 しかし、ぼくが思わずうっとりとして、その前で長い時間を過ごしたのは聖母子像のほうである。
 《聖母子と天使》《聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル》のふたつが並んでいて、両方ともすばらしい。この日はこの二つの絵を見られただけでもよかった、と思う。地下から一階二階の展示室まで観ていったが、ぼくはこの二つの絵を見直すために地下一階の入り口の横からわざわざ入り直した。
 聖母マリアの表情、赤子イエスの可愛さ、天使やヨハネのすばらしい美青年ぶりは、ボッテイチェリでなければ描けないものだ。線描の美しさ、溶け合うように調和した色彩もすばらしい。
 この色彩のハーモニーは、印刷物にしてしまうと安っぽいものとなって失われる。だから、印刷物ではぱっとしない、古くさい感じになってしまうが、実物を前にするとあまりの美しさに驚く。それがボッティチェリだった。
 ベルジーノなど、ほかにも目を惹く画家の絵はあったが、ボッティチェリの存在はあまりにも大きい。

 こういう衝撃の体験はこれまでにも数多くあって、だからこそ、何回も美術館に足を運ぶようにしているのだが、初期ルネサンス絵画のすばらしさに触れたのはこれが初めてである。
 こういう名画に出会うと、ウフィツィ美術館のような現地の美術館まで出かけて行き、諸芸術を育んだ風土と歴史の色濃く残る現場で、過去の芸術家が残した名画や美術品をたっぷりと時間をかけて楽しみたい、という想いに駆られる。「ウフィツィ美術館展」とは大袈裟だ。所蔵品のほんの一部を日本に紹介したというに過ぎないのである。

 
 

バッハ「マタイ受難曲」指揮:ヘルムート・ヴィンシャーマン/大阪フィルハーモニー交響楽団第483回定期演奏会

マタイ受難曲パンフレット

 バッハのマタイ受難曲を初めて生演奏で聴いたのは、1974年9月19日、小林道夫さんの指揮とチェンバロ、東京ゾリステンの演奏、横浜合唱教会とグロリア少年合唱団の合唱だった。
 当時の自分の感想を読んでみると、「劇的」という言葉を使っていて、「宗教的な感情の高まりに合わせて美しい旋律でこころに訴えてくる曲づくり」というようなこと書いている。
 学生時代からバッハを聴いてきたが、その頃の印象としては「バッハといえば対位法」で、それは積極的に聴き込んでいってようやく理解できる曲であり、ヴィヴァルディなどと比べれば馴染みにくく、旋律で惹き付けられる音楽という印象ではなかった。
 その印象をがらりと変えたのが74年のコンサート体験であり、「バッハには、とてもドラマチックで、感動的で、美しい旋律を創り出す一面がある」というふうに、ぼくの印象は大きく変わった。
 ノートの記録が曖昧ではっきりしないが、ぼくの記憶では74年のコンサートはマタイ受難曲からの抜粋曲集だったように記憶していて、あれ以来、「いつかはマタイ受難曲全曲をコンサートで聴いてみたい」と思っていた。
 
 ネットで知り合った方から「大阪でマタイ受難曲を唱うから聴きにきませんか」と誘いを受けた。
 わざわざ大阪まで…、と最初は躊躇したけれど、パンフレットを見たところ、なんとドイツ・バッハ・ゾリステンを率いていた、あのヘルムート・ヴィンシャーマンの指揮だという。
 あれからもう40年余、この人はまだ元気で活躍されていたのかと驚くと同時に、是非とも聴きにいきたい、と思いが募り、11月24日に大阪のフェスティバル・ホールまで聴きに出かけた。

 マタイ受難曲のよいところはたくさんあるけれど、そのひとつはいろいろな独奏楽器が活躍することだ。オーボエやフルートなど、さまざまな楽器がそれぞれの曲で独奏を受け持つ。
 たとえば第38曲は有名な「ペトロの否認」の場面。
 ———— 最後の晩餐のあと、イエスはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言した。ペトロは「そんなことはけっしてありません」と激しく否定するのだが、翌日イエスが連行されたとき、周囲の女たちから「あなたはイエスと一緒にいた。イエスの仲間でしょう」と詰め寄られる。ペトロは「イエスのことは知らない」と否認してしまう。ペトロは再三問われて、彼がついに3度目に否認した直後に、夜明けの鶏が鳴き声を上げた。それを聞いたペトロはイエスの言葉を思い出して、悲嘆の涙にくれる —————
 いろいろ解釈はあるかも知れない。あれほど「あなたを知らないと言ったりはしません」と強弁していたのに、イエスと共に捕らえられるのが怖くなって、自分は三回も「知らない」と否定してしまった。
 そのみじめさたるやいかほどのものだろう。思い知らされたのは「自分の信仰心のなさ」なのか、それとも「自分のあまりの弱さ」なのだろうか。この場面に続く「憐れんでください、神よ」と祈るアリアは独奏ヴァイオリンとアルト独唱で、痛切な想いを唱いあげる。
 何度聴いても心に響く名曲だ。
 マタイ受難曲の後半は、このような曲が連なっている。

 ぼくにはとくに信仰心はないのだけれど、聖書はドラマチックな物語としても読むことができる。上のような場面は深く胸を打つ。その物語にバッハの美しい旋律が付けられ、独唱、合唱、室内楽の演奏で盛り上げていくのだから、感動せずにはいられない。
 宗教音楽に秘められた強い信仰心は、不信心なぼくにもしっかりと伝わってくるのである。
 
 ヘルムート・ヴィンシャーマンという指揮者については、いまではネットで検索しても多くの情報は得られない。
 この人は1920年生まれのオーボエ奏者で、ぼくがバロック音楽を聴き始めた69年頃には、彼が率いるドイツ・バッハ・ゾリステンの演奏するバッハはとてもよく知られていた。ぼくは毎朝のNHKFMの「朝のバロック」などを楽しみにしていたのだ。
 大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏は、そのドイツ・バッハ・ゾリステンを思い出させるよい響きで、ヴィンシャーマンさんも満足されたのではないか、と思う。福音史家をつとめたテノールの櫻田亮さんがよかった。
 大阪フィルハーモニー合唱団、京都合唱団、和歌山児童合唱団の合唱も含め、全体のアンサンブルがたいへんすばらしかった。
 学生時代からの40数年を経て、バッハのマタイ受難曲でこのようなコンサート体験ができた。ヴィンシャーマンさん、独唱、合唱されたみなさん、演奏してくれた大阪フィルハーモニー交響楽団のみなさんと、コンサートに誘っていただいたFさんに心からお礼を申し上げる。

NHK交響楽団 トップ奏者による クインテット/横浜共立学園講堂(2014.1.23)

トップ奏者によるクインテット

 「NHK交響楽団 トップ奏者による クインテット」と言われても、じつはコンサートへ出かけていくまで、どういう事情か理解していなかった。
 会場は横浜共立学園の講堂であり、主催は横浜共立学園後援会だ。
 横浜共立学園は、明治4年米国婦人一致外国伝道協会から派遣された3人の女性宣教師によって設立された団体を起源とする、プロテスタント・キリスト教による女子教育機関だ。現在は女子中学校・高等学校として運営されている。わが家は妻と長女がともにこの学校を出ており、後援会組織は強固で、いまでもこのような演奏会の情報が入ってくる。
 後援会の依頼でN響のトップ奏者5人を招いて演奏してもらう、ということで今回の演奏会が成立したようだ。

 チェロの藤村俊介さんがプログラムに書かれている様子では、弦楽四重奏団としてはよく一緒に演奏しているらしい。第一ヴァイオリン山口裕之さん(元N響コンサートマスター)がリーダーで、第二ヴァイオリン宇根京子さん、ヴィオラ 飛澤浩人さん、チェロ 藤村俊介さんの四人の四重奏団だ。
 この日はこれにクラリネットの松本健司さん(N響首席クラリネット奏者)が加わり、プログラムは以下の通り。
 ベートーベン:弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 OP18-4
 モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
 ベートーベン:弦楽四重奏曲 ヘ長調 OP59-1 「ラズモフスキー第1番」


 自分にとってもっとも馴染みが深く、聴き込んでいるクラリネット五重奏曲 について書こう。
 まずうっとりとしたのはクラリネットの音色、アンサンブルの響きだ。よく知っているはずのこの曲、こんなに美しい曲だったか、という驚き! よくよく聴いてみれば、曲そのものがクラリネットという楽器の音色を引き立てるように作られているのだが、わかっているつもりに過ぎなかった。クラリネットと弦楽四重奏という組み合わせはこれほどに美しい響きを創り出すのだということに、ぼくはあらためて感動していた。
 このすばらしいアンサンブルの完成度はいったいどうしてこれほどまでに磨き上げられているのか?
 藤村俊介さんが書かれていることを読むと、通常1回のコンサートのために、3回リハーサルをすれば少し念入りか、という感じだそうだ。ところがこの弦楽四重奏団のリーダー山口裕之さんは、自宅にメンバーを呼び、リハーサルは30回をくだらないのだという。昼間メンバーの時間が合わないときは、たとえば夜22時に始めて、終電がなくなり、ホテルをとってでもリハーサルをやることがあるという。
 それぞれがトップクラスの奏者である上に、そこまでして磨き上げたアンサンブル! そうか、そういうことか! それほどまでにして聴かせてくれているのか、と嬉しくなる。
 
 ところで、冒頭で述べたような演奏会だから、たとえば先生に聴くように言われたからという女子生徒とか、PTAのお母さんで友人に誘われたからとか、そんな感じの方々もたくさんいる。
 会心の演奏だったらしく満足した笑顔の演奏者五人に、拍手はたった一回鳴り響いただけだった。ぼくはなんだか演奏者に申し訳ない気持ちがして、一生懸命拍手していた。
 でも、きっとこれでよいのだろう。身近ですばらしい演奏に接することができる。クラシックに限らず、音楽とはそういうものであってほしい。

最重要容疑者/リー・チャイルド

最重要容疑者(上) (講談社文庫)
リー・チャイルド
講談社
2014-09-12

最重要容疑者(下) (講談社文庫)
リー・チャイルド
講談社
2014-09-12


 冬のネブラスカの夜、ジャック・リーチャーは東部に向かおうとしていたが、拾ってくれる自動車はない。
 一人で旅をしている大男、鼻の骨が折れているし、誰だって自動車に乗せるのは躊躇するだろう。
 それでもようやく、州間道路の路肩で、彼は一台の自動車に拾われた。
 ドライバーの男と助手席の男、それに後部座席に女が一人。
 助手席の男が気さくな感じで「その顔、どうしたのか訊いてもいいかな?」と尋ね、リーチャーが「歩いていてドアにぶち当たった」と応えて、探り合いの会話が始まった。
 リーチャーも行き先とか簡単なことを尋ねるが、男二人は辻褄の合わない話を続け、後部座席の女は不安げに黙り込んでいる。何やら変だ。自分はもしかして、とんでもない連中の自動車に拾われてしまったのではないか? とリーチャーは疑い始める。
 その頃、付近の町では殺人事件発生の報を受けて、FBIが動き始めていた。

 ——————————————————————

 本書はジャック・リーチャー・シリーズの17冊目だそうだ。
 昨年トム・クルーズの主演で映画化された『アウトロー』が公開され、それをきっかけに原作も読まれて、ぼくのようにこれまで見逃していた冒険小説好きの読者が再評価し始めた。そのため『キリング・フロア』や『前夜』などの在庫も急に売れるようになり、この17冊目の翻訳出版が決まったのだろう、と思われる。
 映画の『アウトロー』も、トム・クルーズがジャック・リーチャーのイメージとはまったく異なるにせよ、なかなかよい出来だった。

 ジャック・リーチャー・シリーズが続いている理由は、なんといっても主人公ジャック・リーチャーの魅力と、その描き方が巧みであることが理由だろう。
 リーチャーは元陸軍少佐で、仕事は軍の警察部門、すなわちMPの凄腕捜査官だった。軍を退役したあとは放浪生活を楽しんでいて、住所は不定、定職も身寄りもない。恋人も友人もなく、クレジット・カードも、携帯電話さえ持っていない。
 事件に巻き込まれ、人助けや捜査の手伝いをする羽目になっても、彼が過去を明かすことはめったにない。
 しかし、鍛え上げた肉体と強靱な精神力を持つブロの軍人だったのだから、リーチャーを甘く見たら必ずしっぺ返しを喰らうことになる。
 本書でも、ただ犯人連中の自動車に拾われただけなのに、警察やFBIからは誤解され、犯人連中はそれを利用しようとするし、リーチャーの立場はどんどん悪くなっていく。
 リーチャーはしかし、いつも覚めた目で犯人たちを分析している。拳銃を向けられても、相手の腕を見極め、どうすれば怪我をしないで反撃できるか、そんなことを冷静に計算している。そうしたひとつひとつの描写と表現が読者を唸らせる。ジャック・リーチャーのシリーズはアクション、サスペンスを盛り込んだエンタテインメントだけれども、その本質はヒーロー小説なのだ。
 どこでリーチャーの反撃が始まるか、と読者はわくわくして待っている。そこはちょっとディック・フランシスの競馬ミステリを思い出させる。本書はまるでロード・ムービーのようで、スタイルはいかにも米国の小説だけれども、主人公の描き方は英国の冒険小説のようだ。
 『アウトロー』も『キリング・フロア』も『前夜』もおもしろかった。リー・チャイルドの小説が翻訳されれば、ぼくは躊躇せず購入して読み始めるだろう。

東田陽子 ソプラノ・リサイタル/港南区民文化センター「ひまわりの郷」

東田陽子リサイタルパンフ表紙
東田陽子リサイタル裏表紙

 横浜共立学園中学校高等学校には、生徒たちのお母さん方が組織した Evergreen Choir という合唱団がある。一部の母親たちは、生徒が卒業した後も合唱を続けたいと、OBで コロデロサという合唱団を作り、いまでも活動を続けている。
 妻が Evergreen Choir で唱っていたときの先輩に、東田陽子(とうだようこ)さんがいらした。この学校には親子二代で横浜共立学園で学んだ方がたくさんいる。東田陽子さんご本人も妻と同様、横浜共立学園のOBで、音大を出て活躍されてきた方だ。
 その 東田陽子さんのソプラノ・リサイタルを、10月29日、港南区民文化センター「ひまわりの郷」まで聴きにいった。本来は9月30日に横浜みなとみらい小ホールで予定されていたリサイタルだが、ご本人の都合で延期となっていたものだ。

 このリサイタルは東田陽子さんが「日本のこころ」と題して取り組んできたシリーズの第6回目だ。
 前半二部、後半二部に別れたプログラムで「おとなのための童謡曲集」「小倉百人一首より」「星野富弘の世界」「名歌を集めて」の四部となっていた。
 「おとなのための童謡曲集」は岩川智子さんという方が大人のクラシックファンのために編曲した童謡曲集で、歌唱と同様に松浦朋子さんのピアノ伴奏が活躍する。伴奏といっても、曲のイメージをかたちつくる上で大きな役割を果たしている。
 この編曲は見事なもので、とくに最後の「花かげ」がよかった。「十五夜おつきさま ひとりぼっち…」と、幼い妹が嫁に行く姉に残された孤独感を詠うあの曲である。
 桜吹雪の十五夜の晩、花嫁姿の姉は遠いお里に嫁いでいく。「桜ふぶきも十五夜という華麗な背景の描写」が加齢であればあるほど、「いい知れぬ寂しさ」がつのるというもので、東田陽子さんの歌唱と松浦朋子さんの伴奏は深い感動を呼び起こした。
 
 ぼくがあれこれ考え始めたのは第二部「星野富弘の世界」になってからである。
 星野富弘さんは頸椎損傷で手足の自由を失い、口に筆をくわえて文や絵を書き始めたというすごい方だ。「いのち」「秋のあじさい」「よろこびが集まったよりも」「たんぽぽ」「母の手」などの詩は繊細で、このような「ものの見方」もあったか、と気づかされることが多い。身の回りの些細なことに気が付いて、そこに幸せや悲しみや、いろいろな感情を投影する。
 ぼくは第一部の「花かげ」で感動したことを思い返しつつ聴いていた。
 あの歌の感動はなにやら悲しく、深く沈潜するものだった。桜の花吹雪散る頃、十五夜の夜にくるまに揺られて嫁に行った姉のことを思い返し、残された妹が寂しさを詠っているが、この詠唱は若くして見ず知らずの男の元へ嫁に行く、姉の不安を投影した悲しみでもあるようにも感じられて仕方がない。
 日常の中のちょっとした会話、親子や姉妹のまじわり、身の回りの些細なこと、季節の変化などにもよく気が付いて、そこにささやかな幸せを感じる、というのは、「日本ならではの深い詩心」のなせるわざであり、完成度が高いから感動を呼ぶのだと思うけれど、でも、それはあまりにも閉鎖的で、狭い世界で満足し、外へ向かう気持ちを持たない、ということでないのか、と思ったのである。
 働く女性がなかなか増えないこと、その地位も低いままなかなか昇進しないことは、社会問題であり、封建時代から女性の地位が低く抑えられてきたことに理由があるのだけれど、でも、「それは仕方がないから、日常の小さなことに幸せを見出して生きるのだ」と、そういう文化が根付いてしまい、だからなかなか改善されないのではないか、とも思うのである。
 いや女性だけではない。いまは若者が海外へ出たがらない。狭い世界で親しい友人たちと繋がっていることに満足し、高望みせず、平安な生活を望む。海外赴任などしたくないし、別に昇進しなくてもいい。
 これはもう、日本の文化としてかなり根深いものなのではないか、とそう想いを巡らせた。
 「日本のこころ」と題したこのソプラノリサイタルで唱われる曲は、「身近な世界に満足して幸せを感じる」という心情を謳ったものがあまりにも多い。いや、それがまさに「日本のこころ」なのではないか。
 良い悪いを言っても始まらない。これはわが国の伝統的な文化背景そのものなのではあるまいか、と。

 星野富弘さんの詩の中の言葉に「小さな心にさえ囲いを作っている私」という言葉がある。
 囲いを作ってその中で幸せです、満足いたします、ということでよいのだろうか。
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