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フリーター、家を買う/有川浩

フリーター、家を買う。
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 本書は先にテレビ・ドラマを見ている。家族に付き合ってなんとなく見ていた程度だ。
 有川浩さんらしくない、ずいぶんと暗い物語だ、というふうに受け取っていた。
 読み始めてみると、フリーターになる心境や若者たちの甘えなど、よく描けていて感心する。読みどころは家庭内の危機に際して、「こうはしていられない」と主人公の武誠治が大きく成長していく部分の描き方だろう。

 自分が初めて就職した頃のことを考えてみると、ぼくはもう配属三日目に「どうしてこんな会社に入ったのか」と後悔していたし、「辞めてしまいたい」と思っていた。誠治同様に「これが自分に似合った仕事とはとても思えなかったし、このような会社で一生働いていくのかと思うと暗澹とした気持ちになった。しがみつくか辞表を出すかは紙一重で、自分には辞表を出すだけの度胸がなかったし、そのうち給与が入り始めて、当時はそれがどんどん上がったから、それに惹かれて辞められなかった。
 いまでも「自分は職業の選択を間違えた」という思いは強いが、人生はもはややりなおせない。
 だから、「現代の若者は…」などというつもりはまったくない。わが家へ営業に来るN証券のI君や、製薬会社の三重営業所に赴任した長男のことを思うと、よく我慢して働いている、と感心する。彼らは仕事が性格に合っているのかも知れないが、自分はいまでも仕事が自分の性格に合っていたとは思えないし、我慢に我慢を重ねたストレスが現在の健康の悪化に大きく影響していると思う。

 仕事をスパッと辞めてしまってもなんとか生活はできる、というのは、現代の日本がそれだけ豊かで便利になっているからだろう。ただ、将来の見通しということを考えると、70年代の日本と今の日本とでは大違いで、今の日本には大きな不安がのしかかっている。
 「若い世代に負担を押しつけるべきではない」という気持ちと、「せっかくここまで我慢してきたのだから、失った時間を取り戻すためにも回収する側に回りたい」という気持ちが、ぼくの中で争っている。

 余談が長くなったが、そういうふうにいろいろと考えてしまう小説であることは間違いがない。
 そして、本書のもうひとつの大きな問題、誠治の母親の精神的な病は、父の誠一が家庭を顧みずに放置していたこと、誠一と誠治の家庭内対立、誠治の甘えなどから生じる負担を、母親が誰にも告げずにただ我慢し続けてきたことに起因している。
 日本の企業社会は、社員にあまりにも膨大な負担を強いるので、仕事をしている者が家計を支えるためには家庭を顧みる余裕がない。それが、かつての会社生活のあり方だった。個人の都合を優先することは、会社生活から脱落することにほかならなかった。それがさまざまな歪みを創り出し、ときにはこのような悲劇を生む。
 十年ほど前からこうした企業社会の欠点は大きく是正されてきて、グローバルスタンダードということがいわれるようになり、企業と会社員個人の関係は対等な契約関係にあるという考え方が主流になってきた。その代わり、会社員生活はきわめて窮屈なものになり、勤続を続けていても給与はたいして上がらず、退職金や年金などの見返りも厳しいものになってきた。
 過渡期を過ごした自分たちはずいぶん損をしている、というひがみの気持ちさえ、ぼくは内心抱え込んでいる。
 
 テレビ・ドラマで覚悟をしてはいたが、あまりに暗い始まり方をするこの小説は、後半になって明るさを取り戻す。テレビ・ドラマほど執拗に、地域社会からの虐めを強調することもなく、誠治の成長振りに焦点が当てられていく。ラスト近くはいかにも有川浩さんらしく、希望を残す終わり方で好感を抱く。

暴雪圏/佐々木譲

暴雪圏 (新潮文庫)
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 暴力団の組長の留守を狙っての強盗。大胆不敵だったがはずみから組長夫人を射殺。
 そんな事件が起こったのは北海道東部帯広郊外の志茂別の町、『制服捜査』の川久保巡査部長が駐在警察官として赴任している町だ。この日、「彼岸荒れ」といわれる季節外れの猛吹雪がこの地方を襲おうとしていた。季節外れだけに過去にも何回か被害が大きくなり、町の中で子どもが遭難し死亡する事件まで起きている。
 たまたままさにこの日、志茂別の町では町民たちにいろいろな動きがあった。不倫関係で男に執拗に迫られていた若い主婦が、いっそのこと一気に精算して男を殺してしまえないか、との誘惑にかられている。母が吹雪で帰れない夜、義父と二人だけの夜を嫌って家出した女子高生もいる。事務所の金庫にある大金に目がくらみ、将来性を悲観した中年の事務員が、「いっそのこと…」と誘惑にかられて最後の決断をしようとしている。
 こうした大勢の登場人物が、はからずも季節外れの吹雪のため狭い地域に閉じ込められてしまい、彼らの運命は複雑にからみあう。
 川久保巡査長は、ただでさえやっかいなこの日、猛吹雪で事故が起きやすいという茶別橋のたもとで、死体が見つかったとの電話を受けた。うかつに出て行けば、二次遭難さえ心配される猛吹雪だというのに…。

 このような複雑な設定の物語を、ものの見事に描き尽くして読者を楽しませてくれるのが佐々木譲さんだ。一昨日の感想で『HEROごっこ』という小説を「小説ごっこ」のようなもの、と延べたけれど、本書を読んだ直後だったから、この落差をつよく意識したのは仕方ない。
 数多くの登場人物の複雑な心境を見事に描きながら、彼らが次第にひとつところに集まってきて、吹雪の一夜を乗り切り、それぞれに自らの想いに決着を付け、やりかけの仕事に仕切りを付けて、また別れていく。川久保巡査部長はしっかりと事件を解決する。これこそ小説の醍醐味だと言えるだろう。

近代日本画名品展〜横山大観から平山郁夫まで〜/日本橋三越

近代日本画名品展

 日本橋三越で2月6日まで開催されていた美術展だ。
 近代日本画の名品を蒐集する吉野石膏株式会社及び公益財団法人吉野石膏美術振興財団というのがあるらしい。私は今回初めてその存在を知り、この美術展で初めてそのコレクション触れたが、名品が集められていてすばらしい。
 出品画家名を列挙すると、横山大観 上村松園 鏑木清方 小林古径 安田靫彦 前田青邨 奥村土牛 速水御舟 小倉遊亀 伊東深水 上村松篁 岩橋英遠 片岡球子 東山魁夷 杉山寧 奥田元宋 盪鈎ね此_短核造 平山郁夫 (生誕順)ということになる。
 百貨店での展示だが、誰と誰が親しい関係にあったかなどもきちんと解説されていて、わかりやすい展示の仕方となっている。
 以下に三越のホームページの解説を転記して、今後の学習のため残しておきたい。

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 明治維新の後、日本に多くの西洋文化が流入し日本の美意識は揺れ動かされました。その激動の時代、研鑽する中で新しい表現を模索して行きます。日本美術院、いわゆる院展では、横山大観・安田靫彦・小林古径らが中心となり作品を発表、一方で国の美術展である文部省美術展覧会「文展」では、「帝展」「日展」へと変遷する中で、上村松園が京都画壇を代表する作家として活躍するなど、お互いが切磋琢磨しながら近代日本美術の発展に大きく貢献しました。終戦を迎えると、更なる革新を目指す「創画会」が結成され、更に多様な表現が展開されました。戦後の復興から、高度成長期へと進む昭和の時代を代表する画家としてあげられるのが、文化勲章を受章した東山魁夷・杉山 寧・盪鈎ね此Σ短核造・平山郁夫らです。それぞれが新たな創造を求め、時代と共に歩み続けた巨匠たちは今日、「五山」とも呼ばれています。
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 今回とくに印象に残ったのは上村松園の「青眉」、前田青邨の「洞窟の頼朝」、片岡珠子の「めでたき富士」などだが、すっかり魅せられたのが上村松園だ。
 「上村松園展」というのが一昨年10月頃東京国立近代美術館であった。ぼくの念頭にあったのは浮世絵の美人画であり、まああんな程度のものだろう、と思って観に行かなかった。横浜美術館で何回か上村松園の作品を観る機会があったはずだが、とくに注意してはいなかった。
 今回「青眉」ほかの数点を間近に見てびっくりした。たとえば「くちびる」の表現だ。浮世絵などとはまったく違うではないか。なんとまあ、優美で…繊細な! 美人画の線描輪郭などは従来の日本画の輪郭線と同じだという思い込みが、私の目をくらませていた。細部にこれほどの表現力があるとは。気がついていなかった。
 しまった! と思った。
 一昨年は亡父の相続税申告手続きなどで忙殺されていたこともあるが、なんともったいないことをしたものか。この日1月25日は午前中に山種美術館で同館所蔵のコレクション展を見てきたばかりだが、こういうことがあるから、コレクションが表へ出てきて公開されたというようなときには、できるだけ労を惜しまず見ておかなければ損をする。
 こうしたことには欲張りな私だが、今回はまた、つくづくとそう思ったのだった。

HEROごっこ/山下貴光

【文庫】 HEROごっこ (文芸社文庫 や 1-2)
【文庫】 HEROごっこ (文芸社文庫 や 1-2)
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 慶應病院の眼科の待ち時間が余りに長時間なため、持参していた佐藤譲さんの『暴雪圏』を読み終えてしまい、帰りの電車で読む本がなくなったため、慶應病院近隣の書店で楽に読めそうな本を…、と気軽な気持ちで購入した。
 『HEROごっこ』は期待通りだった。それまで読んでいた『暴雪圏』が小説だとするなら、まあ「小説ごっこ」という程度の仕上がりだが、おもしろくないわけではない。軽く読みとばせてまずまずおもしろく楽しめる本には違いない。
 表紙裏の紹介文をそのまま引用する。
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 ある日、さえない僕が大学で出会ったイケメン・成宮。ひょんなことから、彼の副業「車泥棒」の見張りをするはめになる。今回のターゲットは高級スポーツカー・ランボルギーニ。ところがいざドアをこじ開けてみると、そこには美少女が横たわっていた。はからずも巻き込まれてしまった誘拐事件は、思わぬ展開を見せていく。綿密な計画で練り上げられた「黒幕」の驚きの目的とは?
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 決断力に欠ける性格の学生主人公が、授業で隣り合わせて仲良くなった成宮という男の傍若無人な我が儘、屁理屈に振り回されて、次第にヤバイ事件に足を踏み入れ、抜き差しならなくなっていく様子がおもしろい。ふつうならあたふたする展開だが、成宮という青年が憎めない美男子のインテリなので、緊縛感がないままに主人公は深みにはまっていき、そこへ誘拐事件の被害者である美少女が登場する。ふつうなら警察に届けてそれでおしまいなのだが、成宮がすなおに少女を親元へ帰そうとしないのだ。
 ふつうなら、とこれで「ふつうなら」が三回も続くが、とてもあり得ないような設定で、いくら主人公がお人好しだとはいえ、成宮の我が儘に振り回されっぱなしというのがじつに不自然な展開だ。ところが、物語は半ばユーモア小説のノリで書き継がれていくので、そのバカな設定をそのまま鵜呑みにして、ついつい読み進んでしまう。これは著者が上手なのか、まるで読者をバカにしているのか…(笑)

 読み終えて、だからどうこうというような物語ではない。気楽に読めてそれでよし、と言ったところだろうか。

ザ・ベスト・オブ 山種コレクション(戦前から戦後へ)/山種美術館 〜2月5日

ザ・ベスト・オブ山種コレクション表紙 ザ・ベスト・オブ山種コレクション裏表紙

 山種美術館は、山種証券の創始者である山種二さんが個人で集めたコレクションをもとに、1966年7月、日本画専門美術館として開館したものだ。
 創始者の山種二さんは「絵は人柄である」という信念のもと、横山大観や上村松園、川合玉堂ら当時活躍していた画家と直接交流を深めながら作品を蒐集し、奥村土牛のように、まださほど知名度は高くなくとも将来性があると信じた画家も支援してきたという。

 今回の「ザ・ベスト・オブ山種コレクション」後期(戦前から戦後へ)の展示は、まさにそうした世代の絵が中心となっている。
 とくに目に付いた作品は、黄衣の少女/和田英作、鳴門/奥村土牛、年暮る/東山魁夷、炎舞/速見御舟、満ち来る潮/東山魁夷、醍醐/奥村土牛、名樹散椿/速見御舟などだが、ほかにもいろいろな作風の画家を一同に見られ、比較できるのがよかった。
 山種美術館のコレクションは1800点あるそうなので、今後も何かの折に展示され、今回の作品とも再開することがあるだろう。

 東山魁夷の「満ち来る潮」奥村土牛の「鳴門」は、スケッチ、下絵が展示されている。波や渦という形のはっきりしないものを、どのように描けばそれらしく見えるのか、二人のスケッチと完成した絵とを比較して見るのはおもしろかった。そのおおもとには実際に見た光景があるのだろうが、波、岩、渦の配置は、それらがもっともそれらしく見えるよう配置を選んで描くのが日本画であり、とくに渦や波のような変幻自在のものについては、どういう瞬間を捉えて描くのか、そこが腕の見せ所だ。
 詳細な下絵があっても、出来上がった絵は意図的な省略などがあり、下絵とはまた違っている。
 たまたま松井冬子展で松井冬子さんの下絵と完成画の比較をしたばかりでもあり、とても興味深いものがあった

二流小説家/デイヴィッド・コードン

二流小説家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
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 ニューヨーク在住の冴えない中年作家ハリーは、複数のペンネーム、女性の著者近影まで借りて、シリーズ物のミステリ、SF、ヴァンパイア小説などを書きまくり、なんとか食いつないできた。
 恋人には愛想を尽かされ、家庭教師のアルバイトをするまで落ちぶれたが、家庭教師をしている女子高生にまで小馬鹿にされる始末だ。
 そんなハリーに大逆転のチャンスが訪れる。かつてニュヨークを震撼させた死刑囚の連続殺人鬼ダリアン・クレイが、告白本を執筆したいと、兼ねてファンだったミステリの作家に依頼したいと、ハリーへ依頼してきたのだ。うまくいけばベスト・セラー! このチャンスをしっかり掴んで頑張りなさいと、教え子の女子高生に応援されてハリーは刑務所に出向いていく。
 だが、死刑囚ダリアンの依頼にはややこしい条件が付されていた。
 変わった構成の小説で、ハリーが書いていたミステリ、SF、ヴァンパイア小説の一部が途中に挿入されたりする。なるほど、ハリーはこんなくだらない小説を書き殴って食いつないできたのかとか、読者はいろいろな想いを抱いてこの部分を読まされる。しかし小説中の人物と違い、本物のハリーは案外と手堅い。奔放な女子高生のクレア・ナッシュとの仲は、脱線寸前で止まっている。
 主人公を取り囲む女性たちがうまく描き分けられていて、なかなか読ませる。元恋人のジェインは新しい恋人を捕まえてハリーをまったく相手にしないが、自分の出版の仕事にプラスになりそうだとわかると手を返したように近寄ってくる。連続殺人鬼ダリアンの被害者の姉で、職業ストリッパーのダニエラ・ジャンカルロ、ハリーと親しくなるが事情が事情だけにハリーは慎重だ。ダリアンの弁護士キャロル・フロスキーの助手テレサ・トリオ、ハリーと親しくなりかけるように見えたが、どうもややこしい性癖の持ち主らしい。
 このように主人公を取り囲む登場人物たちが、じつによく描けていて、本書の大きな魅力となっている。
 分厚い本の前半、ブロットはゆっくりと進み、後半から急展開して、新たな死体が出てきたり、意外な事実が判明し、予測もつかない展開が見られる。いかにもミステリらしい著者の仕掛けだが、ぼくが本書を誉めるとすれば、意外な仕掛けとか、そういう点ではない。ハリーの負け犬っぷりがいい。落ちぶれていても案外と手堅く、彼なりの倫理観があり、無茶な冒険をしない。ハリーの尻を叩いて動かすのは女子高生クレアだったり、ストリッパーのダニエラだったり、そういうハリーの迷走振りがうまく描けていておもしろいのだ。
 1月23日の『卵をめぐる祖父の戦争』の感想でも書いたが、小説を読む楽しさは、何よりも「語りの上手さ」であると思う。

松井冬子展/横浜美術館 〜 2012.3.18まで

松井冬子展表紙 松井冬子展裏表紙

 松井冬子さんの絵でもっとも気に入っているのは、東京藝術大学の学部の卒業制作、の2002年の「世界中の子と友だちになれる」だ。本作品は横浜美術館に寄託されていて、美術館はほぼいつでも常設展示室に展示しているから、好きなときに行って眺めることができる。
 藤棚から長い藤の花が下がっていて、左端に少女が左向きに腰を屈めて奥のほうを探っている。右の下方には藤の花の影にゆりかごが見える。
 一見美しい景色に見えるが、よくよく観察すると裸足の少女の手の指や足の指は痛んで出血しているし、垂れ下がった藤は下のほうが黒く変色している。たくさんのスズメバチが群がっているか、もしくは藤の花がスズメバチそのものに変化してしまっているのだ。

 《世界中の子と友達になれる》というのは、少女時代の松井冬子さんの素朴な確信だったのだそうだが、やがて彼女は、その確信は「絶対的に実現不可能な狂気の思い込み」だったと気づくに至るのだそうだ。
 そういう意味で、この絵は松井冬子さんの出発点と言えるのだろう。生と死、正常と狂気、美と腐敗というような、そうしたものの境界は、まさに紙一重とでもいうような、そういう作品が並んでいる。
 はらわたをさらけだした女の姿は、おぞましくも美しい。そのすれすれのところを、画家は好んで描いている。
本人は「狂いそうで狂わない。絵もそうであってほしいし、美術はそうあるべきかなと思います」と2005年には語っていた。

 横浜美術館によれば、松井冬子(1974年静岡県森町出身)さんは、油彩画を学んだのち、日本の古典絵画の技法に、表現上の魅力と可能性を見いだし、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻に入学したそうだ。西欧画の手法から日本画への転向というその経歴は、本展を見ていると、もっとも重視すべきところではないか、と思われる。
 仕上がった絵を見ていると、細部が不鮮明で、暈かしが入っていて、「これは何だろう? よくわからない」という部分がかなり目立つ。たとえば横たわった少女の、裂かれた腹の中のはらわただ。
 ところが、その絵にはじつは下絵があって、そうした下絵が本展では数多く展示されている。下絵はまるで解剖図で、細部まで詳細に描き込まれ、ごまかしは一切ないように見える。完成画は絹本着色であり、下絵から完成画へ写し取るようにして描いていくのが日本画の手法だ。ここで松井さんは今度は暈かしを入れ、輪郭を不鮮明にしたりしている。輪郭や細部を鮮明に描くのが本来の日本画であり、結局松井さんの手法では、日本画の手法と西欧画の手法が巧みに組み合わされていることがわかる。

 はらわたを露出した女性の死体が横たわっている状態が描かれているのかと思い、本人に尋ねると、松井冬子さんは「彼女は死んでいるのではない」と答えるそうだ。存在の不確かな状態を描きたい、それで何かを伝えたい、というのが本人の狙いらしい。その絵から何を感じるか、それは鑑賞する私たち次第である。

雑誌 Newton 2月号 特集「眼を徹底解剖」

newton 2月号 眼を徹底解剖

 科学雑誌Newton の2月号の特集は「眼を徹底解剖」ということで、「眼球のしくみから治療の最前線まで」という副題がついている。
 いつもなら特集から読み始めるのだが、ぼくが真っ先に読んだのは
 「特報第一弾 ヒッグス粒子」だった。2011年12月11日、CERNが「ヒッグス粒子発見か?」と発表して、「ついにここまできたか」と衝撃を与えたのだ。
 クォークとかニュートリノとかの話はよく聞くがヒッグス粒子については初めてという方も多いだろう。他の素粒子に質量を生じさせている素粒子で、理論上必ず必要だが未だ発見されていなかったのがヒッグス粒子なのだ。
 4ページのみの特報でやや物足りなさを感じるが、じつはNewton の3月号が1月26日に発売されており、「特報第2弾」が掲載されている。この記事は8ページもあって、こなり詳細な内容となっていた。今後のCERNの発表を注視していきたい。
 また、本号には「ベテルギウスの超新星爆発予想」についての詳細な解説記事があり、これもかなり読ませる。超新星爆発が起きれば、日中でもはっきりと確認できるくらい明るく輝くそうだ。
 もうひとつ「宇宙に果てはあるのか?」という特集もおもしろい。一般に宇宙の広さは現在ではざっと137億年として知られているが、これは「見える範囲は…」という前提である。宇宙年齢が137億年であるから、そこまでしか見えないが、その後宇宙は加速度的に膨張して拡大しているので、距離にすれば470億光年の彼方が宇宙の果てだそうだ。つまり137億光年の向こう側に、さらに似たような世界が拡がっており、そのどこから見ても、137億光年の距離までしか見えない、ということになる。

 最後に、特集「眼を徹底解剖」についてだが、ぼくの眼はバセドー氏病の影響で眼球に歪みが生じ、視神経がある程度の圧迫を受けている。視野の上端と左右端で物が二重に見えるという現象が起きている。
 そこへ加齢による緑内障などの恐れが今後日に日に加わってくる。白内障も加齢で少しずつ進むことになる。いまは無事であっても、いずれいろいろな異常が出てくるはずだ。
 眼は半分は脳と同じで複雑な情報処理まで行っている器官でもあり、この複雑さを正確に理解しておくことはぼくにとってどうしても必要なことだ。後回しで読んだのだが、これもとても興味深い特集だった。

少年弁護士セオの事件簿2「誘拐ゲーム」/ジョン・グリシャム

誘拐ゲーム (少年弁護士セオの事件簿)
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 ジョン・グリシャムのジュニア・ミステリ。十三歳の弁護士志望の少年が活躍する「セオの事件簿」シリーズの第二話だ。
 第一話でセオの家庭の様子や、学校の友人たち、ストラテンバーグの町の法曹界の人々など、ある程度の紹介が終わっているが、今回は幼友達のエイプリル・フィネモアが夜中に家からいなくなって、誘拐事件らしい、ということになる。同じ時期にエイプリルの母方の親戚で服役中の男がカリフォルニア刑務所から脱獄しており、この男がエイプリルを拉致したのではないかという疑いから、警察が捜査を始める。
 セオと友人たちは、放課後に捜索隊を結成するのだが、警察はこ子どもたちの活動にはあまりよい顔をせず、圧力をかけてくる。
 学友を心配して居ても立ってもいられない友人たちの気持ちと、万が一の二次災害を懸念する大人たち、そんな中で、エイプリルの母親が事件当夜どこかへ行って家にいなかったことを知っており、複雑な家庭事情を承知しているセオは、「エイプリルのことなら彼女の家族よりも自分のほうがよく知っている」との気持ちが強い。
 法律に詳しく常に大人の対応を心掛けているセオだが、終盤では叔父のアイクの協力を得て、両親の許可なくノースカロライナの大学までエイプリルを救い出しに行く、という大冒険を敢行する。
 州ごとの裁判所の組織だとか、司法取引とか、米国特有の司法制度が学習できるほか、大学のフラタニティや学内でのネットの活用の実態などが描かれて、そういうところも興味深い。この本を読んでいたおかげで、ぼくは映画「ソーシャル・ネットワーク」のことをよりよく理解できた、と思う。

卵をめぐる祖父の戦争/デイヴィッド・ベニオフ

卵をめぐる祖父の戦争 (ハヤカワ文庫NV)
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 いま話題の小説に『二流小説家』というミステリがある。ぼくはまだ読み始めたばかりだが、その冒頭に
 「小説は冒頭の一文が何よりも肝心だ。唯一の例外と言えるのは、結びの一文だろう
 …と書かれている。
 本書『卵をめぐる祖父の戦争』はその好例だろうか。

 「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になる前にドイツ人をふたり殺している」と、こう始まったらおもわず引き込まれる。いったいどんな物語が始まるのだろうか、と。そして、最後の一文がまた絶品なのだが、それはここで書いたら興醒めになるだろうし、読者もめくってみてあらかじめ読んでみようなどという気は起こさないほうがよい。
 著者は米国人作家デイヴィッド・べニオフ。祖父レフの戦時中の体験を小説にしようとメキシコ湾沿いの祖父母を訪ね、口の重い祖父の話をなんとか引き出そうとする。
 次の章からが本番で、当時レニングラードに暮らしいていた十七歳の少年レフの一人称で物語は始まる。ナチスがレニングラードを包囲していて、ユダヤ人詩人の父はすでに亡くなり、レフの母親と芋唐は遠くの町に疎開している。軍に入隊できる年齢に達していないレフは、それでも市民の抗戦に微力を尽くしたい、とレニングラードに居残っていた。
 上のように書けば威勢がよいが、小柄な上に、いかにもユダヤ人らしい大きな鼻に黒い髪、にきびで落書きしたような肌。主人公はぱっとしない。それがつまらないことで赤軍の牢にぶち込まれ、金髪隻眼の饒舌で明朗な青年兵士と仲良くなる。
 「おまえたち二人で卵を一ダース探してこい。それができたら解放してやろう」と軍の大佐に命じられ、飢餓に喘ぐレニングラードの街へ二人は飛び出していく。ネズミや壁板まで食べられるものは食べ尽くされた飢餓の街だ。いったいどこに卵があるんだ?
 二人は大佐に食糧配給カードを取り上げられていて、返してもらわなければ生きていくことは難しい。だからそのまま逃げだして帰らない、というわけにはいかないのだった。
 
 ということで二人の冒険談が始まるのだが、プロットよりは語り口がおもしろい。若者たち二人は凸凹コンビでなかなか嚙み合わない。青年兵コーリャは逞しく、逆境にもへこたれた様子はまったく見せず、ずっとしゃべり続けているが、主人公のレフはそれほど楽観的ではないし、身体も頑強というわけではない。この二人の会話ひとつひとつ、心理描写の巧みさで読ませていく。
 最近とくに思うのだが、プロット偏重の小説は味がない。このように語りが上手な小説こそが味わい深くおもしろい
 2011年の「このミステリーがすごい!」の第3位だそうだ。ぼくはどちらかというと本格推理小説が嫌いなので「このミス」はあまり信頼していないのだが、本書は本質的には冒険小説であり、その心配はない。
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