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2006年01月

明日の記憶/萩原浩5

明日の記憶


 「だれだっけ。ほらあの人」
 最近、こんなせりふが多くなった。
 「俳優だよ。あれに出てた。外国の俳優だ」

 誰もが心あたりのありそうなこの冒頭部分はじつに巧みな「つかみ」だと感心させられる。
 中堅広告代理店の営業部の部長をつとめる「私」は、ついに五十の大台に乗った先月頃から、物忘れがひどくなったことを少しだけ自覚しているが、これがたいへんな病気の始まりだとは思ってもいなかった。
 病気が悪化し始めても、何が何でも仕事にしがみつこうとする根性はたいしたもので、ややユーモラスなタッチもまじえながら「私」の悪戦苦闘は続いていく。辛抱強い奥さんと結婚式を間近に控えた娘がそっと支えてくれている。
 娘の結婚式までは広告代理店部長の肩書きで頑張りたいと、涙ぐましいまでの努力が続く。

 萩原浩さんはプロ中のプロ、本物の作家の職人芸を披露してくれる。
 「私」になりきって書かれた小説は、若年性アルツハイマー病にかかった「私」の一人称であり、彼が書き始めた日記をまじえながら進んでいく。うまい! 抜群にうまい!
 登場人物はそれぞれみな、上手に描かれている。たいへんなのは奥さんだ。「私」と一緒に苦しむが、しっかりした明るさを感じさせる人。あと広告代理店の部下たちや、取引先の強引な部長さん、陶芸教室の先生や、学生時代から「私」の陶芸の師匠である老人とか、一癖も二癖もある人たちがおもしろい。

 この小説は、最初のところをしばらく読んだあと、読者にはおおよその結末が見えている。たぶんこんな終わり方をするんだろうと、小説を読み慣れた人なら誰だって予想する。
 その予想する結末へと、その通りに進んでいく。結末へ向かうその過程の、語りの巧さで読ませるのだから、たいしたものだと思う。

ジャズ完全入門!/後藤雅洋3

ジャズ完全入門


 1月19日に紹介した『JAZZ聴きかた入門!』や『超ジャズ入門』を書かれた中山康樹さんの本は、読んでいると、「そうはいってもじつはね…」とか、「こんなことをいう人っているんですよ」というような書き方の部分がたくさんあって、ジャズを聴く態度についてまわるいろいろな事柄についての「うがった見方」を知ることができた。ぼくはそれが気に入っていた。

 今回紹介する『ジャズ 完全入門!』は、まじめな教科書タイプだ。
 書かれるべきことをきちんと整理して書いてある。だからソファとかベッドサイドとか、傍らに置いておくと何かしらべたいときにも便利だ。本書を使って、一般的に評判のよいCDを調べ、試聴したり買ったりする役にも立つ。
 
 というわけで、本書を紹介するには目次のリストを紹介するのが一番賢いやり方だ。

 第1章 ジャズの聴き方
 第2章 ジャズの歴史
 第3章 ジャズに使われる楽器とその編成
 第4章 ジャズ・ジャイアンツ列伝
 第5章 ジャズの名盤
 第6章 ジャズ・レーベルとジャズ・アルバムの基礎知識
 第7章 「スタンダード」で聴き比べ
 第8章 ジャズ・ヴォーカルって何?
 第9章 ジャズ・シーンの現状
 第10章 ジャズの専門用語

恋愛は少女マンガで教わった/横森理香2

恋愛は少女マンガで教わった


 もうかなり昔のことになるが、人気の月刊マンガ雑誌に「別冊少女マーガレット」というのがあった。
 この雑誌から萩尾望都さんほか人気マンガ家が育ったように記憶しているが、ちょうどその頃ぼくは毎月別冊少女マーガレットを買っていて、少女マンガにはまっていた。
 「女の子向きのマンガなんて…」という先入観はなかった。とてもおもしろかったのだ。
 『ベルサイユのばら』とか『ガラスの仮面』なども読んでいる。最近は娘が買ったり借りてくるマンガを読んでいる。最近おもしろいと思うのはやはり『のだめカンタービレ』だ。

 でも、ごくふつうの女性たちはこういう少女マンガのどこがおもしろくて読んでいるのだろうか? もしかして、ぼくの感性とはまた違ったところで楽しんでいるのかも知れないではないか!

 というわけで、ふと目に付いた集英社文庫の本書を買って読んだ。

 うーむ、やはり感性はかなり違うのだった。へえ、そんなものか、そんなふうに読むのか…、と思いながら本書を読んだくらいなので、内容をあれこれ紹介するのはやめる。要領よくまとめる自信がない。
 ぼくがまだ読んでいない人気作品がいろいろと紹介されていて、「それじゃあ、これを読んでみようかな」というのがいくつかあった。

 少女マンガにまったく興味のないおじさん読者には薦めない。
 そういう方には本書はたぶんおもしろくないだろうし、少女マンガについての偏見を助長してしまうという悪影響があるかも知れないからだ。

コールドゲーム/荻原浩3

コールドゲーム


 高校二年の夏休み、渡辺光也は暇を持てあましていた。もともと勉強は好きでなく、野球が好きで野球部一辺倒の高校生活だったが、県大会で強豪チームの投手を打ち崩せず早々と負けてしまったからだ。
 そんな彼のところへ、中学時代の悪友から電話で呼び出しがあった。
 中二時代にいじめの標的になっていた奴が、当時のクラスメートに脅迫メールを入れて、ひとりひとり襲っているらしい、というのだ。
 そいつの名前は通称トロ吉こと廣吉。中途で転校してしまってどこに住んでいるのか誰も知らない。
 警察に訴えるわけにもいかないし、数人で自警団を作ってはみたものの、トロ吉の復讐は次第にエスカレートして、ついに…。

 ちょっと身震いしたくなるようなミステリ・タイプのエンタテインメント。
 高校生を主人公にして、会話などもいかにもそんな調子だが、ライト・ノヴェルとはまったく違う。石田衣良さんが解説で書かれているが、著者荻原浩さんはいわゆるプロの職人作家であり、書き方がたいへんうまいのだ。
 主人公はこのひと夏の冒険を通じて、ちょびっとだけ成長する。そういう程度の描き方が、いかにも自然で、エンタテインメントとしても心地がよい。

 少しこの作家を追いかけてみたくなった。
 次はやはり、直木賞候補になった『明日の記憶』を読んでみたい。

クドリャフカの順番/米澤穂信3

クドリャフカの順番―「十文字」事件


 神山高校の古典部の学生がミステリの謎解きをするシリーズは、これまで『氷菓』と『愚者のエンドロール』の2作が文庫化されているが、これは2005年6月にハードカバーで出版された第3作目だ。
 前2作でたびたび言及されていた、延べ三日間にわたる神山高校文化祭(通称カンヤ祭)が、この『クドリャフカの順番』の舞台だ。
 古典部の面々は、カンヤ祭を前に大きな問題を抱えていた。文集『氷菓』の編集・発注などを彼らは伊原摩耶花に任せきりにしていたのだが、彼女のちょっとした手違いから古典部の部室(地学教室)には文集『氷菓』が山積みとなっているのだ。
 これを三日間で売り切る秘策を、お馴染みの面々は考え出さなくてはならない。

 悪戦苦闘する彼らだったが、カンヤ祭では不思議な連続盗難事件が起き始めていた。古典部のメンバーたちは、怪盗『十文字』を捕らえ、文集『氷菓』を売り切ることができるのだろうか。

 ノリが軽いので読みやすいが、逆に緊迫感に欠け、事件そのものもいかにも作り物めいた感じが拭えない。それが米澤穂信さんの小説の特徴だ。
 今回はけっこう分厚い本で、返却期限が迫っていたぼくは、読まずに図書館に返してしまおうか、と一度は考えた。
 読んでよかった。
 これまでで最高の出来映えだ。
 文集『氷菓』を売り切ろうと、千反田が慣れない営業をするのが笑わせるし、里志も摩耶花も大活躍する場が与えられている。折木奉太郎は例によって店番で「省エネ」を決め込んでいるが、お決まりで最後にしっかり活躍する。
 前2作はこれを読ませるための前座だったのか…、というくらいおもしろい。

 いかにも楽しそうな文化祭は、読者を「自分も高校時代にもどってみたい」という気にさせるかも知れない。

モネ−揺れる光/ラ ミューズ編集部・編4

モネ―揺れる光


 講談社文庫の『モネ:揺れる光』を読んだ。
 図版が多く、たくさんの絵の紹介と、簡単な伝記を読むことができる。ジヴェルニーの睡蓮の池とモネの家の写真がある。
 ああ、こういうところで絵を描いていたのなら…、とモネの絵について素直に納得できる。
 印象派ほか20世紀初頭の絵画運動について、簡単な解説もある。手軽に楽しめる文庫本だ。

 本の紹介はこのくらいにして、今日は少し脱線してみたい。
 本書は三十数年前のぼくだったら、まずは読まなかった本なのだ。
 当時のぼくの好みでは、絵はかたち(形態、輪郭)がはっきりしたものでなければならなかった。
 いくら色彩が豊かで美しくても、「もやもやとした絵はダメ」だったのだ。モネを批判した当時のサロンの保守派と、ぼくはほとんど同様の感覚だったとも言えるだろう。
 だから、美術展などへ好んで行き始めた学生時代のぼくは、印象派を通り越して、ピカソ以後の近代絵画を好むようになった。

 当時シュルレアリスムの絵画を好んだのは、「思想的な意味合い」と「前衛好みの気分」とが濃厚だったからだが、少なくともシュルレアリスムの画家たちは、かたち(形態、輪郭)はくっきり、はっきりと描いていたのである。
 あの頃いろいろと美術の勉強を始めたぼくは、イギリスの風景画と出会った。
 70年10月に西洋美術館で開かれた「英国風景画展」だ。そこでは、ターナーとコンスタブルに出会った。
 お察しの通り、「ターナーの絵のいったいどこが良いのか」と思ったものだ。もやもやとして輪郭のない描き方の第一人者に出会ったようなもので、ターナーは「×」という、はっきりした好みの自覚がぼくにはあった。

 さて、十数年ほど前、自宅の玄関脇の階段を昇ったところに「複製画の額がほしい」と考えた。八重洲口の大丸百貨店をぶらぶらしていたとき、モネの静物画をポスターにしたものを見つけた。
 花瓶に生けた花の絵で、ぼくは「これだ」と思った。
 大枚をはたいて買ってきたモネを見て、家内が「なぜ?」という顔をしたのを覚えている。
 好みというのは、奥深いところに潜んでいて、なかなか変わらないものではあるが、年齢を重ねるにしたがい洗練され、感受性の間口は広がるものだと自覚している。
 97年には横浜美術館で開催された「ターナー展」へ出かけた。
 霧、雨、空気! もやもやとした中に浮かび上がる帆船の絵に、ぼくは素直に感動した。
 三十数年前だったら、とても考えられないことだ。

 読書の好みも変わってきているだろうか?
 楽しめる本の種類が増えていることは、確かに言えると思うが、さてみなさんはどうだろう?

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 99年10月に書いた感想に手を加えました。
 アート、音楽関係の本についても、少しずつ充実させていきたい、と考えております。

カリフォルニア・ガール/T・ジェファーソン・パーカー4

カリフォルニア・ガール


 1954年6月、カリフォルニア州の南西部の町タスティンはまだオレンジの生産が主要産業の田舎町だった。
 ベッカー家の子どもたち四兄弟は、つまらない諍いからヴォン家の兄弟と果たし合いをすることになる。これがベッカー家の物語の始まりだ。
 長男のデイヴィッドはやがて牧師になり、次男のニックは警察官になり、三男はCIAへ行き、末っ子のアンディは記者になる。
 そして68年に、ヴォン家の末の妹ジャニル・ヴォンが死体で発見される。
 ジャニルは長じて類い希な美しい娘となっていたが、LSDなどの麻薬に溺れ、何人もの男たちと付き合う奔放な生活を送っていたのだ。
 ジャニルの殺人事件は、ニックが初めて自分が捜査主担当となる事件となる。
 ジャニルを憎からずおもっていたニックとアンディは、刑事と記者とそれぞれの立場から、殺人事件の謎を解こうと奔走する。
 しかし、長男のデイヴィッドや、ベッカー一家を後援してくれている資産家や、さまざまな人間が何らかのかたちでジャニルと関わっており、二人は捜査の過程で傷つき、苦しむことになる。
 60年代カリフォルニアのヒッピー文化・風俗と、それを苦々しく思う旧世代の大人たちが描かれる。そしてベトナムでは毎日たくさんのアメリカ兵が死んでいく。
 さまざまな社会問題が小説の中に凝縮されている。ニックもアンディもいい男だが、自分の信条にしたがい生きていくことはつらい時代だった。

 「ベトナムでは村を救うために村そのものを破壊している」という言葉が小説中に出てくる。
 事件の真相は最後に明らかになるが、個別的な動機はともかく、その背後にあるのは、つまるところは「独善的なものの考え方」だと言えよう。
 生き方と生き方がぶつかり、他方を正しくないと断じる。それが「村を救うために村そのものを破壊する」ことに通じている。
 イラクを救うためにイラクを破壊し、イラク人を殺しても、それは正しいことだとする、そのような「独善的な考え方」そのものが、この『カリフォルニア・ガール』で著者によって問題にされていることだ。この小説が言いしれぬ味わいを残すのは、著者によるこうした掘り下げが深いからだと思う。

 このT・J・パーカーという作家の小説は、静かで豊かな詩情をたたえ、何かを糾弾するというようなあからさまな姿勢は見せない。それが逆に、読者の心に深く染みいる結果をもたらし、正しいのは自分だという独善的なものの考え方が、たくさんの人々の命や大切な生活を奪うことの哀しさを訴えてくる。
 著者のように、米国文化の特質を深く見据えている作家がベストセラーを出している。
 刃向かえば、いつ「おまえが悪い」と牙を剥かれるかわからない側に立つ日本人としては、米国にはまだまだ健全な精神が残っているようだと、ほっとする思いだ。

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 T・ジェファーソン・パーカーの小説は、ぼくはとても高く評価しています。

 感想のある作品リスト
  ・『サイレント・ジョー
  ・『コールド・ロード
  ・『ブルー・アワー

かたみ歌/朱川湊人3

かたみ歌


 昭和三十年代の半ばから四十年代の終わり頃、東京下町の都電の線路沿いに、アーケードのついた商店街があった。八百屋、魚屋などの食料品店のほかに、ラーメン屋、喫茶店、酒屋、スナックなどが並び、レコード屋と、古書店まであった。
 近くには民家やアパート、下宿屋などが建ち並び、覚智寺という寺がある。

 この界隈へ新しく引っ越してきた人たちは、ときどき不思議な体験をすることがあった。亡くなったはずの人影を見たり…、というようなことだ。
 おそるおそる、地元の人のいるところで話題にすると、覚智寺は古い由緒ある寺で、昔から覚智寺のある辺りは「あの世」とつながりのある地域だという言い伝えがあるのだ、という。
 昭和三十年代の風俗が思い入れたっぷりに描かれた短編が七話。いずれも怪異譚の類だが、ちょっと怖さを感じさせる一方で、なにやら暖かい、懐かしい雰囲気を醸し出す。最後に七つの短編がきれいに繋がって、ちょっぴり感動させる仕掛けとなっている。

 直木賞を受賞した『花まんま』と比較すると、じっくり描き込まれた密度の濃さで劣るように感じるが、『花まんま』は雑多な短編が集められているのに対し、こちらはしっかりした連作となっており、全体でまとまりのある一話となっている。
 各短編をつなぐ人物として登場するのが古書店の老店主で、小説全体を構成する仕組み作りも巧みだ。
 米国の作家ジャック・フィニィが古き良きアメリカへのノスタルジーを描く作家として知られているが、朱川湊人も三十年ほど前、高度成長が始まろうとする時代の大阪や東京へのノスタルジーを描いて、いい味を出している。
 『栞の恋』という短編は、ジャック・フィニィの小説によく似たシチュエーションのものがある。朱川さんはひねりをきかしていて、上手に料理しているな、と感心した。



JAZZ聴きかた入門!/中山康樹4

 JAZZ聴きかた入門!


 何かのきっかけで、たとえばテレビなどで綾戸千絵さんのピアノやヴォーカルを少し聴いて、「あ、ジャズっていいな」と思っても、とくに知識もないままCDショップへ行ってみたら、ジャズの初心者はかなり戸惑うだろうと思う。
 何を買ったらよいかわからず、思い切ってひとつ試しに買ってみて、それが当たりなら幸せだ。自分がイメージしていたタイプの曲とはあまりにもかけ離れたアルバムで、がっかりしてしまった。
 ジャズの初心者にはこういうことが起こりやすい。
 そういう方のために書かれたのが宝島社新書の『JAZZ聴き方入門!』だ。

 ぼくはこの中山康樹さんという著者の本を4冊読んだ。
 上で挙げた『JAZZ聴き方入門!』のほかに、中公新書で『超ジャズ入門』『超ブルーノート入門』『超ブルーノート入門完結編』が出ている。
 同じジャズ・ファンだと自称する人でも、ジャズは人によってミュージシャンの好き嫌いがいろいろあって、他人の評価を聴いてもさっぱり当てにならないことが多い。
 かとおもえば、うかつに訊ねたりすると妙にうるさい蘊蓄を垂れるので、聴いていて辟易する場合もある。
 初心者が「自分の好みはこの年代のこのタイプ」と自己判断してCD等を買えるようになるにはかなり年季が必要になる。
 『JAZZ聴き方入門!』は、ジャズにはそういう壁があることをはっきり書いていて、いろいろなタイプの聴き方を指南してくれるのがよい。

 『超ジャズ入門』もよい本だが、初心者には『JAZZ聴き方入門!』のほうが読みやすいだろう。『超ブルーノート入門』と『超ブルーノート入門完結編』はブルーノート・レーベルのジャズ・レコードの紹介本で、中級以上向けだ。

 ぼくはもう初心者とは言えないかも知れないが、それでも『JAZZ聴き方入門!』を読んでいていろいろと発見があった。
 ぼく自身、好みには偏りがあるが、こういう本を読んでいると、「トランペット・ジャズの分野をもう少し開拓してみようか」とか、「このアーティストは聴いたことがなかったが、こんなに評価が高いなら、ちょっと試しに聴いてみようか」とか、やはりいろいろと役に立つ。
 そんなふうだから、じつは新書版だけでほかに8冊もジャズ関係の本がベッドサイドに並んでいる。
 その中でも中山康樹さんの本はなかなかよい本だと思うので、興味のある方にご紹介したいと考えた次第だ。


 

女子大生会計士の事件簿 DX.32

女子大生会計士の事件簿 Dx.3 神様のゲームセンター


 固定費の多い業種は赤字になると大変だと思われがちだが、たとえばホテル業の場合、値下げしてでも客数を増やして立て直すという営業立て直し策が取りやすい。なぜなら変動費が少ないので、値下げ余地が大きいからだ、という話など、なるほどと感心した。
 本書は初心者向けに書かれた会計入門を兼ねての小説だが、扱われる問題のレベルが少し上がってきたかな、と思わせる第三巻だった。

 ぼくは長年のあいだ、いろいろな会社の決算書を眺めることの多い職業に就いていた。しかしぼくは会計士ではないから、会計士の目から見た物語が興味深く、このシリーズはまずまずおもしろく読んできた。
 それでも扱われる問題があまり簡単な内容では、小説としての出来がとりたててよいわけでもないから、どうも飽きてしまう。

 今回は、主人公の萌さんが公認会計士で会計事務所の主査でありながらどうして現役の女子大生なのか、という辺りが明かされており、ふつうの物語らしいところもきちんと描いて、体裁を整えようという配慮が感じられる。
 第二巻を読んでからなかなか手を伸ばせないでいたが、会計の話題にしてもある程度高度なレベルの話題も扱いながらここまでやってくれるのなら、また続きを読んでもいいかな、と考え直させられた。

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 著者の山田真哉氏は、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』で話題になっています。

魔法/クリストファー・プリースト3

魔法



題 名:魔法
原 題:The Glamour
著 者:クリストファー・プリースト
訳 者:古沢嘉通
出 版:早川書房


IRAの爆弾テロに巻き込まれ、大怪我をしたあげく、比較的最近の記憶を失ってしまった報道カメラマンが、病院で静養している。
 記憶をなかなか取り戻せないことにいらいらしているのだが、元恋人らしい女性が訪問してくる。でも、どうしてこの女性との仲が壊れたのか、本人には記憶がない。
 この女性を頼りにして、彼はなんとか記憶を取り戻したいと願うのだが、素直に見舞いに来てくれないし、素直に過去を教えてくれない。どうも挙動がおかしい。

物語の始まり方は、「こんなシチュエーションがウィリアム・アイリッシュにもあったかなあ」などと思わせるが、落ち着いた筆致で描かれ、「何、これ? もしかして、恋愛小説?」とも思えてくる。
 ただ、冒頭に妙なプロローグがあったし、何か違和感を抱えたまま物語が展開していくのだ。
 先が読めない。「何なの、これ?」という感じがずっとつきまとったまま、細部の書き込みが上手いのでどんどん読ませていく。

 いや、もう、これ以上書くわけにはいかない。
 やはり、尋常の小説ではなかった。
逆転世界』の著者が書いた小説だということに、妙に納得してしまう。
 クリストファー・プリーストは、創元推理文庫の『逆転世界』を読んだとき、その突拍子もない発想と展開に新鮮な驚きを味わった。そして、この小説もまた、期待を裏切らなかった。
邦題は THE GLAMOUR の邦訳のわけだが、どうも作品の印象とは違う。日本語の「魔法」というイメージから連想する感じとは、全然違う。
 主として描かれているのは「男女の心のすれ違い」であり、そこから生じる痛みだ。描写はリアリティに満ちており、ファンタジックなイメージはまったくない。
 『逆転世界』と比較するなら、人物描写の巧みさはこちらのほうがずっと上だろう。

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 97年4月に書いた感想だ。当時読んだのはハードカバーだったが、プリーストのこの小説は今では文庫化されている。プリーストのおもしろさを知っていただきたくて、2作続けて紹介記事とした。

ダウン・ツ・ヘヴン/森博嗣3

ダウン・ツ・ヘヴン―Down to Heaven


 13〜17歳くらいの、戦闘機乗りの子どもたちの話だ。
 指令に応じて出撃していって、空中戦があり、無事に帰ってくれば、夜は気の向くままに近くの小さな町まで繰り出していく。
 そんな毎日に、彼らはとくに不満も感じていない。
 戦っているのは国と国なのだろうが、戦争を請け負っているのは会社であり、戦闘機乗りは社員らしい。各地に会社の基地が散らばっていて、本社からときどき基地へお偉方が視察にやってくる。
 戦闘機乗りたちは飛ぶのが好きだ。死と隣り合わせの毎日だが、それに充実感を感じている。地面を離れると自由だ。空中戦は必死だが、死ねばそれまでのことと割り切っている。
 こうした特殊な感性の子どもたちをキルドレと呼び、そうした子どもたちが戦闘機を操っている。
 彼らは飛ぶこと以外にほとんど興味を抱かない。人と人との付き合いも希薄だ。
 だから、なぜ戦争をやっているのかとか、基地とその周辺以外はどうなっているのかとか、そうした情報がほとんどない。基地にいる仲間たち、整備士、上官たち、本社のお偉方、そうした接触以外にとくに人と会話をしない。つまり、社会背景がほとんどわからない小説なのだ。
 キルドレのパイロットたちが興味を抱くのは敵の優秀な戦闘機乗りについての情報、自社開発の新鋭機の話題などで、整備士との会話も、エンジンほかをどう調整したら速く、高く飛べるかという議論に集中する。新開発の機種はプロペラが後ろにあるプッシュ式だと聞けば、その機の性能はどうか、はやく乗ってみたい、とそんな話題ばかりだ。

 こんな物語のどこがおもしろいのかというと、なんといっても空中戦シーンの切れ味だ。急上昇、急降下、鋭いターン、自分の技術のありったけを使って敵機を墜とす。キルドレにとってはその充実感が生き甲斐なのだ。

 中公文庫に『スカイ・クロラ』があり、C*NOVELS から『ナ・バ・テア』が出て、つい先日この『ダウン・ツ・ヘヴン』が出た。出版はその順番だが、物語の時間は『ナ・バ・テア』が最初、次が『ダウン・ツ・ヘヴン』、『スカイ・クロラ』が最後になる。
 『スカイ・クロラ』は設定のめずらしさとおもしろさで読んだが、空中戦の充実感がよりよく描けてきたのは『ナ・バ・テア』からだ。
 『ダウン・ツ・ヘヴン』になって、なぜこのような戦争が行われているのか、社会背景のようなものが少しだけ明らかにされた。

 飛行シーン、戦闘場面になると、文章が短く、切れ味鋭くなり、改行が頻繁に行われる。
 それは確かに効果が出ている。スピード感、浮遊感がある。読者にパイロットの研ぎすまされた感覚、一瞬、一瞬の反応に命を賭ける充実感が伝わってくる。
 それと同時に、大人になり、地面に、社会に、囚われて生きる生き方で、ほかの人たち(読者を含めた大人たち)はほんとうに充実した生を送っているのか、それでよいのかと、彼らは問いかけてくる。

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 この感想に興味を覚えて読もうとされる方がいらっしゃるなら、やはり出版順に読まれるよう、お薦めしたい。

ナ・バ・テア―None But Air

漢方小説/中島たい子3

漢方小説


 胃の辺りがドキドキして止まらなくなるという妙な病状の出た「私」は、救急車で運ばれているうちに具合がよくなってしまった。
 それでも何度かその症状が出るので、近くのクリニックや総合病院など回ったが、どこも悪くはないという診断で、どうも釈然としない。
 心療内科へ行ってみたら、と勧められ、シナリオ・ライターの仕事がうまくいかないストレスか、あるいは初恋の男が地元中学で一緒だった女の子と結婚すると聞いたショックが原因か、とも思うのだが、それもいまひとつ納得がいかない。

 5軒目に行った診療所は漢方の専門病院で、担当の坂口医師は「私」が悩んでいた症状をぴたりと当てた。しかも坂口先生は若くてハンサムだった。
 診療所へ通いながら坂口先生と話をするうち、「私」は漢方医療に興味を持ち、自分でも本を買って調べたりし始める。
 次第に漢方の世界の奥深さにはまっていく。

 ユーモラスなタッチで、著述業を営む独身女性の心情を描いた小説だ。
 楽しんで読むうちに、読者も漢方の世界に詳しくなっていく。

 小説の内容から少し外れるが、まだ三十代の頃、ぼくはある日自宅で重い荷物を持ち上げようとして「ぎっくり腰」をやってしまった。歩くのもつらいという痛さだった。自宅から数分のところに「ほねつぎ」の看板を見つけて、痛みを堪えながら診てもらいにいった。
 診察室で先生が「鍼をやってみるか」と訊いた。
 正直言って藁をもつかむ気持ちだった。当時のぼくは、ふつうであれば、理屈のわからない治療は胡散臭くていやだ、くらいに思っていたはずだが、とにかく痛くて堪らなかったのだ。
 鍼の効果は劇的だった。痛みは嘘のように軽くなった。歩くのもつらかったのに、帰りはすたすたと歩いて帰った。東洋医学の不思議さを身をもって体験した瞬間だった。

 著者は漢方治療の理屈を「こじつけで後付けの説明だ」と冷静に解釈しながら、それでも現実には効果が出てくる治療について、西洋医学との比較を行いながらしっかり評価している。「ここまでくるのに何人もの陳さんや○さんが死んだのだろう」などという書き方がおもしろい。
 西欧科学は理屈が先にこないといけないので、進化論がなかなか受け容れられないように、膨大な時間の中での試行錯誤の積み重ねということを信じられないのだろう、とぼくは思う。

 本書は「漢方」を題材にした小説だから『漢方小説』というわけだが、「第28回すばる文学賞受賞作」であり、けっして奇をてらった作品ではない。語り手の「私」も含めて友人たちとの関係など上手に描かれていて、実力ある作家だと思う。

My Favorite Blog について

 Myblog List を使用して重宝していたのだが、Drecom RSSというところへ統合され、まもなくサービス廃止になる。
 Drecom RSS にもほぼ同様のサービスがあり、しかもカテゴリ分けできることが判明したので、1月初めから試しに使ってみて、サイド・バーの表題も「My Favorite Blog」とした。
 読者のみなさんも、サイド・バーからぼくが愛読しているブログへジャンプすることができる。活用していただければ幸いだ。

逆転世界5

逆転世界


題 名:逆転世界
原 題:Inverted World
著 者:クリストファー・プリースト
出 版:創元SF文庫



「(私は)ついに650マイルの歳になった」

 どうも奇妙な表現ではじまる小説なので、まずその謎にひきつけられてしまう。
 主人公は軌道上をゆっくりと進む「都市」に住んでいて、その進む距離で歳を数えている。10日間で1マイルの平均速度なので、主人公の青年の年齢は65百日、地球なら17歳10ヶ月というわけだ。
 地球なら、というのは、じつはどうもそれすらよくわからないのだ。
 だいたい、なぜ、巨大な建造物である「都市」は、軌道上を10日間で1マイルの速度で北へ進まねばならないのか? そのことがわからない。
 物語の始まりは、これはよくある「閉鎖社会テーマ」のSFかと思った。
 「都市」という閉鎖社会から飛び出していく主人公を描いている冒頭の部分は、
いかにも「閉鎖社会テーマ」らしい書き方だ。しかし、閉鎖社会の外部は、読者には当たり前の世界で、どんな世界かは読者にはよくわかっているというのがふつうだ。
 さて、この小説の場合、外の世界には森があり、川があり、一見ただの当たり前の風景が広がる普通の世界のように見える。でも、それならなぜ、「都市」を10日間で1マイル北へ進めなければいけないのか? 「都市」を止めたら何が起きるのか? なぜ、年齢(時間)をマイル数で計ったりするのか? 読み進めていくうちに、こいつは「閉鎖社会テーマ」のSFとは全然違うぞ、と気づくようになる。

 およそ突拍子もない状況設定であり、読者であるぼくは主人公と共に謎を解明したくて、ずるずると引きずり込まれるように読んでしまった。異様な状況設定であるにもかかわらず、案外と読みやすい。
 主人公の視点で書かれており、彼の感覚はぼくたちふつうの読者と同じなので、一緒に冒険していくうちに謎が解けてくる。異様な状況設定そのものを売り物にするSFなの
だが、スタイルは冒険小説なのだ。

 異様な状況設定のおもしろさについて書きたいのだが、それが売り物のSFなので、書くわけにはいかない。ふつうの神経ではなかなか思いつかない世界だとだけいっておこうか。この「逆転世界」はキレた頭脳が創り出した世界という感じする。

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 『ハウルの動く城』の巨大版のように思える設定ですが、96年5月に読んだ小説です。
 久しぶりにSFを話題にしたくて紹介することにしました。このクリストファー・プリーストという作家は、いわゆる奇才と呼ぶに値する人だと思います。

戦国の雄と末裔たち/中嶋繁雄3

戦国の雄と末裔たち


 戦国時代の武将の子孫たちは、江戸、明治、そして現代に生き残っているのだろうか? その後どのような運命を辿ったのだろうか?
 本書を読んでみると、政治的に巧みに立ち回り、したたかに生きのびた人たちが多い。現代まで家系はしっかりと続いているようなのだ。
 
 本書で扱われている武将とその子孫たちを列挙する。
 平将門、足利将軍家、武田信玄、織田信長、今川義元、新田義貞、立花宗茂、毛利元就、黒田官兵衛、豊臣秀吉の一族、蜂須賀小六

 戦国時代ファンにはじつに嬉しい一冊だ。歴史をよく知っていればいるほど楽しめる。
 ぼくは一時期戦国時代の歴史にはまり、書名に「戦国時代」と書かれていれば片っ端から買って読んでいた。
 著者は元福井新聞の記者をされていた方で、やはりこうした研究が好きでそのまま歴史ノンフィクション作家となられたらしい。日本各地をしっかり歩き回って、戦国の末裔たちにも実際に会って取材されている。

『ディックの資料室』の作成を検討中

 livedoor が新しいサービスとして、Wikiという簡易ホームページを無料で提供している。
 これを活用する方法はないか、と考えた。

 当ブログでいまもっとも不便なことは何か? 
 記事の数が増えてきて、自分でも特定の本の読書感想を探すのが大変になっている。
 カテゴリーは分野別、国内作家、海外作家が混じってしまい、使いにくいし、「読書感想の一覧表」も長くなって、記事を捜すのがつらくなってきた。
 こんなことはできないか、と試作しながら検討している。
 サイド・バーのリンクから『ディックの資料室』へジャンプすると、そこでは左サイド・バーに「国内作家リスト」、右サイド・バーに「海外作家リスト」があり、クリックするとすぐに作家別の本の一覧ページが表示され、そこで本の題名をクリックすると『ディックの本棚』の該当ページが表示される、というふうにできないか。

 いろいろと試している最中だが、どうやらできそうなのだ。同じ livedoor なので表示も速く、ストレスなく閲覧できる。
 「読書感想の一覧表」よりは、ずっと使い勝手のよいものになると思う。

八犬伝(「聖女伝説の巻」ほか全八巻)/滝沢馬琴4

著  者:滝沢馬琴
現代語訳:山田野理夫
出  版:太平出版社

 1月ももう半ば。寒さは厳しいが春は着実に近づいている。2月になれば、南房総の花畠をみにいくと楽しい。外房に回り込むと、道路の両側に広い花畠が並んで一般に開放されているが、一カ所で楽しむなら、館山の南房パラダイス(フラワーセンター)に自動車を停めるのもよい。真冬の東京・横浜から一足のばしただけで別世界が広がる。
 その館山市にある館山城は、今『八犬伝』の博物館のようになっていると新聞の記事で読んだ。『八犬伝』の舞台はこの館山周辺だったのだ。
 ぼくの頭の中にある戦国武将のランクから言えば、里見は中の下程度。北条氏との長年の確執で知られている。八犬伝はその里見が安房へ上陸した後、房総半島で覇権を確立する時期の物語だ。
 『八犬伝』の里見の殿様は民を大切にする名君である。名君の下に八犬士が集まる。その八犬士の活躍を描いたのが滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』である。

 本書全八巻はおそらく書店では手に入らないのではないか。ぼくは横浜市立図書館で借りて読んだ。中高校生向けにやさしくリライトされた古典で、とても読みやすい。

 内容は正直言ってちょっと臭い。「孝」や「忠」を大切にする儒教思想がぷんぷんと臭う。でも、楽しめる。いわゆる伝奇小説の類だ。妖術師や仙人や、化け狐や龍までが登場する。
 物語をおもしろくしているのは敵役の悪女数人だ。男の悪役は小者ばかりでたいしたことはない。これも儒教思想の表れかも知れない。悪女たちの悪巧みの数々は読んでいて歯ぎしりしたくなるほど腹立たしい。

 第一巻の冒頭に滝沢馬琴の伝記が付属している。貧乏が続き、晩年は目が見えなくなった。没した息子の嫁に字を教え、口述筆記をさせた。そうまでしなければ家計が成り立たなかった。
 そのような生活を送っていた筆者の筆からかほどに壮大な物語が生まれてくる。小説はおもしろいものだ。

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本書は2002年2月の感想だが、正月のドラマでは滝沢秀明主演の『八犬伝』が目立っていたので話題にしてみた。

人は見た目が9割/竹内一郎3

人は見た目が9割


 著者は さいふうめい のペンネームで劇作、マンガ原作の仕事をし、舞台の演出や俳優教育をやってきた方だ。
 「人は見た目が9割」なんて言われると、容姿が悪ければダメだと言われているようでつらいが、視覚的に伝わる内容は言葉で伝えられるものを圧倒している、と言っているわけだ。
 たしかに、初対面の人と会話するとき、話される内容よりまず先に、容姿や態度、服装などからある程度の人柄を見極めようとしており、話の内容は二の次であることが多い。
 そうした例を、著者は多数紹介している。

 演出家としては、俳優の仕草でさまざまな状態を表現するのだそうだ。
 たとえば、緊張している人はこれこれの動きをするものだ、という定型にあてはめるように演技を指導する。ほんとうにそういう仕草をするものかどうか、事実かどうかはかまわない。世間一般に信じられている仕草を表現するのだ、という。
 著者はマンガにも着目する。たとえば、女性らしさ、男らしさの表現というようなことを視覚的にどう表現すれば読者に伝わりやすいか、マンガ家はずっと追求しつづけていて、日本のマンガは、読者にわかりやすいという意味で、非常にレベルの高い視覚表現に達している、という。
 色が表現するイメージ、人と人との距離感など、言葉では伝わらないが他の手段で伝わることに著者は着目し、さまざまな例をひいてくるので、とてもおもしろい読み物になっている。民族によって異なるノンバーバル・コミュニケーションなど、話題は多岐にわたっている。

 読書関係のブログという、主として言葉でものごとを伝える活動をしている立場からすると、著者の語る内容が事実であるだけに、内心は穏やかでない。
 最近実感していることは、言葉の意味が意図したように伝わらないということだ。
 会話の途中で相手の返答がおかしいので、確かめてみると、当方の発言の内容を取り違えていたりする。相手はぼくが発言した単語の意味を間違えてとらえているのだ。
 自分が間違っていたのかと、びっくりしてあとで辞書を調べてみると、ぼくは正しく辞書通りの言葉遣いをしていることが多い。
 本をたくさん読んでいると、知らず知らず語彙は増える。いろいろな言葉を当たり前のように使うようになる。それが相手に通じない。
 通じない言葉がたくさんあるということは、どうも寂しいことだ。

No.6 #3/あさの あつこ4

No.6 (#3)


 主人公の少年紫苑は、数年前に彼がかくまった逃亡少年ネズミの助けで都市No.6から脱出することができた。
 未来の理想都市のはずだったNo.6だが、その外部にはNo.6の掃き溜めともいうべき西ブロックのスラム街が広がっている。
 西ブロックで生活を始めた紫苑には、ネズミ以外にも何人かの知り合いができた。
 紫苑に仕事を世話してくれたのがイヌカシだ。彼はたくさんの犬を飼っていて、冬の寒さをしのぐ抱き枕用に犬を貸し出すことを商売にしている。紫苑はイヌカシから犬洗いの仕事をもらい、働きながらイヌカシと親しくなっていく。
 ネズミもイヌカシも、「気にかける恋人や友人なんか作ったら、それが命取りになる。頼りにできるのは自分だけだ」と、西ブロックでの生き方を紫苑に指南した。
 そう教えてくれながら、彼らは結局心優しい紫苑のペースにはまってしまい、何かと紫苑を気にかけ、彼を助けてくれる。いつの間にか紫苑を中心に仲間意識を芽生えさせていく。
 紫苑は幼馴染みの女性友だち沙布を助けるために、せっかく逃げ出してきたNo.6へと逆潜入することを計画しようとする。

 西ブロックでの生活の様子がじっくり描き込まれ、次第に物語の背景がはっきりとしてくるのが第3巻だ。
 ネズミが使っている小鼠やイヌカシの配下の犬が、いつの間にか紫苑になついていたり、そうした描写がおもしろい。
 No.6内では紫苑の母親火藍に危機が迫るが、彼女にも新しい味方が登場して助けてくれる。物語がそうして少しずつ厚みをもってくるのがよい。

第134回直木賞候補作品

 第134回の直木賞候補作品が決まったそうだ。

 『死神の精度』伊坂幸太郎さん
 『あの日にドライブ』荻原浩さん
 『蒲公英草紙』恩田陸さん
 『夜市』恒川光太郎さん
 『容疑者Xの献身』東野圭吾さん
 『ハルカ・エイティ』姫野カオルコさん

 赤い字になっている2作品はクリックすると感想が出てくる。
 荻原浩さんと恒川光太郎さんの小説はまだ読んだことがないが、荻原浩さんの本は近いうちに挑戦する予定になっている。
 『死神の精度』と『蒲公英草紙』は共にとてもよかったので、その連想からすると他の作品にも期待できそうだが、どうだろうか。

HTML&スタイルシート/エビスコム3

レッスンブックデザインブック

 エビスコム 著/ソシム社 出版

 『HTML&スタイルシート』という題名で、レッスンブックとデザインブックの2冊組み、一冊がレッスンブックは2300円、デザインブックは2500円もする。
 ぼくはこの本二冊を一昨年の夏休みに通読した。それでホームページを自分で作ってみようと試してみた。そしてすぐ挫折した。
 難しいからではない。面倒なのだ。描かれている内容は理解できるけれど、時間がかかり過ぎてとてもやってはいられないのだった。

 ホームページの製作と比較すればブログは簡単だ。管理会社への登録から初めても、30分もあれば開設できてしまう。
 ただ、ぼくのブログの場合、デザインは多少カスタマイズしてある。「ディックの本棚」はLIVEDOOR、「ディックの花通信」はFC2ブログだが、どちらもカスタマイズできる自由度は高い。
 そして、ブログ・デザインをカスタマイズしようとしたとき初めて、この本を読んでいてよかった、と思った。

 ブログはスタイルシートとHTMLの二本立てで作られているのだ。
 そこへ手を入れてカスタマイズするのに、何にも知らないとちょっと怖い。ぼくはこの本を読んだおかげで、ブログのスタイルシートの構造をある程度理解し、書かれている言語の内容が多少はわかる程度になっていた。
 だから「たぶんここをこういじくればこう変わるのではないか」くらいの見当をつけて、積極的にスタイルシートを変えて試した。
 本書と、秀和システム社の『詳細HTML&XHTML&CSS辞典』(下欄にイメージあり)をパソコン横の本棚に置いて、それでときどきカスタマイズを試してきた。
 それが現在の「ディックの本棚」と「ディックの花通信」のふたつのブログ・デザインだ。

 値段は高いけれど、よい本だ。現在はもしかすると少しかたちを変えて、違う本になっているかも知れないが、スタイルシートについて書かれた本を読むことはよい勉強になると思うので、「それってなに?」というような方がいらしたら、似たような本を選んで試してみてはいかがだろうか?

詳解 HTML & XHTML & CSS辞典

肩胛骨は翼のなごり/デイヴィッド・アーモンド3

肩胛骨は翼のなごり


 サッカーの得意な少年マイケルの一家は父と母と三人暮らし。一家はファルコナー・ロードと呼ばれる一画に引っ越してきたばかりだ。
 老人が住んでいて亡くなったという古家は、あちらこちら手を入れる必要があり、庭には古くて倒れそうなガレージがあった。ガレージへ入ろうとすると母さんに手厳しく叱られた。建物自体がいつ崩れるかわからず、中もガラクタが積み上がっていて危険だという。それに、生まれたばかりの赤ん坊、つまりマイケルの妹の具合がよくなくて、母さんは神経質になっているのだ。

 ガレージの奥でマイケルはそいつを発見した。黒いスーツをきて、壁により掛かっていたやせっぽちのそいつは、蜘蛛の巣にまみれ、いまにも死にそうに見えた。身体にとまった蠅をつまんで食っていた。
 「ガレージは取り壊されるかも知れない。こんなところにいてはだめだ」と告げるのだが、そいつはひどく具合が悪いらしく、動こうとしない。何をしているのか、と問えば「なんにもしていない」と応える。
 リウマチにかかっているというそいつは、手が節くれ立っているだけでなく、背中の肩胛骨のところも盛り上がっていて、なんだか様子が変だった。
 親にはとても告げられなかった。ガレージへ入ったことがばれるし、大人たちはそいつに対してどういう態度に出るかわからないからだ。
 マイケルは親しくなった隣家の女の子ミナにそいつを見せた。学校にも行かず本を読んだり絵を描いたりしている少女ミナは、そいつのことを「不可思議な存在」と評した。

 さて、この「不可思議な存在」は一体なにものなのか、ということなのだが、それは読んでからのお楽しみ。
 本書はブログ「本だけ読んで暮らせたら」のnanika さんのご紹介で読んだのだが、著者は英国の作家で、本書はイギリス図書館協会の児童文学賞であるカーネギー賞受賞作品だそうだ。

 重要な登場人物は隣家の女の子ミナだ。彼女の家庭は、お仕着せの学校教育は子どものためにならないとして、学校に行かせない主義。木に登り、鳥に詳しく、絵が上手で、ウィリアム・ブレイクの詩を暗唱するという魅力的な女の子だ。
 主人公はごくふつうの男の子。イギリスらしくサッカーの上手な少年ということだが、まだ赤ん坊の妹が病気のせいで、両親の不安が彼にも伝わり、彼も心を痛めている。
 とてもていねいに描かれた作品で、不思議な魅力に溢れている。

 映画E.T.でも、E.T.を見つけた子どもたちは、彼を隠した。「不可思議な存在」は大人たちに理解されないかも知れない。本能的にそういう不安を抱くからだろうか。

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 本書は『本だけ読んで暮らせたら』のnanika さんにご紹介いただきました。

輓馬/鳴海章4

輓馬


 矢崎学は冬の帯広の輓曳競馬場で、凍てつくような寒風に身体を震わせていた。
 会社をつぶし、借金取りに追われ、ここまで逃げるようにしてやってきた。ポケットにわずか一万数千円。それを輓馬に賭けていた。
 平地競馬とはまったく違う。体重八百、九百キロの馬が、重い橇を曳いてふたつの障害を越えるのだ。やけっぱちだった。ポケットの金を擦ってしまえばあとはもう何もない。
 二十年前に別れた兄を頼るしかなかった。兄は輓馬の調教師をやっているはずだ。

 残念ながら、ぼくは輓曳競馬を実際に見たことがない。それでもまるでその場で見ているかのように描写はリアルだ。馬の身体から立ち上る湯気のような汗、彼らが吐き出す白い息が見えるような小説なのだ。
 中盤からは厩舎の中での生活が舞台となる。
 競馬場を出て厩舎へ入れば、今度は厩舎の臭いが伝わってくるような小説だ。
 ぼくは若い頃乗馬クラブへ通っていた時期がある。いろいろな作業の手伝いもやったので、馬の小便が染み込んだ敷き藁の臭いもよく知っている。最初は猛烈に臭いが、すぐに慣れて平気になる。そんな昔をなつかしく思い出した。
 都会へ出てあくせくと働くことに生き甲斐を覚えていた男が、何もかもなくして故郷北海道の兄を頼る。兄は兄で、都会へ出してやった弟に複雑な想いを抱いている。
 弟は厩舎で働き始めてから、輓馬の魅力にひかれ、兄の生活を見直し始める。

 違う道を歩んだ二人の兄弟が心を通わせるには、輓馬を中心に回る厳しい生活のなかで、馬を通じてそうするしかないのだった。

 競馬場で出会う老人、厩舎で働く厩務員たち、賄いのおばさんなど、たくさんの人物が登場するが、誰もがよく描けている。力のある作家だ。
 厳しい冬の北海道の生活、雪の中で開催される輓曳競馬の激しさが伝わってくる。
 レースシーンでは障害を越えようと力を振り絞る馬たちの筋肉の動きまで見えるようで、そのパワーに圧倒されるように一気に読んでしまった。

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 本書は『min-minの読書メモ』のmin-minさんにご紹介いただきました。

色の歴史手帖/吉岡 幸雄5

コンパクト版 色の歴史手帖―日本の伝統色十二カ月


 あけましておめでとうございます。
 昨年3月21日に当ブログを開設し、週にほぼ5冊以上のペースで本を紹介してまいりました。いつもお読みいただき、ご支援いただいている皆様に、あらためて深く感謝申し上げます。本年も、できるだけたくさんの本を紹介していきたいと存じます。
 さて、お正月ですので、新年の一冊目は日本の伝統を扱った本がよいだろう、と本書を選びました。

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 著者の吉岡幸雄さんは江戸時代から続く染屋さんの当主だ。
 東大寺など、奈良や京都の寺社仏閣の伝統行事に際して、天然染料で染めた和紙や衣を奉納するなどの仕事をされていて、そうした行事を通じての染色の仕事について書いた本である。
 巻頭に17ページのカラー見本がある。
 どんな色があるか名前を挙げてみると、たとえば黄檗(きはだ)、浅葱(あさぎ)、鬱金(うこん)、柿渋色、蘇芳(すおう)、檜皮(ひわだ)色、萌黄(もえぎ)、利休鼠など、どれも日本の伝統色だ。
 日本人は茶でも鼠でも、わずかの色の違いをきちんと区別して暮らしてきた。
 鉱物系の色素を使っての染色ではなく、植物系の染色が多かったからだろうか。
 2年ほど前に本書を読んだ当時は、日本人の美意識の奥深さを改めて再認識したように思ったが、ほんとうに肌で感じとれるようになってきたのはこの一年ほどのことだ。

 ぼくは毎土日の朝、カメラを片手に愛犬を連れて根岸森林公園を散歩する。そうして公園の樹木、花や実、葉などを観察し、四季の変化をレンズでとらえてブログ『ディックの花通信』で紹介してきた。
 ここしばらくのテーマは紅葉だったが、木々の紅葉はたとえば黄色とか、褐色とか、赤とか、そんな単純な言葉で言い表せるものではない。
 桜の葉が褐色になったものと、カエデの赤とは違う。銀杏の黄色にもさまざまな色合いの違いがある。常緑樹の緑を背景にした紅葉と、冬の抜けるような青空を背景にした紅葉とは、それぞれ併せる色が違う分だけ色の感じが変わってくる。
 四季によってさまざまに変化する自然の中で、ぼくはそうした色合いの違いを楽しめるようになってきた。

 さて、本書について難をいうならば、こうした印刷物の常で、色見本の色が少し違うように感じることだ。同じような本を見つけてきて比べてみると、同じ名前の色が違っていたりする。日本の伝統色は、色合いをそのくらい微妙に区別しているのだ。
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