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2011年04月

哄う合戦屋/北沢秋4

哄う合戦屋
哄う合戦屋

 北信濃は横山郷の領主 遠藤吉弘は、治水や開墾が好きで、狭い山間の領地ながら、新田開発の成果があり、石高は年々増えていた。才能のある者たちを巧みに使い、領内を富ませ、昔ながらの豪族たちが競り合う北信濃で代々の領地を守ってきたが、東からは武田晴信の圧迫が強く、北には村上義清があり、西には小笠原長時がいる。ほかにも父祖の代から争いを続けてきた小豪族たちがたくさんいて
、横山郷を守っていくのは簡単なことではない。
 その遠藤吉弘のところへ、娘の若菜が大きな体躯の武将を一人、たまたま出会ったからと導いてきた。
 石堂一徹という。この男、高名な軍略家として名が知られているが、なぜかこれまで同じ領主の下で長く仕えたことがない。
 ともあれ客人として迎えたが、愛嬌は微塵もなく、性格に暗い翳りがある。吉弘は、仕官が長続きしないのはこの男の性格が原因なのだろうと思ったが、なぜか娘の若菜が石道一徹を気に入っていた。書や絵、野の鳥などを愛し、鋭い感性を秘めている男だと、若菜は見抜いていた。
 吉弘の留守を狙い、近隣の高橋広家が夜討ちを仕掛けてきたとき、ついに石堂一徹の真価が発揮された。大半の家来たちが領主の伴で出払っている中、一徹の巧みな指揮で難局を切り抜けたばかりか、一徹は一刀のもとに広家を討ち取った上、吉弘には急遽高橋家の城へ向かうよう連絡を入れて、自分は百姓たちを総動員し、城が囲まれたと城を守る者たちに思い込ませた。
 吉弘も駆けつけたため、高橋家は観念して開城した。
 遠藤家の大ピンチのはずだったのが、石堂一徹の活躍で、いつの間にか領地を広げることになっていた。
 遠藤家の大躍進はここから始まるが、領地を広げればその先にまた敵がいる。やがては小笠原長時や村上義清、武田晴信ともぶつからなければならないだろう。領主の吉弘は悩み始めた。この先、石道一徹に任せておいて、果たしてよいのだろうかと。無禄で仕えているの石堂一徹の目的はいったい何なのか、それを知るのは一徹の伴をしてきた老武士 六蔵のみ。吉弘の娘 若菜は六蔵から、一徹の過去を聞き出した。

 久しぶりにおもしろい戦国物だ。
 歴史を知っている読者なら、信濃はやがては武田晴信に平定されて、それが川中島での上杉と武田の戦いに繋がっていくことを知っている。遠藤家のような弱小の豪族に将来はない、ということをよく承知して本書を読んでいるわけだ。
 しかし、石道一徹は強いのだ。慎重で頭がよく、常に先を読み、敵の裏をかく。ちょっとやそっとのことでは負けそうにない。この男に切り抜けられないことはない、というほどの豪傑でもある。
 この痛快でおもしろい物語は、いったいどこへ行き着くのだろうか。

 さて、時代物の新人といえば、『のぼうの城』で話題になった和田竜さんがいるが、この北沢秋さんの『哄う合戦屋』のほうが、『のぼうの城』の遙かに上をいっている。物語のおもしろさも、文章も、こちらのほうが良質だ。その証拠に、ぼくは『のぼうの城』以降和田竜さんの小説をなかなか読む気持ちになれないのだが、北沢秋さんの新作が出たら、すぐに買って読むだろう。

ヴィジェ・ルブラン展/三菱一号館美術館 〜 2011.5.85

ルブラン展表紙160 ルブラン展裏表紙160

 ヴィジェ・ルブランは18世紀フランスの代表的な女流画家だ。
 数多くの貴族たちの肖像画を描いて人気があった。
 三菱一号館美術館で開かれている本展には本人の自画像が数点出品されているが、女性らしい可愛らしさと品のよさがあり、絵の上手さだけでなく、この容貌も、マリー・アントワネットのお気に入りとなるのに一役買ったのではないか、と思う。
 「王党派」として名の知られていた彼女は、フランス革命勃発後はフランスを離れさせるを得なかったが、数年間をイタリア、オーストリア、ロシアで暮らし、行く先々でも、肖像画家として成功した。
 王政復古後はルイ18世に手厚く迎えられ、フランスへもどったという。
 
 人気の理由はひと目絵を見るだけで明らかだ。肖像画家として、抜群に上手いのだ。
 王妃とか公爵夫人とか、貴婦人を数多く描いたほか、子どもを描くのも巧みで、モデルのよい表情を巧みに捉え、ポーズや衣装などにも工夫を凝らし、ひと目見れば自分も描いて欲しい、と注文が殺到するような、そういう絵なのである。絵は大きく、表情や目の輝きなどばかりでなく、女性のふんわりした衣装の質感など、細かい部分でも手を抜かない。
 作品数も多く、6百数十のの肖像画と2百点ほどのの風景画を残したというから、注文に応じてすばやく描くことのできる卓抜した腕前の持ち主だったに違いない。
 同時代の女流画家の絵も集められた絵画展だが、並べてみればヴィジェ・ルブランの才能だけが突出していると感じざるを得ない。


 1782年の「ポリニャック伯爵夫人」、画家の弟エチエンヌを描いた作品、1785年の「クリュソル男爵夫人」、1787年の「フィシュを巻いた娘」、同年の大作「ペゼ侯爵夫人とルジェ侯爵夫人の二人の娘」など、思わず見入ってしまう作品の連続だ。
 1791年の自画像は、その雰囲気があまりにすばらしく、ぼくが大金持ちならこの作品を大枚はたいて購入し、自宅へ飾っておきたいところだ。
 「ヴィジェ・ルブラン」で検索すれば、ネットでも数多くの画像を見ることができる。西洋絵画史ではあまり語られることのない画家だが、密かなファンは大勢いるに違いない。

マンガでわかる有機化学/齋藤勝裕4

マンガでわかる有機化学 結合と反応のふしぎから環境にやさしい化合物まで (サイエンス・アイ新書)
マンガでわかる有機化学 結合と反応のふしぎから環境にやさしい化合物まで (サイエンス・アイ新書)
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 「化学」の分野にはかなり弱いと自覚したので、前回はソフトバンク・クリエイティブの『金属のふしぎ』を読んだ。
 「無機化学」を理解するのは比較的やさしい、と感じた。次は「有機化学」に挑戦とばかりに本書『マンガでわかる有機化学』を読み始めたら、「わかる」どころではない。「マンガでわかる…」などという本がわざわざ作られた意味を痛感せざるを得なかった。
 複雑であり、奥が深い。「異性体」とか「官能基」とか、初めて耳にする用語が続出し、これを理解しないと先へ進めない。「構造式」も理解しなくてはならない。読み進めるにつれて、どんどん複雑になってくる。
 だからこそ、この分野は大きく発展し、さまざまな新しい化合物が作られ、実際に利用され、商品化されているのだ、と改めて痛感した。
 ちなみに2010年に鈴木章、根岸英一両教授がノーベル化学賞を受賞したのは、この「有機化学」においてなのだ。
 ああ、いま気がついたが、本書の著者は『金属のふしぎ』と同一人物ではないか。ハードルの高い「有機化学」は、同じ著者でもかなり書き方を変えざるを得なかった、ということか。

 通読はしたし、かなりの時間もかけたが、きちんと理解できたとはとても言えないし、放っておけば片っ端から忘れてしまうだろう。だから、次は雑誌Newton 2009年6月号 特集「有機化学とは何か?」を読んで追い打ちをかけよう、としている。
 簡単に諦めるつもりはない。ある程度の理解と知識へ到達するまで執拗に勉強していこう、と考えている。

GOSICK/桜庭一樹3

GOSICK  ―ゴシック― (角川文庫)
GOSICK ―ゴシック― (角川文庫)

 プロローグを終えた小説本体の冒頭の三行。
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 それから10年後……。
 ヨーロッパの小国、ソヴェール王国。山麓の麓に構えられた、名門聖マルグリット学園の、豪奢な石造りの校舎の一角で……。

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 男性の大人の読者なら、上の三行を読んだだけで一歩引いてしまう人は多いだろう。貴族の子女を集めた名門校を舞台にした学園物が始まるらしく、聞いたこともない、わけのわからぬ名前の王国での話なんて、ばかばかしくて読む気にもならない、という人も多いだろうと思うが、読書好きの人であれば、なんといっても桜庭一樹さんが書かれた小説だし、とりあえずは読んでみるか、と手にとってみる人もいるだろう。自分は後者だ。
 主人公は帝国陸軍からの留学生、三男坊の久城一樹。いや主人公というよりは、半ばワトスン的な語り手であり、別にシャーロック・ホームズ役がいて、それが少女なのだ。
 ふだんは教室に出てこなくて、図書館の塔の最上階に住んでいる。毎日のプリントをせっせと最上階の少女ヴィクトリカまで届け、何か事件があれば相談するのが久城一樹のお役目だ。
 ここまでくると、これはシャーロック・ホームズをなぞったミステリなのかと思うわけだが、現代のライト・ノヴェル風に、ホームズ役はこれまたエキセントリックで、生意気で、人形のようにかわいらしい女の子なのである。一歩も部屋から出ることなく、図書館の小難しい本を片っ端から読破しているらしい。
 どうもこうも無茶苦茶な設定なのだが、起きる事件というのがまた、妙ちくりんだ。船に閉じ込められて皆殺しにされた少年少女の誰かが生き残っていて、犯人たちを豪華客船に招待し、復讐を果たそうとする。その中に、たまたまの偶然で久城とヴィクトリカが巻き込まれる。
 江戸川乱歩がコナン・ドイルを真似して書いたミステリに、ライト・ノベル風の味付けをしたような、じつに妙な物語だが、そこは桜庭一樹さん、ストーリー・テリングが巧みで結構読ませる。
 ほかに読む本がたくさんあれば、わざわざ読むほどの小説ではないが、ぼくのように病院の待ち時間が長すぎて、持って出た本は読みきってしまったとか、そういうときには軽くて読みやすくて、とてもよい暇つぶしなのだ。

シカゴより好きな町/リチャード・ペック

シカゴより好きな町
シカゴより好きな町

 お祖母ちゃんの家へ兄ジョーイと夏休みを過ごしにいく、というのとは、こんどは違った。
 兄は連邦政府の職員として西部での植林に従事していたが、わたしメアリ・アリスはまだ15歳、一家は不況のどん底で職も家も失い、わたしは居場所がなかったから、だからお祖母ちゃんのところでやっかいになることになった。いつか景気が上向くまで無期限だったし、あんな田舎町の学校へ転校することになるなんて…。
 都会育ちのわたしは、お祖母ちゃんの家での夏休みを、そもそも兄ほどには楽しんでいなかった。

 というわけで『シカゴよりこわい町』の続編は上のような事情で始まる。ディケーターの町も不況にあえいではいるが、お祖母ちゃんのダウデル夫人は健在で、相変わらずたくましい生活力を見せている。
 都会っ子が田舎へ転校したりすれば、馴染むまでがたいへんで、米国の田舎町だから柄の悪いガキどもも大勢いる。物語はまずはメアリ・アリスの悪戦苦闘から始まるが、なにしろあのお祖母ちゃん、ダウデル夫人と同居しているということは、心強くもある一方で、お祖母ちゃんが何を企んでいるのか気を抜けない。
 たとえばお祖母ちゃんがパイを焼こうと決めた場合、パイをやくためには中身のペカン(ナッツ)やカボチャが必要だ。お祖母ちゃんはメアリ・アリスに手伝わせ、手押し車をひいて夜の闇の中へ出ていく。ペカンやカボチャを無料で調達するためだった。

 貧乏や病気で困っている老人や友人を助けるためには、一肌脱いで踏ん張るダウデル夫人は、銀行家だとかお高くとまっている連中が嫌いで、そういう連中に一泡吹かせるためなら平気で陰謀を企て無茶をする。物語もそろそろ終わろうかという頃、メアリ・アリスがひそかに自覚したことといったら、やはり自分はダウデル夫人の孫であり、同じように負けず嫌いで、身につけたことはみんな祖母から教わったことばかりだ、ということだった。

 『シカゴよりこわい町』の続編だ。
 東京創元社から出されたヤング・アダルト向け小説ということだが、とても完成度の高い、ハート・ウォーミングな一冊である。

シュガーシンク SugarSync 自由自在/アスキードットPC編集部 編3

すぐわかるポケット! 仕事にすぐ効く! シュガーシンク SugarSync 自由自在 (すぐわかるポケット!)
すぐわかるポケット! 仕事にすぐ効く! シュガーシンク SugarSync 自由自在 (すぐわかるポケット!)


 Mac に Windows をインストールして使っており、ほかにも Windows PCがあって、そちらにしか入っていないファイルがある。また家族は別の Mac を使っている。
 こういう場合、ファイルのやりとりをしたりするのに 家庭内 LANを組んであっても、すべてのPCを常に立ち上げているわけでないから、クラウドサービスに自動保存できたら便利ではないか、と考えて、試しにSugarSync の 無料5GBのサービスの利用を始めた。
 それぞれのマシンにマネージャーをインストールしたり、家内の他のPCの入れてみたりして、あれこれ試してはみるのだが、マジックブリーフケース、モバイルフォト、ウェブアーカイブなどのフォルダのをどう使い分けたらよいのか、どうもよくわからない。概念を簡単に説明してほしい、と思っていた。
 本書を通読する前にすでに使っていたから、間違えた使い方をしていたとか、こういう使い方もできるとか、初めてわかったこともある。たしかに役には立ったが、いまひとつまだ物足りない、というのが正直なところだ。
 スマートフォンもノートパソコンも使っていないから、便利さを痛感できない、ということもあるのかも知れない。
 こうした新しいサービスは、わかっていないとどうも何か時流に乗り遅れているような気がして、落ち着かない。とにかく試して、一通りはのことはのみこまないと気が済まないのだ。
 
 次は EVERNOTE を試用してみようか、と考えている。

6 TEEN/石田衣良4

6TEEN
6TEEN

 この小説『6TEEN』の前に、もしかして『5TEEN』があるのかな、と思って調べてしまった。
 登場人物の少年たちが過去にあったできごとを回想する場面が何回か出てくるのに、ぼくはさっぱり憶えていない。『4TEEN』を読んでいるのは確かなのに…。
 当ブログの中を調べてみた。
 2005年6月10日の『スローグッドバイ』の感想で、ぼくは以下のように書いている。
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 昨年から月1冊のペースで石田衣良さんの小説を読んできたが、3月以降しばらくあいだが空いた。直木賞を受賞した『4TEEN』が期待したほどではなかったせいかも知れない。この『スローグッドバイ』のほうがずっとできがよい、とぼくは感じた。
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 結局、『4TEEN』は読んでみても、すぐに忘れ去られる程度の物語だった、ということなのだ。
 思い出してみれば、石田衣良さんの小説は、古いものを発掘して読むか、「池袋ウエストゲートパーク」の新作を読むかしていて、それ以外は新しいものをほとんど読んでいない。それは『4TEEN』を読んだ頃からそうなっている。
 では本書『6TEEN』はどうなのか。
 全10話からなっている。2007年から2009年にかけて小説新潮に書いてきた短編をまとめたのが本書だ。高校生になった登場人物たちを使いながら、しかしどうも、連載のために無理矢理ネタを捜して書き続けてきたような印象だ。この作家さんが輝いていた頃は、どうしてもこれを書きたい、書かずにいられない、というところから生まれてきた小説に感動したものなのに、本書は何かしらネタを捜しては、老練なテクニックでなんとかつないだ、というような印象が強い。

 そのような短編集だから、ぼくはもう、あえて物語紹介をするほどの意味は感じない。
 文章の調子がよいので、読んでいるあいだはすらすらと読めておもしろい。だが、本書も一年も経てばほとんど忘れてしまうだろう。

 これはなかなかいいかな、と思ったのは、『秋の日のベンチ』というホームレスの老人が登場する短編だ。話し相手が欲しくて少年たちを相手にするホームレスの男は、次のようなことを語る。
 「いいか、会社とか家族とか、人が何人か集まると、その構成員にだな、組織のほうはでたらめなことを要求するんだ。自分のすべてを差し出せとか、一生家族のために働けとかな。暮らしの安全を保障する代わりに、人間は組織に使い潰されていく。それに耐えられるのは、恐ろしく強いやつだけだ」

 このような場面にぼくが感心してしまうのは、読者であるぼくの年齢が影響しているからだろう。この短編集がよく描かれているから、というわけではないに違いない。
 登場人物のキャラはどうにもわざとらしく、わざとらしい設定の中から生まれる物語には、どこかわざとらしさがつきまとう。

シュルレアリスム展/国立新美術館 〜 2011.05.09 まで

シュルレアリスム展タンギー表紙160シュルレアリスム展タンギー裏表紙160

シュルレアリスム展マグリット表紙160シュルレアリスム展マグリット裏表紙160

 シュルレアリスムとはもう40年以上の付き合いだ。
 だから、ダリ、マグリッド、デルヴォーなど、一般受けしやすい画家の作品が多いのだったらつまらない、と思っていた。「パリ、ポンピドゥーセンター所蔵作品による」とあり、イヴ・タンギーの作品をパンフレットに使っているので、多少の期待はあった。
 展示の仕方はダダから始まり、アンドレ・ブルトンの思想と言葉を前面に押し出して、なかなか本格的だ。逆を言えば、シュルレアリスムをよく知らない素人には、さっぱりわけのわからない美術展になっているのではないか、と思う。
 ぼくには、マルセル・デュシャン、マン・レイ、マックス・エルンストらの作品のほか、「シュルレアリスム宣言」の原本の展示など、当時のシュルレアリストの活動資料が興味深い。
 「甘美な死骸」と題して、紙を折りたたんで数人の画家が前の作品の一部しか見えないようにしながら即興で絵を描いていく、という遊びの作品が数点展示されていておもしろい。たとえば、ミロ、マックス・モリーズ、マン・レイ、イヴ・タンギーという組み合わせがある。ブルトンが参加したものもある。
 思わぬ収穫はアンドレ・マッソン。いままで横浜美術館に常設展示されている作品しか見たことがなかった。ところが、今回のシュルレアリスム展で作品数が多いのはアンドレ・マッソンヴィクトル・ブルーネルなのだ。ブルーネルはいまひとつ肌が合わず好きになれないが、マッソンはいい!
 シュルレアリスムの画家たちがアメリカへ大量亡命したのがきっかけで、マッソンから影響を受けたのがジャクソン・ポロックだそうだ。これは作品の類似や流れから「さもありなん」と察しが付く。
 シュルレアリスムの画家たちの作品それぞれが、絵画としてとくによいとは思っていないが、現代絵画の礎を築いたことは確かなのだ。一時期影響を受けて、のちに独自の画風を切り開いて大家となった画家も多い。
 
 もういくつか触れておきたい。
 イヴ・タンギーの大作『岩の窓のある宮殿』がすばらしい! 横浜美術館の『風のアルファベット』が大好きなのだが、それよりもこちらのほうが大きい。イヴ・タンギーの不思議な絵にはおもわず見とれてしまう。
 アルベルト・ジャコメッティの彫刻『喉を切られた女』。「なんだ、これは?」と思ってしげしげと周りを回った。ジャコメッティのあの細長い人体はどうしても好きになれないが、こんな時期もあったのだ。
 マックス・エルンストはフロッタージュ作品が有名だが、今回の展示にはずいぶんいろいろなタイプの作品が展示されている。次々と作風を変えていって、どれもなかなかおもしろい。さまざまなアイデアを試した人なのだ。昨年のマン・レイ展で、 マン・レイにも同様の感想を抱いたが、大勢のアーティストが集まって、「革新的なアイデアのデパート」を開いた。それこそがシュルレアリスムの真価だった、と思う。

金属のふしぎ/齋藤勝裕4

金属のふしぎ 地球はメタルでできている!楽しく学ぶ金属学の基礎 (サイエンス・アイ新書)
金属のふしぎ 地球はメタルでできている!楽しく学ぶ金属学の基礎 (サイエンス・アイ新書)


 雑誌Newtonの特集で「レアメタル・レアアース」を読んでから、日本の先端技術を理解するには化学を基本から勉強し直す必要がある、と感じた。
 金属と有機化学と、どちらかから入門しなくてはならないが、上の流れからいえば「まず、金属から」だろう、ということで本書を選んだ。
 SoftBank Creative のサイエンス・アイ新書は、講談社のブルーバックスと比較すると取っ付きやすいので、ずいぶん重宝している。
 ・地球は金属でできている、と元素について物理学の基本から始まるが、
 ・金属の物理的性質
 ・金属の化学的性質(酸化と還元、触媒作用など)
 ・金属と生体
 という具合に話は進み、公害や毒物の話題まで出てくる。
 ・金属のさまざまな分類 についての解説が終わると、次に各論に入る。
 ・鉄、銅、アルミニウム、鉛、スズ、亜鉛、水銀、金、銀、白金と続いて、レアメタル・レアアースの話題に発展し、ナトリウムやカリウムなど、その他金属の話題に入る。
 
 たまたま、そんなときCSIマイアミを見ていたら、シャワーを浴びた男がそのあと身体にコロンを吹きかけたら、身体が発火してひどい目に遭う、というシーンをやっていた。犯人がスプレーの中身をカリウムとすり替えたのだ。
 「カリウムは水と反応すると発火する」 だからふだんは石油の中へ浸けて保存するのだそうだ。
 この本を読んでいてよかった、と思った。
 いま話題の放射性元素についてもしつかりした解説がある。

 この感想を書いている現時点で『マンガでわかる有機化学』を読み始めているが、「マンガでわかる」というほど簡単ではない。有機化学はじつに難解な世界のようだ。そちらの本の感想は、少し日数がかかるかも知れない。

Newton 2011年5月号 特集 〜 波の性質から見る音と光のサイエンス4

newton 音と光のサイエンス


 Newton 2011年5月号の特集は「波の性質から見る音と光のサイエンス」だ。
 物理学のおさらいをやっているようなものだが、同じ波でも、音波、光、地震波など、それぞれに固有の性質があり、それらを比較検討することにより、波についての理解を深めることができる。
 本号はほかにも、大震災関連の記事、太陽電池、ニッケル水素電池の記事、体腔鏡手術や量子線治療などのガン治療に関する記事など、小さな記事が盛りだくさんだった。

 ところで、3月号のレアメタル・レアアースの記事を読んだ頃から、自分の知識の偏りを反省しているのだが、物理学関係については相応の理解はしているものの、ぼくは化学関係に著しく弱いようだ。
 これでは、原子力発電所の諸問題も含め、各業界の最新技術について正しい認識ができそうにない。
 そこで今後当分は、「化学」関連の本を重点的に読んで勉強していこう、と考えている。

虹の彼方に(上)〜 機動戦士ガンダムUC 9/福井晴敏4

虹の彼方に(上) 機動戦士ガンダムUC(9) (角川文庫)
虹の彼方に(上) 機動戦士ガンダムUC(9) (角川文庫)


 「機動戦士ガンダムUC」の物語の複雑さは、とても説明しきれるものではなく、第九巻「虹の彼方に(上) 」の感想をわざわざ書くことにどれほどの意味があるのか。
 以下を読んでいただければわかる。
 福井晴敏さんという作家の特質は、現代日本の政治や、組織のあり方、社会のあり方の問題点を常に厳しく問いかけ続けているところにある。
 91ページ10行目から14行目までを以下に引用 (赤字部分) する。
 この物語は、宇宙を舞台にした権力争いを描いているが、人間のやっていることはいつも同じなのだ。大事故に直面して大会社や政府の責任ある立場の人たちがどのような対応をしているか、いやでもそのことを思い浮かべざるを得ないだろう。

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 中佐が、さも覚悟を固めたという顔をしているのが許せなかった。盤石な世界の一部であるかのような顔をしておきながら、狭い想定の範囲でしか物事を見ていない。そしてひとたび想定外の事態に直面すれば、あり得ないと言って顔を背けるか、個々の責任論に逃げ込み、やれるだけのことはやったと忠義面をするのに終始する。こいつら愚鈍な大人はいつもこうだ。世界が滅んでも、個人の面目が果たせられればそれでよいと思っている。

ビゼー 〜 カルメン /NHKメトロポリタン・オペラ5

 NHKが放送した2010年のメトロポリタン歌劇場のオペラについて、順次感想を書いていこう、としている。
 さて、第二夜は 2月21日(月)午後10:00〜午前1:02 に放送された ビゼーの『カルメン』だ
 出演した歌手、スタッフ、オーケストラなどは下記の通り。

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《出演》
・カルメン(ロマの女)
 エリーナ・ガランチャ
・ドン・ホセ(竜騎兵の伍長)
 ロベルト・アラーニャ
・ミカエラ(ホセのいいなずけ)
 バルバラ・フリットリ
・エスカミーリョ(闘牛士)
 テディ・タフ・ローズ

《ダンス》
・マリア・コウロスキ
・マーティン・ハーヴィー
《バレエ》
 メトロポリタン歌劇場バレエ
《合唱》
 メトロポリタン歌劇場合唱団
《管弦楽》
 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
《指揮》
 ヤニック・ネゼ・セガン
《振付》
 クリストファー・ウィールドン
《演出》
 リチャード・エア

 収録:2010年1月16日 メトロポリタン歌劇場

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 じつはわが家にはメトロポリタン歌劇場で上演された「カルメン」のDVDがある。
 カルメンを演じているのはアグネス・バルツァで、ぼくは彼女がホセ伍長を誘惑して歌うアリア「恋は気ままな小鳥」ですっかり彼女の怪しい魅力の虜になってしまった。
 悪女が純真な若者を誘惑するこの場面、この歌、この演技の迫力は、ほんとうに半端ではない。許嫁がいようが、郷里で母親が待っていようが、そんなことは関係ないとばかりに誘惑されてしまう。
 カルメンを演じる女優の魅力は、このオペラを演じるにあたり、これほどまでに重要だ。
 では、今回のエリーナ・がランチャはどうだったか。

 「恋は気ままな小鳥」が歌われ始めた時点では、カルメンという女性の怪しげな魅力という点で、エリーナ・ガランチャはアグネス・バルツァには遠く及ばない、という印象があった。美しい女性だが「男を惑わす怪しげな魅力」という点でアグネス・バルツァに劣るし、歌唱の魅力もそのような印象がある。
 エリーナ・ガランチャを見直したのは第二幕へ入ってからだった。
 リチャード・エアの演出は、最初から最後まで、じつはとてもモダンだ。第二幕は群舞の場面が多く、その振り付け(クリストファー・イードン) が洒落ている。ダンスはフラメンコ風のモダン・ダンスともいうべきもので、エリーナ・ガランチャは他のダンサーに混じって見事に踊る。けっこう激しく踊りながら、歌う。
 現代的感覚で言えば、現代のファム・ファタールはこれくらい踊れて当然である。声、歌、容姿、身体の線に加えて、ダンスの魅力は必須だろう。オペラはけっして歌が上手ければそれでよい、というものではない。これが舞台とはわかっていても、観客はそれを承知の上でなお、つかの間でも別世界へつれていってくれることを望んでいる。エリーナ・ガランチャのようなカルメンが一度でも登場してしまえば、これがこれからの標準とならざるを得ない。モダンな振り付けのダンスを踊れないカルメン女優には、もはや魅力を感じることができなくなってしまう。そのくらいインパクトある『カルメン』だった。
 
 幕間の間奏曲にもモダンな振り付けのバレエが演じられたり、いろいろな工夫が凝らされた『カルメン』だった。
 この放送では、幕間に出演者へのインタビューがいろいろと行われるが、今回のインタビュアーは『バラの騎士』でウェルデンベルク侯爵夫人を演じたルネ・フレミングだ。幕間で各出演者に演じるにあたってどういう点に気を遣っているかなどインタビューするのは、とてもおもしろい試みであり、興味深いものがある。
 たとえば闘牛士役のテディ・タフ・ローズは、その日の朝に電話があって代役を頼まれ引き受けたのだそうだ。この世界はずいぶんとタフな世界なのだな、と感じた。
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