大聖堂

12世紀のイングランドが舞台。いわゆる中世の真っ只中だ。
教会も王権も地方領主も、自己の勢力を伸ばそうと、互いについたり離れたりと忙しい。主人公は建築職人トム・ビルダーで、職を求めて放浪の日々を送りながらも、いつか大聖堂の建築に携わりたいと夢見ている。
混沌とした社会の中で、野心と暴力に信仰と正義が立ち向かう物語は、恋と冒険が絡み、おもしろいことこの上ない。
 
ただ、この『大聖堂』という物語は、たとえば『三銃士』のように、主人公たちが明るく、強くて、常に勝つという話とは違う。愛と正義が勝利をおさめる、ということもない。
ウィリアム・ハムレイ伯爵とウォールラン司教という二人の悪役が強烈で、登場人物たちは何度もひどい目にあわされる。まさしく艱難辛苦をなめるのだが、それでもひるまず立ち上がる。何度ひどい目にあわされても、知恵と忍耐で劣勢を挽回する。
これがこの小説のエッセンスと言えるだろう。

また、この小説はけっしてプロットのおもしろさだけではない。
森と都市、領主と領民、貴族と国王、王権と教会、迷信と知恵、富と貧困、こうした中世の社会を形作っていたものの関係が、しっかりと描き込まれていて、経済や政治の仕組みがごく自然に理解されてくる。情感たっぷりの物語でありながら、こうした基礎的な部分がしっかりとしているので、とてもリアリティがある。
 中世の終わり頃というと、王権が強くなってキリスト教の支配領域を少しずつ浸食しようとし、それに対して教会が既得権を守ろうと必死になっていた。そういう中世のイギリスに対する理解を深められる、という点でも、興味深い本なのだ。
 ゴシック建築に対する理解があればより一層楽しめるはず。
 副読本に『ヨーロッパものしり紀行(建築・美術工芸編)』(紅山雪夫著)をお薦めする。

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 この感想は1997年11月に書いたものに手を加えた。
 『大聖堂』は名作と評判が高いのに、なぜか新潮文庫が廃版になり、入手が困難になっていた。ところがソフトバンクのSB文庫が全3巻で新しく刊行し、現在書店で山積みになっている。それでこの感想もふたたび日の目を見た次第。
 ぼくは冒険小説、歴史小説のファンのみなさんに強く本書をお薦めしたい。