砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet


 冒頭に「少女のバラバラ遺体発見」の新聞記事が提示される。身元は鳥取県境港市の中学生海野藻屑、発見者は同じ中学に通う友人の女の子。
 そして少女の一人称で物語は始まる。
 ----転校生、海野藻屑があたしのクラスに乱入いや転入してきたのはその年の…。
 この一人称の少女 山田なぎさが、きっとその発見者なのだろう、と容易に想像がつく。
 なぎさの家は母と兄となぎ三人の母子家庭。生活はきびしい。だから、「あたしは生きることに関係なさそうな些末なことについては悩まない、関わらない」と決めたばかり。なぎさは実弾=金のなることにしか興味を持たないことにしたのだ。
 それなのに、転校してきたやせっぽちの美少女は、砂糖菓子の弾丸ばかりをばらまくのだ。「ぼく」と彼女は自分のことをそう読んだ。「ぼくは人魚なんだ」と、そんなばかげたことばかり、役にも立たないことばかりをしゃべる。おまけに、どこが気に入ったのか、なぎさにつきまとう。
 海野藻屑は元有名ミュージシャン、いまは落ち目の海野雅愛の娘で、大きな屋敷に父親と二人暮らしだった。彼女はなぜか足を引きずる。彼女が転んだとき、腿やら何やら、ふだん見えないところは痣だらけなのに気がついた。おかしなことばかりしゃべる、風変わりな少女だった。

 著者本人のあとがきによると、最初にこの『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が書かれて人気が出、『少女には向かない職業』『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(未読)『赤朽葉家の伝説』(未読)と続いていったらしい。
 さほど捻ったブロットではない。展開は真っ当。ただ、主人公の少女、中学二年生になりきった語りはいかにも桜庭一樹さんらしい。『推定少女』とどちらが先に書かれたのかわからないが、ぼくとしては『推定少女』のほうをとる。『砂糖菓子の弾丸は…』のブロットには、どこかまだ、真っ当な大人の視線が残っている。
 『推定少女』のプロットは、小説としてのまとまりを逸脱し、ただひたすら、大人であることを拒否した少女の視点に忠実なのだ。破綻した小説である『推定少女』は、読者がまだ中高校生だった頃の焦燥感、閉塞感を思い出させ、激しく読者をゆさぶる力を持っている、とぼくは思う。
 言い換えるなら、『砂糖菓子の弾丸は…』はごくまともな小説だ。『推定少女』なら、「なんだ、これは?」と疑問視する人がいるかも知れないが、本書は相応の評価を得やすい、と思う。