

横浜美術館「大開港展」のトップページがペーター・B.W.ハイネの「ペルリ提督横浜上陸の図」なので「なんだ、またか! 」と、あまり見に行く気になりませんでした。開港記念ということで、ハイネの絵のように「歴史的遺品ではあるけれど、美術品としてはどうも…」というものがたくさん並んでいて、あまりおもしろ味がない展示を予想していました。
いやあ、見に行ってよかった!!
第一展示室のトップが狩野晴川院養信の屏風絵で、ほかにも養信が歴代の将軍を描いた絵が並んでいます。江戸時代末期の御用絵師ということなのですが、まったくおもしろくない。御用絵師が記録用、装飾用やお祝い用に描いた絵というのは、どうしてこんなにつまらないのだろう。
そんなふうにして、見てまわり始めたのですが、天璋院篤姫や、降嫁した和宮内親王が使っていた調度品や飾り物が並び始めた辺りから、これはすごいな、と思い始めました。江戸時代末期の工芸品の水準の高さに目を奪われます。
そして、いよいよ開港。
びっくりしたのは明治初期の輸出用工芸品です。芝山蒔絵とか、森村組の陶芸品とか…、職人を集め、いくつもの和の工芸技術を寄せ集め、西欧の人々に好まれそう、いわゆる売れそうな工芸美術品を創り出し、それで一儲けしようとした人たちがいたのですね。必ずしも品のよい芸術品とは言い切れませんけれど、きわめて高い技術力、そして商人のブロデュース力を感じます。ちなみに、森村組というのは現リリタケのことだそうです。このような品々をいったいどこから集めてきたのか、と思って調べると、個人や聞いたこともないような会社のコレクションから出てきています。しっかり集めているコレクターさんがいらっしゃるのですね。
そして、やがて明治政府は文化政策として明治23年に帝室技芸員という制度を始めたそうです。宮内大臣により任命された選択委員により作家が推薦され、帝室博物館館長の招集した会議によって任命される。定員は25名で、年金の他に下命された制作に対しては制作費が受給されたのだ、とか。
これらの人たちの絵画や制作工芸品がまた見事です。岸竹堂の「猛虎図」、今尾影年の「四時花木群蟲図」などにはまたまた驚かされました。こんな品々がいったいどこから出てくるのか。滋賀県立美術館、京都文化博物館、清水三年坂美術館など、地方にはこのような名品を所蔵している美術館があるんですねぇ。
最後が横浜三溪園を創った原三溪(生糸輸出で儲けた実業家)がバックアップした芸術家たちの作品。これは横浜美術館が収集しているので、ぼくもよく知っている方たち、下村観山、今村紫紅、安田靫彦らの作品でした。


リンクをたどりました。一つ扉を開いて
別室へと入ってきたようです。
このふわふわとした心持ちはどこから
来るのかはわかりませんが、ディック
さんの別の姿なのでしょう。少しのぞ
き見をしている中にいるような感じで
す。
大・開港展。横浜の港が開かれてまだ
一世紀と半分です。しかし、その間に
色々なこと。ありすぎたのでしょうね。
いつも思うのですが、すべて歴史の中
で、その時々のちょっとした流れの変
化が大きくものの姿を変えるのだと言
うこと。そして、その変化の結果を見て
いるんだと言うこと。それを感じます。
大・開港展。なんとなく、歴史の流れの
いたずらを想像するより、とにかく結果を
見て楽しんだ方が良いようですね。
どうも、説明ですと、すごそうな内容です。