誰か (文春文庫 み 17-6)
今多グループの会長のお抱え運転手梶田信夫が、自転車に撥ねられ、打ち所が悪くなくなった。撥ねたのは少年だという情報もあるにはあるが、逃げてしまって犯人はつかまらない。
梶田の娘姉妹が会長を頼って相談にきた。父の思い出を書いた本を出版したい、という。社内報編集部の杉村三郎に、「面倒を見てやってくれ」と会長から指示があった。
杉村は梶田姉妹と面談するが、本を出版することで犯人を糾弾し、心理的圧力をかけるたいというのが梶田梨子(妹)の思惑だった。本を書くために、父親の若い頃の勤務先など、いろいろと取材するつもりでいるらしい。
ところが姉の聡美は、妹とは別に杉村に訴えた。父親には何か人には言えない過去があったはずだ。それを掘り出しては困る。妹が父の過去を掘り返さないよう、うまくやってほしい、と。
杉村は困惑する。会長はどこまで知っているのだろう。梶田にそうした過去があるのなら、気がつかない会長ではないはず。聡美の思い過ごしなのだろうか。
どうしたら、梶田の娘たちを満足させられるだろうか。
主人公の杉村は『名もなき毒』の主人公と同じだ。『名もなき毒』よりも以前の話となっていいる。
この主人公の人物設定は、こうしたミステリとしてはめずらしい。『名もなき毒』の感想にも書いたが、ミステリの探偵役であれば、一匹狼とか、ばりばりの遣り手が主人公になって、周囲とぶつかり合いながら事件を解決していく、というのがふつうだ。そのほうがサスペンスを盛り上げやすくおもしろくなる。
ところが、この物語の主人公は違う。穏和なタイプで、おとなしい。思いやりがあり、やさしさにあふれ、無欲で、家族思いなのだ。
じつは、杉村は今田グループの中ではかなり特殊な立場にある。会長の娘と結婚しているのだ。生活の不安はいっさいない。社内報の編集部員は会長のスパイだという社員もいる。そんな生活がおもしろいか、と揶揄する身内もいる。
杉村はそうした生活をそのまま受け入れ、我慢している。そういう性格なのである。
安定した大人の男の魅力を感じさせる主人公だ。冒頭に紹介したううな、ふつうのミステリの主人公だったら手をつけかねてしまう流れの話にも、なんとか梶田姉妹の気持ちを受けとめて役に立とう、と心を砕く。
スリル満点のミステリというわけにはいかないが、味わい深い小説だ。やはり、こういうふうに登場人物がしっかり描けている物語がよい。自転車に撥ねられて人が怪我をする。ありふれているけれど、社会的には問題化しそうな事件。宮部さんはそういう目の付け所がいい。
今多グループの会長のお抱え運転手梶田信夫が、自転車に撥ねられ、打ち所が悪くなくなった。撥ねたのは少年だという情報もあるにはあるが、逃げてしまって犯人はつかまらない。
梶田の娘姉妹が会長を頼って相談にきた。父の思い出を書いた本を出版したい、という。社内報編集部の杉村三郎に、「面倒を見てやってくれ」と会長から指示があった。
杉村は梶田姉妹と面談するが、本を出版することで犯人を糾弾し、心理的圧力をかけるたいというのが梶田梨子(妹)の思惑だった。本を書くために、父親の若い頃の勤務先など、いろいろと取材するつもりでいるらしい。
ところが姉の聡美は、妹とは別に杉村に訴えた。父親には何か人には言えない過去があったはずだ。それを掘り出しては困る。妹が父の過去を掘り返さないよう、うまくやってほしい、と。
杉村は困惑する。会長はどこまで知っているのだろう。梶田にそうした過去があるのなら、気がつかない会長ではないはず。聡美の思い過ごしなのだろうか。
どうしたら、梶田の娘たちを満足させられるだろうか。
主人公の杉村は『名もなき毒』の主人公と同じだ。『名もなき毒』よりも以前の話となっていいる。
この主人公の人物設定は、こうしたミステリとしてはめずらしい。『名もなき毒』の感想にも書いたが、ミステリの探偵役であれば、一匹狼とか、ばりばりの遣り手が主人公になって、周囲とぶつかり合いながら事件を解決していく、というのがふつうだ。そのほうがサスペンスを盛り上げやすくおもしろくなる。
ところが、この物語の主人公は違う。穏和なタイプで、おとなしい。思いやりがあり、やさしさにあふれ、無欲で、家族思いなのだ。
じつは、杉村は今田グループの中ではかなり特殊な立場にある。会長の娘と結婚しているのだ。生活の不安はいっさいない。社内報の編集部員は会長のスパイだという社員もいる。そんな生活がおもしろいか、と揶揄する身内もいる。
杉村はそうした生活をそのまま受け入れ、我慢している。そういう性格なのである。
安定した大人の男の魅力を感じさせる主人公だ。冒頭に紹介したううな、ふつうのミステリの主人公だったら手をつけかねてしまう流れの話にも、なんとか梶田姉妹の気持ちを受けとめて役に立とう、と心を砕く。
スリル満点のミステリというわけにはいかないが、味わい深い小説だ。やはり、こういうふうに登場人物がしっかり描けている物語がよい。自転車に撥ねられて人が怪我をする。ありふれているけれど、社会的には問題化しそうな事件。宮部さんはそういう目の付け所がいい。