トップページ » 暗闇の中で、光が見えない状態。 とにかく苦しかった。 頭がおかしくなるほど、苦しかった。

暗闇の中で、光が見えない状態。 とにかく苦しかった。 頭がおかしくなるほど、苦しかった。

今現在も、決して楽ではない。

でも、『今まで一番苦しかった時期はいつですか?』と聞かれたら、
僕はこの時期だと答えます。

東京に上京する前の、一年くらいの時期です と。

僕はこの時期、写真について凄く悩んでいた。
全然いい写真が撮れなくて。
いい写真というものが何なのか、全く分らなかった。
仕事が忙しくて、自分の時間が取れない。
アシスタントしている撮影内容も、僕のやりたいことと
ずれてきている。
時間がない中、休みの日は写真を撮りまくった。
とにかく、大量のフィルムを購入し、給料のほとんどがフィルム代、
現像代、プリント代に費やされた。
人物、風景、スナップ、物、あらゆるものを沢山撮った。

撮っても撮っても、全然いい写真が撮れないんですよ。

暗闇の中で、光が見えない状態。

とにかく苦しかった。

頭がおかしくなるほど、苦しかった。


僕は自分で写真をいくら撮っても、いい写真が何なのか答が出なかった。

僕は、その当時、すごく疑問に思っていた。

「写真を見ていて、凄く心を打つ写真と、
 何も感じない写真があって、それの違いが何なのか分らない。
 この違いは何なんだろう?
 何で、すごく感じる写真と、何も感じない写真があるのだろう?」

僕は周りの人に、聞きまくった。

でも、誰一人として、納得のいく答を出してくれる人はいなかった。

僕はそこで、思ったんです。

僕の心を打つ、魂震える写真を撮っている人に聞けば、
答を教えてくれるかもしれない。
その人に聞くのが一番早い。

当時、僕は狂ったように写真を撮ってました。
答えも、答えを出す糸口も見つからぬまま。
当然、全然いい写真が撮れない。
自分がいい写真を撮れないことを棚に上げて、
僕は周りの人を批判した。
自分がいい写真を撮れないこと、人のせいにした。
そして、人にあたった。
でも、全然問題が解決されない。
当たり前ですよね。
自分に何が足りなくて、何が出来ていないから
いい写真が撮れないか自分で分っていないから。

そんな時、コマーシャルフォトという映像関係の情報誌の
アシスタント募集の蘭に、紀里谷和明さんの名前があった。
当時、紀里谷さんは雑誌、広告、CDジャケット撮影を多数手がけ、
ミュージシャンのPVも撮っていた。
宇多田ヒカルのジャケットやPV、Mr.Children、MISIAなどのCDジャケット等、
素晴らしい作品を撮っていた。
紀里谷さんが宇多田ヒカルと結婚する、二•三年前です。

僕は紀里谷和明さんの名前をアシスタント募集の蘭で見つけた時、
直感的に「この人だ!」と思った。

僕はその当時、大阪でアシスタントをしていた。
でも、僕は紀里谷和明さんのアシスタント募集に対して、
履歴書を書いた。

僕の想いを、A4の用紙にびっしり二枚ほど、想いを書き綴った。
履歴書の志望動機の狭い蘭には書ききれなかったから。
「是非アシスタントに雇って下さい。」
「僕は紀里谷さんみたいな、格好いい写真が撮れるようになりたい」
「紀里谷さんのアシスタントになるチャンスを僕に下さい!」
みたいなことを延々と書き綴った。
そして、募集要項に書いていないけど、僕は勝手に
僕の撮った写真を五枚ほど、履歴書に同封した。
多分、女の子の写真とか、スナップとかだったと思う。

履歴書を送ったのは、2001年12月の事でした。

そして、連絡を待っていると、紀里谷さんの事務所のマネージャーから
面接してもらえるという連絡が来た。

僕はすごく嬉しかったけど、すごく怖くなった。

東京に行くという事。
紀里谷さんと一対一で話すという事。

そして、2001年の年末、僕は東京で紀里谷さんに面接してもらった。

面接してもらう事務所に到着した。
紀里谷さんは笑顔で出迎えてくれて、
席に座るように言ってくれた。

そして、イスに座り、テーブルの上を見ると、
僕が履歴書に同封した、僕が撮った五枚の写真が並べられていた。
イスに座るなり、紀里谷さんは僕に言った。

「君は僕に、この五枚の写真を見せたかったんだよね?
 君はこの写真を僕に見せて、僕に何を伝えたいの?」

僕は何も答える事が出来なかった。

恥ずかしい話、そんな事考えた事もなかった。

写真を見せる時、伝えたい事なんて何も無かった。
伝えようとも思わなかった。

僕は何も答える事が出来なかった。

今思えば、当たり前の事なんです。

『伝えたい事がないのに、想いが伝わるわけが無い』
という、当たり前の簡単な事。

僕はこんな当たり前の事に気づかずに、写真を撮っていた。
写真を初めて撮った19歳から26歳まで8年間、ずっと。

僕はこの時、往復ビンタをくらったような衝撃をうけた。

そして質問は続いた。

「君は履歴書に、紀里谷さんみたいな格好いい写真を撮りたいって
 何度も何度も書いてるよね?
 じゃぁ君に聞くけど、格好いい写真って何?」

僕は何も答える事が出来なかった。

質問は続いた。

紀里谷さん「それじゃぁ、君は格好いいの?」
僕「…。いいえ」
紀「写真撮る人が格好よくないのに、格好いい写真が撮れるわけないじゃん」
 「何で君は、格好よくなの?」
僕「…。自分に自信がないからです」
紀「そうでしょ?写真に嘘はつけないんだよ。君が何を思って生きてきたか、
 君が何を見てきたか、君が何が好きか、今君が何を思っているか、
 全て写真に出るんだよ。
 写真に嘘はつけないんだよ」

約三十分もの間、表現論について語ってもらった。

僕にとって、衝撃だった。

僕は自分に自信が無いから、自分の心を隠して、
写真を撮ってきた。
見た目上の格好いい写真を追い求めてた。

人に写真を見せるという意味なんて、考えなかった。



面接の結果は、不採用。

でも、この一件から僕の考え方が180度変わったんです。

「写真を撮る意味」
「写真を見せるという意味」
「人に想いを伝えるということ」

そういう事を突き詰めていくと、僕の考え方はどんどん変わっていきました。

そして行き着いた先が、世の中が良くするために、写真で想いを伝えたい。

そして、世の中を少しでも良くしたいという考え方にいきついた。


僕は紀里谷さんにすごく感謝してるんです。
きっとあの時、面接をしてもらっていなくて、
紀里谷さんと出逢わなかったら、僕はずっと悩みの答が分らず、
今もきっと、もがき続けていたと思う。

僕はラッキーでした。

大切な事を、教えてもらえた。

大切な事が何なのか気づかずに、死んで行く人も沢山いるんだから。


今僕が、人の心を打つ写真が撮れているかは分らない。
きっとまだまだ、未熟だと思う。

でも、昔のように、自分の心を偽って写真を撮る事はなくなった。

自分の心をさらけ出せるようになった。


表現者にとって、何が大切か?

それはきっと、『いかに感情を込めて表現するか』だと思う。

僕も感情を込められるようになりたい。

そして、自分に正直でありたい。








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モノを創っている人達へ

尊敬する紀里谷和明さんのライブチャットです。

モノを創っている人、是非見てみて下さい。

何かヒントが見つかります!

http://www.goemonmovie.com/live/archive/01.html



http://mixi.jp/view_diary.pl?id=761482701&owner_id=1188772


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

尊敬する芸術家、紀里谷和明さんのHP
http://kiriya.com/

紀里谷和明さんの次作映画、『GOEMON』のHP
http://www.goemonmovie.com/

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