江戸時代の農民比率って8割以上らしいけど?
武士が農民より10倍とか飯食ってたなら別だけど
1人当たり穀物消費量が同じだと仮定して海外と輸出入もないんやから、国内供給=国内消費だとして粟とか稗ばっかり食ってたら、粟とか稗ばっかり生産してたことになるんだけどそんなことないよな?
武士が農民より10倍とか飯食ってたなら別だけど
1人当たり穀物消費量が同じだと仮定して海外と輸出入もないんやから、国内供給=国内消費だとして粟とか稗ばっかり食ってたら、粟とか稗ばっかり生産してたことになるんだけどそんなことないよな?
米せっかく作ったのにな
むしろ皆白米食えたから脚気が広まったんとちゃう?
今と比べてひとつの苗から出来る米の生産量なんて比べようも無いほど少ないぞ
そしてそれらを年貢で納めるわけだから当然食うコメが少なくなってアワとヒエ食うようになる
そしてそれらを年貢で納めるわけだから当然食うコメが少なくなってアワとヒエ食うようになる
四公六民だか、年貢で半分近く米納めてもまだ残ってはいるからな
それを売る事もできるし自分で食うもよし
小作農は知らんけど
それを売る事もできるし自分で食うもよし
小作農は知らんけど
平地の農民の主食は麦だったみたいやで
山手に行く程アワ・ヒエ・キビの比率が高くなるんやないかな
1番土地が痩せてる地方がソバ
山手に行く程アワ・ヒエ・キビの比率が高くなるんやないかな
1番土地が痩せてる地方がソバ
農民が米つくって年貢として納める
↓
武士は金ないから米売ってお金つくる
↓
米買ったところが庶民や農民に米売る
↓
武士は金ないから米売ってお金つくる
↓
米買ったところが庶民や農民に米売る
>>7
これ不思議よな
なんでこんな非効率な給料体系を200年以上も続けてたのか
これ不思議よな
なんでこんな非効率な給料体系を200年以上も続けてたのか
>>9
米から貨幣中心の経済構造にしようって動きはあったみたいやが保守な人がアカン言うてたらしい
米から貨幣中心の経済構造にしようって動きはあったみたいやが保守な人がアカン言うてたらしい
>>10
そもそも全国で安定して使える貨幣システムも貨幣量もなかったから実現不可能なんだよね
そもそも全国で安定して使える貨幣システムも貨幣量もなかったから実現不可能なんだよね
>>19
荻原重秀「幕府が『これは金だ』と言えば例え木の葉だとしても金として使えるようにしなければならない」
当時の人は何言ってるか分からなかった模様
荻原重秀「幕府が『これは金だ』と言えば例え木の葉だとしても金として使えるようにしなければならない」
当時の人は何言ってるか分からなかった模様
米は主に年貢用に生産して自分たちは麦とか他の雑穀食ってたの
江戸時代中期くらいまでは赤米っていう量がたくさん取れるけどクッソまずい米を食って
白米は年貢用って所も多かった
江戸時代中期くらいまでは赤米っていう量がたくさん取れるけどクッソまずい米を食って
白米は年貢用って所も多かった
江戸時代は藩によって税から習慣から違うんだから一緒くたにするのは馬鹿
よく壊血病とか流行らなかったな
>>12
雑穀はビタミン類は豊富だからね
雑穀はビタミン類は豊富だからね
>>12
むしろ江戸患いよ
むしろ江戸患いよ
首都のお江戸人は白米食ってたから江戸脚気とかって言って脚気が流行ってたって読んだ覚え
米食えた地域もあるけど玄米で食うから問題なし
江戸は燃料資源が不足してるからわざわざ白米にして脚気が流行ると
江戸は燃料資源が不足してるからわざわざ白米にして脚気が流行ると
お米「水が多いと死にます。ちょっと寒いと死にます。虫が湧いたら食べられます。」
>>17
昔のお米の栽培は大変やったろうと思うね
昔のお米の栽培は大変やったろうと思うね
当時の江戸ってめっちゃ狭いんだっけ
五反田とかは江戸じゃなくて田んぼだったとか
五反田とかは江戸じゃなくて田んぼだったとか
百姓から税収集しようにも現金持ってなさそう
麦飯主食やったんちゃうの?
>>23
麦は米より実る量がめっちゃ少ないんだよなあ
麦は米より実る量がめっちゃ少ないんだよなあ
>>24
それでも年貢に持っていかれないから食べられたはず
麦>アワ>ヒエ>キビ>ソバの順で実る期間が短くなって収穫量が減る
ソバは雨が降らなくて芽が出ない時の最後の命綱だったと聞いたよ
それでも年貢に持っていかれないから食べられたはず
麦>アワ>ヒエ>キビ>ソバの順で実る期間が短くなって収穫量が減る
ソバは雨が降らなくて芽が出ない時の最後の命綱だったと聞いたよ
日本は中国から銅銭輸入してた頃は貨幣による納税もある程度機能してたんだけど
輸入の減少と悪銭が蔓延して撰銭が進むと流通量が激減してそれが機能しなくなった
んで米なら自分の所で作れるし確実に取れるってことで米による納税に変化してそれがずっと続いたと
輸入の減少と悪銭が蔓延して撰銭が進むと流通量が激減してそれが機能しなくなった
んで米なら自分の所で作れるし確実に取れるってことで米による納税に変化してそれがずっと続いたと
耕作地の広さで決まるから気候なんて考慮されないぞ
食えたとこは食えたけど表高より取れないとほぼ持ってかれる
食えたとこは食えたけど表高より取れないとほぼ持ってかれる
石炭や鉄鉱石とれてもあの時代の日本じゃまだ使う用途ないわね
ハレの日にだけ普段食わないコメを食うって地方は沢山あったしね
引用元:https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1725970945/
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「豊作でも飢饉でも米を同じだけ納めなければならない」
という鬼畜の政策だからな。米は無い時もある
diet2channel
がしました