2008年11月13日 22:02

あれ


2007年02月21日 16:17

言葉にすると、くっさいくっさい“愛”。

ましてや口に出すと、酒に酔ってるとしか思われない“愛”。

でも相変わらず、歌謡曲の世界では、連発され続けてる“愛”。

カラオケでいくら歌おうと、決して相手の胸に伝わることのない“愛”。

「愛してる」と言う時は、「愛してる?」と聞かれた時。

肉欲だけの自分じゃないと、焦りながら発することなのか?

どうやらジョンとヨーコのいう“LOVE”と、その“愛”との間には大きなズレがある。

ぼくはそのことに対し、昔からコンプレックスを持っている。

ジョンとヨーコの“LOVE”にドキドキしながら、僕はまだ弁解用の“愛”で生きているからだ。


みうら じゅん



どういう意味?と思った人は、みうらじゅんさんの「マリッジ」と言う漫画をみみて下さい。




今日の二曲



滅入っている時に愛してくれない

うまくやった時に注目してくれない

誰もが自分の金を追い掛けるのに精一杯

僕は君にごまをすり

君は僕にごまをする


「NOBODY LOVES YOU」





愛とはあなた

あなたと私

愛とは二者が“あなたと私”という関係であることの自覚



「LOVE」





どっちもわかるな。だからこそ難しい。


2007年02月19日 13:37

自分に全く関係のない事柄。これは、あっちの世界。
自分の身の回りで起きて事柄。これは、こっちの世界。
例えば「テロ」をテーマにしてみる。自分にとって、これは確実に、あっちの世界の出来事だ。テレビの向こうの出来事だ。だから心の中では、自分には関係ない、自分はテロなんかには巻き込まれない、と心のどこかで思ってしまっている。
しかし、実際テロに巻き込まれれば、自分の身近な人がテロに巻き込まれれば、これは、こっちの世界の出来事となる。テロとは、身近で起こりうる出来事となる。



これらは、実際起きている全ての事にあてはまる。しかし、ニュースなどでやっている事全てを、こっちの世界の事だと思おうとしても、そこには大きな壁がある。実際に体験しないとわからない感覚がある。だから、いきなり自分の身近なところで、人が死んだりすると、非常に焦る。自分に近ければ近いほど焦る。


だから、自分の身の回りの人がいなくなってしまう事を日常からいくら想像していても、実際にいなくなると、かなり動揺する。いくら心の準備をしていても、準備などしきれない。


そして、一つ気付いた事がある。あっちの世界の事を、自分みたいな小さな人間が、こっちの世界の事として考えるのは意味がない。だから、寝る前にいろいろ考えて、いちいちセンチメンタルになるのは、無駄なのだ。面倒だから言ってしまうが、人の死についてだ。あの人が死んだ時と、あっちの人が死んだ時では、どちらも自分にとって大事な人でも全然感覚が違う。覚悟などいくら決めても、結局思っていた以上にショックだったりする。もしかしたら思っていたより、ショックがなかっかりするかもしれない。



要するに、人が死んでしまうと必ず、「あぁ〜、もっとこうしておけばよかった。もっとああしてあげればよかった。」と思ってしまう。これは必ず思う事だと思う。だからこの人が死んだらどうしようとか考えて、その人に接するのはやめた方がいい。時間の無駄だ。その人と接してしる、その時、その瞬間を楽しめればそれでいいと思う。ムカついたら、ムカつけばいいし、笑いたければ、笑えばいいと思う。そうゆう事。






今日の一曲


昨夜 君の夢を見たんだ
夢の中で 僕は君の隣で踊ってる
周りの人もみんな楽しそうだった
このフィーリングをずっと待ち焦がれていたんだ

止まらずに もう少しそばにおいで
一緒に踊ってるとリズムが強くなってゆく
これでいいんだ このささやかな楽しみ
そうして一晩中踊り続けたんだ

そろそろ君に腕を回してもいいだろう
君もそれに応えて
僕に腕を回す
でも突然 僕は眩しい太陽を感じるんだ
気付いた時には 夢はすべて終わってしまっていた

ああ ぼくはどうしたらいいんだ
この夢 そして君のことを
この夢が現実になったらいいのに

ああ ぼくはどうしたらいいんだ
この夢 そして君のことを
この夢を現実にしよう

このゲームに加わらないかい?
このゲームに加わらないかい?


「Digital love」