2007年01月20日

フラメンコの詩(32)〜神頼みのレトラ

大変遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
久しぶりの更新です・・・昨年12月から書いてなかったので、2ヶ月ぶりになります。
更新しなかった理由は特になく、単にさぼっていただけです。どうもマンネリ気味、気分が乗らなかったというか・・・
ブログなんてものは、続けるもやめるも結局自分次第のことですので、どうにでもできる話です。が、せっかく始めたので続けることに意味があると考え直し、今年またボツボツと更新していきたいと思っています。
また付き合ってくださいましたら幸いです。

で、久しぶりの今年は、やはりフラメンコで始めたいと思います。
新年ということで、テーマは神頼みにしました。

■フラメンコの詩(32)〜神頼みのレトラ
まず一つ目です。
 Toi'tos le piden a Dios
 la salud y la libertad,
 y yo le pido la muerte
 y no me la quiere mandar.

 誰もが神様にお願いする
 健康と自由を、
 俺は死をお願いする、
 でもくれない。

いっそ死んでしまいたい、それくらいのつらさ・厳しさの中でも自分は生きていかねばならない、というドラマチックな、非常に大げさな詩です。
スペイン語としてはシンプルですよね。1行目の“Toi'tos”は“todos + ito”です。

では次です。
 Se lo pidi' llorando
 a la Virgen de el Carmen,
 que me quitara a mi' la salud,
 se la diera a mi madre.

 俺は泣きながらお願いした
 カルメンの聖母マリアに、
 どうか俺から元気を取って
 俺の母さんにやってくれと。

これは過去形になっているので、ひょっとしたらもう母さんは死んでしまったかもしれません。
これもスペイン語としては難しくありません。注意は1行目の“lo”です。これは3行目と4行目の“que以下の文節”を指していますが、文法上は言う必要はありません。

では最後です。
 Si tu no ma's tienes cura,
 yo le estoy pidiendo a Dios
 que en la misma sepultura
 nos entierren a los dos.

 もうお前には治る手立てがない・・・
 俺は神様にお願いしている、
 同じお墓に
 俺たち二人一緒に葬られんことを。

大事な人に迫りくる死を前に、いっそ自分の命も尽きてしまって欲しい、という悲しい詩です。“muerte=死”という直接的な言葉は出てきませんがそれを主題として見事に表現する、というのはフラメンコのレトラの特徴のように思います。


以上、とても悲しい内容となってしまいましたがこの辺で。
今年もよろしくお願いします。  

2006年11月11日

フラメンコの詩(31)〜万葉集・防人歌(4)

だんだん寒くなってきましたね。
今、スペインのラジオ局CADENASERを流しながら書いていますが、不可思議現象・ミステリー(今回は昔の死刑執行人に起きた不可解な死・出来事等)がテーマの番組が流れています。
聞いてたらますます寒くなってきました・・・

さて今回も万葉集の試訳を紹介させていただきます。

■フラメンコの詩(31)〜万葉集・防人歌(4)
=万葉集第20巻4376番=
 旅行に行くと知らずて 母父に言申さずて 今ぞ悔しけ
 (たびゆきに いくとしらずて あもししに
    ことまをさずて いまぞくやしけ)

 Siento mucho mi partida
 sin decir nada a mis padres,
 pues crei' que volveri'a.


=万葉集第20巻4377番=
 母刀自も玉にもがもや 頂きて角髪のなかに あへ巻かまくも
 (あもとじも たまにもがもや いただきて
    みづらのなかに あへまかまくも)

 !Que hubiera sido mi madre
 cuentas del rosario fino,
 que me pusiera en mis carnes!


=万葉集第20巻4385番=
 行こ先に波などゑらひ 後方には子をと妻をと置きてとも来ぬ
 (ゆこさきに なみなとえらい しるへには
    こをとつまをと おきてともきぬ)

 !Quieta, la ola de adelante!,
 que he venido atras dejando
 a mi familia anhelante.


今回は以上です。ではまた。  

2006年11月05日

フラメンコの詩(30)〜万葉集・防人歌(3)

昨日に続きフラメンコを紹介します。
今回は、また万葉集・防人歌に戻り、小生の習作を紹介します。

■フラメンコの詩(30)〜万葉集・防人歌(3)
=万葉集第20巻4354番=
 たちこもの発の騒きに 相見てし妹が心は忘れせぬかも
 (たちこもの たちのさわきに あひみてし
    いもがこころは わすれせぬかも)

 No olvidare' el amor
 que me sonfeso' la chica
 en el rui'do del adios.


=万葉集第20巻4357番=
 蘆垣の隈処に立ちて 我妹子が袖もしほほに 泣きしぞ思はゆ
 (あしがきの くまとにたちて わぎもこが
    そでもしほほに なきしぞもはゆ)

 Me acuerdo de aquella chica
 que lloro' y mojo' la manga
 vie'ndome desde la esquina.


=万葉集第20巻4366番=
 常陸さし行かむ雁もが 吾が恋を記して付けて妹に知らせむ
 (ひたちさし いかむかりもが あがこひを
    しるしてつけて いもにしらせむ)

 Si en pa'jaro hacia alla vuela,
 le pedire' que le diga
 que sigo querie'ndola a ella.


以上です。ではまた。
  

2006年11月04日

フラメンコの詩(29)〜el cieloのレトラ

久しぶりの更新です。
このブログでラジオ講座を追いかけなくなって早1ヶ月たちましたが、皆さんはしっかり聞いてらっしゃることでしょうか?

僕個人はこの秋からちょっと真剣に英語を勉強しています。
まずは耳を慣らせよう!ということで、意味等は全く考えず、とにかくよく聞くようにしています。少しずつではありますが、音節の聞き分け等ができるようになってきたように感じています。まぁ焦らずゆっくりとやっていくつもりです。

かといってスペイン語に全く触れていないわけではありません。週に1度、だいたい土曜日は一日中BGMとしてスペインのネットラジオを鳴らしています。
意外に気がつくのは“Japo'n”という言葉が割りと出てくることです。つい先ほども小泉前首相のことが話されてましたが、残念ながらからかわれてました・・・随分前ですがブッシュ米大統領と一緒に訪れたプレスリー記念館で歌・振り真似を披露してましたよね、あれに対してです。さすが“カラオケ”のお国柄、世界中にあんなことを発信して臆面もないんだな・・・あるいはあれも“humor amarillo”か?(かつて日本で人気のあったテレビ番組・風雲タケシ城がかつてこういうタイトルで放映されていて、「どこが面白いのか全く理解不能の日本のユーモア」というようなニュアンスで言われる)と揶揄されてました。

さて、今回もフラメンコのレトラを紹介したいと思います。
テーマですが、僕の万葉集訳はちょっとお休みし、天高く馬肥ゆる秋ということで“el cielo(空、天、天国)”にしました。

■フラメンコの詩(29)〜el cieloのレトラ
まず一つ目です。
 Para que yo te olvide a ti,
 tengo que ver dos sen~ales:
 o se han de hundir los cielos,
 o se han de secar los mares.
(補足)
これは以前“フラメンコの詩(22)〜la marのレトラ”で紹介したことがありますが、きれいなので再掲しました。
“los cielos”と複数になっているのは、そうすることで「世界中のあらゆるところの空」というニュアンスがでて、よりダイナミックさ(大げささともいえますが・・・)が出ています。


では次です。
 Que triste estoy en el cielo
 sin tener boca y teniendo
 el recuerdo de tus besos.
(補足)
これは厳密にはフラメンコの詩ではなく、フラメンコの世界にインスパイアーされたある有名な詩人が作ったものです。
素直なので訳は省略しますが、辞書引き引き意味がわかると・・・とても美しいですよ!


では最後です。
 A la luna le pido
 la del alto cielo
 para que me ponga a mi padre en la calle
 que verlo camelo.
(補足)
これはちょっと説明がいると思います。これは、父親が牢屋に入っていて、外に出してくれるよう月にお願いしている、っていう内容です。
最後の見慣れない言葉“camelo”はヒターノ語で、スペイン語の動詞“querer”に置き換えられます。


今回は以上です。
また何か探して紹介したいと思います。  

2006年10月14日

フラメンコの詩(28)〜万葉集・防人歌(2)

10月も中旬にさしかかり、ますます秋が深まってきましたね。
この季節のスカッとした秋晴れは、空が高くどこまでも澄んで、スペインを思い出させてくれます。
もっとも、スペインにもいろんな地域があり、それぞれに特色があります。向こうに行かれたことのある方はそれぞれに思い入れのある地域・土地・街をお持ちのことでしょう。

僕にとってそこはやはりアンダルシアでありまして、アンダルシアといえばフラメンコでありまして・・・ということで、今回もフラメンコの詩を紹介します。
前回同様、万葉集・防人歌の私の試訳です。お付き合いくださいましたら幸いです。


■フラメンコの詩(28)〜万葉集・防人歌(2)
=万葉集第20巻4326番=
 父母が殿の後方の百代草 百代いでませ わが来るまで
 (ちちははが とののしりへの ももよぐさ
    ももよいでませ わがきたるまで)

 !Padres, vivan como la flor
 que se llama la cien an~os,
 hasta que aqui' vuelva yo!


=万葉集第20巻4337番=
 水鳥の発ちの急ぎに 父母に物言ず来にて 今ぞ悔しき
 (みずどりの たちのいそぎに ちちははに
    ものいはずけにて いまぞくやしき)

 Me marche' como un pa'jaro
 sin decir nada a mis padres...
 Lo siento y lloro a ca'ntaros.


=万葉集第20巻4343番=
 我ろ旅は旅と思ほど 家にして子持ち痩すらむ わが妻かなしも
 (わろたびは たびとおめほど いひにして
    こめちやすらむ わがみかなしも)

 Yo me resigne' a este vieje,
 pero temo que mi mujer
 con los chiquillos se canse.


以上です(たぶん次回も続きます・・・)。
  

2006年10月07日

フラメンコの詩(27)〜万葉集・防人歌(1)

1週間ぶりの更新です。
ラジオ講座の方は当面お休みしますが、フラメンコやチステはこれまで同様に続けていきたいと思います。

で、今回はフラメンコを紹介したいと思いますが、テーマは「万葉集・防人歌」としています。
なぜか?ということなんですが、万葉集とは日本人なら誰もが知ってるあの万葉集です。私は万葉集に特別詳しいわけではありません。しかし、万葉集に収められている防人歌(第20巻他)や東歌(第14巻他)はどこかフラメンコの詩の世界と似たところがあって、興味を惹かれて関連本を読んだり、あるいはスペインにいた頃にはスペイン語に訳したりして遊んでました。
今回から当分、大変お恥ずかしながらそれら私の習作を紹介したいと思います。
(押韻・音節数のルールに従った三行詩形式をとってます。)


■フラメンコの詩(27)〜万葉集・防人歌(1)
 =万葉集第20巻4321番=
 畏きや命被り 明日ゆりや草がむた寝む 妹なしにして
 (かしこきや みことかがふり あすゆりや
    かえがむたねむ いむなしにして)

 Me han mandado a servir al rey...
Desde man~ana sin mi mujer
con hierbas me acostare'.


 =万葉集第20巻4323番=
 時時の花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の咲き出来ずけむ 
 (ときどきの はなはさけども なにすれぞ
   ははとふなはの さきでこずけむ) 

En cada sitio y tiempo abren
todas las flores del mundo,
excepto una, que es mi madre.


 =万葉集第20巻4325番=
 父母も花にもがもや 草枕旅は行くとも捧ごて行かむ
 (ちちははも はにもがもや くさまくら
   たびはいくとも ささごていかむ)

 Si hubiera sido mis padres
la flor que pudiera llevar,
con esa andaba adelante.


今回は3つくらいにしておきます。
また紹介していきたいと思いますので、よろしくお付き合いくださいましたら幸いです。
ではまた。   

2006年10月01日

NHKラジオスペイン語講座・9/25(月)〜30(木)

この上半期のラジオ講座が終わりました。今回は1週間のおさらいでなく、全体のコースを振り返ってみての感想なりを書いてみたいと思います。

この半年が終わって、皆さんどうお感じでしょうか。
個人的には、終わってみれば長かったようで早かったように感じます。内容に関しては、簡単な挨拶から始まり、ser・estar動詞の使い方、その他の基本動詞の活用など、大変盛りだくさんであったと思います。このわずか半年に学んだことだけでも相当のことが言え、理解できるようになったと思います。

もちろん、この半年で学んだことだけでネイティブと自由闊達に話し合うことができるかというと、そんな簡単なことでもないことは誰もが百も承知です。“毎日わずか20分の番組で話せるようになるなんてそんなうまい話があるわけがない”・・・
こういう地道なことは地道であるだけに効果がなかなか見えないし、続ける目的意識・意味を見失いがちになります。“こんなんやってても意味あるのかなぁ”・・・そしてその結果、“まぁええか・・・”と挫折しがちになるます。以上は他でもない、私自身の経験です。

しかし、何事にもやり始めの段階、最初というものがあるように、スペイン語学習においても当然のことながら最初にやるべきことがある、と思います。その最初の段階に取り組むにあたって最も相応しい材料はこのラジオ講座ではないか、と私は思っています。なぜなら、最も基本的な事柄を、目・耳・口の三つを通じて、しかも毎日適量で、お金もほとんどかからず、ここ日本に住みながら学んでいけるからです。私はNHKの肩を持つ者でもなんでもありませんが、この講座はほんとに役に立つと思います。次期以降もお続けになることをおすすめします。

最後に、ラジオ講座だけでなく、日本でスペイン語を勉強するということについて書きたいと思います。
日本で外国語を勉強していると、とかくその限界を指摘する声に接しますよね。あるいは、語学ならその国にいけばいい!という声も聞きます・・・細かなことを抜きにして総論的に言えば、やはりまぁその通りだろうと思います。100%外国語で暮らす環境はそれはやはり大きいです。日本で勉強するより早く確実に上達していくと思います。
しかし、これもよく言われるように日本ででも相当のことを勉強できます。あるいはよしんば現地に留学するにしても、日本で勉強したことは現地に行っても絶対に役に立ちます。その勉強したことが多ければ多いほど、現地での上達は質・量・スピードともにずっとずっと大きなものになります。
つまり、日本で地道に続けていることは、決して意味のないものでも限界のあるものでもなく、むしろ大きな学習プロセスの中での避けては通れない最初の段階のものです。それに高いところに行こうとすればするほどしっかりやっておく必要があるものであり、どんな形であれいつであれ必ず活きてくるものです。
日本で勉強を続けている皆さん、どうか目標を見失わず、意味ないなんて疑わず、先々を信じて続けていきましょう。


最後になりましたが、この半年お疲れ様でした。
ラジオ講座と平行して続けてきたこのブログですが、1年経ち、つまり2期分の講座を見てきたことになり、来期はどうするか思案しているところです。いたずらに繰り返してもマンネリですし・・・その辺りの考えに整理がついたらまた書き始めたいと思います。
それまで当面お休みさせていただきます。ではまた。
  

2006年09月24日

NHKラジオスペイン語講座・9/18(月)〜23(土)

9月も下旬に差し掛かり、今期のラジオ講座も残すところ1週間となりました。
今回は先週の入門編・応用編のおさらいです。

■おさらいのポイント
まず入門編ですが、テーマは命令形、そして接続法のおさらいでした。

命令形は、その名前からして「強く響かないか?相手に失礼ではないか?」というような印象を持ちがちですが、そんなことありません。非常に多用されます。
相手に何かをちょっと頼み場合でもこの命令形でOK、という位の軽さで考えていいと思います。どんどん使ってみましょう。

接続法に関しては、テキストに出ている3つのパターンでとりあえずは十分と思います。この3つをしっかりマスターすれば、大雑把な感覚ですが、実際の使用のほぼ8割方はカバーできているとみなしていいと思います。

応用編に関しては、いつもと同様、ビジネスパートナーとの会話でした。今回は最後の週ということでお別れの場面でした。今回出てきたようなお別れという場面は、目的がなんであれスペインや中南米に行った場合は必ず訪れる場面ですよね。
以前、応用編の表現は固いか?というご質問をいただき記事を書きましたが、固さはどうあれ、気持ちを伝えることが大事だと思います。そのまま使っていいと思います。
あるいは、そのまま使わないにしても、少なくともどういうことを言うか?どういうやりとりをするか?という発想だけはしっかり覚えておくといいと思います。例えば日本語だと「お気をつけて!」なんて言いますけどそれに相当する文句は出てきてないな、むしろさらりと“!Buen viaje!”って言うんだな・・・とかです。

今回はこの辺で、来週は最終週のおさらいをしたいと思います。




  

2006年09月17日

フラメンコの詩(26)〜palabrasのレトラ

今日はフラメンコを紹介します。昨日書きましたが、今回のグラナダで、いい本を入手できたのです。
フラメンコ好きの方々はご存知だと思いますが、スペインにはフラメンコ学(Flamencologi'a)という大変マイナーながられっきとした学問があります。今回買ってきた本は、スペインの大学の中でも同学問の研究に最も力を入れているセビリア大学で教鞭をとられている先生(文学部系)の本です。どうやら自ら詩もお作りになるようです。
今回は、スペイン語学習には欠かせない“palabras(言葉)”が出てくるものをピックアップしました。


■フラメンコの詩(26)〜palabrasのレトラ
まず最初です。
Las palabras amorosas
son las cuentas de un collar:
en saliendo la primera
salen todas las dema's.

愛を語る言葉は
首飾りの珠のようなもの・・・
(糸が切れて)一番最初のが飛び出せば
残りの全部も出てしまう。

(注)素直ですよね。3行目の“en saliendo”は昔の言い方でお年寄り以外は使いません。今なら“al salir”です。

では次です。
Escribe so'lo: "Te quiero",
dime so'lo: "Por ti vivo",
que estas palabras caben
en la hoja de un olivo.

「お前が好き」だけ書いて。
「お前のために生きる」だけ言って。
それだけの言葉で
オリーブの葉におさまるんだから。

(注)最後のオリーブの葉、どういうことかよくわかりません・・・とにかく、多くを言わなくていい、ということだと思います。なお、この詩が女性のものだと思ったのは、通常“Por ti vivo”なんて強いことは女性は言わない、明らかに男性の口説き文句だからです。

では最後です。
Las palabras que me diste
a la orilla de la fuente
como fue cerca del agua
se las llevo' la corriente.

あなたがくれた言葉、
泉の端でくれたあの言葉・・・
水の近くだったので
流れが持っていってしまった。

(注)これは男性でも女性でもいいのですが、通常、言い寄っていい仲になってその後姿を消すのは男であろう、ということでこう訳しました。スペイン語としては非常にわかり易いですよね。

以上です。いかがでしたか?
次回は来週土曜日にラジオ講座のおさらい記事を。  

2006年09月16日

ご質問23〜応用編の表現は固くて日常使えないのか?

随分前にいただいていたご質問です。遅ればせながらお答えします。

Q.講座CDで入門・応用と復習をしているのですが、応用編の表現ですと、友達と普通に話す場合に使うと固いのでしょうか?

例えば、6月号の表現
?Co'mo tienes la agenda para la semana que viene?
?Te va bien el mie'rcoles?
を友達に使うと変でしょうか?

応用編の表現はビジネスのみ使用した方がよろしいんですか?


A.応用編の表現は固いか?ということですが、確かにこのブログでこれまで何回も書いてきました。自分で書いといて大変無責任ですが、応用編の全てが固いという訳ではないと思います。じゃ、どこかで明確に線引きできるかというと・・・これも大変難しいです。
結局それぞれご自身で経験していくしかかと・・・むしろそんなテーマなのに「固い!」なんて言ってきたことの無責任さをこの場でお詫びします。

応用編で固く感じるところというのは、話されているテーマや状況自体が固いところです。専門用語や相手との関係を踏まえた丁寧さ等ですが、しかしこれらは意外と判別しやすいと思います。
線引きが難しいのは、テーマ自体は固くなく普通のことが話されている場合に、どういう言い回し・語彙なら固いのか?ということです。しかしこれは、繰り返しになりますが簡単には線引きできない、結局のところネイティブの会話をよく聞くしかないのではないかと思います。彼らはどんな場面でどんな言い回し・言葉をチョイスしているか、それで確認していくしかありません。
応用編でも日常使える表現はあって、例えばご質問でお書きの2つの言い方は、固くない、日常の友人間でも問題なく使える表現だと思います。特に後者は子供も使う非常に自然な言い方です。

話はちょっとずれますが、我々が和西辞書で作文すると、思いのほか固い言い方になっていることがよくあります。
思いつきで例を挙げますと、例えば、会社で同僚の女性社員の噂話をしていたとします。彼女を気に入っている同僚男性がいて、ある日彼が彼女を食事に招待した、しかし彼女は断った・・・なんて話をしていたとします。
この“断る”というところで和西辞書を引けば“rehusar拒否する、断る”が出てきますので、これを使って以下のように西訳します。
−Ella rehuso' su invitacio'n.
 彼女は招待を断った。
しかしこの動詞、柔らかいテーマで使われることはありません。
自然な表現なら、シンプルに、
−Ella le dijo que no.
 彼女はNoと言った。
で十分です。

固いか自然か・・・これはやはりネイティブのスペイン語によく接するより方法はないと思います。接する手段がないようでしたら、日常会話に力点を置いた教材にあたるのもいいと思います。
もっとも、最初でも間違いではない、むしろ正しすぎるくらいですし、後者は非常にくだけてて場合によっては子供じみているかもしれません。
大切なのは言いたいことを伝えることですので、臆することなく言えばいいとも思います。
僕らは外人なんで変な言い方をしてても当然、むしろ直してくれ!、位の厚かましさがあっていいと思います。