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戦争 に参加中!
と言えばクリスマス。みんな心踊る季節、かもしれません。僕はあんまりですが。

クリスマスと言えばサンタクロース、プレゼント、トナカイ、イルミネーションなどが思い浮かぶかと思います。僕は、サンタ、プレゼントの次にジョン・レノンの曲が浮かびました。Happy christmas(war is over)です。
The U.S. vs. John Lennon
The U.S. vs. John Lennon

実話かはわかりませんが、どこかで戦争をしていて、クリスマスを迎えたときに両陣営でクリスマス・ソングが流れて、休戦につながった、という話があり、ジョンはそのような平和を夢見てこの歌を作ったという説があります。

近年はアメリカが国連の制止を無視してイラク戦争をし、ブッシュが「破壊兵器の情報が間違っていた」と発言したことが記憶に新しいです。しかし日本に住んでいると昔この国で戦争があって、原子力爆弾が落ちたなんて信じられないほど変化を遂げ、日本で銃犯罪があっても「危ないわねぇ」なんて言いつつどこか違う世界のことのように思ってしまうものです。
別に僕はそういうことをいう人を悪いとは言ってません。危険が少ない国に住んでいるということは危険だらけの国に住んでいることよりずっと素晴らしいことです。しかしその状態が行き過ぎると、戦争に対して興味を持たないという状況に変異します。言葉は悪いですが、平和な日常に溺れ、戦争報道があっても映画の中の出来事のように感じてしまう。これは綺麗ごとではなく、非常にマズイ状態です。

それを解決するためにはどうしたらいいのか。
日本の学校の、特に義務教育の頃から勉強がよくできた教員は一辺倒で、戦争被害者の話を聞かせようとします。それで悲惨さを感じ、反戦意識を高めようというねらいです。確かに絶望的な状況は描写できるかもしれない。生徒は写真を見てヤバいと感じるかもしれない。けれど、1週間してもなおその気持ちを維持している人は何人いるのでしょうか。
これは僕の持論ですが、他人の経験を行動なしに擦りあわせることは不可能です。例えば、初心者に対し車の運転で、「高速道路では道路の真ん中を走るといいよ」って言われたとします。すると自分の車が道路の線と線の中央を走っている姿を想像します。外側からね。しかし、慣れてないうちにいざ運転席に座ると、意外に車の中心がどこなのかわかりにくいものです。かといって高速道路のど真ん中で車を止めて車が中央にいるか測るなんてできないです。「助手席に座って見ててよ」と言われて「今中央走ってるよ」と言われて納得しても運転席からの眺めと全然違うから実際は納得なんかしていません。じゃあどうすれば運転席にいながらにして中央に走っていることがわかるようになるのか。それは、経験です。他人の経験を聞いてわかった気でいるのではなく、自分で経験するんです。運転席に座っている最中にミラーで見る、運転している最中に「今中央だよ」と言ってもらう(運転すると不思議と中央とかわかっちゃうんだな、これが。)などにより自分の経験として蓄えることができます。日本語だと何て言うか知りませんが、英語だとprocedural memoryと言います。「習うより慣れろ」に通ずるものがありますね。

話を戻します。戦争の写真を目で見て、耳で聞いて、ヤバいと感じても、それはイメージしただけであって体験していないんです。だからかわいそう、とかいう感情は残っても、日常を体験している生徒は「まあ遠い昔の話だから」と興味を持ちにくい。例えば戦争を体験した人に話してもらって写真を見せる授業をして先生が生徒に対して反応を求めるとします。おそらく大半が「話に衝撃を受けました」「戦争は怖い」「もう二度と起こってほしくないと思いました」という意見で、先生は「生徒に先生の悲惨さが伝わった」と満足します。(別に生徒を責めるつもりはありません。)
悪いけど、生徒はそんなに純粋ではありません。ぶっちゃけ授業中寝てた生徒も、他のこと考えてた生徒も同じことを言うでしょう。中高生になるともはや大人として扱うべきで、そうなるとさっきみたいな意見が先生の機嫌を損ねないとわかっているんです。

じゃあどうすれば戦争の「本当の」悲惨さが伝わるのか。まさか戦場に就学旅行するわけにはいきません。しかし、さっきみたいに被害者の話聞かせて写真見せるなんて授業では絶対にあってはいけません。それは先生の手抜きというものです。

じゃあどうすればいいんだよ?というそこのあなた、僕に意見を求める前にまずは自分で考えてみて下さい。全ては自分で考えることから始まります。ましてや教師や将来の教師がここを見ているならばなおさらです。戦争が本当にまずいというのなら、それを後世に伝える努力をしなさい。


みなさんごきげんよう〜