読書
私は完全な夜型タイプ。特に博士論文を書いていた時は、仕事との両立ということもあり、夜しか書けなかったから、完全な夜型になっていた。夜・・・というか夜中通しで書いて、明け方4時くらいに寝て7時に起きて
出勤ということも結構あった。自分でもよく倒れなかったなと思う。身体のあちこちが悲鳴を上げて、最後の1ヶ月くらいは、ちゃんと食事も摂れなかったし、起きるのも辛かったが、無理やり身体を引きずるようにして出勤していたから、ありとあらゆる「拒絶反応」が出ており、本当に深刻な病気になったり倒れてもおかしくないくらいの状況だったが、何とか乗り越えられた。
が、それも無くなったので、今は朝型に切り替えようと努力中。アメリカにいる間は完全に朝型だったので、帰国してからもずっとその生活リズムを維持していた。朝は早ければ4時半、遅くとも6時半には目が覚めるようになっていたし、夜も11時頃にはもう眠くて眠くてたまらないという日々だった。
なのに・・・今日は眠れない。眠気がして11時過ぎに一旦横になったものの、どうも眠れない。眠れないからいろいろ考えていたら、どんどん眠れなくなってしまったので、もう仕方ないと起きて来た次第。
一旦いろいろ考え出すと、逆に目が冴えてしまい眠れなくなる。まぁここ数日、台風の影響で気圧が低く体調も良くなかったから、いろいろ悪い方向に考えてしまったり
。
もう仕方ないから起きてちょっと本でも・・・と思い、昨日のNちゃんとの話を思い出した。Nちゃんと私の共通の知人であるUさんから、「空港で買って、トランジットの間に読めたのに」と言われたのが、Da Vinci Codeだったとか。Nちゃんいわく「全然読み進められなくて、30ページくらい読んで挫折」したらしい。その他にも、Nちゃんによると30ページくらい読んでは挫折している本が結構あるみたい。
確かに、論文とかじゃないし、社会科学のような頭を使う話でもないから割と楽だとは思うけれど、本って相性があるから、いくら凝った表現とか研究書ではなくても、読めないものは読めない。面白いと思わない限り、日本語だって読めないもの。
というわけで、Da Vinci Codeではないけれど、同じDan Brownの本を引っ張りだしてみた。長いフライトの時は他にすることもないから、そういう時にこういう本は時間をつぶすにはもってこいだと思った覚えがある。
少しアルコールを飲んで本を読んではみたものの、やっぱり眠くならない。なんか、別のこと(心の底のモヤモヤ)が気になって眠れない。
まぁ仕方ない。努力しても眠れるわけではないので、今日はもうちょっと起きていようかな。そのうち、眠くなることを期待して。
あとは、こんな感じで全巻揃ったHarry Potterを読んでもいいかなって思う。
Fitzgeraldといえば、なんといってもThe Great Gatsbyが有名だが、この地にゆかりがある作品といえば、彼のデビュー作であるThis Side of Paradiseだろう。彼の自伝的小説とも言われるものである。
私は英語・英米文学をずっと勉強してきたが、アメリカ文学にはトンと縁がなかった・・・というか疎かったし、敬遠していた部分があった。大学の頃もずっとイギリス文学・イギリス事情関連の講義ばかり選択していて、ゼミで取り上げたのは、Thomas Hardyであり、Tess of the D'Urbervillesを論じた。
その他としては、Beowulfから始まり(今時の大学では、こんな古英語叙事詩は流行らない)、なんといってもShakespeareに時間を割き、Spencer, Wordsworth, Milton, Chaucer, Bronteといったところが主流だった。なんか妙な偏見があって、文学といえばイギリス、アメリカ文学なんて・・・という、今思えば何の根拠があるんだというような考え方を持っていたのである。まぁ当時の大学内でも、アメリカ派とイギリス派がいて、いろいろあったからそういう影響を少なからず受けていたのかもしれないが。
でも彼がこの地でZeldaと知り合ったのを知り、いい機会だからここにいるうちにFitzgeraldを読んでみようと思った。ここの気候、人々の気質、特にZeldaと知り合い加わるようになった社交生活、戦争の影などがうかがわれるかもしれないと思ったからである。

ここ南部に限らず、文学作品はその背景を知らないとなかなか理解しにくい。作家の思想はもちろん、生活環境は大きな影響を与えるのだ。そういう意味で、マンハッタンの社交界とか華やかな一面もしかり、南部の明るい気候と保守的な社会など、いろんな色や香りが彼の作品から漂ってくる気がした。
前に書いたHarry Potterではないが、「行間を読む」というか「色や香り」を楽しむには、やはり原語で読むに越したことはないなって思う。翻訳がいけないというわけではないし、私だって中国語やスペイン語で書かれたものは読めないから、翻訳で読むしかない。でも、可能なら、原語で読むことで作家がこめた思いを感じることが出来ることも否定できないだろう。
ここでの滞在は、私にアメリカ文学への目覚めを促してくれた。SteinbeckとかToni MorrisonとかPaul Austerとか、なかなか手ごわい作家ばかりだが、ちゃんと読んでみようという気になったのは大きな進歩かも。
こちらは、アメリカ版のHarry Potter。
ちょうど1・2巻が話題になっていた頃アメリカに来ていたため、そのまま1・2巻をもらって帰国。というわけで、私が詠み始めたのはアメリカ版だったため、そのままなんとなくアメリカ版のほうが慣れてるし・・・と思っていた。が、結局それ以降のものは買う機会もなかった。話題になってはいるものの、今のご時勢、いろんな手段でストーリーはわかるし機内の映画で見ているのもあるし、改めて読む機会もなく何となくそのままに。
でも今回でシリーズも終わりだし、せっかくの機会だから買って揃えてみようかと思った。というわけで、アメリカ版を購入した私。
Harry Potterの日本語訳については、いろいろ取り沙汰されている。ブログリンクしているマイクさんの記事(http://blog.smacktrans.com/2011/07/blog-post_28.html)にもあるように、誤訳をまとめたサイトまであるくらいだ。私の周囲でも「あの訳って変よねー。」って話はよく聞く。
といっても、改めて日英全巻読んで、私なり誤訳リストを・・・なんていう気はさらさらない。訳を論じるようになると楽しめない。(ある意味、職業病みたいなものか)。
私は純粋にストーリーを楽しみたいなって思っている。
ブックストアでレジの順番を待っていたら、私の後ろにいた女性が「これから読むの?5巻はとっても面白かった。私が大好きな巻。」って声をかけてきた。「映画を見た?」と聞いたら、「ううん、見てない。映画よりも、本で読む方が私は楽しいから。」とのこと。
それが読書の楽しみである。映像は理解するには簡単だが、強烈な印象を与えてしまう。読書は文字しかない。そこからどのような映像・状況を創造・想像するかは読者次第だ。
イギリス版がJ.K.Rowlingの書いた言語なのかなとも思うが、センテンス構造そのものまでは変わっていないはず(単語レベルの違いがあることは了解済み)。アメリカ版で1巻から入ってしまった私なので、私はこのままアメリカ版の英語で読破して楽しみたい。
日本語で読んだ方があれば、また感想を聞きたいものである。

機内に持ち込んだはいいものの、結局日本からのフライトでは全く読めず(眠かったのもあるが、異常にウルサイ人々のそばで、落ち着いて読書どころではなかったのが主な理由。)
が、DFWからの乗り継ぎ便はとても静かだったので、この2時間ほどで半分ほど読んだ。
イギリスでは人気のある作家のようで、このサスペンス系シリーズでは2作目とか。私はモーツァルトがこの本のキーになっていたので、読んでみたくなった。
モーツァルトの死因については、未だにいろいろ言われている。病死ということで決着がついているが、それも絶対的情報とはいえない。その理由の1つに、遺体がなかったことにある。遺体も見つかったと言われた時期もあったが、なんせ300年近く前の話で、しかも共同墓地に葬られた遺体がなぜ彼のものだとわかるのか、などなど、とにかくモーツァルトの死については、未だにいろんなうわさがあって、それが人々の興味をそそるのだろう。
それもこれも、ひとえにモーツァルトが桁外れの天才だったから、ということに尽きるのか。有名なミゼレーレの話にも表れているように、彼の天才ぶりは現代でも大きな興味をそそる。それを証明するかのように、『モーツァルトの脳』という本もある。実際に私はこの本を買ったのだが、脳科学から彼の才能を分析しようという大作で、簡単に読めるものではない。よって、今回持ってくるのは諦めて自宅に置いてある。
で、まだ上記の『モーツァルトの陰謀』だが、実に面白い。帯にある「眠れなくなるほど、おもしろい!!」はまさにその通りだと思う。が、これって私がモーツァルトに興味があるからであって、クラシック音楽とかモーツァルトに興味がなかったら、全然おもしろくないかもとも思う。
いずれにせよ、本当におもしろい内容なので、今日中には読み終えられるだろう。こんなにゆっくり本を読める時間を持てることが、今はとっても幸せ。

この本を思い出したのは、通訳者仲間のマイクさんのブログ(http://blog.smacktrans.com/)を見たのがきっかけ。コンペの記事を見て、そうだ読んでみよう!と思ったのである。
下にあるのは、昨年この本の翻訳が出た時に出た雑誌。原書はシンプルな白い表紙だが、翻訳版はこの雑誌と同じ、抜けるような青空を用いた表紙になっていた。
で、読み始めたが・・・まぁ小説ではないので、さらっと読むというものではない。読みながら、いろんな事例を考えたり、自分の身の回りの「フリー」とか「フリーミアム」を想像しながら読んでいるせいか、結構時間がかかる。あと、この本の場合、小説(フィクション)と違うので、メモを取ったり付箋をいっぱい貼ったりしているので、余計に時間がかかっている気がする。
これは全く研究とは関係ないが、ビジネス書としては読んでおくと今後はいろんなところでヒントになるのでは、と思う。
先日の新聞にもあったが、地震以来、通訳の仕事は激減(消滅?)したような状態にある。福島が落ち着かない限り、以前のような状況にはなりにくいだろう。
既存のビジネスモデルだけでなく、またクライアントからの依頼を待つ従前のスタイルだけではなく、通訳者(翻訳者)もこれから自らのビジネスモデルで動いていかないと、生き残りは厳しいかなって思っている。

この本を知ったのは、通訳者仲間のブログからである。(詳細はこちら。http://blog.peacelink.jp/2011/03/blog-post_26.html#more)
一応、英語を教えている者として読んでおいた方がいいだろうと思ったので、読み始めたが・・・。
正直、最初は非常に読みにくくて(ごめんなさい!)、全くペースが上がらなかった。だが、途中から「そうよ、そうよ、そうなのよ!」という感じで、一気に読み終えた。
小学校の英語必修化、高校の英語の授業を英語で教えるという文科省の方針、「コミュニケーション英語」というクラスの実態などなど、今の英語教育が抱える問題について触れている。
著者も触れているが、「英語が話せる」ということが意味するものは何なのか、それが曖昧なまま文法教育はよろしくないという批判が一人歩きしている気がする。
実際、私も耳にしたことがある。通訳者としてある企業にお邪魔した時のこと、クライアントから「うちの子供も〇〇さん(注:私のこと)みたいに、通訳できるくらいに英語ぺらぺらになってほしいんですよ。だから、もう文法はいいから、とにかく会話を学校で教えてほしいんですよね。だから、オーラルって言うクラスがあるっていうんで喜んでいるんです。」と・・・。
クライアントに真っ向から反論するのは、私の本心ではない。ましてや教育者でない人と教育論について話すのは、誤解を招きかねないのでそれも避けたいところ。なので、その場は正直、しらーっとやり過ごした。だが、心の中では「文法がなってなければ、ちゃんとした会話もディベートも、ましてや子供さんに後を継いでほしいと思うなら、交渉力という意味でも文法は必要なんだけど・・・」と唱えていた。
そもそも、読めないものを聞いたり話したりすることは出来ない。なのに、「オーラル」とか「コミュニケーション」というと、なぜか文法は不要という思考に陥りがちな人が多い(気がする)。それに、読めないものは発音だって出来ないのに、なぜ耳から聞いただけでわかると考えるのか。この辺りも、勝手な議論が一人歩きしていると常々思っていた。
この本にもあったが、今の大学生は発音記号が読めない。よって、高校でオーラルとかコミュニケーションという名のクラスを経験してきているはずなのに、実際に読ませるとびっくりするような発音をするか、全く読めなかったりする。それで会話が成り立つはずがないのだが、どうも今の風潮は「難しいことは教えなくてもよい」から「話せる」ようになればいいという傾向なのである。
逆の弊害もある。発音記号とスペリングの関係を理解していないため、音だけで単語を意識し、結果としてまともな綴りが出来ない学生も増えている。例を挙げればキリがないが、実際に私が目にしたところではadvaice, guraduato, familia, mai, mei, mora, sarariといったところか。(文脈から想像するに、advise, graduate, familiar, my, may, more, salaryなのだが・・・)
さらに、電子辞書が普及したため、「一単語に一訳語」で覚えている学生がなんと多いことか。実際に、 branchと言えば「枝」しか出てこない。だから、She went to the branch office yesterday.という文を平気で、「彼女は昨日、枝のオフィスに行った。」と訳す。「なんかおかしいと思わない?辞書引いた?」と聞くと、「だって、最初に枝ってあるし。」という回答しか帰ってこないことが圧倒的に増えている。
こうやって考えると、深く考えないままにスルーしていることがよくわかる。それを確認し自覚させるためにも、読解・訳読は絶対に必要なのだが、いかんせん訳読の授業は評判が悪い。すぐに「話したいのに読まされてばっかり」という不満が出てくる。
また、私の世代なら高校時代にやった「クジラ構文」も今や「化石状態の文法」だろう。定型構文はもとより、仮定法とか強調、倒置文は無理、祈願文も今は触れないのか、Mayで始まる文が出てくると途端につまづいてしまう。
私が大学生の頃、学内に有名な先生がいらっしゃって、「インプット無きアウトプットはあり得ない。」と常々おっしゃっていたが、まさにその通りである。そもそも体内(脳内?)に蓄積がなければ、処理も演算も無理である。読めないものを話したり書いたり出来るわけがないのに、「話せればいい」という思想だけが一人歩きしている。
授業では私も「そもそも読めないものを聞いても、想像すらできないんだから、耳だけで理解できるわけないでしょう?」と言うと、学生は一様に「あぁそうか」という顔をする。ただやみくもにリスニングの練習をするとか、やたら外国人の友達や先生に話しかけていけば、なんとかなると思っているのである。
この本全てに賛同するわけではないが、インプットの重要性、文法の重要性を唱えていることは非常に重みがあると思う。
しかし、本当に高校の授業を英語で行うことになるのだろうか・・・ますます日本人の英語力が落ちていくような気がしてならない。

というわけで、ここにもある通り、120万部を売り上げた『体脂肪計タニタの社員食堂』のレシピ本である。
1食おおよそ500キロカロリーに抑えつつ、満腹感を得られるメニューであり、体脂肪計を販売しているのに社員がメタボではまずい!ということで、考え出されたものとか。
なので、特殊な食材も調味料も使うことなく、本当に普通に生活していく中で美味しくカロリーを抑えて食べられるものばかりが掲載されている。
ついつい面倒で、しかもどうしても甘味(砂糖とか味醂)が必要になるので、煮魚は敬遠しがちだったんだけど、この本をみたらそんなことないなって思った。これから暑くなる時期、お刺身は怖いなって思うこともあるが、やっぱりカルシウムは絶対に必要。というわけで、この本にあるように煮魚もやってみたら美味しい!ってことは、私の今までの分量はやっぱりお砂糖が多かったのか・・・と気づいた。
それ以外にも、煮物・和え物など、「あっ!」って思うヒントがいっぱい。(余り詳しく書くと、ネタばれになっちゃうので・・・)。
カロリーが気になる人、メタボ気味の人にはまさにお勧めである。
このシェフは、ヒラリー・クリントンとはとってもウマがあったが、ローラ・ブッシュとは全く合わなかったこと、クリントン夫妻とブッシュ夫妻では食事に対する考え方も好みも全く違っていることが、如実に書かれている。まぁ、ブッシュさんはプレッツェルを喉に詰まらせて怪我をしたことがある(もっとも一説には酔っ払って転んだだけというほうが有名か)という話もあるくらいだから、ある意味ジャンクフード大好きなのねっていうのはよくわかったが。
というわけで、この本に載っていたレシピは、大半がクリントン政権のもの。いくつか美味しそうなものがあったので、今度ゆっくり作ってみたいと思う。
あとよくわかったのが、やっぱり体型を維持するにはそれなりの意識と努力が必要だということ。鶏肉やラムがよく出てくるし(日本でラムを入手するには、かなりお店が限られるが)、いわゆる「霜降り肉」は健康に良くないと考えられていることがわかる。
私も一時期、霜降り肉が大好きでそればっかり食べていた時期があるが、やっぱり体重コントロールは難しかった。それを変えてから、体重も落ちたし、なんといってもこのところ脂肪率が落ちてきたことが嬉しい。食事制限は一切していない。食べないと仕事にならないから、食事量を減らしたり絶食するようなことはしない。でも少しずつだが脂肪率が落ちてきたのはよい傾向。
お茶にも気をつけているので、この調子を維持したい。そのためにも、この本にあるレシピも参考にしたい。

本屋さんで国際政治関係の本を探していた折に、偶然見つけたのである。背表紙のタイトルを見て手に取ったのだが、お料理好きの私としては「これは見逃せないかも」と思った。
本は出版社の宣伝や販売戦略もあって、前評判は高かったものの実際に読んだら・・・というものも結構ある。作者や内容との相性もあるから、必ずしも評判がよいとか人に薦められたからといって、それが自分にも同じように響くとは限らない。
なので、実際に手にとってパラパラとめくったり目次を見たりという作業で、自分がピンと来たものを選ぶのが私の常。というわけで、これも政治学の本に挟まったような状態で棚にあった1冊だったが、私の中ではピンとくるものがあった。
で、読み始めているが、本当に面白い。シェフとしての心構えや実際のファーストファミリーの会話、またプライベートな食事とState Dinnerのような権威ある食事にいたるまで、どのような工夫がなされているのかという「人間的なホワイトハウス」の一面が垣間見えるからだ。
それとともに、いくつかのレシピも載っている。シェフもちゃんと考えていて、「一般家庭で作ることが出来るようなものを載せた」のだとか。確かに、見ているだけで「美味しそう」と思しきものがあった。
まだ全部を読んだわけではないので途中経過という感じだが、全部読み終わったらレシピを参考にお料理を作ってみたいと思う。
お料理に興味があればもちろんだけれど、「キッチンから見る政治」と考えると、なかなか面白い読み物だと思う。

浅田次郎の小説である。
3月にアメリカで読んでいた(っていうか、主が持っていたのを家で読み始めていた)が、結局帰国まで読み終えることが出来ず。
とってもおもしろかったので結末が気になり、結局自分で日本でもう1度読み直すことにした。
これが本当におもしろい。今まで論文に関係する本しか読んでこなかった(っていうか研究文献読むだけでも時間が足りないくらいだった)ので、自分のお楽しみで本を読むという生活から4年間離れていた。だから、今は自分の好きな本を好きなように読めるのが楽しくて仕方がない。
で、これも本当に読んでいて楽しい。主に通勤時や休日に出かける時など電車内で読んでいるが、余りにおもしろいので夢中になって、乗り過ごしそうになることもしばしば。今日も降車駅のアナウンスで気がつき、慌てて電車から飛び降りた。
この調子なら、たぶんあと2日くらいで読み終えることになる。続編(『中原の虹』)があるようなので、それも読んでみたいと思う。
それにしても、こうして本が読めるって楽しい。論文生活からの反動なのか、いろんな本が読みたくて仕方がない。で、いろいろ買って積んである。もちろん、仕事をしている以上、研究文献も読まなければならないから、あっちも読んでこっちも読んで・・・という調子で進まないこともあるが、それでも以前に比べれば、かなりの時間を割くことが出来る。
なので、手帳には読みたい本(買って手元にある本)のリストがズラリ。『大統領の料理人』という本もあって、ホワイトハウスで出されたお料理のレシピも載っていたので、それもしっかり読んで実際に作ってみたい。
さて、私の読書のお供はこれ。ネコのモチーフとピンク色に癒されている。



というわけで、今日はまとめてアップ。
作者名がDale Brownで、Dan Brownと間違えそうな名前。この本はSFだけど、中味はかなりリアルにありそうな話。
中東問題、イスラム社会との対決に絡み、アメリカと中国が戦争突入?という内容である。
物語のスタートが、Winter 2010となっているから、本当にリアル感満載。実際、東シナ海ってかなりこれに近い状況になっているのではないかと思しき事件もあったしなぁ・・・。
作者のDale Brownは元Air Force。というわけで、本当におもしろい(といっては不謹慎か)内容だった。
ありそうでない話、なさそうでありえる話、といったところか。
でももし本当にこんなことが起こったら・・・っていうか、実際に震災の混乱に乗じて中ロがバンバン偵察機を飛ばしているんだから、かなり事実に近いと思うけれど・・・本当にこの小説に書いてあるようなことが起きたら、今の日本の政権では国民は絶望的だよなぁ・・・。
指導者に力がないと、国民は不幸だ。

NHKの番組で一躍有名になった、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の本である。日本語訳も出ている。
実はこの本、かなり前に買っていたが、これも「積ん読」だったので、3月にアメリカに行った時に持っていった。長いフライトの中で読めば効果的な睡眠導入剤(つまり寝るため)になるだろうと思ったのだが、案の定、ダラスからの2時間のフライトで最初の5ページを読んだら、その後はぐっすり寝てしまった。
以前に、日本ですごくブームになったという話を主にしていたので、「こっちにいる間に読んで、帰る時に置いていって。」と頼まれた。そうやって期限を切ったほうがちゃんと読めるかも・・・と思ったのもあって、アメリカ滞在中に合間を見ながら読んでいた。
で、読書メモを・・・と思っていたが、地震がありブログにアップしないままに帰国。
ちょうど帰国したら、この本の最初に書いてあったようなことが起きていて、あぁ読書録を書かなきゃ・・・・と思っていて、結局ズルズルしていた。
彼は、これまでの歴史上の哲学を用いながら、現代の問題にどのように取り組むべきかを論じている。そういうと難しく聞こえるかもしれないけれど、実例をいろいろ用いて論を進めているので、非常に読みやすいと私は感じた。
真っ先に出てくるのが、ハリケーン被害後の「便乗値上げ」(price gouging)である。サンデル教授によれば「便乗値上げ」は悪いことではない。そういえば、今回の震災でも自社についての便乗値上げを社長自らが自分のブログに書き込み、ブログが炎上していた話も見たが、擁護派はこの本を引き合いに出していた。(ただ、社長自らが不特定多数相手のブログに書き込んじゃうというビジネスセンスは、日本人のメンタリティを考えたら、ちょっとどうかと思うが。)
あとは、Libertarianismについての論は、読んでからテレビでこの部分の講義を見たことを思い出した。他にカントやアリストテレスを引用しながら、いろんな実例を用いて論述しているので、これまでの哲学を振り返りながら今の問題を考えるという思考型著書で、本当におもしろかった。
個人的に笑えたのは、シェイクスピアとシンプソンズを対比させていたところ。何が自分にとって有益か?という判断基準には、クスッと笑いつつも納得してしまう部分があった。あとは「肺がんのリスクとタバコ会社」の話とか、Affirmative Actionの話、代理母戦争の話など、現実社会に存在する話を含んでいるので、退屈な哲学の話というのとは違う。
何を「正義」とするかはそれぞれの人の信条によるから、この本の評価は読者によりけりだと思う。ただ、考え方の1つとして利用すること、またモノの見方は1つではないことをこの本は教えてくれると思う。

タイトルの『マボロシの鳥』は、この中の1作であり、短編小説が収められている1冊である。
爆笑問題といえば、時事ネタで笑いを取るコンビであり、またさまざまな番組で司会などもしている。
私はこの太田光のファンである。彼の毒気(毒舌)に関しては、私の周囲でも評価が二分に分かれる。「好き」か「嫌い」で、嫌いな人は本当に嫌いらしい。
が、私にとっては彼の毒気が非常に魅力的に感じられる。どちらかというと、ああいう毒気のある人(特に男性)が私の好みのタイプだからかもしれない。だから、テレビの『太田総理』も結構好きで、時間が許せばよく見ていた。彼の主張や論理がめちゃくちゃという言う人もいるし、実際に私も時には「それはないでしょう」と思う時もあったが、彼は実によく勉強しているなというのはいつも思っていた。でなければ、あれだけ言葉が出てこないとは思うけれど。
そんな毒気たっぷりの彼が書いた本だから、さぞかし・・・と思っていたら、しっかり裏切られた。ひねりにひねった毒気は感じられるが、いつものテレビで見ているストレートな毒気は全然感じられない。
アンデルセンやグリムといった童話のような雰囲気を持ちつつ、時事ネタも盛り込みつつ、さらにSFっぽい要素もあって、ロマンスもあり・・・と、なんともいえない小説がズラリと並んでいた。そういう意味では、彼のまた新たな才能というべきなのか。読み終わった後は、なんとも不思議な気持ちになった。
よく言われるのは、男性の方が女性よりロマンチストだということ。彼はそれをこの小説で証明したのかも。リアリストの女性が書くものとは、明らかに一線を画している。
でも、とっても楽しい1冊である。現実の荒んだ世界に疲れたら、読んでみるといいのでは。
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