みなさま
ようこそ
こんばんは。

久しぶりなブログです。
でも海の話題ではありません。

でも、ちょっとダイビングな話です。
セブンさんが「ダイビングをやりたい」って思ったのは
この方の存在があったから。
そしてその方の通夜が今夜営まれました。

それは西城秀樹さん。

思えば、物心ついた時に初めて知った男性アイドル歌手でした。

当時の小学生といえば、ウルトラマンや仮面ライダー
マジンガーZ、宇宙戦艦ヤマト。
昆虫採集に野球、凧あげ、駒回しと
芸能界とは無縁のところで生きる生物でした。

ザ・ドリフターズと天地真理さんしか知らない少年が
初めて歌った歌は

やめろと言われても
今では遅すぎた・・・

という西城秀樹さんのヒット曲「激しい恋」

この「替え歌」が子供たちの間でウケてまして

やめろと言われてモモタロウさん
今では遅すぎタヌキさん

と、学校中の子供たちが歌ったものです。

その後、歌謡界ではピンクレディーが大ブームをつくり
そこにさっそうと現れたのは(もっと以前からいらしたんですが)
帽子を投げるパフォーマンス「勝手にしやがれ」
ジュリーこと沢田研二さんでした。

そして沢田研二さんとピンクレディーの二大ブームは
世の中の小学生たちを、少しだけ大人の階段へと導いてくれたものです。

まだ「ザ・ベストテン」が始まる前
テレビは音楽番組があふれ
平日の朝から晩まで歌番組がたくさんありました。
ワイドショー番組にも歌手が出演して
色々な楽曲を披露していました。

そして、当然ですが
人気絶頂期の西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさん
山口百恵さん、桜田淳子さん、キャンディーズ・・・
みなさんが多くの番組で共演していたわけです。

なので、私のような沢田研二さんファンでも
当然、みなさんの活躍、楽曲を毎日のように見聞きし
今でもよーく覚えているほどです。

西城秀樹さんの「ラストシーン」「若き獅子たち」など素晴らしい名曲。
子供心に響く歌でした。

そしてTBSで「ザ・ベストテン」の放送が始まり
西城秀樹さんは「ブーツを脱いで朝食を」という歌で
ライターを使用したパフォーマンスを行いました。
イントロ部分で、ライターに火をともし
曲に合わせて左右に大きくゆっくりと
炎を動かし、歌の始まりでサッと火を消しポケットへ・・・

数週間時期が遅れてベストテン入りした
沢田研二さんは「サムライ」という歌で
「片手にピストル、心に花束」と歌い
ナイフを突き出して歌うパフォーマンスを披露。

そして・・・この二曲は同時期にPTAからクレームがつくという・・・

少しだけ大人の階段を上り始めた野生動物な少年たちは
こぞってこのパフォーマンスをマネしたわけです。

当時、ライターといえば、世の中に100円ライターチルチルミチルというものが登場。
もちろん西城さんはもっとブランドなのを使用していたのでしょうけど。
学校にまでライターを持ってきて、このイントロを真似たわけです。

「サムライ」では、自宅では包丁、学校ではカッターでマネたわけです。

当然、わが校でも各クラスの男子たちは、先生方にこっぴどく怒られるんですが
そんなことでメゲるような野生動物ではありませんでした。
これって恐らく、全国的にそうだったんじゃないか?と思います。

ついに、沢田研二さんも西城秀樹さんも曲終わりにメッセージを・・・。
「良い子はマネしないでね。ジュリーからのお願い。ヒデキからのお願い。」
とテロップが流れるようになりました。
不思議なことに、このテロップが流れ始めてからは
小学校内でも「ジュリーと秀樹がマネしちゃだめって言ってるからやめよう」って
私たち野生動物は、また少し大人の階段を上らせてもらったものです。
親や教師の言うことは聞かずとも、スターの言うことは聞くという、何とも平和で愛せる時代。それだけ影響力が強かったことは当時を知る人たちならわかるかと思います。

六年生の学級発表会、六年四組だった私たちの出し物は「Y.M.C.A(ヤングマン)」。
みんなで一生懸命練習しました(歌もフリも)。
発表会が近づいたある日、担任の先生から「六年三組も同じ曲をやるらしい」
「だからウチの組は曲を変える」と言われて、みんな大ブーイング。
最後は担任が切れて「ゆずりあうってことを知ろっ!!」って感じで
私たちは泣く泣く「ホップ・ステップ・ジャンプ」に変更しました。
一組からクラス順に披露して行くわけで、メガヒットの「ヤングマン」に敵うわけなく
なんとなくシラけた披露になったことを覚えています。

その頃だったでしょうか・・・
とあるテレビ番組で、西城秀樹さんがスクーバダイビングを楽しんでいる姿を見たのは・・・。

「面白そうだなあ。やってみたいなぁ」って、「日本人でも出来るんだぁ」って・・・
まだまだ頭の中は野生生物でした(笑)
しかし、その当時、子供の遊びとして手の届くものではなくて・・・
そのまま、そのことは頭の片隅へと追いやられました。

その後、私たちは何とか野生動物であることを隠すことに成功???して
少しずつ成長してゆきます。

1983年だっか・・・84年だったかな。西城秀樹さんが司会を務めた土曜日の朝のNTV番組。
西城さんが緊急入院して、沢田研二さんがピンチヒッターで司会をしたのって・・・。
当時、我が家にはビデオなんて高級なもの無かったから、見たことはないけれど・・・。

時代は移り変わり、ジュリーもヒデキも、ヒット曲というものから少しずつ遠ざかり
「自分の行く道」へとシフトして行きます。

この頃、初めて本物の西城秀樹さんを観ました。日本青年館で演じられた舞台「坂本龍馬」です。
知り合いが出演していたので、楽屋で西城さんにもお会いしました。
スラーっと背が高くて、とにかく「大きい」「カッコイイ」ってカンゲキしたものです。

その間も西城さんはNTV系の深夜番組で、無茶苦茶タフな遊びっぷりのプライベートドキュメントを放送したりして、「身体壊さないのかな???」とか思ったものです。

さらに時は流れ・・・

私がダイビングをもう一度とふるいたったのは、それからずっと後のこと。
2000年の初夏でした。

そして、その時期に何とも偶然というか
何とも不思議というか・・・

タレントの中山秀明さんが司会を務めたテレビ番組「ウチくる!?」に
西城秀樹さんがゲストとして出演。
西城さんは大好きな「伊豆」を紹介し、スクーバダイビングも披露してくれました。
伊東のダイビングショップで「西城さんのインストラクター合格祝い」なんかも盛り込んで
私も「インストラクターになろう」って思ったものです。

私のインストラクターの先輩たちは、西城秀樹さんとダイビングを通して知り合ったという方がいて
「一緒に〇〇潜りに行こうよ」と誘われたこともあったようです(男性ですよ)。

2002年、私はインストラクターになりました(インストラクタートレーニングセンターで私のニックネームは何故か「ヒデキ」でした 笑)。
西城秀樹さんはご結婚されました。

2003年、私はインストラクターとして海に潜り始めます。
西城さんは病に倒れました・・・。

先月、私は初めて西城秀樹さんの歌をカラオケで歌いました。
それは「炎」。西城さんの曲の中で、一番カッコイイって思ってた曲。
なんで歌ったのか??? 酔っていて覚えていませんが・・・。


ちなみに私は沢田研二さんのファンです。

でも、西城秀樹さんのことも大好きです。

こんな風に自分に影響を与えてくれたこと、忘れようにも忘れられず。

そして、今夜は西城秀樹さんのお通夜・・・。

私は自宅で、お清めのお酒を飲み始めています。

そう、2000年に録画した「ウチくる!?」を観ながら・・・。


西城秀樹さん、ありがとうございました。

私の人生に、大ファンでもない私なんかの人生に
こんなに大きく影響をいただきましたことは感謝の極みです。

西城秀樹さんがいなければ、スクーバダイビングをすることなんか無かったかも・・・。

一度くらい・・・偶然に、伊豆の海で西城さんとダイビングやりたかったなぁって思うんですよ。

西城さんの富戸にあった別荘、いっとき貸ペンションになっていましたね。
今はどうなっているのかな?

そんなことを思いつつ・・・。



秀樹さんの愛した伊豆の海で、私はこれからもダイビングを続けます。

これからは、水中で時折、西城さんに話しかけたりしながら・・・。


さようなら西城秀樹さん。

永遠の我らがヒデキ!!



※西城秀樹さんの写真などはあえて使用しませんでしたm(__)m



オフィシャルWEBへセブン オフィシャルweb








ダイビング Have a Good-day  ダイビング

人気ブログランキング参加中
ワンクリックしてくださいね


ダイビングランキング


ブログ村にも参加中
ワンクリックお願いしますね
 

にほんブログ村 マリンスポーツブログ ダイビングショップ・スクールへ 
にほんブログ村